世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

● “この期の及んで” 更なる脅し連発 懲りない官房長官

2015年03月31日 | 日記
内閣官房長官秘録 (イースト新書)
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ヨイショ本だが、官房長官権限を理解出来る
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● “この期の及んで” 更なる脅し連発 懲りない官房長官

古賀氏の報道ステーションにおける菅義偉官房長官から「バッシングを受けた」発言が、傍証(間接的な証拠。直接の証拠とはならないが、その証明を補強するのに役立つ証拠)ではあるが、官房長官の一連のオフレコ発言を集約してみれば、事実を補強するのに、極めて有力な証拠性がある。日本のメディアが、権力の脅しに完全に支配されている現状で、それを打破する手段を講じる場合は、法廷における客観的物的証拠などとは関係なく、「傍証」で、時の権力を糾弾する手段も、緊急避難的に許される。まして、民間の放送局レベルでの話だ。公共放送(国営放送)ならいざ知らず、報道ステーション程度での発言に、記者会見でまで躍起となって「事実無根」と叫ぶとは、情けなさが講じて、獰猛になったと言わざるをえない。

菅義偉官房長官は、「全く事実無根だ。言論や表現の自由は極めて大事だが、公共の電波を使った行動として極めて不適切だ」と憤懣やるかたない心境のようだが、微妙な官邸内での立場にも、大きな影響があるだろう。古賀氏が得た情報の中には、菅義偉官房長官を、よしと思わない官邸内勢力からの情報も含まれるだろうから、我々が考えている以上に、官邸内はまとまりを欠いている。「公共の電波を使った行動として極めて不適切だ」と云う言葉は、そのまま、安倍晋三や菅義偉にお返しすべき言葉であり、オマエこそ、公共の電波を使い、政府宣伝を行い、権利濫用な人事を連発し、最大の電波使用者NHKを占拠しているではないか。その電波を通じて、自分たちが、誹謗中傷している事実に気づかないのが、なんとも痛ましい。


≪ 菅長官、バッシング「事実無根だ」
 報ステでの発言に 菅義偉官房長官は30日午前の記者会見で、テレビ朝日のニュース番組のコメンテーターが生放送中に菅氏の名を挙げて「バッシングを受けた」と話したことについて、「事実に反するコメント。公共の電波を使った行為であり、極めて不適切だ」と批判した。
 番組は27日放送の「報道ステーション」で、元経済産業省官僚の古賀茂明さんが「菅官房長官をはじめ官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきた」などと発言していた。菅氏は会見で「まったく事実無根だ」とし、今後の対応について「当然、放送法という法律があるので、まずテレビ局がどういう風に対応されるかをしばらく見守りたい」と述べた。 ≫(朝日新聞)

AIIB(アジアインフラ投資銀行)への参加問題で、遂に、世界の孤児は「日米」のみになった。参加国の多くは経済的実利優先だろうが、意味不明なイデオロギーでカチカチになってしまっているのが、アメリカ様と我が国日本と云うのは、21世紀的にみて、大変に面白い現象である。IMF、世界銀行、延いてはアジア開発銀行と云う枠組みで、世界やアジア・ユーラシアの金融を牛耳る地位を死守しようと試みていたようだが、世界の国々は、そんな20世紀的思考停止イデオロギーなど、見向きもしていないようだ。6月になって、日米が参加表明するなど、今さら恥の上塗りだ。こんな外交で、国益を損ねるとは、外務省アメリカンスクール一派は、日本をボロボロにするために高給を貪っているとしか思えない。何を根拠に、これからもアメリカ一国主義が存在すると云う幻想にしがみついているのだろう。やはり、財務省・外務省は典型的な「シロアリ」のようである。

 ≪ 福田元首相「参加反対する理由なくなった」
  中国を訪問している福田康夫元首相は29日、習近平国家主席と会談し、アジアインフラ投資銀行について、「参加を反対する理由がなくなった」などと評価した。
 福田元首相は29日、自らが理事長を務めるアジア経済に関するフォーラムで、ほかの理事会メンバーらとともに約1時間、習近平主席と会談した。会談で習主席は、アジアインフラ投資銀行について、既存の国際機関と共存していく姿勢を強調し、理解を求めた。
 中国・習近平国家主席「(アジアインフラ投資銀行は)今の国際金融の枠組内のもの。別に門戸を構えて既存のルールを破壊するようなものではない」
 福田元首相「そのこと(既存機関との協調)をおっしゃられたことで、AIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加を反対する理由は、なくなったと思うほどです」
 福田元首相はこのように述べ、「平和発展の道を追求するのは非常によい」と、中国側の姿勢を評価した。 ≫(日テレニュース24)

習近平主席はリップサービスで、「今の国際金融の枠組内のもの。別に門戸を構えて既存のルールを破壊するようなものではない」と云う言質を貰うことで、今度はアメリカ様説得に動くのだろう。しかし、TPPに比べ、この出遅れは致命的で、ドル基軸の減少と相まって、「元」の力は、益々世界貿易の中で、有力な地位を占めることになりそうだ。以前は「円元」での基軸通貨等と云う噂もあったが、「円」は完全に消えたようである。習近平にしてみれば、今争っても意味はない。いずれ、経済規模の逆転が明確になった段階で、牙を剥けば良いわけで、現時点で、安倍官邸のような“弱い犬の遠吠え”をする気はないと云うことだろう。

最後に、沖縄辺野古基地問題だが、予想通り、≪ 林芳正農林水産相は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり、翁長雅志知事が沖縄防衛局に出した辺野古沖の作業一時停止指示について、効力を一時停止すると発表≫となった。防衛局によると、「日米両国間の信頼関係に悪影響を与え、外交・防衛上、回復困難で重大な損害が生じる」と、大そうな物言いだが、1995年から迷走した普天間基地移設計画なのだから、今さら回復困難なんて言葉は通用しない。

100年先でも構わんだろう。中国相手に、米海兵隊が動くことはあり得ない。北朝鮮云々で、海兵隊が動く理由もない、空爆だけだろう。まあ、翁長知事が県民への約束通り、埋め立ての取り消しを宣言し、最終的には法廷闘争に持ち込めれば、反対派の勝ちになる。法廷闘争で、最高裁事務総局が、現在の流れを踏襲すれば、必ずしも、今までのように強い奴の味方と云う姿勢ではないので、判決そのものも、5分5分だ。また、運動の持って行き方によっては、琉球民族と云う、世界的トレンドも話題になるので、勝ち目はある。その内、米軍の考え方が、大きく変わることは、大いにあり得る。

大学生に語る 資本主義の200年(祥伝社新書)
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●ふたりの官房長官を怯えさせた男 批判に怯える安倍官邸

2015年03月30日 | 日記
ルーズベルトの死の秘密: 日本が戦った男の死に方
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●ふたりの官房長官を怯えさせた男 批判に怯える安倍官邸

金曜日の古賀茂明氏の「報道ステーション・ハイジャック」の試みは、“ごまめの歯ぎしり”と言っては古賀氏に失礼に当たるだろう。一寸の虫かどうか別にして、古賀氏の良心の勇気のなせる業で、何度も起こせない意味では、乾坤一擲な電波ジャックだったのだろう。日本人が、良識を取り戻す、明らかに分岐点が、今なのだと思う。自分が得られる利益を失っても、弱者がいるなら幾ばくかでも助ける、そういう気持ちが持てる国民に変われるターニングポイントなのだが、国民の上に立つ者ほど、その心がないのだから、その分岐点で、なにも手に入れないまま通過するのかもしれない。古賀氏の事件の前に書かれた毎日のコラムだが、先ずは読んでいただこう。

≪ 特集ワイド:番組改編「政治家との力関係が変化している」
 テレビから消えた、辛口コメンテーター 「困ったものですね」。たった一言で深刻なニュースがあっさり片付けられていく−−そんなシーンが増えてはいないか。春の番組改編で、民放各社の報道・討論番組のコメンテーターの顔ぶれが変わった。気付けばテレビが辛口から薄口に〓〓果たしてそれでいいのか。【浦松丈二】
 「世の中を注意して見るようになり、僕の中でもいろんなものが変わりました。視聴者のみなさん、ありがとう」。3月31日。テレビ朝日の昼の情報番組「ワイド!スクランブル」で2001年からコメンテーターを務めてきた作家、なかにし礼さん(75)が降板 を報告した。なかにしさんは「日本国憲法は世界に誇る芸術作品」と称賛して、安倍晋三政権下で進む解釈改憲の動きを真っ向から批判している。ほかにも原発 再稼働を批判する元経済産業省官僚、古賀茂明さん(58)も3月末でコメンテーターを降板。安倍政権の路線に批判的な論客が一掃されたようにみえる。
 「討論、時事番組の仕事を干されている」と打ち明けるのは経済アナリストの森永卓郎さん(56)だ。読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」やTBS「がっちりマンデー!!」など民放4番組にレギュラー出演中だが、06〜07年の10本前後からはぐっと減った。 「09年に民主党に政権が代わる寸前は自由に発言できた。発言規制が強まったのは民主党の野田佳彦政権前後からです。第1波が小沢一郎氏の事件。政 治資金収支報告書への虚偽記載容疑が問われ、無罪が確定したが、私を含め確定前から『小沢氏は無罪』と言い続けた人が干された。第2波が消費増税。反対した人は魔女狩りのように追放された。リベラル派が一掃された後に誕生した安倍政権下でメディアと政府、財界の構造的な癒着が起きている」  森永さんは次のコメントが原因で、最近、ある番組を降ろされた。

 司会者 「なぜ沖縄に米軍が駐留しているのですか」
 森永さん 「普天間にしろ、嘉手納にしろ、あそこにいるのは海兵隊という殴り込み部隊。占領にいく部隊です。だから海兵隊が日本を守ることはありえない。僕は、日本がアメリカに逆らった時に、日本を占領するために常駐していると思っています」
 第二次大戦末期、沖縄を占領したのは米陸軍と海兵隊だった。森永さんの発言は政府見解とは無論大きく異なるが「以前なら許容範囲でした。ところが最近は『極論に走らないでください』とまずクギを刺される」という。
 「このコメントは全面カットされて放送されませんでした。私が番組を降ろされた後、元NHK記者の池上彰さんが解説していましたが、見事でした。 どこからも批判されない内容で、天才だなと思いました。今、番組に求められている人材は池上彰さんです。一方、何かを起こしそうな人はトレンドではない。 お笑いならタモリさん、明石家さんまさん、ビートたけしさん。キャスターなら久米宏さん、鳥越俊太郎さん、亡くなった筑紫哲也さん」。がんの闘病を経験した鳥越俊太郎さん(74)がレギュラー出演する民放全国放送の番組は、今やBS朝日「鳥越俊太郎 医療の現場!」だけになった。
 ある民放関係者は「安倍首相と直接会った社長から、番組改編後の出演者を誰にするかの指示が下りてくる。何が話されたかは知らされない。ただでさえ出演者に降板を告げるのは大変なのに、制作現場は説明に困っています」と声を潜める。
 「1980年代から90年代のテレビ黄金期はバラエティー、ドラマだけでなく報道番組も視聴率を重視し、衝撃的なニュース映像と歯切れのいいコメントで構成されるようになりました。テレビが世論と政治を動かす『テレポリティクス』の時代が幕を開けたのです」。政治とメディアの関係に詳しい立教大兼任講師の逢坂巌さんはそう解説する。
 テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」で司会を務めるジャーナリスト、田原総一朗さんは、その黄金期の代表格だ。89年から10年まで続いた「サンデープロジェクト」では司会として政治家から言質を引き出し、「日曜に政治が変わる」とまで評された。田 原さんに番組で追い込まれて辞任した首相は海部俊樹、宮沢喜一、橋本龍太郎の3氏を数える。
 だが、田原さんは「僕は政治家を失脚させようと思ってやったわけではない。突っ込めば新しいアイデアが出てくると思っていた。ところが、失脚してしまう。権力者は意外に弱い」と話す。郵政民営化などで巧みにテレビを利用した小泉純一郎元首相はその例外だった。安倍首相も前回政権担当時には、「お友だち人事」などでメディアから激しいバッシングを浴びて「政権投げ出し」に至っている。
 ところが「世の中が大きく変わってきた。いわゆる『批判』に国民が関心を示さなくなっている。景気のいい時代は批判に関心を持つだけのゆとりがあった。そのゆとりが今はない」(田原さん)。昨年7月の参議院選挙。安倍政権が進めるアベノミクスが焦点だった。「出演してもらった全党党首に『対案を提示してほしい』と頼んだが、結局、何も出てこなかった。だらしないと思います」。返す刀でメディアの側を批判する。「安倍さんの周りにいる人たちを見ても面白い。ただ批判して良心的なふりをしても仕方がない。当事者に出てもらって言質を取る。テレビの番組作りは 永久連続革命。マンネリ化したらおしまいだ」
 逢坂さんは「リアクション芸だけでバラエティー化した報道番組は深い議論は苦手で、感情的な批判や攻撃に向かいやすい。そこを視聴者に見透かされ、飽きられてしまうと、後は権力を持ち世論を味方に付けた政治家に利用されるだけです」と警告する。
 タモリさんの司会で、82年から続いたフジテレビの番組「笑っていいとも!」。テレビ黄金期を築いた看板番組だったが、3月31日に終了した。21日には、現役首相として初めて安倍首相をスタジオ出演させた。フジは安倍首相のおいを4月から入社させている。逢坂さんがいう。「安倍首相に見送られるように『笑っていいとも!』が終了したことは、政治家とテレビの力関係の変化をみせつけ、テレビが政治を動かす時代の終わりを象徴しているようです」
 おとなしい「薄口」のテレビに魅力は果たしてあるのだろうか。 ≫(毎日新聞 2014年04月02日 東京夕刊)


続いて、具体的に、古賀茂明氏の「報道ステーション・ハイジャック」の試みを解説している、リテラの野尻氏のコラムを読んでもらおう。

≪ 続報! 古賀茂明『報ステ』爆弾発言は菅官房長官の圧力が動機だった! 古賀批判は的外れ
27日の『報道ステーション』(テレビ朝日系) での古賀茂明氏の発言が大きな反響を呼んでいる。本サイトでも2ヵ月前に報道していた「官邸からの圧力による『報ステ』女性チーフプロデューサーの更迭と古賀降板」を裏付ける内容に、ツイッターで「報ステはだらしない」「古賀さん、よく言った!」「やっぱり官邸の圧力なのか」などの書き込みが殺到している。

 しかし、不可解なのが、その一方で古賀批判が盛り上がりを見せていることだ。その代表的なものが「官邸の圧力というのは古賀氏の被害妄想」という意見だろう。たとえば、池田信夫氏などはブログで「(テレビ局に対し)政治家が出演者をおろせなどということは絶対ない(あったら大事件になる)。」      「彼は政治とメディアの関係を誤解しているようだが、報ステのような番組に政治家から圧力がかかることはありえない。」等と言っているが、政府がメディアに公式で出演者降板を申し入れたりしないのは当然。問題は、上層部や番記者、報道への抗議を利用した揺さぶり、さまざまなチャンネルを使った裏の圧力なのだ。池田氏らはこの間、安倍官邸が裏でマスコミに何を仕掛けてきたか、本当に知らないのだろうか。

 
『報ステ』の古賀氏発言についても、菅官房長官は番記者を集めたオフレコ懇談ではっきりと「放送法違反」「免許取り消し」などをちらつかせて、プレッシャーをかけている。テレビ朝日上層部に対しては、番組審議会委員長の見城徹幻冬舎社長を使った揺さぶりもあった。

 まあ、池田氏の場合は政治スタンスからしてなんとしても現政権の圧力を否定したいだろうから当然としても、驚いたのは比較的リベラルだと思われたジャーナリストたちも古賀批判を口にしていることだ。

 ツイッターを見ると、『とくダネ!』や『Mr.サンデー』(ともにフジテレビ系) にレギュラー出演している『ニューズウイーク日本版』元編集長の竹田圭吾氏は「古賀茂明という人はテレビで発言する機会を与えられていることの責任と義務をまったく理解していない」とつぶやき、ジャーナリストの江川紹子氏も「公共の電波で自分の見解を伝えるという貴重な機会を、個人的な恨みの吐露に使っている」などと書き込んでいる。

 いったいこの人たちは何を言っているんだろう。古賀氏が言ったのは、「テレビ朝日の早河会長と、古舘プロジェクトの佐藤会長のご意向で今日が最後ということで。これまで本当に多くの方に激励していただいた。一方で菅官房長官をはじめとして官邸のみなさんからものすごいバッシングを受けてきました」 という言葉だけだ。

 その後のやりとりは、キャスターの古舘氏から「ちょっと待ってください。今の話は私としては承服できません」「古賀さんがテレビ側から降ろされるというのは違うと思うんです」などと反論されたために、「ただ、古舘さんも言いましたよね、私がこうなったことに対して『僕は何もできなかった。本当に申しわけない』と」と応戦したにすぎない。 古賀氏が言いたかったのは“降板”についての恨みつらみではない。発言のポイントは「官邸のバッシングで」という部分にある。それがより鮮明になる のが後半戦だ。安保法制を始めとする国会論戦についての感想を求められ、「国民的議論がないまま、アメリカの言いなりで先へ先へ行こうとしているのは、とんでもないことではないか」ときわめてまっとうな意見を述べた。そして、いま安倍政権が進めているのは(1)原発大国、(2)武器輸出大国、(3)ギャンブル大国――への道だと指摘し、自分でつくってきたという「I am not ABE」のフリップを掲げ、「これは単なる安倍批判じゃないんです。日本人としてどう生きるかを考える材料にして欲しい」「官邸からまたいろいろ批判があるでしょうが、菅さんも、陰でコソコソ言わないで直接、言ってきてください」とかましたのだ。

 ところが、ここでまた古舘氏が墓穴を掘る。「古賀さんのお考えは理解できますが、一方ではっきり申し上げておきたいのは…」と切り出し、過去に報ステが取り組んできた、原発再稼働への不安や核のゴミの問題、沖縄の辺野古の基地建設など、批判すべきところはしっかりやってきたと返した。すると古賀氏は、「そういう立派な特集をつくってきたプロデューサーが、(官邸の 圧力で)更迭されるのも事実ですよね」と。古舘氏は「更迭じゃないと思いますよ。人事のことはわかりませんが」と応じるのが精一杯だった。

 古賀氏が一貫して言いたかったのは、圧力があっても言うべきことは言い続けなければならないということだった。最後はマハトマ・ガンジーの言葉を 紹介し、人が自粛して言いたいことを言わないようになると、知らず知らずのうちに自分が変わってしまう。そして、本当に大きな問題が起きているのに気づかなくなってしまう。そうならないためには、圧力があっても言うべきことは言い続ける。「これを古舘さんにも贈りたいんです」と締めくくった。

 これを「私物化」だの「責任を理解してない」などと言うのは、それこそ、普段、番組に媚びて電波芸者を演じている自分たちを正当化したいだけだろう。 また、一部ネットには「プロレスと同じでシナリオのあるやらせでは」などと書かれているが、これもありえない。すべてガチンコ、事前打ち合わせなしの“ゲリラ発言”だったのだ。

 実際、テレビ朝日内部は蜂の巣をつついたような状態となっていた。番組終了後、古賀氏の携帯に親しい知人が何人も電話を入れたが、呼び出し音が鳴るだけだった。実はこのとき、古賀氏はテレ朝報道局の幹部から約40分、吊るし上げをくらっていたというのである。テレ朝関係者はこう明かす。 「局幹部はみんな顔面蒼白でしたよ。番組終了後、4月人事で交代するプロデューサーやスタッフ、コメンテーターの恵村順一郎さんらを囲んだ送別会があったんですが、重要な関係者が顔を見せない。もちろん古賀さんも来ない。別室に呼ばれて“事情聴取”を受けていたんです」

 古賀氏はそこで「ニュースと関係ないことを話しては困る」「なんで事前に言ってくれなかったのか」などとなじられたという。だが、ここには古賀氏 の深謀遠慮があった。というのも、前回「I am not ABE」とやったときは事前にスタッフにも相談し、フリップもつくってもらっていた。ところがオンエア後、首相官邸から抗議を受けたことで現場スタッフは 上層部から「何で止めなかったんだ」と責められた。そこで今回は誰にも言わず、自前のフリップを用意して本番に臨んだ。これで、末端の責任が問われることはなくなった。

 古賀氏がここまでやらなければならなかったのには訳があった。親しい知人はこう打ち明ける。 「古賀さんのターゲットはズバリ菅官房長官です。番組中も何度も何度も繰り返し、菅さんの名前を口にしていたでしょ。菅さんは本気で古賀さんを潰そ うと、裏で相当なことをやっていた。古賀さんだけではありません。安倍政権に批判的なコメンテーターを個人攻撃したり、逆に懐柔したりが目に余るようになってきた。一方、古賀さんの話によれば、テレ朝に対しても『(古賀氏の発言は)放送法違反に当たるかもしれない』と、免許取り消しをほのめかしながらプレッシャーをかけてきたと言うんです。これはもう看過できない。古賀さんはこう言っていました。『テレ朝には申し訳ないけど、ここで私が沈黙したら言論が権力に屈することになる。古舘さんら番組関係者は相談もなくいきなり言い出したので、私に裏切られたと思っているかもしれないが、時間が経てば理解してくれるはず』と。あれはいわば宣戦布告。戦いはこれからですよ」

 いずれにしても、スタッフの入れ代わった4月からの新生『報道ステーション』がどうなるのか、ぜひチェックをしていきたい。 ≫(リテラ:野尻民夫)


