世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●無償化、箱ものを集票の具に使うな 保育士を魅力的職業に

2018年02月28日 | 日記

 

維新史再考―公議・王政から集権・脱身分化へ (NHKブックス No.1248)
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NHK出版

 

戦前日本のポピュリズム - 日米戦争への道 (中公新書)
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中央公論新社

 

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青林堂


●無償化、箱ものを集票の具に使うな 保育士を魅力的職業に

これも、安倍政権の悪しき慣例の部類に入る犠牲者だが、3歳児までの保育と云うものは、いわば、動物的生き物から、社会性を身につけた人間に変化してゆく最も重要な時期である。この動物と人間の境界線をつかさどる職業に携わる保育士の待遇が、時間給にすると最低賃金に満たないと云う実態は看過できない。

安倍政権の馬鹿度は、有権者の票に繋がる政策をキャンペーン的言葉に変える手法が多く、「保育園増設」「保育園無償化!」などの方向に突っ走る。当然自由主義市場では保育園の箱物に重点が移る。しかし、無償化するような金があるなら、最悪の労働条件と言われ、他職業より9万円近くの低賃金で働かされている保育士の待遇をあげるのが、至極当然の政策だ。

極悪環境なのだから、保育士不足は慢性化しているのを百も承知で、やることは、有権者に訴求する「無償化」などに走るのが安倍政権だ。この無償化案に批判的言葉が続くことで、集票に不具合ありとみたのか、「人づくり」の2兆円の中から、保育士対策費用も充当しようと考えたようだ。

しかし、その改善策の額は、保育士や潜在保育士の心を揺さぶるような効果は期待できず、上げました、と云うアリバイ作りに利用されるような額である。平均的職業よりも賃金が9万円くらい低く抑えられている保育士の給料。彼ら彼女らが、保育士でも社会生活を営める、と確認できる待遇改善策が講じられないと意味はない。

取りあえず、月額6000円増やすそうだが、若い保育士にとって、まったく魅力的給与アップではない。つまり、上げても上げなくても、同様の効果と云う金額だ。7年以上の経験を持つ場合4万円だ、などと言っているが、そもそもは、箱は余っている、足りないのは保育士だ、と云う実態には無関心なのは、保育士と云う職業が、票に結びつかないことなのだろう。保育の無償化など集票効果に目がくらみ、保育士が絶対的に増える労働条件を提示しない。おそらく、離職率や正職員が少ない保育士達には団結する機会が与えられないので、政治的発言が出来る圧力団体が構成されにくいのも問題なのだろう。だいたいが、保育園を自由市場で競争原理と云う発想が人間離れしている。なにが、人づくり元年だ(笑)。

全産業の平均月収が304,000円だったのに対し、保育士は215,800円と9万円近い開きがあるのだから、一気に一律4万円アップ。一年経験毎に1万円アップ。そうして、月額30万円になる職業にまず引き上げることだ。このくらいの刺激策がない限り、永遠に「保育園落ちた」は、安倍政権の足を引っ張り続けるだろう。また、保育士への事務負担など、保育園事務職など、構造的問題点も検討すべきだ。無償化する予算があるなら、するべき政策が間違っている。アリバイ作りではない、政策が求められる。

保育が充実し、働きながら子育てが可能な社会の実現は、少子化に一定の歯止め効果はあるし、場合によれば、少子化の甲斐性に向かうきっかけにもなりそうな課題だ。しかし、日本人の少子化が解消することは、日本人の労働力が増えることであり、新自由主義経済が望む、低賃金化で国際競争力という目標とは矛盾する。つまり、急遽の一策として“移民”の社会的認知可能な人口構成に齟齬が生まれると思っているような空気だ。


 ≪ 疲弊する保育士「自分の子を預けたくない」
 急増するニーズで負担増、保育でなく流れ作業に「心苦しい」
 核家族化がいっそう進む平成時代。地域の保育園は働く親と子どもだけでなく、慣れない育児に向き合うすべての家族の心強い存在です。しかし、その担い手である保育士たちは、急増するニーズの中で疲弊しています。理想と現実のギャップに悩んだ末、現場を離れる決断をした人もいます。(朝日新聞文化くらし報道部記者・田渕紫織)
■時給に換算すると最低賃金以下
 埼玉県志木市の女性保育士(31)は、昨年9月に長男を出産して現在は育児休業中。今年9月には、勤めている認可外保育園で復職する予定だ。
 復職に向け、保活を始めようとしている。しかし、葛藤もある。
 「果たして、自分の子を預けたいと思える保育園ってあるの?」
 都心から少し離れた志木市も駅前の再開発で大規模マンションが建ち、ここ数年で保育園に入る競争は激しくなっている。市内に勤める保育士は入園選考で優遇される制度がある。入りやすいかもしれないが、「自分の子を預けたくない」と思う理由とは――。
 ネットメディアで4年間、広告営業をした後、保育士の資格試験を受け、東京都内の認可保育園に転職した。「前職も『24時間働けますか』の体育会的世界だったけど、保育園は次元の違う重圧と恒常的な忙しさで、すりきれるような毎日だった」という。
 シフト上は、早ければ午前6時45分出勤、午後4時15分退勤。だがその後、午後9時ごろまでサービス残業が普通だった。タイムカードはなかったが、時給に換算をすると最低賃金を割った。
■「預けたいと思える保育園ってあるの?」
 職員は新卒が中心。1年目から0歳児クラスの担任になり、6人の子どもを20歳の新人保育士と2人で受け持った。周りの新設保育園と同じように園庭はなく、散歩先では他園の園児と入り乱れ、見失わないよう、けがをしないように気遣うことで精いっぱい。保育士が1人でも休むと、晴れていても散歩に連れて行けなくなる。
 子どもの記録や園便りを書くことやミーティングの大半は、子どもが帰った後のサービス残業。持ち帰ることもある。加えて、月1回のペースで行事があった。生活発表会の桃太郎劇では、子どもが着る服を家に持ち帰って未明まで縫った。
 「このままだと、この子たちも自分も共倒れになる」と感じ、1年で正職員から非常勤に移った。2年後には、新規開園した系列の認可保育園に。駅ビルの中にあり、保護者からは人気で高倍率の保育園だったが、厳しい職場環境は変わらず、2年もしないで辞めた。
 今回、子どもを預けようという側に回る。「質が低下する現場をよく知るだけに、保育士は自分の子を長時間預けるのは望まないと思う」。早く迎えに行きたくても、復職してシフト勤務に入ると難しい。保育士が出産後、現場に戻らない気持ちが今ではわかる。
■「潜在保育士」、86万人に上るが…
 子どもが保育園に入れない「待機児童」が解消しないのは、保育士不足が背景にある。業務が忙しいことに加え、待遇の悪さから、現場から離れる保育士も多い。保育士の資格を持っていても働いていない「潜在保育士」は、2016年度で推計86万人に上る。
 独立行政法人福祉医療機構が16年に発表した調査では、回答を寄せた全国5726施設のうち、保育士が不足していると答えた施設は25%。このうち、18.3%が受け入れる子どもの数を制限していた。
 潜在保育士958人を対象にした厚生労働省の13年調査では、就労経験のない人が3割いた。就労を希望しない理由(複数回答)は、「賃金が希望と合わない」が48%、「責任の重さ・事故への不安」が40%、「休暇がとりにくい」が37%だった。


 



■保育園に耐えられず、シッターに
 東京都足立区の女性(41)は短大の保育科を卒業し、保育園と幼稚園で3年ずつ勤めた。結婚を機に8年ほど現場を離れ、3人の子どもを育て、11年に復職。その後、私立認可保育園、小規模保育園、認可外保育園とさまざまな種類の保育園で働いた。
 どの園にも共通していたのは、1人で多くの子どもをみる忙しさと、手書きで非効率な書類の山だ。保育士たちが少しでも休憩したいがために、子どもの保育より保育士の都合が優先される。
 ある園では、子どもが離乳食を飲み込むペースを無視して次々に口に運び、戻しそうになっていると「食べなさい!」と声を張り上げていた。お昼寝をしない子どもを押さえつけて寝かそうとし、抵抗する子どもを大きな声で罵倒するのも日常。どの園も上下関係が厳しく、ベテランがそうしていると、従うしかなかった。
 耐えられなくなり、2年半前に辞めて、今はベビーシッターをしている。多いときで週6回、1日に3軒の家をはしごすることもあるが、疲れはあまり感じない。無意味な工作や書類の持ち帰り残業もない。何より自分にゆとりが生まれ、1対1で子どものいろんな発達を余裕をもってみることができる。
 今も保育士派遣会社からメールで次々と「急募」の求人が送られてくる。でも、戻る気持ちにはならない。
■最低基準並みの人数、保育でなく流れ作業に
 私立の認可保育園で1歳児クラスを担任する茨城県内の50代の女性保育士は20年以上のベテラン。公立認可保育園の臨時職員だったときは、月給が10万円を割っても、子どもたちの成長ぶりを同僚と喜び合えることにやりがいを感じ、持ちこたえていた。しかし、私立認可保育園に移った5年ほど前から環境が一変した。
 認可保育園には、保育士1人が担当する子どもの数に国の最低基準がある。例えば、0歳児クラスなら子ども3人、1~2歳児は6人。だが、これは老朽した家屋やバラックが当たり前だった戦後まもない1948年につくられた基準で、実際には多くの自治体や園が独自に手厚く配置している。一方、国は待機児童対策として、保育士1人が受け持つ子どもの数を減らす規制緩和を促す。
 女性の勤める園でも、以前は保育士1人で1歳児クラス4人の子どもを見ていたが、今は最低基準並みの6人になった。
 まだハイハイの子どもが活発に走る子どもにぶつかりそうになる。散歩の前に1人がゆっくり靴を履いていると、もう1人が目を離したすきに外に出ようとし、かみつきの多い時期の2人がけんかを始める……。
ベテランぞろいでも危ない場面は減らない。
 食事は終わる時間がばらばら。食後に歯を磨き、着替え、トイレとタイミングの違う6人を見つつ、布団を敷いて寝かしつける。子どもたちの発達に合わる保育にはほど遠い、流れ作業になってしまう。
 昼寝中は本来、約20分おきに体に触れ、鼻に手をあてて呼吸に異常がないか確かめる必要がある。でも、親への連絡ノートや日誌を書いたり行事の準備をしたりして手が回らず、寝ている姿を目で追い、せき込んでいないか耳で確認するのが精いっぱいだ。 「見学に来た保護者には行事が充実しているとアピールしているが、見えないところで命に直結する一番大切にすべきことがおろそかにされている。このままでいいはずがない」
 園長にたびたび保育士の増員を求めても「国の基準がそうなんだから」と押し戻された。仕事があふれているため、休日は無給で出勤する。毎年5人ほどが離職し、求人をかけても応募はない。「この現場の悪循環に目を向けて欲しい」。そう訴える。
 「待機児童が増え、対策としてハコだけは次々とできても、保育士1人あたりの負担は増し、後回しになるのは物言えぬ子どもたち。毎日心苦しい。質を落として量を増やす方法で本当にいいのか、よく考えてもらいたい」  ≫(朝日新聞デジタル)


≪ 保育園落ちた…大阪市で3千人「働かないと破綻します」
 保育園落ちた――。4月からの認可保育園入園をめぐる1次選考の結果が、関西の自治体でも発表されている。落ちた親は「働けない」と怒りの声をあげる。自治体も保育園を増やそうと知恵を絞るが、ニーズになかなか追いつけない。
 大阪市では1万4千人が4月からの認可保育園などへの入所を申し込んだが、約3千人が1次選考から漏れた。今月2日に結果が郵送されると、各区の窓口には親が相談に相次いで訪れた。
 「働きたいのに、働けない」。ある区の窓口で男性(32)と妻(24)が訴えた。2歳と生後7カ月の双子の息子3人全員が落ちた。
 手取りは月20万円ほど。無職の妻はフルタイムで働こうと求職中だが、子どもを預けられる場所が決まらず、内定に至らない。実家も遠くて頼れない。
 市に出した認可保育施設の申込書には「金銭的にも共働きしないと、破綻(はたん)します」と書き、送迎できる距離にある9園を希望先に書いたが「全滅」だった。
 認可外の近くの保育園に預ける手はある。しかし、所得に応じて保育料が決まる認可園と違って高い。3人で月に計約12万円ほどかかる見込みで、男性の手取りの半分以上が消えることになる。
 男性は市に行政不服審査法に基づいた審査請求をすることを考えている。「結果は変わらないかもしれない。でも、市には各家庭の実情をもっと見て欲しい。今後、困る人が出ないようにするために動きたい」と話す。
 中央区の窓口を長男(1)と訪れた会社員女性(29)も、希望した4カ所の保育園が全滅。勤務先の従業員は約30人。「4月以降のシフトも組まれている。従業員も少ないのに、今さら『落ちました』なんて言えない」  大阪のベッドタウンの吹田市。1次選考では約960人が落ちた。市役所に相談しにいった母親(31)は窓口で泣き出した。派遣社員で働き、5歳と3歳の娘を夫と育てる。下の娘が通うのは2歳までの小規模保育園。4月からの園を申し込んだが1次選考で落ちた。「本当は3人目が欲しいけれど、こんな子育て環境では現実的に産めない」
 待機児童は都市部と、手厚い子育て支援で人口が増えた自治体で多い。ただ、園を増やそうにもまず場所の確保が課題になっている。
 「保育園に適した土地が少ない。それなのにタワーマンションなどが建って局地的に就学前人口がどんどん増える」と大阪市の担当者は言う。市が目指す今年4月の「待機児童ゼロ」達成の見通しは不透明だ。
 市は4月から、70戸以上のマンション内に保育園が整備された場合、入居者の子どもの優先入所を認める制度を始める。「マンション販売のアピール材料にもなる。マンション業者に一緒に待機児童対策をしてもらいたい」
 兵庫県西宮市は離れた地域の園に通ってもらう方法を考案。保育園を探す「保活」の「激戦地」は地価が高く、建物が密集して保育園用地が少ない。このため、離れた地域に約60台の駐車場を併設した保育園を来春に開設する。園の近くに駅があるため、親が子どもを送った後、車を置いて電車通勤することを想定する。吹田市は来春に公園内に保育園を開く予定だ。
 一方、保育園を増やせば、保育士も必要だ。待遇を改善して長く勤めてもらうため、1次選考で2千人超が落選した神戸市は、就職からの7年で最大計140万円の一時金を支給する制度を4月に始める。
 手厚い子育て政策で就学前人口が増える明石市は保育士のアフターフォローを強化。今年中に、「保育士総合サポートセンター(仮称)」を設置し、保育の悩みに園長経験者がアドバイスをしたり、雇用関係のトラブルに弁護士資格がある市職員が相談に乗ったりする態勢を作る。
 岡山市では認可保育施設で働く保育士らの賃金を、独自で1カ月あたり平均6千円上乗せする制度を今年度に始めた。ただ、1次選考に申し込んだ4827人のうち1767人が「落選」。市は「働く女性の増加に対応しきれていない」と話す。
 こうした状況について、横浜市副市長在任中に保育所整備に関わった前田正子・甲南大教授(社会保障論)は「待機児童解消に夢のような解決策はなく、どの自治体も土地や保育士の確保に悩んでいる。幼児教育・保育の無償化をすれば、待機児童がさらに増える恐れがある。国は、保育園の量と質の確保を最優先にすべきだ」と話す。
 ≫(朝日新聞デジタル)

議院内閣制―変貌する英国モデル (中公新書)
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新装版アメリカ未完のプロジェクト―20世紀アメリカにおける左翼思想
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アースダイバー 東京の聖地
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●あいば達也レポート―安倍自民政権は、税金使って棄民に励む(1)

2018年02月27日 | 日記

 

歴史修正主義とサブカルチャー (青弓社ライブラリー)
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偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性
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不平等を考える: 政治理論入門 (ちくま新書1241)
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●あいば達也レポート―安倍自民政権は、税金使って棄民に励む(1)

最近は、投稿サイトなどにも再び顔を出すようになったが、残念なことに、出展元が表示されず、誰の書いたものかわからない不備があるようだ。投稿に引用して貰えるだけ有りがたいと思えという姿勢なのかどうか判らないが、必ず、出展元は表示願いたいものだ。

さてさて、今さら呆れる必要もないのだが、安倍内閣の酷さは、もう頂点に達し、間違いだらけで、根拠薄弱になった法案も、いいんだよ、国会審議の予定が狂っちゃうから、間違ったままでオッケーだし、根拠なんて目茶苦茶でも良いんだよ。安倍さまが決めたんだから。安倍さん、あんたは、自分が何の法案を審議しているか分っているの?多分、半分も理解していないだろうね。竹中平蔵の加わっている、或いは息のかかった学者が紛れ込んだ新自由主義で市場原理主義な連中のパペットなんだから、口パク舌足らずな山口のオッサンだよ。

なぜか、このオッサンの内閣支持率が、どこだったかの新聞によると56%だって!!!???嘘――だろう?月額4900円もする経済新聞の世論調査なんだから、鉛筆ナメナメってことはないだろうが、山口県だけ抽出したんじゃないのかな。こんな新聞の経済記事など当たったためしがない。原発は再稼働するし、新設も狙っているし、輸出は、政府丸抱えで日立にプラントさせるようだが、この日立のオッサンが、次期経団連の会長になるんだそうだ。おいおい、出来レースじゃねえかよ、大相撲の八百長がケシカラントは言えまいに!

あの竹中平蔵ってチビだけど、あれ、どうにかならんのかな?大杉漣のような良い人は早く亡くなるのに、あいつは長生きだよね(笑)まことにしぶとい。我田引水の限りを尽くしていても逮捕されることもない、世界の七不思議だと思うのだが、そうは思わないのだろうか?小泉が植草一秀を切り、竹中を選んだわけだが、小泉は、今でも竹中平蔵が正しいと思っているのだろうか。一度聞いてみたいものである。小泉にしては、新自由主義と相性が良かったのだろうが、アイツを選んだのは間違いだよ。日本が日ごと夜ごと壊されてゆく。

それにしても、頭がパッパラパーな右翼が、戦後の日本に、こんなにも永らえていたことに筆者は驚がくしている。皇国史観で日本民族は人類学とは別個の進化において天皇と云う家父長制度の国であり、世界に類を見ない特殊な民族によって形成されている国である。ナンチャッテおじさん達が、驚くほど多いのが現実のようだ。最近は、若い連中にも、戦争はカッコイイ的ノリで、百田尚樹的劇画世界のフィクションに傾倒しているようだ。

前川前事務次官によると、最近採用されている小学校の道徳の教科書は、相当ヤバイものになっているらしい。詳細は後日話すが、要するに、個人の権利よりも国家が大切であり、家父長制度復活に限りなく近づいているようだ。方向性は、あきらかに、冗談のように思うが、教育勅語の再登板を目指している。この事実は、思った以上に「日本会議」と云うカルト集団のようなイデオロギー集団が、日本国民を支配しようと試みている、と判断するに充分な証拠である。

本日はこの辺にしておくが、復刻明治憲法を目指す「日本会議」の深慮遠謀は並大抵な決意ではないことを、国民は本気で考えておく必要がある。まさか、そのような冗談な世界が生まれるわけはないと思っているのは、あきらかに間違いで、彼らのカルト性は、安倍政権の中で、充分な栄養を得て、すくすくと育っている。このカルト政権が、今後5年も続けば、日本国民が、「日本会議」と云う、カルト教信者たちに支配される可能性はかなりある。このカルトに、新自由主義経済論は相性が良く、相乗的に、国民の主権を奪っていくのは確実だ。つまり、棄民政治なのである。

