A・Lohas・Ness

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オペラ雑感

2007年08月25日 | クラッシック
まだまだ暑い日々が続いておりますが、後一ヶ月もたつと秋の足音が聞こえてくるような…。

そこで、芸術の秋にもっともふさわしい、総合芸術の極意の「オペラ」についてひもといてみようかと思います。

オペラに初めて接したのは、NHKで行われていたイタリア歌劇団の公演での歌劇「トスカ」です。
その当時はまだ海外旅行は高嶺の花であり、ヨーロッパでのオペラ鑑賞なんて夢の夢のそのまた夢という感じでした。
ちょうど高校に入学して合唱部に入り、オペラに興味を持ち始めたときに来日公演が秋からありました。
3大テナーといわれる前のドミンゴやカレーラスはまだまだ若手といわれていた時代でした。

今回は、オペラといってもたくさんありますが、有名なオペラをいくつか挙げてみましょう。

先ずは、イタリアオペラの巨匠である「ジュゼッペ・ヴェルディ」作曲の『椿姫』、『アイーダ』、『リゴレット』、『トロヴァトーレ』、『運命の力』、『ドン・カルロ』、『オテロ』、『仮面舞踏会』、『ナブッコ』、『シモン・ボッカネグラ』、『マクベス』、『ファルスタッフ』を挙げることができる。
次には、やはりイタリアオペラをベルディと共に代表する「ジャコモ・プッチーニ」作曲の『トスカ』、『蝶々夫人』、『ラ・ボエーム』、『トゥーランドット』、『西部の娘』、『マノン・レスコー』、『ジャンニ・スキッキ』ではないであろうか。

次に、ドイツでは、神がこの世につかわした音楽の天才の「ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト」作曲の『フィガロの結婚』、『魔笛』、『ドン・ジョヴァンニ』、『コシ・ファン・トゥッテ』がやはり一押しとなる。
交響曲で有名な「ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン」は『フィデリオ』が有名である。

スペインにおいては、「ジョルジュ・ビゼー」の情熱的な『カルメン』であろう。

「ジョアッキーノ・ロッシーニ」作曲の『セビリアの理髪師』、『シンデレラ』も有名である。

また、演目の時間が短いので通常2本だてで演奏されるのは、「ルッジェロ・レオンカヴァッロ」作曲の『道化師』と、「ピエトロ・マスカーニ」作曲の『カヴァレリア・ルスティカーナ』ではないであろうか。
特に、後者の『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲はつとに有名であり、次のシーンを思いうかべて涙することもあります。

「ガエターノ・ドニゼッティ」作曲の『愛の妙薬』、『ランメルモールのルチア』

子供向けでは、「エンゲルベルト・フンパーディンク」作曲の『ヘンゼルとグレーテル』を挙げることができる。

ロシアの大作曲家の「ピョートル・チャイコフスキー」は『スペードの女王』、エフゲニー・オネーギン』を作曲している。

「リヒャルト・シュトラウス」は共に官能的な『薔薇の騎士』、『サロメ』を作曲している。
ワルツ王の「ヨハン・シュトラウス・Ⅱ世」は喜歌劇『こうもり』が有名である。

ドイツオペラの神髄は「リヒャルト・ワグナー」作曲の『タンホイザー』、『さまよえるオランダ人』、『ローエングリン』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニーベルングの指輪』、『ラインの黄金』、『ワルキューレ』、『ジークフリート神々の黄昏』、『パルジファル』が有名である。全曲を聴いている方はどの位いるのであろう。
そのほかとしては、以下の作曲家がそれぞれオペラを書いている。
「カール・マリア・フォン・ウェーバー」作曲の『魔弾の射手』
「シャルル・フランソワ・グノー」作曲の『ファウスト』
「カミーユ・サンサーンス」作曲の『サムソンとデリラ』
「ジョージ・ガーシュイン」作曲の『ポーギーとベス』
「ジャック・オッフェンバック」作曲の『ホフマン物語』
「フランチェスコ・チレーア」作曲の『アドリア-ナ・ルクヴルール』
「ウンベルト・ジョルダーノ」作曲の『アンドレア・シェニエ』
「セルゲイ・プロコフィエフ」作曲の『戦争と平和』

