世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

●デマゴーグとテロルの「長州レジューム」 江戸幕府の見直し

2017年07月21日 | 日記
幕末維新史の定説を斬る (講談社文庫)
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明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕 (講談社文庫)
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日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)
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赤松小三郎ともう一つの明治維新――テロに葬られた立憲主義の夢
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●デマゴーグとテロルの「長州レジューム」 江戸幕府の見直し

明治、大正、昭和、平成という日本と云う国には、なぜか日本人と云う「矜持」が失われていった。安倍と云う男の「戦後レジューム」からの脱却は、なぜか明治維新回帰になっている。英国の軍門に屈し、傀儡となり、幕府に多大な迷惑をかけ、平和で、幾分ノンビリしていた江戸幕府を、デマゴーグとテロルの恐怖政治だった幕末維新時代の明治が回帰場所なのか。なぜ、我が国の歴史の中で、概ね平和であった江戸時代(265年)に基点を置かないのか、さっぱりわからない。

いや、実際には判っている。安倍の目的は長州下級武士(相当怪しい出自者含む)が中心だった国学、松下村塾、長州・国家神道と云う、反主流派の群れに当時列強だった「英国」が長州の群れを、現在で言うところのアルカイダ、IS化させ、内乱を起こさせ、傀儡勢力を日本に確立し、日本を中国化させることだったことに起因する。

アルカイダ、ISの後ろ盾が、アメリカの軍産複合企業及びペンタゴン、CIAと利害を一致させるワシントン議会による、小競り合い的な戦争の持続可能性に他ならない。使用期限の限られている武器弾薬は消化されなければ、再生産が出来ないわけで、軍産複合企業は経営の危機に瀕する。極めて常識的に経済原理主義思想に毒されたアメリカは、そのように振る舞うしかないのが原理であり、実情だ。ゆえに、自国に被害の及ばぬ範囲でアメリカは世界中で、小競り合い的な戦争が起きることを好むと云うのが原理だ。

明治維新当時の英国も似たような立場にあった。この辺りがロスチャイルド陰謀論を生む素地になっている。まぁ、当時は、英国、フランス、ロシア、アメリカと四すくみ体制であったため、現在のアメリカ一国独裁に比べ、選択の余地があった。それでも当時の幕府は、アメリカやロシアと、それなりに意味のある通商条約を結び、インドや中国が結ばされた過酷な通商条約に比べ独立国な地位を確保していた。

早い話が、現在のシリア政府を悩ませるIS及び反政府勢力は、その発生において、すべてアメリカ政府が関与していることは、ほぼ確実な事実のようである。アメリカは、自分の足元に戦渦が及ばない限り、世界中で小競り合いが起きていることを好む体質と趨勢を持っている。薩長は、当時の英国にとって都合の良い「IS」であり、テロに次ぐテロの連鎖で、江戸市中を恐怖に陥れたと云うのが史実だと言える。江戸時代の人々も、テロや辻斬りは怖かったのだ。

当時の英国は、近代的軍艦と大砲を、薩長土肥に支援することで、費用の出世払いを画策したと云うことだ。江戸時代に貯めこんだ「国富」は、幕府は貧乏だったが、各藩はそれ相当に豊かな「冨」を持っていたわけで、収奪するに相応しいだけの富であった。士農工商最低ランクの商人も個別に富を蓄えていた。いま現在、国民は豊かだが、国家財政は火の車と云うのと似ている。この薩長土肥の連合は、早々に土肥が切り捨てられ、最後に薩摩が切り捨てられた。残ったのが長州である。

しかし、なぜ貧乏であった長州が生き残ったのか、その多くは謎だが、謎の多くは、当時の長州軍に属する人々が、心おきないデマゴーグ(生まれつきの嘘つき)とテロルを実行出来る人々の集団であったと云う解釈が妥当だろう。つまり、武士道の精神や儒教仏教と云う縛りの精神がない集団であった可能性が高いと見るべきだ。まさに、「IS」なのである。長州人は首切りが大好きだったとか、まさにISそのものだった。

沖ノ島、国家神道と云う壮大な嘘も、神道系群れの常とう手段、歴史の改竄乃至は歪曲性である。現在の安倍晋三や、その政権に群れる人々も、嘘や改ざんが大好きなようだ。ユネスコの強力スポンサーである日本政府に、世界遺産登録に関する検討で、手心が加えられたのもユネスコ陣営の「忖度」に他ならない。それにしても、普遍的価値(黙っていると、自らの嘘がばれる恐怖が常在した集団)が好きな国家神道の群れである。廃仏毀釈も嘘とテロの精神からして、見事なまでに精神と実践が合致している(笑)。 安倍晋三も、その長州の精神を踏襲し実践している。いや、国民が知らないこととは言え、それを後押ししたのは事実だ。しかし、国民も馬鹿ではない。気づけば、その危険さに、動物的感で抵抗するに違いない。

エキセントリックな明治の麻原彰晃こと吉田松陰の塾(松下村塾)と猿真似に過ぎない明治産業革命遺産が、世界遺産登録された時にはビックリこいたが、今度は、神宿る島「沖ノ島」とその関連遺産の世界文化遺産登録が決定したと云う話に及び、どこまで国家神道的勢力がのさばるのかと、呆れてしまった。沖ノ島を、国家神道や靖国神社とどのように無茶苦茶に結びつけるつもりか判らないが、そろそろ、日本人は江戸時代に範を求めるべきである。長州勢のデマゴーグと強圧政治(テロル的)からの脱却精神が肝心だ。細川護熙曰くの「腹七分目の世界」である。以下、参考になる現代ビジネスのコラムを参考掲載しておく。


