核兵器のしくみ (講談社現代新書) | |
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●プルトニウム300キロを返還せよ オバマ政権の複雑な意思表示が意味するところ
共同通信が、米国が日本に貸与、提供?した日本が保有する「核兵器転用可能Pu」(純度90%以上)の返還を強く求め、政府も応じる方向で話し合いがなされている事を、次のように報じている。
≪ 米、日本にプルトニウム返還要求 300キロ、核兵器50発分
核物質や原子力施設を防護・保全する「核セキュリティー」を重視するオバマ米政権が日本政府に対し、冷戦時代に米国などが研究用として日本に提供した核物質プルトニウムの返還を求めていることが26日、分かった。複数の日米両政府関係者が明らかにした。
このプルトニウムは茨城県東海村の高速炉臨界実験装置(FCA)で使う核燃料用の約300キロ。高濃度で軍事利用に適した「兵器級プルトニウム」が大半を占め、単純計算で核兵器40~50発分程度に相当する。
日本側では返還に反対する声も強かったが、米国の度重なる要求に折れて昨年から返還の可能性を探る協議が本格化している。 ≫(共同)
米国でもプルトニウムは持て余している筈であり、無用の長物、謂わば「ゴミ」を返せと云うのも違和感がある。先ほど、色々と調べてみたが、世界のプルトニウム保有国は、概ねこの始末に苦慮している。米国が日本に与えた、または貸与したプルトニウムは、90%以上の純度で、核兵器転用が容易であることが問題なのだろう。しかし、何十年も前に、東西冷戦の中で、日本にプルトニウム型の核兵器製造技術を与えようと考えた歴史的経緯を考えると、米国の自己都合による、返還要求であると言えなくもない。
しかし、自国でも持て余しているプルトニウムを、わざわざコレミヨガシに返せという主張は、どこか変である。米国の純度の高いプルトニウムが不足しているとも思えないので、使い道のあるものを返せと言っているわけではない。一般的には、無用の長物である核のゴミを回収してくれるのだから、返したくないと云うのも、奇妙である。両政府が返せ、返さないと主張を繰り返す意味合いは、本来理解し難いのだが、その交渉が進んでいるという。
いっその事、英国やフランスに預けてある純度の低いプルトニウムも含め、全量引き取りを交渉したら如何なものだろう。「バカ野郎!それじゃあ原爆も作れなくなるし、MOK燃料も作れなくなるだろう。原発を一切稼働できないことになるではないか!」と怒る人もいるだろう。つまり、原爆を作りたがっている人に対する警鐘を鳴らしたのが、今回の米国政府の高純度プルトニウムの返還要求、と理解できる。ネトウヨらの発言を見ていると、タイミングが意地悪だぜ、核燃サイクルの目途立たずが、足がかりだけでも除去したいのか、民主党菅政権時代からの話なのに、なぜ今だ!等々と苛立ちと怒りを隠さないのだが、だからオバマは、コレミヨガシに事を表面化させたのだろう。
おそらく、オバマ米国政権の安倍政権に対する意思表示なのだろうが、安倍の本音は、そう思うなら思えばいい。我々はわが道を行く、と云う幼稚で短絡な開き直りが容易にできる資質を持っているので、ある意味で一層危険なシグナルになるリスクを包含している感じだ。安倍の頭や、側近たちの顔ぶれを眺めれば判ることだが、隷米思考と独立思考と云う両極が混在しており、グローバルな経済活動と国家主義的国家両立と云う“論理矛盾”は成立しうると思い込んでいるのだから、米国政府のシグナルは、安倍の国家主義嗜好(安倍の場合、思考ではなく嗜好)への依存を強くさせるだけではないのか。魚住昭氏の面白いコラムがあるので、参考添付する。
≪ 現代ビジネス:メディアと教養・魚住昭「6年後の憂鬱」
どこから聞いてきたのか、小学1年の娘が東京五輪でボランティアをやると言い出した。妻が「じゃ、英語を覚えなくちゃね」と水を向けると、笑顔で「ウン」と肯いた。 6年後、娘は中学2年。彼女の夢は叶うだろうか。私は外国人客の道案内をする娘の姿を見てみたい。ささやかな願いだが、年々老いていく身にはかけがえのない希望である。
大晦日の朝日新聞で社会学者の大澤真幸さんも希望の大切さを説いていた。「私たちはいま、理想や希望を持つことが不可能な」時代に生きている。「何のために生きているのか、自らの生を意味づける物語を描けない」。それが私たちの「閉塞感の源」なのだという。
この閉塞感から抜け出したい「猛烈な欲求」が私たちにはある。が、肝心の行く先を見いだせない。その原因は二つ。一つは「資本主義という船」を下りることができないことだ。
「資本主義はとてつもない格差を生み、善でも美でもないことを人間に要求する。この船は必ず沈む。だけど他に船はない。(中略)だからみんな必死にしがみついていて、一見すると、資本主義が信奉されているかのようにしか見えない。笑えない喜劇のような現状です」
ここまでは、さすが著名な社会学者だ、ウンウンなるほどと肯きながら読んだ。だが、続きを読むにしたがって私はどうにも首を傾げざるを得なくなった。
