昨日は、佐渡裕氏によるブルックナーの演奏会があった。東京フィルを振って第9交響曲を演奏。アントンKは、当日まで行くかどうか迷っていたが、結局足を運ぶのを止めた。今は行かなくて正解だったと思っている。終演後の聴衆達の御意見を拝見してみると、立派な演奏という評価の反面、やはり・・・と思わせるつぶやきが多々あったので、少し納得してしまった次第。普段は、人の意見など当てにはならず、自分の耳が頼りなんて言っておきながら、行かない演奏会では、人の意見を気にしてしまう所が何とも情けなく思う。しかし何だか「してやったり・・」の気分なのだ。
アントンKは、過去に佐渡氏の演奏会を聴いたことは何回かはある。佐渡氏自身、自分と同じ年代の指揮者であり、デビュー当時からメディアにも出演されていたため、どんな演奏をする方なのか興味があったのが最初だ。関西出身ということだからか、毎年出かけている兵庫県立芸術文化センター常設のオーケストラを創設し音楽監督もされている。バーンスタインの最後の弟子ともされているが果たして・・・
もう最初に聴いたのは、10年以上前の話になってしまうだろうが、この兵庫県立文化センターのこけら落しの演奏会を聴いたのが最初だった。その後、このオケが東京で演奏するというので一度だけ聴いた覚えがある。その時の印象は、アントンKからは随分遠いところにある演奏だったということ。音楽に求めるものが全くと言っていいほど違っている印象だった。回数を追うごとにそのことが核心に代わり、以来演奏会には行かなくなってしまった。
力づくの演奏、浅薄な音楽表現が当時の演奏の印象だとしたら、今回のブルックナー演奏は果たしてどんなだったのだろうか。もしあまり変わらない演奏だったとしたら、オーケストラの醍醐味を味わうことは存分にできたはずだが、もっとコアに求める聴衆達には、どう映ったのだろう。この解釈こそブルックナーの音楽から一番離れた演奏のように思えてならない。耳がつんざけるような意味のない最強音の連続、そのことだけに音楽を求めようとする指揮振り。かつてショスタコーヴィッチの第5の終演後の歓声に混じって、初めて「ブーブー!」と叫んでいた外国人を数人見かけた覚えがある。ブラームスの第2交響曲が、まるでロシア音楽のように聴こえ、エネルギッシュだが、ブラームスの内に秘めた情感は消し飛んでいた云々・・・
こんな体験をもつアントンKだから、今回のブルックナーはほぼダメなことは判っているし、もし行って実際聴いてダメと感じてしまったら、コアなファンからは「行く方が悪い!」と一喝されてしまうだろう。これからも遠くから佐渡氏のことは応援して行きたいが、いつか外面的ではなく、心から熱く感動できる演奏を期待しながら待ちたいと思う。