本当はもっとあるのですが、消化不良になりそうですよね。

では、オペラ初心者が初めてみるにふさわしいオペラといったら、皆さんはどの作品をあげるでしょうか。

オペラを映画化して成功しているのは、やはり椿姫とトスカではないしょうか。
特に、椿姫は、リチャードギアとジュリア・ロバーツが出演の「プリティー・ウーマン」での、自家用ジェット機でロスからサンフランシスコに行き、SFのオペラハウスで椿姫をみるシーンが印象的です。
また、「(中公文庫」の「マンガ名作オペラ: (文庫)」にも里中 満智子 の著書の「椿姫」があります。

また、 ゼッフィレッリによるオペラ映画『椿姫』は、忠実に描かれております。
さらに、オペラの演出では困難なシーンも映画という観点からすばらしいできに仕上げられております。
映画といっても演奏は一流であり、ジェイムズ・レヴァインが指揮をしており、演奏は、メトロポリタン歌劇場管弦楽団及び合唱団です。
そして、ヒロインの「ヴィオレッタ」役は、テレサ・ストラータス(ソプラノ)で、アルフレード役は、プラシド・ドミンゴ(テノール)です。

漫画と映画で内容と知識を高めたら、是非実際のオペラをみてください。




和菓子 西湖 柴野 和久傳

2007年08月21日 | Weblog
西湖(せいこ)という和菓子をご存知だろうか。

京都の和菓子の「和久傳」の『西湖』の紹介には、

あっさりとして和三盆の甘み、蓮根のもちもちとした口当たり、
つるっと滑り込んでいく
喉越しを、二枚の生笹で
包み込みました。
かすかな笹の葉の
香りとともに、少し冷やして
お召し上がりください。

…とありました。

本日、新宿伊勢丹で求め、早速いただきましたが、まさにそのとおり。
やはり、丹誠込めた和菓子は上品でそして後味までも美味しい。

夏の疲れた身体に一服の清涼感をみたしてくれる。そんな和菓子です。

れんこん菓子とあるので、蓮根のあの独特の風味を連想しますが、蓮根のデンプンを用い、そして和三盆を練り上げしているので、蓮根のイメージは皆無です。

夏ばてしているこの時期にまたは病室で食欲がない方に、おもたせでいただくと、きっと嬉しい一品になるでしょう。

「灘コロンビアを知ってますか」( その3)

2007年08月19日 | アルコール関係
仕事と登山で「灘コロンビア」の更新が停まってました。
何人かに催促されました。
また、毎日毎日暑いですので、やはりビールが昼間から欲しい時期です。
この時期が終わる前に幻のビールを実感していただきたいので、今回は幻のビールが実際にいただけることをご紹介致します。

既に灘コロンビアの新井さんは他界され、天国の皆様にクリーミーな泡のビールを振る舞っており、現世ではもう新井さんのビールはいただけません。だからこそ幻のビールなのです。

でもその遺伝子はこの世にも残ってました。
いまから7~8前でしょうか、ある雑誌をめくっていたとき、懐かしのビールサーバが写真に写っておりました。目を疑いましたが、紛れもないあの灘コロンビアに鎮座して、新井さんが毎晩ビールを注いでいたビールサーバでした。

実は新井さんの亡き後、その当時働いていた光チャン(灘コロ時代は、マスタやおかみさんから「光チャン」と呼ばれていた松尾光平氏)が引き継いでいたとのことでした。
しかも当方の仕事場の近くの新橋の駅のすぐ近くにお店がありました。

後日、早速お店に伺い、「幻のクリーミーな泡のビール」を何年かぶりにいただき、至福の一時を過ごすことができました。
そのお店の名前は…、『ビアライゼ’98』がそうです。



『BIER REISE ’98』
住所:港区新橋5-12-7富永ビル1F
JRの新橋駅「烏森口」から「キムラヤ」の横の道を芝方面に歩いて5分ほどで新橋住友ビルにつきます。そしてその先の角を左折して、そのブロックの角ににあります。
確か16時頃からやってますので、仕事を早くひけてから一杯やるには丁度良いと思います。