≪「沖ノ島」世界遺産登録の光と影〜歓喜のウラで覆い隠されてきたもの
アジアでは絶大なブランド力を持つが…

2017年7月9日、福岡県の沖ノ島とその関連遺産の世界文化遺産登録が決定した。
:登録直前の状況については、ニュースなどでご存知の方も多いだろう。日本が申請した資産に対し、ユネスコの諮問機関イコモスは一部だけの登録を勧告した。だが、ポーランドでの世界遺産委員会で勧告がくつがえされ、申請したすべての資産が登録されることになったのである。
:勧告をくつがえしての登録は、関係機関・関係者の運動が結実したものであり、大きな成果と言って良い。他方で、歴史や伝統文化をめぐる学術・観光・政治のバランスという点では、今回の一連の動きは一考に値する。
:欧米と異なり、世界遺産はアジアでは絶大なブランド力を持つ。日本でも世界遺産に登録されたとなれば、とりあえずは人が集まる。そのため、世界遺産登録それ自体が目的となるような状況すら生まれている。
■世界遺産制度の理念
:そもそも世界遺産制度はどのような理念の下に作られたのだろうか。
:きっかけは、1960年、エジプトでアスワン・ハイ・ダムの建設が始まったことだ。ダム建設が進むと遺跡が湖底に沈むことが判明し、ユネスコの働きかけで数十ヵ国の協力が取りつけられ、大規模な遺跡移設が行われた。
:これ以降、遺跡や記念物を国際的な協力の下に保護しようという機運が高まり、1972年に世界遺産条約がユネスコ総会において採択された(1975年発効)。
:そして、1965年に文化遺産保護に関わる非政府組織として設立されたイコモス(国際記念物遺跡会議)が、世界遺産条約の採択以後、世界遺産登録審査やモニタリングなどを諮問機関として行なっている。
:まず重要なのは、世界遺産は遺跡や記念物を「保護」するための制度であることだ。観光客集客とはまったく異なる文脈に棹さしており、むしろ観光によって対象が危機にさらされる例もあるくらいだ。
:そして、こうした保護が想定されていたのは主として発展途上国であった。発展途上であるからこそ、先進国よりも開発の与える影響が急速かつ広範囲なものになりうる。それによって貴重な文化や自然が失われないように、たとえば文化財保護のための法整備なども含めた枠組み作りを促進することが目的だったのである。
:しかし、現在では、世界遺産はミシュラン・ガイドなどと同じような対象の観光的価値を保証するブランドのように見なされている。
:特に日本では、対象保護とはまったく異なる地域活性化や観光振興を目的に世界遺産登録を目指そうという運動も目立つようになってきた。世界遺産検定のような不思議なものまである。
 ■イコモスが勧告したこと
:沖ノ島の世界遺産登録について、イコモスがどのような勧告をしたのか少し振り返って見てみよう。日本側が申請した主な資産は以下の5つである(http://www.okinoshima-heritage.jp/know/)。
【1】宗像大社沖津宮(沖ノ島、女人禁制、男性も通常は立ち入り禁止)
【2】宗像大社沖津宮遥拝所(大島、九州本土からフェリーで30分弱)
【3】宗像大社中津宮(大島)
【4】宗像大社辺津宮(九州本土)
【5】新原・奴山古墳群(九州本土)
:沖ノ島は立地的に古代の日本と大陸の海上交通の要所となった島であり、それを裏づける遺物が大量に見つかっている。しかも、それらは土中に埋まっているのではなく、露出した状態で発見された。8万点もの遺物が国宝指定されており、沖ノ島は「海の正倉院」と称される。
:日本側は、沖ノ島そのものに加え、沖ノ島・大島・本土で三女神を祀る宗像大社、そして、その信仰を担ってきた宗像氏と関わる新原・奴山古墳群を「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界遺産登録を申請したのであった。
:こうした申請を学術的に評価検討するのがイコモスの役割である。イコモスは文化遺産保存の専門家から成る組織だ。建築をはじめとして、保存科学・考古学・美術史・博物館学など多様な研究者が参加している。
:イコモスが出した結論は【1】のみ、つまり沖ノ島とその周囲にある3つの岩礁(小屋島、御門柱、天狗岩)だけが登録に値するというものであった。
:イコモスが呈した疑義の一つが、宗像大社が古代からの沖ノ島信仰を継承しているという祭祀の連続性に関する主張についてであった。沖ノ島で4~9世紀頃に祭祀が行われていた痕跡はある。
:だが、9世紀の途絶えた祭祀を宗像大社が継承したという科学的根拠は見当たらないというのである。 :宗像という神社名が『日本書紀』や『古事記』に登場するという主張についても、名前が書かれているだけで、神社の場所についての記述がないことが指摘された。
:沖ノ島への信仰は、当然、本土・沖ノ島・大島での宗像大社の建立に先立つ。イコモスの評価では、前者と後者の連続性は学術的に証明できていないというのである。
:さらに、【5】の宗像氏を祀る古墳は、飽くまで地域や国のレベルに留まる遺跡であり、世界遺産の条件の一つである普遍的価値を持つものではないとしている。
:さらに、沖ノ島を語る際に必ず言及されるタブーの歴史も疑問視されている。
:沖ノ島は女人禁制であり、男子の立ち入りも厳しく制限されている。神職が島へ渡る時も全裸で禊を行う。さらに島内で見聞きしたことは語ってはならず、島の一木一草一石たりとも持ち帰ってはならないとされる。