*以下の記事のような僥倖が発生すれば、日本国民は難を逃れるかもしれないが、その可能性は数%しかないと読んでいる。


≪ 大「経世会」復活の狼煙! 「安倍1強」風前の灯火
  これが安倍3選揺るがす青木幹雄シナリオだ!
 やはり、されど派閥か。「安倍3選」が揺らぎ始めている。「新竹下派」の結成で“安倍1強”が風前の灯火になりかねない。一体、どういうことか。永田町の水面下では、かつての“参院のドン”である元官房長官、青木幹雄氏の「シナリオ」が動き始めているのだ。 「まだ半年以上ある。何が起きるか分からない」  ごく近い周辺にこう呟(つぶや)いたのは、かつて“参議院のドン”と呼ばれた青木幹雄元自民党参院議員会長(83)だ。「半年」というのは、9月の自民党総裁選までのカウントダウン。何かが起きるのではなく、何かを起こすと読み解くべきだろう。
 年が明けて、自民党内の派閥・額賀派(平成研究会)の額賀福志郎会長の交代を、同派内の参院議員らが離党をちらつかせながら迫った。一見、総裁選とは関係のない、跡目を巡るお家騒動に見えるが、実は違う。
 同派は、竹下登元首相が率いた経世会の流れをくむ。1993年の細川連立政権樹立の際にはここから小沢一郎氏らが飛び出していったが、その後も自民党の政権復帰とともに党内では主流派を形成し、橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら首相を輩出した。ところが、最近では麻生派の拡大によって数では第3派閥に転落。発言力にも指導力にも欠ける額賀会長に対して批判が強まっていたというわけだ。
 結局、額賀氏は退陣を決断し名誉会長へ。後任会長には竹下登元首相の弟・竹下亘党総務会長が就任。「新竹下派」へと変貌した。3月の派閥パーティーで正式に新体制発足となる運びだ。
 この交代劇を主導したのは同派内の参院議員たちだ。もともと同派は小沢氏らが離脱した際、参院議員の多くが残ったことから伝統的に参院議員の力が強いという構図になっている。
 今回、その参院議員らを裏で操ったのが何を隠そう、青木氏と見られている。議員を退いた後も、同派の参院議員らはもちろん、他の自民党OBらと連携し、影響力を持ち続けてきた。
 ここで積極的な動きに出た青木氏の狙いについて、同派の衆院議員が言う。
「安倍1強に牛耳られ、派閥の力が弱くなっていることに黙っていられなくなったのでしょう。強引に会長を交代させたのは総裁選を見据えてのこと。総裁選を機にかつての栄光を取り戻し、派閥の存在感を示すために、根回しや剛腕な手法に長(た)けた竹下さんを会長にした。新竹下派が誰を推し、どう動くかで総裁選が決まるというキャスチングボートを握り、派閥の力を復活させるとの狙いです」
「野田首相、小渕官房長官」説も
 現に、新体制への移行が決まって以後、総裁選に関する以下のような情報が、青木氏の意向をくむ同派議員らから他派閥議員や記者たちにリークされている。 〈石破(茂・元幹事長)さんは出るだろう。元々は同じ経世会。地方創生という政策も共感できる。自民党を一度飛び出したという問題点はあるが、推薦人が足りなければウチの参院議員から出してやってもいいと青木さんは言っている〉(新竹下派参院議員) 〈岸田(文雄・党政調会長)さんは出るべきだ。安倍首相に禅譲してもらうなどという姿勢では天下は取れない。もし出るならウチの派閥は応援してもいい。岸田さんの覚悟次第だ〉(青木氏周辺)
 こんなリーク情報が永田町で広がり、安倍首相の出身派閥の細田派(清和会)幹部は、「新竹下派の動きは要警戒だ。岸田派が組むようなことになれば(安倍3選に)黄信号」と話す。新竹下派の存在感が徐々に増している証拠だ。
 ただ、青木氏の総裁選シナリオは第1幕にすぎない。 「青木さんが最終的に派閥の顔として前面に出すのは、小渕優子元経産相です」(同派中堅議員)
 小渕元首相を父に持つ優子氏。2014年の政治資金規正法違反事件などをきっかけに経産相を辞して以降、表舞台からは姿を消したが、17年8月、党組織運動本部長代理に就任、再始動している。 「新会長になる竹下亘氏は派閥の創設者である竹下元首相の弟。優子氏も元首相の娘。竹下、小渕の名前はこの派閥の栄光の象徴です。その亘氏が会長に就いて手腕を発揮し、優子氏が総裁候補として初の女性首相を狙う、というのが青木さんの考えだというのです」(同)
 ただ、優子氏については、同派内に「事件の印象が完全には消えていない。総裁候補にはまだ早い」(同派若手衆院議員)との声もある。
 同派参院議員が言う。
「青木さんは最近、同じくOBの古賀誠元幹事長と頻繁に連絡を取り合っている。ともに事務所は永田町の砂防別館にあって、青木さんは週に1度はそこへ通い、2人で総裁選へ向けて接触しているようです」  古賀氏は、引退後も自らが率いた宏池会(岸田派)に影響力を持っている。前回の総裁選では現会長の岸田氏との路線の違いから、若手議員などを引き込んで、なんと野田聖子氏を担ぎ出そうとした。古賀氏もまた、安倍1強が許せない。青木氏と気持ちは同じだ。
 青木氏はこんなウルトラCも考えているという。
「2人は、総裁選で安倍1強体制に一矢報いたい。そこで青木さんは、本命の優子氏がまだ早いというのなら、古賀さんとタッグを組んで再び野田氏を総裁候補にし、優子氏を官房長官候補にしたい。野田首相・小渕官房長官という女性カードを考えているようです。これは相当インパクトがある」(前出・参院議員)  新竹下派に移行させ、「石破氏を支持」「岸田氏を担ぐ」「野田・小渕の女性コンビ擁立」など、早くもかつてのドンらしく、変幻自在に総裁選をかく乱する青木氏。自民党幹部は、「野中広務さんが1月に亡くなりましたが、寝業師の青木さん、古賀さんにも最後の意地がある」と話す。
 青木氏は周辺に「7月ごろまでは静かにしておく」と語ったというが、言い換えれば通常国会閉会後に総裁選へ本格的に仕掛けることを意味する。3選を狙う安倍首相だが、青木氏の動き次第では「楽々と3選」とはいきそうにない。 (ジャーナリスト・鈴木哲夫) ________________________________________
すずき・てつお  1958年生まれ。ジャーナリスト。テレビ西日本、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経てフリー。豊富な政治家人脈で永田町の舞台裏を描く。テレビ・ラジオのコメンテーターとしても活躍。近著『誰も書けなかった東京都政の真実』『戦争を知っている最後の政治家 中曽根康弘の言葉』
 ≫ (毎日新聞・サンデー毎日3月11日号から)




憎悪と愛の哲学
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マルクス 資本論の哲学 (岩波新書)
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私物化される国家 支配と服従の日本政治 (角川新書)
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●国家主義が選択を奪う 概念『ロンリネス』と『ソリチュード』

2018年02月26日 | 日記

 

畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史: 因果応報と悪道 (歴史文化ライブラリー)
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不平等――誰もが知っておくべきこと
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異次元緩和の真実
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●国家主義が選択を奪う 概念『ロンリネス』と『ソリチュード』

以下は、老人の孤独と若者の孤独を一緒くたにした残念な毎日新聞の特集記事だ。老人の孤独には、望まずになった孤独『ロンリネス』と望んで孤独『ソリチュード』と云う英語がある。非常に宗教的であるし、哲学的でもある。この二つの孤独の概念は、人生経験が豊かで、それまでに培った人生哲学で選択した『ソリチュード』であり、正直、社会風潮など関係のない「孤高」という選択だ。孤高を選んだ人々は、生きている限り、恥を晒しても生きるが、鬱陶しい他人との関係を極力減らして人生をまっとうしようと云う覚悟があるのだろう。

残念ながら、夫婦で生活を営んでいたが、妻に先立たれた男の老人に関しては、多々問題を含んでいるだろう。日本の男社会では、ポジショントークは当然であり、佐川元理財局長のような答弁も、その地位にける範囲の答弁であり、佐川宜久(本名は宜寿、なぜ漢字を変えている?…安倍人脈のニオイ?)個人の答弁ではないと云うのが安倍や麻生の言い分だ。当時の理財局長は、真実がばれていなかったのだから、そのばれていない範囲で理財局長として答弁したのだから、官僚の鏡である。

あくまで元理財局長のポジショントークを適切にこなしたのだから、国税庁長官への転出は適材適所だと云う言い分になる。まぁ幾分大袈裟な話になったが、リストラ担当役員が、社員の首を切る時も、似たような心境で行動している。それでなければ、やりきれなくて、みずから命を絶つことも大いにある。銀行の貸しはがしを行った連中も、ポジションにおける行為であり、犯罪ではないと云うのが彼らの立場だろう。ただ、ポジションを失った時、その喪失感は大きい。

このように、日本の男社会の企業や役所では日常茶飯事な出来事で、それを乗り切った男達が、男社会の企業や役所と云う共同体からドロップアウトした時、その連れ合いが亡くなり、“男やもめ”で生きなければならなくなった場合、彼らが『ソリチュード』な選択が出来ず、『ロンリネス』になった場合は、社会の救済は欠かせないだろう。しかし、国民的な宗教的背景のない日本では、やはり、国家が責任を持つべきである。無論、その精神的支えまでを要求するのは民主主義や自由主義に反するので、最低限の文化的生活扶助に留めるべきだ。今の安倍政権のように国家主義的色彩の強い政権には、『ロンリネス』と『ソリチュード』の区別も判らないだろうから、老後の選択の自由さえ奪われかねない点は大きな問題だ。

個人的に思うことは、筆者は現在女房と暮らしているので、なんらの生活上の支障はない。子供も独立したので、互いの財布や手伝いを求めないように努めている。平穏無事に生きているわけだが、心がけておくことがある。我が家では、二年に一回のペースで、女房に2週間くらいの旅に出て貰うことにしている。つまり、この2週間は、孤独と闘う為のシミュレーション期間なのだ。この間に、家のどこに何があり、灯油はどこで買い、近所となりとの関係も最低限こなしておく。急に発熱などで動けない場合はどうするか、やはりシミュレーションは「孤高」を望む場合でも重要な前哨戦だ。

若者に関しては、老人の孤独と本質的面で、あまりの質の違いがあるので、並列的語る気にはなれない。ネットカフェ難民問題も含め、若者の孤独と云う問題は、別途考えてみたいと思う。ただ、若者の場合、世代によって、家庭によって、或いは経済力によって、その対応は大きく異なるので、老人のように『ロンリネス』と『ソリチュード』と云う大別よりも複雑であり、知識が不十分なことも含まれるので、コラムにするのは厄介だろう。


 ≪ 社会風潮:大丈夫か孤独大国・日本 「孤高」美化の風潮も  
【 孤独が健康などに悪影響を及ぼすとして、メイ英首相は1月、「孤独担当相」を新たに設けると発表した。人口約6500万人の英国では、900万人以上が「常に」あるいは「頻繁に」孤独を感じ、1カ月以上も友人や家族と会話しない高齢者は20万人に上るという。ならば、孤独死が社会問題化している日本に「担当相」は必要ないのか。】(庄司哲也)
 「日本には『孤独』に関する統計は、ほとんどありませんが、欧米以上に『孤独大国』と思われます。少子高齢化が進む中、早急な対策が必要ではないでしょうか」。そう話すのは、「世界一孤独な日本のオジサン」(角川新書)の著者で、コミュニケーション戦略の専門家、岡本純子さんだ。なぜ、「孤独大国」なのだろうか。 若者が無料通信アプリ「LINE」(ライン)」で、リストカットしたことを打ち明けている画面。メッセージを受け取ったのは、若者メンタルサポート協会理事長の岡田沙織さん=岡田さん提供(画像の一部を加工しています)
*画像省略
 岡本さんが示したのは、英シンクタンク「レガタム研究所」が発表した2017年版の「繁栄指数」だ。九つの指標のうち、日本は「ソーシャル・キャピタル(社会や地域での人の信頼関係や結びつき)」で149カ国・地域のうち101位。14年に内戦が起きたリビア(53位)や90年代に内戦が勃発したルワンダ(84位)より低い順位だ。
 「日本では『おひとりさま』や『孤独のグルメ』といった言葉がメディアで取り上げられるように、『孤独』が決して消極的な意味ではとらえられません。特に男性は『群れない男がカッコいい』といった男性像を押し付けられている」。そうした日本社会の風潮が、孤独を後押しするというのだ。
 岡本さんによると、英国で孤独対策の本格的な取り組みが始まったのは5~6年前から。孤独は認知症や高血圧に結びつくなど健康を損なうという認識が広まり、五つの慈善団体などを中心に「孤独を終わらせるキャンペーン」が11年に始まった。調査や研究、啓発活動が行われ、メディアも頻繁に取り上げた。孤独なお年寄りが集える場や、相談のホットラインなどが、民間が主体となって設けられたという。  日英を比較できるデータがある。日本の研究者のプロジェクト「JAGES」(日本老年学的評価研究)によると、65歳以上の日本人1万3176人と英国人5551人を約10年間追跡し、友人とのつながり、婚姻状態などの項目別に生存期間を比較した。「友人とのつながりが相対的に多い英国人男性では、日本人男性と比べて45日間の長寿につながった」という。孤独が寿命に影響を与える因子になり得ることが示された。
 研究の中心となった東北大大学院歯学研究科准教授の相田潤さん(公衆衛生)は「日本では関心があまり払われていませんが、米国の研究チームによる『孤独であることは酒の飲みすぎやたばこを1日15本吸うのと同じぐらい健康に悪い』という調査結果は欧米に広く浸透しています」。
 孤独を抱えるのは中高年だけではない。「リストカットした」「今からこれ(大量の薬)飲みます」。NPO法人「若者メンタルサポート協会」理事長の岡田沙織さんのスマートフォンには無料通信アプリ「LINE(ライン)」を通じて1日に100~200件の相談が届く。
 自身もリストカットなどの経験がある岡田さんが「子供たちの孤独感を受け止める場を作ろう」と、相談の受け付けを始めたのは12年からだ。岡田さんが相談を寄せた子に実際に会ってみると、親が不在がち、家庭内暴力がひどいといった例よりも、一見するとありふれた家庭環境の子が多いという。母親が兄弟ばかりをかわいがる▽両親が不仲▽学歴にこだわり成績のことばかり言われる--。そんな子たちだ。「『うちは普通の家庭だし、学校もちゃんと行っているから大丈夫』。でも、そう言うあなたの子供の体には、自傷行為の痕があるかもしれないのです」
 岡田さんは最近、こんなことを考え始めている。「『死にたい』『消えてしまいたい』と、子供が希望を持てないのは、こうあるべきだと縛られて毎日が満たされない親や大人を見ているからでは。相談を寄せる子の周りの大人もまた孤独なのかもしれません」  
「英語には『孤独』を意味する言葉に『ロンリネス』と、『ソリチュード』の二つがあります。英国の担当相は『ロンリネス』の対策にあたります。一方、『ソリチュード』は、自ら選択して独りを楽しむというポジティブな意味を含みます。日本ではこの二つが混同されがちです」と話すのは、大手広告代理店「博報堂」の荒川和久さんだ。「ソロ」(一人)でのライフスタイルを研究してマーケティングにつなげる、同社のプロジェクト「ソロもんLABO」のリーダーを務める。
 「『ソロで生きる力』とは、決して一人きりで、誰の力も借りないということではありません。むしろ、誰かとつながる力を持つこと。社会から孤立せず、個人が個人と結ばれるネットワークの構築が大切です」
 国立社会保障・人口問題研究所の最新の推計によると、00年に27.6%だった1人暮らし世帯は、40年には39.3%になる。4割が1人暮らしだ。荒川さんは、「孤独」への危機感が特に希薄なのは、配偶者への依存度が高い既婚男性で、他人と関係が築きにくい人だと指摘する。
 「会社に所属する自分しかない人です。肩書に依存し、名刺交換をしないと会話を始められない。定年後に肩書がなくなったらどうするのでしょうか。今のうちに、社名や肩書を名乗らず知らない人と会話できるようにトレーニングを積んだ方がいいと思います」
 前出の岡本さんもこの意見に同意する。「会社という場所に存在意義を求める。『個』より『場』に重きを置く。定年退職でその場を失うと途端に元気を失うのです。『部長』など肩書で膨張したプライドは、人とつながることの障害となりやすい」
 岡本さんは以前、会社勤めをしていた頃を思い出した。「当時、私の周囲にも定年後に孤独に陥りそうな予備軍の人たちがたくさんいました。やたらと人事や肩書にこだわったり。大切なのは個人のはず。10年間、新聞記者をしていたのですが」
 岡本さんのその言葉に一瞬、凍りつきそうになった。当事者の私たちが自覚しないまま、孤独が社会にまん延しているのかもしれない。  ≫(毎日新聞)

さまよう民主主義 アウトサイダーの台頭は政党政治の終焉なのか (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)
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ハーパーコリンズ・ジャパン

 

欲望の民主主義 分断を越える哲学 (幻冬舎新書)
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幻冬舎

 

問題は右でも左でもなく下である (時代への警告)
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ベストセラーズ

●佐川、辞めろ! 国家主義と新自由主義と私物主義の融合

2018年02月25日 | 日記

 

男性という孤独な存在 なぜ独身が増加し、父親は無力化したのか (PHP新書)
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PHP研究所

 

経済成長という呪い
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東洋経済新報社

 

底辺への競争 格差放置社会ニッポンの末路 (朝日新書)
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朝日新聞出版


●佐川、辞めろ! 国家主義と新自由主義と私物主義の融合

以下の佐川国税長官の「逃亡劇」は我が国の史上初めての笑い話人事と歴史に名を残すのは確実なのだろう。確定申告の時期云々などは関係ない。国税なのだから、何時いかなる時も、個人や企業に査察に入り、納税の成否を判断する業務に携わっているのだから、逃亡生活を続けている国税庁長官など、さっさと辞めて貰いたいわけで、国税職員は時限ストでも決行すべきだ。

この人事が「適材適所」などと、舌足らずに澱みながら答える首相、口をひん曲げ、薄ら笑いで答える財務相、この人たちの心は、どこまで腐っているのか、想像を絶する。このような人々に、倫理や道徳など説教しても意味はないが、悪口くらいは言わずにはいられない。この政権の特徴は、おそらく、自分達の権力強化のためなら、何でもしてしまおう、と云う固い決意が見受けられる。人事局の創設が象徴的だが、それ以外にも多くのことが人事を通じて見えてくる。

最高裁判事、日銀総裁、各行政官庁幹部などの人事を一手に握ったのだから、それは鬼に金棒を持たせたようなものだろう。この金棒を持った鬼が、知的で、節操を持ち、権力者の矜持の精神を持つ人間であれば、独裁国家にも、一定のメリットがあるわけだが、いま現在は、真逆の人格者が鬼になっているのだから、空恐ろしい話である。

おそらく、安倍官邸に集う人々は、それぞれの思惑で、安倍官邸に協力し、自己実現に精を出しているのだろう。此処の政策をみていると、安倍政権に、確固たるグランドデザインがあったとは思えないが、国家主義者と新自由主義者と権力私物主義者、そして忖度主義者が偶然集合することで、トンデモナイ政権が出来がったと言えるのだろう。

いや、逆に考えてみると、安倍友のような連中の核に、思惑絡みの新自由主義者が蛆虫のように湧いてきて、自分の権力がことのほか以上に機能し始めたことに気を良くして、女房共々私物化意識が強かった安倍夫婦が、調子に乗ってお友達のおねだりに興じた結果が、いまの森友加計問題なのだろう。これに山口強姦魔問題やスパやリニアの問題も含まれるのだが、グチャグチャと問題が噴出している。これらの問題は、多くのメディアやSNSで充分追求されているが、根気強い追求の精神を応援支持する。

個人的に筆者が最も危惧することは、偶然の産物と思えるが、国家主義と新自由主義が融合するかたちで国家をデザインされてしまうと、ファシズムの方向性が明確に見えてくることだ。現時点でも、マスメディアの報道姿勢、特にNHK始めとするテレビのニュースバライティー番組の報道は、あきらかにファシズムを助長してており、茶の間にまで押しよせてる勢いになりつつあるようだ。「働き方改革」で国民を働く家畜にするなど、目的を“綺麗ごと化”して、細則や各省命令で“汚いことの隠す化”が実行され、国民はのっぴきならない状況に追い込まれかねない。

このような国家体制を構築されてしまうと、仮に、国民が寝ぼけ眼をこするながら投票所に向かい、政権交代を実現したとしても、警察や検察権力が、前政権の勢力内に居るため、田中角栄や、鳩山・小沢一郎のような形で権力の形骸化を画され、再び下野する政治体制になってしまうことも予想される。つまり、最終的に国家主義は、国民が主権者と云う建前が完全に崩壊して、官僚、警察、検察、裁判所が権力を握る国家に変貌する。無論、国民に選ばれた政治家に権力は存在しなくなる。

そのような国家主義的国家であるにも関わらず、国民各人には新自由主義を適用し、自助と共助を強く求め、公助の範囲を徹底的にせばめる政策を取るのは目に見えている。そのような国家では、田沼意次的世相が蔓延し、腐敗だらけになる。政治が腐敗し、国民生活も腐敗する。本来であれば、事ここに至っては「革命蜂起」といきたいところだが、その頃には、“反対”のハの字も言う元気は国民から消えているのではないだろうか。そうならない為に、国民はできるだけ早く安倍という首相を官邸から追い出すしかなさそうだ。


