民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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『たけくらべ』の人々 その4  田中 優子

2015年09月17日 00時06分30秒 | 古典
 『たけくらべ』の人々 その4  田中 優子 

 次に信如だ。信如は賢いが内にこもった少年である。その内部には、世間に対するうしろめたさが渦巻いている。仏教寺院が俗化したのは江戸時代であった。仏教の過激派とカトリックを排除するために、江戸幕府は仏教寺院に「宗門改め(信仰調査)」の役割を押しつけ、その結果、仏教寺院は裕福にはなったが、戸籍管理をする役所のような存在になる。僧侶は遊行性(各地を旅しながら修行・布教するあり方)を失い、住職として定住し、コミュニティの世話もするようになり、妻帯も宴席も必要となった。家族をもち、酒を飲み、肉や魚を食べ、金儲けも仕事のうちだ。信如の父親はその典型である。肥え太り、あかがね色に照りかえり、大盃で泡盛を飲みながら鰻の蒲焼を食らう。金貸し業もおこない、葉茶屋の店舗も所有し、その店番を、男好きのする実娘にやらせている。20歳年下の妻をもち、酉の市ではこの妻に簪(かんざし)を売らせる。
 信如はこの父親を恥ずかしく思い嫌悪しているが、それを表に出すことができず、内に抱え込み、屈折している。しかしそれは仏教への嫌悪にはつながらない。むしろ仏教の本筋に立ち返ろうとして進学する。ここには、明治における仏教の零落(廃仏希釈)と、金がすべての世の中(資本主義の横行)の渦中にいながら、自分の生き方を「知性」の方向に探ろうとする少年の姿が見える。