是非皆さん幻のビールをご堪能ください。


富岳百景

2007年08月13日 | トレッキング
富士登山の前後で思いもかけずに富岳百景の幾何かを眺めることができた。
先ずは富士登山前に、「我が家」のキッチンの窓辺からと、通勤途上の中央線の「車窓」からみる富士山です。
次は、もちろん富士登山のために「河口湖行きの電車(ホリデー快速河口湖行)」から眺める富士山です。
そして、「浅間神社」から馬返しまでの、タクシーからの富士山です。
その後は、ご身体に抱かれながら、樹林帯を過ぎて、6合目から種々変化する富士山の偉大な山様です。
また、登頂前のスバルライン5合目からの富士山と、登頂して下山後の富士山の姿は全く別のものでした。
翌日は出張のために羽田空港のラウンジから夕景にぼんやりと浮かぶ富士山も考え深いものです。なお、飛行機からは窓が富士山側ではなかったので、今回は拝むことができませんでした。
そして、先週末は湘南からみた富士山です。

どの富士山も日本一の富士山には変わりないですが、やはり頂上にたち、その爆裂火口を抱いた富士山は格別でした。

いま帰宅途中ですが、本日の多摩川鉄橋からの富士山も夕景に浮かぶので素晴らしいです。

この数週間は富士山三昧で嬉しい限りです。



富士登山(いよいよ登頂)

2007年08月09日 | トレッキング
八月四日と五日で富士登山を登り切りましました。

今回は麓の浅間神社でお参りし、正当派の吉田口登山道を1合目から登頂まで完走しました。
麓からのメンバーは二人です。

5合目からは4名合流し、全員で6名でした(但し、1名は急用により下山し、1名は8合目で下山しました)。

新宿を8時過ぎのホリデー快速河口湖行きにのり、富士吉田には10:18に到着しました。
バスで麓の浅間神社に行き、巨木の杉並木の立派な参道を歩いて、本殿にお参りしました。
ここで、金剛杖を求め、刻印を押していただきました。

神社の近くにあった「名物吉田うどん」を食べ、昔だったら馬(現代はタクシー)で「馬返し」まで行きました。3290円でした。ここは歩くと炎天下で2時間かかりますので、文明の利器を利用させていただきました。
なぜ馬返しというかというと、ここから先は富士山の聖域とされていたそうです。
「1日目:1合目から6合目」
馬返しを12:07に出発し、1合目は12:23に通過、2合目は13:10に通過、そして3合目は13:43に到着し、ここで、コーヒーブレイクをしました。
その後、4合目を14:48に通過し、5合目には15:58に到着しました。
そして、目的の宿である6合目の「星観荘」には16:10に到着しました。

その後、スバルラインの5合目駐車場で今回のメンバーと合流し、夕食をいただきました。
夕食後は、星観荘へ19:30頃戻り、荷物を整理して、寝袋に8時過ぎには潜り込み、明日の早立ちに備えました。

「2日目:6合目から頂上そして、5合目まで下山」
5日は、03:05に起床し。身支度を調えて、04:10に小屋を出ました。まだ暗くヘッドライトが頼りでした。
途中でご来光を拝み、さわやかな朝のトレッキングを開始しました。
7合目の日の出荘には6:13に到着。七合目がたくさんあるので閉口した。
そして、8合目の太子館には08:28に到着、蓬莱館には09:05に到着、そして本八合目のトモエ館には10:50に到着し、ここでようやく「朝ご飯」にありつけた。
それまではカップ麺のみでご飯ものがなく、小屋でおにぎりを注文しておけばよかったと後悔した。
カレーは1200円でしたが、これでおなかに力が入った。
8.5合目の御来光館には11:35に到着。
そして、9合目の鳥居は12:12にくぐった。この鳥居をくぐると最後の難関の岩場であるが、その先には頂上が見えている。
そして、頂上直下の鳥居を12:40にくぐり、10合目の頂上には12:55に到着した。
途中の何回休憩したかは不明だが、8時間50分で登頂したことになる。

頂上で、金剛杖に頂上の刻印をおしていただき、その後ラーメン(800円)を食べた。
14時過ぎに下山を介しし、約3時間でスバルラインの5合目に到着した。

今回は吉田口登山道を、昔の信仰の山として登った往時をしのび、ゆっくりゆっくり登山をいたしました。
馬返しが1450mですので、標高差約2300m。ガイドブックによると登り11時間、下り6時間とありました。
この11時間を富士マラソンの選手は2時間半で登ったそうです。これには驚嘆しました。

今回の正当登山を完走し、やはり富士山は修行の山ということを改めて実感した。

富士登山の翌日から広島に出張で、ようやく帰宅し、このブログを記載しました。
来年は沼津港の海抜ゼロから登山開始という話ももちあがりましたが…。