大澤さんによれば、もう一つの原因は「日本固有の問題で、『ここではないどこか』を目指すと必ず、アメリカという壁が立ちはだかる。アメリカは日本人にとって絶対に取り換えられない、そして絶対に失ってはならない壁としてイメージされているのだ」という。
ホントだろうか。ま、イメージは人それぞれだから、あれこれ言うのはよそう。ここでは大澤さんの議論の背景に米国という絶対的存在のイメージがあることに留意しておいてほしい。
大澤さんはさらに、冷戦終結で国際情勢が大きく変化し、米国には日本を守らなければならぬ「内在的な理由」がないことがはっきりしてきたと指摘し、こう語る。
「愛されなくなったらおしまいだという焦りや不安が、アメリカに愛されるためなら何でもやるという思考停止を生んでいる。特定秘密保護法もその文脈で理解されるべきです」
「恋人はどうやら自分から離れたがっている。秘密も打ち明けてくれない。だから特定秘密法をつくりました、さあ安心して打ち明けてと。これは国際社会に向けてのアピールにもなる。『あいつはどうやらアメリカに秘密を打ち明けられているらしいぜ』と」
これは違うと私は思った。大澤さんの考え方の根底には、日本を米国の属国とみなす対米従属論がある。そこから彼は米国依存からの脱却が「閉塞感を打ち破る第一歩」という結論を導き出していく。とてもわかりやすい図式だが、日米関係はそれほど単純明快なものではない。
たとえばもし、日本が米国の属国なら、昨年末、安倍首相が米国の反発覚悟で靖国参拝を強行した理由をどう説明するのか。日本の政治家や官僚の行動には、もっと違う「内在的な理由」がある。それは大澤さんの想定より、はるかに恐ろしくて深刻なものだ。
安倍政権の「内在的な理由」を知りたい方は、都知事選に出馬予定の元航空幕僚長の田母神俊雄さんの著書『安倍晋三論』(ワニブックス)をお読みになるといい。オビの文句は「自民党政権ではなく〝安倍政権〟でなければダメなのだ!」である。
周知のように田母神さんは'08年、「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」という内容の論文を書いて航空幕僚長を更迭された。その翌年、明治 記念館での「タモちゃんの『お礼の夕べ』」に招かれた安倍さんは「田母神さんが言ってきたことは正しいんじゃないか。こんな雰囲気が段々出てきたのではな いか」と述べ、田母神さんに熱いエールを送っている。
つまりふたりは政治的信条を共有する同志と考えていい。田母神さんの『安倍晋三論』には安倍首相のホンネがわかりやすく、しかもあけすけに書かれている。
それを一言で表すなら、日本の軍事的自立である。軍事的自立とは「憲法九条を改正し、自衛隊を国防軍として認め、在日アメリカ軍には『いままでご苦労さん』と言って出て行ってもら」い、武器輸出も解禁して軍需産業をさらに育成し、核兵器を保有することだ。
軍事的自立論には、大澤さんの言う「アメリカに愛されるためなら何でもやるという思考停止」はない。あるのは、いずれは日米安保体制を解消し、米中露などの列強に対抗して「限られた〝富と資源の分捕り合戦〟」(『安倍晋三論』)を勝ち抜こうという明確な意志である。
核兵器はそのために必須のアイテムだ。特定秘密保護法も、大澤さんの言う「(米国に)愛されなくなったらおしまいだという焦りや不安」の産物でなく、「軍事的自立」のための情報統制に必要だから制定されたと考えたほうがいい。
その文脈で安倍首相の靖国参拝も理解されるべきだろう。将来の戦争を遂行するうえで不可欠なのは、国家のために命を投げ出す国民全体の気構えである。その気構えをつくっていくことが対中・韓関係より重要だと判断したからこそ首相は参拝したのだろう。
要するに、安倍首相も田母神さんも、気分はもう戦争なのである。彼らの当面の敵はやはり中国だろう。田母神さんは「これからも尖閣諸島に中国船が領海侵犯を繰り返すようなら、過激放水活動ではなく、〝穏やかな銃撃〟で沈めればいい」と平然と述べている。
そして銃撃しても戦争には絶対にならないと言い切る。なぜなら「そもそも沈められてもいい船に、殺されてもいい兵隊で来ているのだから」だそうだ。「殺されてもいい兵隊」とは何のことか。
中国では各地区に徴兵人数が割り当てられている。だが、生活保護制度も年金制度も普及していないので老後は子供に面倒を見てもらうしか手がない。そのため親はあらゆる手段で子供の徴兵回避のために駆けずり回っているとしたうえで田母神さんはこう語る。
「そんな中国で徴兵に応募してくるのは、相当な役立たずだと思っていい。そういう人間が船に乗せられて、尖閣近くにやって来ているだけだ」
呆れるほど乱暴な議論である。しかも中国民衆への蔑視を隠そうともしない。こんな人が間違って都知事になったら、6年後の東京五輪は、日中戦争で中止された1940年の東京五輪の二の舞になるだろう。それが杞憂で終わればいいのだが、不吉な胸騒ぎがしてならない。 ≫(週刊現代1014.1月、2月号)
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