≪ ついに国会でも問題に 佐川国税庁長官の怪しい“逃亡生活”
 ついに国会でも取り上げられた。国税庁の佐川宣寿長官が昨年7月の就任以来、メディアの前に姿を現さず“逃亡生活”を送っている件だ。 「週刊ポスト」(3月2日号)によると、1週間毎朝、佐川氏の自宅近くで待ち受けたが、ついに本人も公用車も姿を見せなかったという。確定申告が始まる直前の2月14日には、国税庁を退庁した佐川氏が都内のホテルに宿泊するのを確認。翌朝の出勤時にはダミーの公用車まで用意し、わざわざ遠回りして国税庁に向かう警戒ぶりだったという。
 また、発売中の「週刊文春」は、国税庁担当記者のこんなコメントを紹介している。 「佐川氏が乗っていたと見られる車は、シルバーのプリウス、黒のプリウス、黒の高級クラウンなど十台前後にのぼります。公用車だけでなく、ダミーの車を出し、メディアの尾行をかわすこともありました」
 希望の党の柚木道義衆院議員が22日の衆院予算委員会で、佐川長官がホテルから公用車で出勤していた件を取り上げ、宿泊代を公費で負担しているかどうかをただした。これに対し、麻生財務相は「あらかじめ質問通告をいただいていないので答弁いたしかねる」と突っぱねた。
 23日の衆院予算委分科会では、国税庁の審議官が「都内のホテルの宿泊料について公費で支出していることはない」と答えたが、本当なのか。だとしたら、高い宿泊費を毎回、ポケットマネーで払っているのか。数台の車を使っている件は、ひとりで国税庁の公用車を何台も独占しているのか、それとも公用車以外の車をダミー用に借りているのか。
 日刊ゲンダイを含め、メディア各社が公用車の「運行記録」を情報公開請求しているが、まだ開示されていない。
「公用車の使用自体が公費ですから、わざわざ遠回りしたり、何台も無駄に走らせることには疑問を感じます。何の問題もないというのなら国会の場で運行記録を開示して説明すべきでしょう。安倍首相や麻生財務相も、感情論や意固地で『適材適所』などと言ってかばっていても説得力がないし、本人が犯罪者のように逃げ隠れしていたら、かえって疑惑を深めるだけです」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
■逃げれば逃げるほど…
 文春の報道によれば、佐川長官の自宅は世田谷区の閑静な住宅街にある。もともとは競売物件だった約180平方メートルの土地を2003年に相場の半額程度で購入し、マイホームを新築。<土地と建物を合わせて、相場通りなら資産価値は1億円に迫る>という。
 豪邸に帰れず、恒例の就任会見も開けない佐川長官。罷免を求める署名は2万筆に達し、異例の“納税者一揆”デモまで起きた。確定申告のこの時期、徴税事務への悪影響は避けられない。こういう国税庁長官のどこが“適材適所”なのか。
 国税庁に「佐川長官はいつまでホテルからの通勤を続けるのか」「一般的に職員がホテルに宿泊する場合、経費が支払われるのか」「公用車を2台使用しているのは事実か」など質問状を送ったが、締め切りまでに回答はなかった。
 野党は来週も、佐川長官の逃亡生活について追及する方針だ。逃げれば逃げるほど、国民の怒りの火に油が注がれることになる。
 ≫(日刊ゲンダイ)

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)
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筑摩書房

 

日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか
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集英社

 

問題は右でも左でもなく下である (時代への警告)
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ベストセラーズ

●まっとうな人々が怒らない国 “退屈な国”にみえるのは当然だ!

2018年02月24日 | 日記



畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史: 因果応報と悪道 (歴史文化ライブラリー)
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吉川弘文館

 

観光立国の正体 (新潮新書)
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新潮社

 

世界まちかど地政学 90カ国弾丸旅行記
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毎日新聞出版


●まっとうな人々が怒らない国 “退屈な国”にみえるのは当然だ!

今日のコラムは、以下引用のコラムとは関係のないことを書く。ただ、当該引用コラムに触発されて書きだしたわけなので、敬意をはらう意味で、ここに引用しておく。

さて、自分の住んでいる国が、退屈な国か、エキサイティングな国か、危険な国か、目を覆いたくなる国か、豊かで温かい国か、平和な国か、民主的国か、感情的な国か、卑屈な国か、理知的な国か、金持ちな国か、卑怯な国か、大人な国か、子供な国か……その評価は、人夫々だろう。時には、海外から、自国がどのように思われているかにも興味があるだろう。

日本が「退屈な国」に見えるのは、デンジャラスが極めて少ないことなのだろうが、この点は、良いことのようだが、ツマラナイ点でもある。まっとうに生きている人々が、トンデモナイことが起きていても、まっとうに怒らない国なのだから、退屈なのは当然だろう。

国民規模のデモもなく、賃金が下がっても職があればめっけもの国民なのだから、欲望、熱気を感じない。過去の高度成長期やバブル期の資産が積み上がった国民の生活は、そこそこに豊かである。無論、蓄積を日々つまみ食いしているのだから、いずれの日にはなくなるが、なくなる日が自分の代でなければ、そういう生き方をしている国なのだ。そう、国民総茹で蛙化しているのだから、退屈な国は、真の姿で、反論する余地はない。

我が国ジャパンには、欧米人が感動するような国として、何が自慢できるのか、或いは旅行者に何を提供出来るのだろう。自画自賛の祖国愛にはウンザリだが、ジャパニーズは、それが好きなようである(笑)。日本礼賛本が書店に平積みなのだから。根本的な話だが、脱亜入欧した国だから、何ごとも中途半端な状態で推移している国がジャパンだ。欧米人を歓ばせるにはあまりにも欧米的で、異国情緒とはほど遠い。

良いように解釈すれば、明治維新の欧米猿まね文化のお蔭で、和洋折衷がほぼ完成形に至った日本ということが出来るが、折衷はしたが、融合していない。つまり、取って着けたような様相なので、異国情緒よりも違和感の方が際立つ。超高層ビルが林立する大都会TOKYOのビルには、満員痴漢電車で郊外から労働者が運び込まれているのだから、発展途上国と先進国の混合物に見えてくる。

地方色が豊かかと思うと、便利ではあるが、無機質な新幹線の駅舎は、金太郎アメ状況を呈す。幹線道路沿いには、大型ショッピングセンターが必ず常設されており、便利であるが、異国情緒を台無しにしている。無論、由緒ある名所旧跡は、日本人らしい律義さで、充分に保全されているので、それなりの佇まいは保持されている。つまりは、日本の様相は、便利に観光が可能な状況にあるが、そのことが異国性を生みだすかと言えば、まったく逆の効果をもたらしている。

日本が観光立国をめざすのであれば、都会は欧米に勝るとも劣らぬ準備をし、田舎は、その地の個性を十二分に打ち出すような仕組みがないと、異国情緒を生むことは困難だ。しかし、現実にそのような野望は成功しないだろう。中央集権国家の難点は、概ねすべての地方に平等を提供しようとする為、一律な文化をも、資金に添付して提供するからだ。つまり、欧米人にとって、本来的に、日本は異国ではないことになる。

まぁ、欧米人への観光という魅力を訴求することは、今日的に考えると、どのような手立てを駆使しようと、もう手遅れだ。しかし、焦る必要はない。日本はアジアの重要な一員であることを忘れず、アジア人にとって魅力的な国であることを目指すだけで、充分観光立国になる。欧米に目を向けるから、アジアの孤児になるだけで、アジアを見つめ直すことで、おのれを知ることが出来るに違いない。ターゲットを絞れ!マーケッティングの基礎中の基礎だ。日本人は、アジア人であることを、この際肝に銘ずるべきだ。少々強引なまとめだが、トランプの尻についていては、早晩碌な目に遭わないだろう。トランプはやる気だ、第二次朝鮮戦争に加担するな!



≪「日本は退屈な国」欧米人アンケートの衝撃結果に挑む観光庁の勝算
「日本は退屈」――欧米人アンケートの衝撃結果に、観光庁が動き出した。特設サイトをつくり、PR動画を用意したのだが、これで本当に「日本は面白い」と思ってもらえるだろうか?(ノンフィクションライター 窪田順生)
■欧米人には日本は退屈!? 
 観光庁アンケート結果の衝撃  2月6日、観光庁と日本政府観光局(JNTO)がインバウンド促進キャンペーンとして、日本の観光資源を世界にアピールするプロモーション動画を公開した。
 というニュースを耳にすると、「最近じゃ、どこへ行っても外国人観光客だらけなんだから、もうそんなに来てもらわなくてもいいよ」なんてことを思う方も少なくないかもしれない。
 たしかに、2017年の訪日外国人観光客は過去最高の2869万人と華々しく報じられているが、実はこの「日本人気」はベトナム、中国、台湾、韓国というアジア限定。欧米などのその他のエリアからの訪日外国人観光客となると300万人程度で、これは「中国やタイにも負けている」(田村明比古・観光庁長官)というのが現実なのだ。 「日本のホニャララを世界が称賛!」「世界で最も愛される日本人!」なんてネタが大好物の方たちからは、「日本に憧れている人が多いけど、物価が高すぎるからだ!」「タイの人気が高いのは夜遊び目的だ!」というような苦しい言い訳がたくさんで出てきそうなので、あらかじめ説明しておくと、日本がタイや中国よりも観光先として選ばれないのは、ごくごくシンプルに「退屈」というイメージが強いことが大きい。
 観光庁が、ドイツ、英国、フランス、米国、カナダ、オーストラリアの6ヵ国を対象に、海外旅行に関するアンケート調査を実施したところ、「日本には『富士山』『桜』『寺』があるくらいで、長期間滞在する旅行先としては退屈だと思われていること」(田村長官)が判明したというのだ。
■欧米人向け特設サイトは 退屈イメージ払拭に役立つか?
 腹の立つ方も多いかもしれないが、世界には日本のテレビに出て「日本にやってくるのが夢でした」「生まれ変わったら日本人になりたい」とかリップサービスをしてくれる外国人ばかりではない。日本がどこにあるのかもちょっと怪しいくらいの人がウジャウジャいるのだ。
 そこで、観光庁はこういう現実を謙虚に受け止め、改めてアジア以外の国をターゲットにして「退屈ではない」と訴求しようとなったわけだ。
 このような試みは大変素晴らしいと思うし、ぜひ成功していただきたいと心から願う。
 アジア圏以外の観光客は長期滞在の傾向があり、より多くのお金を落とすとされる。この層が増えれば、観光収入も増え、観光が「基幹産業」となっていく道筋も見える。労働人口がいくら減ったところで移民を受け入れられぬこの国で、観光産業は、地方が生き残るための重要な切り札でもあるからだ。
 では、どうやって日本の「退屈」イメージを払拭していくのか。 「Enjoy my japan」という特設サイトを訪れると、「どのような伝統体験をしたいですか」なんて感じの質問が3回出てきて、個々の興味関心に合わせて、日本の観光スポットや体験できることを紹介した「パーソナライズムービー」が流れる。また、サイト内にも「伝統文化・歴史」「食」「自然」「エンターテインメント」「アート」という7つのコンセプトにあった動画も用意されている。
 これらはいずれも、日本の美しい風景や観光スポットを欧米人の方たちが旅しているイメージビデオで、たとえば、神社をお参りしたり、お寺でお坊さんの話を聞いたりしているほか、機織り体験や座禅体験、欧米人の家族連れが畑で大根を抜いて調理するなど、「日本の田舎体験」なんかをしている映像もある。
 悪くないじゃないか。そんな反応の方も多いと思うが、一通り映像を見た筆者はぶっちゃけ、かなり不安になった。今回のキャンペーンのキモである「退屈イメージの払拭」という点では不十分に思えたからだ。
■美しさや映像の質は合格でも 
 「面白さ」が伝わってこない  映像制作をした方たちの努力や苦労も知らず、偉そうなことをと怒られるかもしれないが、動画にケチをつけているわけではない。映像のクオリティも素晴らしく、欧米の方たちが見れば間違いなく美しい国だと感じてもらえるだろうし、中には「行ってみようかな」と思う人も出てくるかもしれない。
 ただ、残念ながら「日本ってのは面白い国なんですよ」というアピール面では、やや弱い感は否めない。
 サイトの映像をご覧になっていただけば話が早いが、動画の欧米人旅行者たちは、神社仏閣をめぐって、温泉につかって、雄大な自然をハイキングする。さらに、鉄板焼き料理を楽しんだり、沖縄で三線を奏でたり、座禅に挑戦するなど「体験型観光」も行う。つまり、「Enjoy my japan」の映像は、日本の観光情報サイトが、イチオシとされるスポットや体験ツアーを紹介しているのだ。  面白そうじゃないかと思うかもしれないが、自分が「外国人旅行者」として、文化の異なる国のプロモーション映像を見たと想像してほしい。
 次から次へと流れる美しい風景、見たことのない街並み、見たことのない食べ物が続々と映し出される旅のイメージビデオは見ていて楽しいが、それだけで、大して知らない遠い異国へ旅立ってみようという決断になるだろうか。  難しい、と筆者は考える。
 観光スポットやツアー情報を伝えることもたしかに大事だが、数十万円という航空券を購入して、仕事を休んでわざわざ遠い異国の地を訪れるわけだから、そもそもその国に対して「面白い」と興味をかきたてられなくてはいけない。この国に行けば、お金では買えない経験ができるか、日常とかけ離れたような異文化体験ができるか、というポイントを訴求しないことには、「この国に行ってみたい」という「動機」にならないのではないだろうか。
■タイ観光庁の映像には ストーリーがある
 そのあたりをよく押さえているのが、日本よりも多くの欧米人が訪れているタイのプロモーション映像だ。 「Open to the New Shades」(新しい色合いへのいざない)と銘打たれたタイ国政府観光庁のビデオは、日本の「Enjoy my japan」同様に、幅広い観光客のニーズに応えられるよう、多種多様なスポット、アクティビティをイメージビデオ的に流している。が、それだけではなく、「タイって面白い国なんですよ」というアピールを、ストーリー仕立てでしっかり行っているのだ。
 たとえば、こちらの動画では、若い女性と年配の男性、2人の旅行客のドラマを描いている。バッグパックを背負った若い女性の旅行者の場合、ムエタイの練習場の前を通りかかり、やがて自分も厳しい練習に参加。最終的には試合にまで出場して、母国の家族に「もう少し羽を伸ばすことにするわ」と手紙を書く、というストーリーだ。
 また、年配男性はタイの高級リゾートホテルに宿泊し、運転手付きの高級車で小さな町の横を通りかかる。彼はそこで車を止めて、その小さな町の食堂に入り、手づかみで食事をする。そこで口にした果実に興味を持ち、タイの普通の人たちとも触れ合う。そして、帰国してから会社の同僚と思しき人たちの前で「タイには多様性がある」とスピーチをするという流れだ。
 このように、タイで「長期滞在」する欧米人旅行者のドラマを柱にして、ナレーションで「お金では買えない経験」「素晴らしい異文化体験ができるでしょう」というメッセージを訴求していくという構成なのだ。
 タイも日本も、ほとんど予備知識がないという外国人が、この映像と「enjoy my japan」の映像を見たら、おそらくタイの方に興味を抱くのではないかと思う。
 どのような観光スポットがあって、どういうツアーができるかのかという情報量や、切り取られた映像の美しさでは日本の方に軍配が上がるかもしれないが、タイの方が明らかに「この国へ行ったら何か面白い異文化体験ができるかも」という期待を抱かせるからだ。
■宮城県の壇蜜動画に見る 「面白さ」の重要性
 特に観光プロモーション映像というものは、美しければいいというものではない。  宮城県がタレントの壇蜜さんを起用して、セクシーなPR動画をつくって物議を醸し出した際に、この連載(「壇蜜起用の宮城県動画が炎上!『エロでPR』が絶えない理由」)で述べたが、なぜ宮城県があのような炎上商法に走ったのかというと、これまで多額の税金を投入して、宮城の美しいスポットをドローンで空撮したPR動画がまったく視聴されなかったことが大きい。
 この映像は、宮城県の観光業者や宮城県ファンから「宮城の美しさがよく表現されている」と大絶賛だったが、観光プロモーションとしては結果が出なかった。厳しい言い方だが、自己満足で終わってしまったのである。
 だから、とにかく炎上しようとも「見られる」「話題になる」ということを追求した結果、壇蜜さんのエロ動画になったのだ。これが良い悪いは別にして、ターゲットに「面白い」と感じてもらわないことには、見向きもしてもらえないというのが、観光プロモーション動画の現実だ。
 さらに厳しいことを言わせていただくと、「Enjoy my japan」というキャンペーン名にも不安を覚える。俺たちの国を楽しみなよ、という「上から目線」な感じがして、日本の観光業全体にも共通する「押し付けがましさ」がにじみ出てしまっているからだ。
 先ほども触れたように、動画に登場する欧米人旅行者は、日本の観光業者が考える定番スポット、定番体験ばかりを行っている。これは言い換えれば、我々日本人側が「こういう風に日本を楽しんでくれたらいいな」と思うような「模範的な欧米人観光客」の行動を映像化したものともいえる。
 観光客はこのコースを歩いて見学してください。観光客はこういうコース料理を食べてください。観光客はこういうものを見て喜んでください。「おもてなし」という言葉が大好きなわりには、日本の観光サービス業は、供給者側の都合に「客」を合わせさせることが圧倒的に多い。
■供給側の一方的な「ゴリ推し」では 観光客は感動しない
 今回の映像も残念ながら、日本の観光業者側の「欧米人はこういのが好きなんでしょう」という思想が随所にちりばめられている、ように見えてしまう。そのあたりこそが、「退屈」というイメージをつくってしまっているのではないか、と個人的には考えている。
 いずれにせよ、欧米人観光客を増やすという政府の取り組みは素晴らしく、ぜひ応援したいが、いまの方針では一方的な「日本って綺麗なとこでしょ」という「ゴリ推し」で終わってしまう恐れがある。
 あれもPRしたい、これも訴求したい、という気持ちはわかるが、映像というものは、要素を詰め込みすぎても結局、何が言いたいのかよく分からないことになってしまうのだ。まずは、日本という国が、欧米ではできない多種多様な異文化体験ができる、お金では買えない滞在体験ができる、というシンプルなメッセージに絞って、とにかくまずは「退屈さ」と無縁の「刺激的でおもしろい映像」をつくったらどうだろう。
 我々がお手本にすべきタイの政府観光庁は、以下のような秀逸なメッセージを発信している。 「心をオープンにして多彩でユニークなライフスタイルを満喫しましょう」 「これが日本らしい」「こういうところが欧米人は好きに決まっている」という考えにとらわれず、ぜひとも多彩でユニークな観光スタイルを提案して、「退屈」というイメージを吹き飛ばしていただきたい。
 ≫(ダイアモンドONLINE:情報戦の裏側―窪田順生)


偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性
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ポピュリズムとは何か
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日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか (朝日新書)
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朝日新聞出版

●いまさらカジノ?にあきれるが、二千円で抑止二度あきれる

2018年02月23日 | 日記

 

世界まちかど地政学 90ヶ国弾丸旅行記
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毎日新聞出版

 

観光立国の正体 (新潮新書)
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新潮社


●いまさらカジノ?にあきれるが、二千円で抑止二度あきれる

今夜はひと口コメント。安倍って奴は、本当に手のつけようのないアホだ。まぁ、安倍が考えたのか、博打利権屋のシナリオに乗っているのだろうが、観光立国をめざそうとしている理想とバクチは似合わない。
 どうも日本の政治家や官僚らには、芯の通った哲学が皆無だ。何でも儲けられそうなものには飛びつく。乞食のような奴らだ。それに、ホリックを出さない抑止策だと言って、依存症規制を目的として入場料2000円を政府案としたようだが、半分馬鹿だ。自民党内では“高すぎる!”との声が上がったが、これは大馬鹿だ(笑)。
 世間の常識という生活空間を知らないと、こういうノーテンキな意見が飛びかう。筆者が世間に精通しているかどうか定かではないが、規制する気なら、5000円程度が妥当だろう。無論、アルコール除くドリンク無料でいかがなものか?
 本質的には、カジノは日本の伝統文化上不要。丁半博打の方が、文化的意義や、仁義の日本など、文化的に意義はあるだろう。鉄火場を演出することは、江戸の雰囲気も味わって貰えるかもしれない。

