ねーさんとバンビーナの毎日

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やっぱりモリマリ20110909-05

2011年09月09日 22時04分10秒 | 紹介屋ねーさん
さて荒木一郎の、自分の遣ったことを正当化しようとする言葉を吐かないで、(あれは女に対する俺の挨拶だ)と、ふんぞりかえっていたことを、○田○郎の態度に比べて立派であり、そういう彼を本ものの、私の認める不良だと文芸雑誌に書いたが全く、○田○郎の態度にはおどろいた。

(大分前だが、荒木一郎の事件と同時に○田○郎にも同様の事件が起きた。その時○郎の方は懸命に自分の行為を正当化しようとしたのである。)

私は当時文芸雑誌に、あの場合娘が、ホテルに伴れて行かれる危険も承知で荒木一郎が現れる店に行ったこと(しかもご丁寧に母親も一緒である)は莫迦な行動であって、私が警察官に命令を下すことが出来る権限を持っていたのだったら、荒木一郎を逮捕するよりも先ずその母娘(おやこ)を痴呆罪で逮捕しただろうと書いた。

又私は「恋人たちの森」を書いた当時他の文章の中に、(私のあの小説は、莫迦げた街の不良たちに捧げるために書いたと言ってもいいのである)と書いた。

又、昭和三十六年度の(現在も全く同じで変化がないが)街の不良がかった連中が下北沢の駅の傍の暗がりに三三五五、芸もなく突立って、小声で「サツだ」とか「やばい」とか互いに囁き合っているのを見て、その阿兄ちゃん(あんちゃん)たちにこう言って遣りたいとも、書いた。

お前さんたちは、「恋人たちの森」に出てくるギドウとパウロのような洒落た言葉の投げ合いが出来るかい?
不良というものは困った存在だが、その代りに、善良な人間には出来ない、いきな言葉のキャッチボールを遣ることが出来たり、格好もいかすのでなくては駄目なんだ。
お前さんたちのようなデクノボーは存在理由(レゾンデートウル)がないんだよ
)と。

深夜テレビに出た荒木一郎は後へ掻き上げた、烏の濡れ羽のような真黒な髪で、真紅なエシャール(マフラー)だかシャツだかの上に黒のタィユウル(スウツ)の様子は、一流の不良の名をはずかしめなかった。

不良を褒める老婦人というのも珍しいが、私はこういう人間である。

(不良)ときいてげじげじか百足(むかで)を見たように眉をしかめる令夫人、令嬢(むろんほんとうの令夫人、令嬢もいるが)たちが荒木一郎の挨拶に内心あこがれているということもあり得ないことではない。




不良ってのはやっぱり一目置く価値はあるわけで、ただのヤンチャとは違うんだよねぇ。
不良の子のほうが情緒感が育っていく(=粋っていうか)っていうかね。

ただの目立ちたがりのヤンチャの子(気を引きたいだけの子)はいつまでたっても○幼稚(×子ども)でしょうがねぇ。
まぁそれすらわかってやらなきゃいけない事情は裏に必ずあるんだけども、こういう子ってね。

そう、寂しいのね。
その表現がひっくり返っちゃってるのね。
なんでかって、「何か自信が(まだ)ない」、「本来気が小さいのに(←これは直るもんじゃないね)大きく見せたい見栄が引っ込められない(←ここで取り扱いを間違えると厄介なことにつながるね)」、、、こうだったりね。











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