民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「どくとるマンボウ青春記」 北 杜夫

2015年02月14日 00時09分36秒 | 雑学知識
 「どくとるマンボウ青春記」 北 杜夫 著  新潮文庫 平成12年(刊行 昭和42年)

 前略

 ところが私は、読書するよりも、もっとくだらぬ外形にまず時間を割いてしまった。帽子に、夢にまで見た白線(旧制高校生は白線帽が特徴であった)を巻き、それに醤油と油をつけて古めかしく見せようと努力した。次に、一人の友人から当時には貴重なものであった地下足袋とひき換えに、でっかい朴歯の下駄を獲得した。それには普通の鼻緒がついていたが、私はどえらい苦心ののち、直径四センチもある鼻緒を自ら作りだし、これを朴歯にとっつけた。旧制高校生の弊衣破帽というのはむろん彼らなりの裏返されたおしゃれで、いつの世にもわざと異様な格好をし、一般の世人とは区別されたがる人種がいるのと同様である。(P-20)

 中略

 更に上級生は、ストームなるものを寮に復活した。ストームにもいろいろあるが、その一つは説教ストームである。真夜中、寝ている下級生を叩き起こし、なんのために入寮したのかとか高校生活の意義だとか質問を発す。どのように答えても、バカヤローの怒声が返ってくる。つまり、それまでの一般世間の常識、価値観をすべてくつがえし、高校生としての自覚に目ざめさせるのである。これはやるほうにも相手を即座にやりこめるだけの頭脳を要するけれど、やられるほうはネボケマナコだし、寝巻一枚でふるえていなければならぬし、十人の説教強盗にはいられたよりも災難だ。
 ただのストームというのは、やたらに騒々しい、単細胞の権化のごときデタラメのエネルギーの発露である。深夜、朴歯をはき、ホウキをふりまわし、せい一杯の声でデカンショをがなりたてながら、寮じゅうの廊下をねって歩く。いや、とびはねてゆく。朴歯で廊下を蹴り、あるいは手に持って打ちあわせ、ホウキ、ボウ切れでそこらじゅうを叩き、いかにしてもっとも凄まじい音響を立て、惰眠をむさぼる奴輩(やつばら)を覚醒させるかという狂宴である。
 いま追想してみると、なんたる天下一品のバカ騒ぎ、よくもまああんな真似をしたものだと我ながらあきれかえるが、当時は易々とその熱狂の渦の中に巻きこまれたもののようだ。また、こちらは寝ていて、幸いストームに室内に侵入もされず、目覚めて寮の辺りで、「ヨーイ、ヨーイ、デッカンショー!」という唄声が遥か彼方から伝わってくると、なにか哀愁を帯びてもいるようで、やはりいいものだなと思ったりしたものだ。(P-42)

 後略