≪ カジノへの入場料2000円案 これが規制とはあきれる
 この程度で入場者を制限する効果があるとは到底思えない。
 カジノを導入した場合の規制基準案を政府が与党に示した。日本人客から徴収する入場料は2000円とする。入場回数の制限は「7日間に3回」かつ「28日間で10回」だ。
 規制の目的は、ギャンブル依存症につながる入り浸りを防ぐためだ。
 入場料などは、政府が成立を目指すカジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案に書き込まれる。  海外からの観光客を増やす目玉としてカジノ誘致は計画される。
 そこで問題になるのが、観光客と違い、常客となってのめり込みやすい日本に住む人たちの利用だ。  すでにカジノがあるシンガポールの場合、入場する国民から約8000円の入場料を徴収している。それでも、負けを取り返そうと入場を繰り返す人が後を絶たないという。
 2000円の入場料が効果的なハードルになるとは思えない。これが規制とはあきれる。依存症対策として極めて不十分だ。  入場回数の制限でも、月8回のシンガポールより緩い。
 シンガポールでは、月6回以上の利用者に対し通知を出し、銀行口座などを自己申告させたり、カウンセリングを受けさせたりしている。協力的でない人については、さらに入場回数を制限している。
 ギャンブル依存症の人の入場を防ぐきめ細かい対策が必要だ。
 それでも自民党からは、政府が示した規制の原案は「厳しすぎる」との声が相次いだというのだから驚く。公明党は政府案の規制は不十分との立場だが、与党の議論次第では、さらに規制が緩まる可能性がある。
 ギャンブル依存症の実態は深刻だ。厚生労働省研究班が昨年公表した都市部の調査結果では、依存症が疑われる成人の割合は2・7%(全国推計では283万人)だ。カジノが解禁されれば、この数字の増加に拍車がかかる恐れがある。
 与党は、IR実施法案と併せ、ギャンブル依存症対策への国の責務などを定める法案を国会に提出している。依存症は多重債務や犯罪などと密接に関連する重大な社会問題だ。
 野党も同じ趣旨の法案を別に出している。国会は依存症対策の審議をまず優先させるべきだ。
 ≫(毎日新聞2月23日付社説)



息子の金を盗んでパチンコ 病的賭博(ギャンブル依存症)の実態 (朝日新聞デジタルSELECT)
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朝日新聞社

 

カジノ幻想 (ベスト新書)
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ベストセラーズ

●安倍の「働き方改革」は「オランダの奇跡」ご都合主義のつまみ食い

2018年02月22日 | 日記

 

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)
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筑摩書房


●安倍の「働き方改革」は「オランダの奇跡」ご都合主義のつまみ食い

今夜は引用が長いので、ひと言コメント。以下の、ダイアモンドONLINEが企画した、長坂氏と武田氏の対談は、じっくり読んでみると、安倍政権が、「オランダの奇跡」と呼ばれる、オランダ人の生き方であるの「ワークライフ・バランス」の都合の良い部分をつまみ食いしていることが、よく判る。そもそも、≪「私・共・公」のヨーロッパと、「公・私」しかない日本≫、つまりパブリックな共同空間のない国に、それがある国の制度を導入する。

しかも、それがつまみ食い的ないい加減さなのだから、どうにも情けない。政府と使用者と労働者が一堂に会しても、徹底的な議論を通じた熟議もされず、ポジショントークと“今だけ良ければ”の精神で、官僚振付けの会合を開いた程度で、熟議が聞いて呆れる。しかし、ものごとのルールを変えていくためには、唾を飛ばしてでも自己主張、或いは、難易な言葉を使う必要のない、市民言語空間的議論が、果たして日本人に可能なのか、ふと考えてしまう対談だった。


★識者に聞く…ソーシャルメディア進化論
≪「パブリック」には適切な定義も和訳もない?日本は「公私二元論」の国
【長坂寿久氏×武田隆氏対談1】
「Public」という言葉を、あなたなら何と訳すだろうか? おそらく「公共」「公(おおやけ)」といった訳を当てるだろうが、それらの日本語が指し示すものと、ヨーロッパ、とりわけオランダで用いられる「Public」が意味するものとの間には、実は大きな違いがある──。そう指摘するのは、JETRO(日本貿易振興機構)在職中に長年にわたりニューヨークやオランダ等の海外駐在を経験し、現在もオランダの成熟した市民社会の研究をライフワークとしている長坂寿久氏だ。
「Public」に対する認識の違いは、時として国際社会から「日本はよくわからない国」と困惑のまなざしを向けられる要因ともなりうる。では、なぜこうした認識の違いが生まれたのか? そのことがもたらす影響とは? 長坂氏に詳しく聞いた。

 ■アメリカが主導する グローバリゼーションの限界
武田 隆(以下、武田) 長坂先生は、JETRO(日本貿易振興機構)にお勤めの時に、ニューヨークに4年半、オランダに4年近く駐在していらしたんですよね。
長坂寿久(以下、長坂) ええ。そしてニューヨークの前はシドニーに4年いました。
武田 各国を見てこられた上で、オランダでの駐在経験を通しての気づきを『オランダモデル』という1冊の本にまとめられた。実は本書は、私に大きな示唆を与えてくれた1冊でした。
 私どもが1998年ごろにオンラインコミュニティの構想を練った際、当初意識していたのはインターネットを生んだアメリカでした。
 しかし実際に自分たちの手でコミュニティを育てていくにつれて、コミュニティが有機的に機能するためには、オンライン上であっても実社会と同じように成熟した市民社会であることが大切だと気づいたのです。これがきっかけで、私たちはヨーロッパに注目するようになりました。
長坂 なるほど。
武田 いろいろと調べていくうち、「成熟した市民社会」をとりわけ色濃く体現しているのがアムステルダムだと知りました。あの街の市民社会を成り立たせているものとは何なのか、その要素を探っていた時に行き当たったのが先生の『オランダモデル』でした。先生の解説されるオランダの経済・社会システムが、インターネットが将来突き当たる壁を突破するヒントになる、と思ったのです。
長坂 そうでしたか。お読みいただき、ありがとうございます。オンラインコミュニティの適正な形成と機能のためには、ご指摘のように、「成熟した市民社会」が前提として大切というのは、まったく同感です。

■オランダのコミュニティは アメリカとどう違うのか?
武田 オランダでは、市民によるコミュニティが社会システムにおいて大きな役割を担っていますよね。「コミュニティ」というのは、これからの世界の鍵となるものだと私は考えています。Facebookが2017年6月に発表した新しいミッションにも、“Give people the power to build community and bring the world closer together.(人々にコミュニティ構築の力を提供し、世界のつながりを密にする)”と、「コミュニティ」という言葉が使われています。
 今回は、コミュニティというものについて深く理解するために、長坂先生にいろいろとお話を伺っていきます。まず、アメリカモデルでのグローバリゼーションが限界に来ているのではないか、というところから話を始めたいと思います。これは、『オランダモデル』でも書かれていらっしゃったことですよね。
長坂 はい。日本に限らず戦後の世界には、アメリカの経済・社会システムが波及していきました。アメリカニズムとは、工業化や経済成長を通じた自由と平等の達成です。私たちは、このアメリカニズムが世界に波及した現代の事象を「経済のグローバリゼーション」と呼んでいます。
長坂 でも、果たしてそれは普遍的なモデルなのか。私はオランダに来てみて、アメリカという国がいかに特殊であるかを思い知りました。
 日本は、ずっとアメリカモデルを参考にしてきましたが、グローバリゼーションの進展のなかでうまく適応できずにいます。私は日本がもうそろそろ、アメリカモデルを参考にするべきという呪縛から逃れてもいいのではないかと思っているんです。

 ■「オランダモデル」が グローバリゼーションの課題を解決
武田 EUではその姿勢が鮮明になりつつありますね。今年5月には、EU圏でGDPR(General Data Protection Regulation:一般データ保護規則。GDPRについては、武邑光裕氏がWIREDに寄せた連載寄稿に詳しい)が施行されます。これはFacebookやGoogleなど、ユーザーの個人データから巨額の利益を上げてきたシリコンバレーのIT企業に対して強烈なNOを突きつけるものです。
 オランダモデルは、ヨーロッパ的なモデルの極みであると理解しているのですが、アメリカ対ヨーロッパという構造はインターネット界隈でも鮮明になってきていると感じます。
 オランダモデルは、グローバリゼーションの課題を解決する糸口になる、と考えてもよいのでしょうか。
長坂 なりうると思います。例えば、今シェアリングエコノミーが世界的に広がってきています。しかし、アメリカ的な発想のシェアリングエコノミーと、オランダ的な発想のシェアリングエコノミーは、方向性がまったく違うんです。
武田 どう違うのでしょうか。
長坂 アメリカ的なシェアリングエコノミーというと、基本的にはインターネットというITツールを使っていかに新しい隙間ビジネスを開発するかという発想をします。
長坂 例えば、UberやAirbnbなどのサービスが代表ですよね。Uberは個人の移動手段としての車とITとを結びつけて新しいビジネスを開発しました。もちろん、運転手の余った時間をシェアするという発想です。
 Airbnbは空き部屋とITとを結びつけて新しいビジネスを開発しました。部屋を貸したい人と借りたい人をマッチングさせて泊まる場所をシェアするという発想です。
武田 しかし一方で、UberやAirbnbは問題も指摘されていますよね。
長坂 そうなんです。Uberは運転手と客のトラブルや、幹部のスキャンダルなど企業としてのモラルの低下が懸念されています。Airbnbも、純粋に余っている部屋を貸すのではなく、ビジネスとして部屋を貸したり、民泊が禁止されているところで運営されていたりと、問題が多発しています。
 ITを使ってどうやって隙間産業を見つけ出すか、という意味では成長していますが、これがシェアリングエコノミーの正しいあり方なのかは疑問です。もちろんオランダでもこの新ビジネスは大いに流行っていますが、ではオランダの発想はどうなのか。オランダでいうシェアリングエコノミーのイメージは、愛なんですよ。

 ■「私・共・公」のヨーロッパと、「公・私」しかない日本
武田 愛、と言いますと……?
長坂 お互いのフィーリングを分かち合うのが愛ですよね。お金をシェアするというのは寄付です。自分の時間を困っている人にシェアするのがボランティア活動です。シェアという言葉は、神学的な言葉で非常に深い。シェアリングエコノミーは、シェアを仲介してお金儲けをすることだけが目的ではないんです 長坂 例えば、オランダで考えられているのは、ケアの問題をシェアリングエコノミーでどう解決していくかということ。まずは近隣の人たち同士でネットワークをつくって、体が不調をきたした時にそのネットワークを頼ると、サッと助けにきてもらえる体制を整える。シェアリングによる相互扶助の地域システムの構築です。さらにそれを広げ、医師や看護師が中心となって、専門的な包括地域ケアの仕組みをつくっていく。
 そういう発想で、先端的な「ビュートゾルフ」という在宅ケアモデルができました。これは、世界中に普及してきています。
武田 ビジネスチャンスを見つけるのではなく、シェアすることで社会課題を解決しようという発想なんですね。シェアリングエコノミーは、もっと公共性が高いものなのだとわかりました。
 ところで、この「公共」という概念は、パブリックという英単語の訳ですが、パブリックと公共では、少し意味が違いませんか。
長坂 そうなんです。パブリックという言葉には、適切な日本語訳がないんですよね。というよりも日本ではこの言葉がちゃんと定義されていないのです。「公共」という言葉を辞書で調べると、「社会一般」「おおやけ」と2つ出てきます。でもそれが「パブリック」という言葉の本来の意味かというと、そうではない。

■EUは「補完性の原理」という 哲学に基づいている
武田 日本では「公共」というと、「お上」という意味で解釈されることが多いと思います。
長坂 「公(おおやけ)」を調べると、まず「天皇」「政府」という意味が出てきます。最後に「世間」「表立つこと」といった意味ももちろん出てくるのですが、まさに、「お上」ですね。
 ヨーロッパではそうした考え方はされていません。例えば、EUは「補完性の原理」という哲学に基づいてやっています。EU委員会が決めたことに諾々と従うのではなく、各国のコミュニティでやっていることを中心にして、足りないところがあればEUが決めたことで補完してください、という方針です。これは、公共哲学の考え方です。
武田 「哲学」なんですね。
長坂 哲学というのは何も難しいことではなく、人間とは何か、私とは何者かと問いかけることです。  でも、私は1人で生きているわけではない。周りにたくさんの人がいる。そこで、この人たちは何を考えているんだろうとアプローチして、コミュニケーションして、話し合い、調整し、皆の共通の利益について合意します。
 その熟議をする場が公共圏で、そこで生まれ合意されるのが、公共益です。この公共益を守り拡大してもらうために、私たちは政府、つまり「公」をつくってきた。だから本当は、「私・共・公」という三元論が主権論の基本になっているのです。これが、公共哲学の発想です。ところが、日本はそうならなかった。

■明治時代に「公共」を 政府が乗っ取ってしまった日本
武田 どうなってしまったのでしょう。
長坂 明治になって近代国家をつくる時に、皆で議論しているようでは西欧諸国に追いつけないからと、公共を政府が乗っ取ってしまったんですね。政府がすべて決めるから、国民は政府の言うことに皆従いなさい、という方針でやってきてしまった。つまり、「公と私」の二元論の国をつくってきたんです。
武田 「公共」がないんですね。
長坂 本来ならば太平洋戦争が終わったあと、公共圏/公共益というものを私たちが自覚して、もう一度「私・共・公」の三元論に変わるはずでした。実際に憲法では、「公共」という言葉が4箇所入っていて、三元論になっています。
 しかし、私たちは公共という言葉について教えられてこなかったんです。政府は戦後も、公私二元論の国をつくりたかったからです。
 日本人も、困っている人を助けたい、苦しみを分かち合いたいという気持ちが当然あります。でも、パブリック、そして自己決定権という発想がない状態で国家システムをつくっているので、世界の中でみると、この国はどうも不思議な国で、うまくいかないのです。

 ■イラクで拉致された若者は、ヨーロッパではバッシングされない
武田 アムステルダムを訪れた時に感じたのは、家が通りに向かって開かれているということです。リビングルームが道路に向けて作られていて、窓は全面ガラス張り。あれは日本人の感覚だと、プライバシーが侵害されているように感じるでしょう。
 最初は戸惑うのですが、不思議なことに2、3日経つと慣れてくるんです。そうすると、私の生活の一部はこの街、この通りの一角にあるという感覚が生まれてきます。その時に、これが「パブリック」ということなのではないか、と思いました。
長坂 そうですね、一緒にいるということです。家とストリート、街がお互いに借景し合っているわけですよね。つまり生活を社会とシェアリングしている感覚がある。
武田 あの状態が相互の協調関係をつくり、同時に監視の関係もつくっているのかなと思いました。でも、現代の日本では家と通りの境界が曖昧、ということはないですよね。家は私、通りは公とはっきり分かれています。
長坂 公と私の二元論だと、公共的なことをやると反社会的だと日本ではとられてしまいかねないのです。日本でNPO法人がなかなか一般化しない原因もここにあると考えています。
武田 「お上に背く行為」とみなされてしまうわけですね。
長坂 日本でも阪神淡路大震災を契機に、1998年にNPO法が制定されました。東日本大震災の時にもいろいろな人たちが大勢ボランティアに参加し、そこでNPOが非常に大きな役割を果たしました。
 それでも私たちはNPOに対して、いいことをすることもあるが、時には反社会・反国家的なことをすることもあると思っていて、そのため「敬して遠ざける」という姿勢が基本的にあります。オランダでパブリックセクターが、つまり市民社会セクターが国をつくっている感覚との差はとても大きいと感じます。  NPO法では「公益」という言葉が使われています。この言葉は英訳ではパブリック・インタレスト、つまり公共益のことです。NPO法を正しく書くには、「公益」でなく、「公共益」とするべきなのです。公益だと、公はお上であり、政府という意味になってしまう。
 つまり、そもそもボトムアップで皆で熟議して合意した公共益が、日本語のトリックで、トップダウンの言葉としての国益と一致していなければいけないという言葉へと、逆転されてしまっているのです。
武田 イワシの群れのようですよね。群れでいることが正義なので、そこから離れようとすると強い同調圧力がかかる。
長坂 「こいつは忖度しないやつだ」ということになるわけです(笑)。それを強く感じたのが、2004年にイラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐された事件です。
 本件を取り上げたフランス『ル・モンド』誌の論説では、「あの3人のおかげで日本に対する誤解が減った」といったことが書かれていました。困っている人たちに対して自ら行動することで助けになりたいと思うすばらしい若者が日本にもいたんだ、と。でも、日本では彼らに対して激しいバッシングが起きましたよね。
武田 拉致されたのは自己責任、自業自得だ、という声が多かったですよね。
長坂 そういうバッシングが起こること自体が不思議だと、『ル・モンド』誌は書いています。若者たちは国益というものではなく、公共益に沿って行動した。それが、国際的には理解されるけれど、日本では公共益=公益=国益へと自動的に反転されて理解されてしまうので、反政府=反社会的な行動をしたと批判される。わがままで自分勝手な行動だ、と言われてしまうわけです。

 ■なぜオランダでは 「公共」が根付いたのか?
武田 日本で「公共」が育たなかった背景はわかりました。では、逆になぜオランダでは「公共」という考え方がそんなにも根付いているのでしょうか。
長坂 それには、オランダという国の成り立ちが関係しています。 (第2回へ続く)


 続き ≪日本の「働き方改革」は本当に正しいのか?オランダの成功から学べること
【長坂寿久氏×武田隆氏対談2】
「働き方改革」に取り組む日本にとって、参考になる存在といえば「ワークライフ・バランス先進国」として知られるオランダだ。フルタイムとパートタイムの待遇格差是正や労働時間の短縮実現など、日本が抱える諸課題を解決してきたオランダだが、事ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかったという。かつて「オランダ病」と揶揄された経済の窮状を建て直していったプロセスには、オランダという国を特徴づける“ある文化”が大きく影響していたという。果たしてそれはどのようなものだったのか? オランダ経済に詳しい長坂寿久氏に聞いた。

■水を制御することで 生まれた国、オランダ
武田隆(以下、武田) 前回は、「私・共(公共)・公」という三元論で社会をとらえる「公共哲学」による主権論が存在することを前提とした世界観を持つヨーロッパと、「公・私」という二元論で捉えている日本との違いについてお話しいただきました。
 日本では育たなかった「公共」という概念が、ヨーロッパ、とりわけオランダで根付いた背景には、オランダという国の成り立ちが関係している。これはどういうことでしょうか?
長坂寿久(以下、長坂) オランダは、ヨーロッパ大陸を流れる3つの川が北海に流れ込む三角州にできた国です。ヨーロッパの人口が増加し、もともと水浸しで住めなかったその三角州の高台にまで入植してきた。そして少しずつ住める場所を増やしていきました。
 帆船の時代になると、アムステルという川に堤防(ダム)をつくり、港をつくり、街をつくったのです。
武田 それが現在のオランダの首都、アムステルダムですね。日本で言えば、「黒部ダム」が首都になるようなもので、おもしろいです。
長坂 そうして、自分たちで水を制御して街をつくってきたんです。オランダ最大の空港であるスキポール空港は、「船の穴」という意味を持ちます。スキップが「シップ・船」、それに穴の「ホール」でスキポール。スキポール空港がある場所は、かつて巨大な湖でした。そこで戦いが起こったり、嵐が来たりして、たくさんの船が沈んだ。
武田 船の墓場だったと。 水をかき出して海に流し、干拓 風車の技術力で海外競争力を得た
長坂 はい。そして、水をコントロールするためには、その対等な関係性を踏まえて議論することが必要となります。どうやって洪水を防ぐのか、地域の人たちで侃々諤々と意見を闘わせる。でも、洪水が来るまでには合意(コンセンサス)を得なければいけない。

■激しい議論はあくまで コンセンサスを目的としたもの
武田 洪水を防ぐための議論ですからね。
長坂 当たり前のように思えるでしょう? でもニューヨークに駐在していた時に思ったのは、アメリカの議論はそうではないところがある。アメリカでは、合意のためではなく、自己主張のために議論をするようなところがありますね。
 オランダ人との議論では、初めての場合にはこちらが恐れを抱くくらい強めに自己主張してくる感じがあります。でも、彼らが目指しているのは合意形成。だから、こちらも意見をはっきり、しかも「なぜ」そうなのかを主張すると、途端に譲歩してくると感じられることがあります。
 激しい議論に慣れていない私たち日本人はその勢いに怯んではいけない、というのは、オランダ人と付き合うときのポイントとして重要なことだと思います。
武田 忖度するのではなく、お互いに意見をはっきり主張し合った方がいいんですね。そうやって最善のコンセンサスを共同制作していく感覚と言えばいいでしょうか。
 そのコンセンサスに向けて、とにかくコミュニケーションを続けていかなければいけない。そして、水があふれるまでには合意に至ろうとする。
長坂 みんなで議論するその場こそが「パブリック」、つまり「公共圏」なんです。そこで合意したことが「公共益」で、その公共益を守り、拡げるために私たちは「公」、つまり政府・国家をつくってきたのです。これが公共哲学の主権論です。
 政府が行うべきことは、この市民の熟議で合意した「公共益」を政策として実行することなのです。だから、オランダのような社会にとっては公共圏での熟議と合意がとても重要なわけです。
長坂 はい。そして、水をコントロールするためには、その対等な関係性を踏まえて議論することが必要となります。どうやって洪水を防ぐのか、地域の人たちで侃々諤々と意見を闘わせる。でも、洪水が来るまでには合意(コンセンサス)を得なければいけない。

