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●日本、少子化対策と口々に叫び 子供の貧困を見逃す社会観
たまには、きな臭さのない話をしてみようと思う。安倍政権においては、少子化問題は、末席に追いやられ、育児終了の女性労働力の活用なんて方向に視点が捻じ曲げられてしまった感がある。もう少子化対策なんてやっても無駄。産むヤツは産むけど、産まないヤツは、どんな支援策打とうが、砂漠の水撒きのようなもの、やめようぜ。おそらく、有識者等々の考えは、このような方向が主流なのだと思う。文明病の根本的原因もあるわけだから、その対策が弥縫策になりがちなのは避けがたい。筆者も同じ感覚は共有する。
おそらく、日本の場合、戦後の団塊世代の塊がゴッソリ高齢者になり、多高齢者社会が、相対的に少子化問題を際立たせている図式だ。これから40年も時間が流れれば、一定の安定した人口構成が実現するだろうから、たかだか40年の為に、日本の家族制度を根本的に変えるような、過ちは冒すべきでない、と云う認識もあるだろう。その意味では、半世紀だけ外国人労働者の労働力を使いたいという発想の心根も判る。5年スパン、10年スパンは、税収面、健康保険収入の面で、僅かに息がつける計算は成り立つ。このようなご都合主義で、半世紀耐え抜けば、社会保障関連のシステム崩壊も免れるのではなかろうかと云う、哲学なき技術論になっている。しかし、世界の労働市場は、社会保障関連の役人の思惑以上に、厳しい現実がある。
日本が、“おっとり刀”で参戦したアジアの単純労働市場は、既に売り手市場に変わりつつある。人材会社の説明する内容が正しければ、台湾や韓国の労働条件の方が、数段好条件のようであったりするのだか、単純労働者の確保も机上の空論になる場合もある。また、敢えて他国まで出稼ぎに行かなくても、国内で働ぎ口が増える傾向もある。30年くらい前の、アジアの国別労働環境をベースに物事を考えていくと、これで良いだろうと思った弥縫策すら、10年遅れの政策になる状況だ。つまり、労働市場はグローバルな動きによって、かなり流動的時代が続きそうなのである。そうなると、根本的人口問題、労働者不足を是正するためには、人口の根本的底上げが必要なのでは、と云う議論が欠かせない。それは、色々やったが、どれひとつとして、根本的で劇的な改善方向に向かったものはない。
ゆえに、弥縫策の選択がベターだという結論に至るのだが、本当だろうか。仮の話だが、生産人口の減少とGDPとの相関関係は、今までと同じような構造で起きる前提があるのではないか、と云う疑問も持つべきである。極論すれば、現状と同規模のGDPを維持できるとして、その時の生産人口が減少していたなら、一人当たりのGDPは伸びるわけで、必ずしも税収の減少に直結はしていない気もする。産業構造の変革で、仮に金融や海外投資、ロボット技術の革命的変革など、可能性がゼロだと断定は出来ない。
人口減少を、現在のメディアの論調に合わせて考える必要もないような気がする。筆者の感覚としては、この人口減、生産人口減と云う問題よりも、20世紀型の家族制度の中で、社会保障や福祉政策、介護等の問題を括っている観念こそ、問題なのではないか、と考える。厚労省の13年度の「国民生活基礎調査の概況」を眺めてみると、間違いなく、人口は減少している。しかし、皮肉にも、 世帯数は反比例とは言わないが、漸増傾向を示している。高齢化による単身世帯増、結婚しない・出来ない単身増、シングルママパパ家庭の増などが考えられる。いずれにせよ、7人世帯とか、5人世帯なんて時代は終わり、現状は2.51人だが、ウッカリすると2.0を切るかもしれない。
このような不都合な事実を無視して、国家の政策は役人の手間暇やポスト増に繋がる社会保障制度を増進させ、民主党政権下の「子ども手当」も、その姿を変えてしまい、役人の組織介在を増加させる改悪に向かっている。老老介護だとか、孤独死とか、一時騒ぐが、本質論の議論を聞いたことがない。特に、これからの時代に、世帯の家族数が5人乃至は4人なんて勘定で、制度設計していることが奇妙。20年もしたら、孤独死は当たり前、自己責任。老老介護の不安のある人々には、「アフラックのお任せ介護保険は如何ですか?」と云うことになるのだろう。
このように、人口構成に関する諸問題の課題の解決弥縫策が、旧態依然の家族制度を核にして行われている現実は、まったく無駄な財政支出を、中央の集権組織の役人や、それに巣食っている福祉マフィアに掠め取られているのだろう。日本の歴史的家父長制の流れ、或は儒教等の流れから、家族と云う単位による制度の成立には、それ相当の因果関係があったわけだが、その因果関係が崩壊してる時代において、家族単位の統治意識の限界が近づいていることが理解できる。このように、現実の世間と制度のずれが、多くの面の矛盾を露呈させていると認識すべきだ。また、このような流れの延長線上には、子供は、父親母親が揃っている前提で福祉制度が出来ていることによって生じる、現実との歪みも見逃せない。
