先日、最新鋭のディーゼル機関車(DD200形)の撮影をしてみたが、同じ凸型ディーゼル機関車とは言っても、今までとは随分と印象が違うものだと思いながらシャッターを切っていた。アントンKにとって一番慣れ親しんだDLは、敢えて上げるのなら一番数が多かったDD51だろうか。とは言っても、凸型は昔から苦手な機関車で、撮りたくて出掛けたことは数えるくらいなはず。八高線に貨物列車があった時代には、よくカメラを向けたくらいで、特に思い入れが無かったためか、思い出は少ない。そんな中でも、北海道内を重連で爆走していた青いDD51には心惹かれるものがあった。やはりヘッドマークを掲げて長い寝台客車を牽く姿は、それまでのイメージを一新したと言ってもいいくらい、素直にカッコいいと呼べる被写体に感じたのだ。
そんな写欲をそそる列車たちも引退していき、今や凸型機関車は、どこにどんな列車で活躍しているのか、最近では分からなくなってしまった。新車や廃車の回送、工事列車の先頭に立ち、黙々と地味に余生を送っているのだろうか。これらにカメラを向ける気持ちにならず、今では傍観しているのみに収まってしまっていることに、ちょっと寂しさを感じている。
まだ高崎にいたDD51が元気だった時代の画像を掲載しておく。当時の吾妻線、臨時客車列車の入線となると、電化区間にも関わらずDD51がお供していたようだ。その昔、ここを走る団臨は、EF12やEF15のデッキ付きの茶色と決まっていたものだが、その時代から20年近くの歳月でディーゼル機関車に代わり、以降さらに20年の時間を置いて、今年は唯一残存していたここの工臨ですら消滅という事態に陥っている。さて、今後の高崎にいるDD51たちは、どんな処遇になるのかとても興味深い。
2000-12-19 9526 DD51 888 12系座敷やすらぎ編成 JR東日本/吾妻線:祖母島付近
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