世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

●辺野古土砂投入 沖縄県民VS官邸・行政・裁判所2

2018年12月16日 | 日記
百姓一揆 (岩波新書)
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岩波書店

 

日本が壊れていく (ちくま新書)
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筑摩書房

 

崩れる政治を立て直す 21世紀の日本行政改革論 (講談社現代新書)
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講談社


●辺野古土砂投入 沖縄県民VS官邸・行政・裁判所2
(前回分含む)

どこまで沖縄を本土の犠牲にすれば満足がいくのか、日本人に尋ねたいものである。代替案や日米交渉など、工事を留保する言い訳なら、幾らでもあるはずだ。しかし、菅官房長官の陣頭指揮は、強行突破以外の考えは微塵もない。逆らうヤツの息の根を止めるのが菅の天命であるかのようだ。太平洋戦争末期、本土決戦の時間稼ぎの為に犠牲になった沖縄に対して、無惨で残虐な行為に出ている日本政府。そして、人ごとのように傍観する日本人に、良心はあるのだろうか。

助けあう日本人の中から、沖縄は外されているのか、今回の暴挙をきっかけに、考える必要がある。そこで考える中には、沖縄(琉球)独立運動と云う構図まで検討する必要があるだろう。沖縄が抵抗する手段は、当面は世論闘争。法廷闘争、知事権限行使だが、法廷闘争と知事権限行使に多くを期待することは時間の無駄と留意すべきだ。世論闘争も日本国内の世論をあてにするのは、これも時間の無駄に思える。まぁ、政府との交渉や法廷闘争よりはマシだが、多くの期待は寄せられない。

土砂投入で、安倍官邸お得意の“不可逆的”と云う既成事実を演出しているが、ダンプ数台の土砂程度で、デカイ海は埋め立ての既成事実など笑わせる。その辺の沼ではないのだ。サンゴの海に造られたコンクリートの囲いなど、ダイナマイト10本もあれば、一夜にして吹き飛んでしまう。おそらく投入した土砂は、砂塵に帰することになるだろう。誰かに、それを実行せよ等と言わずとも、安倍政権が崩壊した時、政府みずから実行する羽目になるような気がしてならない。

破壊工作でもされると慮ってだろう、日当9万円の怪しげな民間警備員を雇っているそうだが、案外、米海兵隊崩れの民間警備会社とも、日本の警備会社経由で雇っていると疑いたくなるような警備ぶりだ。案外、破壊工作模様の動きをしたら、軽機関銃のパタパタ音を立てるか、ライフルで狙撃されるのかもしれない。案外、首相官邸よりも重装備の警戒態勢にあるのかもしれない。行って試してみたいところだが、流石に命が惜しいのでやめておく。

しかし、それにしても、ここまで沖縄の民意を無視する辺野古新基地建設とは、何者なのだろう。いや、日米地位協定、日米同盟とは何者なのだろうか。敗戦国の、ドイツ、イタリアとの米軍との地位協定を比較しても、日米地位協定が、宗主国と奴隷関係を位置づけているのは日本だけだ。おそらく、大きな声では言えないが、黄色人種アジア人に対する彼らの感覚的差別なのだろう。そして、50年間、日本の政権も外務省、防衛省も、アンタッチャブル案件として、近づこうとしなかった結果だ。CIAに殺されると云う都市伝説を、政治家や役人は実しやかに語り、隠蔽に隠蔽し、幽閉状態にしているのが沖縄だ。

*つづき(迷走しながら考える)

あきらかに、安倍官邸は沖縄に喧嘩を売っている。行政も司法もかためて、怖いものなしのつもりだろうが、そう簡単に、沖縄県民が、この安倍官邸の暴挙を許すとは思えない。合理的に、普天間飛行場の返還は返還であり、バーター的に代替の飛行場を建設する意味があるのかどうか、明確な説明が政府からなされていない。説明しようとすれば、日米地位協定に触れることになり、延いては日米安保に触れることになる。

日ロ交渉においても、ダレスの恫喝が継続している状況なのがよく判る。日米同盟が足枷で、日露関係もすんなりと進まない。米国は、日本の意志に関係なく、米軍基地が作れる等と云う、超奴隷国家のような地位に甘んじている意味を、政府は国民に説明すべきだ。つまり、日米同盟、日米地位協定の、あまりにも不公平、不平等な取り決めにを白日の下に知らせるべきだ。矢部宏治氏の知ってはいけないシリーズの本を日本の全世帯に配布したいところだ。真実を届けると云うことで言えば、安倍官邸を飛び越えて、“トランプ大統領に埋め立て停止の請願”することは、合理的行動だ。

この辺野古新基地建設の動き全体を見て思うことだが、安倍官邸のやっていることは、国家ファシズムの典型なのだ。民主的な選挙で、二度に亘り“辺野古新基地建設NO”が突きつけられているのに、政府は脱法的行為で、沖縄県のあらゆる法的手段を蔑ろにして、国家権力がやると決めたら、地元が揃って反対であっても、機動隊を全国から掻き集めて、住民を監視し、暴力的にでもデモを妨害する。鉄条網は刃物付きの、極めて敵対的ものを使い、住民に牙を剥く。このような状況は、今後、放射性廃棄物の処分場問題でも、同様の国家ファシズムの強権発動になる可能性は高いわけで、日本国民の人権や私権が権力によって踏みつぶされることを暗示している。

辺野古新基地の建設は2030年になっても終わるかどうか判らず、費用も当初の見積もりとはかけ離れたものとなり、2兆円以上、場合によりと3兆円を超えると言われている。その上、日米の経済摩擦緩和の為に、使う可能性がかなり低い、F35戦闘機、オスプレイ、イージス・アショア等々2兆3兆の大盤振る舞いになっている。ざっと知っているだけでも、5~6兆円が消えてゆく。

その費用は、おそらく、金に色はついていないとばかり、消費増税があてられるわけだ。消費増税で、国民から金をむしり取り、貧乏人や老人の福祉財源を削減して、年金は減らす、負担は増やすと、もうやりたい放題なのだが、そろそろ、日本国民も怒りだしたら良さそうなものだ。来年の統一地方選と参議院選で抵抗を示す可能性があるが、それだけでは、どこか心許ない。何とか、トランプ大統領と会い、オバマが進めた辺野古新基地建設、是非、英断を持って見直してと、直訴するチャンスを狙いたい。

おそらく、安倍官邸は“緊急事態条項”の予行演習として、辺野古新基地建設をモデルケースと考えているフシがある。その意味では、米国との約束だとか、普天間基地の危険除去だとかの理屈は、どうでもいいわけで、住民の反対運動を物理的に抑え込む訓練をしている可能性も大きい。今後、安倍政権のような強権政治が続く場合、当然、民主的ルールにいちいち耳を傾けていては埒があかない、粛々と計画に合わせて、物理的に実行すると云う腹なのだ。機動隊、民間警備会社との連携、延いては米国警備会社との連携によって、住民の反対運動を、如何に封じ込められるか演習中と云う側面も見落とせない。

来年2月に行われる「県民投票」に対して、沖縄県民に徒労感を与えることが、目的の一部だという意見もあるが、おそらく、効果は逆向きに表れる可能性の方が高い。「辺野古移設が唯一の解決策」という、合理的根拠は、必ずしも明確に示すことは出来ないわけで、実は、どこでも良いのですが、国家が決めたことに逆らう自治体をのさばらせてしまうと、今後、多くの強権で、土地の接収や、強制移住など、都市集中型国家形成にける、実際のツールを確認しているのが、今の安倍官邸だ。