まあ、赤字で抜いたところだけ読んでみても判るが、古賀氏は、ある意味で、テレ朝に迷惑をかけずに、自力で電波ジャックをしたわけだが、国民の財産である公共の電波という財産を、特定の放送局に分配し、その代り、言うことを聞けと云う態度は、常に日本の政権では、触れてはいけない権力だった。アンタッチャブルな危険な権力まで行使しないと、自分たちの行っている政策の出鱈目さが露呈すると云う、自認した上の行動と云うことだ。思い出したが、まだ古賀氏が経産省に所属していたころ、やはり官房長官だった、仙谷由人に、議場で脅かされたのを思い出した。二人の官房長官に脅かされた日本人、言い換えれば、二人の官房長官に怖れられた男と云うことになる。

しかし、このことは、安倍官邸は、自分たちのやっている政治に自信がないと白状しているのと同じではないかと思う。テレビのコメンテーター人事に口を出し、辛口や批判言論人はテレビに出させない。プーチンが独裁だと云うが、記者連中は痛いことも聞く状況にはある。記者クラブ制度などあるわけもない。批判者を失ったテレビ番組に魅力などないだろう。早晩テレビ局や新聞社が青息吐息になっても、今の日本人に痛痒はない。いや、バラエティー番組が観られないと嘆くかもしれない。

執拗に言わせてもらえば、民意とは別のことを成し遂げようと動いているのが、今の安倍政権なのだろう。戦争の出来る我が国軍隊を作り、極力武器を輸出し、原発もODA付輸出で原発メーカに息継ぎをさせる。辺野古も、沖縄の民意に逆らってでも、基地を建設するぞ。中東のイスラム国やイエメン問題に、人道援助という羊の衣を被せ、軍事資金の提供を宣言する。そして、日本人人質の首を見事に切らせたのである。今夜、そういう政治スタンスではなかった自民党の政治家も沢山いましたけど…的に、ダッカハイジャック事件を特集で報道していたが、福田赳夫より石井一が目立ったのは生きているからだろうか(笑)。

 PS:産経にリーク報道によると ≪ 林芳正農林水産相は28日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古移設で、海底ボーリング調査などの作業停止を求めた沖縄県の翁 長雄志(おなが・たけし)知事の指示について、効力を停止させる方針を固めた。効力を止めるために防衛省が行った執行停止の申し立てに異議を唱えた県の意 見書を確認した上で、林氏は申し立てが成立すると認定、執行停止の要件を満たすとも判断し、30日にも正式決定する。これにより翁長氏の指示は当面、効力 を失う。
 防衛省の執行停止の申し立ては行政不服審査法に基づくもの。県は提出した意見書で、申し立てについて(1)申し立ての制度は国民に道を開くもので、国が 行うことは予定されていない(2)不服があれば県の許可の代執行を行うべきだ-などとして、申し立て自体が成立しないと主張した。
 その上で、仮に申し立てが成立したとしても、45トンのコンクリート製ブロックの設置は「岩礁の破砕に該当し得る」と指摘。「工事の停止と(県の)調査 を求める指示に(防衛省が)対応してこなかった」とも強調し、執行停止の要件が満たされないため申し立ては却下されるべきだとした。
 一方、防衛省はブロックの設置について「岩礁破砕許可は不要と県から示された」と説明。「岩礁破砕は海底地形そのものを変化させる行為」で、ブロック設置はそれにあたらないとも反論している。
 林氏は、まず防衛省の執行停止の申し立ての有効性を認め、執行停止により翁長氏の指示の効力を停止させることについても防衛省の主張を受け入れる。
 これにより防衛省は当面、海底ボーリング調査を続けることができるが、翁長氏の指示を取り消すための審査請求の裁決は数カ月後になり、それまでに翁長氏が岩礁破砕許可を取り消す可能性もある。≫


筆者から言わせれば、沖縄防衛局は一般の国民同様の立場で処分を受けたと申し立てているが、そもそも、この申立制度は、国民に対して広く行政庁に対する不服申し立ての途を開くことを目的としており、国自体が不服申し立てを行うことが予定されていない。さらに法自体が、審査する立場にある国が、同じ国の、別の国の機関から申し立てをうけることを想定していないので、沖縄防衛局は申請人としての性質を持たない、と云う沖縄県の反論は正しい。もう埋め立て取り消し訴訟に打って出るしかなくなった。馬鹿な政府だと思う。これで、アメリカの異なる勢力が動き出したら、辺野古は民族問題にまで波及する。それはそれで、有意義なことだが。

ゴルバチョフが語る 冷戦終結の真実と21世紀の危機 (NHK出版新書 455)
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●「米国・NATOとロシア」核戦争の脅威 矛盾病理の帝国

2015年03月29日 | 日記
資本主義の預言者たちニュー・ノーマルの時代へ (角川新書)
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●「米国・NATOとロシア」核戦争の脅威 矛盾病理の帝国

以下の日経新聞・高坂氏の解説コラムはお笑い草のような内容になっている。エストニアとかポーランドとか、アメリカ対ユーラシアの枠組みから見れば、木を見て森を見ずどころか、葉っぱを見て森を見ずと云う類の解説になっている。そんな次元で、アメリカの対ロシア戦略、延いては対中露同盟戦略に目をつぶり、どこのどいつに聞いたのは、些末な問題をピックアップし、些末な表面的枠組みで、事柄を解説しようと云うのだから、土台無理な解説になる。筆者から見れば、なぜ?こんな解説コラムを書いたのか、意味が判らない。

NATOなどの軍事同盟は、日米安保を考えても判ることだが、アメリカの属軍であり、それ以上でもなけれ、それ以下でもない。小さな争いが起きている場合に、NATOや自衛隊の意志が、どの程度重要かを考えてみれば判ることである。米軍抜きに、彼らに戦略や戦術はないわけで、コアの意志決定や情報は、米軍が握っている。その事実を踏まえた上で、NATOとロシアの境界線で起きている争いを吟味する必要がある。筆者の目から見ると、1991年に終わったはずの冷戦構造時代の遺物(NATO)を後生大事に温存したい人々の思惑で動いていると見るのが妥当だ。

ソ連崩壊以降、無茶苦茶の経済状態になったロシアが、プーチン体制において石油関連商品の輸出好調などを受け、そこそこにロシア経済を立て直すことに成功した。その間、プーチンはEUとの関係強化に乗り出し、経済的結びつきを強めた。プーチンのロシア地位向上と云う思惑があったとしても、ソ連邦の再構築まで企んでいたと云うのは陰謀説に近い。そこまでロシアの経済が盤石と云うことはなく、そこまで影響力を行使する力量もない。ただ、海洋覇権の衰退により、自動的にユーラシア大陸に世界の権力の一部が移行するであろうことくらいは望んでいるだろう。

無論、そのユーラシア大陸覇権の中心的役割を果たすのは、中国であり、ロシアは、その第一のパートナーの位置を確保する思惑はあるのだろうが、それ以上を考えられる状況にロシアは立ち直ってはいない。しかし、アメリカはNATOやCIAその他のルートを通じて、ロシアを内外から突っつき回しているのが現状だ。大きい枠組みで見た場合は、中露同盟が堅固なものになる前に、“将を射んと欲すれば先ず馬を射よ”の譬えでロシアと中国の間に楔を入れると云う、大きな意図が見える。しかし、現在ウクライナ、エストニア、ポーランド国境周辺で起きているNATOとロシアの鍔迫り合いには、そのスケールを感じない。

となれば、アメリカがNATOを通じて、ロシアに“ちょっかい”を入れているのは、何が目的かと云うことになる。こういう場合、アメリカの権益集団の利益に敵っているかどうか、そこを見ておけば概ねの答えが得られる。イラクやアフガンで見られるように、軍産複合勢力にとって、旧式の武器の転売が可能になるし、その弾薬等は常に生産に寄与する。経済的合理性は、非常に大きい。その軍事産業に、ユダヤ、ロスチャイルド、ロックフェラー等々のマネーが流入している点が、アメリカが戦争を止めたくない一番の理由だろう。

この産業の活躍は、ウォール街にとっても好都合で、世界の金融勢力もこぞって賛成に違いない。FRBにとっても、経済の好循環は好ましいことだ。CIAやその他の諜報部門の組織強化と云う意味でも、思惑は一致する。無論、ペンタゴンも好意的に受け取る。チェイニーらの民間軍事派遣会社も嬉しい悲鳴だ。最近のアメリカ大統領は、上記勢力の支援によって選出されバックアップをされているのだから、彼らの意見に耳を傾けホワイトハウスに住んでいる。オバマの個人的意志等と云うものは、1/10も達成されないのだろう。アメリカの二大政党制は、土台から、これら勢力に抑え込まれているので、民主党でも共和党でも、差異はなくなった。

そういう状況下で、中国が表立って動ける状況でないとなれば、ロシアは当面プーチンを中心に、それらアメリカの楔に対抗せざるを得なくなる。その場合、誰が見ても、多勢に無勢な戦いで、ロシアに勝ち目はない。弱者の戦いにおける武器は、弱小の場合はテロだが、NATOを相手にするだけなら、ロシアの通常軍事力で対応可能だろうが、後ろでアメリカが糸を操っている以上、通常兵器では対抗しきれない。こういう場合、最大の武器をチラつかせるのは、戦略的に合理的だ。北朝鮮の核ミサイルとはわけが違う代物なのだから、アメリカやNATOも無視は出来ない。

ゆえに、拙コラム23日付「欧米に覚悟はあるのだろうか? 核兵器発言増えるロシア」と云う懸念に行きつく。ロシアのプーチンがすごすご尻尾を巻くとも思えないので、アメリカはロシアとの核攻撃を封じる自信があると云うことだ。2006年くらいに、弾道弾迎撃ミサイル防衛への自信を深め、ロシアへの“茶々入れ”を攻撃的なものに変えたようだ。ロシアとの核戦争に勝てると考えるのは、おそらく瞬間的な勝利は齎すかもしれないが、すべてを抑止することは、おそらくあり得ない。

となれば、アメリカ本土にも何発か落ちるだろう。人口密集度はアメリカは32.7、ロシアは8.2なのだから、被害者の数では、良い勝負になってしまう。また、もっと密集度の高いNATOを構成する国々への攻撃であれば、より被害は甚大だ。こういう事も含めて考え、現在のロシアの立場を検討すべきだろう。プーチンの口調が、益々先鋭化しているのは、地球規模での脅威になりつつある。そろそろ手じまった方が利巧だと思うが、動き出したら止まらないのが組織の思惑、果たしてどんなことになるのだろう。


≪「戦争リスク」無視できないNATO対ロシア  編集委員 高坂哲郎
 今年2月下旬、欧州連合(EU)によるギリシャへの金融支援が継続されるかどうかに世界の注目が集まっていた頃、同じ欧州で、米軍を基軸とする北大西洋条約機構(NATO)軍とロシア軍が武力衝突すれすれのきわどい状況にあった。この危険な状況は大きく見れば今もそう変わっていない。
 双方がにらみ合っていた場所はバルト3国のエストニアとロシアの国境地帯だった。2月25日、ロシア軍は5日間の日程で実動演習をエストニアとの 国境近くで開始した。そのシナリオは、空挺(くうてい)部隊約1500人がパラシュート降下し、仮想敵軍の飛行場を奇襲して破壊するとともに、敵軍兵士を捕虜とするという攻撃的なものだった。
 軍事演習があなどれないのは、演習と見せかけて部隊を集結させ、実際に本当の戦争を始めるケースがあるためだ。1996年の「台湾海峡危機」の際には、中国軍が台湾海峡沿岸部に演習名目で大量の部隊を集めたことに米軍が仰天し、急きょ周辺海域に空母部隊を2個も展開させて中国軍の暴発を食い止めている。

■軍事パレードに星条旗
 2月下旬のロシア軍の演習に対しても、NATO軍は強い覚悟で臨んだ。それ以前の段階で「米欧とロシアの関係は冷戦終結以降で最悪の状態」(ストルテンベルグ事務総長)、「エストニアにとってロシアは現実の脅威だ」(ファロン英国防相)といった厳しい状況認識が相次いでいた。ロシア軍の演習が始まる前日の2月24日、NATO軍 は機先を制するように、エストニア東部のロシアとの国境に接する都市ナルバでの軍事パレードに星条旗を掲げた米陸軍装甲車などを走らせ、ロシア軍の目と鼻の先にNATO軍がいることを強調してみせた。
 仮にロシア軍が、同国系住民の保護を名目に、空挺部隊の投入を手始めとしてエストニアに部分侵攻すれば、わずかなNATO軍では完全に阻止するのは極めて難しい。それでも、部隊を展開することによって相手に「我々の兵士を倒して侵攻するのなら、全力で報復する」と警告できる。こうした手法は「仕掛け線」戦術とも呼ばれる。米軍は1990年の湾岸危機の際、サウジアラビア北部の国境地帯に空挺 部隊を投入し、同国にイラク軍が侵攻する事態を阻止した。先々、中国軍が台湾に攻め入る気配を見せれば、沖縄などから海兵隊を突入させて仕掛け線とする可能性もある。
 2月下旬の危機を乗り切ったNATOだったが、ロシア軍はその後も全土で軍事演習を続け、いつでも遠隔地に戦車部隊などを展開できる態勢を維持し ている。これに対しNATO側も、ポーランドや黒海などで軍事演習を相次いで実施し、一歩も引かない構えだ。米軍は、冷戦終結後いったん撤収した対地攻撃機A10の部隊を欧州に再配備したほか、新たに戦車部隊などを中・東欧に常駐させる構想も浮上している。

■プーチン氏の「核兵器使用」発言
 そんな中で飛び出したのが「クリミア併合時に、必要なら核兵器を使う用意があった」とのプーチン・ロシア大統領の発言だった。同様の核使用発言 は、他のロシア政府関係者からも出ている。つまり、ロシアは「NATO軍が仕掛け線戦術や通常兵力の積み増しで対抗するなら、こちらは戦術核兵器を使うまでだ」と、核兵器使用のハードルを下げてみせる威嚇に出たのだ。
 仮にロシアがNATO加盟国のエストニアに侵攻すれば、他の加盟国は集団的自衛権を行使して反撃に出なければならない。ただ、ロシアが核兵器を使うことも辞さないと宣言した以上、NATO加盟国の中には反撃をためらう国が出てくることも予想される。一致してエストニア防衛に動けない状態が長引けば、NATOとその盟主たる米国の威信が大きく揺らぐ。「プーチン氏の最終的な目標 はNATOを解体することなのだ」(米軍制服組トップのデンプシー統合参謀本部議長)との分析が正しければ、今回のプーチン氏の核発言は彼なりの「布石」 ということになる。
 「エストニア侵攻」はロシアにとって別の利点もある。それが現実になれば、NATOの関心は加盟国エストニアの防衛に 集中する。非加盟国ウクライナの東部での紛争は脇に押しやられ、親ロシア派勢力による東部の実効支配はますます強まるだろう。ロシアは以前にも、東部で流血の紛争を発生させることで世界の注目をそちらに集め、クリミア半島奪取を既成事実化することに成功している。「ロシアは米欧との紛争を起こせば、(自らの命綱である)原油・ガスの市場価格を上昇させることができる」(米コラムニスト、トーマス・フリードマン氏)との見方もある。
 エストニアと同様に国内にロシア系住民を抱えるリトアニアは1月、国民向けに戦争勃発時の対処マニュアルを配布するとともに、2月には徴兵制を復活させる方針を表明した。ポーランドでは、有事の際に市民を守る「民間防衛組織」があちこちで設立されているという。「ロシア対NATO」戦争リスクは、欧州では無視できないものとして考えられ始めている。日本ではどうであろうか。 ≫(日経新聞:ニュースをこう読む―高坂哲郎)


PS:
■プーチン大統領はロシア抑止の試みについて語ったなかで「そんな真似は通用しない」と語った。 プーチン大統領は26日、連邦保安庁の職員らに対し、次のように語った。 「いわゆるロシア抑止のために政治的孤立から大規模な情報戦争、特務機関のツールまで、あらゆる手段が使われている。最近、あけっぴろげに、言うことを聞かないやつは時々、手をねじりあげてやるという発言が聞かれたが、ロシアにはそんな真似は通用しない。」
■プーチン大統領は2016年、2018年の選挙期間中にロシアに反対した画策が練られていることを明らかにした。大統領は連邦保安庁に対し、不安定化を狙った行動を許さないよう求めた。 「西側の特務機関が自分の目的で、第一に政権の無効化、ロシア内情の不安定化を狙って非政府組織や政治化された団体を使う試みは止まない。」 タス通信がプーチン大統領の声明を引用して報じた。プーチン大統領の掴んでいる情報では、 「2016年、2018年の選挙期間に起こす画策はすでに計画されている。」 ≫(以上2本SPUTONIK)

表現者 2015年 03 月号 [雑誌]
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●乾坤一擲古賀茂明の反撃 良識論者と出会えないニュース報道

2015年03月28日 | 日記
メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)
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●乾坤一擲古賀茂明の反撃 良識論者と出会えないニュース報道

ファシズムと云うのか、ナチズムと云うのか、そりゃあどっちでも良いわけだ。これはシステムがどうのこうのじゃなく、言葉のニアンスだ。つまりは、全体主義的で、言論統制が行き渡った社会と云うことだ。報道ステーションで、官邸の恫喝に屈したテレ朝の舞台裏が、古賀氏の乾坤一擲の捨て身業に一網打尽にされたわけだが、本日から官邸が、どのような動きをするのか、よくよくウォッチングしておかなければならないだろう。

官房長官が「放送法違反だ」とお得意の決めつけ恫喝のお家芸を見せるのが、菅と云う人物の人格なのだろう。金持ちの二世三世政治家も困ったものだが、成り上がり者は、権力を持たせると、こういう事態にもなるのだろう。田中角栄などは、成り上がりでも「玉」が違っていたとしか、理解のしようがない。まあ、その恐怖に慄いて、キャスターから、チューフプロデューサーまで更迭するのだから、テレ朝もホスピス入りの報道番組しか作れないことが明白になった。TBSニュース23の膳場・岸井キャスターがどうなる、次の見ものだ。

そう言えば、もう一人二人、ウォッチングが必要なキャスターがいる。TBSの金平キャスターだ。おいおい、TBS毎日新聞系が残ったか……。う~ん、与党公明党の霊験あらたか?これも少々困りものだが、この際致し方ないのだろう。それにしても、筆者から見た場合、十二分に政府寄りの発言の多いNHKニュース9の大越キャスターの物言いまで気に食わんと云うのだから、全局のキャスターを長谷川幸洋にでも任せてしまったら良いのではないだろうか?(笑)。

本日は、本来であれば、「米国・NATOとロシア」核戦争の脅威 米国のあがき」というコラムを用意していたが、上記コラムでも、米国覇権主義のプロパガンダ報道が話題に上るが、あまりにも稚拙で暴力的な安倍官邸の言論統制は野蛮である。ハプニング情報に接し、急きょ、このコラムになった。NHKの大越まで気に食わんのでは、もうテレビは嘘しか言えない放送局と云うことになるようだ。そう言えば、もう一人思い出したが、テレ朝のモーニングバード・そもそも総研の玉川キャスターは大丈夫なのかな?最近見ていないので分からないのだが?株価が下がっても上がったと言いそうなテレビにはご用心な時代が来たと云うことのようだ。

≪ 古舘報道ステを元官僚古賀氏が“ジャック”
 元経済産業省官僚の古賀茂明氏(59)が27日、テレビ朝日系「報道ステーション」に生出演し、番組を“ジャック”した。古舘伊知郎キャスター(60)と自身の番組“降板”を巡って、口論のような形に発展した。
 番組中盤、緊迫する中東情勢を伝える場面で、古舘が古賀氏に解説を求めると、この日が最後の出演になるという古賀氏が切り出した。
 古賀氏 ちょっとその話をする前に。テレビ朝日の早河(洋)会長と、古舘プロジェクトの佐藤(孝)会長の意向で今日が最後ということに(なりました)。
 これまで古賀氏は同番組で、「I am not Abe」などと安倍政権に批判的な発言を繰り返していた。
 古賀氏 これまで本当に多くの方に激励していただいた。一方で菅官房長官をはじめとして、官邸のみなさんのバッシングを受けてきた。それを上回る応援で楽しくやらせていただきまして、本当にありがとうございました。
 降板した理由を話すと、古舘も「ちょっと待ってください。今の話は承伏できません」と対抗したが、古賀氏は「古舘さんもその時におっしゃりまし た。『この件に関してはお役に立てなかった。本当に申し訳ない』と。全部録音させていただきましたので、そこまで言われるなら全て(データを)出させてい ただきます」と引かない姿勢で、いったん収束した。
 しかし、その後も「自分で作ってきました」と、「I am not ABE」と書かれた手製の紙を広げた。古舘は「番組ではこれまで川内原発に対 する指摘や、辺野古の問題についても取り上げてきたじゃないですか」とたしなめると「私もツイッターでぜひ見てほしいと書きました。でも、それを作ってき たチーフプロデューサーが更迭されます」と反論。これには古舘も「更迭ではない。私は人事のことまでわからないけど、それは違う」と否定した。
 さらに古賀氏は安倍政権について「原発復権・官僚復権・行革埋没」と指摘するフリップを見せたが、古舘が「ちょっと時間もないので」と制止すると、古賀氏は「そういうことは言ってほしくなかったのですが」と渋々フリップを降ろした。続けてマハトマ・ガンジーの言葉をフリップで出し、「私が言いた かったのは、言いたいことはそのまま自然に言いましょうということ。裏で圧力をかけたりはやめましょう」と話した。 ≫(日刊スポーツ)

 PS:リテラの「NHK 9時の大越キャスター更迭は官邸の意向! 安倍お気に入り美人記者も協力?」の記事は以下のURLから。
http://lite-ra.com/2015/03/post-979.html