■「オランダ病」が 「オランダの奇跡」に変わるまで
武田 合意形成を重視するその文化が、経済的に功を奏した一例が「ワッセナー合意」ということになるのでしょうか。
長坂 そうですね。それにはまず、オランダがその名の通り「オランダ病」に陥り、「オランダの奇跡」と呼ばれる復活を遂げた経緯についてお話ししましょう。 「オランダ病」とは、天然資源価格の高騰によって不労所得を得た資源保有国の政府が、その経済政策運営を誤ったことによりもたらされる経済危機のことを言います。オランダ人にしてみればなんとも不名誉な名称ですが、経済学用語として国際的に定着してしまっています。
武田 具体的にどういうことが起こったのでしょうか。
長坂 オランダの場合は、1960年代以降に北海海底から天然ガスや石油が発見され、その輸出ブームで大儲けしたことで、他の貿易材部門の国際競争力が低下してしまったのです。
 また、財政収入が増加して政府支出が過剰になり、賃金も上昇し、社会福祉制度が充実した。これがずっと続けばいいのですが、そうはいきません。
武田 一次産品の価格が下落していってしまうわけですね。
長坂 そうなった瞬間に、天然ガスなど資源部門の職場は縮小していきます。資源部門に引っ張られて賃金上昇せざるをえなかった他の産業の競争力が低下していることに気づく。オランダ全体の景気が一気に後退して、はじめは労働組合が「給料をよこせ」「雇用を切るな」と大騒ぎになりました。
武田 とはいえ、企業側もまさに死にそうな状態なんですよね。
長坂 そう、どうしようもないんです。そこで、労働組合、使用者(経済団体)、政府の三者で集まって話し合いをすることになりました。
武田 よく話し合いのテーブルに就くことができましたね。政府は税収が激減、会社は賃金が高止まりしているのに収入は減っている、労働組合は首を切られないように必死、と全員が切羽詰まってにらみ合いをしているような状態なのでしょう?
長坂 もともとオランダでは、昔から話し合いで経済を進めていくという文化があったんですよ。それは、先ほど説明した治水の歴史を背景に育まれたものです。戦後も政労使の話し合いでずっとやってきた。それが天然ガスブームで、話し合いの伝統が途切れたんです。みんなが勝手に自己主張するようになってしまっていたんですね。
武田 不労所得でぐんぐん経済成長していたら、そんな手間をかけて話し合いをしなくても、それぞれの要求が叶えられますからね。
長坂 その右肩上がりのカーブがガクンと落ちた時に、やっぱり話し合いをしなければいけない、となったんです。もう一度、オランダ的な合意形成システムの重要さを思い出したわけですね。それが1970年代後半のこと。そして、1982年に「ワッセナーの合意」に至ります。
 内容は、政労使三者間で、雇用確保を最優先するために自主的な賃金抑制に合意する、というもの。これが、「オランダ病」克服への第一歩になりました。
 この合意をベースに、オランダは15年かけて、さまざまな構造改革を行っていきます。その結果、高い経済成長率、失業率の低下、労使関係の安定、財政の黒字化などを達成し、「オランダの奇跡」と呼ばれるようになります。なかでも、特徴的な取り組みがワークシェアリングです。
武田 ワークシェアリング。日本の働き方改革のヒントにもなりそうです。

パートタイム労働で 人は自由になる
長坂 オランダはいま、「パートタイム経済の国」と言われるほどパートタイム労働者の比率が高く、労働者1人あたりの年間労働時間も短いんです。しかしこれ、不思議だと思いませんか? 政労使三者間で話し合いをしたというのに。
武田 そうですね、労働組合というのはパートタイム労働者をフルタイムに変えていくことを推し進めているのかと思っていました。
長坂 世界の多くの労働組合はそうです。でも、オランダの労働組合では90年代に入って組合員に対して調査を行い、結果としてフルタイム労働者の中に労働時間短縮を希望する人が増えていること、パートタイム労働者はパートタイムのままもう少し長時間の労働を求めていること、がわかったんです。
 パートタイム労働者たちは、フルタイム労働者になれないからパートタイムで働いているのではなく、自ら望んでいたんですね。
 オランダ文化の1つは実にプラティカル、実際的という点にあります。経営者側は労働の柔軟性を求めて、パートタイム労働の促進を求めていました。そこで労働組合側は「均等待遇」を条件にパートタイム労働の促進に合意する旨提案し、話し合いを続け、フルタイムとパートタイムで均等待遇をするという労使合意に至りました。

 ■労組、企業、政府の三者が 痛み分けをして「働き方」を改革
武田 それは、賃金格差をなくすといったことでしょうか。
長坂 賃金格差の是正だけでなく、社会保障や雇用保障の面でも、フルタイムと変わらない待遇にしたのです。労働組合はそれによって賃上げ抑制に協力する。企業は雇用を保障する。そして政府は、財政支出を抑制して所得減税を実行する。
武田 三者が痛み分けをしたわけですね。
長坂 「合意」の極意とは、自分の主張だけを通すのではなくて、お互いが譲歩し合うということです。
武田 なるほど、いったんはみんなが損し合うけれど、そのことによって最終的には三者の利益の総和が高まり、ひいては自分の利益も引き上がるということですね。
 日本でも働き方改革に関する議論が進んでいますが、政も労も使も「総和としての利益のために、自分も痛みを引き受けよう」という姿勢にはなかなかなりません。
長坂 「オランダの奇跡」は、全員が譲歩することによって達成されました。
 制度的には、労働時間差差別を禁止する法律を1996年に導入したのを皮切りに、2001年には働く時間の変更申請を保障する法律や、妊娠・出産休暇、託児所などの制度が急速に整備されていきます。労使が合意した内容を、政府が法律によってオーソライズしたわけです。
 法的措置を明示的に導入し、実態としてもフルタイムとパートタイムで差別がなくなってきた国というのは、世界でもオランダが初だと考えられます。その結果、オランダの主婦たちがどんどん労働市場に入っていった。でもパートタイムなので、他の国に比べて労働コストの上昇を抑えることができました。
武田 企業としては、賃金上昇を抑制することを通して多くの人材を雇うことができたわけですね。

 ■米国の夫婦は2.0の働き方を目指し、オランダは「1.5でいい」と考えた
長坂 その結果この国は、労働の柔軟性を高めることにも成功しました。と同時に新しい働き方を獲得していきました。それまでは夫婦どちらかだけがフルタイムで稼いでいたため1.0だった家計所得が、もう片方がパートタイムで働きに出るようになったことで1.5になりました。この「1.5」というのがポイントです。
 アメリカの共稼ぎ家庭では、妻も夫も同じ勤務時間と所得で2.0を目指すのが主流です。でも、オランダは1.5でいいと考えた。残りの0.5は家族と過ごす時間や自由に使える時間にしたいと思ったんです。
武田 ご著書の『オランダモデル』に、オランダは「夫が働き、妻は家事をする」という保守的な価値観が根強いとありましたね。そのため、保育所などの育児のための家庭外サービスがあまり充実していない、と。
 それもあって、女性は男性と同じようにフルタイムで働くよりも、パートタイムで安定して働ける新しい雇用制度の導入を求めたのでしょうか。
長坂 そうなのです。ワークライフ・バランスの達成へ向けて、その第1弾がこの均等待遇によるパートタイム労働の促進でした。2.0までいかなくとも世帯所得が1.5に増えれば、それだけ消費が増えて、経済がよくなっていく。パートタイムでの雇用が増えたので失業率も下がる。そうしてオランダは、経済成長率がヨーロッパの中で最も高い国になったのです。
 しかも、夫が1.0、妻が0.5という働き方だけでなく、夫婦共に0.75ずつという働き方も普及してきています。
 この「パートタイム革命」により、オランダの人々は働き方の自由を得ることになりました。オランダのパートタイムというのは、基本的に常勤雇用契約で、雇用や収入の不安定さはありません。日本で言うところの正規雇用者で、派遣や臨時雇用とは違います。
武田 日本のパートタイム労働者とはずいぶんイメージが違いますね。日本では、「パート」といえば短時間労働で非正規の人というイメージが強いと思います。

 ■高等教育を受けた人ほど パートタイム志向が強い
長坂 そうですよね。日本ではどうしても「正社員になれないから仕方なくパートで働いているんだろうな」、あるいは「アルバイト感覚の働き方」などと思われがちです。
 でも法律的に差別がなくなると、パートタイム労働は自分自身の選択ということになる。「家族との時間をもっと過ごしたいから」「週3で働き、それ以外の時間は自分のやりたいことに使いたいから」など、主体的に時間の使い方を選べるようになります。
 おもしろいのは、高等教育を受けた人ほどパートタイム志向が強いという現象が見られることです。  私の知っているオランダの博物館のキュレーターはほとんどがパートタイマーで、空いた時間は自分がやりたい展覧会を世界の博物館に提案することに充てたりして、自分のキャリアを拡げるために使っています。他にも、本業が警察署の高官の秘書で、休みの日には貿易商を営んでいるという女性も知っています。
武田 それはたしかに、日本の「パートタイマー」に対するイメージとはだいぶ違いますね。
長坂 日本の「働き方改革」は、このオランダの第1段階にさえ遠く達していません。オランダはその後、「ワークライフ・バランス」の完全版を目指して第2段階、第3段階へと展開してきています。
 現在では、2016年に体系化され強化されましたが、働く時間の短縮や延長(働く時間の長短の変更)のみならず、勤務時間帯の変更や勤務場所の変更(在宅勤務等)の申請を保障する法的措置も強化されてきています。
 オランダの制度は、こうしたパートタイムとフルタイムの移動などの労働時間問題だけでなく、全体的に見ると、女性の労働市場参入と女性支援、仕事能力の開発と燃え尽き症候群の防止、キャリアと育児の同時追求、男性の育児休暇、結婚・妊娠・出産・育児・ケアを可能にする家族中心志向を支援する制度の設計を作り上げているといえます。

■オランダが追求する思想と仕組みは ワークライフ・バランスの完全版
武田 そこまで幅広く設計しているんですね。
長坂 オランダが追求している思想と仕組みは、「ワークライフ・バランス」の完全版だと言っていいと思います。ライフステージに応じた多様な就労とケアの選択肢を提供することによって、それを達成しようとしています。
 均等待遇によるパートタイムや働く時間の自由な変更や、働き方を支えるさまざまな制度の存在により、人間は自由な人生を生きられるようになるのです。
武田 自由な人生、ですか。
長坂 ただし、この「自由」という言葉にも注意が必要です。オランダ人にとっての自由と私たち日本人が考える自由とでは、意味合いが大きく違うのです。 (次回へ続く)   ≫(ダイアモンドONLINE)



物語 オランダの歴史 - 大航海時代から「寛容」国家の現代まで (中公新書)
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中央公論新社
オランダモデル―制度疲労なき成熟社会
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日本経済新聞社

●時代錯誤、餓鬼化する経団連 低労賃と低電力のおねだり

2018年02月21日 | 日記

 

21世紀の長期停滞論: 日本の「実感なき景気回復」を探る (平凡社新書)
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オリンピック恐慌 (幻冬舎新書)
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欲望の民主主義 分断を越える哲学 (幻冬舎新書)
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幻冬舎


●時代錯誤、餓鬼化する経団連 低労賃と低電力のおねだり

≪……産業競争力の維持のため「海外と遜色ない価格でのエネルギー供給が必要だ」と原発の必要性を強調……。≫経団連は以上のように要求理由を語っているらしい。ホンニ阿保は連中だ。原発を新設や増設してもらい、電力料金の引き下げを強く求めている。もうここまで、グローバリズム経済が拡大固定化されている中で、既存の製造業に、国際競争力を維持しようと試みることは、瀕死の重傷の病人に、アリナミンを大量に飲ませるのに等しい。

今国会で、根拠不十分で踏んだり蹴ったりの「働き方改革」法案では、何が何でも、将来的に日本全労働者を非正規的雇用体系に持って行き、最終的には超低賃金の“移民”へのシフトで、死に体と変わらない多くの輸出製造業を生き延びさせる方策を講じている。つまり、あけすけに、安い賃金の労働力が欲しいと、強請って(ネダッテ)いるわけである。

本来、経営というものは、時代の流れや、あらゆる経営環境に応じて、その企業の方向性を決めてゆくべきものであり、世界的潮流で決定的になっている環境を、廉価な労働力の供給とか、廉価の電力料金を求めるとかの弥縫策で、切り抜けようなどと考えるのは、もう、経営ではない。経営環境によって、国際競争力を失いつつある企業は、体力のある間に、次なる企業のあり方を模索し、本格的なリストラクチャリングをするのが本来経営の務めである。おのれの無能を棚に上げ、環境を、支持政党の権力に頼り、結果的に、国民を食い物にして、自分の企業を楽にしようなど、トンデモナイ経営団体である。

本日は時間がないので、この辺で切り上げるが、“瀕死の重傷の病人に、アリナミンを大量に飲ませる”そのようなことに加担する安倍政権というのは、国民の敵である。負けるものは負け、勝つものは勝つ、その線引きをするのが、政治が本質的にするべきことなのに……。ひたすら餓鬼のような振舞いを、恥も外聞もなく野ざらしに。おねだりは、本来労働側の専売特許だが、最近は、賃下げ、電力下げろと、労組のような態度にさま変わりしている。話は飛ぶが、先日亡くなられた金子兜太氏が揮毫した「アベ政治を許さない」が目に浮かぶ。


≪ 原発増設、経団連が要求 経産省、計画改定へ議論
 経産省は20日、エネルギー基本計画改定に向けた有識者会議を開き、経済界や消費者団体などから意見を聴取した。経団連は計画に原発増設を明記することを要求。原発の建て替えや増設を基本計画に盛り込むか否かを巡り、賛成と反対の双方の立場から議論を繰り広げた。
 経団連の担当者は、産業競争力の維持のため「海外と遜色ない価格でのエネルギー供給が必要だ」と原発の必要性を強調。2030年を標的としている現在の基本計画は増設を明記していないが、30年以降も一定規模の活用が不可欠だとして、盛り込むよう求めた。これに対し、全国消費者団体連絡会の関係者は増設に反対する考えを示した。
  ≫(東京新聞・共同)


≪ 原発新設を視野に 国のエネ基本計画見直し着手
 経済産業省は一日、国のエネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」の見直しに着手すると発表した。これまで「想定していない」としてきた原発の新設や建て替えを、将来の課題として盛り込むことを視野に入れる。
 経産省が選んだ学識者による審議会が九日から議論を始め、来年三月末までに新計画の素案をまとめる。二〇一四年に決めた現計画をおおむね踏襲し、三〇年度に必要な電力の20~22%を原発でまかなう目標を維持。原子炉等規制法に従った場合、稼働から四十年たった古い原発は廃炉となって目標に届かないため、一部の原発は特例を適用して最長で六十年運転する。
 世耕弘成(ひろしげ)経産相は一日の記者会見で「原発の新設や増設をしなくても目標は達成できる」と語った。
 しかし、六十年を超えて運転はできないため、新設や建て替えをしなければいずれゼロになる。経産省幹部と自民党議員の一部は「原発は必要だ」と主張しており、新設や建て替えを盛り込みたい考え。
 経産省は地球温暖化対策について話し合う経産相の私的懇談会も設置し、二酸化炭素(CO2)の排出量が少ない電源としても原発の活用を主張する方針。



 



◆国民から反発必至
 「エネルギー基本計画」の見直しに絡み、経済産業省は棚上げしてきた新しい原発の建設や建て替えに踏み込む構えを見せている。しかし、米国で高コストのため原発の新設計画が断念されるなど、原発が抱える問題は多い。現行の計画ですら国民から「原発への依存度が高すぎる」との声が上がっており、その先にある新設はさらに反発を呼びそうだ。
 現行計画では、二〇三〇年度に必要な電力の20~22%を原発でまかなうとしているが、目標を立てた一五年のパブリックコメント(意見公募)では、集まった意見約二千件の九割はさらなる引き下げやゼロを要求していた。
 原発で使い終わった核燃料や解体した原発の部品など、放射線を出すさまざまな「核のごみ」については、「処分方法が解決しておらず原発の活用は認められない」といった意見が寄せられた。
 また政府は「原発(による発電)は安い」と主張するが、実際には福島第一原発の事故処理や使用済み燃料の再利用計画にかかる費用などは不明で、天井は見えない。
 経産省が昨年末に国民負担を増やすことを決めた際にも、批判が高まった。安全対策のため建設費も高騰しており、七月三十一日には米国の電力会社が、発注していた原発二基の新設計画を断念した。
 原発に詳しい原子力資料情報室の伴英幸(ばんひでゆき)共同代表は「国民の負担という面でも、後始末できないという面でも、原発を新設するという判断は避けるべきだ」と話している。 (吉田通夫)

◆これまでのあらすじ
 「エネルギー基本計画」は国の中長期的なエネルギー政策の方向を示す。2002年に成立したエネルギー政策基本法に基づいて03年に初めて策定し、おおむね3年ごとに見直してきた。
 10年の計画では30年度に必要な電力の半分近くを原発でまかなう目標を立てたが、11年に福島第一原発の事故が発生。当時の旧民主党政権は30年代に稼働する原発をゼロにする目標を掲げた。
 しかし、12年に自民党が政権に返り咲くと、原発の維持推進に方針転換。14年に決定した現計画では「重要な電源」と位置づけ、次世代の原発の研究開発も進める方針を示した。
 ≫(東京新聞)


東京五輪後の日本経済: 元日銀審議委員だから言える
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世界の未来 ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本 (朝日新書)
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朝日新聞出版

 

経済成長という呪い
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東洋経済新報社

●ふざけるな!“日本が日本を失った日”を「祝明治150年」企む安倍

2018年02月20日 | 日記

 

維新史再考―公議・王政から集権・脱身分化へ (NHKブックス No.1248)
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NHK出版

 

日本的革命の哲学 (NON SELECT 日本人を動かす原理 その 1)
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日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか (朝日新書)
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朝日新聞出版


●ふざけるな!“日本が日本を失った日”を「祝明治150年」企む安倍 

安倍や日本会議の連中の頭はどうなっているのだろう?明治維新と云う愚行が、我が国の伝統文化の類を積極的に焼き払った記念日であり、本来の保守的立場からは、到底容認できない。

そもそもが、アジア人が、欧米人に倣って、“なにもかもを”見よう見真似で“猿まね”をした、恥ずべき歴史的事実であり、「祝」などという漢字を使って歓ぶべきことではけっしてない。無論、江戸時代以前の日本の伝統文化すべてが守るべきものであったかどうかには議論の余地があるが、その悉くを破壊しようと行動した薩長が官軍(善)で、賊軍(悪)などと云う歴史の歪曲は、時の政治力の差で生まれた、まさに捏造の歴史観である。

明治維新で、我が国は欧米文化から得るものはあっただろうが、そもそもが、欧米人の文化や近代技術を、そのまま真似て、欧米列強と伍して生きていこうと決定する能力が、薩長軍にあったとは思えない。薩長軍と云うものは、現代で言えば「IS」のようなもので、遺跡や鎮守の森などを破壊し、仏教を蔑ろにして、一部の神社だけに、既得権を与え、国家神道の構築を試みたのである。

江戸時代までの神社仏閣は日本人の“共存”のシンボルであり、共同体の一部だった。また、明治以降の産業革命は、戦後の日本の復興同様に、東国の人々を都会におびき寄せて、産業労働者にすることで、東国の共同体に大きな爪痕を残したままである。以下の毎日の特集記事の戊辰戦争云々というよりも、江戸時代までの、藩政や地方ごとの産業、そして、藩ごとの伝統文化が失われ、金太郎アメのような地方が生まれ、そして、衰退していく、そのことが、21世紀になって見えてきた。筆者は、明治維新を“日本が日本ではなくなった日”と記憶したい。思い出したが、孤高の学者、小室直樹氏は会津出身だった。


