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「どくとるマンボウ青春記」 その5 北 杜夫

2016年06月18日 00時14分17秒 | 雑学知識
 「どくとるマンボウ青春記」 その5 P-38 北 杜夫  新潮文庫 (平成12年)

 敗戦後の社会は混乱していた。学校内も混乱していた。軍隊に行っていた上級生も戻ってきていて、やがて彼らは松高内の軍国的色彩を排し、自治の獲得をめざし、校長をはじめ三教授退陣を迫る運動を起こした。
 私たち1年生は上級生の話を聞き、感奮した。どんなにか私たちは感激家だったことだろう。むろん教授らはわるく、高校生は正しいのだ。実際、この世で高校生くらい清く正しい存在はないとまで私たちは思っていた。
 若者に感激性がなくては困る。それが彼らの取柄で、かけがえのない貴重なものだ。といって、私はいま当時をふり返り、私たちの多くが単なる感激屋だったことや、付和雷同性を多分に帯びていたことも認めざるを得ない。しかしながらそのとき私たちは心底から感奮したのであり、なかんずく一人の男などは、自分らが歴史に残る純粋無雑な改革をやっているのだと信じこんでいた。その男とは誰あろう、この私である。
 生徒大会が開かれ、偉い上級生が次々と登壇し、演説をぶった。こうした高校生仲間でカシラだつ人間には二種ある。一つは頭の切れる理論派で、もう一つは弊衣破帽の情熱派である。
 今しも、どっしりと体格のいい人物が熱弁をふるいだした。彼こそいわゆる高校オンチの代表であり、たぐい稀な熱血漢であった。ただ、燃えたぎる青春の血こそ何人前も所有していたが、演説の内容となるといささか語彙に乏しいといわねばならなかった。
 彼は、
「鬱勃たるパトスをもって・・・」
 と腕をふりあげた。1分もすると、また、
「ウツボツたるパトスをもって」
 と吠えた。
 こうして彼は長からぬ演説の中で、実に30回ばかりも「ウツボツたるパトス」と吠えたもので、以来パトスと渾名されるようになった。