また、穏健に出来る、日米地位協定の不平等協定を、同じ敗戦国だが、原爆を投下されることがなかった、欧米圏国家・ドイツ、イタリアとアジア人・日本の扱いの違いを、あらゆる手段を講じて、まったく政治に興味すら示さない人々に伝達する地道な行動も効果はあるだろう。この差別的扱いをされている黄色人種・日本人と云う地位を、日本人が自覚出来るかどうか、マインド設定に訴えかける方法もあるのだろう。日本人が、「空気」に左右される人種であることを考えた場合には、米軍基地関連でシビアアクシデントを奇貨とする手もあるのだが、物騒なので文章にはしないでおこう。小説の世界では、ここまで追いこまれた主人公を救うアクシデントが発生し、一気に日米同盟のすべてを見直す国民的英雄が登場するのだが……。

いずれにせよ、国内メディアが、面白おかしくでも大騒ぎできる状況設定があれば、連日連夜、テレビはその事実報道と、その事故をきっかけに、「反米軍基地」という論調が茶の間のヒーロになる。この、反米軍基地に立ち向かうヒーロ伝説が日本国内の一大ムーブメントになればと期待するが、甘いかもしれない。喉元過ぎれば熱さを忘れる民族は、あの原発事故を経験していながら、マネー欲しさに、足元で原発を次々再稼働しているのだから。


辺野古に基地はつくれない (岩波ブックレット)
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安倍政治 100のファクトチェック (集英社新書)
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●辺野古土砂投入 沖縄県民VS官邸・行政・裁判所

2018年12月15日 | 日記


●辺野古土砂投入 沖縄県民VS官邸・行政・裁判所

どこまで沖縄を本土の犠牲にすれば満足がいくのか、日本人に尋ねたいものである。代替案や日米交渉など、工事を留保する言い訳なら、幾らでもあるはずだ。しかし、菅官房長官の陣頭指揮は、強行突破以外の考えは微塵もない。逆らうヤツの息の根を止めるのが菅の天命であるかのようだ。太平洋戦争末期、本土決戦の時間稼ぎの為に犠牲になった沖縄に対して、無惨で残虐な行為に出ている日本政府。そして、人ごとのように傍観する日本人に、良心はあるのだろうか。

助けあう日本人の中から、沖縄は外されているのか、今回の暴挙をきっかけに、考える必要がある。そこで考える中には、沖縄(琉球)独立運動と云う構図まで検討する必要があるだろう。沖縄が抵抗する手段は、当面は世論闘争。法廷闘争、知事権限行使だが、法廷闘争と知事権限行使に多くを期待することは時間の無駄と留意すべきだ。世論闘争も日本国内の世論をあてにするのは、これも時間の無駄に思える。まぁ、政府との交渉や法廷闘争よりはマシだが、多くの期待は寄せられない。

土砂投入で、安倍官邸お得意の“不可逆的”と云う既成事実を演出しているが、ダンプ数台の土砂程度で、デカイ海は埋め立ての既成事実など笑わせる。その辺の沼ではないのだ。サンゴの海に造られたコンクリートの囲いなど、ダイナマイト10本もあれば、一夜にして吹き飛んでしまう。おそらく投入した土砂は、砂塵に帰することになるだろう。誰かに、それを実行せよ等と言わずとも、安倍政権が崩壊した時、政府みずから実行する羽目になるような気がしてならない。

破壊工作でもされると慮ってだろう、日当9万円の怪しげな民間警備員を雇っているそうだが、案外、米海兵隊崩れの民間警備会社とも、日本の警備会社経由で雇っていると疑いたくなるような警備ぶりだ。案外、破壊工作模様の動きをしたら、軽機関銃のパタパタ音を立てるか、ライフルで狙撃されるのかもしれない。案外、首相官邸よりも重装備の警戒態勢にあるのかもしれない。行って試してみたいところだが、流石に命が惜しいのでやめておく。

しかし、それにしても、ここまで沖縄の民意を無視する辺野古新基地建設とは、何者なのだろう。いや、日米地位協定、日米同盟とは何者なのだろうか。敗戦国の、ドイツ、イタリアとの米軍との地位協定を比較しても、日米地位協定が、宗主国と奴隷関係を位置づけているのは日本だけだ。おそらく、大きな声では言えないが、黄色人種アジア人に対する彼らの感覚的差別なのだろう。そして、50年間、日本の政権も外務省、防衛省も、アンタッチャブル案件として、近づこうとしなかった結果だ。CIAに殺されると云う都市伝説を、政治家や役人は実しやかに語り、隠蔽に隠蔽し、幽閉状態にしているのが沖縄だ。

つづく

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●家に拘泥する自民・国家主義思想 移民政策と婚外子問題

2018年12月14日 | 日記


●家に拘泥する自民・国家主義思想 移民政策と婚外子問題

あまり深く関与する気はないが、国家神道という宗教は、異様に家にこだわる。万世一系との関係上、家父長制度が欠くべからざるツールになっていることを窺わせる。ここ最近、朝日新聞が、“未婚の母問題”に関する記事を連載している。毎日新聞も、この問題に関する記事が目立つ。おそらく、現在進行形の税制改正の話題から、この未婚の母問題、いわゆる婚外子問題がクローズアップされているのだと思う。現時点で、上述の、家父長制度云々という論点までは書いてあるものもない。

ゆえに、意図的に、今夜はこの問題に触れておこうと思う。日本と云う国が、50年も前から判りきっていた少子化問題に、本気で取り組もうとしなかった、政治や行政の意図は、この家父長制を守りたい勢力を刺激すると云う一点で忌避していたと云うことなのだろう。家父長制を力説する国家神道勢力にとって、婚外子を容認することは、レゾンデートルに関わることであり、アイデンティティさえ危うくすると云う恐怖観念があったに違いない。本気で人口問題に手をつけると、日本会議等々の右翼団体の逆鱗に触れる可能性があったから、国難の需要なひとつから、目を背けていたと云うことだ。

しかし、皮肉な話である。家父長制に拘泥した結果、日本民族培養制度が崩れるであろう「移民」に政府が舵を切ると云う皮肉な現象を誘発させてしまった。婚外子容認、移民容認の二択を、日本会議等の右翼勢力は迫られたことを意味する。無論、安倍晋三が、外国人労働者受入と移民とは異なるものであると、必死で説明している以上、外国人労働者受け入れは、まさに、移民制度の導入と云うことになる。彼の長年の言い回しは、最近簡単に意訳できる。日米FTAをTAGなどと云う造語で誤魔化すのと同じ論法だ。

自民党は、「未婚出産の助長につながる」などと、とぼけたことを言っているが、日本会議等、国家神道、靖国神社勢力が怖いからに相違ない。象徴的に言えば、桜井よしこ先生が怖いのである。正直、未婚の母(日本人)であっても、国民の権利は存在するし、その子供にも、国民の権利は保証されるべきである。多くの場合は、日本人男性との間に産まれた子供なのだから、当然、日本人の権利がついてくるはずだ。いや、相手の男性が外国人であっても、産んだのが日本人女性であるならば、自動的に、国民の権利を享受するのは当然のことだ。その過程において、道徳的に好ましい関係でなかったとしても、日本人の女性の子供であり、日本で生まれた子供を、婚外子扱いして、国民の権利の一部を抑制するのは、憲法違反でさえあるかもしれない。

