半熟オヤジの基地

完熟できないオヤジの「狭く浅い&自己満足」の部屋

『マイ・サンシャイン』を観ました。

2020-02-16 06:30:00 | えいがかんしょうの部屋
 LA・サウスセントラル。ミリー(H.べりー)は家族と暮らせない子供たちを育てていた。貧しいけれども、ミリーが与える愛情のおかげで誰もが居場所を見つけ、家には子供たちの笑顔が溢れていた。白人の隣人オビー(D.クレイグ)は騒々しいミリー一家にいつも文句を言うが、心根はやさしく、実は彼らを見守っている。
ある日、ミリーは母親が逮捕され、帰る家を失った少年ウィリアムを保護し、一緒に暮らすようになる。さらに、兄弟の面倒を見ている真面目な長男ジェシーの学校の同級生でジェシーがほのかに恋心を抱いているニコールも家を失い、さまよっていた。黒人ばかりが暮らすこのサウスセントラルで、どの家も生活は苦しく、子供を顧みる余裕はない。ジェシーはウィリアムの素行の粗さが気になるが、それでも少しずつ距離を縮めていく。
1991年はLAでふたつの大きな事件が起きた。黒人男性が白人警官たちから理不尽な暴行を受けたロドニー・キング事件と15歳の黒人少女が万引きと間違えられて韓国系の女店主に射殺されたラターシャ・ハーリンズ射殺事件。
ラターシャ・ハーリンズ事件は保護観察処分と500ドルの罰金という収監なしの判決が下る。人の命を奪っておきながら、事実上無罪のような判決に怒りが沸き上がるLAの街。
1992年4月、ロドニー・キング事件の公判で、集団暴行をした4人の警官に無罪の評決が出る。黒人が犠牲になったふたつの事件への不当な評決に、街の怒りは沸点に達した。そして、白人と韓国系商店を標的として、LA暴動が起こる。血の気の多いウィリアムは暴動に加わろうとし、ジェシーはそれを止めようとする。暴徒と化した市民が商店から略奪している映像をテレビで見て、店に向かう子供たち。小さな子供たちだけが家に残される。ミリーとオビーは子供たちを守ろうと必死に混乱を極めた街を奔走する。
ただ、一緒にいられれば、それだけで良かった。ささやかに暮らしていたはずのミリーたちの生活はある時一変する――。
(公式サイトより)

 最初の数シーンからして「ミリー、大変じゃん・・・」と思うに十分でしたね。あんなに子供達を抱えて、どうして生活できちゃうんだろうか・・・
でも、彼女は、子供達に対して決して「影」を見せません。しっかり「叱る」こともやってるし、愛情をとっても感じます
毎日やかましいミリーの家族に対して、オビーは最初「ちょっと怖いかも?」と思いましたが、だんだんと、彼の言葉は、子供達、ミリーに対しての「ツッコミ」に見えてきちゃいます。彼なりの「愛」ですかね
彼らを微笑ましく見守る時間はわずかでした・・・
実際に起こった人種差別が関係する幾つかの事件・・・事件シーンは(映画として)分かりやすく映されていますが、怖いのは、合間合間に入る実際の映像ですかね・・・
ちょっとした誤解のように映るんだけど、実際には、根強い「差別感情」と、緊張なんですよね・・・ラターシャ・ハーリンズ射殺事件なんて、あっという間の射殺劇ですもん、誰かが止めるとかいう時間も無くて・・・
そんな「緊張」が一つ、ブツンとほどけてしまうと、もう「憎しみの連鎖」は止まらないです・・・個人を観ないで、人種のみで判断する「争い」はどんどんとデカくなっちゃいます
ミリーが面倒見ていた子供達も、(家でおとなしくしている幼い子供達を除いて)やはり影響でちゃいました。ミリーはそんな教育してなくても、こればかりは仕方ない・・・
ミリー自身も手錠かけられちゃうし、何とか逃げられても、その後に警官と出くわした時には、ただの「逃亡犯」とみられちゃうし・・・
あのシーンでの白人警官の言葉が辛辣ですね。あんなにも憎んじゃうんだ。。。
実際の事件もそうだけど、この作品自体の結末も、決していいモノにはならないです。仕方ないです
ちゅうことで、H.ベリー、D.クレイグ共演というだけで観たワリには重かった・・・で60点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません

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