ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

謀略師と策略師と戦略師

2009年09月14日 21時16分15秒 | 2種分ねーさん
謀略師はなんだかいつも「金」に興味が無い。
自分自身で「こいつとなら握手する」と決めた相手ときちんと関わって、公平な金の分配をしている。
「ん?!こいつめ、味方か敵か!?」と見定めるときは、わざと相手をあざむくような仕掛けをして様子を伺う。



策略師はなんだかいつも「金」を気にしている。
「金」がすべてのモノサシだ。
自分自身で「この人はお金をくれそうだ。」と嗅ぎ付けると貢ぎ物を差し出したりして様子を伺う。
「こいつから金品はいただけなさそうだ。」と判断すると、さっさと立ち去るから、なかなかいい関係性を築くことが出来ない。
「金で繋がってるから繋がってるまで」のことだから、相手の人間性なんてことはどうでもいいわけだ。



戦略師はなんだかいつも自分磨きをしながら「場」を気にしている。
自分自身で「こいつとならまたさらに磨きがかかるぜ。」と決めた相手と関わって、切磋琢磨して自分磨きをしている。
「ん?!もしやこの場はせっしゃが関わる必要のない場であるな?」と勘が働くと、わざと場を荒らすような仕掛けをして(やめてー(笑))様子を伺う。

商売できる環境に戻して下され。

2009年09月14日 20時39分24秒 | 吠えるねーさん
ビジネスなんてね、マネーだけ動いて人が活きないんだよ。
なんでもルール化した作業しか生まれないんだよ。
だから人はロボットのようになっちゃう。
目先の計算の速さばかりが重要で、だから何にも体験が蓄積されない。
目先で計算してすぐ決済しちゃって、「決済できないものは知らない。」で済ませちゃう。
決済してから事を進めて、こなすっていうのは、実は履歴がな~~~~~~~んにも蓄積されないんだってば。



商売じゃなきゃ人が活きないんだよ。
仕事が生まれないんだよ。
仕事の下に作業が生まれるんだ。
だから雇用も生まれる。
商売は人が活動しなくちゃいけないからね。実体験が残る訳。
仕事する人、作業する人で協力関係も生まれる。
仕事する人は苦労の分のお給料を多めに支払い、作業する人は苦労がない分少しすくなめで。


なんでもかんでもビジネスライクにしちゃったから人余りを出して人がいらなくなっちゃうんだよ。


この問題は、どう考えてもマネー資本主義の崩壊とは関係なかったよ?


そういう「ビジネスライクな体質の企業にしよう。これからはこうじゃなきゃ!」って、単にどこかが早々に突っ走っただけじゃん。何に感化されたんだかしらないけど。


有名な大企業だろうが「ビジネスライク」に切り替えてない企業も確実に残ってる。
相変わらず「商売」してるから、みんなよく働くんだよねぇ。
作業じゃなくて仕事がきちんと残ってる。


部署単位の業務システムをこさえに、いろいろな現場に入ってきたから、まぁマジで一目瞭然なんだよね。


これは一体どういうことなんでしょうね。

けーれよ、けーっちめーよ。

2009年09月14日 15時10分54秒 | 考えるねーさん
時代は移り変わり。

姪っ子(中3)のバレーボール部顧問(現40代後半)は試合中の部員同士のいざこざに絶えきれず、

「勝手にしろ!オレは帰る。」

と自分から帰ってしまったという。


(ね)の中3の時(昭和41-42年・丙午-未組)のクラス担任はこうだった。

卒業式にあれだけ「着てくるなよ!」と注意されていた「ボンタン」に「短ラン」みたいな格好の男子生徒がいたわけだ。

すると体育館に入場する前のクラス待機の最中、言うことをきかない生徒に熱くなった担任はこう言った。

「けーれよ、けーっちめーよっ!」

クラス中「シーーーーーン」とする中、一部の人間は「ククククっ・・・熱っついんだから、いつも・・・」とバレないように苦笑している生徒もいる。(実はこのあいたはこっち組。)


昔の先生は手におえない生徒に退場命令をするくらい熱い先生がいた。
今の先生は手におえないと自分から帰ってしまうという。

昔だって手におえないと帰ってしまう先生はいたけど、生徒に退場命令する先生は今どのくらいいるのだろう。
退場命令するのも理屈っぽい退場命令なんだろう、どうせ。
だから子どもの心に響かないのに。


退場命令が下ると、その生徒は「うっせーな。」と捨て台詞を吐いて教室を出て行ってしまった。

が、同じ不良グループの男子が、

「先生、オレ、呼んでくるっ!」
「呼び戻してくるっ!」

って叫んで、教室を飛び出し、追いかけていった。

友達思いのイイ奴なのか、「やった!オレもバックれられるーーーっ!!」と教室を飛び出したのかは定かではないが、卒業式には二人とも戻ってきていたような記憶がある。

なんか、まんま金八先生みたいな展開に、思い出深い卒業式になったのは言うまでもない。


そして、この同じクラスから、県立進学高校→東京大学ストレート合格した才女がいたのも信じられない。(小学校から学力・文章力・創造力がズバ抜けていた。)
どんな先生に教えられようがどんな環境にいようが「出来る子は出来る」の典型。


この担任は横須賀出身の男性教師(技術家庭)だった。

いや、特に意味は無いが、横須賀の鴨居ってところに住んでいて、夏休みに遊びに行かせていただいたのだが、


「先生、お坊ちゃんすぎ。」

「先生、一人で部屋広すぎ。(2Fすべてを占領。ギターとかアンプとか楽器もあったような記憶が。)」

「先生、こんな優雅に親元で生活してたら結婚出来ないよ?」


って、中3にてすでに毒吐きまくって帰ってきた記憶がある。(笑)

一緒にいった友は後にRCサクセションのコンサートを一緒に観に行った友だった。



余り予算の使い道

2009年09月14日 10時44分09秒 | 吠えるねーさん
うーんとねぇ、役所がプレステとか卓球台とかカメラとか購入するのもいいんだけどさー、あえて仕事作って、下請け業者に仕事振ってよ

余り予算が下請けを潤すからさー。

アンタ達だけモノで潤っても仕方ないじゃーん。


役所だけじゃない、いろんな企業さんも同じね。