雨雲の低き夕暮れ

2019-07-12 | 日記

           

西の空が明るい、遠く長岡市街地を見ている。夕陽もまだ沈んではいないので、何となく明るい。しかし天気がいい日の時の夕暮れよりは、明るくてもやはり雨雲の低い夕暮れ時の空には、暗い影が濃く着いて回っている。路肩に車を止めて、しばらくの間佇んでいると、薄闇が近づいて来て「ここでは暮らせません」と、今は過去になってしまった夕雲の流れが今宵また、現在を流れ続けている。そういえば、玄関の花瓶に活けた庭のドクダミの花も、もうグッタリしている時分だろう。そして、何もこれらの事象が僕の一日を象徴しているわけでも何でもないが、思えば思うほどに一日の出来事は、また全ての事が過去になって行くことが、人は時間から脱却できないということを思い知らされるのである。従って、時間の渦中にあるものは時間の外からわが身を傍観できないのである。夕雲の流れは時間の流れであり、人生の経過であって、ただひたすらな一日が過ぎて行くばかりである。僕の救いもまたこの一日の中にしかないことは、それは自明なこと。

                 ただよへる海路(かいろ)に疲れ灯台のひかり見出でつ君に往く時

                            『 山川登美子歌集 』(岩波文庫版) より

 


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