国家の暴走 安倍政権の世論操作術 (角川oneテーマ21)
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●中国AIIBに参加しなかったアホな政府 隷米思考の公家集団

2015年03月27日 | 日記
資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)
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●中国AIIBに参加しなかったアホな政府 隷米思考の公家集団

以下は山田厚史氏のコラムである。筆者自身も、口が酸っぱくなるほど、アメリカの「一強他弱」と云う権力集中はなくなる。その考えは、今や「神話」であり、幻想に近い観念になりつつある。アメリカが、抜けて有利なのは世界展開できる軍事力だったが、それも縮小傾向にあり、諜報陰謀的な動きに変りつつある。つまりは、企みがないと、減少したパワーの維持が困難になってきた証左なのだろう。

欧米先進国経済には、必然的で、人間の根源的欲求に根ざす「需要」が枯渇するところまで、先進してしまったのである。アイホーンの売れ行きや不老不死のIPS細胞等と云う話題で、人々が生きるようになったと云うことは、もう死活問題から、遠く離れているわけで、人間が生きる上での、自然の叫び「需要」ではなくなっていると云うことだ。必然的に、根源的欲求があり、一定上の文化文明を持っており、経済的力をつけて来た、開発余地を充分に残すところに、大きな発展が期待される。

それが、好き嫌いを別にして、中国大陸であり、延いてはユーラシア大陸である事は、世界の知識人であれば、当然理解している事である。無論、モノマネや偽物などの文化もあるわけだが、経済の発展に合わせて、いずれは是正される過渡的問題だ。山田氏は「実利」の面から、日米の外交の瑕疵を指摘しているが、筆者は歴史観の問題なのだと思う。哲学的志向性の強い、EUやロシア、インドが、中国の抬頭はリスキーだが、歴史の必然であり、抗うことに、何の意味も持たないと結論づけるわけである。

正直、アメリカの最大のウイークポイント、「歴史の浅さ」が露呈しつつあると云うことだ。その歴史のない国が、第二次大戦後世界のリーダーであったわけだが、経済的豊かさ、豊富な天然資源、「世界一」であることで人工移民国家アメリカ合衆国を繋ぎ合わせていたわけだ。ただ、自然発生する根源的人間の欲求と云う意味では、その需要は枯渇しつつある。このように、具体的に具現化されるものだけを素材に繋ぎとめていた集団には、脆さがある。それが、歴史に裏打ちされた、哲学の強みである。

そのような情勢に向かって、世界の潮流が流れ出している以上、逆らう理由はどこにもない。プライドが、どうのこうのと云う問題でもない。歴史に逆らうことは、戦争に突き進んでいった先人の愚を、再び繰り返すのみである。たかが尖閣諸島の為に、100年、200年先の日本と云う国を捨てるも同じことだ。筆者の思いとしてある準鎖国国家になり、慎ましく生きる国を目指したいのなら、それでも構わない。しかし、殆どの日本人は、そんなこと望んでもいない。であれば、好きも嫌いもあるわけがない。いずれ、ドル基軸は崩れるだろう。米国国債を抱えた日本はどうするのか?財務省の官僚たちに聞いてみたいものだ。

わが国の指導的立場に立っている人々は、アメリカ依存の70年を生きてきているので、利益相反な立場主義として、中国に靡く云々の前に、アメリカの顔色を見ると云う習性が、骨身に染みついているので、そのトラウマから抜け出すことは、容易ではない。残念ながら、日本と云う国には、大和の哲学が育たなかった。器用に、中国文化を取り入れることには熱心だったが、自分たちの哲学で生みだすより早く、利便性豊かなものに改変する器量が先走ってしまったようだ。まあ、日本と云う国の運命的問題かもしれない。

 ≪ 中国に破れた通貨マフィア AIIBは日本外交の試練の場に
 英国はじめEU主要国が参加を表明し、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)は、先進国の協力を得て実現する流れが決まった。日本は「慎重姿勢」を採りつづければ取り残させる。遠からず参加へと方針は転換されるだろう。

  「後からの参加」という外交敗北を反省するしかない。より大きな傷を負ったのは米国。「参加は慎重に」と呼びかけた欧州やアジアの友好国が次々と中国に引き寄せられた。市場として、投資先として、中国を無視できない。そんな現実が国際政治に投影したのである。

 戦後世界の金融秩序は「通貨マフィア」と呼ばれる人脈のネットワークだった。国際通貨基金(IMF)と世界銀行を中心とする国際金融体制は米国とドルを基軸とする経済支配の装置でもあった。だからこそ中国の動きを「国際通貨体制に対する反逆」と見て警戒した。

 中国は途上国を束ねて米国支配にくさびを打ち込んだ。AIIB誕生は大国興亡の歴史的転換点かもしれない。

■「爆買い」は欧州でも 世界経済を下支えする中国マネー
 中国人の「爆買い」が話題になるのは日本だけではない。ロンドンでもパリでも中国人の旺盛な消費は、低迷する消費の下支えだ。観光客だけではな い。中国とビジネスを拡大することは成長戦略と意識されるようになった。ロンドンでは東京の臨海副都心に当たるテムズ川河口のドックランドをアジアビジネスの拠点にしようと、人民元で商売ができる中華ビジネスセンターが構想されている。

 AIIBへの参加を表明した英国のオズボーン財務相は「欧州で真っ先に創設メンバーになる」と誇らしげに語った。戦国時代の合戦で戦端を切った「一番槍」にご褒美が与えられたように、他国が逡巡している時、真っ先に手を挙げて流れを作った国は厚遇される。 「英国は中国に恩を売り、引き換えにふさわしいポストを得る約束を取り付けたのだろう」。経済外交の現場で汗をかいた官僚OBは推測する。同じ「参加」でも真っ先に手を上げるのと、後から渋々加わるのでは、外交価値は天と地の違いがあるという。

 フランスもドイツも同様だ。文化を売り物にするフランスは中国の富裕層に狙いを定めている。ブランド品や高級品を惜しみなく買ってくれるのは中国 の消費者。ドイツは工業製品を売りたい。日中関係が悪化している間にドイツは中国の市場を席巻した。外国車の首位を独走するのはフォルクスワーゲン。ベンツやBMWも中国市場で潤い、シーメンスは上海を手始めにリニア鉄道を売り込んでいる。膨大なインフラ事業はドイツにとって願ってもない商機である。

 成熟経済の欧州にとって、やがてはユーロ圏とつながるユーラシアの勃興は他人事ではない。インフラ需要を取り込みビジネスの根を広げることは「国益」がからむ。

 ■日本が参加をためらう三つの理由 懸念と参加は分けて考えるべき
 同じことが日本にも当てはまるが、政府は「中国主導のAIIBは問題が多い」と参加などとんでもない、といわんばかりだった。 「安全保障問題がない欧州と(尖閣などの緊張感を抱えた)日本とは事情が違う」

 政府首脳が言ったとされるが、そんな発想は鉄のカーテンで仕切られた冷戦時代のものではないのか。経済のグローバル化は政治的対立を乗り越えて動く。ビジネスは儲かるところに出ていく。経済の一体化が政治的対立を無意味なものにするのがこの時代だ。

 安倍首相はことあるごとに「中国に対話のドアは常に開いている」という。ところがアジアインフラ投資銀行では腰が引けていた。というより中国主導の運営を批判する急先鋒が日本だった。

 理由は三つある。第一は米国の反対だ。資金不足の途上国に金繰りの面倒を見るのは米国主導で、と考えIMF・世銀体制への挑戦は許さない、という盟主意識が米国にある。

 第二はアジアのインフラ建設は日本に主導権がある、という思いだ。マニラに本部を置くアジア開発銀行(ADB)の歴代総裁は日本人が務めてきた。インフラへの投融資はADBの仕事だ、中国の都合で第二アジ銀を作らせてたまるか、というわけだ。

 第三は中国流の金融に対する不信。中国でまかり通っている人脈や政治がらみの融資をアジアに広げたら先進国が作ってきたルールを壊される、という 心配だ。主導権を握った中国がインフラ建設への融資を外交の道具にしかねない。審査も甘くなり、環境破壊のプロジェクトさえまかり通る恐れがある、というのだ。

 一・二の理由が主だが、公然と主張するのは憚られる。もっぱら第三の理由を前面に掲げ反対を表明している。AIIBの問題点を整然と指摘したのがアジア開発銀行研究所長だった河合正弘東大公共政策大学院特任名誉教授だ。 「中国が主導する『アジアインフラ投資銀行 ビジョンもガバナンスもなき実態」という論文を雑誌「ウエッジ」(1月6日号)に掲載。(1)ビジョン・理念(2)ガバナンス(3)融資政策・条件(4)ドナー間の強調の4点が問題として書かれている。

 私はバンコク特派員として3年間アジアを回り、中国の援助案件の現場を取材した。  例えばフィリピンの漁港整備の裏には米国の軍事基地に対する牽制があったり、中国に電力を送るラオスでのダム建設が流域住民の暮らしや環境を無視して作られるなど、乱開発や政治利用が少なくなかった。

 河合レポートは現場経験のある専門家の指摘だけに納得いく指摘が多々ある。インフラ建設の銀行が中国主導でできるのは「ヤバいこと」と私も思った。だが、懸念があることと、参加することは分けて考えた方がいい。

■好き嫌いで外交はできない 大切なのは「実利」
 中国は昨秋、日本に参加を要請してきた。アジアのインフラ開発を一緒にやりましょう、という誘いを「中国主導の銀行に血税を注ぐことはできない」と断るのは簡単だが、果たしてそれですむだろうか。

 日本が加わらなくても中国主導の援助銀行はできてしまう。AIIBだけではない。「シルクロード基金」と名付けた中国版IMFも用意している。貿易黒字で膨れ上がった外貨準備などを使い総額400億ドルの基金を設け、資金繰りが危なくなった途上国に緊急融資する。アジア危機ではタイ、インドネシ ア、韓国がIMFからカネを借り、耐乏政策を強制された。米国支配のIMFに代わって中国が困った国に救済の手を差し伸べる体制を作ろうというのだ。

 これから米国が金利を引き上げる。資金の収縮が起きグローバルマネーが途上国から引き揚げると、アジア危機のような事態が起きないとも限らない。途上国にとって国家の資金繰りは命綱である。日本が参加しなくても中国にカネがあるからには、途上国はなびく。

 習近平がAIIBを提唱したころ日本では「中国と領土紛争を抱えるベトナムやフィリピンは参加しない」「先進国は参加しない」「韓国も米国との関 係から無理だろう」という観測が関係者にあった。ところがベトナム・フィリピンを含むASEAN10ヵ国は賛意を表明し、中国と張り合っているインドも加 わった。英国はじめ欧州勢が合流し、韓国も時間の問題だ。

 好き嫌いで外交はできない。カネが中国に集まり、巨大な市場が中国にあり、世界の工場が中国なら、手を携えないわけにはいかないのだ。

 G7諸国である英・仏・独・伊の参加は、日本から見れば「恥知らず」かもしれないが、大事なのは「実利」なのだ。AIIBに問題が沢山あることは 英国も承知している。だが外から文句を言っても始まらない。「我が国が加わることで健全な運営に寄与したい」と英国はいう。なぜ日本はこうした態度が取れないのか。外交力に自信がないからか。

 ■選択は「参加」しかない アジア諸国との絆を強めよ
 前回の「世界かわら版・第80回」で AIIBを取り上げ「日本は参加し、中国に正々堂々と向き合え」と書いた。反応はおおむね「中国主導のAIIBに参加しろ、というのはずいぶん思い切った主張」というものだった。だが世界の趨勢を見れば、選択は「参加」しかない。あの時点で財務省は英国が参加するという情報は得ていた。しかしフランス・ドイツの動きは分からなかった。創設メンバーの締め切りである3月末を過ぎても、欧州勢と手を組んで参加条件を打診することができるのでは、と淡い期待を持っていた。

 国内に渦巻く「反中感情」や歴史認識を巡る中国との綱引き、尖閣を巡る緊張関係に目を奪われ、世界の動きが見えていなかった。

 最大の懸念は参加しても十分な発言権を持てない、という心配だった。発言の重みを決める出資比率は経済規模が目安になる。日本は中国の半分である。圧倒的な比率を持つ中国を抑えらえない、というのだ。

 だが他の参加国まで中国の言うなりではない。ASEAN諸国は中国の突出を懸念して「日本はアジアでもっと力を発揮してほしい」と願っていた。インドも中国とは緊張感のある付き合いをしている。日本の出資は中国の半分でも、インドやASEANと手を組めば中国もやりたい放題はできないはずだ。膨張中国は周辺諸国にとって悩ましい問題になっている。領土問題で力の差を見せつけられたベトナム・フィリピンだけでない。ミャンマーもラオスも中国の膨圧に は手を焼いている。そうした国に日本に対する期待は強い。アジアを回っていてそう感じた。

 問題は日本の姿勢だ。目が向くのは太平洋のかなたアメリカである。先進国の一員として上から目線でアジアを見てきた。国際会議でも日本は米国の子分でアジアの仲間ではない、という受け止め方をされている。

 先進国側であるから中国の風下には立てない。そんな陳腐なプライドが、アジア諸国との交わりを妨げてきたのではないか。

 中国主導のAIIBは日本外交が一皮むける試練の場になる。対等な目線で途上国と向き合えば、中国という鬱陶しい存在はアジア諸国との絆を強めてくれるだろう。

 地球の軸は太平洋からユーラシアへと動いている。ワシントン情報に聞き耳を立て、ホワイトハウスの期待から外れない行動が立派な外交官という風土を改めるチャンスでもある。 ≫(ダイアモンドONLINE:国際―山田厚史の「世界かわら版」
 

PS: 韓国、アジア投資銀に参加=創設メンバーで発言力確保
【ソウル時事】韓国政府は26日、中国主導で年内設立を目指すアジアインフラ投資銀行(AIIB)に、創設メンバーとして参加することを決定し、中国に通知した。企画財政省が発表した。トルコも同日、参加の意向を示しており、これで参加表明国は36カ国となった。
 インフラ整備や建設に強く、日本と競争関係にある韓国がAIIBの創設メンバーとなることで、AIIBに距離を置く日本は難しい対応を迫られそうだ。
 企画財政省は「参加により建設、通信、交通などのインフラ事業の経験が多い韓国企業の事業参加が拡大できる」と期待。「AIIBは韓国が設立時から参加する最初の国際金融機関となり、金融外交の影響力を増す上で重要な手段になる」と強調した。
 韓国は、米国の意向を考慮し、参加に迷いを見せてきた。しかし、経済的に中国への依存が大きい現実から、インフラ整備で韓国企業の受注機会を逃すわけにはいかないと、実利を重視。英国やフランス、ドイツなど欧州の主要先進国が参加を決めたことで、中国が独占的に運営する懸念は緩和されたと判断し、参加を決めた。
 また、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)では発言力が小さいことから、両国が参加に慎重なAIIBの創設メンバーになり、発言力を確保することが得策と考えたもようだ。ただ、参加により、中国寄りの姿勢が一層濃くなり、米国の不満が強まる可能性もある。 ≫(時事通信)

地政学の逆襲 「影のCIA」が予測する覇権の世界地図
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●「この期に及んで」詭弁官房長官、翁長知事にお会いしたい!??

2015年03月26日 | 日記
ウクライナ危機の実相と日露関係 (友愛ブックレット)
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●「この期に及んで」詭弁官房長官、翁長知事にお会いしたい!??

本日は多忙につき、ひと言コラムでご勘弁ねがう(笑)あの詭弁官房長官の菅が~、「この期に及んで」翁長沖縄県知事とお会いしたいだと、ふざけるのもいい加減にしろというものだ。一昨日は「「この期に及んではなはだ遺憾だ。法律に基づいて粛々と工事を進める」と、「この期に及んで」を5回も繰り返し、言い放ったばかりだと云うのに、翌日には「この期に及んで」会いたいと云う。何なんだ、この男は。県民や地方の首長たちを見下した、横柄で不遜傲慢な態度は、人としての道に外れる。

なんでも強引に通してしまえば、2/3の議席があるから怖くない。名護市長選でも、知事選でも、何とか基金だ、補助金上乗せだ、と買収発言を、恥とも思わずにする男である。色々と情報を集めてみると、官邸内での立場は、必ずしも順風満帆ではないらしく、翁長知事の指示も「違法性が重大かつ明白、無効なものだ」とまで言ったのである。それが、翌日には、この期に及んで会いたいと言い出した。詭弁官房長官は危機に陥ってしまったようだ。安倍首相の右巻き取り巻きと一線を画しているが、それだけに官邸には詭弁官房長官の首を刎ねようとしている輩も多いらしい。

右巻き官邸も困るが、詭弁官房長官も困る。つまり、安倍官邸に入る連中は、全員困る奴らと云うことになる。かなり、ホワイトハウスの日本の政権に対する茶々入れも本格化しているようで、ジワジワと安倍官邸包囲網が出来つつあるようだ。まあ、どっちに転んでも、我が国に良いことはないのだが、沖縄県には、自主独立の気概で、日本政府をきりきり舞いさせて欲しいものだ。本土の根性無しな自治体の首長に、地域主権とは、こう云うものだと教えて貰うことになるが、何からかにまで、オンブンにダッコで申し訳ないが、頑張って貰いたい。

政府は、≪行政不服審査法などに基づき、知事の指示の取り消しを求める審査請求と、審査請求裁決までの間は指示の効力停止を求めた申し立てを農水相に行った。仮に沖縄県が岩礁破砕許可を取り消した場合、政府は「取り消し無効」を確認する行政訴訟に踏み切ることも検討する。≫(時事)なのだが、政府と政府の間柄、沖縄県に有利な答えが出ることは少ない。政府が、司法の場まで持ち込むと云うのはブラフで、そんなことになれば、官邸は辺野古基地建設を粛々と云うわけには行かなくなる。それに、最近の司法は、民意にかなり敏感な反応を見せているので、司法の場に立ちたくないのは、政府である。 

≪ 沖縄知事との会談に意欲=菅官房長官
 菅義偉官房長官は25日に放送されたNHK番組のインタビューで、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題の打開に向け、翁長雄志知事との会談に意欲を示した。菅長官は「遠くないうちにお会いしたい。私の疑問も率直に質問したい」と語った。
 翁長知事は名護市辺野古への移設に反対して政府と対立し、安倍晋三首相や菅長官との会談はいまだに実現していない。菅長官は番組で移設について「抑止力の維持、普天間飛行場の危険除去を考えたときに唯一の解決策だ。法令にのっとって着実に粛々と埋め立て(への作業)を進めている」と強調した  ≫(時事通信)

自分で考える集団的自衛権 ―若者と国家
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●ファシズム政権の民意無視 異常事態に突入した辺野古新基地建設

2015年03月25日 | 日記
安倍晋三と翼賛文化人20人を斬る: 佐高信の新・政経外科
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●ファシズム政権の民意無視 異常事態に突入した辺野古新基地建設

遂にと云うか、やっとと云うか、基地建設反対の民意を背に受けた翁長雄志知事が動いた。同知事は、知事としての権限を行使し、新たな対抗措置に踏み切った。ボーリング調査を含むすべての海上作業を1週間以内に停止するよう沖縄防衛局に指示した。この指示に、国が従う可能性は殆どない、そのような雰囲気を粛々官房長官が言っている。しかし、その指示に、国が従わなければ来週にも岩礁破砕の許可を取り消すと宣言した。粛々官房長官は「この期に及んではなはだ遺憾だ。法律に基づいて粛々と工事を進める」と言い放っているが、何だか、懇ろになろうとする直前に、相手が「チョッと待って」と懇願している状況を思い浮かべた。そういう折、悪漢は必ず「この期に及んで、今さらジタバタするんじゃねえ!」と凄むものである。進んで「路チュウ」するような相手は滅多にいるものではない(笑)。

謂わば、レイプする側のセリフまで口にするのだから、相当の悪である。あの顔で、そういう事をしてきたと云う話は聞かないが、彷彿とさせるに充分な、屁臭い顔つきであった。我が国の官房長官と云うもの、最近は下品印が増えたと云うことは、その上にいる宰相はもっと下品なのだろう。そう言えば、NHKにトンデモナク下品な会長がいるが、情けない、ハイヤー代くらい自腹をはじめから切るべきだ。武士の風上にも置けない奴らに、威勢の良いことを言われると、特別腹が立つ。そういや、最近百田とかいう三文小説家はどうしているのかな(笑)。あれも、呆れるくらい下品だ。下品勢力の親玉は、自衛隊のことを「我が軍」とへらへら喋り、近隣諸国に不快と不安をばら撒いている。

それこそ、やっぱり日本は先の戦争の歴史認識を変えたがっている。口では「侵略」とか「反省」とか言うかもしれないが、日本の宰相は再軍備を強く希望しているのだな、と印象づける。オバマも目を白黒させているらしい、「話が違う、誰だAが良いなんて言ったのは!」そして、その男が、日本の国会で2/3の議席を得ている事実は、日本人も、そう思っていると云う誤解の中で、次の歴史が動き出すリスクは高まっている。辺野古新基地の建設は、何のために、誰のための基地なのか。そして、辺野古は何処にあるのか。沖縄にあるのだから、沖縄県の民意を無視して、国が粛々とと云う理屈は、民主主義を全体主義で否定しているのと同じロジックだと、なぜ気づかないのだろう。

国の手続きに項目ごとに瑕疵がないとしても、基地が建設されている県の民意が、その建設のNOと言っているのだから、前知事の裁量で事足りる、現知事に会う必要もないと云う根性のなさは、後ろめたさを露呈しているだけだろう。安倍も菅も、翁長知事を言いくるめる器量がないのだ。逆に言えば、不正義を重々承知で行っている確信犯なのである。USJも出来るよ、カジノも出来るよ。今の沖縄は、金じゃありませんと民意が苦渋の選択をしたのだ。この状況を理解するのが、民主主義であり、地方の主権なのである。何が「地方創生」だ、漢字が泣くぜ!

