佐渡は離島ではない。いまは新潟?両津をフェリーで2時間20分、ジェットフォィルで60分でむすんでいる。そして国内便の空の足もある。とはいえ、からだひとつで渡っても片道数千円の金がかかる。
江戸の昔はどうだったのだろう。やはり、罪人たちの流刑地であり、金鉱山の労働に明け暮れたうらさびれた島だったのだろう。それは、民謡として有名な「佐渡おけさ」の歌詞からもうかがうことができる。
佐渡へ佐渡へと草木もなびくヨ
佐渡は居よいか住みよいか
來いと云ふたとて行かりよか佐渡へ
佐渡は四十九里波の上
おけさ踊るなら坂の間で踊れ
板のひびきで三味や要らぬ
佐渡と越後は竿さしや届く
橋をかけたや船橋を
佐渡の三崎の四所御所櫻
枝は越後に葉は佐渡に
おけさ正直なら傍にも寢しよが
おけさ猫の性でじやれたがる
佐渡へ八里のさざ波こえて
鐘が開える寺泊
雪の新潟吹雪でくれる
佐渡は寢たかよ灯も見えぬ
おけさ踊りついうかうかと
月も浮かれる佐渡の夏
行こか佐渡が島、歸ろか越後
中に冴えたる秋の月
沖のいさり火すずしく見えて
夢を見るよな佐渡が島
姑かんなり樣、稲妻小姑
嫁がさつきで雨となる
(佐渡おけさ/民謡)
で、この民謡が巷間に広まったのは大正時代と比較的新しいものだった。大正時代に新民謡ブームがあり、さまざまな民謡とともに全国的に知れ渡った。江戸時代に北前船(千石船)の船乗りによって九州から「はんや節」(「はいや節」とも言う)として北上して伝えられたうたは、「越中おわら節」、飛騨にまでつたわって「おけさ」、津軽へわたって「津軽はいや節」となる。佐渡では小木地区につたわる「小木おけさ」がもっとも古い形を残していると言われている(今年の鼓童のアースセレブレーションで浴衣を着て、唄い踊られたようです)。
正調おけさと言われているものは、ボクらが耳になじんでいるメロディとはかなり違い、現在のメロディが西洋音階で表示し易い音に変えられて唄われており、かっての日本人の土臭い不安定とも聞こえるメロディが失われてしまったことに気付かされる。
きっと、もっと自然音に近いような耳と音をかっての日本人は持っていた。子守唄などは、それこそ口承でくちずさまれて(楽器など何もなく)伝わった不安定なメロディだった。
うなるような、となえるような口くぐもるような歌い方で念仏のように、歌われたに違いない。ボクらの先祖の歌や踊りに、口を大きく開け発散するような、また飛び跳ねるような踊りはない。地にはうような、それは畳よりは土間文化というか、東アジアのシャーマン文化のような口くぐもった音が存在するだけだ。
<つづく>
(写真は日本の水浴場88選(環境省)に選ばれている佐渡・二つ亀海水浴場にて)
反小泉祭り これいいい
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