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「絵日記 瞽女を訪ねて」 あとがき 斎藤 真一

2015年02月06日 01時47分20秒 | 雑学知識
 「絵日記 瞽女を訪ねて」 斎藤 真一  日本放送出版協会 1978年(昭和53年)

 「あとがき」

 この絵日記を、あえて手書きのままの姿でまとめていただいたのは、けっして趣味的な発想や気やすめからではない。ひとりの人間が、ある時期に何かをひたむきに信じ、闇の中の灯明かりのようなものを求めて、旅をして歩いたという過程をそのままにしておきたかったからである。
 その絵日記をいま振り返りみると、すべてがいたらない、まことにくどくどした夢遊的なものではないかという不安がぬぐいきれないが、たとえ空しいものではあっても、その空しさの集積が実は生きてきた私自身の心の軌跡ではなかろうかと思うのである。それは訂正することも拭い去ることもできない遠い日の一枚の記念写真ではなかろうか。

 いまここで改めてその青写真を透かし眺めると、瞽女(ごぜ)さんや瞽女宿の人たちから、言葉ではいいつくせない希望や勇気、誠実、そして最も大切な人生の道しるべを教わったような気がしてならない。
 盲目であるというハンデーに少しもひるまず、力一杯生きて人生の荒波にへこたれない人たちもいたという事実。
 歌は下手でも、誠実な心情さえあれば村びとの心の中に食い入る本当の唄も歌えたという事実。
 素足にわらじばきで大地のぬくもりや、起伏を膚(はだ)で感じ、樹木のゆらぎに季節を知り、草花の香りに自然の霊気を感じていたという事実。
 そして何よりも心から自分たちを待ってくれている村びと達に人間の本当の愛とやさしさを信じていたという事実。

 私のような狭い世間の中で生きている人間にとっては、瞽女さんのこのような生活を知ることはかけがえのない貴重な体験に思えてくるのだ。私は普段、諸行無常というどうにもならない宿命を痛いほど感じ、時折現実の重さにひしがれてしまいがちであるが、瞽女さんを思うと、不運を前提としたあきらめの人生であってはならないと勇気づけられるのである。

 それは人間が生きるということが一体何であるのかという大きな質問でもあり指針でもあった。
 そして、私は絵かきの立場から常日頃思っていることを、ここにささやかなメモとしてとどめて置きたい。これはあくまで私個人の雑記帳であることをお許し願いたい。

 以下略

 昭和53年 立春