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ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

PET検査してみる?

2019-02-28 | 【 乳がん 】

~1月13日の書き込み~

右側の股関節付近が時々痛む。いつからだろ?と振り返っても明確に記録していた訳ではないからはっきりとは分からない、でも去年からなのは確か。

夏の終わり?秋の初め?・・ 頃かもしれない。

11月の診察の時にちょっとDrに話してみようかと思いながら、あまりたいした事でも無いかもと流していた。 乳がんは骨転移が多いと聞く。

足の組み方が悪かったからかな?とか、その時の心当たりを捜してみたり、痛いのはいつも右だけだ。 来月の診察の時にさらっと話してみようと思う。


今日診察の時、Drにちょっと軽めに話してみた、右股関節が痛くなるときあること。

そしたら、「ん・・・ PET検査してみる?」

四年前の病理結果は、

浸潤径12㎜、核グレード1(おとなしめ)、LY3(リンパ管浸潤高い)リンパ節転移2/4

ER+(100%)、PR+(60%)、HER2-、KI6725%(中間)

「場所的に(痛むのが)嫌なところだなぁ。 楽観できる病理結果じゃないし・・・ねぇ。」

まずリンパ転移があったことと、Ki67が25%ってことが楽観できない要因。

Ki67がもっと低ければもう少し大丈夫感があがるし、もっと数値大きかったらすぐ要治療勧められるし・・

微妙な数値。

三ヶ月後の診察まで様子見て、その時またPET受けるか考えましょうか。  となった。

 先月数日痛かった気がしていたけれど、過去の書き込み読めばもっと前から時々痛んでいたってことか。

喉元過ぎれば熱さ忘れる?、、   忘れてた。

記憶は頼りにならない。  記録することにする、痛んだ日。

 

 

先週は耳鼻咽喉科や口腔外科の外来が凄く込んだらしいとDr言っていた。

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通院日 丸四年経過

2019-02-28 | 【 乳がん 】

ガンだと九割九分宣告されてから丁度丸四年になった。

マンモグラフィ、超音波、マンモトーム生検とフルコースのような検査をしたのが、四年前の明日。

薬5年も飲み続けるのか、、と軽く気が遠くなったけれど五分の四終了。過ぎてしまえば、案外あっと言う間の気もする。 5年過ぎても状況や状態によっては、その後も数年服薬する場合があるらしいから終わりは分らない。

薬代も結構大変。

毎月5,000円を薬代としてとっている。

三ヶ月分の薬を貰うから、一回に大体1,5000円弱ってかんじ。

今のところは色んな検査もしないで済んでいるので、大きい出費はこの薬代になる。

今回は超音波するかな?

 

ガン保険と生命保険がおりたので、これまでまかなってきた。 でも、もうない。

わたしのガン保険は古いタイプのため通院にはでない。

今時は長く入院しないようになってるし、現状には不都合な保険内容だ。

お金のかかる病気だなぁ。

 

 

 

 

 

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がんに生きる

2019-01-25 | 【 乳がん 】
『 ・・・・・がん に なっ た 人 こそ、 その 日 から 突如 と し て 目覚め て、 全身全霊、 全知全能 を 傾け て 己 の がん に 正面 から 向き合い、 闘わ なく ては なら ない。
その 時 初めて、 人 は 自分 の 精神力 の 強 さに 驚く。
その 時 こそ、 人 は 自分自身 を 再発見 する。
そういう 経験 を 与え て くれる 病気 は たぶん がん 以外 に ない だろ う。  
がん は 人間 の 目覚め の 友 で あり、 再 成長 の パートナー で ある。
がんに かかる 前 と、 かかっ た 後 とでは、 自分自身 が 歴然 として 変わる。
そして ある 日、 人 は がん に なっ た こと を 何者 かに 感謝 する ほどの 気持ち に なる。
人生 の 意味 が 全く 違っ て しまう の だ。  
それ は 一度 死ん で、 死 の 世界 から 帰っ て き た よう な、 明瞭 な 違い なの だ。
そんな 経験 を し て、 ふたたび 人生 を 生きる。
これ こそ が 誰 も 知ら なかっ た もう 一つ の 人生 の 味わい、 真 の 幸福 だ と 私 は 思う の だ。』
      なかにし礼「 がんに生きる 」(まえがきより)小学館



