世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●否応なく近づくファシズム 政治が機能しない恐怖社会(追記)

2019年05月27日 | 報道

●否応なく近づくファシズム 政治が機能しない恐怖社会(追記)

結局、今の日本の流れは、片山教授が指摘する社会に雪崩を打って突き進んでいる。

その答えは、必ずしも安倍政権が目指すようなものではないだろうが、似たり寄ったりの社会が、日本と云う国に現れるのは避けられないかもしれない。

なかには、こういうファシズムと云うか、全体主義に馴染みそうな世相だから、国家主義が実現できるのではないかと云う幻想を抱くイデオロギー層もいるだろうが、彼らの思い通りになるなるとも言えない。

引用の片山教授インタビュー記事の冒頭、日刊ゲンダイ編集部が語った『権力によって民衆が「束ねられている」状態を指すという。7年に迫ろうとする安倍1強政治の下、この国はどう変わっていったのか。』と、安倍政権の力でどうこうされた部分は少ないと筆者は考える。

片山氏の論も、時代によるファシズム化が主体であり、あくまで安倍政権は、そこにいろどりを添えているに過ぎないと云うことだろう。

 いま現在、安倍政権が一強状態で権力を掌握しているように見える状態も、謂わば時代の要請(あだ花)であり、安倍政権も時代が求めた変化のための通過儀礼に過ぎない、一時のモラトリアム政権なのだと云うことだ。

つまり、いずれは崩壊する安倍一強であり、蜃気楼のような政権だったと気づく日は、それほど遠いものではないと考える。

ここから以下は、片山教授のインタビューを参考にして、筆者の考えをまとめさせて貰おうかと思う。

安倍自民党政権は、現時点で独裁政権のように見えているが、有権者の25%程度の支持の上に乗っかった危うい政権でもあるのだ。有権者、つまり主権者と言われる人々の多くが、その主権の行使を放棄している時代の権力なのだ。

つまり、有権者の25%が反政権政党に投票する行動を、何らかのキッカケで起こせば、改憲の発議どころか、政権の座を追われる可能性もあるわけだから、独裁政権とまでは言えない。

無論、その何らかのキッカケが中々起きず、一時のあいだファシズム体制が構築されたように思える時期が来ることもあるが、歴史から見れば、瞬間的現象だと言えるだろう。

片山氏が言うように、政治が、現実を無視して、維持が不可能になっている自由主義経済と民主主義と福祉国家の接続可能性を主張して政党のベースを作っている限り、その政党はフェイクなのである。

そういう意味では、将来の日本の姿を包含したイデオロギーを持ち合わせている政党は日本共産党だろうが、現時点ではなまくらな印象だ。

これからの時代は、不幸の負担をどのように分配するか、そういうニヒルな政治が求められるわけだが、国民の空気が、それを言ったら、即座に“否定”するもののようだ。

国民の間に階級らしきものが出来つつある現状では、真実をどのように捉え、愚かな国民を騙しながら誘導する、神の手のようなものが必要になる。

金持ちではないが、貧困と云うほどでもない幸福だと思える社会。このイメージを訴える政党が出てくるまで、日本の政治は、国民の心から乖離するに違いない。

 市場原理主義で、経済成長を謳う政党であるなら、それらの幻想につきあう国民だけの政治の時代が続くのだ。

また、加えて言うならば、世界がそっぽを向き始めた米国と云う国との距離を、どのようにマネージメントするかと云う問題にも向き合わざるを得ない。

しかし、現状では、日本共産党といえども、対米自立の旗幟を鮮明にしているとは言えないのが現状だ。


≪片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる

この国は再びファシズムに侵されている――。現実を鋭く分析した思想史研究者の対談集「現代に生きるファシズム 」(小学館新書)が話題だ。第1次世界大戦後のイタリアで生まれたファシズムはヒトラーのナチズムとも、中国や北朝鮮の全体主義とも、ロシアのそれとも違う。権力によって民衆が「束ねられている」状態を指すという。7年に迫ろうとする安倍1強政治の下、この国はどう変わっていったのか。






◇  ◇  ◇  

 ――ファシズムはどの程度まで進んでいますか。

 数字で示すのは難しいですが、かなりファシズム的状況にあると言っていいと思います。独裁政党こそありませんが、野党は与党に似たり寄ったり。保守主義的で、資本主義の延長線上に立って「この国をもう一度豊かにします」と幻想をうたっている点では、共産党以外の野党は与党と変わらない。

 ――国民に選択肢がないと?

