A・Lohas・Ness

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富士山

2007年10月04日 | トレッキング
昨日、10月3日は、「10(と)」と「3(さん)」とで登山の日だったそうです。日本アルパイン・ガイド協会の「重野太肚二氏」が発案し、同協会が1992(平成4)年に制定されたそうです。
山に登ることで雄大な大自然に触れ、その素晴らしさを味わって、自然を尊びながら、自然を愛し、そして自然からの恩恵に感謝する日ということでしょうか。まさにロハスの精神です。

登山人口でもっとも多いのは富士登山ではないでしょうか。
その頂上についたときに達成感は頂上を極めた人間しかわからないでしょう!
そして、頂上を極めた山は、下山してから眺めると、頂上を極める以前とは全く違う感じで山を愛でるそうです。

ところで、富士山を世界遺産にしようというお話があります。
今回、富士吉田口から頂上を制覇しましたが、富士吉田口の6合目までに登山道は整備されているにもかかわらず、その道中の廃屋の始末、休憩場所の整備などが全くなされておりません。せっかく記念に写真をとってもここがその昔、お祈りしながら登山した道なんだな?とは思いますが、後日写真をみて少しがっかりします。

富士登山される方のほとんどは5合目からの登山ですが、本来は富士吉田の浅間神社にお参りして、そこの裏門を出発し、0合目から10合目を通過しての富士登山が本流です。
富士周辺はまだいたるところゴミだらけ、不法投棄も絶滅には至っておりません。
このような状態では、まだまだ遺産に登録するのは無理なのでは?と思ってます。
山梨県とか静岡県というレベルではなく、日本全体でその象徴である富士山の美化を促進する運動が必要ではないでしょうか。

そんなことを書いていたら、ヤフーのHPの「新着ピックアップ」の欄に「富士山を世界遺産に」という紹介がありました。http://www.fujisan-3776.jp/aboutfuji/shinkou.html

そこには、富士登山信仰のことが記載されており、下記のような興味深い紹介「富士山と信仰」の記事がありました。やはり昨年と今年富士登山で実感したように、長らくは「修行の山」でした。

≪「富士山と信仰」の記事より≫
「富士山は長く遥拝の対象として神聖視され、平安時代初期(9世紀)には、山麓に富士山の噴火を鎮めるための「浅間神社」が建てられました。

その後、平安時代後期(11世紀)には修験道の道場となり、室町時代には村山口(大宮口)、吉田口などの登山道も開かれ、富士山は登拝する山として一般庶民に広く知られるようになりました。それに伴い、各登山道には登拝者を宿泊させ、登拝前の神事を行い、登拝に必要な準備の世話をする「御師(おし)」や「坊(ぼう)」が整えられました。
近世になると南麓の村山口(大宮口)や須山口には修験道の先達に伴われた登拝者が多くやってきました。

一方、室町時代末期に現れた長谷川角行を開祖とする「富士講」が、江戸時代中期、江戸を中心に大いに盛んになり、北麓の吉田口などでは以前にも増して多くの人が登拝するようになりました。

富士山は麓から山頂に向かい、俗界を表す「草山(くさやま)」、俗界から神の世界への過渡部分である森林限界までの「木山(きやま)」、火山礫で覆われた山頂までの神仏の世界であると共に、死の世界を意味する「焼山(やけやま)」に区分されています。富士登拝とは、俗界から死の世界を往復することによって、この世の罪と穢れを消すことを意味した。
このような独特の信仰登山の様式は、今日においても形態を変えながらなお命脈を保っており、毎年7月、8月の夏季を中心として多くの登山者が訪れています。
また、現在でも登山道周辺には信仰に係わる祠、石碑、各種の祭礼などが見られます。 」

周辺の整備には莫大なお金が必要となりますが、たとえば「アサヒビール(株)」のようにCSRの一環として、ビールの売上金の一部を“富士山”の環境を守り、後世に伝えていくために支援していく、というような、間接的な寄付により、“富士山”の環境保全活動に取り組むことが求められているのではないでしょうか。
各企業等が、その収益の一部を富士山の保存のために還元することを明記する商品が増えることを願ってます。そして、その寄付金が富士山の周囲の環境の美化に寄与する助けになることを切望いたします。

というわけで、ビールを飲むときには「アサヒの富士山」の絵柄のビールがあるときにはそちらの銘柄をいただくようにしております。