 ≪安倍政権が演出「祝明治150年」の陰で
「会津は戊辰を忘れない」論
 安倍晋三政権は今年、「明治維新150年」を唱え、祝賀ムードを全国に広めようとしている。しかし、旧薩摩、長州藩(鹿児島、山口県)を主力とする「西軍(官軍)」に敗れて「賊軍」の汚名を着せられた側では、「明治維新」ではなく「戊辰戦争150年」を掲げる自治体も少なくない。「祝いじゃない。悲しみのときだ」と。怒りの記憶と、忘却について考えた。【藤原章生】
 戊辰戦争で最大の犠牲者が出た会津藩の拠点、福島県会津若松市では、薩長が率いた明治政府、その流れをくむ地域や子孫への怒りが今もあるのか。
 会津藩が19世紀初頭に築いた藩校「日新館」(今は観光施設)の館長、宗像精(ただし)さん(85)を訪ねると、1935年版の歴史教科書「尋常小学国史」をまず読み上げてくれた。<会津藩主松平容保(かたもり)は、奥羽の諸藩と申し合はせ若松城にたてこもって官軍にてむかった>。戊辰戦争で最大の激戦となった会津戦争についての記述である。東北地方で仙台藩に次ぐ規模を誇り、城下で約4万人が暮らした会津藩は、女性らの自殺も含め数千人の死者を出したとされる。「小学6年向けの教科書だから賊軍や朝敵という言葉を使っていないけれども、官軍に『てむかった』とはっきり書いてある。賊軍、悪者ってことだ。薩長中心の官僚が演出した、こんな欺瞞(ぎまん)と歪曲(わいきょく)の歴史を会津の子供たちにも学ばせた。薩長憎しは簡単に消えるもんじゃない」
 宗像さんは、元会津藩士で東京帝大の総長まで上り詰めた山川健次郎監修の「会津戊辰戦史」(33年)を取り出し、「敵軍(西軍)の暴掠(ぼうりゃく)」の章を示す。「『敵は野蛮の甚しき行いのみ多かりし』とある。農工商民から金品、家財、娘らを奪い、薩摩の分、長州の分と山分けして分捕ったと書いてある。韓国の従軍慰安婦の問題があるでしょ。ああいう問題は、金では解決しないんだよ。前から友好を求めてきた山口県萩市に私も去年行ったけど、『仲良く』はできる、でも『仲直り』つまり歴史を水に流すなんてできないとはっきり言ってきた。ただ、長州、薩摩も悪い人ばかりじゃない。だから、子供のために歴史をもう一度検証し、『仲良く』はしていこうと」
 会津藩士らは藩を追われて散り散りになった。子孫にとって明治は悲劇の始まりだ。会津史を書き続ける作家、星亮一さん(82)は、長州勢が受け持った会津戦争の戦後処理が、会津人に積年の反中央感情を植えつけたと語る。「報復を企てる会津藩士を原野に飛ばして息の根を止めろと、長州の木戸孝允が強硬に言い、最終的には1万7000人が青森の下北半島に追いやられた。現地での差別、飢えによる塗炭の苦しみが、近代史上類をみない恨み、怒りを植えつけました」
 NHKの大河ドラマの時代考証などに当たってきた史跡研究専門の会津若松市職員、石田明夫さん(60)は「恨みの根は、明治以降、開発から取り残された点が大きい」と言う。「大きな藩があった地でありながら、戦前、会津には一校も大学ができなかった。道も鉄道も乏しい。だから旧会津藩地域の人口密度がいまも北海道より低い」
 福島県在住の星さんも明治期の「差別」に言及する。「官僚や軍部での出世差別も加わり、積年の理不尽に対する怒りが会津人に限らず、旧東軍の東北、越後の人々に広がった。だから、『明治150年』など認めない」。東京電力福島第1原発事故で出た汚染土の中間貯蔵施設建設を巡り、石原伸晃環境相(当時)が「最後は金目でしょ」と発言したことにも触れ、「政治家の暴言に東北の人が怒るのは、そのたびに怨念(おんねん)が顔を出すからです。安倍さんが明治150年と言う度に我々の心が無視されたと反発するのです」。
 天災の多さなどその風土から日本人は一般に憎しみ、怒りをためないと言われる。会津人は別格なのだろうか。しかし、現在も残る恨みや怒りは、幻想に過ぎないという意見もある。
 「会津という神話」を2010年に著した摂南大准教授、田中悟さん(47)は「会津人の恨みは戦後に強化された一種のファンタジーだ」と言う。「戊辰戦争から60年が過ぎた1928年、会津松平家の勢津子妃が昭和天皇の弟、秩父宮殿下と成婚し、会津は賊軍という汚名を返上しました。またその前の明治末期、若松市(現会津若松市)は陸軍連隊を誘致して軍都になっています。十五年戦争下では、会津精神、白虎隊(戊辰戦争時の青少年隊)の魂こそ日本人のかがみと称賛され、会津人は当時、いわば我が世の春の中にいた。それから戦後間もないころまで、薩長への恨みなるものはほとんど意識の外にあったはずです」
 白虎隊は日独伊三国同盟の下、独伊にたたえられ両国から記念碑を贈られている。そんな史実を示すと、宗像さんは語気を強めた。
 「お人よしの会津人が、薩長が築いた軍部にうまく使われたんですよ。会津人の一面だけを礼賛し利用されたんだが、白虎隊はもっと純でかたくなな思いで自刃した。それを日本精神などといわれるのは、はなはだ迷惑だ」
 郷土史を研究してきた会津若葉幼稚園長、中沢剛さん(84)も、恨みは戦時中に晴れたどころか深まったと言う。
 「会津若松の連隊は『白虎部隊』などと呼ばれ、満州事変、上海事変、のちには南京、ガダルカナル、インパールの最前線に立たされ何度もせん滅に近い状態に遭った。熊本の連隊と並び『強くて文句を言わない』とたたえられて激戦地に放り込まれ、会津、東北は多くの若い人材を失ったのです。若松の連隊も加担した南京事件もそうです。被害者数の議論はあるでしょうが、やられた方は絶対に忘れませんよ」

■失ったもの「考える機会に」
 「恨みを言い立ててきたのは、戦後の場合、観光という側面がなかったわけではない」と会津若松市の広告会社経営、庄司裕さん(71)は言う。星さんも「簡単に長州と和解などしたら、ふぬけの会津人と言われる、という意識がある。一種のブランドなんです。たとえば会津在住の高校生にさほど郷土意識はないんですが、東京に出ると『おまえ、会津か』と一目置かれる。すると、薩長を許さない会津人という旗を自ら揚げるようになる面もあります」。
 日新館の宗像さんにその話をすると、「会津人の心はそんなもんじゃない」と言下に否定する。「被害をエスカレートさせて話すところはあるけど、私らは純で愚直なまでに先祖の教えに従い、歴史を忘れない。それが雪国の閉ざされた環境が育んだ会津人気質なんです」
 そんなに違うのか。私など曽祖父の時代など全く関知しないが、と素朴な疑問をぶつけると、庄司さんはこう答えた。
 「忘れるのは日本人の知恵であり、弱点です。例えば、唯一の被爆国である日本の政府が核廃絶について、まあいいかという態度をとるのはどうかと思う。忘れてはいけないことはある。150年を振り返るとき、日本人は何を忘れ、何を失ってきたのか、一人一人が考える機会になるよう会津人として願っています」
 日本の諸都市が見舞われた米軍による無差別空襲、そして広島、長崎。そんな被害のみならず加害行為も実は、多くの現代人がただ忘れたふりをしているだけではないのか。会津の地でそんな思いがわいてきた。
  ≫(毎日新聞)

新装版アメリカ未完のプロジェクト―20世紀アメリカにおける左翼思想
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後期資本主義における正統化の問題 (岩波文庫)
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近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書)
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岩波書店

●どうするンだよ! 民主党政権よりも4.1%も下がった実質賃金

2018年02月19日 | 日記

 

21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学
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ミシマ社

 

護られなかった者たちへ
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私物化される国家 支配と服従の日本政治 (角川新書)
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●どうするンだよ! 民主党政権よりも4.1%も下がった実質賃金

一般の国民にとって、名目賃金などと云うものは、ほとんど意味をなさない。各個人や各家庭の懐具合の実感に影響するのは、実質賃金である。その意味で、以下のように、古賀茂明氏が痛烈に安倍政権の経済政策に鉄槌を下すのには、それ相当の理由がある。なにも、“I am not Abe”と報道ステーション降板日にささやかな抵抗としてフリップを掲げ、目の敵にされている意趣返し、そういうものではないのはたしかだ。

経団連を味方に引き入れるためには、円安誘導金融政策は当たり前と思い込んでいる安倍政権は、結果的に、内需関連商品の価格を狙い撃ちするように物価を押し上げた。仮に、この状況で、消費者物価上昇率2%を実現していたら、実質賃金は5~6%下がっていたと考えられる。つまり、国民は、泣きっ面のハチと云う惨状だったのだから、黒田日銀総裁の再任で、消費者物価上昇率2%が永遠に実現しないことを、ただ祈るばかりである。

古賀氏は元経産官僚らしく、日本経済の弱点を「質の良いものを安く」から「良いもの、他人と違ったものを一円でも高く」と云う経営哲学の転換を求めている。その元凶のシンボルが、経団連であることは言うまでもない。20世紀の既得権勢力と言ってもいいだろう。無論、それらの企業や団体に天下る経産省の官僚らの問題もあるが、彼らの多くはフレキシブル対応可能な人材だけに、悪魔にもなるし、天使にもなる。それが、官僚と云うものだ。官僚に、真の仕事をさせたければ、政権が、真に国家を思う場合のみである。

昨日のコラムで取り上げた「働き方改革」も、欧州先進諸国が苦悩して構築した(苦悩しつつある)先進国型経済モデルだが、我が国が、このモデルを、つまみ食いしても、EUの方向に向かうことは、ほとんど不可能だ。世界一のアメリカだって先進諸国ではないかという意見もあるが、アメリカ、意図的に移民を導入することで、餓えた国民を創造しているのだから、常に発展途上国なのである。アメリカの場合は、戦略的に、軍産複合体のような後進的体質と、GoogleやApple、Facebookのような先進的体質とゴールドマンサックスのような金融と云う体質が複合的に存在している、両睨みな国家体質だ。

我が国の場合の現状は、後進的な経団連的な製造業が、一時の成功体験を背にして、政治圧力勢力として実存しつづけ、政治を牛耳る構造から脱却できていない。折りしもオリンピックたけなわだが、日本の経済界も政界も、ご都合主義の“愛国心”を振りかざし、知的ゲームをする気は、さらさらないようだ。結局、中間層の分解で、民主主義が劣化するに任せていた結果、国政選挙に勝つために、票田を持つことにイコールになって、政策が立案実行される。票田としては、経団連、公明党、連合などが、その好例だが、国民個々から、限りなく遠いところで、政治は動く結果になっている。

今国会の「働き方改革」も安倍自民党自体の意志が不明確だ。早い話が、製造業競争で、中国や韓国、アジアに勝つには、安い労働力が必要だ。曲がりになりにも先進経済国である日本が、とても21世紀とは思えない泥んこレスリングを彼らとに興じようとしているのだから、あきれる。潜在的に30億万人以上とみられるアジア全体の労働力と、1億チョッとの人口で、少子高齢化現象の激しい日本が、低賃金で太刀打ちしようと云うのは、あまりに無謀だ。あまりにも無策すぎる。仮に、安全に移民制度が導入できたとしても、日本人同等の数の移民を受け入れても2億人強である。30億の民と、競い合うジャンルは異にすべきと考えることは、しごく妥当だ。

その解は筆者も、他の人々も正解は持っていない。ただ、明治の産業革命を賛美するような精神では、到底考えつかない領域の発想がないと、その正解の影すらも見えないだろう。大雑把に言えば、“付加価値の経済追求”だ。歴史的にひも解いていけば、創造的であるもの、日本的文化の研ぎ澄まし、豊かな四季と自然。禅、茶道、華道、演芸、歌舞伎、漫画アニメ、ゲーム、ソフト、創薬‥等。これら発展途上のアジア人が真似したくても一朝一夕では到達できない分野に特化した、極東であり、辺境であっても付加価値の高い国家を作ることの方が建設的に思える。少なくとも、製造業はアジアに開放せよ(笑)。そして、経常収支の帳尻は、製造業の輸出で稼ぐと云う、骨折り損な政治をやめることである。


≪古賀茂明
「安倍政権では民主党政権下の実質賃金を上回れない現実を報じないメディア」〈dot.〉

 2月7日に厚生労働省が発表した毎月勤労統計調査(毎勤統計)の速報値によれば、2017年の実質賃金は、前年比0.2%の減少だった。「実質賃金2年ぶりマイナス」という見出しを付ける新聞がほとんどだったが、これは明らかに安倍政権を忖度したものだ。2年ぶりマイナスと言えば、マイナスになったのが珍しく2015年と昨年だけがマイナスになったかのような印象を受ける。
 しかし、安倍政権の5年間で、実質賃金がプラスになったのは一昨年1回だけ。あとは全部マイナス。しかも下げ幅は極めて大きい。民主党政権の最終年である2012年の実質賃金指数104.8から昨年の指数100.5まで、比率でみると実に4.1%も下がっているのだ。
 しかし、その点を伝える報道はほとんどない。朝日新聞ですら、昨年一年のことしか触れず、しかも名目賃金は0.4%増えたが、電気料金やガソリン価格の上昇で消費者物価が上がったので実質賃金指数がマイナスになったと解説している(2月7日朝日デジタル)。物価上昇があったので仕方ないという印象操作だ。
 だが、よく考えてみれば、エネルギー価格が上がったのはアベノミクスの第一の矢で円安になった影響も大きい。そもそもアベノミクスは消費者物価上昇率2%を目標にしていて、5年経った今もそれを実現できていない。もしもこれが実現していたら、実質賃金は5%以上のマイナスになっていたはずだ。
 つまり、アベノミクスではどう転んでも労働者の実質賃金を上げることはできないのではないかという不安がどんどん高まる結果が出ているということだ。
 実は、昨年2月に2016年の実質賃金について発表があった時も日本の大手各紙は「実質賃金5年ぶりに上昇」という忖度報道でアベノミクスでついに労働者の生活が豊かになったと勘違いさせるような報道をしている。もちろん、この時も4年続いたマイナスがわずかに戻っただけで安倍政権になってからの通算では大幅マイナスになっているということは報道からは完全に除かれていた。

■人手不足と働き方改革で上がるのは名目賃金だけ
 安倍総理は、経団連企業などに3%の賃上げを求めている。しかし、こうしたうわべだけのパフォーマンスではいくら頑張っても実質賃金は上がらない。というか、上げられないのだ。
 考えてみれば当たり前の話で、企業は儲からなければ賃上げはできない。一度賃上げすると下げるのは困難だから、一時金であるボーナスはともかく、先行きによほど自信がなければベースアップは難しい。せいぜい物価上昇率に合わせて賃上げするのが精いっぱいだろう。それだと実質賃金は上がらない。
 日本企業の業績は好調だが、これはほとんど円安と海外経済の好調さに支えられている。なにしろ、民主党政権時代は1ドル80円だったのが、アベノミクスで120円まで下がった。これは、国際競争の観点では、日本製品のダンピング状態になる。また、労働者の給料は、ドル換算では3分の1下がったことを意味する。
 そのメリットを享受した経団連企業は、今や1ドルが110円を切ると大変だと言って賃上げに慎重になっている。
 これは何を意味するかと言えば、日本の大企業が、依然として途上国型の価格競争をしていることを示している。だから、円高で競争力が失われるのが怖くて賃上げができないのだ。
 毎勤統計で比較可能な最も古い数字である1990年の実質賃金指数111.0。2017年は100.5だから、27年経って9.5%も実質賃金が下がっているということになる。もちろん、非正規雇用者の割合が増えている影響もあるが、こんなに実質賃金が下がったままである国は珍しい。
 実は、これが日本が先進国になれそうでなれないまま没落へと向かっている一つの証となっている。  途上国は、何よりも経済成長を最優先する政策を採る。社会保障、環境、労働などの政策は後回しだ。労働者も、働けば給料が増えるから、労働条件が多少悪くても文句を言わずに働く。子どもは多い方が生活が豊かになるから、出生率も高い。その結果人口が増えるから、いわゆる「人口ボーナス」もあって高成長を遂げることができる。
 そうした段階を経て、経済がある程度の規模に達し、国民一人当たりGDPも上がって豊かになってくると、必ず出生率が下がり、やがて人口減少時代を迎える。社会も成熟して環境意識も高まり、労働条件を向上させようという世論も高まる。人口オーナスと呼ばれる人口減がそれに拍車をかける。
 こうした状況を受けて、欧州先進国は、政府も企業も抜本的な改革に取り組まざるを得なかった。高い賃金と短い労働時間という高い水準の労働条件を前提として国際競争に勝ち抜く企業を作るという非常に難しい課題に取り組んだのだ。その間の苦しみは長期間続いた。概ね20年はかかったのではないだろうか。
 その結果、英独仏、北欧などの諸国は概ねその転換を成し遂げたと言ってよいだろう(もちろん、ドイツ以外は、今も苦闘は続けているが)。
 こうして生まれ変わった国の特色は、「人を大切にする社会」を目指していることだ。
 人が少ない=人は貴重=労働条件は高くて当然という図式が成り立っている。高い労働条件を提示できない企業は淘汰されて当然ということになる。それが先進国なのだ。

■アベノミクスの劇薬と詐欺師の言葉
 日本も90年代以降、同様の問題に直面していた。今日の事態はもちろん30年以上前から予見できた。私は、通産省(現経産省)で課長補佐の時(1991年)に、「時短リストラの時代」というレポートを出して、労働時間の短縮が喫緊の課題だと警鐘を鳴らした。このレポートは衆議院予算委員会の総括質疑でも取り上げられ、共産党の不破委員長に褒められて肝を冷やしたことがある(笑)。
 しかし、その後の自民党政権と経団連企業は、本来立ち向かうべき課題から逃げ続け、人口減少が確実であるにもかかわらず、それに対する備えを怠った。さらに、現に減少に転じた後も、労働条件を上げるのではなく、請負や派遣を拡大して労働コスト削減で競争力を維持しようとしたのだ。
 しかし、それでも日本の基幹産業である電機産業などが韓国、台湾、中国などに連戦連敗で、どうしようもない状況に陥った。そこで繰り出したのがアベノミクスの円安政策だ。これは前述した通り、国際的に見た労働コストを一気に3分の1カットする劇薬だった。
 劇薬という意味は、この円安政策で輸入食料品が高騰し、労働者の生活を急激に苦しくするからだ。しかし、それに対して、安倍政権は、「もう少し待てば、賃金が上がります」という詐欺的な言葉で何とか批判を抑え、期待をつないだ。
 もちろん、5年待っても実質賃金は上がらなかった。エンゲル係数(家計消費支出に占める飲食費の割合。これが高いほど生活水準は低いと考えられている)が上がったのは、円安政策の当然の帰結で、アベノミクス推進者にとっては、労働者の生活水準の切り下げによる企業利益の確保という展開は予定通りだったと言っても良い。
 今後を見ても、2019年に消費税を2%上げれば、消費者物価も1%以上上がる。今までのマイナス4%を取り戻し、さらに増税分も超えて賃金が上がることは考えにくい。そう考えると、安倍首相が自民党総裁に3選されて21年まで首相を務めても、民主党政権下の実質賃金を上回ることはまずありえないという状況だ。
 人口減少による人手不足で、単純労働者を中心に賃上げしなければ人が集まらない状況になっている。これは安倍政権にとっては幸運なことだという見方をする人もいるが、欧州諸国の苦難の歴史を知らない人の言うことだ。
 今やドイツ車と言えば高級車というイメージが定着した。北欧の車は安全な車というイメージだ。これに対して、日本の車は、高品質の割に「安い」というイメージが付きまとう。トヨタがレクサスブランドを作って高級車ブランドを確立しようとしたが、30年近く頑張っても販売台数はドイツの3大高級車ブランド(ベンツ、BMW、アウディ)の半分にも届かず、全く歯が立たない。「高級車の割には安い」というのは決して悪いことではない。だから北米では何とか売れている。しかし、欧州では売れない。「高級車の割には安い」という概念矛盾のイメージは今でも払拭できないのだ。
 その逆に、ベンツは高級車メーカーだというイメージがあるから、ベンツが作れば小型大衆車でも日本車よりも格段に高く売れる。
 日本最強の企業と言われるトヨタでさえ、高賃金でも儲かるビジネスモデルを作るのには相当苦労している。しかも、20年くらいかけて欧州諸国が克服した課題をわずか数年でクリアしろと言われているのだから、その難度は、ウルトラH級と言っても良いだろう。
 とりわけ、中小企業にとっては、人手不足の中での新たなビジネスモデル作りなど考えも及ばないというところも多いはずだ。
 つまり、今まで経験したことのない淘汰の時代が始まっているのだが、無邪気に「働き方改革」、「生産性革命」などと叫んでいる安倍総理の姿を見ていると、とてもそんなことを理解しているようには見受けられない。
 それがまた心配を増幅させるのだ。