以下のコラムは、わが国の「子どもの貧困率」で先進国トップレベルの16.3%に関するコラムだが、アベノミクスと狂乱株価に踊る、日本と云う国の現実であること自体、俄かに信じられない衝撃の事実だ。コラム自体の趣旨は異なるテーマに当てられているが、国家レベルで眺める場合、硬直した家族単位の問題にも直面する。人口減少は、国力の重大な問題だと喧伝しながら、生まれてきた子供が、まっとうに暮らせない、育つことも出来ない、教育も受けられない現実があるとは、呆れてものも言えない。自助努力を要求する前に、自助できる国民を育てるのは、親でもあるが、国家でもある。なにが教育改革だ。その前に普通の人間らしい生活が可能な具体的支援が先で、教育概念を弄繰り回すのは、その後の話だろう。
≪ 日本は世界トップの“働けど貧困国”? “富裕層”の連鎖と“貧困”の連鎖が加速している。
100万ドル(約1億円)以上の資産を保有する、日本の富裕世帯数は124万世帯となり、米国、中国に次いで世界3位となる一方で、「生活が苦しい」と全世帯の6割、母子世帯の84.8%が答えた。 しかも、「子どもの貧困率」が16.3%と過去最悪を更新し、これは先進国でもトップレベルだ(平成25年度 国民生活基礎調査の概況)。
子どもの貧困率が年々上昇している背景に、シングルマザーの増加や、非正規雇用の低賃金が存在していることは言うまでもない。 が、親が働いているにもかかわらず、子どもが貧困であるという現象は、世界的に極めて珍しい現象。2008年のOECDのデータでは、働いている1人世帯の子どもの貧困率は、OECD加盟国中で最も高かったのである。
つまり、働けど働けど生活は楽にならない、「努力するだけ無駄」な社会が、今の日本の姿なのだ。 いつ間にやら、グローバル化が当たり前の世の中になってしまったが、グローバル化とは、デキる人“だけ”しか生き残れない社会に拍車をかけるモノ。一部の人と企業にしか利益をもたらさない。
そして、その戦いに敗れた人たちの子どもが、貧困になる。 子どもの貧困は、学力低下や、不登校、ひきこもり、高校の中退……、最悪の場合、自殺の引き金にもなる。
子どもの自殺というと、「いじめ」ばかりがクローズアップされるが、実際には貧困が原因とされる自殺のほうが多いのだ。 2011年以降に自殺した国公私立の小中高校、特別支援学校の児童生徒約500人について実態を調査したところ、経済的困難で将来を悲観した自殺が5%と、いじめの2%を上回っていることが明らかになっている(文科省調べ)。
完全なる負の連鎖――。「日本の貧困は生きていけないほど貧しくない」などと平気で口にする人たちは、この実態をどう受け止めるのだろうか。 ブランド服に身をまとい、夏休みを海外で過ごす子どもたちがいる一方で、貧困の負のスパイラルに引きずりこまれる子どもたちがいる。書いているだけで、暗澹たる気持ちになってしまうのだが、子どもたちの6人に1人がこういった状況に置かれている。6人に1人。そう、6人に1人だ。
政府は「子供の貧困対策」の大綱案をまとめ、月内にも閣議決定するが、その内容は「6人に1人」という危機感を、どこまで感じているのか少々疑問を抱くものとなっている。 もちろんこれが、子どもの貧困解消への最初の大きな一歩になるんだとは思う。でも、子どもを育てる“親”の賃金、非正規雇用の賃金の低さ、これらも合わせて具体的に実効性のある政策に取り組む必要がある。 もっともっと危機感をもったほうがいい。
だって、子どもの貧困は、私たちの“常識”を覆す問題を生み出すまでになっているのだ。 両親の学歴や、所得、職業から、子どもたちが生まれ育つ家庭の社会的階層(Socioeconomic status:SES)をとらえ、上位、中位、下位に分類したところ、学校外での学習時間は、階層上位グループの子どもが一日あたり76.6分であるのに対し、中グループでは60.7分、下位グループでは55.4分と明らかな差があり、「授業の理解度」でも明確な階層差があった(『学力と階層』(苅谷剛彦 氏))。
が、それ以上に深刻な差が認められたのが、学習へのかかわり方、すなわち「学習への意欲」だった。 「学習への意欲」を社会階層で分析した結果、階層下位の子どもたちほど、「学習への意欲」が低いことが明らかになった。少人数授業などを取り入れ、熱心に取り組んでいる地域でさえ、階層格差に起因する「学習意欲差」を縮小するのは難しいことが、調査結果から示されたのである。
私たちは、「努力」というのは、誰もが気持ち次第でできるものだと考える。だが、それは本人の問題ではなく、子どもたちの出身階層に強く影響される「能力」だったのである。 その理由を私は、階層上位の家庭の親たちが、競争に勝った人々であることが関連していると考えている。 勝つためには、当然、努力が必要となる。
「努力」なんて言葉を使うと、根性、忍耐など同様、究極の精神論のようで、スマートに生きてきたエリートには、泥臭く聞こえるかもしれない。 だが、人は何かしら動機づけられるから、努力する。会社の出世競争に勝つため、収入を多く得るために努力し、その努力が実ったとき、競争に勝つ。 そういう親のもとで育つ子どもは、「努力する」ことの意味と、「本人の努力次第で手に入るものがある」ことを自然と学ぶ。
