画像整理を進めていく中で思いついたものを掲載。
かつて、富士山バックに東海道ブルトレを撮影する場合、真っ先に思いつくポイントは、三島-函南にある「竹倉」付近だった。諸先輩方がこの地の写真を雑誌に掲載し、当時はアントンKにとっても憧れの地となっていたことを再認識している。行こうと思い初電で向かっても、上ってくるブルトレには時間的に間に合わず難易度の高い撮影地だった。結局、友人の車で初めて出向いたのは、1979年の冬で、ブルトレ牽引機のEF65PFが定着してきた頃だったが、当時はゴハチ主体で行動を共にしていたため、上京してくるブルトレ全ては撮影出来なかったことが苦い思い出として蘇ってくるのだ。何しろ、ゴハチの急行「銀河」の続行で、荷32ー「あさかぜ」ー「富士」ー「はやぶさ」ー「みずほ」ー「さくら」と続き、その間に背景の富士山の状況も刻一刻と変化するから、それに応じて計画を変更せざるを得なかった。あれだけ綺麗に姿を見せていた富士も、気温の上昇とともに霞んできたり、雲が沸いたりして中々思い通りには撮れなかったのだ。今にして思えば、自分の求める写真にとっていかに、太陽、光が大切なのか思い知らされた時期でもあり、友人達の苦言がその肥やしになっていることが今更ながら理解できる。
夜行列車の合間にやってきたEF65一般形の貨物列車。ここにある全てのものが現存していないと思うとやはり悲しくなる。機関車もさることながら、アントンKにとっては、この地の木製ポールが印象深い。この後、しばらくして木製からコンクリートの真新しい架線柱に取り換えられてしまうが、やはり写真にした時の趣が、まるで変ってしまったことに気づかされたのだった。無くなってから気づくことはよくある話だが、常に今を大事に生きたいと、こんな些細な昔話からも感じている。
1979-03-25 3460レ EF65 67 東海道本線:三島-函南
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