米軍も海兵隊も、いずれは居なくなるのは、時の流れだ。その時、自衛隊が「我が軍」となり、辺野古基地を使うことが、イメージの中にあるのだろうが、沖縄の人々が、本土の原発立地自治体のように、「最後は金目でしょう」ではない、気概も見せているし、そういう歴史的で、根源的気高さの問題も抱えている。その沖縄で、米軍や自衛隊乃至は我が軍が、充分な安定的防衛基地として成立するのだろうか。不安定の極みだ。周りの住民の存在を無視して、基地の成立はあり得ない。まあ、言っても、今の全体主義的思考経路しかない安倍政権に語っても意味はないだろうが。

こんなことなら、政治家なんて要らないのじゃないか。国民の代表が、その民意を無視して、金さえ払えば良いだろう。万引き犯の捨て台詞のような政治ばかり見せつけられると、まともな教育など行われる筈もない。金に汚い詭弁オヤジも、まだ大臣で居座っていたな。なんだか、国会もいらない気分になってくる。宰相を選ばなければ、イスラム国を怒らせた2億ドルもいらないし、何十兆と云う税金が、海外でばら撒かれ、挙句に、恨まれることもない。政治は小役人にやらせておいても、同じなのではないのだろうか。選挙を棄権する人々の気持ちがかなり理解出来る昨今だ。最後に、数少ないジャーナリスト、金平氏のコラムを載せておく。お口直しに読んでおいていただこう。


≪ 【金平茂紀の新・ワジワジー通信(3)】常軌逸した辺野古の今 米・日と「傀儡」メディア

  チュニジアのチュニスへ向かう航空便の機内でこの文章を書いている。日本人観光客3人を含む人々が、チュニスの博物館で起きたテロ事件の犠牲になった。その事件の取材に向かうために僕は機内にいる。テレビ報道という僕らの仕事は「発生モノ」と言われる目前で新しく起きた出来事に関心を奪われがちだ。「ニュース」という言葉の原義は「新しいこと」である。ただ、報道の役割はそうした目先のことだけで終わるものではない。また、そうであってはならない。長い時間を費やしてようやく理解できること、数カ月、数年、数十年の取材の結果分かることというものがある。そして、人間の歴史というものを考えてみると、むしろ、長期的取材の成果がより重要な意味を帯びてくることがある。僕自身にとって、そういうテーマのひとつが「沖縄の現実」である。

 特にこの1、2カ月の間に沖縄の名護市辺野古周辺で起きていることは、率直に記せば、常軌を逸している。常軌を逸していることは、通常であればマスメディアにとってみれば、報道すべき基準の必要条件のひとつなのだが、現実はそうなっていない。常軌を逸しているにもかかわらず、メディアの多くが(それは地元の一部テレビ局をも含む)、それをなかったことのように振る舞っている(振る舞っていないか?)。その対応自体が常軌を逸しているという事態が生まれているのだ。

 辺野古に米軍の新基地を造ることに反対の声が多くあり、その反対運動の一翼を担っていた沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが、2月22日に米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、米軍警備員によって身柄を拘束され、その後、沖縄県警に身柄を引き渡され逮捕された。約32時間後に山城さんは釈放されたが、米軍直属の警備員による行動は、常軌を逸した形だった。山城さんは、抗議行動をしていたメンバーらにイエローラインの内側に入らないように自制を呼びかけていたところ、警備員がやってきていきなり山城さんを後ろから押し倒し、その後両足を持ち上げて体を引きずって(まるで重いごみ袋を引きずるようなモノ扱いにして)身柄を拘引(けんいん)し、続いて米海兵 隊兵士が金属製の手錠を後ろ手にかけて、基地内敷地にしばらく放置した。

 本紙北部支社の浦崎直己記者がこの一部始終を目撃していた。彼は携行していたデジカメで何枚かのシーンを撮影した。奇異なことに、山城さんが拘束された瞬間、現場には、米軍当局、沖縄県警がビデオカメラ数台で (確認できるだけで4台いた)拘束の模様を撮影していた。撮影用のバーまで用意して高い視点からの俯瞰(ふかん)映像を撮る念の入れようで、まるでドキュメンタリー映画か何かを撮るような体制が組まれていた。テレビ局は1局もその場にいなかった。後日、米軍のカメラで撮られた映像が外部に流出した。いや、 この表現は不正確なので言い直せば、(この原稿の校正段階で発覚した事実だが)米海兵隊政務外交部次長ロバート・エルドリッジ氏が利害関係を同じくする第三者に映像を提供し、それがネット上にアップされた。その動画は、念入りに編集されたもので、ある意図を感じさせる代物だ。エルドリッジ氏は流出の責任を問われ、事実上解任された。

 山城さん拘束という事態が生じた日、NHKは全国ニュー スとしてこの出来事をまったく報じなかった。NHK沖縄は、ローカルニュースとしてこの出来事を報じたが、それは大規模な基地反対集会が開かれたというニュースの最後に、付け足しのように10秒ほどで伝えただけだった。「植民地の傀儡(かいらい)放送局のようだ」と僕の友人は言い捨てた。

 この出来事の前にとびきりの常軌を逸した出来事があっ た。件(くだん)のエルドリッジ氏が、日本の良識ある英字新聞のひとつジャパンタイムズが「ファーライト(極右)・チャンネル」と表現する某インターネットTVに出演し、辺野古の基地反対の声を「ヘイトスピーチ」と同一視する発言をした。その昔、エルドリッジ氏は、大阪大学で日米関係論を学ぶ学者の卵だっ た。当時の彼のことを「日本のことをよく理解してくれるアメリカ人が生まれた」などと褒めそやす学者もいた。日本語を流ちょうに話し、一見人当たりのソフトな物腰の故だったからか。「ファーライト・チャンネル」に出演したことで、「彼の化けの皮がはがれた」とは、沖縄在住の政治学者ダグラス・ラミス氏の言葉である。

 日本の近現代史の泰斗、ジョン・ダワー氏にお会いする機会があった。今年76歳のダワー氏は、沖縄で起こっていることに強い怒りを表明していた。「私は、沖縄の人々が草の根運動を通じて、自らの声を届けようとする姿勢に心から敬意を表したいと思います。終戦以来、米日両政府が沖縄に対して行ってきたことを私たちは決して忘れてはいけません」。その怒りの矛先は第2次世界大戦終結70年、ベトナム戦争介入後50年の今年でさえ、パックス・アメリカーナ(アメリカ覇権による「平和」)を死守する米軍に、そしてそれ に追随する日本政府に向けられたものであったことを記しておく。

 間もなくこの飛行機はチュニスに到着するはずだ。もうひとつの戦争がそこでは展開されている。

金平茂紀(かねひらしげのり) TBS報道記者、キャスター、ディレクター 1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。 ≫(2015年3月24日付沖縄タイムス文化面から転載)

宰相A
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●生き残ったユーラシア大陸の改革者 ゴルバチョフの思い

2015年03月24日 | 日記
日本型資本主義と市場主義の衝突―日・独対アングロサクソン
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●生き残ったユーラシア大陸の改革者 ゴルバチョフの思い

仕事の途中だが、読んでみたい寄稿文が目についたので、掲載しておく。今気になる世界は、ロシア、ドイツ、シリア・イラク・イエメン地域、そして琉球王国だ。

≪ 今、ペレストロイカについて
2015年3月23日 ミハイル・ゴルバチョフ, 元ソ連大統領
  30年前、ソ連では、国と世界を変貌させる改革が始まりました。歴史は、7年足らずというその尺度からすれば僅かな期間をペレストロイカに割り当てました。けれども、それに関する議論は、今も熄んで(やんで)いません。当時何がそして何故起きたのかを詳らかにし、ペレストロイカを理解すること、これは、今日重要かつ必要である、と私は確信しています。

■大改革の背景
 ペレストロイカは、何よりもまず、20世紀の最後の数十年間に国が直面していた歴史的な挑戦への応えでした。1980年代半ば、国は、自国の発展における困難な時期を歩んでいました。
 中央集権化された行政指令システムは、国民の発意を縛り、経済を“拘束服”で抑え、それでもやはり発意を現そうとする人々を罰し、厳しく罰したのでした。
 その結果、1980年代初め頃には、わが国の労働の生産性は、先進諸国と比べて、工業においては5分の2、農業においては4分の1となっていました。経済は、軍事化されており、軍拡競争の重荷を負うのがますます苦しい状態でした。
 私は、私たちは名誉や栄光のために変革へ踏み切ったのではない、なぜなら、私たちは国民がよりよい生活とより大きな自由に値することを理解していたから、と言うことができます。
 その一方、私たちは、相互に関連し依存する世界で進行中の全世界的なプロセスの一部としてペレストロイカを見ていました。

■グラスノスチ
 ペレストロイカの最も重要なツールとなったのは、グラスノスチ(公開性)でした。グラスノスチとは、いったい何でしょう?それは、もちろん、言論の 自由です。人々は、検閲や弾圧を怖れずに切実な問題について公然と語り自身の意見を述べる可能性を得ました。けれども、グラスノスチ、これは、さらに国家の行動における公開性でもあり、これは、自らの決定を説明し国民の意見を尊重することを指導部に対して求める要求でもあるのです。
 グラスノスチは、社会を揺り動かし、国の指導部の目を多くのものに対して開かせました。私たちは、国民がより速やかな進展を欲しているのを目の当 たりにしました。1988年、党の会議で、オルタナティヴな原則に基づいた(選択の余地のある)最高権力機関選挙の実施に関する決定が採択されました。こ れは、民主主義へ向けた極めて重要な一歩でした。
 当初は、文字通り凡ての人が、変革を支持していました。けれども、その後、大胆とはいえ進化的な変革を目指す路線が、凡ての人を満足させているわけではまったくない、ということが分かりました。大衆においても、指導部においても、いわゆる「エリート」層においても。

■急進派と保守派のはざまで
 一方では、分離主義者たちと繋がっていた急進派の人々が、大衆とりわけインテリ層の焦燥を感じつつ、「凡てを根底から破壊すること(『インターナ ショナル』のロシア語歌詞の捩り)」を要求し、一~二年後にはこの国に地上の楽園が訪れるという無責任で実現不可能な約束を大衆に対して行いました。
 もう一方には、過去に留まり、現実的な変化を怖れ、国民の自由な選択を信用せず、既得の特権にしがみついている、保守派の人々がおり、まさに、彼 らが、開かれた政治闘争に敗れ、1991年8月、国の大統領としての私の立場を弱めて数ヶ月後に連邦を崩壊させた急進的な勢力に道を開く結果となるクーデ ターへ踏み切ったのでした。

■8月クーデターそして連邦崩壊
 私は、政治的な手段によって連邦国家の存続を目指して闘っていました。政治的な、という点を、強調しておきます。私にとって、国を内戦の瀬戸際に立たせかねない武力の行使は、受け入れられないものでした。
 クーデターの敗北において肯定的な役割を演じたロシアのボリス・エリツィン大統領は、裏表のある立場を取っていました。ロシアとウクライナとベラルーシの首脳が連邦の崩壊を宣言したベルベージの森での会議は、秘密裡に準備され実施されました。
 私は、最大限の経済の脱中央集権化および共和国への極めて幅広い権限の供与に同意する用意がありました。けれども、まったく別の決定が、ロシア議 会の拍手喝采のもとで採択されました。その結果、凡ての関係が、そして、連邦国家の一元的な防衛といった極めて重要な財産さえも、潰え去りました。

■ペレストロイカの功罪
  とはいえ、多くの人が、ある人は無知ゆえに、ある人は悪意を抱いて、そうしているように、ペレストロイカの結果を連邦の崩壊に帰してしまうことがで きるのでしょうか?いいえ、できません。ソ連の崩壊、多くの人がとりわけ1990年代に味わった苦難や窮乏は、ペレストロイカの破綻の結果です。けれど も、ペレストロイカは過去への回帰を不可能にした抜本的な変化を私たちの生活にもたらした、という肝心なことが、これによって取り消されるわけではありません。
 それは、何よりもまず、人間の政治的な自由や権利です。今ではあたりまえと思われている権利や自由、すなわち、それは、選挙で投票し自分たちの指 導者を選ぶ可能性であり、包み隠さず自分の考えを述べる可能性であり、自身の信仰や自身の宗教を奉ずる可能性であり、自由に国外へ赴く可能性であり、自ら事業を起こして裕福になる可能性です。
 私たちは、軍拡競争を終わらせました。核兵器削減のプロセスを開始しました。私たちは、西側や中国との関係を正常化させました。アフガニスタンから軍隊を撤退させました。多くの地域紛争を解決しました。国の世界経済への統合のプロセスが始まりました。

■冷戦終結とともに新たな世界的秩序の可能性が開かれたが…
 これは、現実の成果です。けれども、今日、多くの人が、こう問うています。いったいなぜ、世界は今こんなにも不安なのか?もしかすると、これも、ペレストロイカや私たちが世界に提案した新思考のせいなのではなかろうか?
 いいえ、私は、これに同意することはできません。今日の危険は、ペレストロイカの破綻、ソ連の崩壊、新思考の原則からの逸脱、そして、グローバル な相互に依存する世界の現実に見合った安全と協力のシステムを構築することが新世代のリーダーたちにできていないことの結果なのです。
 「冷戦」の終結とともに開かれた可能性は、取り逃されてしまいました。それらは、然るべく用いられませんでした。
 国内の原因によって引き起こされた連邦の崩壊は、西側の多くの人によって歓呼して迎えられました。双方および全世界がそこから利を得た「冷戦」の終結は、西側および米国の勝利と宣言されました。
 結果として、世界は、より安全にはなりませんでした。私たちは、「世界の秩序」のかわりに「グローバルな動乱」を手にしました。紛争は、「第三世界」の国々ばかりでなく欧州にも及んでいます。そして、現在、軍事紛争は、わが国の文字通り敷居のすぐそばで起きています。

■グローバルな動乱をいかに解決すべきか?
 ここで、ウクライナ紛争について詳しく述べることはしません。その根本の原因は、ペレストロイカの破綻、ベロベージの森でロシアとウクライナとベ ラルーシの首脳によって採択された無責任な決定にあります。それに続く年月は、ウクライナにとって分裂の試練となりました。西側は、この国を「欧州大西洋共同体」へ引き入れつつ、ロシアの国益を公然と蔑ろにしました。
 たしかに、ペレストロイカや新思考に基づいた外交の経験は、今日的問題解決のための既成の処方箋を与えてはいません。世界は、変化し、世界政治に は、新たな「登場人物」、新たな危険が現れました。けれども、人類が直面する問題は、一つの国の努力によっては、あるいは、国家グループの努力によってさえ、一つも解決できません。それらの問題は、軍事的には一つも解決できません。
 ロシアは、現在の「グローバルな渾沌」を克服するうえで大きな貢献を果たすことができます。西側は、このことを認識すべきです。 ロシアの政治においては、ペレストロイカの時代に懸案だった多くの課題が未解決のままとなっています。これは、多元主義的で競争のある政治システムや現実的な複数政党制の創出、分立する権力の権限を平等にする抑止と均衡のシステムの形成、周期的な政権交代の保障です。
 私は、ロシアおよび世界の政治が陥った袋小路からの脱却は、民主主義の道においてのみ可能である、と確信しています。言い換えれば、私たちに必要なのは、ロシアの政治の民主化および国際関係の民主化であり、ほかに道はありません。 ≫(ロシアNOW:特別寄稿―ミハイル・ゴルバチョフ)

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
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●ドイツの苦悩と日本の安穏 苦悩した国が強いという皮肉

2015年03月24日 | 日記
アデナウアー - 現代ドイツを創った政治家 (中公新書)
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ドイツ中興の祖ゲアハルト・シュレーダー
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●ドイツの苦悩と日本の安穏 苦悩した国が強いという皮肉

以下のロイターの田巻氏のコラムは、ドイツと日本の企業経営の違いについて、経済的側面から眺め、気高きブランド力の違いをポイントに、日本とドイツ企業の差を論じている。経済的側面から、そのようなことも言えるだろうな、と思うのだが、どうも、それだけではない違いが、ドイツと日本にはあるような気がしてならない。正直な話、筆者はドイツの方が、日本より、断然優れていると内心思っている。世界への影響力も、雲泥の差がついている。ただ、それ程、論理的ではないので、これから考えてみようと云う、トンデモナイ意味のコラムである(笑)。

『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美氏の著書は読んだことがないので、何とも言えないが、この本の持つ、一種の臭いに嫌悪して手に取ったが棚に戻した記憶がある。同氏はリベラルなのだが、どうも日本贔屓のきらいがあるように思えてならない(笑)。筆者は、ドイツと日本の違いは、民族の持つ歴史的深みの違いだと思っている。必ずしも、歴史に深みがあれば良いと云う意味ではないが、直近の歴史においても、苦難度は、同じ大敗戦国であるにも関わらず、かなり違う。

おそらく、日本人の多くが、田巻氏のコラムでメインになってるドイツを意識する時、ナチス・ヒトラー総統か、メルセデス・ベンツを意識して感じることが多いような気がする。最近では、倫理宗教的見地から、脱原発に踏み切った国とか、ユーロ圏のリーダーとして粉骨砕身努力していることなどが浮かぶが、深くは考えることがない。つまりは、日独伊三国連盟の国であったにも関わらず、知らないのである。多分、イタリアはサッカー以外で、特に知るべき情報に出会わない。

昨年のBBCにおける、日本と云う国への好感度調査では、中国、韓国に次いで、日本に好感度を持っていない国としてドイツがキラキラ光る存在になっている(笑)。前者のお国が、反日嫌日なのは、当然で、特に話題にする必要もないだろう。三国同盟で共に戦った国から、アイツは嫌いだと言われるのには、それなりの理由があるのだろうが、現時点では残念ながら答えは見つかっていない。製造輸出国家として、家電や自動車でバッティングするのは判っているが、世界に悪い影響を及ぼす国に選ばれるには、それ相当の、ビジネスには限らない何かがあるのだろう。

まあ、ドイツは、どの国に対しても否定的考えを突きつける傾向のある国民性のようなものがあるので、特に拘らなくても良いような気もするが、気にはなる(笑)。現在のドイツは、親日どころか、欧米諸国でもっと親中だと言っても良いくらいだ。その傾向が、単に金儲けから来ていると云うのは短絡だろう。内陸国と島国の違いはあるだろう。ユーラシア大陸と云う括りでの関係性から、陸続きの中国とドイツには利益の一致が多いのかもしれない。そういう事から、将来展望に中独露同盟のような言説まで生まれるのだろう。まずは、田巻氏のコラムを読んで、次に「日本とドイツ、どこで差がついたのか」と云うショッキングな出口治明氏のコラムを読んでみよう。筆者も、理解は道半ばだ(笑)。

 ≪コラム:独3%賃上げの背景に企業ブランド戦略、日本に大差
 「勤勉さ」をともに誇ってきた日本とドイツの経済のあり方に、大きなギャップが生じていることをご存じだろうか。財政赤字の拡大に苦しむ日本を尻目に、ドイツは今年度予算で赤字国債発行ゼロを達成。今年の主要企業の賃上げは3%台に乗せた。
 マクロ面の格差には多様な議論があるだろうが、企業活動からみると、ドイツ企業が頑固に「値下げ」を拒否し、ブランドイメージの確立に力を注いでいる点について、日本企業は見習うべきだ。

<46年ぶりに赤字国債ゼロ、ドイツの底力>
 第2次世界大戦の終結から70年という節目でもある今年、同じ敗戦国として国内が焦土と化し、生産設備の多くが灰燼(かいじん)に帰した日独両国の戦後の歩みに、多くの注目が集まることになるだろう。
 そこから「奇跡の復興」を果たした原動力として、日独両国民の「勤勉さ」が多くの経済学者から指摘されてきた。 だが、ここにきてドイツ経済のパフォーマンスの良さが目を引き、日本経済はかなりの差を付けられている面が多くなっている。
 たとえば、国と地方を合わせた債務残高の国内総生産(GDP)比を見ると、ドイツが約70%なのに対し、日本は200%を突破して250%へと向かう動きになっている。ドイツの2015年度予算案では、46年ぶりに赤字国債の発行がゼロになった。
 マクロ面での日独ギャップの拡大については、多くの要素が混ざっており、アカデミズムからも有力な研究がまだ出てきていないようにみえる。
 ただ、第1次大戦後のハイパーインフレと財政赤字の累増から「強い教訓」を得たドイツと、第2次大戦後に財政破綻とハイパーインフレを経験しながら、そのことがあまり語り継がれていない日本との差は、歴然としているということは言えるのではないか。

<IGメタルが3.4%の賃上げ獲得>
 また、リーマン・ショック後にともに大きな落ち込みを見せた経済と企業業績でありながら、賃上げ率にも大きな「格差」が生じている。
 ドイツ国内で最大の労組である金属産業労組(IGメタル)は、主要な企業や地域での交渉で今年の賃上げ率3.4%を獲得。自動車大手の一角であるフォルクスワーゲン(VOWG_p.DE: 株価, 企業情報, レポート)とは5日に合意した。
  一方、日本では連合の要求自体がベースアップ2%以上であり、大手企業の賃上げ率が1%台に乗せれば「御の字」という声も、政府関係者や労組関係者から漏れる。 大幅なベースアップに消極的な経営者の本音には「また、リーマン・ショックのような大波が来た場合、固定費を増やすと経営の死命にかかわる」(大手企業幹部)という部分があるようだ。

