お若い鉄道ファンに、絶大な人気を誇っていたEF66 27も運用を離脱してからずいぶん時間が経った。今の時代、SNSで吹田の片隅でひっそりと佇んでる、その姿をも簡単に見ることができるのだから、便利になったものだ。
EF66でも後継の100番代と比較したら、スタイルは似て非なるもの。サメと呼ばれている100番代はシャープな井手達が無くなり、少し太らせたような温和なスタイルに変った。それに登場来貫いている明るい白っちゃけた塗色は、貨物機特有の汚れが目立ち、撮影するファンにとっては、やはりマイナス要因となる。だからなのか分らないが、ロクロクでも100番代は未だに人気がないようで、現状数を減らしつつある中でも、さほど話題にならない電気機関車と言えるだろうか。
アントンKがゼロロクを語る上で外せないのは、1985年から始まったブルトレ牽引の事実だろう。鉄チャン駆け出しの時代から、EF66は貨物用、それも特急貨物フレートライナー用として認知してきたことが崩れ始めた時期だった。EF58が飯田線に入線したり、EF15が青梅線、あと磐越西線にED75が平然と入ってきたりと、それまで禁句とされてきたことが現実のものとなり、ある意味衝撃を受けたのだ。今思えば、すでにあの頃から何でもアリの没個性時代が始まっていたと、今さらながら納得してしまう。
国鉄からJR時代になり、ゼロロクでも更新工事を施行された機体が数多く存在していた。掲載写真は、その更新改造されたゼロロクの38号機。ちょうど100番代のような白っぽい塗装になり、あまり良い印象がなかった。頭に無造作に大きな箱をつけ、飾り帯すら外されて、見た目よりも扱いやすさが勝り、どこか悲しげに走り去るゼロロクをいつも感じていた。そんな想いも、こんな古い画像を眺めていると気持ちが蘇ってきてとても懐かしくなるのである
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2002-02-24 EF66 38 東海道貨物線:新鶴見付近
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