:イコモスによれば、こうしたタブーも17世紀以降にしか記録されておらず、それほど古いものではない。
:さらに、沖ノ島や宗像大社に関連する祭りや信仰実践も、近年になって再発見されたものや、過去に断絶した実践を再解釈したものであり、連綿と受け継がれてきたものではないと評価されたのである。
:しかし、ポーランドで開催された世界遺産委員会では、イコモスの勧告がくつがえされ、すべての資産が登録された。ただし、これは学術的に疑問点が解消されたということではない。ロビー活動の成果と考えるのが穏当だ。
:世界遺産委員会では、しばしば学術的勧告が政治によって覆されてきており、イコモスを尊重すべきだという議論が委員会内部ですら生じているのである。
 ■国防の島から神宿る島へ
:イコモスの勧告がどのようなものであっても、沖ノ島や宗像大社の価値がわずかでも損なわれることはない。信仰と学術は異なる領域での出来事であるからだ。
:ただ、世界遺産登録を目指せば、自分たちの文化や伝統が学術の視点から徹底検証されてしまうことは強調しておきたい。「世界遺産化」とは、文化や伝統にグローバル・スタンダードを持ち込むプロセスなのである。
:そして、対象をグローバル・スタンダードにかなったものとして提示するため、ある側面が強調され、別の側面が覆い隠されるようなことも行われる。
:沖ノ島については、タブーに守られた「神宿る島」という側面が一貫して強調されている。他方で、同島が戦争と関わりの深い島でもあることはあまり語られない。
:沖ノ島に一般人が唯一上陸できたのが5月27日の現地大祭だ。抽選などで選ばれた約200名の男性が前日に大島に泊まり、翌朝、禊を済ませてから沖ノ島に上陸して参拝する。
:現地大祭のきっかけとなったのは、実は1905年同日の日本海海戦だ。日本の勝利を祝って本土の宗像大社で戦勝が祝われ、戦後になってから、戦死者慰霊の意味も込めて沖ノ島への参拝が行われるようになったのである。
:日本海海戦当時、沖ノ島には海軍のやぐらがあり、兵士・神職・漁民など30名ほどが戦いを目撃した。その一人で当時16歳だった少年の語りは宗像大社の『沖津宮日誌抄』にも記録され、戦後になって書かれた本人の手記も見つかっている。
:日本海海戦から1週間後の読売新聞では、島に東郷平八郎の名を冠した大灯台を建設する案が紹介されている。
:実用的なだけでなく、多くの軍艦が往来する海域であるため、「海軍将卒はその灯火を見るごとに精神的感化」を受けるだろうと論じられている(「東郷灯台建設の義」1905年6日3日)。
:本土の宗像大社神宝館には、沖ノ島の出土品と共に、東郷の発意で海軍から寄贈された軍艦三笠の羅針儀や東郷の書が展示されている。
:こうした国防の島、戦争の島というイメージはその後も継続した。
:1936年、画家・中村研一がスケッチのために島に上陸している。沖ノ島という名の水雷敷設艦が造船され、その館長室と士官室を飾るために、福岡出身の中村に沖ノ島を題材にした絵画制作が依頼されたのだ。中村は食料4日分を持って島に渡ったが、滞在が9日に延びたため、貝や海草をとって腹の足しにしたという。
:その後、第二次大戦においても、沖ノ島は国防の要として軍用地となった。島内には要塞・防備衛所・砲台・軍道などが建設された。とはいえ、これら軍事施設が造られる際には、神の島を畏怖する地元の人々からの抵抗があった。その結果、兵士上陸時の禊、島内での排泄禁止、樹木伐採や土地の形状変更を最小限に留めることなどが定められたのである。
:沖ノ島の戦時遺構については、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議が編んだ『沖ノ島研究』第2号(2016年3月)巻頭に、現地踏査に基づいた論考が掲載されている。
:著者の岡崇氏は、戦時遺構は負の遺産として重要であり、「沖ノ島の歴史と信仰を理解する上で不可欠なもの」だと述べている。同氏が指摘する通り、祭祀遺構も戦時遺構も沖ノ島が海上交通の要だからこそ存在する。それにもかかわらず、前者について語り、後者について沈黙するのは歴史文化の伝達という点で問題があるだろう。
:さらに、世界遺産登録決定から1週間もしないうちに、現地大祭の中止も決定された。国防の島の記憶を伝える数少ない実践であり、一般人が沖ノ島を目にする唯一の機会が失われたことになる。
:登録決定直後、ある全国紙に、沖ノ島の登録はGHQの影響で妨げられてきた神社への信仰や歴史文化を国民に伝えるきっかけであり、訪日観光客が神道を知っているのに、日本人がその歴史文化を知らないのは恥だという趣旨の文章が掲載された。
■あまりに素朴な感想だ。
自分たちの文化や歴史を知ったり誇ったりするのに国際機関の承認はいらない。世界遺産登録されて初めて湧き上がる程度の愛着や誇りなど大したものではない。歴史や伝統文化が安っぽい愛国に動員されて改変されることの方がよほど恥であるように思われる。
 ≫(現代ビジネス:北海道大学准教授:岡本亮輔)


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●「国民ファースト」は倒幕できるか、核心・細川護熙インタビュー

2017年07月13日 | 日記

 

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●「国民ファースト」は倒幕できるか、核心・細川護熙インタビュー

