雪の朝とボードレール詩集

2019-12-29 | 日記

          

この写真は薄い雪に覆われた、昨日の朝の西谷川の風景。画面右の山上は栃尾城の城跡。久し振りに雪が降った。今日も天気が良くて、この年末は雪のない年になるかと思われたが、少しの雪でも、この地ではやっぱり雪のないお正月はちょっと考えられなくて、間が抜けた感があるのは、これは実感である。積雪は無い方が生活しやすいが、そうかと言って何も無いのは年の暮れ及び正月の雰囲気が出ないのである。今日なんかも暖かい日だったから、いったいどうなっているんだろう?というのが、こっちでの以下同文の挨拶になっている。

昨日は古本屋なんかにも立ち寄って、スーパーの混雑にもめげずにしめ縄なんかも買って来て、今日なんかは何もせずにゆっくり休んで、夕方のNHKBSで再放送の竹内まりやのドキュメントなんかを見て、そして明日は大掃除のことを思うのも、これはやっぱり年の暮れなのである。昨日買った懐かしの今は無き旺文社文庫の『 ボードレール詩集 佐藤朔訳 』( 昭和50年第8刷 ) を開くのも、雪見酒ならぬ雪見読書の時間である。雪見障子越しに、田んぼに斑に残る雪が太陽に輝いて、一層の清浄感である。

          

装幀は深尾庄介 ( 画家・1923-2001 ) 。深尾の遺作展が、これも今は無き東京・京橋にあった老舗画廊の一つ「東邦画廊」で10年前に開催されている。僕も以前、この画廊で故・杢田たけを (1910-1987) との二人展を開催して、この時の展覧会批評が新潟日報の紙面で紹介されたことがあった。

閑話休題。この『ボードレール詩集』は赤い色面が印象的である。シャルル・ボードレール (1821-1867) はフランスでは『悪の華』の詩人であった。日本では松尾芭蕉 (1644-1694) の謂う「不易流行」の詩人であった。変わり行くものと不変なるものを持つ重層性、またモデルニテ (現代性) とエテルニテ (永遠性) の二重性を内包する詩人。「雪の朝」が、いつか「現代と永遠」にまでに行ってしまったのはこの雪のオブラートのせいである。詩集の中から「美しい船」と言う詩の最後四行を引用する。             

             豊かなまるい首の上、ふくよかな肩の上に、

             君の頭は不思議な美しさで誇らしげに動く。

                静々と また意気揚々と

             堂々たる少女よ、君は歩きつづける、その道を。

僕は、でも許されるならこの訳文の「少女」を「時間の女神」に改ざんしたいと思うのである。「少女」はモデルニテで、「女神」はエテルニテである。

             堂々たる時間の女神よ、君は歩きつづける、その道を。

 


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