民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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『たけくらべ』の人々 その5  田中 優子

2015年09月19日 00時16分19秒 | 古典
 『たけくらべ』の人々 その5  田中 優子

 田中屋正太郎は美しい弱気な少年だ。3歳のときに母を失った。父親は田舎の実家に引っ込んでしまい、質屋はそれ以来営業していない。町内一の金持ちの家に、64歳の祖母とふたりきりで暮らしている。祖母は大きな髷を結って猫なで声で金貸しをする。取立てが厳しく、色気たっぷりのその媚びゆえに、町内の評判はすこぶる悪い。借金の取立てには正太郎もかり出されていて、正太郎はそれを苦にしている。ゆくゆくは質屋を復活しよう、と正太郎は思っている。しかし今は、ともかく寂しい。美登利を姉と思い慕っているが、それは女性への恋慕の気持ちと重なっている。ここには、金銭に価値を見出せず、失った家族の愛を求めながら、孤独に生きる少年の姿がある。

『たけくらべ』の人々 その4  田中 優子

2015年09月17日 00時06分30秒 | 古典
 『たけくらべ』の人々 その4  田中 優子 

 次に信如だ。信如は賢いが内にこもった少年である。その内部には、世間に対するうしろめたさが渦巻いている。仏教寺院が俗化したのは江戸時代であった。仏教の過激派とカトリックを排除するために、江戸幕府は仏教寺院に「宗門改め(信仰調査)」の役割を押しつけ、その結果、仏教寺院は裕福にはなったが、戸籍管理をする役所のような存在になる。僧侶は遊行性(各地を旅しながら修行・布教するあり方)を失い、住職として定住し、コミュニティの世話もするようになり、妻帯も宴席も必要となった。家族をもち、酒を飲み、肉や魚を食べ、金儲けも仕事のうちだ。信如の父親はその典型である。肥え太り、あかがね色に照りかえり、大盃で泡盛を飲みながら鰻の蒲焼を食らう。金貸し業もおこない、葉茶屋の店舗も所有し、その店番を、男好きのする実娘にやらせている。20歳年下の妻をもち、酉の市ではこの妻に簪(かんざし)を売らせる。
 信如はこの父親を恥ずかしく思い嫌悪しているが、それを表に出すことができず、内に抱え込み、屈折している。しかしそれは仏教への嫌悪にはつながらない。むしろ仏教の本筋に立ち返ろうとして進学する。ここには、明治における仏教の零落(廃仏希釈)と、金がすべての世の中(資本主義の横行)の渦中にいながら、自分の生き方を「知性」の方向に探ろうとする少年の姿が見える。

『たけくらべ』の人々 その3  田中 優子

2015年09月15日 00時40分12秒 | 古典
 『たけくらべ』の人々 その3  田中 優子

 ストーリーをまとめると、これしか書くことはない。しかし明治以来、この短い小説 『たけくらべ』をめぐって多くの評論が書かれ、多くのことが論じられてきた。それだけ近代小説成立にあたって重要な作品であり、また魅力的な読み物なのである。その後の近代小説の系譜から見て重要なだけではなく、じつに江戸時代から見ても、これは大事な、そして興味深い作品である。なぜならここには、日本の古典文学に通低している象徴性が満ち満ちていて、しかも同時に、日本の現実が見えるからである。古典と近代が融合し共存している作品だといってよい。ここからは近代文学の特徴も取り出せるし、古典文学の特徴も取り出せるのである。
 さて、ストーリーだけでは見も蓋もない。少し、登場人物の背景も案内しておこう。美登利についてはすでに述べた。加えるとするなら、その性格である。美登利の中には、平安時代以来の日本女性の性格特徴の一面が見える。それは「闊達」である。頭の回転が速く、活気があって快楽的であり、明かる。あどけなく、物事の暗い面を知らない。それは神話でいえばアメノウズメ的な存在であり、象徴でいえばお多福であり、江戸時代の現実でいえば、遊女に求められた性格である。吉原の視点から見ると、美登利は理想的な遊女である。吉原がどういうところであったかについては、次章で詳しく述べるつもりだ。


『たけくらべ』の人々 その2  田中 優子

2015年09月13日 00時11分42秒 | 古典
 『たけくらべ』の人々 その2  田中 優子

 そういうわけでストーリーをまとめるのは難しいが、いくらか成り行きを説明しておこう。この小説の舞台は、現在の東京都台東区千束および竜泉である。当時、ここには江戸時代から続く吉原遊郭があり、主人公の美登利(14歳)は、この吉原遊郭で遊女の最高位に立つ大巻の妹として、両親とともに和歌山から出てきた。美登利と家族は、姉が勤める大黒屋という楼(遊女と客が会う店)の寮で暮らしている。寮は亭主とその家族が暮らしたり、遊女が療養したりするところで、遊郭の外にある。父は他の小さな楼の事務員をやり、母は寮の雑事をしながら遊女たちの着物の仕立てをしている。
 物語は8月20日の千束神社の祭の準備から始まり、11月下旬の、大鳥神社の酉の市で終わる。美登利のまわりには、龍華寺の藤本信如(15歳)、鳶の頭の息子・長吉(16歳)、質屋の息子・田中屋正太郎(13歳)、人力車の車夫の息子・三五朗(15歳)がいる。千束神社の祭の日、美登利と三五朗は長吉たちにけんかをふっかけられる。その背後に信如がいると聞いて、美登利はそれ以来沈み込み、学校にも行かなくなる。やがて美登利は姉のもとで髪を島田に結い、町で遊ぶこともしなくなる。信如は僧侶の勉強をするために、その地を去ってゆく。


『たけくらべ』の人々 その1 田中 優子

2015年09月11日 00時16分07秒 | 古典
 樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子(1952年生まれ) 集英社新書 2004年

 『たけくらべ』の人々 その1

 前略

 『たけくらべ』は明治28年(1895)1月、一葉が23歳のときから『文学界』に連載を始め、翌明治29年4月、『文藝倶楽部』に一括発表されて絶賛を浴びた小説である。そしてその年の11月23日、一葉は24歳で亡くなった。樋口一葉は、有望な作家としてデビューしたとたんにこの世を去った、ひとりの女性である。
 『たけくらべ』のストーリーをまとめるのはむ難しい。この小説の面白さはルトーリーにあるのではなく、むしろそのあいまに描き込まれたひとりひとりのキャラクターやその背景、日々の生活、そして人が毎日を生きながら感じ取る、人としての活気や哀しさにある。一葉の作品は、登場人物のひとりひとりがじつに生々しく、多様で、誰が主人公になったとしても不思議はない。主人公は必ずいるのだが、それは登場人物たちの中から、たまたまひとりがすっくと立ってスポットライトを浴びたように感じる。ひとつの物語が終わったとき、また別の登場人物が主人公になるかもしれない、と私は思ってしまう。