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「絵日記 瞽女を訪ねて」 まえがき 斎藤 真一

2015年02月04日 00時20分45秒 | 雑学知識
 「絵日記 瞽女を訪ねて」 斎藤 真一  日本放送出版協会 1978年(昭和53年)

 「まえがき」

 瞽女(ごぜ)は、村から村へ、三味線を弾き、祭文松坂を歌い、閉ざされた山国の寒村に娯楽を持ちはこんだ盲目の女旅芸人のことである。

 瞽女には、どんな山間僻地にも必ず定宿があって、彼女たちは、それを「瞽女宿」と呼んでいる。鄙(ひな)びた旅籠(はたご)ではなく、そのほとんどが農家であった。

  瞽女宿が農家であったが故に、私は農民と瞽女のあいだには、何か計り知れない深い人情が多く潜んでいるように思えてならなかった。そして、力いっぱい生きた、名も無き瞽女たちの喜びや悲しみを知りたかった。

 そこで私は、高田にいまなお健在でいる瞽女・杉本キクエさんにお会いし、お話しするうちに、その純粋な人柄にあいふれ、打ちのめされてしまった。もともと民俗学者でもなければ、研究者でもない私が、ひとりの人間として、瞽女と瞽女宿の深い人情話をしっかりカンバスの上に、記録の上に、とどめておきたいというひとつの使命感にさいなまれたのである。

 ある年から、私はリュックの中に画帳、ノート、地図、それに着替えと若干の食糧を用意し、彼女たちの旅の荷とほぼ同じ重さにして、高田を後にした。彼女たちが歩いた同じ山村や険しい峠道を、私も歩き続けることによって、瞽女の生き方の根元的なものに少しでもふれることができはしないだろうかと思ったのである。いま思えば、長い年月であり、長い瞽女宿巡りの道程でもあった。

 そして十数年、描き続けた五百余枚にものぼる絵日記が、いまここに二百余枚にしぼってまとめられようとしている。これは瞽女さんの生涯をまとめようとした記録であるが、瞽女さんの漂泊からするとささいな私自身の記録でもある。