ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「沢山のお客を集客するか」「ほどほどのお客を集客するか」からいろいろ考える。

2009年09月18日 23時01分36秒 | 2種分ねーさん
沢山のお客を集客する手段を取ったほうが、沢山のお客を集客する苦労を軽減できる。

例えば、通行量の多いゴミゴミした路面に面した雑居ビルに出店したほうが、
通行量がまばらな路面に面した閑静なビルに出店するより、集客率は上がるだろう。

例えば、インターネットや広告を駆使したほうが、何もやらないより集客率は上がるだろう。


ほどほどのお客を集客する手段を取ると、自分の価値を下げない鍛錬を日々積まなくてはならない。
価値を分ってくれるお客が減らずに固定客としてついてくれているならいいが、不況などの時代背景も踏まえると、それ一本やりなのも不安が募る。

そういう(不況)時代にお金を沢山支払ってくれるバブリーなお客様がついてくれたら、それはそれで非常にありがたいが、「質がいいお客か?」と言えば、それも不安が募る。
そういう人にいいように躍らされて荒らされる可能性(自分が荒らされる)があるからだ。


だから出店場所にはくれぐれも気を使った方がいいかと思う。
バブリーでいっぱいお金を支払ってくれるような人がいる街より、真のお金持ちでお金を支払ってくれるような街のほうが安心だ。


商売って結局、「自分はどのくらいの儲けの商売が続けられればいいのか。」っていうところが基本中の基本で、「儲け額を増やす商売をしたい。」とか「これで有名になりたい。」とか「これを(流行だし)やりたい。」そういうことは基本ではなくて、こういうことは単なる「手段」でしかない。

「儲け=3が続くような商売」に設定してあったとして、それが「儲け=マイナス1」が続くようになってしまったとする。
そうしたら経費を削減して出費を減らし、出て行くお金をセーブして資金を保つこともそうだけど、「儲け=3」になるアイディアを出さないとマズイ。

「プラス4」が可能なアイディアを考えるのだ。
その時に初めて、「(今の)儲け額より儲け額が増える商売をしたい。」という発想に切り替わるハズで、
その手段として「出店場所を変えてみるか?」とか「商売内容を変えてみるか?」とか「宣伝してみるか?」とか、そういうことが出てこないと、「結局有効な手段なんてないんじゃないか?」「目的も達成できないのでは?」と思うのだ。


「この場所のほうが集客するのに楽だぞ?」ってアドバイスをされた時に、アドバイスをした人は「今より集客率を上げた方がいいんでは?今の君の商売センスはこちらから観察する限り疑わしいぞ?」っていう裏の含みを持たせている可能性がある。

ズバリ言わない(てか、言えないっていうニュアンスかね。)のは、理屈(数字とか)としての根拠が無くて、自分の経験からくる勘とか、関わっているとなんとなくそういう勘が働くから、「アドバイスをしてみて相手の出方次第で、次の協力体制を決めよう。」と思っているからだ。

そういう時に、「なんで集客率を重要視するんだ?」って我に返れれば大したもんで、それって、
「うっ、そうだよね、自分が設定している売り上げとか利益が出てないもんなぁ。ひとまず客入れないとダメだよなぁ。鋭いところを突かれたなぁ。」って分っているってことだから。

設定が曖昧だと、見かけとか手元しか見てなくて「なんとかなるよね。」っていう風だから、まわりを振り回すことにもなる。

だけど、永ちゃんよろしく、「すべて決済済みでことは進まない。」ってことで、
初期設定も、ぶつけて動かしながらじゃないと、いい案配の値が見えてこないのも現実。

そういう時に鋭い人との出会いがあって、「こうじゃない?」とアドバイスされると、何かがぶつかって調整が入る。
そうやっていって、いい値を探し出す。


とくに「みんなの和」とか「みんなの繋がり」とか「みんなで共存」とか、そういう意識のものだと、最初に決済してしまうことで、「かえって繋がりが乱れたり壊れたり」ということになったり、「かえって初期設定が乱されたり壊されたり」するから、それは結局、「設定の曖昧さ」に繋がってしまうのだ。いくら自分個人にとっての「設定の曖昧さ」がなかろうとも。

「自分にとっての得」とか「自分にとっての価値」とか、そういう意識のものは、最初に決済しやすいと思うが、「みんなの和」とか「みんなの繋がり」とか「みんなで共存」とか、「そういうことには繋がっていかない」っていう、「発展の余地が無い」状態に陥るのは必至なんだよね。