ネトウヨ連中にかかると、このようなシングルマザーが、一様に、生活保護を受け、ヌクヌクと暮らすのは許せないと騒ぎだすのは、毎度のパターンである。大前研一氏ではないが、日本会議等をのさばらせるのは、日本や韓国、中国にしかない“戸籍制度”に問題があると言えるだろう。この戸籍制度のお蔭で、多くの命が中絶の憂き目にあったことは考えるべきだ。これでは、みすみす出生率を下げようとしたことになる。根本的に、生まれた国が、その人の国であり、多くの場合、生まれた国の言葉が母国語になるわけだから、差別する根拠が薄弱だ。自民党議員の「未婚の出産を助長しかねない」と云う、道徳の押しつけ発言は、日本会議等へのリップサービスであり、おそらくおもねりの発言だ。

このような議論を見聞きして確信したことは、日本では、このまま進むと、労働力の不足は確実だが、婚外子の権利を容認してしまうと、国家神道系の団体の攻撃に晒されると考えた末の無作為と云うことだ。それで、今さら、労働力が不足していると言われても、責任は、揉めごとを怖れた、政治行政に責任があるわけで、彼らに、人の4,5倍労働して貰いたいものである。外遊やゴルフどころではないのだ、安倍よ、麻生よ、河野よ働け。夜の工事現場や介護の現場で汗を流せ。

結局、少子化問題は無策に帰して、移民受け入れ政策に舵を切ることになってしまった。筆者の個人的考えだが、移民による労働力の確保も、現時点では選択の一つだ。ただ、安倍政権が考えるような、労働力のバッファー的な移民受入れには反対だ。国際的非難を受けるのが目に見えている。人として、自国の国民になって貰う受け入れ態勢で、堂々と移民を受け入れるべきだ。無論、婚外子を奨励するのは、倫理的に過激すぎるだろうが、寡婦として、当たり前の待遇を、黙認的に与えるのは当然の国の責務だ。正直、個人的には、婚外子を助長して、どこが悪いのだ?と云う疑問さえある。

欧米の普遍的価値等々と言うのであれば、婚外子も問題ありませんよと云う国家的意思が必要なのではないか。最近は、子供は欲しいが夫はいらないと云う女性も増えている。多くは高学歴で高収入の女性だ。最近では、芸能スポーツ界などにおいては、混血のパワーが評価されている。誤解を恐れず発言すれば、ある特定の、子供が欲しいと思える男性陣は、早々に家庭人であることが多い。そこに生ずる子供も、日本人なのだ。この場合、不倫婚外子と云うパターンも生まれる。国家神道のような、論理的に説明のつかない日本民族の純血主義に拘泥していたら、いずれは、日本人はいなくなる。万世一系も尽きるのである。そもそも、日本民族の純血主義自体、怪しい論拠にあるのだから。


≪未婚親の支援策、自公が対立 自民「未婚の出産を助長」
来年度の税制改正で、未婚のひとり親への支援をめぐる自民、公明両党の議論が紛糾している。婚姻歴があるひとり親と同じ程度の減税措置を講じるべきだという公明に対し、自民は「未婚の出産を助長する」などと反発。合意に至らず、13日の与党税制改正大綱の決定を延期する異例の事態になった。
 「ひとり親の支援は厳しい折衝が続いている。意見の隔たりは大変に大きく、調整のめどは立っていない」。公明の西田実仁税制調査会長は12日、党内の会合でこう述べた。自民の宮沢洋一税制調査会長もこの日、「鋭意、調整を進める」として、13日に予定していた大綱決定は「できないと思う」と明言した。
 対立の発端は、配偶者と死別や離婚をしたひとり親の所得税や住民税の負担を軽くする「寡婦(寡夫)控除」。婚姻歴のないひとり親は法律上、「寡婦」とみなされず、この控除を受けられない。これとは別に、住民税が非課税になる条件も未婚のひとり親は寡婦よりも厳しく、婚姻歴の有無で税負担に差がある。
 公明がこれまで見直しを強く求め、昨年まとめた大綱では、子どもの貧困に対応する観点から、今回の税制改正で「税制上の対応」について結論を得ると明記された。
 宮沢、西田両税調会長は水面下で協議を進め、宮沢氏が妥協案を示した。自民党の反発が強い寡婦控除の見直しは避け、住民税の非課税措置の対象に児童扶養手当の支給を受けている未婚のひとり親を加えるという内容だった。だが、公明側は「住民税の支援がよくて所得税の支援ができないのはおかしい」などと反発。あくまで寡婦控除の見直しによる対応を求め、交渉は暗礁に乗り上げた。
 未婚のひとり親への支援策に必要な財源は十数億円程度。それがここまでもめるのは、憲法などと同じように両党の価値観の違いが鮮明になる問題だからだ。
 低所得層の支持者が多く、「福祉の党」を掲げる公明にとって、十分な支援策は譲れない一線。西田氏は「親にいかなる事情があるにせよ、子どもに全くとがはない」と強調する。別の税調幹部は「これでやらないなら税制大綱の信頼性が失われる」と話す。
 一方、伝統的な家族観を重視する自民税調幹部からは「税制で対応すれば、未婚のまま子どもを生むことを助長することにつながる」との異論が噴出。寡婦控除は戦争未亡人を対象に創設されたという経緯もあり、未婚のひとり親に同等の優遇をすることには根強い反発がある。「税ではなく、予算で対応すればいい」(税調幹部)という意見も多く、着地点は見えていない。(今野忍、伊藤舞虹、豊岡亮)
 ≫(朝日新聞デジタル)