ちょいと興味深い記事を読んだ。以下の毎日新聞の細川元首相のインタビュー記事だ。 *筆者の知る限り、小池百合子は、安倍晋三以上にタカ派な保守政治家だ。核武装論容認派であり、再軍備にも前向きな政治家だ。日本会議に名も連ねていいる。だから、小池百合子が実質的に率いる「都民ファースト」、ひいては「国民ファースト(仮称)」は右翼政党だ、と云う単純な解釈ではない。

国政における政治家の立ち位置と云うものは、融通無碍な側面があるわけで、国民の思う方向性に寄り添う場合、所謂ポピュリズムなわけだが、票を集める都合上、様々な顔を持つと考えておくべきだ。つまり、矛盾する顔を平気で使い分ける自在性が必須条件にもなると云うことになる。

仮に、過去の小池百合子の政治経歴において、超改憲派で、再軍備論者で、核武装論的発言が目立つ超タカ派路線を標榜する政治家であったとしても、民主主義体制の国家においては、そのような思いのままのルペン女史のような主張を掲げて、日本の国政政党として、倒幕出来ることは、これは不可能だ。安倍のような子供じみた“お仲間政権”という、公正公平の逆張り政権を倒幕するためには、安倍自民党的なものを“ぶっ潰す”旗印が必須だ。

安倍自民政権を“ぶっ潰す”為には、公平公正、滅私奉公な見るからに「国民ファースト」な政治を目指す旗を立てざるを得ないのが現実だ。少なくとも、安倍よりは公正で公平だと思える主張が必要だ。どうしても、安倍の何倍かリベラルにならざるを得ない。守屋次官を更迭したように、小池は不正に厳しい性格なので、萩生田や家計、籠池のような輩を重用することは考えにくい。現状の都民ファーストの野田数と云う男は、当面の便利屋だろう。

そうしないと、団塊世代以上が生き残っている2025年以前の日本の政治においては、超改憲、再軍備などを引っ提げて、政権を維持し、思いを実行することは困難なのが現実だ。仮に、朝鮮半島を核とした戦争が勃発した場合でも、公正公平な政治権力構造の中で政は司られるべきと、国民の多くは考える筈だ。その時でも、私利私欲で権力を振り回す安倍自民政権よりは、公正公平に右翼的政治方向を示す政治権力の方が支持を得るだろう。

個人的には、小池百合子の「都民ファースト」そして、生まれるであろう「国民ファースト」を支持することはないが、少なくとも「安倍自民党政権」よりは、数段国民の方向を向いた政治をするであろうことは想像に難くない。裏声で君が代程度には期待する。しかし、小池も保守なので困るのだが、民進党は弱体化甚だしく、共産党にリベラル性を求めるしかないのは、何とも辛い。そう言えば自由党があるのだが、小沢一郎さんは、何らかの動きをしているのだろうか?多分しているのだろう。志位和夫と小沢一郎のツーショットが見られたのだから、小池百合子と志位和夫のツーショット?いや、小池と山口、小沢のスリーショットかな?(笑)。


≪ 小池さん「倒幕」するかもね 細川元首相が読む次の一手
小池百合子東京都知事が率いて都議選で圧勝した「都民ファーストの会」。かつて都議選の勝利をステップに国政選挙に挑み、自民党を下野させた日本新党旋風に重なる。彼女を政界へ引き入れた細川護熙元首相の思いを聞くと、意味深長なことを言った。「いずれ倒幕の動きがあるかもしれない」--。【鈴木琢磨】
 なにやら都が、国が騒がしく、さぞや殿も絵筆が進まないのではと気になった。還暦を区切りに永田町を去り、近ごろは東京湾岸の倉庫にあるアトリエにこもり、ふすま絵を描いていた。「そりゃ、小池さん、同志ですから」。あれは四半世紀近く前、1993年6月。前年に発足したばかりの日本新党が都議選で20議席を得て大躍進した。当時の新聞を読めば、代表の細川さんは投票率の低さにふて寝していたものの、大勝との結果に55年体制の崩壊を感慨深く語っているし、選対本部長の小池さんはセーラー服っぽい格好で、コーラを飲みながら、喜びにはじけていたと伝えている。「へえー、もうすっかり忘れましたなあ」

 まるで同窓会に呼ばれた白髪の先生のごとく、教え子のことをときに厳しく、ときに自慢げにしゃべる感じ。日本新党という「学校」への強烈なノスタルジーもあるのだろう。で、都知事になった教え子は同窓会といわず、恩師を訪ねているらしい。「会ってますよ。ホテルでコーヒーを飲み、相談を受けたりしています。都議選告示の2週間ほど前にも会ったかな。ぴりっとはしませんでしたが、豊洲市場問題は選挙までに明らかにしておくこととか、自民党の党籍は向こうが切るまでほうっておけとか。メールもきますよ。小さなことで<一生のお願い>とか言って、アハハ。もっと大きな相談をしてもらいたいんだけどね」

 その小池さん、大きな相談を持ちかけなければならない状況になってきた。都議選での「都民ファースト」の大勝で国政への進出が取りざたされているからだ。「来たるべき総選挙で、少なくとも東京の小選挙区で、小池新党は戦うだろうし、全国展開もあり得る。本人はやらず、都政改革、オリンピックの成功へ向けて専念するでしょう。それでいい。各地の首長などに日本新党の同志も結構いますから。政界、野党再編につながるかもしれない。小池さんは重要なプレーヤーとしての役割を果たすだろうし、期待もしています。もちろん、戦後の価値観、戦後憲法による平和で自由な社会を守る保守中道であってもらいたいが」

