世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●世界史において、民主政治から独裁政治に変貌してしまった事例はゴマンとある

2014年01月02日 | 日記
日本人は民主主義を捨てたがっているのか? (岩波ブックレット)
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●世界史において、民主政治から独裁政治に変貌してしまった事例はゴマンとある

 暮れから新年にかけて、咳きこむ風邪にたたられ往生している。本日は、漠然と筆者が感じている、“日本人は民主主義に馴染める民族なのだろうか”と云う疑問を考えてみる。無論、生来の愚鈍さに病が重なっているので、碌なコラムになるとは思っていない。殆どが、他人様のご意見を参考に、己の頭の整理をする走り書きノートだ。

 ただ、色々と調べて行く内に、民主政治を実行していた筈なのに、国民が一時の感情に振りまわされて、独裁政治を選択してしまうと云う出来事が世界史上では、意外に多く存在する事を知った。例を挙げれば切りがないが、誰でも知っているようなものを羅列すると以下のようになる。

*事例
★古代ローマでの共和制ローマから帝政ローマへの移行。公式な主権者は元老院とローマ市民のままだが、独裁官の任期は当初の半年から終身も登場し、後のローマ皇帝は世襲も行われた。
★フランス革命での共和政へ移行後の、ジャコバン派による一党独裁の恐怖政治や、後のナポレオン・ボナパルトによる軍事独裁。
★ロシア革命での帝政崩壊後の、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキの十月革命による一党独裁と、後のソビエト連邦や多くの社会主義国での独裁(特にスターリニズムによる全体主義)
★イタリア王国でのベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党による独裁
★ドイツ国のヴァイマル共和政でのアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党による一党独裁
★大日本帝国の大正デモクラシー以後の、昭和の軍国主義や国家総動員体制


 案外簡単に民主政治を維持しながら、気がつくと独裁政治に嵌り込んでいると云うことは、驚きに値しない普遍的メカニズムなのかもしれない。麻生太郎のナチスの真似を…発言は、以下の朝日の記事を読んで貰うが、ヒトラー自身が言ったかのゲッペルスが言ったのか定かではないが、国民投票で、国際連盟の脱退は95%の支持を得て実施されただけ。国民が我々に全権を託した以上、ソ連と戦い続けるのは国民の義務である。ベルリン市民を脱出させる必要はない。彼らが選んだ選択の結果なのだから、謂わば自業自得。一見、ヒトラーとゲッペルスの名前で語られるので、頭から悪魔の言葉のように思い込んでしまうが、当時のドイツは民主政治であったわけで、国民の意志を無視して、暴力的ナチスを作ったわけではないのは事実だ。ただ、かなりの詐術は弄されただろうが、絶対的に権力を一定の勢力に預けてしまうと、起きうる事実だと云う事は念頭に置いておきたい。


 ≪ 麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細
 麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り。

 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、 そうしたものが最終的に決めていく。

 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなく いい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。  靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。 ≫(朝日新聞デジタル)


 上記の麻生太郎の話している内容がどうのこうのではなく、民主政治も一方の政治勢力とか、一人の政治家を強烈に支持するような流れが出来あがることが、独裁政治の温床にもなると云う事実を示している部分、大いに参考になる。一時は、我が国のマスメディアがこぞって「決められる政治」をキャッチフレーズに国民を洗脳していた。国会のネジレ現象が、諸悪の根源のように魔女狩り紛いの言説を垂れ流していた。当然、識者と呼ばれる連中も付和雷同していた。その結果、自民党が大勝し、石破に一回目投票で大差をつけられていた安倍晋三が派閥の論理で決選投票の結果、総裁に選出された。やっとも思いで総裁に選ばれた筈の安倍晋三だった。しかし、その後の安倍晋三の権力集中テクニックは想像を絶する巧妙さで、自民党内に、総裁に弓を引く政治家がゼロ状態を10カ月程度で完成させた。

 現在の安倍政権は、数え切れないほどの幸運の重なりと、その幸運(運の良さ)に素直に悪乗り出来る安倍晋三自身の単細胞な思考経路と直情性が、相乗的に作用した結果なのだろう。己の過去を振り返る智恵があれば、少々物事が順調に推移し過ぎて、気味が悪くなるところだが、安倍晋三には、そのような教養は皆無である。仮に、周辺の人間が、それに気づいたとしても、疎まれる意見を挟むよりは、首相の運に乗っておいた方がベターと感じているのだろう。

 一昨年末からの国政選挙で、マスメディアが諸悪の根源のように吹聴した「議会のネジレ」はあっさりと解消した。たしかに「決められる政治」が次々と実行されているのだが、マスメディアが描いていた「決められる政治」は旧態依然とした55年体制の手直し版程度を想像していたのだろう。しかし、現実は既得権勢力の温存と個人への負担増と云う棄民とも思える政策が決められた。米軍と共に戦える軍事力の枠組み整備に余念がない決められる政治をはじめてしまった。マスメディアは、あまりにも熟議を蔑にする即断即決政治に眩暈を起こし、どこかの時点で反論しようと試みるのだが、そのような機運が生まれそうなポイント毎に、マスメディア幹部は首相の宴席に呼ばれ、共同正犯の契りの血判状の確認を強要されているようだ。

