「主語を抹殺した男」 評伝 三上 章 金谷 武洋 講談社 2006年
学歴社会日本の差別構造 P-194
私は、もし橋本文法でなく、山田文法が学校文法に採用されていたら、日本語と日本人にとってどんなに良かったかと思う。文法の質として雲泥の差があるのは、山田文法は橋本文法よりもはるかに日本語の発想に根ざしているからである。学校文法にならなかった理由を忖度(そんたく)すれば、それはきわめてあきらかだ。山田が富山中学を中退しているからである。山田は独力で、実力で小中学校教員検定試験に合格し、その後、一歩一歩、文法学者への道を進んで大成した第一級の学者である。
しかし、いかに自分の頭で文法を編み出す実力をしめしても、「学歴は中学中退」と目にしたら、もうそれで文部科学省のお役人は思考停止してしまうのである。丸山真男(まさお)の言う「である社会」の悲しさだ。山田の「中学中退」に対して、橋本進吉はは東京帝国大学言語学科の卒業だから比較の対象にならない。学歴社会、日本が如何に非生産的な選択をしているか、その差別構造を眺めるのに、山田と橋本の二人はたいへん役立つ実例である。
現在の国語学界の大御所、大野晋が三上文法をまったく相手にしない理由はいったい何かも考えてみよう。私には、大野が橋本進吉の東京大学での愛弟子であり、三上が恩師橋本進吉先生の学校文法を批判しているからとしか思えない。つまり学問ではなく政治闘争なのである。大野は三上に反論しない。いやできない。反論すれば学問になってしまうからだ。
試みに、大野が編著・解説者である『日本の言語学』第三巻の中の「総主・提題・ハとガ」という章を見てみよう。三上の死後、1978年の刊行である。この章が扱う事項は三上文法がもっともよく説明できるものだ。然るに、あろうことか、その章に三上の名前はただの一度も、本文はおろか参考文献にさえ出てこないのである。自分の恩師の文法が批判されたのなら、なぜ恩師になり代わって反論しないのか。
同年刊行された『日本語の文法を考える』の方では、巻末の補注に大野が三上の名前を挙げている。そして「氏は主語廃止論を述べ、また助詞の代行という理論を立てている。それらの点で私は三上氏の論に賛成しかねた」と書いているが、これで「日本の言語学」に三上文法を取り上げなかった説明のつもりなのだろう。
しかしこれは反論になっていない。肝心なのは「なぜ」賛成しかねたのかを具体例を挙げて述べることで、そこからお互いを高め合う摺り合わせが始まるのである。それが学問と言うものだろうが、大野はそれを意図的に避け、三上文法に門前払いを食わせたのだ。
三上は橋本学校文法を批判して、とくにその主語論に対し、開いた口がふさがらない」と書いた。そしてその理由を具体例で論証した。明治維新以来、無理が通って道理が引っ込む体制を露呈してきた国語学界は、今度の日本語学界への改称をいい機会に、こうした保守的で旧態依然とした体質を改める必要があるだろう。名前を変えることは体質を変えることの保証にはならないが―――。
学歴社会日本の差別構造 P-194
私は、もし橋本文法でなく、山田文法が学校文法に採用されていたら、日本語と日本人にとってどんなに良かったかと思う。文法の質として雲泥の差があるのは、山田文法は橋本文法よりもはるかに日本語の発想に根ざしているからである。学校文法にならなかった理由を忖度(そんたく)すれば、それはきわめてあきらかだ。山田が富山中学を中退しているからである。山田は独力で、実力で小中学校教員検定試験に合格し、その後、一歩一歩、文法学者への道を進んで大成した第一級の学者である。
しかし、いかに自分の頭で文法を編み出す実力をしめしても、「学歴は中学中退」と目にしたら、もうそれで文部科学省のお役人は思考停止してしまうのである。丸山真男(まさお)の言う「である社会」の悲しさだ。山田の「中学中退」に対して、橋本進吉はは東京帝国大学言語学科の卒業だから比較の対象にならない。学歴社会、日本が如何に非生産的な選択をしているか、その差別構造を眺めるのに、山田と橋本の二人はたいへん役立つ実例である。
現在の国語学界の大御所、大野晋が三上文法をまったく相手にしない理由はいったい何かも考えてみよう。私には、大野が橋本進吉の東京大学での愛弟子であり、三上が恩師橋本進吉先生の学校文法を批判しているからとしか思えない。つまり学問ではなく政治闘争なのである。大野は三上に反論しない。いやできない。反論すれば学問になってしまうからだ。
試みに、大野が編著・解説者である『日本の言語学』第三巻の中の「総主・提題・ハとガ」という章を見てみよう。三上の死後、1978年の刊行である。この章が扱う事項は三上文法がもっともよく説明できるものだ。然るに、あろうことか、その章に三上の名前はただの一度も、本文はおろか参考文献にさえ出てこないのである。自分の恩師の文法が批判されたのなら、なぜ恩師になり代わって反論しないのか。
同年刊行された『日本語の文法を考える』の方では、巻末の補注に大野が三上の名前を挙げている。そして「氏は主語廃止論を述べ、また助詞の代行という理論を立てている。それらの点で私は三上氏の論に賛成しかねた」と書いているが、これで「日本の言語学」に三上文法を取り上げなかった説明のつもりなのだろう。
しかしこれは反論になっていない。肝心なのは「なぜ」賛成しかねたのかを具体例を挙げて述べることで、そこからお互いを高め合う摺り合わせが始まるのである。それが学問と言うものだろうが、大野はそれを意図的に避け、三上文法に門前払いを食わせたのだ。
三上は橋本学校文法を批判して、とくにその主語論に対し、開いた口がふさがらない」と書いた。そしてその理由を具体例で論証した。明治維新以来、無理が通って道理が引っ込む体制を露呈してきた国語学界は、今度の日本語学界への改称をいい機会に、こうした保守的で旧態依然とした体質を改める必要があるだろう。名前を変えることは体質を変えることの保証にはならないが―――。