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骨転移 無くもないわけで

2019-01-13 | 【 乳がん 】

右側の股関節付近が時々痛む。

いつからだろ?と振り返っても明確に記録していた訳ではないからはっきりとは分からない、でも去年からなのは確か。

夏の終わり?秋の初め?・・ 頃かもしれない。

11月の診察の時にちょっとDrに話してみようかと思いながら、あまりたいした事でも無いかもと流していた。

乳がんは骨転移が多いと聞く。

足の組み方が悪かったからかな?とか、その時の心当たりを捜してみたり、痛いのはいつも右だけだ。

来月の診察の時にさらっと話してみようと思う。

「最近変わりないですか?」と、笑顔でいつも聞いてくれる。

前回は脚がよく痙ることをお話しし、漢方を処方していただいた。

ただそれを飲むとだるくなるのとちょっと気持ち悪くなるから、数回飲んで止めている。

この前二時間以上痙りまくった時は、もう居ても足っても居られなくて、神頼み的な感じで久しぶりに飲んだ。

漢方だから速効性はないと思う。

でも、ギンギン痙るの我慢しながらネットで調べると、数時間で効いてきますという記事もあって、とにかく信じて飲んだわけだ。

 

前の職場で仲良くしてもらっていた若いお友だちのお姉さんが、昨年乳がんと診断されたそう。

経験者(過去にはなっていないけれど)としてなにかお役に立てることあればと、お便りした。

同じ乳がん患者と言っても十人十色、何から何まで本当にそれぞれに違う。

だからあくまでもわたしはこうだったよとしかお話出来ないのだけれど、なってみないと分からない、なったものしかわからない、と言うことはあると思う。

 

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がん

2019-01-13 | 【 乳がん 】

なかにしれいさんと小池晃さんの対談記事を読んだ。

「わたしは2度がんになって変わりました。 

がんはつらい病気ですが、新しい自己を発見させてくれる。

死を考えることで、自分の人生をもう一度見直すことが出来る。

病気の体である自分と、精神的活動をする自分が四六時中向き合うことで、絶え間なく成長させられました。」

と、なかにしさん。   そしてまた、

「二度のがん闘病を経験したわたしが持つ使命は、理不尽と闘うことだ。」とも。

 

この対談の元になっていたなかにしさんの著者『がんに生きる』(小学館)を読みたくなった。

最近始めたKindleに入れている。

わたしはまだ一度のがんだけれど、「死を考えることで、自分の人生をもう一度見直すことが出来る。」

同感だ。


みんな最後は死ぬんだから。。。  なんて言える人と、なにかのレベルが違ってる気がする。

否応なく死と向きあう必然を味わった人とは。

でも仕方ない。

わたしだって、がんと診断される前はそうだったから。

 

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もうすぐ誕生日だ 一年は一冊の本のよう

2019-01-06 | 【 乳がん 】

先日実家に帰った時、母に聞いた話し。

4歳上のいとこが甲状腺がんで入院手術していたらしい。

そのいとこの妹(だからいとこ)も若い頃に乳がんの手術をしていて、その母に当たる伯母は胃がん手術した。

また別のいとこは喉頭がんですでに数年前に亡くなっていたり。

祖父大腸がん、祖母子宮がん、、、、

なんだ!なんだ! 父方、がんの多いこと!

こたつに入りながら、母とそんな話しをした。

でも、わたしも乳がんなんですよとは言わない。

多分母にはずっと言わないと思う。

これは、わたしが母より先に逝くことがないという前提で成り立つ。


 

 

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「CA15−3」と「CEA」

2018-12-06 | 【 乳がん 】

先日久しぶりに血液検査をしたので。。

---腫瘍マーカー「CA15−3」と「CEA」---

乳がんの腫瘍マーカーは複数存在するが、臨床の現場では「CA15−3」と「CEA」のふたつが用いられることが多い。 これらの腫瘍マーカーは乳がんのステージⅢ~Ⅳ期に高値となる物質で、ひと通り手術などが終わったあとの進行や再発の確認、治療効果の判定などに活用されている。 術後もし乳がんが再発したら、これらの値が高値となるため、モニタリングするうえででは非常に有用な腫瘍マーカーといえる。 ただし、乳がんが体内にあれば必ず腫瘍マーカーの値が高くなるということではなく、高値を認めないタイプの乳がんも存在する。 つまり、腫瘍マーカーをチェックするだけで、乳がんの再発や転移を見つけられるわけではないのだ。  ちなみに、これらの基準値は以下の通りである。

       ▼CA15−3 : 25.0U/ml以下    

      ▼CEA : 5.0ng/ml以下

 

記録として。。。 

CAI5-3   

2015年 2月26日    15.3

ーー 2015年3月13日 手術 ーー

2015年 7月13日    14.1

2015年10月14日   14.3

2018年11月29日   17.3

 

