みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

フィリアの愛

2006-04-26 16:21:19 | Everyday is special
きょうは聖書勉強会でした。
取り上げたのは、ヨハネの21章15-17節。
イエスがペトロに3度「私を愛しているか」と問う場面です。
これは、イエスのことを3度否定してしまったペトロの愛を確かめると同時に、このことを通してペトロを救済したと考えられます。

さて、この3度の質問とその答えに使われている「愛する」という動詞には2種類の ギリシア語が使われています。
ひとつは、皆さんご存知の「アガペー」の愛が動詞になったもの[アガパオー]。
もうひとつは、「フィリア」という友愛を意味する言葉が動詞になったもの[フィレオー](ちなみに「フィロス」は友のこと)。
聖書の中で「アガパオー」は、神と人との間にも人と人との間にも用いられる動詞です。
が、「フィレオー」は人と人との間には用いられても、神と人との間には用いられた例がありません。
このことに注意しながら読んでみましょう。

(15節)食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛[アガパオー]しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛[フィレオー]していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。

(16節)二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛[アガパオー]しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛[フィレオー]していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。

(17節)三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛[フィレオー]しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛[フィレオー]しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛[フィレオー]していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい・・・。

最初の2回の質問では、イエスはペトロにアガペーの愛を求めますが、ペトロが答えたのはフィリアの愛でした。
が、3回目の質問でイエスの方がフィリアの愛に変わります。

これはどういうことなのか。

ペトロは一貫してフィリアの愛で答えていますから、イエスを神であるとはまだ認識していなかったと思います。
が、イエスの方が、その友としての愛でよいのだ、そのフィリアの愛で愛してくれ、と言われているようです。

「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」(ヨハネ15章15節)

このようにして、イエスは神でありながら私たちと同じ地平にまで降りてきてくださったのです。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(フィリピ2章6-7節)

イエスとペトロとの対話は、イエスと私たちとの友としての永遠のきずなをあらわしているようです。

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