 自動的に大政翼賛会化しています。55年体制のような与野党のイデオロギーの差異がない。思想や政策に十分な相違がないとすれば、有権者は同じことをやるなら経験を積んでいる政党の方が安全と考える。だから、安倍首相が面目を失うことがあっても、「悪夢のような民主党政権」とリフレインすると、一定数の国民がリセットされてしまう。現政権の方がマシだと考えて、失敗が棒引きになる。左派が警戒する憲法改正などしなくても、戦後民主主義の常識とは異なるフェーズに入っていることを深刻に認識する必要があります。

■没落する中間層が“希望の星”にすがりつく  

 ――ファシズムは全体主義と混同されやすいですが、「特定の政治や経済の体制を呼びならわす言葉ではないと考えるべき」「体制論ではなく情況論の用語」と指摘されています。

 個を原則的に認めないのが全体主義で、個のスペースが幾分なりとも保障されているかのような幻想を与えるのがファシズムと言えばわかりやすいでしょうか。みなさんを自由にするため、夢を取り戻すため。いっとき不自由になっても我慢して下さい。これがファシズムのやり方です。しばしば不自由のままで終わるのですが。同質化までは至らず、「束ねる・束ねられる」ことをたくさん感じているときがファシズム的状況と言えるでしょう。ファシズムは社会主義か自由主義かで割り切れない。変幻自在に形を変える。精神論や右翼的な旗印が有効であれば、それをトコトンやる。国民の団結を保つために社会主義的施策が有用であれば臆面もなくやる。理屈は抜き、束ねられれば手段を問わないのがファシズムです。  

 ――右派に支えられる安倍政権が教育無償化などの福祉政策に走るわけですね。一方、国民が「束ねられてもいい」と考えるのはどういう背景が?

 資本主義の危機の時代に没落する中間層の“希望の星”としてファシズムが現れるからです。典型例はワイマール共和国時代のナチス支持者、トランプ米大統領に熱狂するラストベルトの白人労働者。もっと豊かになるはずだったのにどうもおかしい、社会のせいでうまくいかない、と感じている階層です。日本も似たような状況です。就職先は終身雇用で、何歳で結婚して子供を何人つくって、何歳までにマイホームを持って……といった従来の生活モデルが崩れた。そうすると、自由を少しばかり差し出しても、みんなで束ねられることで助け合い、危機的状況を乗り切ろうという発想になる。自由を取り戻すステップとして、束ねられることが必要だという思考に入っていきます。

■3・11でフェーズが変わった  

 ――ターニングポイントはいつですか。

 3・11でしょう。冷戦構造崩壊後、そういうフェーズに入っていく流れはありましたが、3・11が決定的だと思います。この経験でフェーズが変わってしまった。日本が災害大国だという認識は共有されていましたが、政府は対応可能な防災計画を立て得ると説明し、国民の不安を打ち消してきた。ところが、東日本大震災では日本列島全体が揺れ動き、原発事故はいまだに収束しない。その後も各地で地震が頻発している。南海トラフ地震のリスクもある。いつ巨大災害に襲われても不思議ではない状況をウソとは言えない。地震予知は不可能だとオフィシャルに認めている状況下で、われわれは明日をも知れぬ身で生きている。2011年以降、日本人は刹那主義と虚無主義に陥ってしまいました。真面目に考えても対応できない災害と隣り合わせで暮らしているわけですから。

 ――危機感の点で言うと、安倍政権は一時は中国包囲網に躍起になり、核・ミサイル開発に猛進する北朝鮮を“国難”と呼び、足元では韓国と対立を深めています。

 内政で国民に対する訴えかけが弱くなると、外に向かうのは歴史が物語っています。富の再分配といった社会主義的政策で国民のガス抜きをするには、経済成長が必須。それができない場合は非常時の持続が有効に働く。北朝鮮がミサイルを発射するたびにJアラートを作動させれば、5年や10年は簡単にもってしまう。  