<日本企業の弱点、値下げ対応>
  政策当局の一部には、経営者にデフレマインドが残っており、期待インフレ率が2%にアンカーされるようになれば、2%プラスアルファの賃上げが常態化するようになるとの声もある。
  ただ、大企業の経営者の中にも、将来にわたって売上高が右肩上がりで推移する自信がない、という心理もどうやらあるようだ。
 その原因の1つに「国内企業同士の過当競争とその結果としての値下げマインド」(大手企業幹部)を挙げる声がある。 値下げでシェアを維持するという手法が、短期的な経営の落ち込みを回避するのに、最も手っ取り早い手法であるという認識が、かなり広がっているとみられる。
  対照的に欧州の大手企業は、ブランドイメージを大切にし、販売価格の引き下げをかたくなに拒否し、値下げ競争から一線を画しているところが多い。 中でもドイツ企業には、ベンツを生産するダイムラー(DAIGn.DE: 株価, 企業情報, レポート)のように、「高品質」に見合った「価格の維持」にこだわっているところが目立つ。

<見習うべきブランド戦略>
  たとえば、このところの円安で欧州の自動車メーカーは、日本での円建て販売価格を値上げしている。「ユーロ高/円安」で円建て価格を維持すれば、ユーロでの手取り価格は減少するが、そういう選択肢はとっていない。
 それでも、欧州車の中には、販売額を増加させているところもある。今年1─2月の国産車の販売台数は軒並み前年同期比で大幅マイナスとなっているが、メルセデスベンツは同プラス7.8%と伸ばしている。
 高くても売れるのは、日本国内の富裕層が、品質に見合った価格帯の設定を支持しているからではないか。「ベンツ」のブランドに対し、日本の富裕層がその価値を認めているのは、「ブランド戦略」の勝利と言えるだろう。
 ブランド力で販売価格を維持できれば、求めている利益率も達成しやすくなり、設備投資、研究開発、人的投資により資金をつぎ込めるという「好循環」を作りやすくなる。
  一見すると地味だが、こうした努力を着実に積み上げてきた企業と、値下げでシェアを維持するだけの企業との間には、大きな差がつくということではないか。
 内部留保を積み上げているだけでは、「無能」のレッテルを張られるということに、ようやく多くの企業経営者が気付いてきた。
 だが、「ブランド力の開発・強化」というより高いハードルを越えようというチャレンジングな経営者は、まだ少数派のようだ。 この状況が変わった時に、日本の賃上げ率がドイツを追い抜くことも可能になるだろう。  ≫(ロイター:コラム―田巻一彦)


≪ 日本とドイツ、どこで差がついたのか
  ドイツに詳しくなる本
 皆さん、こんにちは。月に1度の読書コラムです。今回のテーマはドイツです。なぜ今回、ドイツを取り上げるのかというと、日本とドイツは似たところが多く、多くのことが学べるような気がするからです。  戦後、日本とドイツは両国とも、がれきの山から立ち上がりました。しかしよく考えてみると、どちらがより過酷な状況だったかと言われれば、筆者はドイツの方が大変だったと思います。
 日本は米国に占領されただけですが、ドイツは旧ソ連、米国、フランス、連合王国の4カ国に占領されました。さらに、東ドイツと西ドイツ、2つに分断されました。
 それを統一して東ドイツを吸収したのは20年ほど前ですが、巨額の統一コストを負担しなければなりませんでした。がれきの山から再出発したのは同じだったけれど、ドイツの方がはるかに状況が厳しかったのです。
 それにもかかわらず、ドイツの経済は近年絶好調ですし、ユーロという重荷を抱えてはいますが、2015年度の予算は何と財政黒字です。ドイツを旅してみても、日本と比べて貧しい感じは全くありません。先進国として復活し、日本と同じような豊かさを享受しています。
 日本とドイツの米ドル換算でみた名目GDP(国内総生産)は3位と4位で、(計算方法によりインドが間に入るかどうかという問題はあります)日本 とドイツのGDPの比率は大体人口に比例しています。ドイツに比べれば、人口は日本の方が多く、面積も日本の方が大きいのです。

 「人間には怠惰でいるという権利はない」
 ところが、かたや財政黒字、かたや毎年170~180兆円規模の国債を発行し続けている国です。同じがれきの山から出発したドイツが、財政黒字を達成し、しかもナチスドイツの時代にあれほど無茶なことをしたのに、近隣諸国との関係もきちんとしている。この2点だけでも、日本はドイツから学ぶところ がたくさんあるのではないでしょうか。人間は傲慢になるとロクなことがありません。
 もともと日本は、明治維新の時もビスマルク体制下のプロイセン憲法を手本にして、大日本帝国憲法を策定しました。明治維新の時の日本を見習って、今のドイツに学ぶべきことがあるのかないのか、じっくり考えてみましょう。
 まずは、現代から遡ります。
 今日のドイツがあるのは、シュレーダー改革が素晴らしかったからだというのが、衆目のほぼ一致するところです。立派な政治家はポピュリズムに溺れず、国民にとってはいやなことであっても、必要なことは断行するのです。 シュレーダーは労働の流動化など抜本的な構造改革を断行して政権を失ったわけですが、現在は中興の祖と言われています。シュレーダーがどのような人で、何をやったのかを知るには、この『ドイツ中興の祖 ゲアハルト・シュレーダー』が一番分かりやすいと思います。
 「シュレーダーを猛烈な勉強に駆り立てたのは、『水道も暖房もトイレもなく、八人が寝起きする家から脱出したい』という渇望だった。彼は、他人の二倍も三倍も努力し、働きながら夜間学校に通って知識を身につけることで、泥沼から這い上がることに成功した」(29ページ)
 「シュレーダーが長期失業者にとって厳しい政策を取った背景には、貧困から身を起こした政治家の『泥沼からなんとしても這い上がるという意志さえ あれば、不可能なことはない』という確信がある。(中略)彼は自伝の中で、こう語っている。『苦境に陥ったら、まず自分で脱出しようとするべきだ。八方手を尽くしても苦境から逃れられないときだけ、他人の助けを求めるべきだ。人間には怠惰でいるという権利はない』」(30ページ) しかし、ドイツの歴代トップを見ると、シュレーダー1人が傑出していたわけではありません。ドイツの有名な指導者といえば、日本の吉田茂に匹敵する アデナウアーがいるのですが、この2人はがれきから国を立て直した人でした。戦後70年も経っていますから、それよりも、近年のドイツをつくった人で、 シュレーダー同様に有名な人といえばヴァイツゼッカーではないでしょうか。
 この人は政治家として本当に言葉を大事にした人で、ヴァイツゼッカーの演説を集めた『言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集』をぜひともお薦めしたいと思います。 この人は、ブラントと一緒にドイツの東方外交を推進した人ですが、演説集を読むと大変な迫力を感じます。この演説集を読めば、ドイツ経済がなぜこれ ほどまでに良くなったかも分かりますし、近隣諸国との関係修復についても、深い歴史的な洞察の中で取り組んできたことがよく分かります。
 「節度も中庸の精神も人間の尊厳も失った、このような絶滅十字軍が後に残したのがドイツの、そしてヨーロッパの分裂でした。精神の面でも政治の面でもパトリオティズムは既に対象を失っておりました」(38ページ)
 「『歴史家論争』からわれわれが学ぶことは、前もって決められている道徳的な基準に基づいて歴史を書いたり、まして特定の意味付与のために歴史を 誤解してはならぬ、ということであります。ナチズムの時代に物心がついていた人の数は次第に少なくなっていきます。後から生まれた人たちにとって個人としての罪の問題はありませんが、歴史の遺産と向かい合う課題はあります。それには『心に刻む』ことが必要で、真理のためにも未来のためにも心に刻むことを閑却せず、肝に銘じることはわれわれに共通の責任であり、心に刻むことこそわれわれの本性としての良心の一部なのです」(45ページ)
 この演説集を読んでみるのは、大変意味のあることだと思います。
 ヨーロッパは第2次世界大戦の廃墟の中から戦後の歩みを始めています。ドイツはヨーロッパの中核ではありますが、ドイツだけを見てもドイツの戦後の歩みは分からないと思います。そこで、トニー・ジャットの『ヨーロッパ戦後史』をお薦めします。 ジャットは筆者と年齢が同じで、同い年なのにこんなに素晴らしい本が書ける人がいるんだ、と劣等感を持った記憶がありますが、この本を読むことは、 ドイツのみならず、ヨーロッパを理解する大きなカギになると思います。ヨーロッパの戦後の世界がどのように成り立ったのか、そしてその長い歩みの中でアデナウアーがドイツを立て直し、その後にヴァイツゼッカーやシュレーダーといった名宰相が生まれてきたのだということをしみじみと感じます。

 実はナチス党員と共存しながら復興したドイツ
 この本が面白いのは、数字をきちんと挙げて書いているところです。例えば戦犯追放を徹底してドイツはナチスを追っ払った、と日本人は思っているか もしれませんが、実はそんなに簡単に断ち切っていなかったのです。例えばケルンでは、市の水道局の専門家21人中8人がナチス党員でした。しかし、上下水道の復旧と防疫には、彼らの技術が不可欠です。
 「彼らを抹消してしまうことなど、まったく問題外だった」「ドイツ人にナチ党の犯罪を突きつけることは、悔い改めを促すよりも民族主義の反撥を引 き起こす可能性のほうが大きかった。ナチズムが自国に深い根を下ろしていると知っていたからこそ、未来の首相はこの問題には言及しないでおく、むしろ沈黙を奨励するのが賢明と考えた」(74ページ)。
 復興を進める中でその人たちを全員追放してしまったら、復興は不可能です。読み進めていくと、彼らと共存していく判断の根底にあるものが浮かび上がってきます。どのページも、それをデータと重ね合わせながら丁寧に書いているので、とても面白い本だと思います。 今回はドイツという国全体を捉えようとしていますので、戦後編はこの3冊にとどめ、それ以前を見てみましょう。次は、第2次世界大戦の振り返りです。第2次世界大戦の評価はなかなか難しいのですが、これも大胆に2冊、選び抜きました。1冊はチャーチルの『第二次世界大戦』です。
 こちらは4巻ぐらいありますので、ぱらぱらっと面白いところだけ読んでみればいいでしょう。ドイツから見たらライバルが書いたことになりますが、チャーチルは大変才能にあふれた人なので、この本で代表させても大丈夫だと思います。 さて、チャーチルの『第二次世界大戦』は第2次世界大戦の全体像を理解するための本ですが、ドイツといえばナチス、つまりユダヤ人問題は避けては通れません。それにはとっておきの本をご紹介しましょう。これに勝る本はないです。ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』です。
 「収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく一ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失 い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわらずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と」(5ページ)
 強制収容所から生還した数少ない心理学者の立場から、当時の生活を振り返り、冷静に描写、分析したものです。非常に優れた本です。第2次世界大戦は、この2冊で代表させることにしましょう。 さて、ヨーロッパにおいては、第1次世界大戦も、第2次世界大戦以上に大きな出来事でした。それを学ぶためには、以前にも紹介しましたが『仏独共同通史 第一次世界大戦』を手に取ってみましょう。
 なぜこれをもう一度紹介したかと言えば、最近、日中で歴史の共同研究をした本が出たからです。(『「日中歴史共同研究」報告書 第1~2巻』、勉 誠出版)。しかしこちらの本は、戦後(第3巻)は扱っていないのです。まえがきによると、日本側の研究者と中国側の研究者が、意見が合わなかったので出版に至らなかったそうです。とはいえ、こうした歴史を共同作業で振り返る取り組みは、大切にしなければいけません。

 戦後史を国境を超えて振り返ることの大切さ
 日本も進んできたなあと思ったら、ヨーロッパはもっと先を行っていました。なんと、5カ国共同のプロジェクトで、英仏独西伊の学者が書いたものを、それぞれの言語で共同出版するという試みを始めています。本書はその1冊目ですが、アナール派を代表する中世史の泰斗であるフランス人学者、ジャック・ル=ゴフ の『ヨーロッパは中世に誕生したのか?』です。このようなベーシックな本が5カ国語で共同出版される動きを見ると、EUは本気で、地道に前に進もうと頑張っているのだなあという気持ちになります。 さて前段でも触れましたが、明治の日本が一番参考にしたのは、ビスマルクが実質的に統治したドイツ(プロイセン)でした。国家としてのプロイセンを知るにはジョナサン・スタインバーグの『ビスマルク』が一番です。この本を読むことで、ビスマルクの構築したプロイセンやドイツ帝国の全貌が分かります。
  『ビスマルク』を読んでプロイセンに興味を持ったら、岩波文庫の『特命全権大使 米欧回覧実記』を紐解くのも良いでしょう。ビスマルクと岩倉使節団との会見の模様も書かれています。 さて、ビスマルクまで来たら、もっとドイツを知りたくなりませんか。そこで、中世のドイツの世界を学んでみましょう。エルンスト・H・カントーロビッチの『皇帝フリードリヒ二世』をお薦めします。中世ドイツが1冊で凝縮されているのは、この『皇帝フリードリヒ2世』だと思います。また、最近塩野七生さんも『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を出版しました。
 筆者はカントーロビッチの方がロマンチックで好きですが、どちらを読んでも大丈夫だと思います。

 2人の「フリードリヒ2世」と中世の笑い
 フリードリヒ2世といえば、人格破綻者でとんでもなく狡猾で計算高くて…というイメージの人も多いかもしれません。でも、それは、プロイセンの同名の君主のことで、ここに紹介したフリードリヒは、ケタ外れのスケールを持つ近代的・開明的な君主です。 より正確に言えば、ドイツの中世を彼だけで代表させるのは問題があります。なぜなら、本来、中世ドイツは庶民のたくましい笑いにも満ちているからです。そこでとっておきの本をご紹介します。『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』です。
 短い本ですが、この本にはドイツの庶民のすべてが詰まっています。下品過ぎて笑ってしまうエピソード、あきれるぐらいバカバカしいエピソードが満載で、まったく肩の凝らない読み物です。
 「(オイレンシュピーゲルが医者のふりをし、偉大な博士に下剤を調剤して大変な目に遭わせたことについて周囲の人が博士に)あの医者はオイレンシュピーゲルだったんですよ。あなたは彼のことを知らないから信じてしまって騙されたわけですよ。私たちは彼の道化ぶりが気に入っていましたから、 彼だということもよく知っていたのですよ。でも私たちはあなたに警告しませんでした。あなたはご自分を大変賢い人だとお思いになっていたからですよ。どんな人だって愚か者を知る必要がないほど賢い人はいないんですよ。それに誰もが阿呆でなかったら、一体どうやって賢者を見分けられるんですかね」(66ページ)  ぜひ楽しんでください。
 さて、今回はドイツを深掘りできるラインアップをそろえてみました。いかがですか。
 また来月、お会いしましょう。  ≫(日経ビジネス:総合トップ > ライフサプリ > 出口治明の「ビジネスに効く読書」 )


夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録
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言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集 (岩波現代文庫)
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●欧米に覚悟はあるのだろうか? 核兵器発言増えるロシア

2015年03月23日 | 日記
「衝動」に支配される世界---我慢しない消費者が社会を食いつくす
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●欧米に覚悟はあるのだろうか? 核兵器発言増えるロシア

隠忍自重のロシア・プーチン政権のフラストレーションと云うマグマが、暴発するリスクを見せはじめた。アメリカのブレジンスキーの荒唐無稽な「ロシア壊滅計画」を、オバマは本気で実行しようとしているのではないかと、プーチンが疑心暗鬼になり始めた兆候が、ふたつの情報から聞き取れる。

ひとつは、クリミア半島をロシアが昨年併合した際、核戦力の臨戦態勢に入る可能性があったと云うプーチン大統領の発言に続き、デンマークが米国のミサイル防衛計画に参加した場合は、同国にフリゲート艦も核攻撃の対象になり得ると、プーチン大統領の発言の流れを受けて、発言した。朝日新聞など、親米メディアは、核戦力を背景に周辺国を威圧するロシアと非難しているようだが、なにゆえに、寝ていた北国の熊を揺り起したのか、そこに注意を向けるべきではないのか。

≪ 「MD参加なら核攻撃対象」 ロシア大使、デンマークに
  ロシアのワーニン駐デンマーク大使が21日付の新聞への寄稿で、米国が進める欧州のミサイル防衛(MD)計画にデンマークが参加した場合、同国軍の艦船がロシアの核攻撃の対象になり得ると警告した。クリミア併合を巡るプーチン大統領の発言に続き、世界最大規模の核戦力を背景に周辺国を威圧するロシアの姿勢に懸念が強まっている。
 AFP通信によると、ワーニン大使はデンマーク紙ユランズ・ポステンに寄稿した論文で「デンマークは、米国主導のMDに加わった場合に何が起きるか十分理解していないようだ」「デンマークの軍艦がロシアの核ミサイルの標的になるのだ」と指摘した。
 ロシアは軍の基本政策(ドクトリン)で、核の使用を①核攻撃を受けたとき②国家の存立を脅かされたとき――に制限している。大使の寄稿はこれを無視して核使用のハードルを下げる非常に危険な内容だ。  デンマークでは、リデゴー外相が地元通信社に「受け入れがたい理屈だ。そのような脅しをするべきではない」と述べるなど、ロシアへの反発が強まっている。
 欧州MDは、イランからの攻撃を念頭に、欧州各地にミサイル迎撃システムを段階的に配備する計画。ロシアは、自国のミサイルも無力化されるとして強く反発している。デンマークは、高度なレーダーを搭載したフリゲート艦1隻を提供する計画を進めている。
 ロシアのプーチン大統領は15日に放映されたテレビ番組で、ウクライナのクリミア半島をロシアが昨年併合した際、核戦力を臨戦態勢に置く可能性があったと発言した。今回の大使の寄稿は、大統領のこうした姿勢に歩調を合わせた論調となっている。 ≫(朝日新聞:モスクワ=駒木明義)


アメリカのオバマ大統領が、ブレジンスキーの世界戦略構想に則って動いていると云う話もあるが、話半分だろう。ただ、ブレジンスキーの「世界政府」樹立が平和なものであれば、そりゃあ結構な話だが、米国一国主義の延長線上にある世界国家では、単にアメリカに都合の良い世界であり、馬鹿げている。しかし、ブレジンスキーの世界政府をつくり、世界中央銀行、世界通貨、世界軍等々のイメージを、西側諸国の連中が、かなりの部分で肯いているのが、非常に怖い考えだ。たしかに、グローバリズム経済などを見ていると、この思想が一部実践されているようにも見えてくるからである。

そのブレジンスキーご本人は、ブリュッセルにあるマーシャル・ゲルマン研究所のフォーラムで、ロシアの核に関して、他人事のように語っていると、SPUTNIK(旧ロシアの声)が報じている。


≪ 米政治学者ブジェジンスキー氏、ロシアのクリミア核配備はありえる、
  ただし警戒心を抱く必要はなし

  米国の有名な政治学者ジビグネフ・ブジェジンスキー氏はブリュッセルにあるマーシャル・ゲルマン研究所のフォーラムで演説したなかで、自身としてはロシアはクリミアに核兵器を配備するだろうと思うと語った。
 その一方で、ブジェジンスキー氏はこうした配備は軍事的には何か特定のものではないとの見解を表し、次のように続けた。 「それよりも私が心配しているのは、ここ数週間、プーチンとその体制が意識的に西側に対し、核の脅威を直接的あるいは間接的に見せ付けていることだ。飛行機を飛ばし、核兵器をちらつかせる。これはここ数十年でなかったことだ。」ラジオ「スヴォボーダ(自由)」が引用して報じた。
  ブジェジンスキー氏はミンスク合意が尊重される場合は、これは状況を多少調整するために出発点となりうるとの見方を示している。 ≫(SPUTNIK)


NATOのMDミサイル網は、当初、イランの核ミサイル防衛と云う意味合いで作られたものだが、ブレジンスキーの構想では、ロシアを壊滅させることが、世界政府を一歩前進させるためにも、絶対に必要な試金石だと言っている。イランの核対策は、目くらましで、狙いはロシア包囲であったことは明白だ。キッシンジャーとブレジンスキーと云う二人の高齢で高名なユダヤ人によって、ホワイトハウスは踊り、米軍が踊り、世界のマネーが踊るのだから、意外にバカバカしいのである。

これは蛇足。最近、どこかの情報で目にしたが、アメリカ国内で、静かなクーデターが起きつつあると云う、眉唾な話を思い出したが、反ブレジンスキーと云う枠組みで、アメリカの権力構図を見ていくと、あながち、出鱈目な話ではないのかもしれない。ブレジンスキーはアメリカネオコンの力を削ぎ、マネーの抬頭とユダヤ国家、乃至はポーランドの防衛などに現を抜かすオバマ政権に、これ以上勝手をされては困ると云う勢力が動いても不思議ではないだろう。記憶では、米軍、CIA、最高裁判事らだったと思う。

ブレジンスキー構想で行くと、中国とロシアの間に紛争が起きることを想定しているが、そこのところは習近平体制になって、どうも話は逆転しているようだ。逆に、その構想に揺さぶりをかけるように、「アジアインフラ投資銀行」でも判るように、ブレジンスキー構想は頓挫しつつあるようだ。朝日は、なにを寝とぼけているのか≪ロシアは軍の基本政策(ドクトリン)で、核の使用を①核攻撃を受けたとき②国家の存立を脅かされたとき――に制限している≫と言っておきながら、それに当て嵌まらないとか馬鹿な解釈をしている。