 ≪未婚の不平等、産んだ私の責任か 問われる「覚悟」なぜ  
「いわゆるおめかけさん」。1985年、厚生省が国会の委員会でそう述べた。「私たちこんな風に見られているんだ」。30歳のシングルマザーは、ぼうぜんとした。反対する団体の一員だった赤石千衣子(ちえこ)さん(63)。国は、母子家庭に支給する児童扶養手当の総額を減らすため、「未婚の母」を対象から外そうとしていた。
 教育熱心な家庭だったが、父は暴力的で母と不仲だった。末っ子の赤石さんが笑顔で和ませる役回りだった。東京大学で社会学を学んだが、生き方に悩んで就職しなかった。アルバイトをしながら演劇研究所に通っていた時、恋人との子を身ごもった。
 相手は一緒になる気がなく頼れない。一人で育てられるか不安だった。26歳で息子を産み、この世に足をつけることができた気がした。
 恋人との別れ、命の誕生。悲しさとうれしさが入り交じった。子を持つ親が共同で運営する保育所を友人が紹介してくれた。息子を通わせながら保育者として働いた。
 未婚の母への児童扶養手当がなくなるかもしれないと、保育所で耳にした。「あなたのことよ」。勧められ、同じ母子家庭の女性が集まる「児童扶養手当の切り捨てを許さない連絡会」に参加した。
「覚悟してお産みになった」
 大蔵省との交渉で、未婚の母に不利な税制について尋ねたら、「覚悟してお産みになったから」と言われた。憲法は法の下の平等を定めている。「差別がある社会だと分かって産んだ自己責任、というのはおかしい」
 児童扶養手当については、結果的に未婚の母が対象から外されることはなかった。だが、所得に応じた支給の制限が厳しくなった。その後、バブル崩壊後の離婚の増加と財政難を背景に、児童扶養手当は度々減らされそうになった。
 2002年、受給が5年を超えると08年から額が半減することが決まった。ひとり親の女性の大半は働いているが5年経てば収入が増えるとのデータはない。「連絡会」から改名したNPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」として問題を街頭で訴え、政治家や省庁へ声を届けた。07年、削減は「凍結」された。
 一方、死別の母子世帯への遺族年金は拡充され、夫がサラリーマンの専業主婦は国民年金保険料を払う必要がなくなった。男性は外で働き、女性はもっぱら育児・家事を担う。そんな「片働き世帯」に手厚い制度がしかれてきた。  
「家計と子育てを1人で担う女性は蚊帳の外。自分が生きにくいのは、男性が稼ぎ主で女性が補助的に働くという仕組みが根強いからだと論理的に分かった」
 赤石さん自身は88年、女性がつくる女性のための新聞社で正社員の職を得た。だが、同じひとり親で、少ない収入を補おうと子どもとの時間を削って仕事をかけもちし、うつ病になった人もいる。NPOの交流イベントや相談を通じて励まし合い、ひとり親と子どもたちの力がわくような政策を提言してきた。 離婚した人と同等に…
 長年、見直しを求めてきた問題に、近々一つの結論が出そうだ。配偶者と死別・離婚した人の税負担を軽くする「寡婦(夫)控除」。ひとり親でも結婚歴がなければ対象外。所得税や住民税が重く、子どもが育つ環境も左右される。これを改めるか、与党税制調査会が議論してきた。
 今秋、赤石さんらのNPOは未婚のひとり親にアンケートを実施した。相手と別れた経緯は、妊娠を知ると去った、婚約を破棄された、など。税金が高く、子どもに我慢させている実情が浮かび上がった。結果を公表し、理事長の赤石さんが「離婚した人と同等に寡婦控除を」と訴えた。ネット上で「相当の覚悟でひとり親になったのでは」と厳しい反響が相次いだ。
 「男性の問題でもあるのに、なぜ、相変わらず女性の覚悟が問われるのか」
 結婚や出産をするか、しないか。生き方の違いで不平等にならない税制や社会保障を国に求めてきた。そうした訴えは、10年ほど前から子どもの貧困問題が注目され、世論に少し届くようになったと感じる。寡婦控除もそうだ。
 「子どものため、という理由だと政策が動く。シングルマザーの生き方が認められるのはまだ難しい」  活動を続けたのは「行きがかりだった」と赤石さんはいう。それでも、ひとり親の実情に沿った支援が評価され、企業や自治体と協力する機会が増えた。寄付が集まり、母子家庭の子どもに贈る入学祝いは今年度、1500万円規模になりそうだ。「やっていることを伝え、意義を感じてもらえれば共感が広がる。社会とのコミュニケーションが大事です」(中塚久美子)    
  ◇
【ひとり親家庭をめぐる出来事】
1961年 ひとり親世帯の子どもの福祉を図る児童扶養手当法制定
84年 手当の支給対象から未婚の母を除外する改正案
85年 法改正。未婚の母が支給対象に残る一方、所得によって減額する制度が導入される  国民年金法改正。母子家庭への遺族年金が拡充され、夫がサラリーマンの専業主婦は保険料を払わず国民年金を受け取れる制度に
87年 札幌市で困窮した母子家庭の母が餓死する事件  税制改正で配偶者特別控除創設
94年 「児童扶養手当の切り捨てを許さない連絡会」が「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」に改称
2002年 離婚の増加にともない、児童扶養手当の給付額を抑えるため、国は就労相談など自立支援を強化。手当の所得制限と支給額を見直す。
08年以降、受給開始後5年を過ぎたら額を半減すると決定(07年に凍結)
10年 父子家庭も手当の対象に 12年 赤石さんが取材に協力したNHKドラマ「シングルマザーズ」放送。児童扶養手当削減に立ち向かっていく物語
13年 子どもの貧困対策法制定
14年 父子家庭も遺族年金の対象に
16年 児童扶養手当の第2子以降の加算が増額される
18年 未婚のひとり親も寡婦(夫)控除の対象に加える見直し案を厚生労働省が税制改正要望に盛り込む
19年 年3回まとめて支給されている児童扶養手当の支払いが年6回に
 ≫(朝日新聞デジタル)


≪未婚の出産「助長」…僕は、生まれてはいけなかったのか
死別や離婚のひとり親と、結婚歴のないひとり親を同様に支援すれば「未婚の出産を助長する」。税制をめぐる議論の中で、自民党はそう主張した。未婚の母子家庭で育った男性は「僕は、生まれてくることを阻止されなければならない存在だったのか」と苦しむ。
 大阪府箕面市の渡剛さん(29)は13日朝、未婚のひとり親に、死別や離婚の人と同じ寡婦控除を適用することに自民党が反発しているというニュースを、ネットで読んだ。目に飛び込んだのは「助長」という言葉。これまで、ひとり親家庭の出身だということを恥じたことはない。だからこそ、29年間生きてきて初めて経験する苦しさを味わった、という。
 「自分たちのような、未婚のひとり親の家族に命と暮らしがあることを、見てくれていないんだと思った」。実情を知った上で、どう支援するかや、寡婦控除を適用した場合に必要な予算で他によりよい支援があるかなどが議論されるなら、理解できるという。それが、悪いことだととがめるような「助長」という言葉で切り捨てられ、納得がいかない。
 渡さんは熊本市出身。祖母、兄2人との暮らしを、母が働いて支えた。兄の借金や祖母の介護で生活が苦しくなり、高校3年生の時には「死にたい」と母に手紙を書くほどだった。
 「もし経済的にゆとりがあれば、母親ともう少し一緒に過ごせ、話ができたかもしれない。死を考えるほど追い詰められなかったかも」。その秋、会ったことのない父が亡くなり、遺産が入ったため大学に進めた。
 現在、ひとり親世帯で育った経験を生かし、困窮している家庭の子どもへの学習を支援するNPO法人あっとすくーる(箕面市)の理事長を務める。大阪府と兵庫県内の計4カ所で、自治体とも連携して小学生から高校生まで約250人を支援する。
 「自分では苦労があっても頑張ってきたと思っていた。でも、親が未婚だからと、生まれてきて待っているのが社会からの否定だなんて、せつない」(中塚久美子)
 ≫(朝日新聞デジタル)

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●世界的反グローバルの波 そんな中、新自由主義に走る日本

2018年12月13日 | 日記
戦後と災後の間 ─溶融するメディアと社会 (集英社新書)
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もう、きみには頼まない (安倍晋三への退場勧告)
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ベストセラーズ

 

市場の倫理 統治の倫理 (ちくま学芸文庫)
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筑摩書房


●世界的反グローバルの波 そんな中、新自由主義に走る日本

ブレグジット、トランプ政権、EU反緊縮の波、マクロンの迷走、メリケルの衰退‥等、世界では、いき過ぎたグローバル経済体制の弊害に気づいた庶民層からの抵抗と悲鳴が、国政選挙の結果として反映されることが明確になっている。それはそうだ、マネーがマネーを引き寄せるグローバル経済体制によって、世界の富の30%近くが、0.01%の人間に集中するのでは、庶民は堪ったものではない。各国政府が、その弊害の是正に、多くの政策を盛りこんでも、本質的ムーブメントを変えることは困難で、格差は拡大の一途をたどっている。