 そういえば、先日、小池さんとも因縁浅からぬ自由党共同代表の小沢一郎さんを民放テレビの番組でお見受けした。なんでもバラエティー初出演とかで、お笑い芸人とそうめんをすすっていた。そう水を向けると、細川さん、飲んでいたカフェオレのカップを置き、にやっとした。「番組は見てないんだけど、新聞のテレビ欄で見ました。おやっと思いましたよ。そろそろ小沢さんも蠢動(しゅんどう)しはじめたのかなあと」。非自民の細川政権樹立の仕掛け人であり、立役者が小沢さんだった。将来、小池政権を誕生させるにはあの剛腕も借りるべきだということなのか。

 ずばり、小池さん、初の女性首相になりますか? 単刀直入に問うと、こう返ってきた。「そればかりは運ですから。相変わらず民進党は浮足立ってバタバタしているでしょ。私のところにも連絡がきますが、逃げ出したい連中ばかりで。落城とわかっても野田(佳彦)さんや岡田(克也)さんのようなサムライは最後まで城に立てこもる。覚悟を決めていますから。そこに初めて倒幕を目的とした薩長同盟という可能性も生まれてくる。民進の核となる人たちと小池さんの党で倒幕がやれるのではないか。すぐ逃げ出して、よそと合併したがる連中がいるが、合併する必要など全然ない。民進党から逃げ出すやつは逃がせばいい」

 都知事というポジションゆえか、小池さんはこれからの「国のかたち」をちゃんと語っていない。細川さんは保守中道で、質実国家を提唱している。「私は産業政策としても環境政策としても、そして何より文明論として原発ゼロを実現すべきだと思う。その一点を訴え、小泉(純一郎)さんと組んで都知事選に挑んだ。小池さんには原発のことも言いましたよ。でも、どこに気をつかっているのか、返事は『?』。少しあいまいな表現でもいいから、原発ゼロを目指すとの方向性くらい示さないと、多くの国民はついてこないんだけどね。ドイツだってやってるんだから」

 「安倍1強」の崩れる音が聞こえるものの、憲法改正は首相の悲願、あらゆる手練手管で改憲へ走りそうな気配である。「私は安倍(晋三)さんによる安倍さんのための改憲に反対です。改憲のための改憲にも反対です。いまは改憲すべきときではない。安倍さんとしては小池さんを改憲賛成勢力に巻き込みたいだろうし、そう立ち回るでしょう。そのとき、小池さんの判断が日本の将来を左右する。極めて重要な判断になる。そして日本の行く末のキーは公明党も握っている。細川政権時、公明党は頼りになりました。責任ある判断を期待したいです」

 それが戦略なのか、小池さんの本心をうかがい知るのは難しい。ニュースキャスター出身らしい立て板に水のトークには感心させられるが、肝心なポイントは笑顔ではぐらかす。「そう、改憲なのか護憲なのか、親自民なのかどうか、わかりにくい。でも、私もそうだった。日本新党のとき、マスコミから細川は改憲か護憲か、自民の補完勢力か非自民なのかとしつこく詰め寄られた。私はあいまいにしか答えなかった。<護憲的改憲>とか言ったりして。評論家の江藤淳さんはそんな私のことを『この男は天下を狙っている』と言っていた。まあ、腹の内は見せたり、見せなかったりするぐらいが一番いいのかもしれないですな」

 若く見えるが、この15日で65歳になる小池さん、やはり天下を狙っているのか。79歳になる師は含み笑いをし、2杯目のカフェオレを飲んだ。日本新党結党宣言にこんなくだりがある。<荒海に漕(こ)ぎだしていく小舟の舳先(へさき)に立ち上がり、難破することをも恐れずに、今や失われかけている理想主義の旗を掲げて、私は敢(あ)えて確たる見通しも持ち得ないままに船出したいと思う>。そうか、だから小池さん、セーラー服だったのか。

 そんな可愛い教え子に贈る言葉は「犀角(さいかく)」だという。「釈尊の言葉です。犀の角が一つしかないように、求道者は他人からの毀誉褒貶(きよほうへん)にわずらわされず、自分の確信に従って、目指すところへ突き進めという意味です」
 ≫(毎日新聞)



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●自民大敗 敗因は数々あれど ”安倍”への嫌悪憎悪が最大

2017年07月05日 | 日記




「ポスト真実」の時代――「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか
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信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体 (朝日新書)
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隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働
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●自民大敗 敗因は数々あれど ”安倍”への嫌悪憎悪が最大

今回の都議選の総括、多くのメディアが実しやかに論じている。自民党関係者やマスコミ各社、多くの論者も、各々ピーチクパーチクさえずっている。しかし、本質は都民が“安倍晋三”に“うんざり”して、“嫌悪感”を抱いてしまったことだろう。特に、女性陣からの声を聞くと、“鳥肌が立つ”レベルのようなのだから、小林よしのりの勘は正しい。

逆に言うと、現時点であれば、自民党は容易に立ち直れるということだ。安倍晋三一派を粛正すれば良いだけのことだ。しかし、これは言うは易くで、最大派閥の細田派が頑張る以上、そう簡単に安倍の首は取れないことになる。都民、いや国民が“嫌悪感”をおぼえてしまった安倍晋三の顔を、“NHK”や各民放のテレビを通じて各家庭にお届けする限り、この“嫌悪感”は“憎悪”変るのは確実だろう。