一方、階層下位の家庭の親たちは、「努力しても報われなかった」人たちといっても過言ではない。 働いても働いても、生活は楽にならない。生活することに必死だから、「学びたい」という欲求があっても、余裕のない生活に追われ、気持ちも次第に萎える。 “貧困の蜘蛛の巣”から、どうあがいても脱することができない人々は、「努力するだけ無駄」と、努力を放棄するようになる。
それは、子どもたちが、努力することの意味を学ぶ機会を失うことでもある。 おまけに、生活に余裕がない家庭では、仕事に忙しくて子どもと向き合う時間もない。子どもががんばってテストでいい点をとっても、「頑張ったね!」と褒めてあげる機会も制限される。 貧困という経済的な問題が、子どもとの“関わり方”にまで波及していくのだ。
小学校の先生をやっている友人が、経済的に困窮している家庭の子どもほど、授業についていけなくなると、「私バカだから、わからな~い」と投げ出す傾向が強いと嘆いていた。 「努力」のスイッチが、どこにあるのか? どうしたら、努力ができるのか? なぜ、努力しなきゃいけないのか? それらがちっともわからない。
頑張って学力を上げなければならない子どもたちほど、「踏ん張って努力する力」が低い。それが、階層格差の実態であり、見過ごされがちな重大な問題なのだ。 前述の苅谷さんは、「自ら学ぶ力=努力する力」とは、生きる力であると説く。変化が激しく、不確実性の高い時代では、この自ら学ぶ力が、 もっとも重要な力で、この力が、家庭環境の影響を強く受けることを考慮すると、「この学ぶ力の違いが、次世代にも持ち越されることになるかもしれない」と 警鐘を鳴らし、教育の重要性を指摘している。
社会の階級格差が、子どもたちの学力低下問題だけではなく、人間の本質的な力である「生きる力」に影響を及ぼすという考え方は、私の専門分野であるSense Of Coherence(首尾一貫感覚、SOC)とも、共通している。 SOCは先天的なものではなく、後天的に育まれる力で、幼少期の生活環境、親の関係性は、子どもの成長過程におけるSOCの形成に大きな影響を与える。 SOCとは、「どんな状況の中でも、半歩でも、4分の1歩でもいいから、前に進もうとする、前に開かれた力であり、「人生を生き抜くために、努力する力」だ。 SOCの高い人は、自分の人生にとって意味ある出来事、あるいは大切な出来事に関する危機に遭遇したときに、それを『自分に対する挑戦だ』と考え、「どうにかして対峙してやる。立ち向かっていくことは自分の人生にとって必要だ」 と、動機づけられ、それを必死で乗り越える。
つまり、努力することの意味も、それを乗り越えるために“努力する力”も、身に付けているのである。 「本人の努力が足りないんだよ」 「頑張るしかない。努力するしかないんだよ」 ついついこんな言葉をこぼしてしまうが、努力とは“育まれていく力”。 もっともっと「親が働いているにもかかわらず、子どもが貧困である」という事実に、危機感を持って取り組まなくてはならない。
そして、もし、「私はバカだから」「私、頭悪いから」と、言葉にならない悲鳴を上げてしまう、努力する力が低い人がいたならば、その力を育む“手ほどき”を、周りの人たちにはして欲しいと思う。 おそらくそれはとてつもなく労力のいることだし、そう簡単に上手くいくものではないだろう。
だが、「あなたは大切だ」という価値あるメッセージを繰り返し経験することは、SOC形成にとても有効である。 20歳を過ぎても、30歳を過ぎても、いくつになっても、たった1人でいいので、自分を大切だと思ってくれる人がいる、“質のいい環境”に身を置くことさえできれば、生きる力は高められる。
「私にはそんな人いない……」――。 そう嘆いている方も、是非、もう一度周りを見渡してほしい。 きっといると思いますよ。うん。きっと。少しだけいい人生にするためにも、周りを見渡してみてください。
◇河合薫 健康社会学者
健康社会学者(Ph.D.,保健学)。
千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。 気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。 2004年東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了(Ph.D)。 産業ストレスやポジティブ心理学など、健康生成論の視点から調査研究。 フィールドワークとして行っている働く人々へのインタビュー数は600人に迫る。 医療・健康に関する様々な学会に所属し、東京大学や早稲田大学で教鞭を取る。 ≫ (yahooニュース:河合薫・個人オーサーより)
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