一大イデオロギーとなったグローバル経済体制は一時、世界を制覇したかに思えたが、トマ・ピケティの『21世紀の資本』以降、潮流が変わった。2011年オキュパイ・ウォールストリート活動にも大きな影響を与え、リベラルの主張と呼応し、バーニー・サンダース現象なども惹き起こした。この、あまりにも横暴で、金融資本の動きを後押しし、節操なく貧富の格差を生みだす、新自由主義的なグローバル経済体制は、春の宴の終焉が近づいていることを示唆していた。

階層的に、99%の市民と認定された人々は、半市民であり、準奴隷と云う扱いで、それらの国家に帰属する奇妙な世界秩序が出来つつある進行形の中で起きている。新自由主義の学者・竹中平蔵などは、99%にもチャンスは与えている。能力さえあれば、1%に属することが可能なので、社会的階層などは幻想で、努力ひとつで、市民になれるし、奴隷からも解放されると。しかし、万に一人が救われるシステムは、社会的システムとは言えないのである。それは偶発的現象に過ぎない。

ナショナリズムと云うものは、国家や民族があるかぎり、常にその国や民族間に存在するものである。問題は、それが内的なものか外的なものか、或いは、他の存在への攻撃性か、寛容性かがある。本日は、このナショナリズムの概念に関する議論は省略するが、グローバル経済体制に対して対峙する概念が、国家主義的考えで、トランプ大統領は保護主義、一国主義を主張しているわけである。無論、軍事的覇権は固持するという姿勢なので、中途半端なナショナリズムだ。いずれにせよ、世界は二分される状況で、広い意味のナショナリズムと新自由主義がギシギシ音を立てて鬩ぎあっている。

ところで、上述のような世界の流れの中、コウモリのように世界の潮流の中で彷徨い漂っている国家がある。恥ずかしながら、安倍政権の日本だ。TPP,日欧EPA、日米FTA、移民拡大‥等、グローバル経済体制に前のめりだ。あらかじめ決めてしまった計画は、“今さらやめられない”という、しがらみ政策国家だ。或る意味で、一時のソ連社会主義共和国連邦の計画経済のようである。つまり、テクノクラート(官僚)の強い国ほど陥りやすい過ちの方程式だ。

無論、上述の範囲であれば、グローバル経済体制堅持の国家なのだなと認定して良いのだが、どうも、この安倍政権の生まれ育ちには、ボーダレスな国家の垣根を外して、新自由主義的な経済で生きていく、そういう一貫性が乏しい側面が多すぎる。安全保障では、国家第一と保護主義なアメリカに諸手を上げて賛同している。アメリカの要求に応じて、身分不相応な装備品を購入する決定もしている。グローバル経済にもかかわらず、イランとの重要な取引は停止し、韓国との関係はナショナリズム関連問題として、慰安婦、徴用工問題は泥沼化している。

ごく最近までは、中国関係も、韓国同様に、ナショナリズム関連で、首脳同士の行き来もかなわず、冷え込んでいた。しかし、アメリカの保護主義が明確になった反動として、日中両国は、ナショナリズムを横において、グローバル経済体制の維持に奔走している。しかし、防衛省は、火事場泥棒のように、仮想敵中国を前提に、実は役にも立たない装備品を、アメリカから購入している。国際的におけるご都合主義と、官僚の描いた図面は、データを改竄してでも正当性を持たせて実行してしまう“今さやめられない”を連発。グローバリズムとナショナリズムの二頭を追い、のっぴきならない国になっているようだ。消費増税では、選挙目当ての“騙し絵”軽減策が、蜘蛛の子を散らすように乱発されている。醜悪の極みだ。


 ≪ FINANCIAL TIMES
有力な政治家はたいていそうだが、フランスのマクロン大統領も評価が真っ二つに分かれる人物だ。
 同氏を嫌う人々は、最近の一連のパリの抗議デモを見て、極めて問題の多い大統領であることが明らかになったと言う。一般国民のことが分かっておらず、傲慢で、今や時代遅れとなった新自由主義的な政策を押し進めている、と。対照的にマクロン支持派は、自分たちの英雄はこの難局を乗り切れるし、今でも国を変えるだけの力がある大統領だと主張する。だが、どちらの評価も説得力に欠ける。

 ■EU改革も国際秩序回復への期待も消える
 マクロン氏は、確かに立派な人物だ。フランス経済に構造改革が必要だと判断したことは正しいし、国際主義の必要性を果敢に主張してきた。しかしマクロン氏は厳しい現実に直面している。「黄色いベスト」運動と呼ばれる暴力的な抗議活動により深刻な打撃を被っているうえ、そのために早々と政策を撤回したことで彼の指導者としてのイメージも傷ついた。

 実際、この1週間の出来事によってマクロン政権は骨抜きになり、当初の公約を実現することは難しくなる可能性が高い。

 その理由を理解するには、マクロン氏の政策のカギを握る「国内の経済改革」「EU(欧州連合)の統合深化」「国際秩序の在り方」という3つの要素について考える必要がある。これらの要素は互いに関係し合っている。

 マクロン氏がフランスを改革できるという力をしっかりと見せることができれば、ユーロ圏共通予算構想の実現という統合深化への重要な一歩に向けてドイツを説得することができるという期待があった。そして、EUの改革が進み、EUがより結束した強固な存在になれば、現在、米国から中国に至るまで世界中で復活しつつある国家主義の勢力を押し戻すことができたかもしれない。だが、マクロン氏の国内改革が困難になれば、彼が国際社会でなし遂げようとしていた計画も頓挫することになる。今起こりつつあるのは、まさにそういうことだ。

 マクロン支持派の人々が、同氏は既に複数の重要な改革を実現してきたと指摘するのは正しい。フランスの硬直化した労働市場の改革をいくつか押し通し、これにより雇用の創出は容易になったはずだ。強い力を持つ国鉄労組からも重要な進展を勝ち取った。しかし、こうした改革によって生まれた、さらなる改革も進められそうだとの機運は、今や失われてしまった。燃料税の引き上げは撤回せざるを得なくなった。マクロン氏は恐らく、デモの参加者をなだめるべく、今以上に甘い妥協策を約束することになりそうだ。

 さらに深刻なのは、将来のために計画されていた重要な年金・医療制度改革の実現ももはや難しそうなことだ。そのため、フランス政府の規模を縮小し、財政を立て直し、経済を再び成長路線に乗せるという目標の達成も難しくなると思われる。

 それどころか歴代の仏大統領と同様に、マクロン氏も国民の抗議デモを前に改革を断念した大統領として名を残すことになりそうだ。減税と公的サービスの充実の両方を求めるという本質的に矛盾したフランス国民の問題は、解決されそうもない。

 むしろ事態はさらに悪化する可能性がある。抗議活動と街頭の騒乱は何カ月も続く可能性があり、そのことが危機が永続するのではないかとの雰囲気を生み出しているからだ。また、各都市の騒動が早々に終息しても、今や極右か極左の次期大統領が誕生する危険性は明らかに高まっている。

 ■マクロン氏の苦境を喜ぶトランプ米大統領
 フランスのこうした事態を目の当たりにして、ドイツがマクロン氏が描く野心的なEU改革に同意することはもはやないだろう。10年に及ぶ南欧諸国の経済危機を通してドイツの政治家たちは、自国の納税者からはあまり働かないように見えるユーロ圏内の債務返済能力の劣る国々を支えるためにドイツの納税者の資金を出し続けることになりかねない「財政移転同盟」的な制度には、非常に懐疑的だからだ。

