みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

イエスのみ心と誓願式

2009-06-19 10:10:10 | Everyday is special
きょうは「イエスのみ心」の祭日。ぼくたちのイエズス・マリアの聖心会のお祝い日。こちらフィリピンでは、修道会の会員の終生誓願式が午後4時から予定されています。そして、前回も書きましたように「司祭年」が始まりました。

きょうは、フィリピン人とインド人の二人の兄弟が終生誓願を立てます。

修道会の誓願には、「有期誓願」と「終生誓願」があり、修道者になるには、まず修練期を1年間(ないし会によっては2年間)過ごして修道会の生き方をこころとからだで学び、まずは有期誓願を立てます。それから何年かの養成期間を過ごして、本人がこの修道会で生涯を過ごすと腹を据え、修道会も受け入れると承諾すると「終生誓願」を立てます(「結婚の誓い」のようですね)。

修道誓願の中身は、清貧、貞潔、従順、の3つです。

清貧の誓願は、自分の財産を持たずに、修道会の会員と共有するということですが、もっと踏み込んで考えると、財産を持たないことによって、物やお金だけでなく、時間とか自分の才能とか(あるいは自分そのもの)、すべてをより自由に分かち合うことができるということです。

貞潔の誓願は、単に生涯独身を通すということだけでなく、キリストが私たちを愛してくださったように、より自由に、より深く、互いに愛することを意味します。

従順の誓願は、単に自分の長上の言うことを聞く、ということではなく、共同体の中で、兄弟姉妹たちを互いにすぐれた者と考え、よく耳を傾けることよって、共同体の一致をはかっていくものです。

これらの誓願は、修道会という共同体を生きるための誓願です。もし、人が一人で生きていくなら、このような誓願を立てる必要はありません。逆にいえば、共同生活があって初めて私たちは修道生活を送ることができます。

これが現代においては、とても重要なことで、司祭不足により、ともすると修道者の司祭が一人で教会に住まなければならず、修道生活が営めないという事態になってきています。

また、修道生活は、多くの人々の助けがあって成り立つものです(正直に書きますと、お祈りによる支え、さまざまな活動への協力、そして経済的な支援などです)。

ここであらためて、私たちの修道会をさまざまな形で支えてくださっている皆さんに感謝を申し上げたいと思います。どうもありがとうございます。

そして、きょう、司祭・修道者の召命(神からの呼び掛けに応える人)が増えますようにと祈りたいと思います。
もし、独身の若い男性で、私たちの修道生活に興味のある方は、ぜひイエズス・マリアの聖心会友部修道院にご連絡くださいね。(と、宣伝もしてしまいますが。)

写真は、今住んでいる修道院近くの路傍の花。

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