MDミサイル防衛網(攻撃網)によって、ロシアが囲い込まれるとなれば、そりゃあ、まさしく②国家の存立を脅かされたときであって、当然の解釈だ。国家が危機に陥り、経済であろうが、軍事であろうが、食料であろうが、国家存立の危機と捉えれば、その国は、持てる力を存分に発揮するのは当たり前の話だ。ロシアにしてみれば、ウクライナ問題に火を着けたのはアメリカであり、NATOだ。「クリミアから、ウクライナの話をするんじゃねえ!」と言うのは正しい。しかし、ブレジンスキー構想が実現しそうなロシアの内情であるなら、プーチンは、ロシアのありとあらゆるものを、欧米価値観とは異なる価値観で対抗するのは当然である。

核兵器が善いとか悪いとかの問題ではなく、それを使わせる状況まで「俺たちを追い込むなよ」と云うメッセージであると捉えるべきだ。欧米的に言えば、それこそが脅しだと云うだろうが、北朝鮮やイランやISの“こけおどし”とは異なることを、EU諸国はよく考えることだ。アメリカは、引くに引けない立場にいるが、EUや日本は、引き返せるポジションにいるのだが、安倍は、米軍の傭兵になりたいと叫んでいるし、どうなることやらである(笑)。最後にロシアNOWの「プーチンズ12」と云うオピニオン記事があったので、以下に掲載しておく。

≪ プーチンズ12
  西側による対ロシア経済・政治制裁が昨年春に発動されてから、ロシアは20年かけて構築してきた欧米諸国との関係をほぼ失ってしまった。このような状況において、ロシア政府は外交政策の優先順位を見直し、新しい同盟国を模索せねばならなくなった。

■ロシア・カードの便利な使い道
 ロシアの国際的孤立化を図った人々の思惑とは異なり、ロシア政府の選択肢はさほど限定されなかった。潜在的な同盟国は主に、ユーロ懐疑論者の中で見いだされた。
 ウラジーミル・プーチン大統領は2月中旬、ハンガリーを訪問し、ガス輸出の新たな条件に関する合意をヴィクトル・オルバン首相と調印し、重要度のさほど高くない一連の国家間協定を締結した。
 どうってことない訪問に思われる。しかしながら現在の危機的条件のもと、この訪問には大きな象徴的意義が生じる。ヨーロッパはモスクワ非難で一枚岩ではなく、ロシアと協力する用意のある最高指導者が存在する、ということを示すのは、クレムリンにとって重要である。オルバン首相は手頃な価格のガスを必要としており、同時に、カメラの前でプーチン大統領と並ぶことで、EUをあせらせ、いくつかの特恵を得ることができる。 ロシアとの友好に関心を示したのは、総選挙で勝利したギリシャの急進左派連合「シリザ」の関係者。ギリシャは2008年以降、債務の溝にはまり、いまだに抜けだせないでいる。ギリシャは有利な債務返済条件を獲得するため、EUに圧力をかける必要があり、ロシアとの仲睦まじさをアピールしている。
 ヨーロッパ方面の”拒絶の壁”は、少なくとも形の上では、壊れたと見なすことができる。ヨーロッパとの関係(少なくとも経済圏で)は徐々に回復する望みもある。
 しかしながらEUは、世界政治において自立した勢力であることを示せなかったため、クレムリンにかつてのような熱意が再び生じることはないだろう。

 ■この道はいつか来た道
 ロシアはヨーロッパ方面にばかり同盟国を求めているわけではない。アジアおよび中東で進展があるよう、努力が図られている。
 2014年最初の突破口はエジプトとの接近であった。アラブ世界最大で、アメリカの主要なアラブの同盟国であるこの国は、ロシアから兵器を大量に再購入し、またあらゆる分野でロシアとの関係を発展させる意欲を表明した。
 プーチン大統領の2月9~10日のエジプト訪問は、1960年代初めのニキータ・フルシチョフ第一書記の同国訪問をほうふつとさせた。プーチン大統領のエジプト訪問の成果もデジャヴであった。フルシチョフ第一書記は当時、アスワン・ハイ・ダムの開発援助を行ったが、プーチン大統領もエジプト初の原 子力発電所の開発援助を行おうとしている。
 ロシアとイランの関係も進展している。昨年論議を呼んだ、イランとロシアの200億ドル規模の原油と物品のバーター取引は、結局実現しなかった。しかしながらイランはこれまでと同様、最新技術、兵器、原子力エネルギーを必要としている。
 この地域の別の重要な国トルコも、対ロシア制裁への参加を急いでいない。トルコ政府はむしろ、EUがブロックした、南ルートのガスパイプラインの建設プロジェクトに、喜んで加わった。

 ■“計算高い”BRICSとの関係
  中東での成功は、ロシアの外交政策において最優先課題というわけではない。 西側ともめた後、ロシアにとってもっとも重要な同盟国になっているのがBRICS諸国である。
 BRICS諸国は昨年のロシアへのクリミア編入を支持していないが、批判もしていない。BRICS諸国は基本的に、ここ数十年のアメリカの政策に疲れているような印象を受ける。アメリカの政策は救世主の概念と混合しつつ、共和党と民主党の闘争の浮き沈みに左右されている。
 中国が昨年、ロシアとの一連の大型エネルギー契約を結び、インドがロシアの武器を輸入し続けていることは、象徴的である。
 現代世界において、ロシアの立場が依存するのがこれらの国である。これらの国がロシアとの関係を維持している間は、孤立について語らなくても済む。
 しかしながら、新たな外交政策には多大なコストがかかる。ロシアの現在のすべての同盟国は、エネルギーあるいは兵器の購入において、自国に有利な条件を獲得しようとしている国なのである。
注:記事、コンテンツの筆者の意見は、RBTH(日本語版はロシアNOW)編集部の意見と一致しない場合がある。  ≫(ロシアNOW:オピニオン・2015年2月25日 ニコライ・スルコフ )

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●検察の責任“うやむや大作戦” 美濃加茂市長無罪を控訴

2015年03月22日 | 日記
虚構の法治国家
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●検察の責任“うやむや大作戦” 美濃加茂市長無罪を控訴

正直、驚いた。名古屋地検が、美濃加茂市長の無罪判決を不服として、名古屋高裁に控訴した。

素人でも、そりゃないだろう、と受けとめられる事件を、自分たちなりに、証拠固めが出来ると判断し、現職市長を逮捕勾留すると云うのだから、余程、確定的証拠でもあれば別にして、本来ではあり得ない逮捕・起訴劇だった。公判が開かれ、検察から、“なるほど”と云う証拠が出てくるのかと思えば、稀代の詐欺師の証言「渡しました」一本槍で、何とか、現役市長を有罪に出来ると思ったいたのだとすると、警察・検察が余程の馬鹿か、裁判官はバカばかりと思いこまれているかの、どちらかだと思った。

市民の代表である現役市長を逮捕勾留、62日間拘禁し、自白を強要した捜査にも呆れるし、無罪判決に対し、恥じらいもなく控訴したことには、二度驚かされる。判決では、木端微塵に検察の証拠が否定され、無罪を言い渡されたわけで、滅多に見られないほどの検察への警鐘のニアンスさえあったわけだ。にも拘らず、地検は控訴したわけだが、当然、最高検マターになっていただろうから、大野検事総長も了解の控訴と云うことになる。

単にメンツだけの検察の控訴なのか、異なる意図があるのか、結構難しい、検察の控訴姿勢だ。判決の内容から行って、この判決を覆すには、新たな、かつ有効な証拠が提示されない限り、無理である。検察のメンツで、控訴したと云うよりは、あまりの警察・検察の醜態で、このまま帰結してしまうと、現実に捜査指揮した、警察・検察の幹部連中のキャリアに瑕がつくことを忌避する為の控訴だった可能性が一番高い。自分たちの利益の為の控訴だろう。この問題は、係争中であるため云々で、その内彼らは異動してしまうので、最高裁まで争えば、だれも責任を取らずに済む構図を狙っている。

もう一つ、考えられる要素はあるが、多分考え過ぎだ。最近、裁判官への信頼が低下している事に悩んでいた最高裁事務総局が、検察に判事の役目を丸投げしている日本の判事達、という世論を払拭したい傾向を見せているので、その確認ではないかと云う説である。本当に、裁判所は、本気で証拠調べを始めるつもりですか?その事実確認の為に、裁判所の意向は如何なものか、再確認しておこうと云う、日本司法の大きなうねりの中で起きている可能性もゼロではない。ただ、前者の推論の方が、駄目ポリ、ダメ検に思考経路に馴染むと云うのも情けない。

ところで、日本のマスメディアは、美濃加茂市長の無罪判決では、結構力のこもった社説等を載せていたが、今回の検察控訴に関しては、再び所謂「司法記者クラブ族」に戻ってしまった。「控訴、控訴の連鎖で、警察、検察の幹部連中の責任所在が曖昧になり、今後の司法取引関連の法案を、より説得あるものにする為には、今回の控訴には、納得できない要素が強く感じられる」程度の論説が出てきてもおかしくないのだが、見当たらない。


≪ (社説)市長無罪判決 捜査の過程を検証せよ
 捜査機関はどのように供述を引き出し、その内容を吟味してきたのか。大きな疑問符がつく事件である。
 事前収賄などの罪に問われた岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長に、裁判所が無罪を言い渡した。判決は、市長に現金を渡したという男性の証言の信用性に疑いを投げかけ、検察官の意向に沿ってウソの供述をした可能性にまで踏み込んでいる。
 現職市長を逮捕し、法廷に立たせた責任は重い。控訴の有無にかかわらず、警察・検察は捜査過程を綿密に検証すべきだ。  事件には現金のやりとりがあったことを示す直接の証拠はなく、「贈賄」側の男性の「自白」に大きく頼っていた。
 自らも贈賄の罪に問われるのに、渡していない金を渡したと証言する人は、ふつうであればいないだろう。このケースが特異なのは、男性が自白した当時、別の大型融資詐欺事件の捜査を受けていたことだ。  融資詐欺事件の捜査を止めたい、また捜査関係者からよく見られたい。そんな理由から男性が捜査機関に迎合し、意向に沿う行動をとった可能性がある。判決はそう指摘した。
 巻き込まれた市長にとっては、身の潔白を証明する負担は並大抵のものではない。深刻な人権問題にもなりかねない。
 密室での取り調べでは、捜査機関側の見立てに沿った供述の強要や、保釈などをちらつかせる利益誘導がおきやすいことがかねて指摘されてきた。物証が乏しく、贈賄側の供述が重要証拠になることが多い贈収賄事件では特にその傾向が強い。
 今回のケースでは、贈収賄立証のカギを握る「贈賄」側がどのような状況に置かれて出てきた供述だったのか、捜査機関側は客観的にふまえていただろうか。立件に直結する重要証拠だからこそ、飛びつくことなく、信用に値するものか厳しく吟味すべきではなかったか。
 取り調べの過程では、供述の見返りに別の事件の訴追の手を緩めるといった司法取引的な要素が入り込むことで、真相から遠のき、ときには冤罪(えんざい)をうみだす可能性さえあることを忘れるべきではない。
 警察・検察の取り調べの録音・録画(可視化)を義務づける刑事訴訟法改正案が今国会に提出される予定になっている。だが、法案が対象とするのは裁判員裁判で扱う殺人・放火などの重大犯罪が中心で、今回の贈収賄事件も対象にならない。
 適正な取り調べを裏打ちするためにも、国会で可視化の範囲を広げる議論をすべきだ。 ≫(朝日新聞:社説2015年3月7日付)

ニッポンの裁判 (講談社現代新書)
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●中東・ユーラシア・アジアに 欧米文化価値観は似合わない

2015年03月21日 | 日記
幻滅 〔外国人社会学者が見た戦後日本70年〕
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●中東・ユーラシア・アジアに 欧米文化価値観は似合わない

本日は、珍しいが印度の随筆家と云うか哲学者とも受けとめられる、ミシュラ氏に対して日経ビジネスの「キーパーソンに聞く」対談が目についたので、紹介引用しておく。同氏の目から見た日露戦争の評価には、少々こそばゆさを感じながら読んだわけだが、白人文化に勝利した「日本」と云う視線がアジアや中東諸国にあったのかと思うと、そこから、奈落のように白人化していった「日本」と云う国は、根源的に誤った道を、正しいと思い込む「神話」と云う病に冒され続けているように思える。

永遠に、白くはなれないのに、美白の風呂に浸かっている姿は、滑稽であると同時に、悲しくもある。これだけ、アジアに、世紀の風が吹いていると云うのに、その風を帆に受けないように、必死になっている国の姿は、なんとも哀れである。そのお隣の韓国と云う国では、安倍晋三が、米両議会で、演説をする名誉に浴する勢いである事に、酷く神経を尖らせている。筆者なんかは、今さら凋落国の議会で演説しても、糞の価値もないと思うのは例外のようで、国内にも、韓国にも、大いなる影響を及ぼしているのには、吃驚だ。

日本では、安倍の手土産「安保法制」が整い、TPPも、日米防衛協力ガイドライン、AIIB不参加、辺野古基地強制着工、IS対策2億ドル‥等、アメリカが嫌と言えないくらいの金を積んで、議会演説を勝ち取ろうとしている。官製相場、官製春闘、官製日米議会演説と云うことか。幾ら金の世の中だからと言って、ここまで、金に物を言わせて、国を売っ払う宰相を雇ってしまったのだから、反省しても反省しても取り返しはつかないのだろう。こうなると、貢に貢いだ、本家そのものが壊れていくのを待つ方が、日本自身が気づくよりも、早そうな気になってしまう。

結婚詐欺に遭った被害者は、どこまで行っても、私は騙されていない。彼は、私との約束だけは守りたかったのに、他の女に邪魔されて、それが遂行出来なかった、と法廷で弁護側証人として、切々と訴える被害者のようである。安保法制が整い、あらゆる貢物を差し出した挙句に、オバマの都合、アメリカの国益等々の理由で、その貢物のすべてが灰燼に帰す事態になったら、本当に、面白い。その時を夢みて、本日は寝るとしよう。きっと腹を抱えて笑っている自分の夢を見そうである(笑)。


≪ 世界は今こそ西欧的発想からの脱却が必要だ
英米メディアが注目するインド人随筆家パンカジ・ミシュラ氏に聞く

【 「19世紀初頭、中国からインド、トルコ、エジプトに至るまでアジア中東諸国が最も熱く注目していたのは日露戦争に勝利した日本だった」「帝国主義以来、世界はあまりにも西欧諸国の発想にとらわれすぎてきた」「世界は今こそ西欧的発想から脱却することが必要だ」――。  インド人の随筆家パンカジ・ミシュラ氏は著書『アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち(原題:From the Ruins of Empire)』で、19世紀初めにアジアの知識層が既に西欧諸国とは全く異なる発展の在り方を考えていた事実に光を当て、こうした主張を展開、米国、英国で大変高く評価され一躍有名になった。  米紙「ニューヨークタイムズ」や英紙「ガーディアン」などに世界情勢などについて独自の切り口で寄稿を続けるミシュラ氏に、「西欧的な発想から脱却することが必要だ」という主張の意図するところについて聞いた。(聞き手 石黒 千賀子)】

―――「西欧的な発想から脱却することが必要だ」とかねて主張されています。その意味するところからお聞かせください。

ミシュラ:ご存じのように、19 世紀の欧州列強による帝国主義の台頭は、当時のアジアの知識層から強い反発を招きました。中国やインドなどは非常に洗練された文明を築いていたにもかかわ らず、欧州列強によって「アジアの社会は野蛮だ。遅れているから西洋に従うべきだ」とされ、多くのアジア諸国が一方的に侵略され、支配下に置かれ、数々の 屈辱を受けていたからです。
 第1次大戦、第2次大戦を経て列強の支配下にあった地域は、戦後、非植民地化こそ進みましたが、世界はそのまま欧米によって作られてきました。政 治的枠組みから様々な経済的制度、あらゆる基準に至るまで、世界は欧米が作ったもので埋め尽くされ、今に至っているのが実態です。
 しかし、その西側諸国が築いてきた政治的枠組みや経済的制度、考え方が様々な限界を迎えているというのが今の状況ではないでしょうか。

日露戦争以降、アジア諸国は最も日本に注目していた
 私が本で取り上げたインドの詩聖タゴールや中国の梁啓超、イスラム圏のアフガニーといった社会思想家は、今の状況をもちろん知らないわけですが、 それでも彼らには先を見通す力、直感力がありました。絶えざる経済拡大や猛スピードで工業化や都市化を進めれば、すべてが破滅しかねないという危機感を持 ち合わせていました。
 そのため、列強による植民地主義に対して最初に声を上げたのが彼らでした。「帝国主義がいかに私たちの社会を破壊したことか。こんな暴力に訴えず して発展していく道はないのか。他国を侵略せずに主権国家を築く方法はないのか。隣国の人に屈辱を与えたり、隷属させたりすることなく自由と威厳を確保し た独立国家を築く方法はないのか」と。
 それは19世紀後半、アジアの知識層がまさに政治的に目覚め始めた時でした。ただ、そうしたアジアにおける知識層の誕生は日本が最も早かった。日本は既に近代化に向けて大いに進歩を遂げていたからで、当時のアジアの人は、エジプトも、トルコも、インドも、中国も、国に関係なく誰もが最も日本に注目 し、日本から学ぼうとしていました。

―――それは西欧ではないものの、欧州の一角を成していた大国、ロシアを相手に日本が日露戦争で勝ったことが大きかった。

ミシュラ:そうです。あなたが言 うように、ロシアは純粋には欧州列強ではありませんが、ロシアのエリートは皆、白人なので欧州の一部と見なされていました。だからこそ西欧の列強から数々の屈辱を受けていた当時のアジアの人にとって、日本が勝利した意味は非常に大きかった。トルコのアタチュルクや一切の暴力を否定していたマハトマ・ガン ディーでさえ、ロシアに対する日本の勝利は大変喜ばしいことと見ていました。
 当時、人種差別が厳しい南アフリカにいたガンジーは、「日本は自尊心を持つことの大切さを教えてくれた」と書き綴っています。つまり、日本の勝利はアジア人であっても自尊心を持てるのだ、という強いメッセージを送ることになったのです。

先見性を持っていたアジアの知識層
―――しかし、日本はその後、欧州列強と同じ道を歩みアジア諸国を侵略していったわけで、その意味ではアジアの人々の期待を裏切ることとなってしまいました。

 ミシュラ:はい、私も本に日本の起こした悲劇を様々な形で書きました。アジアの知識層の中でも特にタゴールは日本が満州事変を起こした頃から、日本のナショナリズムに対しては非常に厳しい批判者へと転じていきました。
 彼は「日本には日本独自の文化があり、日本独自の伝統があるのに、なぜ西欧列強のまねをするのか。我々は日本から学ばなければならないが、日本の帝国主義を学ぶ必要はない」と痛烈に批判するようになっていきました。
 それでも、1905年に日本がロシアに勝利したという事実は、当時のアジアの人に一種の心理的な自信を与えたわけで、その自信が当時のアジアの知識層が自分たちの思想を発展させていく上で重要な役割を果たしたと私は見ています。
 タゴールを含め当時のアジアの知識層が何より反発していたのが、「近代化、現代化する道は1つしかなく、それは西洋化しかない」という考え方でし た。「列強は確かに大変な力を持つに至ったが、それは人間に対してだけでなく、自然に対しても凄まじいばかりの暴力を振るうという犠牲の上に手に入れたパ ワーだ」と、西欧の発展の在り方そのものに疑問を呈していました。
 私も、この「パワーの追及」というのがスタート時点から間違った発想で、帝国主義以来、今に至るまで様々な問題を引き起こしていると見ています。 その意味で、私たちが今後、どうしていくのかを考える上で、当時のアジアの先進的な知識人たちが、自分たち独自の文化、伝統の中から引き出し育んだ考え 方、発想をもっと知り、学ぶ必要があると考えたのです。

地球環境は中国、インドの経済成長に耐えられない
―――おっしゃることは分かります。暴力を使わずして主権国家を維持し、近隣諸国とも平和に共存できれば理想です。しかし、例えば今の中国政府は、世界のトップになるという「中国の夢」を実現することに強いこだわりがあります。そこには帝国主義時代に西欧列強や日 本から受けた屈辱を何としても晴らしたいという強い決意を感じます。そう考えると、彼らに「パワーの追求」という考え方を変えてもらうのは難しいように思 います。

 ミシュラ:残念ですが、確かに難しいでしょう。中国人の意識には19世紀以降の帝国主義によって受けた傷がそれほど深く刻み込まれているということでしょう。中国が世界一になりたい、欧米に認めてもらいたいと考える発想は、20世紀初頭に日本が強い国民国家を築こうとした発想と全く同じです。中国が本当に日本を見返したいなら、日本とは 全く異なる道を提示し、日本より高尚な道を進むことが見返すことになるが、そういう発想が今の中国にはありません。残念なことです。
 ただ、1つ言えるのは、中国が経済成長を求め続けても、14億人もの人口を抱える中国が、欧米や日本のような経済発展、生活水準を実現することは現実的に考えて難しいということです。これは12億人の人口を抱えるインドも同じです。

―――地球環境が、それだけの人口が先進諸国と同じ生活水準を享受することに耐えられない…。

 ミシュラ:環境的に耐えられないだけでなく、地球にそれだけの経済発展を遂げるための資源はありません。明らかです。冒頭でも言いましたが、ガンジーもタゴールも、絶えざる経済成長は、 自然への負荷が重く、地球への打撃が大きすぎる、すべてを破滅させかねないという一種の直感力を備えていました。実際、猛烈な工業化や都市化は、気候変動といった問題だけでなく、人間の心の面にも大きな危機をもたらしています。
 中国もそうですが、インドでもダムや原子力発電所の建設や大企業の進出に伴って、長年住んできた村などを捨てることを余儀なくされる人が多くいま す。昨年もインドで、ある鉱山会社が保護区とされている森を生活基盤にして暮らしていたある部族を追い出して開発を進めようとしたところ、強い反対運動が 起きて大きなニュースとなりました。