 マクロン政権下でフランスが活力を取り戻し、成果を上げていたなら、ドイツ(およびオランダなどの北部欧州の国々)のこうした懐疑論を抑え、フランスが唱えるユーロ圏共通予算構想の実現に近づけたかもしれない。だがパリ街頭の様子を見て、フランスはやはり改革などできない国なのだ、とのドイツの偏見はさらに強まったはずだ。

 もっとも実のところ、黄色いベスト運動が激しさを増す前から、仏独関係は冷え始めていた。ドイツ政府はマクロン氏を実現できそうもない理想を根拠もなく掲げる人物としていら立ちを深めていた。一方、フランス政府はドイツ政府のビジョンのなさと寛容な発想のなさに不満を募らせていた。

 これらすべては世界にも影響する。マクロン氏は大胆にも自らを「反トランプ」と位置づけ、国際協調主義の旗手を自認していた。米国が離脱した気候変動に関するパリ協定の擁護も積極的に訴えてきた。撤回したが、燃料税引き上げも、気候変動対策に積極的なマクロン氏の考えから誕生したものだった。

 また、マクロン氏は11月にパリで開催した平和フォーラムで、その数日前に自分をナショナリストだと宣言したトランプ米大統領を名指しこそしなかったが、国家主義者はよくないと批判した。トランプ氏は今、マクロン氏の苦境を楽しんでいるらしく、ツイッターに「フランス中で抗議活動と暴動が起きている」とうれしげに投稿した。疑わしい話だが、フランスでも「我々もトランプがいい」とシュプレヒコールを連呼する人々がいると同氏は書いている。

■フランスを率いるのは不可能な仕事
 しかし、トランプ氏はフランスではなく米大統領官邸にいるという点で幸運だ。フランスという国を率いることは、誰がやっても不可能との様相が強まっているからだ。歴代大統領も、やり方はそれぞれ違ったが、みな国民に嫌われ退任した。サルコジ元大統領は「派手すぎる」と非難され、オランド前大統領は「あまりに凡庸」と責められ、今、マクロン氏は「偉そうにしすぎる」と批判されている。

 マクロン氏が、このフランスで繰り返される陰鬱な悪循環を打ち破っていたなら、国際社会での信頼度は急上昇していただろう。自由主義的価値観の世界的擁護者となっていたかもしれない。世界は今、そうした擁護者を切実に必要としている。

 しかし、もはやマクロン氏が世界を救える見込みはほぼなくなったようだ。大統領の座を守れれば御の字だ。
 ≫(By Gideon Rachman (2018年12月11日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 https://www.ft.com/



 注:ナショナリズム
民族や国家の統一・独立・発展をめざす思想や運動。国民主義、民族主義など場面によって異なる訳語を当てる必要がある。
人は生まれ育った地域やそこの文化、生活習慣に対して愛着を持つものである。ナショナリズムは、そうした自然な感情の延長線上にあるが同じではない。
なぜなら、ナショナリズムにおいて愛着の対象とされる国家とは、せいぜい17世紀以降、日本では19世紀後半にようやく形成されたものであり、ナショナリズムはそのような国家によって人為的に強調、注入されたものだからである。
中国など、国民統合に苦労する各国の例を見れば、国家への忠誠を引き出す上で、今日でもナショナリズムは有効な手段であることが分かる。
近年、戦後の日本ではナショナリズムが抑制されてきたという議論が広まり、そのことが歴史の見直しや憲法、教育基本法改正論議につながっている。
人為的な契機があるにせよ、ナショナリズムの感情を消去することは不可能である。他方、偏狭なナショナリズムが高まると無益な国際紛争が激化したり、国内の自由な政治論議が抑圧されたりすることも事実だ。
開かれた、寛容なナショナリズムを作り出すことが重要な課題である。
 ≫(朝日新聞:知恵蔵―(山口二郎 北海道大学教授 / 2007年))


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●金持ちから「税」をとれ 株高演出、犠牲になる庶民生活

2018年12月11日 | 日記
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●金持ちから「税」をとれ 株高演出、犠牲になる庶民生活

以下は、大村大次郎氏が語る、日本のだまし絵のような税制(消費税中心)についての論考だ。筆者は、そのすべてに同感と云うものではないが、概ね、同氏が主張する日本の歪んだ税制についての主張に同意出来る。問題は、消費税が必要かどうかと云う議論もさることながら、高額所得者への課税問題が、まず先にありきだと思う。

それでも税収が少ない時、消費税もひとつの選択肢にはならざるを得ない。ただ、まず始めるべきは、配当所得への適正な課税。分離から総合課税方式への変更だろう。個人的考えだが、源泉徴収制度の廃止、全国民所得申告制度の導入の検討が必要に思う。

また、法人税の減税も見当違いな企業優遇策だが、これも是正されるべきだ。減税分、その多くが内部留保に回るようでは、国の経済活性化目的は、まったく達成されない。今や、日本の企業役員も、欧米並みの報酬を取るようになったが、四半期ごとの収支に翻弄され、日本企業独特の長期的視野が失われ、3カ月単位で利益を追い求めなければならない状況に、自らを追いこんでいる。

本来であれば、50年、100年後をイメージした“国のかたち”と云うものがあって、その為には、どのような税制が妥当か考えるべきだが、イメージと云う作業が得意とは言えない、人々がいる限り、一部の計画立案者の“やらずボッタクリ”な政策の下、生きていくことになりそうだ。となれば、国の仕組みのあらゆる分野に、一つ一つ、「人権」と云うワードを下に、分析してゆくのも1つの改善方法なのだろう。

ご存じのように、新自由主義経済と云うものは、マネーの動きを良くするためだけに考えられた経済政策だ。マネーや、それを動かす主体・企業にも人格と云うものがない。この人格なきモノどもが、人格ある人間の上にいる構図だ。チョッと考えただけで、人の営みとは無関係な社会構造が見えてくる。この動きが加速している現在、社会に階層を生みだし、重大なひずみを生んでいる。サドマゾの関係のように、これでもか、これでもかとサドがマゾに向かって鞭を打つ構図に似ている。

余談になるが、安倍の政策と云うより、常にマネーが株式市場に流れ込み、株高が演出される効果が絶大なのが、株式の配当所所得税が分離課税になっていることだ。配当金に対しての課税は、所得税15%地方税5%で20%課税されるのだが、年収10億の人も、500万の人も、20%で済むのだから年収10億円の人に断然有利なわけだ。銀行利息が0状態に張り付いている状況では、富裕層が株式配当で資金の運用を考える状況を作りだしている。最近の配当金は、常に右肩上がりで、年3~8%の配当が多く、高利回りと云う認識がある。子のメカニズムもアベノミクスにおいては、株高演出に大きな見せかけ効果を生んでいる。

しかし、国民全員がマゾなわけがないので、どこかの時点で、何らかの形で強い抵抗を示すだろう。その閾値が、どの辺にあるかは判らないのだが、必ずある。新自由主義者に乗っ取られた経産省が、日本と云う国の多くの面の仕切をしているわけだが、計画の多くが頓挫している。日銀の異次元緩和から連なる一連の経済政策全般を、経産省が主動した。しかし、今年度のGDPは、昨年の高下駄の再現は出来なので、実質マイナス3%程度になりそうだ。まぁ、日本の実態を表すには良い数値だ。