安倍やその取りまきは、安倍晋三が国民から“嫌悪感”をおぼえられ、その感情が“憎悪”に近づきつつある事実を、強く認識すべき水準に達している。おそらく、安倍と距離を置く自民党議員の多くは気づいているだろう。しかし、容易に、そのことを声高に主張できないのが小選挙区制の重大な瑕疵のようだ。政党助成金の配分権限と党公認権が官邸にあることは、権力の集中を助長している。権力集中が起きないように三権分立等々の民主主義の根本を覆す制度設計になってしまったようだ。

*それでも、民主主義に心ある政治家の集団であれば、議会制民主主義を堅持する“矜持”と云うもので、支えられるんだが、この矜持を根本的に持っていない政治家集団に権力を握られた時、民主主義は根底からひっくり返されることとなるのが、安倍内閣によって証明されている。この根源的問題点は、安倍首相との関係が近ければ近いほど感じることはないので、おそらく、官邸内部から自浄作用が起きることはないだろう。

ちまたで噂されている内閣改造だが、小泉進次郎を大臣に起用、橋下徹を民間総務大臣或いは地方再生相に起用するなど、内閣改造で、ありとあらゆる手を打ったとしても、安倍晋三がテレビ画面から消えない限り、安倍への嫌悪は自民への嫌悪に変り、安倍への憎悪は自民への憎悪に変質してゆく。このような政局は、一時的に日本政治に大混乱をもたらすだろうが、筆者は、それはそれで必要悪なのだろうと受けとめる。カルト的な執念と経済至上主義、企業優先、金持優遇主義に突き進む安倍を中心とする自民党が憎悪され、社会主義的勢力が保守勢力の岸辺を脅かす緊張感ある政治状況は、政治に真剣さが加わるわけで、優れた政治をわが国にもたらしてくれるかもしれない。


≪ 安倍首相への「嫌悪感」が浸透してきた
今日、発売の「SAPIO」『ゴーマニズム宣言』では、眞子さまの婚約のことと、安倍政権の禍々しさについての2本立てを描いている。
今回の都知事選で安倍政権にNO!を突きつけた都民も、わしが描いた安倍政権の「禍々しさ」を感じていたことになる。
安倍首相への「嫌悪感」は、一般国民の間に随分浸透してきた。
安倍首相ドアップの選挙ポスターを貼るのを、拒否する店舗や家まで出てきたほどだ。
わしが訪れる店の店員や主人も、わしの政治的立ち位置を知らないのだが、口々に安倍首相が嫌いだと言い始めた。
ようやくここまで来たかと思う。
だが、安倍首相も、政権を支える議員たちも、まだこの生理的「嫌悪感」に気づいていない。
今後の偽善的セリフや振る舞いで、誤魔化せると思っているようだ。
果たしてそうか?
政策よりも人物への「嫌悪感」の方が上回ったら、鳩山由紀夫と同じ運命を辿ることになる。
それにしても権力ラブの三浦瑠麗や松本人志は、これまで安倍首相を無理スジの相対主義的な詭弁を弄して擁護してきたわけだが、この庶民的な「嫌悪感」に気づかなかったのだから致命的である。
≫(小林よしのりオフィシャルサイト)


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●薄暮のデモクラシー ナポレオン、ヒトラーにはなれそうもない安倍

2017年07月01日 | 日記



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「軍学共同」と安倍政権
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●薄暮のデモクラシー ナポレオン、ヒトラーにはなれそうもない安倍

内山は、
≪ 選挙に勝てばあまりにも大きな権力を手に入れることができるがゆえに、つくられた権力は民主王朝制的な性格を大なり小なり帯びることになり、選挙に勝つことが絶対化されるためにポピュリズムやデマゴーグの政治が跋扈することになる。それは民主主義の危機というものではなく、民主主義がもつ属性だと考えた方がいい。 ≫
と看破している。

続けて、
≪ 近代の民主主義が民主王朝制を生んでしまうことをどう克服するかにある。この問題が克服されないかぎり、私たちはソフトな民主王朝制の下で管理されるか、ハードの民主王朝制の下で縛られるかという選択しかなくなってしまうからである。そしてそのことがみえてきた時代のなかに、私は黄昏れる近代、黄昏れる近代国家の時代を感じている。≫
と結んでいる。

今まさに、安倍政権の場合は、“ハードな民主王朝制”に限りなく近いものになっているのが理解出来る。しかし、前川前事務次官や文科省のソフトな反乱のお蔭で、加計問題に限定されない、数限りなく噴出しているスキャンダルや犯罪的行為が“疑惑化”され。内山の謂う“民主王朝制”に陰りを齎している。東京都議選最中の政権幹部らの問題発言や疑惑が相次いで報じられ自民逆風となっている。内閣支持率も大きく下落した。

都議選終盤において、民主王朝が盤石だと高を括っていた自民党幹部からは、朝日、毎日、東京などの新聞や各テレビ局、タブロイド紙や週刊誌、ネットメディア等々の責任で問題が起きている等と恨み節が聞こえてきている。自分達の意に沿う報道機関に寄り添い、何とか危機を乗り越えようと試みているが、味方が読売、産経二紙だけと云う状況では、あまりにも心許ない。何故なら、読売は発行部数一位だが内容において二流紙として評価は定着しているし、産経に至っては日本会議御用達新聞なわけで、実質安倍政権寄り新聞は読売新聞一紙と云う奇妙な現象が現れている。