 すべての人が都市部に移住するのが理想か
 抵抗運動を続けた結果、インドの最高裁が彼らに2つの選択肢を示しました。鉱山会社が提供するお金を受け取って自分たちの住処を去り、近くの街に 移ってアパートに住むか、そのまま今住んでいるところにとどまるか、いずれを選んでもよい、と。すると、実に大多数の人が今、住んでいるところにとどまり たい、という結論を出したのです。
 インドでは最近、こうした決定を下す人が増えています。20年前なら多くの人がお金を受け取って街に移り住みました。選択肢すら与えられなかった人も多い。しかし、ここへきて移住することを拒否する人が増えているのは、移住した人たちがどうなったか知っているからです。多くが都市部のスラム街で貧しい生活を余儀なくされた事実を知っているのです。
 長く大事にしてきた生活の基盤やシステムというのは、その人々にとってはいわば神聖なもので、ひとたび手放すとすべてを失ったに等しくなってしまう。多少のお金と携帯電話を1~2台もらったところで、失ったものを埋め合わせられるわけではないと理解しているのです。
 都市部に出て給料を稼げば、GDP(国内総生産)などの統計に反映され、インド経済の成長には寄与するかもしれません。しかし、実際には給与を毎月受け取っても、インフレが凄まじいために結婚もできなければ、家族を呼び寄せることもできない。多くは貧民街に住み、汚れた空気を吸いながら、経済的にだけでなく、精神的にも非常に貧しい生活に陥っていきます。生活の質が落ち、健康問題を抱える者も少なくありません。

従来の生活からの断絶が暴力を招く
 こうした従来の生活からの断絶は、様々な社会で深刻な心の危機、精神的な危機を招いています。私は、まさにこの生活からの断絶が今日の様々な場所で起きている暴力の原因の一つだと見ています。常にいろんな人が住居を奪われていることが原因です。
 自分たちが本来、属していたコミュニティー、愛する人たちや家族から切り離され、孤独な現代社会に放り込まれ、みじめな生活を余儀なくされると、 極端な方向に走ったり、自分に何らかの存在意義を感じさせてくれる人がいると、そちらに引き寄せられたりする。テロリストになった人たちの背景を見ていく と、何らかの断絶を経験させられた人が多い。

―――つまり新興国は欧米が長く追求してきた経済成長のモデルを鵜呑みにせず、本当に導入していいのか考える必要があると…。

ミシュラ:インドには今も森林や 山間部に住む先住民族がいますし、中国にもチベット族やウイグル族など様々な少数民族が多数おり、彼らは現代社会の一部に組み込まれたくないと考えているかもしれません。いずれの国も農業の存在がまだまだ大きく、開発されていない田舎も多い。私は、こうした国は西欧化、工業化一辺倒の道を進む必要はないと考えます。
 そもそも人は皆、特定の生き方を強要されるようなことがあってはなりません。どの社会も、異なる考え方、異なるライフスタイルを追求できる余地というものを確保すべきでしょう。
 私は大人になってから多くの時間をインド北部のある小さな村で過ごしています。人口2000人ほどですが、その中にはこの20年間に一度は都市部 に出たものの戻ってきたという人が少なくありません。あれこれ仕事をこなすことでテレビを買える程度の収入は確保出来るので、皆、満足しています。空気も水もきれいで、インドのような国の場合、これは大変な贅沢です。

 本当に選択肢はないのか
 私が本で最も伝えたかったのは、アジアは長い間、選択肢のない歴史を歩まされてきたわけですが、先人たちの考えや発想に学べば「選択肢があることに気づくことができるのではないか」ということです。  多くのアジア諸国は植民地の時代から、独立を回復し、主権を維持していくには、日本のように西欧化の道を歩み、力ある国民国家を築いて、経済の工業化を進めるしかないと思い込んできました。確かに列強に押さえ付けられていた時代はそう考えざるを得なかったでしょう。
 戦後も、冷戦の発生により各国は東西のいずれにつくかを判断せねばならず、選択の余地は事実上ありませんでした。ただ、そうした中にあっても強い国民国家を築き、経済成長を果たさなければならないという西欧的な発想に囚われ続けてきたわけです。その意味では、第2次大戦が終わって「植民地主義」は 「新しい植民地主義」に置き換わっただけとも見ることができます。
 そして今、何が問題かと言えば、これだけ経済的にはグローバル化が深化しているのに、多くの人は依然として欧州で誕生した「国民国家」という単位でしか物事を考えられずにいるということです。経済成長を果たすには強い国民国家が必要だとする考え方は、ナショナリズムと結び付きやすい点で非常に厄介 です。
 これもタゴールが指摘していたことですが、ナショナリズムは一種の病理のようなもので、決して特定の民族や一国の中にとどまることはなく、どんどん至る場所に広がっていき、その醜い姿をさらすものだとその本質を見抜いていました。
 まさに台頭する今の中国がそうですし、インドも今、この醜いナショナリズムに覆われています。インドは常に中国に対して深い疑念を持っていることから、自国の子供の50%が十分な栄養さえ取れていないのに、毎年、膨大な予算を防衛費に投じています。どう頑張っても中国の軍事力に追いつくことなどあり得ないのに、何十億ドルもの予算を武器の購入に割いているため、今やインドは世界最大の武器輸入国です。
 これだけ様々な意味で世界が一つとなりつつあるのに、私たちの多くがいまだに異なる社会の人々ときちんと対話できずにいるのは、この国民国家という発想から抜け出せずにいることが一因でしょう。

中東が崩壊しつつあるのも歴史の必然
―――要するに、これまでの経済モデルが限界を迎えつつあるだけでなく、西側諸国が中心になって築いてきた国民国家を単位とする今の世界の政治的な枠組みも時代に合わなくなりつつあるということでしょうか。

ミシュラ:それを如実に物語っているのが今の中東情勢ではないでしょうか。今の中東は、まさに欧州帝国主義の産物です。その産物が今、崩壊しつつあるということです。
 ご存じのように、1916年に英仏露の3カ国がトルコ帝国領の分割を定めたサイクス-ピコ協定を結び、これら中東の地は欧州帝国主義か独裁者によってしか統治できないようにしてしまいました。この時点で、中東の枠組みはいずれかの段階で崩壊を迎えることは必然でした。
 欧州は過去にもこうした既存の秩序がすべて崩壊し、様々な狂信的な発想が台頭してくるという事態を何度もくぐり抜けてきた経験があります。30年戦争や宗教改革などはその一例です。長きにわたり、社会を結び付けていたものがばらばらになっていき、凄まじい暴力が発生し、崩れながら何十年もの混沌の時代に突入していく。これと似たことが今、中東で起きている。
 帝国主義以降、西欧が築いてきた古い国民国家という政治的枠組みそのものが限界を迎えているということです。

米国は中東から撤退すべき
―――ミシュラさんは、米紙「ニューヨークタイムズ」に米国は中東から撤退すべきだとの論評を載せていました。今もそう見ていらっしゃいますか。

ミシュラ:はい。今、中東で目に する暴力の多くの直接的要因は、米国が中東に介入したことにあります。先日もニュースで、イスラム過激派組織「イスラム国」を相手に戦っているイラク兵 が、「米軍がいない」と文句を言っていました。なぜ米軍がいないのか。それはイランがイラク政府を支援しているからです。だから米軍はイラク軍とは一緒に 戦わない。
 ことほど左様に米軍は、中東で複雑な利害を抱えすぎています。今や米軍が中東に存在すること自体が、米国のイスラム国との戦いを終わらせるどころか、世界の様々なところから人を惹きつける「磁石」のような存在となってしまっています。もはや米国は中東の誰からも尊敬されない存在になってしまったのですから、米国に今できるベストなことは、撤退して中東の人にまかせることです。米国が中東を支援する方法はほかにもあります。

―――しかし、イスラム国が昨年6月以降、急速に台頭したのは、米軍がイラクから撤退して権力の空白地帯が生じたからだ、との指摘もあります。

 ミシュラ:その見方には賛同しません。もともと米軍の地上部隊はイラクではそれほど力は持っていませんでした。大きな部分を傭兵に依存していたのが実態です。
 問題はイラクでシーア派のマリキ政権が誕生して以降、マリキ政権が徹底してスンニ派を冷遇、弾圧するにまかせていたことです。そのスンニ派が今、 イスラム国の強い支持基盤となっています。つまり、米国は数カ月ほどイラクに侵攻しただけで、米国の大統領はこうしたシーア派やスンニ派の問題さえ把握し ていない。自由主義世界のリーダーの世界の理解レベルはそんな程度だということです。そんな米国による中東への介入でいい成果を期待しようとすること自体に無理があります。

 私たちは国家の指導層に頼りすぎていないか
 私たちは国家の指導者たち、あるいはエリート官僚に頼りすぎていると感じます。彼らは常に自分が関心のある問題と次にやってくる選挙のことで頭が一杯です。だから短期志向にならざるを得ない。
 しかも今の時代、指導層の多くは大学という同じようなところで教育を受け、皆、似た知識を習得しています。そのため、それらと全く異なる知識が政治などの意思決定過程に入ってくる可能性がほとんどありません。
 私たちは、組織的にほかの知識体系や、物事についてほかの理解の仕方を習得するということを排除してきた面があると思います。しかし、もっと幅広い視点でこれまでの思索にも目を向け、長期にわたってものを考える必要があります。
 それは政治家にはできないことですが、私たちのような文筆家やジャーナリストが担うべき役割ではないかと考えています。

*パンカジ・ミシュラ(Pankaj Mishra) 1969年インドのウッタルプラデシュ州生まれ。随筆家。インドのアラハバード 大学卒業後、ネルー大学大学院で英文学を専攻。1992年からインド国内の新聞や雑誌を中心に執筆活動を始める。2012年に出版した『アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち』が英米で大きな反響を呼び、現在は米紙「New York Times」、米誌「The New Yorker」、米書評誌「The New York Review of Books」、英紙「The Guardian」、英書評誌「The London Review of Books」などに多数、寄稿している。2012年に米エール大学から『アジア再興』を含む執筆活動に対して、「ウィンダム=キャンベル賞(ノンフィク ション部門)」を受賞。2014年には同著で「ライプチヒ・ブック・プライズ」も受賞した。 著書に、『Butter Chicken in Ludhiana』(1995)、『The Romantics』(1999)、『An End to Suffering』(2004)、『Temptations of the West』(2006)、『A Great Clamour』(2013)などがある。(写真:的野 弘路、以下同じ)
 ≫(日経ビジネス:総合―マネジメント―キーパーソンに聞く)

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●象徴的な「アジアインフラ投資銀行」 時代を読みきる勇気

2015年03月20日 | 日記
十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争
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●象徴的な「アジアインフラ投資銀行」 時代を読みきる勇気

予想した通り、英国に続いて、独仏伊と相次いで、中国が主導する「アジアインフラ開発銀行(AIIB)への参加を表明した。韓国、豪州は、入りたいが、アメリとの距離の取り方に腐心しているようだ。主だった国としては、時代の流れとして、シルクロードやユーラシア大陸の開発市場は、最後の有力市場と見定め、現時点の力関係とは一線を画す「国益」重視の外交を行っていると言えるだろう。21世紀の後半における開発領域が、上述の領域が有力なのは誰の目にも明らかなのだから。

それに引き替え、現状、日米だけが蚊帳の外の状況に至っている。無論、付和雷同的にAIIBへの参加が正しい方向かどうか、即断は出来ない。しかし、問題は、このAIIBに対応する、日本政府の判断が、自国の利益や将来的国益で、分析判断した形跡がないのが問題だ。日本政府が独自に物事を判断できない思考停止現象は、70年間も続くGHQ占領体制の名残だと言われているが、抵抗らしい抵抗も示すことが出来ていない。安保など一部は、強化する方向に動いているのだから、何をかいわんやだ。まさかと思うが、これでTPP協定参加が決まってしまえば、今後、日本は堂々巡りのような経済圏で生きることを余儀なくされるだろう。

ネトウヨらが、宿命のライバルように敵視する韓国の方が、余程現実的路線の選択を模索する姿勢を見せている。韓国の場合、米中の二股外交で股裂きに遭うリスクもあるだろうが、時代なりの対応で外交の努力は惜しんでいない。結果が、吉と出るか凶と出るかは判らない。しかし、大きな歴史観で見た場合に、必ず世界の市場の中心になる「シルクロードやユーラシア大陸」領域の開発に足がかりをつける事は魅力的である。まあ、現時点の韓国の参加条件が、アメリカの代弁者のような事を言っているので、本気度は疑わしいが、交渉はしているだけでも価値はある。経済重視だけで決められない案件だけに、高度な外交問題だが、アメリカが怖いだけの日本政府よりはマシである。

しかし、もっと大きな目で見た場合、アメリカの対中外交は、一筋縄で理解するのは困難だろう。アメリカは遠い将来、日本など抜きで、中国とアメリカが共同歩調で、アジア及び中東領域を共同支配する方が合理的だと考えている節がある。このことは、ひた隠しされて、我々の目にハッキリと見えていないのだが、米中の黙契が背後にある可能性はかなりの確率であるのだろう。無論、その黙契が頓挫することもあるのだが、理性的に考えてみれば、米中で茶番を演じている事まで、疑うことは可能だ。北朝鮮、韓国、日本は刺身のつまと云う役回りかもしれない。この辺は、アフガンの米軍完全撤退には、中国の協力が不可欠である事に起因しているのだろう。日本はアフガンに50億ドルの支援をしたが、中国は3億ドル程度で大いに感謝されている点を見ても、疑わしいのだ。

この程度の、アメリカの陰謀は、部外者でも見えてくる疑惑だが、当然ロシアにも見えているだろう。ただ、中国は、ウクライナを通しての姿勢を見る限り、幾分ロシア寄りだが、中立な位置にある。しかし、イザとなれば、中露の軍事的協力関係は、揺るがないだろう。それに引き替え、我が国外交姿勢は、安保法制とかに現を抜かし、米軍と共に戦える自衛隊を出現させることに躍起になっているのだから、救うべき道もないし、軌道修正する余地も、あまり残っていはいないようだ。特に、日本の世論が、尖閣諸島の防衛云々に強く拘ったことで、大きな世界のうねりが、まったく視野に入らなくなっている点が、情けない。最後に、少々心もとないコラムだが、加藤嘉一氏のコラムを紹介しておく。


 ≪ 全人代で再確認された“大国外交”の変化
  現在、1年に一度のビッグイベント、全国人民代表大会(全人代)が北京で開催されている。党や政府の首脳陣が今年1年の政策目標を直接語る重要な会議だ。
 3月8日、王毅外相が記者会見に臨んだ。
 王外相はまず、2014年の中国外交を“豊作の年”“開拓の年”“創新の年”と総括。その理由として、アジア信頼醸成措置会議(CICA)とアジア太平洋経済協力会議(APEC)という“2つの主場外交を成功させた”ことを挙げた。その上で、以下のように主張した。
 「特筆すべきは、協力とウィンウィンを核心とする新型国際関係の構築に着手し、パートナーシップを重視する対外交流の新しい道を歩みつつあること だ。中国は昨年末までに70以上の国家・地域機構とパートナーシップを結んでおり、グローバルなネットワークを形成している。中国の“朋友圏”(友人ネットワーク)はどんどん大きくなり、良き友人も、良きパートナーもどんどん増えている」。
 ここにも、習近平政権を象徴する“新型”という枕詞が出てきた。
 王外相によれば、習近平国家主席が昨年提唱した“新型国際関係”は、勝者がすべてを持っていく独りよがりの古い考えに取って代わるものだという。また、「過去の大国と異なり、中国は平和的発展の新しい道を自ら切り開いた」とも語った。
 筆者がこのセンテンスから読み取ったのは、習国家主席が率いる中国外交の指導者たちが、(1)米国の存在を相当程度意識しており、(2)米国主導 の国際秩序を何らかの形で変更したいと考えており、(3)中国自身を歴史に名を残す大国にする方法を追求しようとしていることである。
 王外相は2015年における中国外交の重点を“一帯一路”だと明言した(参考記事「張高麗主導でいよいよ本格化する“一帯一路”戦略」)。「相互に連結するインフラ整備、および陸上経済&海上協力の建設を推し進めたい。早期の収穫が見込め、ユーラシア大陸全体の振興を支援できると信じている」。
   “一帯一路”は習国家主席が政治的に重視している国家戦略であり、「中央宣伝部、中央電視台(CCTV)、新華社、外交部、商務部、発展改革委員会、そして各地方の人民政府やインフラ関係の国有企業など、各機関がそれぞれの職責から“一帯一路”を推し進めるべく総動員で取り組んでいる」(中国政府関係者)。

 「中米両国は大国だ」
 王外相の記者会見では、中国・海外の記者から合計16の質問がぶつけられた。字数の関係上、ここですべてを取り上げ、解説を加えることはできないが、以下、筆者が選んだ3つについて議論してみたい。
 1つ目は日本・米国・中国の関係である。王外相は、米中・日中関係に関する質問にそれぞれ答えた。いずれも想定内の回答であったが、2015年の中国外交が対米・対日関係をどう位置づけているのかを確認する上で重要なコメントであった。
 まず、対米関係について。習国家主席がオバマ大統領の招待に応じて、今秋に米国を公式訪問する予定だとした上で、以下のように主張した。
 「中米両国は大国だ。摩擦がないことはあり得ない。新型大国関係を建設することによって摩擦が一夜にしてなくなることもあり得ない。我々は顕微鏡 を使って問題を大きくする必要はない。それよりも、望遠鏡を使って未来を眺めることだ。方向性を把握することだ…中米の利益はアジア太平洋地域において最も重なり合い、その連動は最も頻繁である。新型大国関係はアジア太平洋から取り組むべきだ」 この回答から読み取れるのは、(1)習国家主席率いる中国外交指導部が“昨今の国際政治は米中二強時代”という認識を持っているだけでなく、(2) 米国をライバル視し、“新型大国関係”に米国を巻き込もうと目論んでおり、(3)特に、アジア太平洋地域において中国の戦略や国益を米国に尊重させること、少なくともそれらの邪魔をしてもらっては困ると考えていることである。
 また、王外相は「中米は共にインターネット大国である。サイバーセキュリティーの問題に関しては双方が共通の利益を持っている。中国としては、サ イバー空間が両国にとって、相互摩擦の源泉ではなく、協力を推し進めていく上での新しい領域になることを願っている」とピンポイントで主張した。中国当局は、対米関係を上手にさばくことができるかどうかの一端はサイバーセキュリティー問題をどう処理するかにかかっていると認識しているわけだ。

 「日本は良心的な歴史認識を」
 対日関係について、王外相は歴史認識の問題で日本を牽制した。同外相は“抗日戦争勝利70周年”を折に触れて宣伝している。
 「70年前、日本は戦争に負けた。70年が経った今、日本は良心的な歴史認識を持つという闘いに負けるべきではない。歴史の重荷を背負い続けるのか、過去と決別するのかは、最終的には日本自身が選択しなければならない」
 王外相は今年開催予定の“反ファシズム戦争勝利・抗日戦争勝利70周年”の記念行事に、他国の首脳と同様に、日本の安倍晋三首相を招待する用意があると語った。
 招待状は当然、米国のオバマ大統領にも送られるだろう。中国の戦後70周年キャンペーンをどう解釈し、どう対応していくか。日本としては同盟国で ある米国とも対話を重ねながら判断していく必要がある。これについて筆者がワシントンDCで感じることは、米中が“日本の歴史問題”を巡って広範で多角的 な対話を展開していることだ。
 米国首脳陣も安倍首相の歴史認識・声明に注目している。その内容次第では、米国側が不満を露わにし、そこに中国がつけ込むであろう。安倍首相が靖 国神社を参拝した経緯が思い起こされる。日本の歴史認識が引き金となり、結果的に米中が“接近”する事態は、“公共財としての日米同盟が中国の行動に対し てチェックアンドバランスを計る”という基本構造を崩しかねない。
 一人の有権者として、筆者自身は、安倍首相は中途半端なレトリックで主張を曖昧にしたり、誤解を招きかねないような表現をしたりすることは断じて 避け、大胆かつ謙虚に歴史認識を披露し、中国と米国から何一つ突っ込ませず、日本を称賛せざるを得ないような発言をすべきだと考える。それが結果的に、日本の経済・安保政策における権益の最大化につながるものと信ずる。