経産省主導の経済財政政策が長く続く中で、消費税だけが上がり、法人税や所得税が減ってゆく現象は、あきらかに内需を冷え込ませる。これからもそうであるように、今までもそうだったのだから、消費が伸びる要素はすべて摘み取られている。こう云う状況で、インフレターゲットなどと叫んでいた人がいたが、最近はインフレと云う言葉さえ口にしなくなっている。中高年は倹約することが趣味化している感じだし、若年層は贅沢することは、生きる上で致命傷と知って生きている。つまり、絶望を既に肌で感じているのだろう。

我が国のGDPは、8掛けの実力と考えた国づくりが必要なのだ。今の、安倍官邸や経産省、経団連が考える、実力×1.2倍のような感覚がすべての間違いの元だ。胸に手を当て、誠心誠意考えてみるべきだ。ところが、これらに関連する人々には、誠実さが欠けている。今が良ければ、自分さえ良ければの精神マインドしか持ち合わせていないので、極めて刹那的で、話すだけ無駄骨の感もある。階層社会で生きることを強いられた人々には、静かで冷たい絶望だけが、あるのかもしれない。おそらく、マグマが溜まることもないだろう。


≪元国税が暴露。「消費税は社会保障のため不可欠」が大ウソな理由
■消費税についてもう一度ちゃんと考えてみよう
先月、安倍首相は、来年からの消費税の増税をついに表明しました。これに対して、世論はほとんど反対しませんでした。国の必死の喧伝が功を奏してか、今となっては、消費税について文句を言う人はあまりいません。国のやることには文句ばかり言っている朝日新聞でさえ、社説で「消費税増税やむなし」と書いたほどです。

私は、なぜ消費税がこれほど国民に受け入れられているのか、不思議でなりません。消費税というのは、欠陥だらけの税金なのです。それは、税金を専門とする学者の多くがそれを指摘しています。御用学者以外の税金学者のほとんどは、消費税に反対しているのではないでしょうか?

日本人というのは、根の部分で国の指導者を信じ切っているところがあります。国の指導者の悪口を言ったり、叩いたりすることは大好きだけれども、根本の部分で、「まあ、少しくらい悪いことをしても、基本的にはちゃんと国のことをやってくれているだろう」というふうに思っているようなのです。

しかし、財政、税制に関する限り、そういうことは絶対にありえません。そもそも二世議員、タレント議員ばかりの政治家が、専門性を要する税金のことについて適切な対応ができるわけはないのです。財務官僚は財務官僚で、自分の目先の「安定財源」のことしか考えていません。財界は財界で、自分の利益のことしか考えていません。つまり、国の指導層の中で、国の将来のことや、社会全体のことを考えて、税制、財政を制度設計している人など、誰もいないのです。

それは、今の日本の現実を見れば、明らかです。少子高齢化は50年前からわかっていたことです。待機児童問題は20年前から国民の大問題だったことです。が、何十年もの間、誰も適切な手を打っていません。国の行く末を揺るがすような大問題が半世紀以上も放置されてきたのです。

 ■「社会保障のため消費税は不可欠」というウソ
消費税というのは、まずその存在意義そのものについて大きな疑問というか嘘があります。消費税が創設されるとき、国は「少子高齢化のために、社会保障費が増大する。そのため、消費税が不可欠」と喧伝しました。でも、実際消費税は、社会保障費などにはほとんど使われていないのです。

では、何に使われたのかというと、大企業や高額所得者の減税の穴埋めに使われたのです。それは、消費税導入前と現在の各税目を比較すれば一目瞭然です。これは別に私が特別な資料をつかんで発見した事実などではありません。国が公表している、誰もが確認することのできるデータから、それが明確にわかるのです。

消費税が導入されたのは1989年のことです。その直後に法人税と所得税があいついで下げられました。また消費税が3%から5%に引き上げられたのは、1997年のことです。そして、その直後にも法人税と所得税はあいついで下げられました。そして法人税のこの減税の対象となったのは大企業であり、また所得税のこの減税の対象となったのは、高額所得者でした。

所得税の税収は、1991年には26.7兆円以上ありました。しかし、2018年には19兆円になっています。法人税は1989年には19兆円ありました。しかし、2018年には12兆円になっています。つまり、所得税と法人税の税収は、この30年の間に、14.7兆円も減っているのです。一方、現在の消費税の税収は17.6兆円です。つまり、消費税の税収の大半は、所得税と法人税の減税分の穴埋めで使われているのです。消費税によって、新たに使えるようになった財源は、わずか3兆円に過ぎないのです。

この現実は、誰でもすぐに確認できるものです。なのに、なぜ、世間の多くが消費税に疑問を持っていないのか、筆者としては不思議でならないのです。来年、消費税の増税は決まっていますが、その一方で法人税の減税なども検討されています。消費税の増税分が、どういう使われ方をするのか、火を見るより明らかではありませんか?

 ■日本の金持ちの税金は欧米の半分以下
「消費税は、金持ちの減税の穴埋めに使われている」という主張をすると、決まって次のような反論をする人が現れます。「日本の金持ちの税金は元が高いのだから、減税されてもいいはずだ」と。しかし、これも国の喧伝にまんまとひっかかっています。

確かに日本の富裕層の税金の「名目上の税率」は、他の欧米諸国に比べると高くなっています。しかし、日本の富裕層の税金には様々な抜け穴があって、名目税率は高いのだけれど、実質的な負担税率は驚くほど安くなっているのです。むしろ、日本の富裕層は先進国でもっとも税金を払っていないといえるのです。わかりやすい例を示しましょう。

◆主要国の個人所得税の実質負担率(対国民所得比)世界統計白書2012年版より

  日本   : 7.2%
アメリカ  :12.2%
イギリス  :13.5%
ドイツ   :12.6%
フランス  :10.2%

これは、先進主要国の国民所得に対する個人所得税負担率を示したものです。つまり、国民全体の所得のうち、所得課税されているのは何%かを示したものです。国民全体の所得税の負担率を示しているといえます。実は日本はこれがわずか7.2%です。主要国の中では断トツに低いのです。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスはどこもGDP比で10%以上の負担率があります。イギリスに至っては13.5%で、日本の約2倍です。

個人所得税というのは、先進国ではその大半を「高額所得者が負担しているもの」です。国民全体の所得税負担率が低いということは、すなわち「高額所得者の負担率が低い」ということを表しているのです。これはつまり、日本の富裕層は、先進国の富裕層に比べて断トツで税負担率が低いということなのです。日本の富裕層は、名目の税率は高くなっているけれど、実際に負担している額は非常に低くなっているということなのです。

なぜ日本の金持ちの実際の税負担率が低いかというと、日本の税制では富裕層に関して、様々な抜け穴があるからです。株の配当所得の所得税は、どんなに高額であっても15%ですむなど、富裕層には様々な税金の抜け穴があります(一つの会社の大口株主は除く)。

つまりは、日本の金持ちは、先進国並みの税金を払っていないのです。そのしわよせが、消費税となっているのです。もし日本の金持ちが、先進国並みの税金を払えば、消費税の増税などまったく必要ないのです。というより、消費税の廃止さえ可能なのです。

そして、消費が細りつづけて格差が広がりつつある日本の現状を見たとき、課税すべきは消費ではないことは明らかです。日本の個人金融資産は1,800兆円を超えて、今なお激増して続けているのです。その資産の多くは富裕層が持っているのです。この肥え太った金持ちに、ちゃんと税金を払ってもらうということが、まず日本で第一に考えなければならない税制方針のはずです。

