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「土着と反逆―吉野せいの文学について」 杉山 武子

2015年02月12日 00時19分42秒 | 雑学知識
 「土着と反逆―吉野せいの文学について」 杉山 武子 著 出版企画 あさんてさーな 2011年

 第四章 寂寞を超えて―渋谷黎子の生と死

 プロローグ

 1986年元旦、この年の誕生日で満37歳になる私は、少し前から37歳という年齢にこだわってきた。それは数年前に読了した高群逸枝(たかむれいつえ)の自叙伝『火の国の女の日記』の鮮烈な印象からきている。その本の余韻がふとした意識の切れ目から、思わぬ強さで立ちのぼってくるのである。私の内面をのぞき見るかのように――。

 高群逸枝が世間との交渉を断って「森の家」に引きこもり、女性史の研究という壮大な志を実行に移したのは、1931年7月1日、37歳の時であった。後日逸枝はこう回想している。

 私には、私のあわれな仕事はじめの日のことが、その後長い歳月がたっても忘れられない。――仕事場はできたけれども、五坪の書斎のまんなかに、三尺の机をぽつんと置き、『古事記伝』(本居宣長)を一冊のせて坐ったとき、書架や書庫にはまだ何一つなく、金もなく、多難な前途がしみじみと思いやられた日のことが。(『火の国の女の日記』)

 研究生活に入って、逸枝が最初に取り組んだのは日本の「母性系の研究」であった。その背景には、逸枝の鋭い現状認識からくる内的必然があった。

 中略

 逸枝はこのような状況に対する長年の疑問と憤りを率直に述べ、自分の女性史研究、わけても日本母系性研究の動機を明らかにしている。

 以来、一日最低10時間の読書・勉強を己に課し、厳守し、27年後の64歳、ついに『大日本女性史』全六巻の完成をみた。この間の研究生活の様子は、夫・橋本憲三の献身的な援助と共に、今日広く知られるところである。加えてその生活の過程で、二人の到達した恋愛と結婚の一元的な愛の形態は、理想の名に値する一つの頂点をなしていて、今日なお新しく、魅力的である。(P-175~177)