戦前のことではあるが、世界中で言われていたのは、日本の軍隊の兵や下士官は優秀だが士官は評価出来ないぐらい能力が低いというものだったそうです。
もちろん日本の士官の中でも素晴らしい人間性を持つだけでなく、戦略、戦術でも優れた能力を発揮された方々も多いことは知っていますが、総体的に見て欧米の軍隊の士官たちの方が優れていたという評価が多くあるようです。
兵や下士官が優秀なのに、なぜ日本の士官たちは評価されなかったのだろうか?
もしかすると明治以来現在にいたるまでの日本教育が、より良い均一な兵隊や労働者を育てるというものを基本にしていたというものにあるのかも知れません。
臨機応変に自分の考えを実践できる人を、クラスなり学校の方針になじまない人物として矯正したり排除する傾向があり、みんなと同じ考え方や行動が出来るように仕向けるのが教育だと思っている。
このような基礎教育を受けているだけでなく、誰が優秀なのかという基準も、独自性があればあるほど悪い評価になるのであれば、皆と同じ行動をとれて普通だけど理解力や記憶力のある人物が優秀とみなされる構造が出来上がる。
そのような優秀と思われている人物を軍隊の士官にしたとしたら、戦場の修羅場で小隊や中隊を預かっている立場であれば突撃か後退か留まるかを判断しなければならないのだが、戦場での優秀な指揮官として機能出来るかという問いには否となるような気がします。
これには日本文化という土壌の中での優秀な人物像と重なる部分があるのですが、「最後は自分が責任を取って腹を切ります。」では、まったく指揮官としては失格なのです。
その隊を救うために何をすべきかを考えるために自分がいると考えられる士官が欲しいのに。
これは軍隊だけの話ではなく、会社経営における構造に置き換えてみると、一般社員は優秀なのに管理職層が今一歩という会社が多いことに気付きます。