 ■「日本は間接税の比率が低い」は本当か?
ここまで説明しても、まだこういう反論をする方がいるはずです。「日本は間接税の比率が低い。先進国はどこも間接税をたくさん取っているのだから、日本も間接税の割合を増やすべき」。しかし、この論も大きな欠陥があるのです。

確かに、日本の間接税はヨーロッパ諸国に比べれば低いです。しかし、日本の場合、公共料金やNHK受信料など「準税金」が非常に高く、国民生活の実態においては、高額の間接税を払っているのと同じ状況になっているのです。これはデータとしても明確に表れているのです。

間接税というのは、税金をモノの値段に上乗せする税金です。間接税の最大の欠点というのは、モノの値段が上がる事です。それが一番、我々の生活に直結することです。もし、間接税を上げても、モノの値段が変わらないのだったら、間接税などいくら上げてもいいわけです。つまり、間接税というのは、国民がモノの高さを我慢することによって、間接的に税負担をするという税金なのです。

となると、間接税というのは物価との関係をセットで考えなくてはなりません。もし物価がものすごく低い国だったら、消費税を多少上げても、国民の生活にはそれほど影響はしません。でも物価がものすごく高い国だったら、消費税を上げたならば、たちまち国民生活に影響することになります。で、日本は物価が高いでしょうか、低いでしょうか?

日本は、実は世界一物価が高い国なのです。世界最大のコンサルティング会社マーサーによる世界の主要都市の2017年の物価ランキングでは、東京は世界第3位となっています。1位は、最近まで内乱があり物資が不足しているアンゴラの首都ルアンダであり、2位は経済先進地域ながら人口密度が異常に高い香港です。東京は、そういう非常に特殊な地域に次ぐ物価の高さなのです。実質的に世界一物価が高いと言っていいでしょう。しかも、日本の物価の高さは、昨日今日始まったことではありません。ここ数十年の間ずっと、世界のトップに近い位置にいたのです。

ヨーロッパの先進国は、間接税の税率は確かに高いけれど、物価は日本より安いのです。だから、間接税の負担感というのは、日本より小さいのです。逆に今の日本の生活というのは、世界最高の間接税を払っているのと同じ負担感だといえるのです。つまり、日本の消費税は実質的には世界一高いのと同じことなのです。

しかし、今の消費税の議論では、全体の物価の負担感は、まったく比較せずに、単に「消費税の税率」だけを比較して「日本は間接税の負担が少ない」などと言っているわけです。消費税増税論が、いかに根拠の薄い表面上だけのものであるか、これで理解していただけたのではないでしょうか。 消費税を上げれば、消費が冷え込みます。それは当然のことです。実際、今までそうなってきました。そして消費が冷え込めば、景気が落ち込みます。消費税の導入以来、ずっとその悪循環を繰り返しです。

日本はデフレで物の値段が上がっていないといわれ続けてきましたが、実は、すでに世界一物価が高いので、これ以上なかなか物価が上がらないのは当たり前のことなのです。今の日本経済で問題なのは、デフレという表面的な数値のことではなく、収入が上がっていないのに増税ばかりが続き、消費が先細りしている、それが経済全体に悪影響を及ぼしているということなのです。金融緩和や財政投資などで、人為的に金の流れをよくして、一時的に景気をよくしても、本質的な景気回復にはつながらないのです。ちゃんと国民生活の実態を踏まえた税制、財政にしなくては、日本はいつまで経っても閉塞感から抜け出せないのです。

■消費税は格差を広げる税金
そして、消費税の最大の欠陥というのは、格差を広げるということにあります。なぜ消費税は格差を広げるのか、簡単に説明しましょう。消費税は、何かを消費したときにかかる税金です。そして人は生きていく限り、消費をしなければなりません。「自分は貧乏だから消費をしない」というわけにはいかないのです。そして貧乏人ほど収入に対する消費の比重が大きいものです。

貧乏人は所得のほとんどを消費に回すので、所得に対する消費税の割合は、限りなく消費税率に近づくことになります。たとえば、年収300万円の人は、300万円を全部消費に使うので、消費税を24万円払っていることになります。300万円のうちの24万円払っているということは、つまり貧乏人にとって消費税は、所得に8%課税されるのと同じことなのです。

しかし、金持ちは、所得のうち消費に回す分は少ないものです。だから、所得に対する消費税率の割合は非常に小さくなります。たとえば1億円の収入がある人が、2,000万円を消費に回し、残りの8,000万円を金融資産に回したとします。この人は所得のうち5分の1しか消費に回していないので、所得に対する消費税の課税割合も5分の1です。つまり、所得に対する消費税率は、1.6%で済むのです。

これを普通の税金に置き換えれば、どれだけ不公平なものかがわかるはずです。もし、貧乏人は所得に対して8%、金持ちは1.6%しか税金が課せられない、となれば、国民は大反発するはずです。しかし、実質的にはそれとまったく同じことをしているのが、消費税なのです。

「消費税は公平な税金だ。物を買った時に誰にでも同じ率で課せられるし、消費税を払いたくなければ、消費しなければいいだけだ」などという人もいます。でも、それこそ意地悪で現実離れした話です。人は消費しなくては生きていけません。そして、所得が低い人ほど、「消費をしない」という選択肢がありません。貯金をする余裕がないから、必然的に収入のほとんどが消費に充てられるわけです。貯金という逃げ道のない人を狙ってかける税金、それが消費税なのです。

税金には本来、所得の再分配の機能があります。所得の高い人から多くの税金を取り、所得の少ない人に分配する、という機能です。経済社会の中で、どうしても生じてしまう様々な矛盾を、それで是正しようということです。でも消費税は、所得の再分配と、まったく逆の機能となっています。

今回の消費税増税において、軽減税率というものが採り入れられます。だから、所得の低い人にも配慮している、という体は取られています。しかし食料品などが、わずか2%だけ安くなるというような、チャチな軽減税率では、モノの役には立ちません。ヨーロッパの間接税は、生活必需品は非課税にするなど、もっと「ちゃんと国民生活のことを考えた税制」になっているのです。

もし消費税が税収の柱になっていけば、お金持ちはどんどん金持ちになって、貧乏人はどんどん貧乏人になります。これは、単なる理論的なことだけではありません。思い起こしてみてください。格差社会といわれるようになったのは、消費税導入以降のことです。消費税導入以前、日本は「一億総中流社会」と言われ、格差が非常に少ない社会だったはずです。国民全部が、自分たちのことを中流階級だと思っていたわけです。つまり貧しい人がいなかったということです。格差が広がったのは、消費税が導入されてからなのです。

格差社会には、いろんな要因があるので、消費税だけのせいではないけれど、 一つの大きな要因であることは間違いないのです。税の専門家の間では消費税を導入すれば、貧困層がダメージを受けるということは、当初から言われていたことです。税金の常識である「金持ちの負担を多く、貧乏人の負担を少なく」ということにまったく逆行しているのです。消費税がこのまま増税されるなら、日本の将来は悲惨なものになります。

プロフィール:大村大次郎(おおむら・おおじろう) 大阪府出身。10年間の国税局勤務の後、経理事務所などを経て経営コンサルタント、フリーライターに。主な著書に「あらゆる領収書は経費で落とせる」(中央公論新社)「悪の会計学」(双葉社)がある。
 ≫(MAG2NEWS:消費税の大嘘:大村大次郎)


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