ハード民主王朝を確立しかけた瞬間に、ソフト民主王朝勢力の反撃を喰らっている状況と言える。最終的に、民主主義からはみ出した安倍政権を下野させることが出来るかどうか判らないが、その兆しは相当程度明確な動きになっている。しかし、現状の政治分析から考える時、政権が変わるというドラスティックなものではなく、自民党内部の勢力争いの範囲内での政権交代だろうから、ハードな民主王朝制が継続する。まぁ、改憲の道が遠のく程度のことはあるだろう。

以上、巨視から微視的考察などを簡単に加えてみた、民主主義の限界は、“マスマーケット”においては“民主的機能不全”をおこすものだという結論は間違っていない。つまり、プラトン、アリストテレスにはじまり、ホッブス、モンテスキュー、ルソーらによって近代民主主義デモクラシーは概念的にまとめられたが、“ユニット(規模)”と云う、前提条件が抜け落ちていた点が重大問題なのだろう。

要するに、デモクラシー成立には、その守備範囲に大きさの限界があることを示唆している。貴族内の政治において、賢人たちの範囲において、そんな感じで成立するデモクラシーを論じていた。そこには知恵や教養、矜持の精神がバックボーンにあるのだから、賢者も愚者もごちゃまぜで、尚且つ顔も知らない人間たち同士で、デモクラシーの構築を目指すことは、不可能に近いことを示している。マスマーケットには、おそらく“社会主義”がお似合いのようである。

その意味において、徳川政権が長期にわたり、日本と云う国を治めてこられたのは、グローバル世界と関わりを最低限にとどめ、国家を分権的に藩主に政治を委託して、国の重要事項のみを、幕閣官僚らの政に限定して行った形は、今後の日本の持続継続的国家論において、非常に示唆的だ。各藩に、多くの独自性や自主性を与える(地方戦略特区とも言える)ことで、国家戦略特区などは、愚の骨頂なのだ。まずは、地方分権を構築、その地方に多くの権限を持たせ、より国民に見える化した政治ユニットを用意して、民主主義を地方ごとに構築してゆくのが、これからの課題かもしれない。以下、内山氏のコラム“たそがれる国家”をお読みください。


 ≪ トランプ政権は必ず行き詰まる!? いま問われる民主主義の「限界」
【連載】たそがれる国家(4)

■民主的に生まれた「独裁権力」
1804年、ナポレオン・ボナパルトは国民投票によってフランスの皇帝となった。フランス革命後の混乱やヨーロッパ諸国のフランス包囲網との戦いのなかで、ナポレオンはその前から完全に権力を掌握していたが、ついにこの年、独裁権力を完成させたのである。
1933年には選挙結果を受けて、ドイツでヒトラーが首相に就任している。翌年には総統となり、ナチスによる独裁権力を確立した。
 このふたつの政権がおこなった政治の内容は、もちろん大きく異なっている。だが国民投票や選挙によって独裁権力を確立したという点では共通性をもっている。
国民の投票という「民主的」方法で権力を確立し、しかしその結果生まれた権力は、「民主的」な政権とはほど遠いものであった。このような政治権力のあり方を、私は「民主王朝制」と呼ぶことにする。民主的な手段で、王朝を確立したということである。
それとは逆に、「王朝民主制」というかたちも成立しうるだろう。王朝としての絶対権力を揺るがさないかぎりで、民主的な手法を取り入れるということである。
 民主主義は政治権力が民主的に選ばれるだけではなく、政策の成立過程やその実行過程もまた民主的におこなわれることによって完成する。だがこのような完全な民主主義は成立したためしがない。実際には程度の差こそあれ、民主王朝制のような性格をもちながら現実の政治はおこなわれてきたといった方がいい。
ただし古い王朝制と民主王朝制には、国民投票や選挙によって王朝が生まれるか否かという相違だけではなく、次のような違いがある。
古い王朝制は特定の階級、階層を基盤にして成立していた。近代以前の王朝は、その多くは領主権力を基盤にしている。
それに対して民主王朝制は、「全人民」のための権力という性格をもつことになる。
ナポレオンはフランスの「全人民」の皇帝であったし、それがゆえにこのような権力のかたちはボナパルティズム権力といわれるようになった。ナチズムも全ドイツ人の権力としてみずからを位置づけている。決して特定階級の権力ではないのである。
そしてそれがゆえに、民主主義と民主王朝制は区別がつきにくくもなる。

 ■トランプ政権の行方
たとえば、まだはじまったばかりではっきりとはしないが、アメリカのトランプ政権の方向性は、いまのところより強権的な民主王朝制に向かっているように思われる。
あたかも絶対権力をもった王様であるかのように、大統領令の連発やツイッターによる攻撃、閣僚の任命をおこないながら、いわば独裁的な大統領になろうとしているかのごとくである。
ところがトランプは、「全人民」の大統領になる基盤を失っている。彼を支持する人たちの大統領なのである。
そしてそうである以上、彼を支持しない人たちとの軋轢を生みつづけることになるだろう。この対立があるかぎり民主主義は維持されるのであり、彼の政策のいくつかは法的にも否定されることになるかもしれない。
とすると民主王朝制的な権力が生まれた結果、民主主義が維持されるということになる。
 
