半熟オヤジの基地

完熟できないオヤジの「狭く浅い&自己満足」の部屋

『マシンガン・プリーチャー』を観ました。

2013-03-21 05:00:00 | えいがかんしょうの部屋
 危険に満ちたアフリカの内戦地域で、子どもたちの救出活動を続けている1人のアメリカ人がいる。彼の名は、サム・チルダース。
元麻薬売人の彼はある事件をきっかけに改心し、ボランティアの一環で訪れたスーダンで、ゲリラの襲撃によって親を亡くした子どもたちの悲惨な現実を目撃する。酒と麻薬に溺れ、バイクで暴走し、罪を犯しては刑務所の厄介になる生活を繰り返してきた男が、なぜそのような後半生を歩むにいたったのか? 今までの半生を振り返りながら、時につまづき、時に暴走し、友や仲間に助けられ不器用ながら信念を貫き続ける姿に、心が打たれる。
公式サイトより)

 実話です そうでないと、この作品は説得力が無くなります
妻と子を(若干?)そっちのけで、出所後、アメリカンバイクでバーに行って、影でヤクを打ってる男・・・それが最初のサム・チルダースという男でした
ところが、妻とともに訪れた教会で、気持ちに変化が現れました。変化が起こるような「きっかけ」にしては薄いなぁ・・・と思いました。
この「きっかけ」は序章に過ぎず、決定的な変化は、スーダンの実情を目の当たりにした時からでした。
言葉で語る事や、記事で目にする「実情」・・・これは、俺だって、そして、この作品の中で、サムから募金を説かれる人たち、教会を訪れる一般の人・・・理解しているはずです
(よって、募金が出来なくなった人に対して、サムが責めるのは分かっても、俺が責めることは出来ないでしょう)
しかし、サムが目の当たりにした「実情」は、記事や活字では表現できない、衝撃的なものであったのでしょう・・・
(そんな悲惨なシーンは、確かに劇中でも出てきますが、多分、もっともっと凄いものなのでしょう)
そんな変化により、サムは、「銃を持って戦う牧師」となっていくのです・・・
牧師となっても、人を殺すし、怒りをブチまける・・・強烈な存在感ですね
サムの「変化」を彩る象徴的な2人の女性がいました。
一人は、サムの妻(ミシェル・モナハンが超綺麗)、ワルの頃からサムを愛して、支えてきた彼女・・・改心してホッとしたのもつかの間で、今度はサムの暴走で家庭危機・・・そこまでなっても、サムに付いていく理由は・・・それこそが、「実情」であり、そこまで思い入れるサムの「本音」の部分なのでしょう
もう一人は、現地で医療活動を続けている女性(名前忘れました)、彼女もスーダンの実情を知っている上でサムの行動を批判し、受け入れられない立場でした。このことから、サムの説く「実情」に対して、それが「正解」と100%言い切れないという事が理解できます
サムの行動は、説得力があるし、理解できますが、「一つの手段」というものでしかない・・・というのを、この作品はしっかり伝えていると思いました。
ちゅうことで、G.バトラーが演じると、相当強く感じるサム・・・で80点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません

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