ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

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2010年07月03日 10時48分20秒 | 観察屋ねーさん
こういう業界もどうせ社会主義みたいな感じに切り替わっちゃってるんでしょう?
その区別すらつかないくらいに曖昧に。


今って、ホントに日本人、馬鹿が増えたなぁ。

教育をビジネスにしちゃった切り替え時期が1990年くらい・・・って感じだったかと思うんだよねぇ。
教育をビジネスなんかにしちまうから・・・。

あの時も知人が「塾ビジネス始める、これから来るから。」とか言ってて(今50歳すぎくらいになると思う。)、
周りに「おめーは、金になりゃ、なんでもやるのな?悪いヤツだ。」とか周りの友人達に突っ込まれてったっけ。
でも、始めたよ、この方。
大学出て、教職免許はもってる人だったんだけど。
ビジネスとしてはうまく成功できなくて、やめて、とある有名大手の人材派遣会社の営業に転身してたっけ。
これも旬だったんでしょう。
やっぱり「ほんと、お前は、金しか見てねぇな。」とか茶化されてたっけ。


ゆとり教育のせいだって?
いや、違う。

リッチ(嫌み)な大人が怠け出したんだよ。
この知人なんかがいい例だよ。怠けだよ、こんなの。

そういうところを突っ込む人がいると、

「いいじゃん、そんなこと、どーでも。」

って口にする人、どんだけいたっけねぇ。

オバチャマなんか一回りくらい違う年上の人達だったから、その場に居合わせると、
「うーーーむ。ん・・・・・。」と理解に苦しむところがいっぱいあったなぁ。



官僚政権がイヤで飛び出した石原さん。

2010年07月03日 10時37分11秒 | まんまねーさん
恐怖政治みたいな社会主義みたいな雰囲気になっていく会社がイヤで飛び出したオバチャマ。
そう、あれは1996年。


まぁ飛び出した後から今に至るまでの仕事も「こんなことやりきったぞ。最後まで。」という自負心はある。
この先もまだやらなきゃいけないことはどうも続くようだ。


なんちゅう人生だ。
まぁ大変ながらにも楽しいぞ、と。
飼われているよりなんぼか楽しいぞ、と。


まだ飼われた状態で力のなくなった目をしている人は多いね。
目が生きてくると違うんだけどね。

人を飼うような環境で誰かの腰巾着みたいになってイヤラシイ目に変わってしまってる人もいるね。
あんまり人をはかったりしないようにね。


さーってと、お友達と神谷町の美容院に行ってこよーっと。
その後は不動前でビール。あつがなついぜ。



「恐怖政治」と「剛腕政治」

2010年07月03日 08時30分41秒 | 2種分ねーさん
「恐怖政治」っちゅーのはルールでもって縛られておりまして自由はありません。
「下は上にものを言ってはいけない」というルールまで次第に(そういう「おふれ」が事前に出る訳でもなくなんとなくそういう風になっていきます。)出来上がりまして、口を出そうもんなら「お前はいらない」と切り捨てられる、と、こういう感じです。
または腰巾着みたいな人らが生意気な人を見つけては「お前、上に嫌われてるなぁ・・・オレはお前を評価してるけどねぇ・・・」などと遠回りの嫌みでジリジリいたぶり出したりするのです。
なんでこういうことをするのかって、「誰も全責任を背負いたくない、誰かに押し付けたい、責任からは回避するようにロジック考えておかなきゃ。バカが背負わされて自滅するんだ、どうせ。」って思ってるからです。
これに耐えられなくなってくる人は精神的に追い詰められたりしてウツになったりするのです。


「剛腕政治」っちゅーのは「お行儀」を重視されます。
仮に生意気なヤツが上になんか意見をしたとしても、「意見わかるが、お前のその態度はなってないぞ!」と上下間のお行儀を叱られるだけ。
それを叱られて「どうしても納得いきません、やめます。」と言えば止めないでしょうし、
叱られて謝りもしないで、まだ口答えするようだったらその態度次第で「クビっ!」と通達されることもあるでしょう。
ただし、こっちがホントの自由なんですよ?
こういう人は何でああも叱ることが出来るかって、全責任を背負ってるからです。