 このままの流れが続いてしまえば、民主政治から独裁政治へ簡単に移行してしまうメカニズムが作動する可能性は大いにある。朝日や毎日、東京、地方紙においては、その怖ろしいメカニズムが作動する前に歯止めを掛けなければ、と云う思い出記事を書いてる記者もいるようだ。しかし、紙面の構成上は、安倍政権に寄り添う提灯記事の方が優勢だ。NHKに至っては、もう完全に政府広報活動放送局に生まれ変わっている。安倍晋三が、靖国参拝を皮切りに、中国敵視政策を更に明確にするとか、株式市場が大混乱を起こすようなハプニングが起きないと、ズルズルと民主政治が独裁政治への道を歩むことになる。その独裁政治の完成を待たずに、何らかの出来事が起きることが望ましいが、現実に起きてくれるかどうかは、神のみぞ知るなので、筆者が気をもんでも意味はない。最後に、「デモクラシーの生と死」の書評があったので参考添付する。


≪ 『デモクラシーの生と死』 by 出口 治明
 刺激的な本だ。一言でいえば、デモクラシーの世界史である。上下2巻2段組みで900ページに迫る労作だが、知らないことがたくさん書かれており、 読者を飽きさせない。本書は全体で3部に分かれており、上巻では「集会デモクラシー」と「代表デモクラシー」が、下巻では「代表デモクラシー」の続きと、 「モニタリング・デモクラシー」が語られる。デモクラシーは、要するに、貴族制、王制や帝政と共に、太古の昔から連綿と続いてきたのだ。
 第1部「集会デモクラシー」は、古代アテナイのデーモクラティアから始まる。常識的なスタートだ。そして、この言葉の語源がミケーネ文明の線文字B に遡ることが示される。さらに、著者は、バビロニアとアッシリアの原始デモクラシーに言及する。メソポタミア文明の古代の自己統治的集会が、フェニキアを経て、ギリシアへと感染したのだ。「デモクラシーの理想や諸制度が誕生して、初めて育てられたのは、西はアテナイとローマ、東はバビロンとメッカという都市で囲まれた四辺形領域の内側だ」。デモクラシーはイスラム圏で、さらに成長する。9世紀に生まれたアル=ファーラービーは、支配者公選制を主張したのである。
 著者は、史実を丁寧に押さえつつ、欧米偏重史観に痛打を浴びせる。そう、集会デモクラシーは、実は東より西へと伝えられたのだ。「東洋的専制」は、 実はフィクションであったのである。 第2部では、「代表デモクラシー」が俎上に上る。その始まりは、実は英国ではなく、スペインである。レオンのアルフォンソ9世が、1188年、初めてコルテス(身分制議会)を招集したのである。
 もっとも、アイスランドでは、930年前後にアルシングと呼ばれる代表制フォーラムが出現しているが、これは議会というよりは、最高法廷に近い。著者はキリスト教の公会議にもページを割く。(ただし、モンゴルのトイに代表される遊牧社会の議会について、一切言及されていないのは、とても残念だ)。そして、清教徒革命で、代表制統治が一応の完成をみたと説く。この動きは、新大陸に跳び移り、米国やラテンアメリカのカウディジョ・デモクラシー(有力者の統治)の歴史がかたられる。
 下巻では、フランス革命から英国のウェストミンスターモデル(議会制統治)、ネーショ ンステートの誕生、そして、ヒトラーに象徴される第二次世界大戦、総力戦によるデモクラシーの墓場へと物語は受け継がれていく。 第3部は、「モニタリング・デモクラシー」である。著者はインドから筆を説き起こす。例えば、クォーター制は、インドから始まった。ところで、モニタリング・デモクラシーとは何か。
 それは、数多くの多種多様な議会外的な権力監視メカニズムによってモニターされるデモクラシーの新しい歴史の形態であ る。サミットや(この言葉は、1944年モスクワで初めて使われた)、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティ・インターナショナル等の活動を想起してほしい。モニタリング・デモクラシーは、国家境界をやすやすと越え、驚くべき垂直軸の深さと水平軸の到達範囲を持っているのだ。
 そして、著者は、わが国の民主党政権の挫折までを含めて、1945年以降、世界のあらゆる地域で、生まれては死に、死んでは生まれるデモクラシーの生々流転を丁寧に描き尽くすのだ。 オーストラリア生まれの著者は、辺境にも目配りすることを忘れない。例えば、女性参政権の突破口はポリネシアで開かれたのだ。また、バッジェに指導されたウルグァイの実験等、まさに、本書はデモクラシーの百科全書というにふさわしい、壮大な物語だ。ただし、余りにも多くの事実が詰め込まれているので、筋を追うことが、時には難しく感じられることがない訳ではない。
 ところで、デモクラシーに未来はあるのだろうか。チャーチルの至言、「これまで次々に試されてきた他の形態はともかく、デモクラシーは最悪の統治形 態」は、これからも生き続けるだろう。著者は言う、「デモクラティックな理想は、至るところ、何時いかなるときも、謙虚な者たちの、謙虚な者たちによる、 謙虚な者たちの統治という観点で考える、と。」「デモクラシーは謙虚さで栄える」のだ。政治家や政治を志す人はもちろん、すべての市民が政治について考える時には、ぜひとも座右に置いてほしい本だ。 ≫(現代ビジネス:HONZ・出口治明)

デモクラシーの生と死 (上)
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