民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「どくとるマンボウ青春記」 その7 北 杜夫

2016年06月22日 00時03分40秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「どくとるマンボウ青春記」 その7 P-44 北 杜夫  新潮文庫 (平成12年)

 更に、蒲団むしと称される野蛮なる行為が存在した。これは太平楽に寝ている者の上に、もう一枚の蒲団をすっぽりかぶせ、その上で数人、ときには十人もの者が乗っかり、

 嗚呼青春の歓喜より はえの力は生(あ)れ出(い)でて
 燦爛高き天(あめ)の座に 生命(いのち)の群のわななけば
 聖歌を聞くやえのきばの 木梢(こぬれ)に星は瞬きぬ

 という寮歌のリズムに合わせて、乱暴にもとびあがり、踏みにじるのである。
 これをやられると、とっさに腕で頭を防御し、怖るべき乱舞が終わってくれるのを待つより手段がない。一番だけの歌詞で済んでくれればよいが、二番にでも移られようものなら、まったく半死半生になる。
 かくのごとく、旧制高校の伝統ある寮とは、うかうか安楽に寝てもおれない場所であった。こうした場合、蒲団むしでもなんでも、やられるよりやるほうの側に立ったほうが得である。かくて私は、ゴンズクを出して、犠牲者よりも首謀者側になることが多くなっていった。中学時代、おとなしく気弱で人のかげに隠れていた私は、愚かしきパトスによって、徐々に頭角を現すようになったのである。私は未だに憂行と自称していた。松高時代、私はずっと憂行で通用し、大学にはいってからも松本を訪れると、憂行さんとしか呼ばれないので、さすがに気恥ずかしかったものだ。