■先進国に変われなかった元凶は経産省と経団連
 一時は世界最強の製造業と言われた日本の産業界がなぜ欧州企業とは全く異なり、今日まで低賃金・長時間労働を続けてきたのだろうか。
 その根底にある違いは、「良いものを安く」という日本企業の哲学が完全に途上国型だったということだ。この哲学での成功体験があまりにも大きかったため、「良いもの、他人と違ったものを一円でも高く」という哲学がいまだに定着しない。
 それを象徴するのが経産省の産業政策だ。
 21世紀に入っても、日本の企業の競争力の源泉は「匠の技」と「擦り合わせ」だと声高に唱えた経産省。アップルのパソコンに使用された鏡面仕上げが燕三条の職人の「ミクロン単位の手ワザ」によるものだとか、「川口の鋳物工場の精密な金型技術」が世界一の日本製造業の基盤だなどとはやし立て、これらの企業を表彰し、それを宣伝する冊子を作ってはしゃいでいた。
 そこでは、「擦り合わせ」や「匠の技」は忠実な労働者の「血と汗と涙の結晶」という「美しい物語」が常にセットとなっていた。「汗水たらす」ことが美徳だという哲学が産業界全体を覆っていたのだ。自ずと長時間の滅私奉公が美徳だという世界が維持されてしまった。
 一方、当時欧米の先進企業が力を入れていたのは3Dプリンターの開発とその応用だった。
 今や、3Dプリンターの分野では日本は完全に出遅れた。日本ではおもちゃに毛が生えたようなものだと考えている人もいるかもしれないが、何年も前から、米GEは、航空機エンジン部品の製造を3Dプリンターで行っている。そのおかげで歩留まりもコストも大幅に削減されたという。3Dプリンターで製造すると、切断、切削、研磨、溶接などの工程が大幅に省略できる。日本のお家芸がスルーされてしまうわけだ。
 また、経産省が何かというと旗印にした「日の丸連合」も日本産業の凋落を加速した。世界は「オープン・イノベーション」の時代で、国籍を超えて最先端の強い企業や独立性の高い個人が連携しながら新技術や新サービスを開発していく時代に入ったのに、日本は負け組の日本企業を集めた「日の丸連合」で失敗を重ねた。家電、液晶、半導体、太陽光・風力発電など、最強を誇った産業がことごとく潰されていった。
 しかし、こうした経産省の過ちは、実は経団連企業の経営者たちのできの悪さの証でもある。なぜなら、経産省の政策の多くは、経団連企業の要望をただ具体化しただけのものが多いからだ。もちろん、それは天下りポストの提供の見返りに行われている。
 経団連企業の経営者は、高い賃金を払っても儲かるビジネスモデルなど思いもよらないのだろう。ひたすら経産省に対して、従来のビジネスモデルの維持を前提とした労働コスト削減のための政策ばかりを要求してきた。その結果が今日の円安政策となっている。
 本来は、そうした企業経営者はとっくの昔にクビになっていなければならないのだが、日本ではなぜかいまだに生き延びているのだ。
 しかし、こうした経営者が日本の産業を牛耳っている限り、日本が、「人を大切にする社会」を目指す「先進国」になることは難しい。
 今、真に求められているのは、「働き方改革」ではなく、「経営者の淘汰」なのだ。  
 ≫(AERAdot)

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THE 独裁者 国難を呼ぶ男! 安倍晋三
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●日本から非正規をなくす! 正規の非正規化により実現byABE

2018年02月18日 | 日記

 

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我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち (ブルーバックス)
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●日本から非正規をなくす! 正規の非正規化により実現byABE

安倍政権は、今国会の最重要課題だとして、「働き方改革国会」と位置づけている。“「裁量労働制」によるワーク・ライフ・バランス”であるとか、「長時間労働の慣行を打ち破る」とか、「同一労働同一賃金」、「働き方に左右されない税制」、“非正規という名をなくす”‥等、さも「働き方改革法案」が、労働者の味方とでも言わんばかりの言い回しで、日経、読売、産経の全国紙に書かせまくった。ニュースバライティーでも、バラ色の働き方に解説が加えられている。

一貫して、「経済保守」の立場を貫いている、安倍晋三とその取りまき連中が、そもそも、労働者の味方になるような法案を提出してくるはずがないのは、「経済保守」と云う立ち位置を理解しておれば、今国会で議論される「働き方改革法案」が、グローバル経済の時代において、国家がとり得る経済保守的な振舞いと云うことだ。つまり、平たく言えば、経団連が儲けやすい日本社会を目指すためのもので、労働者の側に立つ認識はゼロと云うことなのである。

アベノミクス+異次元の金融緩和も、この「経済保守」のイデオロギーが具体化されたもので、大企業を儲けさせろ、いずれは、働く者達にも“おこぼれ”がトリクルダウンするであろう、という論法だ。かりに、トリクルダウンと云う現象が、理論に則して起きていれば、格差社会から、階級社会に変貌しつつある我が国のような現状は起きないわけだ。アメリカは、もっと酷い姿で、階級社会は固定化と増大化を繰り返している。

国境の垣根が、どんどん低くなっていくのが、いわゆるグローバル経済世界なのだが、この流れを徹底的に追求しようと云うのが、日米などのTPPを議論した国々の「経済保守」である。つまり、グローバル経済の中で、成功を修めるためには、“モノ・金”の垣根は取っ払ったのだから、米国がトランプ政権で、移民に歯止めをかけている時代に、“人”の側面に風穴を開けておきたいと云うのが、安倍政権や経団連の心根だろう。

まずは、手始めが「働き方改革」なのだが、日本から非正規をなくすと云う言葉は、裏を返せば、正規を非正規化してしまう、そう云う意味である。手始めが、自国民の労働力を安価に手にすることだが、当然、それだけでは国際競争に打ち勝てないので、次なる仕掛けが必要になる。勘のいい方ならお判りだろうが、最終的には“移民”の開放に行きつくのは必定だ。この辺が、筆者などは、日本会議を含むネトウヨ的思考回路と大きくバッティングするのだが、安倍もネトウヨも、知らずに(騙されて)「働き方改革」を推進しているように思えてならない。

おそらく、グローバル経済世界において、数値上の勝者になろうとするのであれば、安倍が勘違いしながら推進する「働き方改革」は正しい。そして、その流れは、必ず“移民制度”に帰結する。しかし、グローバル経済世界において、数値上の勝者として、少子高齢化を強く抱えた我が国が、米中に敵うはずもない。グローバル経済、そしてそのシステムに依存する「経済保守」な立ち位置は、常に米中の後塵を排する位置づけに甘んじることを意味している。

安倍晋三の頭の中の欧米列強には逆らえぬ「普遍的価値」では、整合性があるのかもしれないが、辺境論としての日本や、アジア人としての日本と云う意味での「普遍的価値」は自ずと異なるものと思考する。安倍の政策は、ことごとく、この長州的負け犬根性の延長線上にある。しかし、あまりにも安倍晋三は、嘘の上に嘘を重ね、どこに本音があったかさえも忘れた馬鹿リスのように、獲物を穴を掘っては埋め、穴をほじくっては、餌がないないと目を泳がせている。働き方改革についての具体的検証は、以下の社説と解説に委ねよう。


 ≪(社説)裁量労働拡大 答弁撤回ではすまぬ  
実際に働いた時間にかかわらず、あらかじめ定められた時間を働いたとみなす裁量労働制の利点を強調してきた安倍首相と加藤厚生労働相が、答弁を撤回しておわびした。根拠とした厚労省の調査データに疑義があると野党に追及されたためだ。
 政権は、最重要課題と位置づける「働き方改革」に裁量労働制の拡大を盛り込む考えだ。今回の事態は、首相らの基本認識にかかわる重要な問題だ。答弁を撤回すれば済む話ではない。
 裁量労働拡大を含む規制緩和に前のめりな姿勢を改め、働く人たちの懸念や不安に丁寧に耳を傾けるべきだ。長時間労働の是正こそが喫緊の課題であるという、改革の原点に立ち返らねばならない。
 問題となったのは1月29日の衆院予算委員会での答弁だ。裁量労働制の拡大は長時間労働を助長し、過労死を増やしかねないと追及する野党議員に、首相は「裁量労働制で働く方の労働時間は、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いというデータもある」と反論した。
 裁量労働で働き方が柔軟になればワーク・ライフ・バランスにも役立つとの認識がある。
 だが、首相が答弁の根拠にした13年の調査は一般的な平均値ではなく、実際の労働時間でもない。比較対象の一般労働者のデータにも様々な不備が見つかり、疑問符がついている。
 同じ頃に労働政策研究・研修機構が行った働く人へのアンケートでは、1カ月間の労働時間の平均は裁量労働制の方が通常の労働より長い傾向にあるとの結果が出ている。
 裁量労働を巡っては、不動産大手の野村不動産で、対象ではない営業業務の社員にも適用していたことが発覚し、是正勧告が出されたばかりだ。
 そうした負の側面には触れず、裁量労働制の拡大が労働者のための改革であるかのような答弁を繰り返す政権の姿勢は不誠実であり、国民を欺くやり方だと言わざるを得ない。
 裁量労働の拡大は、野党が「残業代ゼロ」と批判する高度プロフェッショナル制度の創設とともに、経済界が要望してきた規制緩和策だ。労働側の反対を押し切って政府は15年に国会に法案を提出したが、たなざらしになってきた。
 それを「働き方改革」関連法案の中に紛れこませ、残業時間の上限規制導入など労働側が求める改革と抱き合わせで実現しようとすること自体が問題だ。
 政府は近く法案を国会に出す構えだが、懸念や疑問が強い規制緩和策は切り離すべきだ。
 ≫(朝日新聞2月15日付社説)


 ≪馬脚を現し始めた安倍政権「働き方改革」の正体
ゲスト:上西充子氏(法政大学キャリアデザイン学部教授)
マル激トーク・オン・ディマンド 第880回(2018年2月17日)
安倍政権が目指す「働き方改革」の危険性については、この番組でもかねがね指摘してきた。 (マル激トーク・オン・ディマンド第843回(2017年6月3日)『安倍政権の「働き方改革」が危険な理由』ゲスト:竹信三恵子氏(和光大学現代人間学部教授))
 安倍政権は一貫して労働者を保護するための労働法制の規制緩和を目指してきた。2015年にも「高度プロフェッショナル制度」の導入や「裁量労働制」の拡大などを目指して法案を提出したが、野党から「残業ゼロ法案」と叩かれ、世論の反発を受けるなどしたため、成立を断念している。
 しかし、今国会に提出された「働き方改革」関連法案は、過去に実現を目指しながら挫折してきた労働者保護法制の規制緩和はそのまま踏襲しておきながら、労働側の長年の「悲願」ともいうべき残業時間の上限規制という「アメ」を含んでいるため、過去の「残業ゼロ法案」や「ホワイトカラー・エグゼンプション」のような一方的な規制緩和という批判を巧みにかわすような立て付けになっている。
 実際、安倍首相も今国会を「働き方改革国会」と位置づけた上で、所信表明演説で、「戦後の労働基準法制定以来、70年ぶりの大改革」、「我が国に染みついた長時間労働の慣行を打ち破る」などと大見得を切っている。
 確かに今回一括審議されている8法案の中には、残業時間の上限を設ける労働基準法改正が含まれている。現行の労働基準法にも残業の上限は設けられてはいるが、労使で合意した上で、いわゆる「36(サブロク)協定」を結べば上限を引き上げることができる抜け穴があるほか、サービス残業による長時間労働が常態化していることも否めない。
 しかし、労働法制に詳しい法政大学の上西充子教授は、「上限規制」という言葉に騙されてはならないと警鐘を鳴らす。
 確かに今回の法改正には残業について罰則つきの上限が設けられているが、残業の上限を基本的には月45時間と定めておきながら、例外的に月100時間までの残業が認められ、年間の残業時間の上限も720時間まで認められる。月100時間の残業をするためには、毎日平均して5時間残業することになる。抜け穴が多いとされる現行法でも、残業が年360時間を超える場合には36協定が必要とされていることを考えると、毎日最低でも5時間の残業を前提とするこの上限値で長時間労働の打破と言えるかどうかも、よく考える必要があるだろう。
 しかし、今回の法改正の最大の問題点は「残業時間に上限を設ける」ことで労働側に一定の配慮を見せるかのような体を繕いながら、実際は「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」の導入や「裁量労働制」の対象拡大によって、事実上、残業時間の上限自体を無力化させる制度変更が含まれている点だと上西氏は指摘する。高プロや裁量労働は、事実上勤務時間自体に定めがないため、残業が無制限に許容される恐れがある。この対象が拡大されれば、労働基準法上の残業の上限規制など何の意味も持たなくなる。
 しかも、今回、労働組合側は長年の悲願だった「上限規制」が導入されることと引き換えに、事実上の上限規制の抜け穴となる高プロの導入や裁量労働の拡大を含む法改正に同意してしまっている。
 他にも、今回の働き方改革は「同一労働同一賃金」「働き方に左右されない税制」などの文字が並ぶが、その中身は「同一労働同一賃金」の方は非正規雇用者の雇用条件の改善よりも正規雇用者の待遇の低下を、「働き方に左右されない税制」はサラリーマンの所得控除の縮小を意味しているなど、見出しと内実がかみ合わない両義性を含んでいることを、上西氏は指摘する。
 正社員と非正規労働者の待遇に不合理な格差があったり、過労死自殺が後を絶たないような現在の日本の労働環境に改革は必須だ。しかし、その問題意識を逆手に取るような形で、一見労働者の側に立っているかのようなスローガンを掲げながら、実際は労働者の待遇をより厳しいものに変えていこうとする現在の政権のやり方には問題が多い。目くらましのための「アメ」をまぶすことで、その実態を意図的に見えにくくしているようにさえ見える。
 そもそも首相が戦後の大改革と胸を張る「働き方改革」は誰のための改革なのか。今国会の審議で明らかになってきた安倍政権の「働き方改革」の実態と、それが働く者にとってどんな意味を持つのかなどについて、上西氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 ≫(ビデオニュースドットコム)

http://www.videonews.com/marugeki-talk/880/


≪ 安倍政権の「働き方改革」が危険な理由
ゲスト:竹信三恵子氏 (和光大学現代人間学部教授)
マル激トーク・オン・ディマンド 第843回(2017年6月3日)
「働き方改革」がどこかおかしい。
 「長時間労働の是正」や「非正規という言葉をこの国から一掃する」などと公言する安倍首相の下、新たに設置された働き方改革実現会議で、働き方改革のあり方が議論されてきた。その後、電通の新入社員の過労自殺などもあり、改革に拍車がかかったかに見える。
 確かに、日本の長時間労働は改革が必要だ。日本人の働き方が、なかなか昭和の高度経済成長モデルから抜け出せない中、今や「カロウシ」という言葉は英語でそのまま使われるまでになっている。そうこうしている間に、非正規労働者の比率は4割近くまで増え、正規労働者との賃金格差は拡がる一方だ。労働市場の格差が社会の分断の大きな一因となっていることも明らかだろう。
 しかし、安倍政権が標榜する「働き方改革」には注意が必要だ。なぜならば、これまで労働者の声を代弁する野党が、長時間労働の解消や同一労働・同一賃金などを求めても、経済界の影響を強く受ける過去の自民党政権は一顧だにしてこなかったという歴史があるからだ。特に小泉改革以降の自民党政権では、もっぱら雇用の規制緩和が推進され、現在の格差拡大の要因となっている。
 ポイントは現在の「働き方改革」が、果たして本当に働く人の利益を代弁したものになっているかどうかだ。
 ブラック企業の問題などを働く人の側から取材をしてきた和光大学教授でジャーナリストの竹信三恵子氏は、現在推進されている働き方改革には議論のすり替えがあると指摘する。一見、労働者の利益を代弁しているように見えるが、実際は雇用の規制緩和とセットになっていて、最終的にはむしろ格差を拡げる結果に終わる可能性が大きいというのだ。
 例えば、今年3月28日にまとめられた「働き方改革実行計画」では、残業規制として月100時間未満、2~6カ月の月平均を80時間とした上で、違反企業には罰則を課すことが謳われている。しかし、もしこの数字がそのまま労働基準法に盛り込まれた場合、逆にそこまでなら働かせてよい時間の目安になってしまう恐れがある。そもそも労働時間は現行の労働基準法に定められている1日8時間、1週間40時間が基本のはずだが、上限値を決めることで、かえって全体の労働時間が長くなってしまう可能性さえある。
 同一労働同一賃金にしても、ガイドライン案をみる限り、公正な職務評価の仕組みが確立されていない現状の下では、あまり実効性は期待できそうにない。逆に、それが正社員の給与を下げる言い訳に使われかねないと、竹信氏は危惧する。「多様な正社員」などという理屈で正社員の中にも格差を設ける事で、結果的に正社員全体の給与が引き下げられる恐れがあるというのだ。その結果、企業の思惑通りに働かざるをえない“高拘束の正社員”と、低賃金の非正規の雇用の二極分化がますます進むことになる。
 現在の「働き方改革」は本当に働く人たちのための改革なのか。それが実行に移されると労働市場はどう変わるのか。「正社員消滅」、「ルポ雇用劣化不況」などの著書がある竹信氏と、社会学者宮台真司とジャーナリスト迫田朋子が議論した。
 ≫(ビデオニュースドットコム)

http://www.videonews.com/marugeki-talk/843/

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)
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いかに世界を変革するか――マルクスとマルクス主義の200年
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保守の遺言:JAP.COM衰滅の状況 (平凡社新書)
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●黒田の金融緩和が更に5年間? 任期途中で火だるまブン投げか 

2018年02月17日 | 日記



誰が世界を支配しているのか?
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大不平等――エレファントカーブが予測する未来
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大メディアだけが気付かない どアホノミクスよ、お前はもう死んでいる (講談社+α新書)
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講談社


●黒田の金融緩和が更に5年間? 任期途中で火だるまブン投げか 

政府は16日、日銀人事案を提示した。総裁は異次元金融緩和の元祖、黒田総裁の再任で、下手をすると、もう5年、“お金ジャブジャブ政策”の継続を宣言している。お金の行く場所が、国民の懐に入ってくれば、インフレ2%が実現するファンダメンタルは出来上がるだろうが、この5年間、アベノミクスなるものが、生活者の懐に潤いを与えたという話は、ついぞ聞いた覚えがない。まぁ、実質賃金が下がる一方で、インフレ2%も洒落にはならないのだが……。

まして、今回の日銀副総裁の人事案に、日銀プロパーの雨宮氏とは別に、あの超リフレ派学者である早稲田大学の若田部昌澄教授をあてる人事案を提出した。リフレ派の経済政策が、もう使い物にならない、時代遅れになっていることは、元祖ノーベル経済学賞学者のポール・クルーグマンでさえ、軌道修正するに至っているのだから、金融至上主義の限界は見えていた。プチ元祖の浜田宏一氏も、“アベノミクスはどうもムニャムニャ”と宣言する始末だ。あの人も竹中の口車に乗ったのか、晩節を汚したものだ。

このように、リフレ経済学は、功罪の罪が増えることで、世界的に失敗だということが証明済みであるにも関わらず、安倍政権は、サディストさながらに、高橋洋一並みのリフレ派の学者を副総裁(黒田の裏切りへの看視役)に据えることで、断固、金融市場に潤沢な資金供給をするとマーケットに宣言した。黒田も個人的に、異次元金融緩和でしのげると、甘い見通しをした自分を罵っていることは、彼が人間であれば当然だ。

退任した日銀副総裁だった、積極的な金融緩和による物価目標「2%」達成を唱えてきたリフレ派の岩田規久男氏は、オオカミ少年よろしく、講演会などで、いまだにリフレ理論を強弁している(笑)。もう、グローバル金融至上主義経済は、世界において、日本において、一般的な国境を意識した政治との関わりと融合できないレベルまで、別世界にワープしてしまったのだから、人智の及ぶところではなくなった。この異次元な世界から抜け出し、人智によって、人治の及ぶ経済世界に戻らなければならない時期に入っていると云うことだろう。つまり、リフレ派有利な日銀人事を提示したにも関わらず、円安どころか、市場は、円高に大きく振れているのだから、リフレ派経済は、市場からも見限られているとみるのが穏当だ。

ここまで、底が見えてしまったアベノミクスと日銀リフレ金融政策は、“双子の悪魔”のようなもので、恥を捨てても、脱却するチャンスだったが、安倍晋三は、おのれのメンツの為に、またまた、棄民な政策の継続を強行した。安倍の気持ちがわからないわけではない。安倍にとって、世論が評価する経済政策は、八百長があるとしても、株価が、8千円台から2万円台に高騰させたことによる宣伝効果だ。詳しく、日銀の(政府の)、東証上場企業の株式占有率などを分析したら、背筋が凍るほどの惨状になっているのだが、一般国民の目には“日経225”しか見えていない。

安倍は「デフレ脱却宣言」を自らの時代に実現し、名宰相と言われたかったのかどうか別にして、充分“迷宰相”の資格はある。しかし、「デフレ脱却宣言」などしなくても、最近の国民は「株が上がった」と国民に思い込ませるだけでこと足りていたわけだから、アベノミクス+異次元の金融緩和まで、ウィングを伸ばさず、国民目線を誤魔化す戦術に終始すれば良かっただけだ。最近の市場を見る限り、日本の経済は世界経済の好況に支えられ、8期連続のプラス成長なのだ。

無論、アベノミクス+異次元の金融緩和の影響がゼロとは言わないが、今後の出口戦略は、原発廃炉や放射性廃棄物の最終処分場同様、まったく道筋だ見えていない。最後は日本経済をグチャグチャニして政権放棄、“おあとが宜しいようで”と山口に引きさがるのかどうか判らないが、死ぬほど迷惑な奴である。財政も悪化の一途でありながら、NHKなどは、借金は国民一人当り何某と、いまだに馬鹿の一つ覚えを流している。俺は、借金の証文など書いた覚えはない。ネトウヨたちに払わせろ!

