トトロの森2号地を過ぎると浄水場があって、そこを過ぎるとすぐ市街地に入る。所沢市荒幡という地区で、こちらから行くとナショナルトラストの場所は本当に市街地が迫っているのを感じる。さらに、ここからなのだ、産廃業者が多くなってゆくのは……。
そんな中に、道沿いから見ると異様に高く見える小高い土盛りがあった。これは荒幡富士という富士山なのでした。そう、ふもとには浅間神社もあって方向も、まさに陽が沈みかかっている富士山の方向を向いている。
「富士講」という言葉を聞いたことがあると思う。江戸時代に盛んになった山岳信仰で、「講」というグループの形をとる。貧しい農民、庶民が金品を拠出しあって代表を参拝登山に送り出すのはもちろん、身近かな寺社に築山して富士山を模したミニ富士(富士塚と呼ばれる)を作り浅間神社を祀って富士山を身近くに引き寄せたのである。アイヌ語の「フチ(おばぁさん)」から来ているという説もあるが、かぐや姫伝説から「不死の山」となって富士山と呼ばれたという説もある。母なる山もいいが、グランマの山というその古さを強調したアイヌ語説もいい(この説はアシリ・レラこと山道康子さんから聞いた)。
「万葉集」では「不尽」という表記もしている(万葉仮名)。さらに「不二」という表記もあるらしい。
この荒幡富士は高さ10メートルもあり、関東一円の中では高い方だという。富士塚自体は、ボクの住む近所にもあり少なくとも5つ位の富士塚は見つけている。
浅間神社の鳥居をくぐって荒幡富士に登ってみた。狭山丘陵の上にさらに10メートルの築山だから標高はそれなりにあるのか、丹沢はもちろん、秩父連山の山のつらなりもよく見える。夕暮れが迫ってきてボンヤリとだが、肝心の富士山もシルエットでかろうじて見えている。関東平野を一望のもと、と言う気分で、なるほど富士山に登ったような気分になれるかもしれない。
荒幡富士の目と鼻の先に「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」という自然観察や学習の出来るネーチャーセンターがあったが、ここは先の「トトロのふるさと財団」が所沢市からの委託業務を請け負い管理運営している場所らしい。今回は、ここにたどりつくまでに大幅に時間をロスし、開館時間は過ぎておりすでに閉館していた。
このあたりから、陽が落ちるのは早く山道同然の道を歩くのに心細くなるほど薄暗くなってくる。せっかく日中春めいて暖かかったのだから、もっと早く出発すればよかったのだ。と、いつもながらの後悔をしたところで、多摩湖のそばを通ってさらに帰り着くまで1時間余を歩いて足が棒のようになってしまったのでした。
(写真)「荒幡富士」の山頂から撮った「富士(不死)山」のシルエット。携帯でとったため画質はよくありません。
そんな中に、道沿いから見ると異様に高く見える小高い土盛りがあった。これは荒幡富士という富士山なのでした。そう、ふもとには浅間神社もあって方向も、まさに陽が沈みかかっている富士山の方向を向いている。
「富士講」という言葉を聞いたことがあると思う。江戸時代に盛んになった山岳信仰で、「講」というグループの形をとる。貧しい農民、庶民が金品を拠出しあって代表を参拝登山に送り出すのはもちろん、身近かな寺社に築山して富士山を模したミニ富士(富士塚と呼ばれる)を作り浅間神社を祀って富士山を身近くに引き寄せたのである。アイヌ語の「フチ(おばぁさん)」から来ているという説もあるが、かぐや姫伝説から「不死の山」となって富士山と呼ばれたという説もある。母なる山もいいが、グランマの山というその古さを強調したアイヌ語説もいい(この説はアシリ・レラこと山道康子さんから聞いた)。
「万葉集」では「不尽」という表記もしている(万葉仮名)。さらに「不二」という表記もあるらしい。
この荒幡富士は高さ10メートルもあり、関東一円の中では高い方だという。富士塚自体は、ボクの住む近所にもあり少なくとも5つ位の富士塚は見つけている。
浅間神社の鳥居をくぐって荒幡富士に登ってみた。狭山丘陵の上にさらに10メートルの築山だから標高はそれなりにあるのか、丹沢はもちろん、秩父連山の山のつらなりもよく見える。夕暮れが迫ってきてボンヤリとだが、肝心の富士山もシルエットでかろうじて見えている。関東平野を一望のもと、と言う気分で、なるほど富士山に登ったような気分になれるかもしれない。
荒幡富士の目と鼻の先に「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」という自然観察や学習の出来るネーチャーセンターがあったが、ここは先の「トトロのふるさと財団」が所沢市からの委託業務を請け負い管理運営している場所らしい。今回は、ここにたどりつくまでに大幅に時間をロスし、開館時間は過ぎておりすでに閉館していた。
このあたりから、陽が落ちるのは早く山道同然の道を歩くのに心細くなるほど薄暗くなってくる。せっかく日中春めいて暖かかったのだから、もっと早く出発すればよかったのだ。と、いつもながらの後悔をしたところで、多摩湖のそばを通ってさらに帰り着くまで1時間余を歩いて足が棒のようになってしまったのでした。
(写真)「荒幡富士」の山頂から撮った「富士(不死)山」のシルエット。携帯でとったため画質はよくありません。