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日本人でありながら、日本歌曲を簡単に歌うことは、実は非常に難しい

2011年07月12日 | クラッシック
芸大の作曲家で故「松本民之助先生」は、芸大での教鞭をとっていられるとき、そして芸大を退官されてから、膨大な日本歌曲を作曲されております。

毎日、早朝にピアノに向かい作曲されたそうです。

先生が主催する会に「まほらま会」という芸術家の団体がありました。
この団体は、作曲家、詩人、そして演奏家(歌手)が集って、年に2回発表会があり、その集大成が楽譜となって出版される場合もありました。
松本民之助歌曲集「日本の郷愁」全音楽譜出版社などがあります。


ところで、
偉大な作曲家であっても、その創作した曲を楽譜にしたとしても、演奏家の演奏により、実際に音楽として奏でることがなければ、その曲の出来栄えは評価されません。

その大事な作業の一環として、作詞家が作詞した詩に、作曲家が作曲をし、それを演奏家が演奏するという、単純ながら、しかし厳粛な儀式が、松本先生のお宅で演奏会に向けてとりおこなわれておりました。

松本先生のお屋敷は桜新町にあり、戦後は芸大の生徒が書生として下宿していたそうです。
そのお屋敷の一角に作曲の評価がなされるピアノの部屋があります。

その昔は、世界を代表する坂本龍一氏も、松本先生から音楽の基礎を習っていたそうです。
当然ながら、坂本龍一氏は松本先生の芸大での弟子でもあります。先生の葬儀には坂本龍一氏からの献花もありました。あのシンプルな曲は実は、松本先生のお部屋が原点だったのかも?と思われる次第です。

家内は、このまほらま会にて、作曲の真価が決定される、その最後の儀式である歌曲の演奏をしておりました。
そうです、世の中に、音符が音として、奏でられる大事な瞬間に携わっておりました。

松本先生は、音符の音以前に、作詞された日本語の意味、音を非常に大事にされておりました。

松本先生のお宅では、朗読にはじまり、演奏そして、最後は講評という一連の儀式がなされておりました。

毎日会話で日常的に話す日本語ですが、実は、それに曲がついたときには、日本人でありながら、日本歌曲を簡単に歌うことは、実は非常に難しいのものとなります。

多くの場合、作詞家の詩に西洋音階の曲がつくと、自然な日本語ではなくなるの場合が多いのです。

しかし、今回の中田喜直氏が作曲した金子みすゞさんにつけた曲は、それはそれはシンプルですが、素直な曲奏となっております。皆さんの想像する楽奏と合致するでしょうか。


今回の7月17日の八王子のオリンパスホールで行われる「東日本大震災復興支援チャリティ ビルマン聡平 ヴァイオリンコンサート」では、金子みすゞさんの『星とたんぽぽ』も演奏します。
多分、演奏会の後半となります。
どうか当日は、会場にて日本語を味わってお聴きください。


金子みすゞ詩集「ほしとたんぽぽ」より
中田喜直 作曲

1) わたしとことりとすずと
2) こだまでしょうか      
3) ほしとたんぽぽ





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