2019年7月31日(水曜日)
おはようございます。27度の朝です。年始から212日目にあたり、年末まであと153日で、7月の最終日です。誕生花は、ルドベキアです。ルドベキアは、北米に30種ほどが分布している一・二年草、または多年草です。多く栽培されるルドベキア・ヒルタ(Rudbeckia hirta)は、秋まきし、強く凍らせないように防寒して冬越しさせると、初夏から夏にかけて黄や、赤茶、黄色に赤茶の模様の入った花を咲かせる一・二年草です(みんなの趣味の園芸)。ルドベキアとは - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸 NHK出版
本日は、本田 美奈子の誕生日です(1967年(昭和42年)7月31日 - 2005年(平成17年)11月6日)。シングル「殺意のバカンス」で歌手としてデビュー。1980年代はアイドル歌手として、1990年代以降は主にミュージカルで活動した。2000年代に入ってからはクラシックとのクロスオーバーに挑戦する。
おはようございます。27度の朝です。年始から212日目にあたり、年末まであと153日で、7月の最終日です。誕生花は、ルドベキアです。ルドベキアは、北米に30種ほどが分布している一・二年草、または多年草です。多く栽培されるルドベキア・ヒルタ(Rudbeckia hirta)は、秋まきし、強く凍らせないように防寒して冬越しさせると、初夏から夏にかけて黄や、赤茶、黄色に赤茶の模様の入った花を咲かせる一・二年草です(みんなの趣味の園芸)。ルドベキアとは - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸 NHK出版
本日は、本田 美奈子の誕生日です(1967年(昭和42年)7月31日 - 2005年(平成17年)11月6日)。シングル「殺意のバカンス」で歌手としてデビュー。1980年代はアイドル歌手として、1990年代以降は主にミュージカルで活動した。2000年代に入ってからはクラシックとのクロスオーバーに挑戦する。
2004年(平成16年)末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。暮れには結果的に生前最後のTV出演歌唱となった翌2005年1月30日テレビ朝日系放送の「題名のない音楽会21」の収録に臨んだ。 翌2005年(平成17年)1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院し、翌日にはその事実が公表された。 その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解は得られなかった。急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。治療として骨髄移植が考慮されたものの、骨髄バンクでドナーが見つかるまでの猶予すらない病状であったことから、同年5月、臍帯血移植を受けた。同7月末には一時退院したが病気の再発が認められ、同年9月8日に再入院し、輸入新薬による抗癌剤治療を受けた。翌月には再度一時退院、その間には白血病患者支援のためのNPO法人『Live for Life』が設立されたが、同月末には再入院となった。その後肺への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、家族に看取られながら息を引き取った。38歳没
組曲「惑星」~ジュピター 本田美奈子さん
本田美奈子「新世界」 - ラストコンサート/2004.12.23
本日の言葉は、【NPO法人『Live for Life』】です。
人は、みんな生きるために生まれてくる。だけど、さまざまな困難に直面したとき、人は悲しみに打ちのめされ、絶望してしまう。しかし諦めないで欲しい。
希望を見失って立ち止まってしまってもいい。でも、ゆっくりでいいから、もう一度勇気をだして、前を向いて歩きだそう。だってあなたはその命を輝かせるために、生まれてきたのだから。私たちのこの思いを込めた言葉、それが“LIVE FOR LIFE”です。
希望を見失って立ち止まってしまってもいい。でも、ゆっくりでいいから、もう一度勇気をだして、前を向いて歩きだそう。だってあなたはその命を輝かせるために、生まれてきたのだから。私たちのこの思いを込めた言葉、それが“LIVE FOR LIFE”です。
“LIVE FOR LIFE”は、一人の歌手 本田美奈子.の生前の願いから生まれました。彼女は急性骨髄性白血病という難病と闘う中で、いろんな人達から励まされ、今まで感じてきた愛よりも、もっと深い愛を感じるようになりました。
「生きるって素晴らしいな」とこころの底から思うようになりました。そして自分がこの難病を克服して再びステージに立って歌えば、同じ苦しみの中で闘っている人たちにエールを送ることができるとの思いで懸命に生きました。
本田美奈子.には、もう会うことはできません。
本田美奈子.には、もう会うことはできません。
しかし、彼女が残した『オモイ』は、今を生きる私たちが『カタチ』にしてゆかなければならない。
私たちは“LIVE FOR LIFE”の活動を通して、命の尊さをすべての人々に伝えてゆこうと思います。この小さな活動がより多くの人を勇気づけ、生きる希望を与えられることを願って。