 ――刹那主義、虚無主義、対外的緊張が重なればますます思考停止です。

 リアルに考えれば、この国は経済成長しないかもしれない、貧富の格差が拡大するかもしれない、社会保障はますます削られていきそうだ……。安倍政権が夢物語を喧伝しても、不安は払拭されない。さらに、AI社会になれば人間は不要とされかねない。しかし、こうした問題が国民的議論に結びつかないのは、安倍政権がだましているからというよりも、国民が厳しい現実から目をそむけているからです。国民の気分も問題なのです。なぜかというと、現実を直視しても解決のしようがないから。こうして刹那主義や虚無主義が増幅され、便乗したファシズムのオポチュニスト(ご都合主義者)的な部分がかぶさってくる。世論ウケのいい政策を次々に打ち上げ、中途半端なまま別のテーマに移っていく。  

 ――本来は、いい加減な政治に対する国民の怒りが爆発する局面です。

 声を上げ続ける人は少数派。「実現不可能なことでも言ってくれるだけでうれしい」というレベルまで国民の思想が劣化していると思います。お上はうまく統制するため、下から文句が噴き出ないようおべんちゃらを言う。それを期待する国民感情がある。上下の平仄が合っている怖さがある。「おかしい」と訴える人の声は、「平仄が合っているんだからしょうがない」と考える人のニヒリズムにかき消される。原発事故への対応、反応もそうです。嫌な話を聞いても解決できないし、東京五輪の話題で盛り上がった方がいいという雰囲気でしょう。元号が変わった、新しい時代を迎えた、お札も変わる、それぞれの花を大きく咲かせることができる……。そんなことで内閣支持率が上がる。政府の考えと国民の求めが無限にかみ合っている。終末的ですね。

■サンダース目線の民主社会主義的発想が必要

 ――流れを変える手だてはないのでしょうか。

 仮に安倍政権が倒れても、世の中がガラリと変わることはないと思います。「決められない政治」を否定した結果、政治主導の名の下に内閣人事局が設置されて官僚は生殺与奪権を握られ、官邸は霞が関の情報を吸い上げて権力を肥大化させ、戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を敷いた。「決められる政治」の究極の形態を実現したのです。唯一可能性があるとしたら、来年の米大統領選に再挑戦するバーニー・サンダース上院議員のような民主社会主義的な発想を広げることでしょう。人権を擁護し、ファシズム的なキレイごととは一線を画す社会を目指すのです。最大多数の国民がなるべく束ねられずに、しかし助け合って生きていく。人間社会の当たり前の理想を思想的にハッキリ表明する政党が大きな形をなさないとまずいでしょう。難しいですが。  

 ――民主社会主義的なプランを掲げる政治勢力が必要だと。

 高度成長が再現できれば、新たな政策実行にいくらでも予算が付き、昔ながらのパイの奪い合い政治でも結果オーライでうまくいく。しかし、もはやそこには戻れないでしょう。戻れるかのような甘言に何となくごまかされているうちに、残された貯金すら減らしているのが今の日本ではないですか。この現実認識を持てるか持てないかです。本当の現実を思い知れば、民主社会主義的な目線で考えるしかないのではないですか。最大多数の国民の人権と暮らしが守られ、人間を見捨てない国を目指すサンダース目線の政治が必要でしょう。  (聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)

 ▽かたやま・もりひで 1963年、宮城県生まれ。慶大大学院法学研究科博士課程単位取得退学。慶大法学部教授、教養研究センター副所長。音楽評論家としても活躍。著書「未完のファシズム 」で司馬遼太郎賞受賞。元外務省主任分析官の佐藤優氏との対談シリーズ「平成史 」「現代に生きるファシズム 」の刊行を記念し、6月24日午後7時から、東京・紀伊國屋ホールでトークショー開催。問い合わせは℡03・3354・0141へ。
 ≫(日刊ゲンダイ)

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