アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

奇異に感じた上岡のブル3

2017-05-13 05:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィルの来シーズンプログラムも発表となり、その内容は、監督を務める上岡敏之の色がますます濃くなってきた印象をもったが、今回の演奏会は、今シーズンの定期演奏会にあたる。いよいよ新日本フィルによるブルックナーの第3交響曲が実現するのである。上岡のブルックナーといえば、これまでにウッパタール響の第7は聴くことができたが、第4は録音であり、今回の第3はお初となる。伝統的な聴きやすい演奏から離れて、もう一度一から楽譜に向かい、音楽の作曲家の意図を突きつめたいと語っていた指揮者上岡がどう聴かせてくれるのかが、最大の関心事となっていた。

ブルックナーの第3交響曲というと、まずはどうしても楽譜(版)の問題がとりただされる。以前直接お話しさせて頂いた時には、第3稿を使って云々と語っていたが果たしてどんな仕上がりになっているのか、とても楽しみにして会場へ足を運んだ。

さてそのブルックナーの第3だが、今回の演奏については(今は)少し奇異に感じている。上岡自身が、来シーズンのプログラム発表の記者会見において話した事を有言実行し、今回のブルックナーの第3の演奏は、アントンKには過去全く未体験の演奏だったと言える。これは今までに聴いた全ての録音を含めても、想像し難い内容だった。

アントンKは、ここ最近上岡敏之のほとんど全ての演奏会に出向くようにしてきた。それは、ここでも書いてきたように、過去に体験したこともないようなスタイルであらゆる楽曲に向かい、大変独自性が強い演奏内容で、演奏家の、いや作曲家の心が強烈に伝わるものだったからだ。そして何と言っても、自分とも年齢が近く、同じ時代を生きる人間として応援したかったからである。こんな上岡敏之の指揮振りだから、演奏会ごとに、また何かやる!どんなサプライズが待っているのか!と色々と下らぬ雑念が沸いてきてしまうことも事実であり、また会場を共にしているほかの聴衆にも、そんな雰囲気が伝わってきていた。これがそもそも素直に鑑賞することを妨げることになることはわかってはいる訳だが・・・

しかし今回の演奏は、内容を探るまでもなく第1楽章の出からして全く未体験の演奏だったのだ。いわゆる上岡節全開といった面持ちだ。ピアニッシモで開始される弦の刻みがほとんど聴き取れない!木管楽器も和音で重なるが、遠く霧に包まれていて目隠しされているようだった。この後始まるTpソロの第1主題の提示も、自己主張は全くなく弱々しい。そしてどんどん音楽が近寄ってきてフォルテッシモで第1主題の提示。このあたりも金管楽器を爆発させるのではなく、実に柔らかく教会のオルガンが重厚に鳴っているような趣きだった。パウゼも長めで綺麗に残響が聴き取れる。この「間」だけでもブルックナーの醍醐味を感じられるが、やはり第3の聴きどころの一つは、ここの提示部における弦楽器の動きの面白さではないか。(93年のチェリビダッケの実演では、この弦楽器の動きの1拍目にアクセントを付けて、逆に強調していたくらいなのに、その逆をいった内容だった。)

この弦楽器の音型は、この第1楽章で何度も出てくるが全て同じ解釈だった。だから・・ということは言いたくないが、この楽曲で特徴的なこの部分を目立たせない演奏はかつて聴いたことがない。その後のアダージョ~スケルツォ~そしてフィナーレも、いわゆる指揮者上岡の独自性が強い内容だった。

他にも多々書き留めておきたいところもあるが、長くなるので最後にひとつだけ付け加えておきたい。それは、第4楽章でのこと。やはり第1楽章と同じような開始がされるが、ここでも基本的には第1楽章の部分と同じ事が言える。弦のピアニッシモの刻みは極限に小さく、第1主題の金管楽器による提示も絶叫させない。そして流れのよい第2主題の後の第3主題だ。シンコペーションで書かれているこの第3主題の提示で、極端にテンポを落としてきたのだ。それも1回目の提示では実行せず、2回目(楽譜L)の提示から行われた。こうすることで、聴衆は念を押された感じになり、よりここでのイメージが心に残ってしまう。そしてここのシンコペーションでのホルンのリズムの強調は凄かった。いままでは、金管でもTpやPosの旋律が前に出てくる部分だが、今回はホルン奏者5名の熱演が展開された。普段特定の楽器を強調しない上岡だが、場合によっては気持ちが抑え切れないのかもしれない。

 上岡は、フォルテでも決してオケを絶叫させない。そしてもちろん音楽だから例外はあるが、特質した楽器の強調は避け、全体的に響きを重んじた音作りをしているように思う。いつも暗譜で指揮をし、まるで今音楽が生まれているかのような指揮振りでオケをコントロールしている。今まで実演でベートーヴェン、モーツァルト、チャイコフスキー、プロコフィエフ等々に触れることが出来たが、その全てが独自性に富み、かつて聴いたことなかった解釈で我々ファンを楽しませてくれた。ドイツに長年暮らしていた経験上、この地の音楽は他と一線を画しているが、今回のブルックナーについては考えものだ。聴衆に問題を提起されたような感覚を覚えている。

ブルックナーの音楽は、何か上手く聴かせてやろうとか、小細工をしてしまうとその本質から遠のいていくと言われてきた。朝比奈時代に育ったアントンKだから、その先入観はなおさらだ。しかし時代も流れ次々と新しい音楽家が生まれ、今までにとらわれない解釈も確立してくる訳で、今回の上岡敏之のブルックナーもその一つと考えれば、終演後少し時間が経った現在、理解できるような気持ちになれる。

ビジネスの上でも重要なポジションとなった上岡だが、過去の伝統などにとらわれず、自分の音楽を展開する姿勢は、真の音楽家であり芸術家である。ビジネス至上主義なら、サラリーマン指揮者のごとく、聴衆に考えを向けて過去と同じような無難な演奏を繰り返せば良い成績は採れるはずなのに、そんなよこしまな考えなど有る訳も無く、自分の音楽に対する姿勢を貫く上岡敏之は勇気ある素晴らしい音楽家だ。今後も目が離せないのは変わらないから、ますます新しい発見、価値観を我々に提示してほしい。これからもずっと期待している。

新日本フィルハーモニー交響楽団 No.573定期演奏会 JADE

ワーグナー 歌劇「タンホイザー」序曲

ワーグナー ヴェーゼンドンク歌曲集

ブルックナー 交響曲第3番 ニ短調 (第3稿ノヴァーク版)

アンコール

J.S.バッハ 管弦楽組曲第3番 アリア

上岡敏之 指揮

カトリン・ゲーリング (メゾ・ソプラノ)

東京オペラシティコンサートホール