 5月にも、中ロ朝の三カ国首脳会議実現か
 2つ目は中国・ロシア・北朝鮮の関係である。結論から言えば、筆者は「今の時代になっても、中国とロシア、中国と北朝鮮は特別な関係なのだな」と痛感している。
 ロシアについて、「西側諸国がロシアに制裁を加え、ルーブルが暴落している状況下で、中国はロシアとどのような関係を築くか?」という質問に対 し、王外相は以下のように答えた。「中ロ関係は激動している国際情勢の影響を受けない。中ロはすでに強固な戦略的相互信頼関係を築いている。これからますます成熟し、安定していくのだ」。
 2015年の対ロ外交目標として、王外相は1000億ドルという貿易目標の実現、シルクロード経済協定の締結、天然ガスパイプライン工事の開始、高速鉄道、金融、原子力発電などの協力強化なども掲げた。
 北朝鮮については、「北朝鮮の最高指導者が5月にロシアで開催される反ファシズム戦争勝利記念式典に出席することが決まっているが、訪中日程は決 まっていない。今年、中朝指導者による会談は実現するのか? 六カ国協議は復活するのか?」という質問に対して、以下のように答えた。
 「朝鮮半島情勢は再び敏感な状態に入った。中国としては、関係各国に冷静さ、自制、ポジティブな発言・行動を促し、六カ国協議を再開させるべく前向きな雰囲気を作り、条件を整えたい」。
 中国外交指導部が朝鮮半島情勢が緊迫していることを認識していること、そのなかで、北朝鮮の振る舞いに不満を持っていることを暗示している。
 しかし、である。
 王外相は次のように続けた。「中朝は友好的な隣人である。中国人は信義と情義を重んじる。我々は中朝の伝統的友好関係を大切にしているし、両国関係の正常な発展を望んでいる。中朝関係には強固な基礎がある。一時的な事態に影響は受けないだろうし、受けるべきではない」。
 ロシアに対する発言と明らかに似通っている。ロシアや北朝鮮が中国を当惑させるような行動をとっても、「そういうことに振り回されない」のが中ロ関係であり、中朝関係だと言っているのだ。
 中ロ北の三カ国関係について言えば、注目されるのは、前述のとおり、5月にモスクワで、ウラジミール・プーチン、習近平、金正恩という3首脳が初 めて一堂に会する場面であろう。中国政府関係者によれば、モスクワでは中ロ・ロ朝・中朝首脳会談をそれぞれ実施すべく、現在調整を急いでいるとのことだ。 王外相は記者会見にて、「中朝指導者の会談に関しては、双方が適切だと判断した暁に実現するだろう。状況次第だ」としている。

 変わった、“大国外交”の意味
 3つ目は、“中国独自の大国外交”である。最後の質問で、CCTVの記者がその定義と内容について質問をした。中国共産党指導部として、国内外に訴えたかったテーマなのだろう。
 王外相は「中国独自の大国外交の中身は豊富であり、党の領導と社会主義制度、独立自主の平和外交政策、平和的発展の道を進むこと、大国も小国も一 律に平等であることを堅持すること」などと説明。その上で、「一つの重要な特徴は“協力とウィンウィン”にあると思っている」とコメント。それから習国家主席が提唱した、前述の“新型国際関係”について論じ始めた。
 これは何を意味しているのか。
 習国家主席、そしてその意思を執行する王外相は“中国独自の大国外交”と“新型国際関係”は表裏一体の関係にあると言っているのである。
 中国共産党中央は昨年11月、中央外事工作会議を開き(関連記事:「“習近平外交”の幕開け」)、習国家主席が“中国独自の大国外交”を提唱した。この時以来、筆者はこの文言をどう解釈すべきかについて中国の外交関係者たちとワシントンDCで議論を重ねた。
 その過程で明らかになってきたのは、習近平政権が使用する“中国独自の大国外交”の“大国外交”は、“大国との外交”ではなく、“大国としての外交”を指すことだ。胡錦濤・前国家主席の時代までは、中国当局が"大国外交"という時、これは"大国との外交"(特に米国)を指すのが常だった。現在の “大国外交”の使い方は、当時と180度解釈が異なる。
 筆者のこの理解を、複数の中国外交関係者たちに当ててみると、皆一律に、そしていつになく率直に、「その理解で正しい」と返してきた。彼ら・彼女らは、胡錦濤政権から習近平政権に移行して以来、随所で感じてきた、外交スタイルの変化を強調した。
 そのうちの一人が筆者に語った。「先日、私はそれ("大国外交"の解釈が変わったこと)を説明するプレゼンをワシントンの某シンクタンクでしてきたばかりだ」。 ≫(日経ビジネスONLAINE:アジア国際―米中新時代と日本の針路・加藤嘉一)

プーチンはアジアをめざす―激変する国際政治 (NHK出版新書 448)
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●「国のために戦う」「弱者を助ける」どちらも世界最低の国は?

2015年03月19日 | 日記
成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)
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●「国のために戦う」「弱者を助ける」どちらも世界最低の国は?

世界的リサーチで有名なギャラップの「国ために戦う」と云う意思が、国民にどの位あるのかと云う調査結果が発表された。安倍首相の「普通に戦争できる国」が如何にも国民から絶賛を浴びているのだろうかと思っていたが(笑)、酷く残念な調査結果が出てしまった。世界64カ国対象の調査のようだが、何と11%で「ビリ」なのだそうである。情けないとも言えるし、良かったと思う部分もあり、少々結果自体は複雑に受けとめている。 そのような国民に、最後にはオマエ達がお国のために戦うのだ、と力説しているのだから滑稽だ。

概ね日欧米など先進諸国が「自国のために戦う意思」が少ないようだが、ある程度までは、納得が出来る。現状維持+アルファくらいで、それ以上を、他と争って求めない傾向があると云うことだろう。まあ、調査結果を見る限り、日本人は、現状に、かなり満足している事が窺える。また、第二次大戦で敗れた、ドイツ、イタリアが日本に次いで低かった点をみると、いまだ、敗戦の教訓が少なからず残っている事も窺える。おそらく、世代間で、かなり認識が違うだろうが、国民全体としては「普通に戦争できる国」と云う観念は、国民世論から遊離した、ひとり相撲な思い込みと云うことを、示してもいるのだろう。

 まあ、良くも悪くも健全と云うか、自己中心的思考経路が行き渡り過ぎていると云うことかもしれない。そう言えば、だいぶ昔、ギャラップの両雄調査会社、ピュー・リサーチ・センターの調査で、「自力で生活できない人を政府が助ける必要はあるか」の調査を、47か国対象に行われたのだが、日本は38%もの人々が、「助ける必要はない」と答えたそうである。欧州や中国、韓国における「助ける必要はない」と答えた人々の割合は、ほぼ10%前後だった。自由主義の傾向が強いアメリカでさえ28%だったことを考えると、日本って国は、どういう国なのと考えざるを得なくなるのだ。

ピュー・リサーチ・センターの調査は2007年に行われたものだから、東日本大震災を経た後の、日本人の意識は多少変わったかもしれないが、基本的傾向は変わっていないだろう。この情報は、ビデオニュースドットコムの番組で、経営コンサルタントの波頭亮氏がこの調査結果を引き合いに出し、自著『成熟日本への進路「成長論」から「分配論」へ』の考えを論じていた。同氏の主張全体は判らないのだが、日本人が口々に「景気が好くなって欲しい」と云うお題目は、まさにお題目で「神話」である事は百も承知だ。しかし、念仏は「南無阿弥陀仏」と言うように、「景気は好くなって欲しい」は合言葉、乃至は本音を言わないぞと云うメッセージなのかもしれない。

それが証拠ではないが、経済は根本的に何年も僅かにしか成長していないし、実質所得は減少傾向に歯止めがかかっていない。最近は日本のメディアが、春闘・空前のベアなんて、最も利益の出ている輸出大企業の話を振り撒くことで、祭りの掛け声のようなプロパガンダ報道をしているが、多分、国民の大多数は、これから日本の経済状況は悪くなるのだろうと、秘かに思っているような気がする。ただ、筆者のように不景気な話はする、そういう考えは聞きたくもないわけなのだ。なぜか?確実に来ることが、肌でひしひし感じているのに。追い打ち掛けるように語るんじゃない!と言っているのだろう。

その肌で感じているものが、自分たちの生活のコアにあるとなると、これは当然のことだが、守りの意識が強くなる。使えません、いつ飢え死にするか判らないのだから。政府をどこまで、いつまで信じられるか、判ったものではない。となれば、他人のことなど考えている暇はなくなる。或る意味で、自然の成り行きだ。農村を中心とする村共同体が、明治維新、富国強兵、敗戦、高度経済成長、バブル崩壊の一連の流れの中で、中央集権的都市国家主義が日本を歪めてきたのだな、と宇沢弘文氏の考えに思い至るが、昨日のコラムでテーマとした、西郷隆盛の言葉からも、日本の歴史は、戻すことが不可能な程までに、大きく正常軌道を脱線して、リニアのように、地に足を着けずに突っ走ろうとしている。何ゆえに、どこに行こうとしているのか、走っている癖に、判ろうとしない。筆者も、その辺のことが、理解不能になりつつある。

≪「国のため戦う」日本最低 パキスタンや越が高率
【ジュネーブ共同】各国の世論調査機関が加盟する「WIN―ギャラップ・インターナショナル」(本部スイス・チューリヒ)は18日、「自国のために戦う意思」があるかどうかについて、64カ国・地域で実施した世論調査の結果を発表、日本が11%で最も低かった。  欧米諸国が下位に並び、上位にはパキスタンなど情勢が不安定な国が目立った。  日本に次いで低かったのはオランダの15%で、日本と同じ第2次大戦敗戦国であるドイツが18%、ベルギー(19%)、イタリア(20%)が続いた。  一方、最も高かったのはモロッコとフィジーの94%で、パキスタンとベトナムがともに89%で上位。 ≫(東京新聞)

経済と人間の旅
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●アベノミクス、第三の矢「成長戦略」は間違いなく日本の「神話」

2015年03月18日 | 日記
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●アベノミクス、第三の矢「成長戦略」は間違いなく日本の「神話」

拙コラムは「官邸は火の車 ごまかし言い逃れ恫喝政治の限界点到達か ?」、「安倍不安のすべてを覆う「きのこ雲」 人心惑わす株式市場」‥等と、安倍内閣の先行きの不安を臭わすコラムを書き続けているが、中々どうして、しぶとい政権である。ご本人や側近らの傲慢な権力の濫用は目に余り、吐き気を催す程なのだが、まだ、気紛れなお天道さまは、政権に鉄槌を下す気にはなっていないようだ。まさか、お天道さまが春の惰眠を貪っているのではないだろうかと、フト心配になる。

今日は、朝から遠出の仕事が入っているので、さくっと話しておく。テレビニュースや新聞報道に打ってつけの大企業のベア情報が景気の良さを炊きつけている。まあ、よくよく見れば、円安による輸出の御利益が甚だしい、自動車産業や電機関連のベアが衝撃的に報じられている。トヨタ、日産、ホンダ、デンソー、日立、パナソニック、富士フィルム、NTT‥等だ。たしかに上述企業は、ベア以上の利益を出しているのだから、賃上げするのは、当たり前であって、何ら不思議はない。それでも、安倍が、俺のお陰だぞ!と騒ぐし、麻生に「守銭奴」と喚かれない為にも、まあこの程度の飴玉は舐めさせても罰は当たらない。

しかし、このベア景気で喜べる労働者は、全労働者の1割にも満たないのだろう。そう考えると、これら企業の広報活動の一環であり、損して得取れの精神に満ちたベアである。安倍政権に対して、こんな美味しい企業環境を作ってくれてありがとうのお礼の気持ちも込められている。しかも、高回答を出している企業の殆どが、3%の消費増税でも、輸出戻し税の増加が見込めるので、痛くも痒くもない。政権に恩を売れるだけ、得があると云うだけのことである。来年も再来年も、俺たち企業にとっての、好条件金融政策に邁進してくれよ、とのメッセージ性の強いベアと云うことだ。

その上、欧米の経済鈍化が確定的なのに対して、どこか日本の経済環境はサムシングな面があると云うのが味噌だろう。その味噌に向かった、溢れかえっている世界のマネーが群がり出している。世界の、概ね悪い経済環境の中では、少しマシな経済環境が日本だと云う相対的比較による、海外マネーの流入も起きている。どう見ても、良いわけがない日本の経済環境がよく見えると云うのだから、世界経済は余程悪いのだろう。それでも、マネーは動き回っていないと回遊魚のように死に絶えるので、動かすしかないのだから、こういう運の良いことも起こり得ると云うことなのだろう。金融経済とは、まさに魔性な経済を身を持って示している。

以下は、どちらかと言えば穏健な町田徹氏のコラムだが、彼の分析でも判るように、アベノミクスに未だ世界のマネーが未練を持っているのは、出そうで出ない、いや絶対出ない「第三の矢」(成長戦略)なのだ。2年経っても出てこないと云うことは、“無い袖は振れない”と云うのが真実だ。もうここまで来ると、「第三の矢」(成長戦略)と云う話は、「神話」に近づいてきている。町田氏のコラムから、この「神話」を引けば、結局ゼロと云うことになる。今後、最も考えられないほど怖ろしいのは、日銀は、どうやって金融緩和を止めるのだろうと云う一点に絞られる。それが、預金封鎖とかでない事を祈るばかりだ。


 ≪ 「官製春闘で賃上げ」は安倍首相のお手柄なのか?
 ■ 「官製春闘」のヤマ場到来
いよいよ明日(3月18日)、春闘の最大のヤマ場である「集中回答日」を迎える。
春闘は、毎年、2月から3月にかけて行われる、我が国独特の労使交渉だ。ただし、今年も昨年に続き、安倍首相が先頭に立って経営側に賃上げを迫る “官製春闘”という特異な形になった。政権の経済政策の一枚看板であるアベノミクスの成功を演出するため、国民総生産(GDP)の6割を占める個人消費を 伸ばすべく、家計の所得を増やそうと、政府は賃上げの実現に躍起なのである。
結果としては、一定の効果が出るとみていいのだろう。新聞報道によると、民間のシンクタンク10社が、今年の賃上げ率が2・35%(ベースアップ=ベアと定期昇給の合計)と昨年実績(2・19%)を上回るとみているという。
だが、安心するのは早計だ。こうした賃上げは、雇用の2割を支えている大企業に限定した話に過ぎないからだ。一方で、人手不足という構造問題も横たわっている。各地で開花が近づく桜のように、春本番の到来と手放しで喜ぶには、まだまだ多くのリスクが残っている。
若い人には信じられないかもしれないが、今年で60回(年)目を迎える春闘の歴史を振り返ると、前年比の賃上げ率が32.9%という驚異的な数字を記録した年もある。
厚生労働省の「春季賃上げ状況」によると、それは1974年のことだ。前年10月に勃発した第4次中東戦争に端を発する第1次石油危機が、「狂乱物 価」と呼ばれた激しいインフレーションを引き起こし、日本中が翻弄された時代のことである。余談だが、この年の暮れには、政治資金の出所を巡る疑惑が原因で、田中角栄内閣が総辞職する騒ぎもあった。
その後、高度経済成長の終えん、バブル経済の崩壊などが響いて、賃上げ率は低下の一途を辿った。1992年から5%を切ることが珍しくなくなり、2002年から1%台で低迷するようになったのだった。
背景にあるのは、後述する潜在成長率の低下だが、給与所得者の間では、会社との協調路線が行き過ぎて経営と馴れ合う労働組合や、非正規労働者の増加で組織率の低下に苦しむ労働組合が珍しくなくなり、労働組合や春闘の存在意義が問われるような時代になっていたのである。

 ■ 安倍政権のお手柄と見てよいのか
高度成長期に比べれば、わずかながら「賃上げ」 
そんな中で、「春季の賃上げ率」が2001年(2.01%)以来13年ぶりに2%台を回復したのが、昨年(2014年)の春闘だ。 その賃上げ率は2.19%。好調な企業業績や潤沢な企業の内部留保と並んで、安倍政権の経営者に対する執拗な賃金引き上げ要請が一定の効果をあげたことは事実だろう。
この時点では、まだ多くの経営者が「賃上げは賞与など恒久化しない形で行うのが適当で、春闘における基本給部分の引き上げは時期尚早だ」と二の足を踏んでいたからである。
そして、安倍政権は二匹目のドジョウを狙った。今年1月6日に、経済3団体が共催した新年祝賀会で「経営者のみなさん。勇気を持って、やるなら『今でしょ』」と賃上げを促したことを覚えている読者も多いはずだ。
首相の呼びかけに呼応したわけではないだろうが、連日、「(国策支援を受けて再建を果たした)日本航空(JAL)が14年ぶりのベアを実施する」と か、「賃上げが日本経済を刺激する好材料になるとの思惑から外国人が入り今月12日の東京株式相場が急伸した」といった景気の良い話が新聞紙上を賑わせる状況になっている。
今回の春闘について、民間のシンクタンク10社が昨年より0.16ポイント高い賃上げ率を見込んでいることは、その数字の差以上に大きな意味があると言えなくもない。
というのは、議論の対象になっている賃上げ率は、あくまでも名目の数字だからである。昨年の場合、4月1日付で消費税が3%引き上げられた影響が大きく、実質的な賃金は上がるどころか下がっていたからだ。賃上げを実感できなかった原因の多くはここにある。
それに対して、今年は消費増税がないため、賃上げと可処分所得の増加を実感できる労働者が増えるはずである。こうした点については、安倍政権のお手柄だと、素直に評価してもよいかもしれない。
ただ、それでも恩恵を受けられる人は限られている。厚生労働省の「春季賃上げ状況」が集計対象を「資本金10億円以上かつ従業員1,000人以上の労働組合のある企業の労働者」としていることからも明らかなように、春闘で賃上げが議論されるのは大企業の労働者だけだ。
しかも、実際にカウントされるのは、毎年、同省が妥結額 (定期昇給込みの賃上げ額)などを把握できた企業に限られている。具体的に言えば、2014年の場合は、わずか314社の労働者の話に過ぎなかった。
多くの労働者が働く中小企業は対象外だし、それらの企業は大企業に比べて規模が小さく体力も乏しいため、賃上げの余力は劣っているはずだ。

■ 安心感がまだまだ足りない
実際、同じ厚生労働省が公表している「毎月勤労統計調査」をみれば、その辺りの事情は明らかだ。2014年分確報によると、平均月間現金給与は前年比0.8%増の31万6567円と4年ぶりに増加したものの、実質賃金は前年比2.5%減と相変わらず減少が続いている。
もし、国民総生産や経済成長率を押し上げるほど個人消費を増やすことを狙っているのならば、1、2年という短い期間、少しばかり名目賃金が上がって も非力すぎると言わざるを得ない。若い人が家庭を持ち、住宅を購入し、子育てに踏み切り、耐久消費財や自動車などを買おうと思うには、将来にわたって安定的に実質賃金が増えていくと感じられる安心感が不可欠だからである。
また、昨年を上回る見込みとはいえ、賃上げ率の絶対水準が2%台と低いレベルにとどまることも問題だ。そもそも、企業業績は絶好調であり、もっと出せるはずなのだ。
日本経済新聞の集計によると、3月期決算の上場企業1520社の2014年4~12月期の9ヵ月の決算は、売上高が前年同期比で5.1%増の367 兆1804億円である一方、その期間の儲けを示す経常利益は7%増の24兆9564億円に達したという。つまり、昨年の春闘で賃上げ率2.19%と低く抑えた結果、増収率を上回る増益率を確保できたというカラクリが浮き彫りになっているのである。
しかも、あるベテランアナリストによると、このところ、輸出型の製造業大手を中心に、決算調整で利益を圧縮している企業が少なくないらしい。それゆ え、「今回、4、5%台の賃上げをしても、それが原因で2016年3月期の決算が減益になるような事態は考えにくい」というのが、このアナリストの見立てである。
今後は、そういった収益環境を踏まえて、「労働組合が昔の積極性を取り戻して、しっかりした賃上げ要求を出すことも重要だ。さもないと、潜在成長率が低下する中で内部留保優先に傾いてしまった経営者マインドは簡単には変わらない」。
そこで、もうひとつ指摘しておかざるを得ないのが今春闘での賃上げの流れを決定的にした人手不足の問題だ。過去2、3年を振り返ると、この問題は、 東日本大震災の被災地での建設労働者の不足や物流業界の大型トラックの運転手不足など一部の分野で指摘され始め、次第に外食などサービス業や製造業全般にも広がってきた。
その深刻さがはっきりと浮き彫りになったのは、昨年9月の日銀短観だ。企業が雇用の過不足感を回答する「雇用人員判断」で、大企業から中小企業まで 全規模・全産業で不足超過となったのである。これは2008年3月以来の“異変”だ。中でも中小企業が人手不足感はマイナス16と1992年以来ほぼ22 年ぶりの大きさだった。
最新の日銀短観(昨年12月分)では、この人手不足感がさらに強まっていた。9月比で、大企業が1ポイント、中堅企業が2ポイント、中小企業が4ポイント、全規模合計で1ポイント、それぞれ不足感が増したのである。

 ■ 結局、「第3の矢」(成長戦略)が出せるかどうか
短期的には、人手不足は、それを補う生産性向上のための設備投資や賃金の引き上げ・消費の押し上げに繋がり、物価や経済成長の押し上げに寄与するこ とが多いとされている。いつまでも非正規労働者を安い賃金で雇って事業を維持するような経営手法では、企業も生き残れなくなるからだ。
とはいえ、今回の人手不足が人口減少や本来の経済のポテンシャルを示す潜在成長力の低下と密接に絡んでいることは、重要な問題点だ。総務省統計局に よると、日本の総人口は2050年までに現在より3000万人以上少ない9500万人に減る予測だ。内閣府や日銀の推計ですでに0.5~0.6%程度まで低下したとされる潜在成長力が、2040年代にはマイナスに陥ると見る専門家もいる。
こうなると、アベノミクスの問題点にも注目せざるを得ない。ここでいうアベノミクスは、「黒田バズーカ2」と呼ばれるような「異次元の金融緩和」を いつまで継続できるのかといった議論や、政権発足1年目に補正予算で大盤振る舞いをして2年目には早くも息切れしてしまった「機動的財政」の余力の問題ではない。いつまで経っても主役が登場しない「第3の矢」(成長戦略)の重要性である。
中長期的に潜在成長力を回復して、低失業率と高めの賃上げ率を維持していきたいと安倍政権が本気で考えているのならば、過去2年間のように経営者に ばかり責任を押し付けてはいられないはずだ。むしろ、経営者たちが安心して研究開発、設備投資、人材育成に取り組めるように、カラ手形化して久しい手形、 つまり成長戦略を履行してみせる必要がある。 ≫(現代ビジネス:町田徹のニュースの深層)

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