■民主王朝制の国・韓国
もっとわかりやすいのは韓国である。
韓国でも大統領は選挙によって選出される。ところが当選した大統領は、あたかも王朝の王様であるかのごとく一族や側近を優遇し、近づいてくる資本家などに便宜を与える。まさに民主王朝制なのである。
だから政権が変わると、敗北した王朝のように不幸な日々がもたらされてしまう。
そういう構造だから、王朝は権力を維持しなければならないし、他の政治家たちは権力の獲得のためには何でもするという行動にでる。一方は王朝を維持しようとし、他方は新王朝を確立しようとするのである。
ところがそのために必要なことは選挙で勝つことだ。とすると「国民の意志」に迎合することや国民を扇動することが必要になってくる。典型的なデマゴーグの政治が発生するのである。ポピュリズムは大衆迎合だが、デマゴーグは人々の支持を得るためには何でもやる扇動政治家である。
だが韓国の状況も、そう言って片づけてしまうこともまたできない。
なぜなら選挙へと向かう国民のプロセスのなかには、政策の確立過程やその執行過程の民主的な運営を求める意志が内包されているからである。
民主主義を内包しながら、民主王朝制が展開してきた、それが李承晩独裁政権が終わってからの韓国の歴史だったといってもよい。

 ■民主主義の危機?
近代になって生まれた政治制度には、つねにこのような問題がつきまとってきたのである。 :その原因は、国家があまりにも大きな権力をえてしまったことにある。
大統領制であれ議院内閣制であれ、選挙に勝ってしまえば強大な権力を手に入れることができる。
もちろん制度としては行政と立法、司法は別だ。立法府の同意がなければ行政は法律や条約をつくることはできないし、司法は憲法にしたがってそれを監視することになる。
だがこの三権分立も理想どおりに展開したことはない。
行政と立法の関係でいえば大統領制の方が大統領と国会の対立を生みやすく、内閣と国会が一体化してしまう議院内閣制よりはましだということもできるが、実際にはさまざまな懐柔や選挙への思惑などがあって、立法府による行政府への批判が正当なものである保証もまたないのさらには司法の独立性が十分に機能している国を探すことの方が困難なのが現実である。
すなわち、選挙に勝てばあまりにも大きな権力を手に入れることができるがゆえに、つくられた権力は民主王朝制的な性格を大なり小なり帯びることになり、選挙に勝つことが絶対化されるためにポピュリズムやデマゴーグの政治が跋扈することになる。 それは民主主義の危機というものではなく、民主主義がもつ属性だと考えた方がいい。

 ■完全な民主主義などない
中国などは、独裁権力を維持しうる範囲で民主的な制度を取り込もうとする。ある程度民主的な制度を取り入れないと、独裁権力を維持できないからである。
そういうあり方を王朝民主制と呼べば、他方では民主王朝制が生まれてくる。現代世界は、このような構図のなかでとらえることもできる。
ただし民主王朝制には、ソフトな民主王朝制とハードな民主王朝制があると考えておいた方がいい。ハードな民主王朝制としてはナチス・ドイツがあった。それは批判を許さない独裁権力として成立した。
だが自由な批判が許されている国でも、批判する過程での意思表示の過程などで民主主義が機能しているだけであって、政治権力としては強大な権力が維持されていることに変わりはない。
かつてマックス・ウェーバーは『職業としての政治』のなかで、「『すべての国家は暴力の上に基礎づけられている』。トロツキーは例のブレスト―リトウスクでこう喝破したが、この言葉は実際正しい」(岩波文庫 脇圭平訳)と述べていたが、国家は暴力を独占することによってその機能を維持している。
ウェーバーは、ゆえに高い倫理性を政治を職業とする者たちに求めていたのだが、そう提起するほかないほどに、国家は権力を集積させているのである。
そしてそのことがひとつの王朝を成立させてしまうことになる。ただし王朝の成立のためには選挙に勝つことが必要になる。それがポピュリズムやデマゴーグを発生させることになる。
比較的民主的だと思われている国にあるのはソフトな民主王朝制であり、強権的だと思われているのはハードな民主王朝制であるという違いはあっても、国家が強大な権力をもつ以上、完全な民主主義は成立しようもないのである。

■トランプ政権のジレンマ
とすると現在世界で争われているのは、ソフトな民主王朝制を維持するのか。ハードな民主王朝制が必要なのかという対立だということになる。
前者は自由、平等、友愛、民主主義といった近代の理念、近代の建前の維持を求め、後者は何よりも自分たちの利益を重視する。強い国家をつくることによって、自分たちの利益を守ってもらおうとするのである。
トランプ政権は、後者の立場を支持する人たちを基盤にして成立した。そしてそれがゆえにジレンマに陥るだろう。
後者の人たちの希望に応じなければ支持基盤を失うし、その路線だけで動けば「全人民」の大統領としての強い王朝をつくることはできないからである。それだけでは、絶えず強い批判を受ける政権になってしまう。
完全な王朝をつくるためには「全人民」の支持が不可欠なのである。たとえそれをポピュリズムやデマゴーグによって成立させるとしても、その技術に長けている必要がある。だがいままでの過程でみえてきていることは、トランプ政権にはその能力がないようだということである。
ただし私たちに突きつけられている課題は、近代の民主主義が民主王朝制を生んでしまうことをどう克服するかにある。
この問題が克服されないかぎり、私たちはソフトな民主王朝制の下で管理されるか、ハードの民主王朝制の下で縛られるかという選択しかなくなってしまうからである。
そしてそのことがみえてきた時代のなかに、私は黄昏れる近代、黄昏れる近代国家の時代を感じている。
 ≫(現代ビジネス:政治・内山節―たそがれる国家4)



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