CEA

2015/  2/26    1.5

ーー 2015年3月13日 手術 ーー

2015/  7/13    1.2

2015/ 10/14    1.3

2018/ 11/29    1.9

 

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「三年半ですねぇ」放射線科の出だしはこの一言から。

2018-09-10 | 【 乳がん 】

今日は放射線科の通院日。

久しぶりにレントゲン検査。

今後も年一でレントゲンはあるそう。

肺の状態、問題なし。

三年前、放射線の副作用で肺炎になった時Drに言われた話・・

「肺炎になって線維化(固くなる)した部分はもう肺としての機能は果たせなくなるけれど、そのかわりまだ生きてる細胞たちが何とかカバーしようと頑張りだす。」

今日のレントゲンで見る限りでは特に何も変わったものは見えなかった。

白黒逆転させた方がわかりやすいですねとDrが画面を反転させてくれた。

すると下の方にわずかにわずかに欠けた?ように見る部分が。。

「これは放射線の影響で引き攣れた(だったかな)ところです、CTだともっとわかりやすいけど。」

 全然問題にならないとのこと。

 

先日中国滞在中に三回ほどあった異変?

空気が悪い日に息吸う時、なんか変!?と感じたり、普段にはない刺されるようなというかなんて言ったらいいんだか・・ 異変?

そして必ず上がってくる痰。

今日は外でない方が良さそうだ!のイエローカードが身体から発信される。

他の人はなんともないらしく、敏感ですねなんて言われた(ホントですか?オーバーなんじゃと思っているようでもあり)

 

帰国したらレントゲン検査あるからその時Drに話してみようと思っていた。

結果、問題なしなのでOk!

 

 三年前もだったから上海で

 

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三年5ヶ月くらいになりましたね

2018-08-30 | 【 乳がん 】

今日は病院の日。 先月だったのを中国行きがあったので変更してもらった。

マンモと超音波、念の入った触診。  今日検査したどれも異常なし。

来月は放射線科でレントゲン検査が入っている。

その後、11月に血液検査。(血液検査は年一くらいのペースでやるそう)

毎日の投薬と時折の各種検査を受けながら過ごしているわたしはがんサバイバー。

そして ”がんと闘う!” という気がないサバイバーだ。

再発転移したとしてもこのがんと闘わないスタンスは変わらないと思う。

  

 

 あるところにこんなことが書いてあった。。。

「がんサバイバー」とは、1986年に米国で生まれた概念でがんの診断を受けたすべての人と、定義されるそう。 がんの診断を受けた人は生涯を全うするまでがんサバイバーであって、再発するかしないか、治ったか治らないかは関係なし。

これは、がんの治療後に長期生存した人だけをサバイバーとする古い考えと異なった概念とのこと。 “Survive” というラテン語が語源で、“Sur” は、「超えて」という意味。

それに「生きる」という意味の文字を組み合わせてできているそうだ。

 

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骨密度検査と診察

2018-05-24 | 【 乳がん 】

骨密度検査、今までは足で検査してた気がしたけれど。。

今回は全然違い横になって腰の辺りに向けて移動させながら検査していくみたいな大きめ機械だった。 結果は薬飲むちょっと手前くらい。

一応一年後にまた検査し、その結果次第で考えましょうという感じ。

何年前だったか別の病院で足で調べてもらった時は、先生が驚くほどいい結果だったのだけど。

「年齢からみてこういう結果の人見たことない!」なんて言われるくらい。

三年飲み続けている薬の副作用かな?

そしたらDr、、「薬飲む前に検査してますが、結果は今回とたいして違わないですねぇ・・」

そうなんだ。

食べるもので自分なりの対策たてよう。

 

 

それから、、昨日も一回あった症状のこと。

今まで度々あった胸がつかえる感じとは違う、関所で突然止められたみたいというか、食べたものが落ちていかない時がある。

何時間も何も食べていない後に、食べたりした時に起きるようだ。

そうなると水も落ちていかない。

ゴクッとしてもだめ、ゲップのように戻りそうでもあり、、とにかく下にも上にもいけず四苦八苦の往生状態!

結構苦しいから胸をたたいてみたりしても駄目、そういう時はお手上げだ。 食道なのかな?

そのことDrに話したらカメラのんでみましょうか!? って。

「いや、もうすこし様子みてみます。」

「変だなと思ったら連絡くださいね。カメラで検査。」 

今回から主治医が変わった。

わたしの色々な質問にもDrG同様、丁寧にそしてまた詳しく説明してくれた。

よかった。

 

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