郷愁
2015-01-05 | 日記
夕方、点々と街灯の灯かりが灯る刈谷田川最上流の流れである。この奥に刈谷田川ダムの堰堤が控えていて、その脇の道は守門岳への登山道になっている。村落の甍 ( いらか ) の数や位置は変わっても、山容は変らない。冬になれば山は白く、川は冷水を流すのである。古い甍にも新しい屋根にも同じく白い雪が積もっている。今日は珍しくいい天気だったのだ。そんなに寒くもなかったし、道路は乾いていたから、シューズで歩けたのだった。夕方、久し振りで散歩ができたのである。以前、 『 冬のソナタ 』 という人気韓国TVドラマがあったが、この散歩は名付けて、 “ 冬のアンダンテ ” である。
また、僕の数メートル前を雉 ( きじ ) が二羽、お尻をフリフリ左へ右へ逃げ走っているのか、ユーモラスであった。しかし一生懸命な姿というのは、こういう生き物に限らずユーモラスなものではないだろうか。ユーモラスはヒューマニティに通じているからである。芭蕉の句にこういうのがあるが、俳句では雉は春の季語。
父母 ( ちちはは ) のしきりに恋し雉の声
願いは、一生懸命美しくありたいですね。