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「飾りじゃないのよゲタは」 マイ・エッセイ 15

2015年09月25日 00時21分01秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「飾りじゃないのよゲタは」
                                              
 2005年(平成17年)に、映画「ALWAYS三丁目の夕日」が封切られた。東京タワーが完成した昭和33年当時の東京の下町を舞台にした映画だ。
 この作品は数々の映画賞を取り、世間の評判もよく、続けて第二作が皇太子ご成婚 の昭和34年に、第三作が東京オリンピックの昭和39年にと、昭和を代表するイベントがあった年代に移して製作された。
 ダイコンというあだ名の同級生がいた八百屋、魚屋、よくメンチやコロッケを買いに行かされた肉屋、豆腐屋、鼻緒をすげ替えた下駄屋、乾物屋、パンクすると世話になった自転車屋、薬屋、毎日小遣いの五円玉、十円玉を握り締めて通った 駄菓子屋 。
 今はすっかりなくなったか、少なくなってしまったお店が、「あそこにあった、ここにもあった」と懐かしく思い出される。
 空き地にムシロを張った旅回り劇団、紙芝居、デパートの屋上にあった遊園地、チンドン屋、ガマの油売りの大道芸、富山の薬売り、飛行機がバラまいたビラ、小学校の正門前で下校の生徒をねらうあやしげな物売り。
 今ではすっかり見られなくなった子どもの頃の風景だった。

 昭和三十年代は、オレたち団塊の世代にとって、たまらなく郷愁を誘う。なぜなら、オレが小学校に入ったのが昭和三十年、中学を卒業したのが昭和三十九年、ぴったりオレの小中学校時代と重なるからだ。
 小学校から帰るとランドセルを放り投げ、近所の子どもたちと、車がほとんど走っていなかったウラ通りや原っぱで、暗くなるまでチャンバラごっこや缶ケリをして遊んだ。
 小さい子から大きい子まで、まだよく遊べないちっちゃい子は「アブラムシ」としておっきい子に面倒をみてもらいながら、みんなが一緒になって遊んだ。
 既製品のおもちゃなんかなくても、風呂敷や手拭があれば、誰でもテレビで活躍するヒーローになれた。勉強が苦手でも、かけっこが速ければみんなの注目を浴びた。
 中学では、入学する前に野球部に入ったほど、野球を夢中になってやった。先輩のしごきにも耐えた。キャプテンもやった。毎日、練習が終わると学校の前にある店で、コッペパンにたっぷりソースをかけたハムカツをはさんでもらって、食べながら帰った。
 小中学校時代は、なにも考えないで、やりたいことをひたすらやった時代だ。

 ついに、あこがれていた一本歯ゲタを手に入れた。天狗が履いているような歯が一本しかないゲタだ。白い鼻緒で歯の長さは十二センチ、かなり高い。
 三年くらい前、ユニオン通りにある下駄屋のショーウインドウに飾ってあるのを見つけて、釘づけになった。学生時代からずっと履いてみたかったゲタだ。いろいろな思いがこみあげてくる。
 あれから四十年以上の年月が流れた。もうオレにこのゲタはあぶなっかしくて履けない。足をくじいてネンザでもしたらいい笑いものだ。
 (でも、欲しい)
 それ以来、その店を通るたびに、恨めしそうに一本歯ゲタを横目でにらんでいた。
 職人でもある主人と話をするようになり、前にテレビの番組で、一本歯ゲタを履いて歩くと姿勢がよくなる、と有名なファッションモデルに紹介されたことがあって、それから月に二、三組は売れるようになったと教えてもらった。
 学生時代はどこに行くのにも高ゲタだった。高ゲタは、オレの青春の象徴と言っていい。
 社会人になってゲタから遠ざかっていたが、リタイアしてまた履くようになった。今度は高ゲタではなくふつうのゲタだ。歯がだいぶ減って、歩きづらくなってきたので、前から欲しかった日光下駄を買うことにした。ゲタの上に草履が貼ってあるヤツだ。
 ユニオン通りの店に行くと、あいにく主人が留守だった。もう一軒の日光下駄と一本歯ゲタを売っている店に行って、日光下駄を見ていると、根っからの商売人らしいかなり年配のじいさんが、いきなり思いがけない値引きの金額を口にした。
(そんなに安くなるのか。一本歯ゲタと抱き合わせならもっと安くなるかもしれない)
 スケベ根性を出して言ってみた。思ったほど値引きしてはもらえない。逆に、じいさんの商売上手な口車に乗せられて、両方とも買うハメになってしまった。

 家に帰って、こわごわ手すりにつかまり、一本歯ゲタを履いてみた。身体に緊張が走る。背筋をピンと伸ばして遠くを見ないと、足が前に出ない。いつもと景色が違って、世界が変わって見える。
 (これはいい。凛とした姿勢。これからのオレの生き方を示唆してくれているようだ) 
 いい買い物をしたとほくそえんだが、転んだときのことを考えると、もう買って一ヶ月はたつというのに、まだ履くことができないで部屋の飾りになっている。