いろんなところで、みんなで共有して使うデータベースシステムを構築してきて、そこら辺は明白なんですよ。


「合理化」とか「効率化」

2009年09月18日 22時37分12秒 | 2種分ねーさん
「合理化」とか「効率化」っていうのは、「価格を下げる為の手段じゃダメだ」と思うの。
「合理化」とか「効率化」っていうのは、「売り上げを伸ばす為の知恵」とか、「利益率を上げる為の知恵」とか、「生産量アップの為の知恵」じゃなきゃダメだと思うの。


「価格を下げる為の手段」として「合理化」とか「効率化」を実行したら、ひとまず「売り上げは伸びる」「利益も上がる」と思う。時代背景をウォッチングして上手にやればね。


だけど、こういう商売は大衆に飽きられるのがオチ。
アイディアが活きてなくて、単なる手段で、一時的な自分の勝ちを目指したものだから。


「商いは飽きないようにやる。」って昔の言葉。


しかし今って「飽きる事に抵抗感が無い」っていうか、どちらかというと「すぐに飽きたい」んだね。
そこにかこつけた商売しちゃって「ひとまずウホウホ」しているところは、そういう人間(すぐ飽きたい人間)を作り出しちゃってることにもなるから、少し「自分たちの商売(ビジネス)の社会的影響力」っていうものも考えてもらいたいもんだよなぁ。


「事実が大事」っていう人。

2009年09月18日 22時22分19秒 | 観察屋ねーさん
「事実が大事だ。」「事実が全てだ。」って言う人いますけど、
こういう方は常々「リアル=現実」ってとらえちゃう人が多いですよね。

「リアル」って意図的につくられているから、「現実」とは違うのよね。
「現実」っていうのは、人間の素を観察しなくちゃ、結局見えてこないのね。


「リアル」に浸ってしまうと、「多面性」を持って生きて行かないといけなくなりますよね。
非常に疲れませんか? 精神的に。
例えて言うなら、多面のサイコロ(それが自分)みたいな感じでコロコロコロコロ安定性が無いっていうか。

「現実」に浸ると、「いくつもの顔」が出来てくるんですよね。
てか「いくつもの顔を持たなきゃ仕方無くなる」っていうか。
顔って胴体がつきものだから、安定してるんだよね、自分の中ではね。



けど、他人から見た時に、「いくつもの顔」っていうのは戸惑うみたいなのね。
あくまでその人が主体だから、「どん」としていて動じないし、戸惑うみたいなのね。

「多面性」っていうのは基本的に相手の顔色を伺ってコロコロコロコロ変えてくから、他人から見た時には戸惑いがないみたいなのね。
かえって「いい人ね。」とか思われるみたいなのね。

「うまいね、このっ!」って思う。


「いくつもの顔」と「多面性」を使う人はなかなかいないけど、まったくいないという訳でもないからビックリするのね。


隠されていたことを洗いざらい明確化して提示していきますので…

2009年09月18日 21時21分24秒 | 吠えるねーさん
それを知った後は、皆さんに考えていただきたい。ご協力いただきたい。



おい、政治家って、そうでいいんだっけ?
そんなんでいいんだっけ??えっ????

まずはお前が考えろよ~。
んで、考えたアイディアを実行していけよ~~。


「手段」と「作業」しか思いつかないんじゃ、キツキツだなぁ。
「アイディア」と「仕事」が思い浮かばないのだよね?


キツキツだなぁ。


てか、まぁ、いっか。

ご本人達もわかりきってるよね。失礼致しました。(ぺこり)

知人の挑発

2009年09月18日 21時10分23秒 | 知言葉
は~ぁぁ、オレもサラリーマンやってみてぇ。



ブハハハハハ。
永ちゃん好きな人。


「絶対に向かないからやめな、やめな。」って一応言っておいた。
まぁこの方は呑気なサラリーマンを何気なく挑発してると思われ。
サラリーマンはサラリーマンなりの苦労(逆らえない縛り)があり、逃げずにそれとキッチリ闘っている方もおられるのですがね。


まぁ資金繰りの苦労は少ないからね、サラリーマンは。
家庭内の資金繰りも妻任せとかね。


「オレがやりたくてもよ、うちのヤツが財布の紐を握りたがるんだよ。」ってサラリーマンがいるのも知ってるけどね。(笑)
「「資金繰りの内容を教えてみろ」って言っても、うちのヤツ教えてくれねーんだよ。」ってサラリーマンがいるのも知ってるけどね。(笑)