ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

経済を盛り上げるにはニートを無くせばいいのか?

2011年09月12日 22時57分04秒 | 考えるねーさん
いや、ニート君、ニートちゃんは、放っておいてあげていいんですよ。(突き放して言ってる言葉と解釈しないで欲しいのですが。)


※ここで言う、ニート君やニートちゃんは、この状態を好んでわかっていてやってる人を指してますよ。(だから「働け!働け!」ってやるとかえって酷だったりもします。)



経済はさぁ、盛り上げられる人がどんどん盛り上げていけばいいと思う。

盛り上げるってのは消費だけじゃないし、というよりは、まず、生産がなきゃ消費がない訳だし。
ホントに買いたいものがあれば人間は買うし、売れるものは放っておいても売れるし。

性質としてとにかく不安性で、お金使うことすら不安(だから使いたくないの)って人は、これはまた全くの別問題なので、こういう人の尻は叩けない訳でして。
そういう意味では、「不安の解消」ってのは経済の盛り上がりに大いに役立つと思われ、でもバブル時代にだっていつだって「不安の人(←お金使わないよ、やっぱり。)」はいたわけで。


今って「先行きの不安からお金落とさない」ってより、「成り行きに対する○不満(×不安)で「買ってや~~~~らないっ!(だって買うほど自分にとって価値ないもん)」って人が相当数いるかと思われ。


まぁ、バブル~バブル崩壊~失われた20年、、、と、ここまでくると、一言だけ言いたいのは、

「盛り上げ方だけは、くれぐれも出した○結論(×結果)が○正しかろう(×間違っていなかろう)が、○結果(×結論)として○間違わないようにしてくださいね。(×正しいことを導き出してくださいね。)」

ってこと。



人間、出来る人にしか、出来ないことがあり、
人間、出来ることしか、出来ないことがあり。

花火を打ち上げる場面にだけ尽力すればいい人があり、
畑をコツコツ耕すようなことに尽力すればいい人があり。



何か盛り上がってきて「人が足りない、人手が欲しい。」って雇用促進しなくちゃいけなくなったときに、こういう人は興味があることには手を出してくるでしょうし、「それでもイヤ!」と思えば、「がんばらなきゃ!!」みたいには働きませんから。(わかっていてそうしますから。)




「原点」なのか「基本」なのか「基礎」なのか、還るところとは。

2011年09月12日 22時44分23秒 | 考えるねーさん
げんてん【原点】

物事を考えるときの出発点。



きほん【基本】

判断・行動・方法などのよりどころとなる大もと。



きそ【基礎】

ある物事を成り立たせる、大もとの部分。もとい。




やっぱり「基本」ですね、還るところって。
「よりどころとなる大もと」がとにかく(何もかも)「金(マネー)主義」になりすぎてて、みんな動けないんだわよ、これじゃね。


まぁ、ベーシックインカム制度ってのも悪くはないかもね。

それで安心してしまってゆる~~~く暮らしたい人はそれはそれでいいと思うし、それでも「自分は何か働きたい!何かしたい!!」って人は必ず出てくるでしょうしね。


まぁ難しいのはそれに合わせたインフラ整備っていうかね。
国の省庁の組織しかり、企業の雇用制度や福利厚生制度しかり。

制度を最初に力づくで「やれやれドンドン」で強行導入しちゃうと、整備のほうが追いつかなくてそこにまた時間軸のズレから誤魔化しが入ったりして、ややこしくなったり、それをヘンに逃れようと道理に外れたこと(←これを「悪いことだ」と思わない思考に傾いちゃう)し出したりする人が出てきたりね。