8期連続のプラス成長で景気回復といってはみたものの、政府も外需による稼ぎだと云う認識程度はあるようだ。外需主導経済の脆さは為替による影響が濃いわけで、どこかの段階で内需主導の景気の底堅さを、と思っていたのだろうが、少子高齢化における内需の市場は、兜町のように浮かれることはないので、騙すのは容易ではない。常に内需経済は、成長するなりの必然要因がないと動かない。社会保障制度は、支給は少なく、負担は多くと云うサイクルがあるわけだから、国民の吝嗇は更に度を増す。

内需も外需も駄目となると、望むは“戦争経済”という禁句に行きつく。“戦争経済”はたしかに、糞詰まりな国家経済のカンフル剤として効果はある。ただ、当然のことだが犠牲がつきものだ。戦争においては、老いたものが先にゆき、若いものが生き残ると云う自然界の法則が成り立たない。戦争経済においては、自然の法則に逆らうように、若い者ほど死ぬ確率が増えるのだから、尚更最悪だ。しかし、安倍自民の流れには、その傾向が読み取れ、若者ほど、それを支持している傾向まであるのだから、怖いもの知らずにつける薬はなさそうだ。最後に、ドスの効いた浜矩子先生のコラムでお口直しを……。


 ≪浜矩子「グローバルな規模ですさまじいカネ余り状態が広がっている」
連載「eyes 浜矩子」
 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセー「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
*  *  *
世界で株価が急落した。これは終わりの始まりか。
 この株価騒動を巡って、「適温経済」という言葉が新聞の見出しを飾った。ここしばらく、それなりにはやっていた言葉だ。特にアメリカについて何かにつけて使われてきた。だが、総じてグローバル経済の状況に関しても適温談議が広がっていた。適温経済は、その字面が示す通り。万事がほどよい感じで、緩やかな巡航速度で推移していく。
 リーマン・ショック前夜に、これに似た言葉がはやった。「ゴルディロックス(Goldilocks)経済」である。ゴルディロックスはおさげが似合う金髪少女だ。彼女が熊さん親子、3人家族のおうちに迷い込む。そして、ほど良く温かいスープを飲んで、ピッタリサイズのベッドで心地よくお昼寝をする。
 その後の顛末についてはいろいろなバージョンがある。食い殺されるという怖いのもある。熊さんファミリーと仲良く盛り上がるという無難なエンディングの版もある。いずれにせよ、「ゴルディロックス経済」という言い方のポイントは「ほど良さ」にある。まさに適温のスープ。完璧ピッタリサイズのベッド。
 ゴルディロックス経済は、そのほど良さを人々が謳歌しているそのうちに、悲惨な結末にいたった。まさに、食い殺されるバージョンのエンディングに、グローバル経済が全体として突入することになったのであった。
 あの時、ゴルディロックスの3匹の熊さん物語に、残酷バージョンの終わり方があることを、どれくらいの人々が認識していただろうか。言い換えれば、ゴルディロックスと聞いたとたん、なぜ、多くの人々が、適温の後に来る熱さ冷たさの厳しさに、すぐさま思いが及ばなかったのかと、つくづく思う。
 今の状況についても同じだ。そもそも、これまでのどこが適温だったのだろう。
 グローバルな規模ですさまじいカネ余り状態が広がっている。適温どころか、カネのお風呂はぬるすぎてどうしようもない。だから、少しでも高温を求めて危険な湯にばかり入りたがる。そこに、突如として冷水が襲いかかってきた。エンディングはやっぱり怖いほうが正解なのである。
  ≫(AERAdot.:―AERA 2018年2月19日号)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)
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岩波書店

 

ひとまず、信じない - 情報氾濫時代の生き方 (中公新書ラクレ)
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中央公論新社

 

これでも「アベ」と心中しますか? ~国民の9割を不幸にする安倍政治の落第通信簿 (廣済堂新書)
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廣済堂出版

●現代中国研究者がみたカンボジアの現状 中国、米国、日本の存在感

2018年02月16日 | 日記



ベルルスコーニの時代――崩れゆくイタリア政治 (岩波新書)
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習近平は毛沢東になれるのか:「一帯一路」と「近代化強国」のゆくえ
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貧者を喰らう国: 中国格差社会からの警告【増補新版】 (新潮選書)
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新潮社


●現代中国研究者がみたカンボジアの現状 中国、米国、日本の存在感

今日紹介するのは、読むだけでも厄介なカンボジアの現在を、学校教育を通じて現地取材している現代中国研究を専門家東大大学院準教授の阿古智子氏による、カンボジアで見た、華語学校や華人コミュニティのいまと云うルポタージュだ。

この筆者の目からみたルポなので、一概にルポの内容すべてを是認しているわけではないが、現地に行くわけもない筆者にとって、河野大臣がテレビ中継ど真ん中で、居眠りする国会よりも、学ぶことが多かった。縁もゆかりもないカンボジアだが、日本の支援で息をついている国かと思っていたが、筆者の認識不足だった。このルポを通して、ユーラシア大陸における、日米の影響力低下が透けて見えるのは複雑な気持ちになる。

カンボジアの華人とクメール人の問題もさることながら、ベトナム戦争などを含め、時代に翻弄され続けていたカンボジアと云う国が、少しづつ国家の途上の方向性を見出しつつあることは良いことだろう。残念なことに、随分金を使った日本の援助も虚しく、中国との“一帯一路”政策の輪の中で、生きる道を見出しているようだ。しかし、この現地においても、アメリカは嫌われ者のようである。

いずれ、日本でも、嫌いな国NO1は、中国に代わってアメリカが就く日は、そう遠いことではない気がする。今の時点では、“馬鹿言ってんじゃねえ”と思うだろうがね。時代は、そういう流れなのは確実だ。国民が、どの時点で“茹で蛙”に気づき、親米政権にNOと言えるかが、命運の別れ道になるだろう。筆者が生きている内は、反米国家にならないだろうから、わけのわからぬNPOなどを通じて、CIAに“内戦”を起こされることはないだろう。


≪世界で深まる「中国依存」親日国カンボジアでこんなことが起きている
華語学校・華人コミュニティで見た風景
:世界的にリベラル民主主義の価値が減退する一方で、中国のパワーが増大している。実際、海外において中国の影響力はどれほど高まっているのか?
:年末に初めてカンボジアを訪れ、華語学校1や華人2のコミュニティを見て回った。筆者は現代中国研究を専門としており、東南アジアに関しては全くの門外漢だが、視察から見えたことを書いてみたい。 【1、ここでは、中国だけでなく、中華圏で使われている標準中国語を「華語」と表現する。「華語学校」は「華語」を教授言語として主に使っている学校。 2、「華僑」を「中国籍(あるいは中国と他の国の二重国籍)を持ちながら海外で暮らす者」、「華人」を「中国にルーツを持つ外国籍取得者」と区別することが多いが、ここでは、「カンボジアで暮らしている中国系の人たち」を「華人」と一般的にとらえることにする。】
■「中国依存」深めるカンボジア
:日本人にとってカンボジアといえば、カンボジア内戦後に設置されたUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構。
:1992年にパリ和平協定に基づいて設置)やその後のPKOヘの初の自衛隊派遣、さらにはODA(政府開発援助)やNPO(非営利団体)を通しての協力を思い浮かべるだろうか。
:そして、親日国のはずのカンボジアが、最近は中国に取って代わられているというイメージもあるのではないだろうか。
:実際に、内戦後長く、カンボジア最大の援助国は日本だった。しかし、カンボジア中央銀行の報告書は、「2010年より中国がカンボジアの最大の援助国」と記している。
:ただし、中国の援助の中心は有償協力だ。中国への負債が占める割合は、2011年に24.4%であったのが2016年には53.7%に増加し、中国への依存が年々高まっている。
:中国はカンボジアにとって最大の貿易相手国であり、海外直接投資額も、中国が群を抜いて一位(2016年は約5億200万ドル。香港を加えると約7億5100万ドル)で、二位の日本(1億9900万ドル)、三位のベトナム(1億8400万ドル)を大きく引き離している。
:このように、中国はカンボジアにおいて、援助、投資、貿易のいずれにおいても他を圧倒しているが、「見せ方」が上手いことでも話題になっている。
:例えばプノンペンでは、国際協力機構(JICA)が基礎調査や社会実験を行った上で、2014年にバス公社を設立し、公社が中国企業に委託して、路線バスの運行を開始した。
:だが、公社の経営はうまくいかず、中国企業が撤退したため、日本は改めて公社の運営改善を支援することになった。
:そのような経緯があるというのに、2017年7月、中国政府はバス100台をカンボジアに贈呈した。そして今やプノンペンでは、「中国援助 CHINA AID」と大きく書かれたバスが頻繁に見られるようになった。
:1995年に「日本・カンボジア友好橋」のすぐ隣に建造された「中国・カンボジア友好橋」も同様の事例である。
:「日本・カンボジア友好橋」は、1966年に日本の援助で建設され、内戦中に爆破されたが、1994年に日本の無償資金協力で再び開通した。つまり、同じ形の橋が並行して二本走っている。
:確かに、交通渋滞の緩和には役立っているのだが、橋のたもとには中国とカンボジアの記念碑が建設され、「日本・カンボジア友好橋」まで中国の援助で建設されたように見えてしまっている。
:プノンペンの独立記念塔とフン・セン公園を望む場所には、シハモニ国王の肖像を掲げた巨大パネルが常設されている。
:2016年10月13日、習近平国家主席がカンボジアを公式訪問した際には、それと全く同じ大きさと位置に、習近平国家主席の肖像が掲げられた。このパネルに、外国の政治指導者の肖像が掲げられることは滅多にないのだという。
:カンボジア政府が、中国を特別な存在としてアピールしていることは明らかだ。
 ■歴史に翻弄されてきたカンボジアの華人
:プノンペン市内でも地方の農村でも、カンボジアの少なからぬ家の入口には、春聯(中国の旧正月に貼り出す縁起の良い対句)が貼ってある。
:祖先を祀る真っ赤な中華風の祭壇が見える家もある。バイクに乗ってプノンペンの街を駆け抜けるのは、二人乗りならぬ、子どもを脇に抱えての三人乗り、四人乗りの人たち!大きな荷物を乗せたトラックや、荷台に人がしがみついている車も行き交う。
:屋台で売っているのは、熱帯のフルーツやココナッツなどの入ったデザート、ローストした大きな塊肉を吊るしている店もある。海南省とか広西チワン族自治区とか、私がかつて訪れた中国南部の都市に似ているなあ、と懐かしい気持ちになった。
:中国とカンボジアは地理的に近く、歴史的に交易が盛んで、国際政治の舞台においても密接なつながりを保ってきた。
:中国にルーツを持つ華人はおおよそ100万人いると言われているが、彼らは激動の歴史に翻弄されてきた。ここで簡単に、歴史を振り返ってみよう。
:カンボジアの華人は、アンコール朝の時代(9世紀初頭から15世紀半ば)から、交易を目的にカンボジアに移住していたと言われている。
:フランス植民地時代には、5つの方言集団(潮州、広東、海南、客家、福建)の「帮」(同郷、同業、同族などの人々からなる相互扶助組織)への加入を義務づける、帮公所制度を採った。
:当時の華人統治(徴税、出生・死亡・転出入の手続き、警察権等)はシェフ(chef)と呼ばれる人物に委ねられていたが、その強大な権力を抑制しようと、各帮は「会館」を組織し、墓地や寺院の管理、病院や学校の運営など、さまざまな社会事業を行った。
:20世紀初めには、植民地政府が安価な労働力確保のため華人移民奨励政策を実施し、大量の華人が移住した。都市部だけでなく地方にも多くの華人が移住したが、彼らはクメール文化を積極的に吸収し、クメール人との通婚も進んだ。
:独立後のシアヌーク政権時代(1953〜1970)には、華語教育が盛んに行われるようになったが、カンボジア政府がクメール人優位政策を推し進め、主要な職業には現地国籍を持つ人しか就けなくなった。
:華人子弟の中には現地国籍を取得する者も出てきたが、それによって、華人とクメール人の境界はより曖昧になった。
:現地国籍の取得は容易ではなく、国籍が取得できなかった華人は、公立学校に入学できず、その意味でも、華語学校の重要性が高まった。
:1970年、北ベトナム軍の南ベトナムへの侵攻を黙認したカンボジアに憤慨したアメリカは、シアヌークがモスクワを訪問している間に、ロン・ノル将軍によるクーデターを支援した。ロン・ノルは軍事政権を樹立し、華語学校の閉鎖を指示した。
:1975年、アメリカのベトナムからの完全撤廃が確実になり、ロン・ノル政権が崩壊すると、ポル・ポトがクメール・ルージュを率いてプノンペンに乗り込んだ。
:毛沢東に感化され、極端な共産主義を信奉するポル・ポトは、自分を支持する農村部の人間を除く、都市部の知識人を徹底的に殺した。宗教を禁じ、寺院を破壊し、学校を閉鎖し、共産主義の敵だとして、貨幣さえなくした。
:まさに、中国で毛沢東が行った大躍進政策や文化大革命と同じようなことが、カンボジアでも行われたのだった。そして、華語教育は再び全面的に禁止され、中国語は使用できなくなり、華人はクメール人と共に農村への強制移住を余儀なくされた。
:1979年、ベトナム軍がカンボジアに侵攻し、ポル・ポト政権は崩壊した。これにより、ようやく華語教育の復興に向けた取り組みが始まったが、10年に及ぶ国内の混乱で華語の教材はほとんどなくなり、華語を読めない華人が増えていた。親ベトナムのカンボジア新政府には、華人の動きに警戒感もあった。
:1990年代に入ると、カンボジア政府は対華人政策を緩和し、同年8月、国内の華人社団の復活と華語学校の再開を許可した。
:カンボジアの経済開放政策が進み、中国からの投資が増大するなか、中国語の重要性は急速に高まっている。華人の多い地区では次々と華語学校が再開し、華語ブームは華人以外のコミュニティにも広がっている。
 ■クメール人と華人の子どもが並んで学習
:教室では、授業開始時間になっても椅子と机が足りず、子どもたちは3人掛けの椅子に4人座ったり、入口付近のベンチに団子状態になって集まったりしている。
:教師が、よその教室から机と椅子を持ってこさせた。クラスを入れ替えながら授業を運営するため、机と椅子が足りなくなるのだろう。
:教室を見渡すと、肌の色が濃い子どもたちがあちらこちらに見える。両親あるいは父母のどちらかが、クメール人かそのルーツを持つのだろう。
:教師は、当てた生徒がうまく発音できないと、「ピシャッ」と音がなる、ムチのような細い木の棒で教壇を叩いて怒鳴った。
:「違うじゃないの、この発音よ。聞きなさい!」延々と発音を繰り返し、例文を棒読みさせている。いかにも古いタイプの教え方だ。それでも、純朴な子どもたちは楽しそうに声を出しているのだが――。
:これは、カンボジアでの視察で訪れた華語学校のうち、海南帮が創設した集成学校の華語の授業を見学させてもらった時の一幕だ。カンボジアで生まれ育ったという、華人の年配の女性教師が、クラス全員で教科書の例文を繰り返し発音させていた。
:子どもは背が高い子も低い子もいた。華語のレベルによってクラスを編成しているから、年齢がまちまちなのだ。弟を連れてきて、横に座らせている子もいた。親が仕事に出ている間、子守を頼まれているという。
:それにしても、ここは首都の学校なのか……。建物は古く、壊れたところが修繕されていない。教室に設置されているのは黒板だけ。
:二部制で、クラスごとに固定して教室を使っていないからだろう。子どもの作品を展示したり、クラスの目標を紹介したりといった、通常見られるような教室の風景が見られない。
:政府の認可を受けていない、北京の出稼ぎ労働者の子どもたちが集まる学校でも、もう少し学習環境が整っていた。カンボジアの近年の経済発展は目覚ましいが、それでもここはまだ、発展途上国なのだ。
:カンボジアでは中国語学習熱が高まっており、東南アジア最大規模とも言われる潮州帮創設の端華学校など、今では生徒数が1万6000人にものぼり、分校や新しい校舎が建っているが、集成学校は華人が少ない地域に移転しなければならなくなったため、生徒数は約1000人から200人に減り、小規模校として存続している。
:大半のカンボジアの学校のように、集成学校も午前と午後の二部制を採っており、午前に華語による教育を受ける生徒は、午後は他校のクメール語のコースに通う。
:クメール語のコースを併設している華語学校もあるが、集成学校は華語コースのみ設置している。
:1950〜60年代、高校レベルまである学校もあったが、現在の華語学校は中学レベルまでしかない。カンボジアで生活し、高校、大学と進学するためには、クメール語の学習も重要だ。
:華語学校が使う主要な教科書は、カンボジア華人理事総会がカンボジア政府の認可を得た上で、各学校に配布している。
:「常識」の教科書を見せてもらったが、カンボジアの政治情勢や地理条件などを考慮した内容だった。教科書の編集には、中国・広東省の暨南大学の専門家らが参加している。
つづく ≫


(続き)
 ≪いま親日国カンボジアの人々が中国に共感し、米国を嫌悪する理由
現地を歩き、中国の影響力を見聞きした
【中国のパワーはいま、世界でどのように強まっているのか? 長年、中国の貧困問題を研究してきた阿古智子氏がカンボジアで見た、華語学校や華人コミュニティのいま――。】
 ■華人のルーツを隠して生き延びる
:前回紹介した集成学校では、王漢校長に話を聞くことができた。
:王校長の祖父は漢方医だったが、カンボジアに移住したのち、薬剤を売る仕事をしていた。
:財をなした祖父は、息子(王校長の父)を上海やイギリスに留学させ、息子は薬剤販売の仕事を引き継いだという。
:王校長は、自分がクメール語が話せない理由をこう説明した。
「シアヌークの時代は、都市部は中国人が住むところだった。中国語ができなければ見下されるぐらいだったんだ。自分はクメール語を勉強しなかったから、今も話せない。若い世代は違うけどね」
「1950年代のフランス統治下では、中国人は利用されたところもある。自分と同じ世代の、今70歳ぐらいの人たちは、戦乱のなかで育った。クメール・ルージュの時代には財産を没収され、農村に下放させられた。農村では、中国語の名前をクメール語に変えた。着るものも食べるものも不足していた。市民が農村に送られたプノンペンは、もぬけの殻で、兵隊が占拠したような状態だったよ」
:テカテカと紅潮した肌が若々しさを醸し出しているこの王校長は、今年69歳だというが、50代ぐらいに見える。 「公務員は60歳で退職するけどね。うちは社会団体が設立しているというので、公立のカテゴリーに入っているけど、実際は私立と同じ。政府からは干渉もされないけど、補助もない。自分はまだまだ働くよ」
:帮公所制度については前回のコラムで説明したが、今も会館は学校の運営をバックアップしている。集成学校を支える海南会館の重要な財源の一つは、聖母宮に集まるお布施だ。
:聖母宮は航海・漁業の守護神である水尾聖娘(南天夫人)を祀る廟で、海南島東北部沿岸や東南アジアの華人が信仰している。
:中国では媽祖(まそ)信仰が有名だが、媽祖は宋代に実在した管理の娘、黙娘を神格化したのに対して、水尾聖娘は海南島の自然神だという。
:聖母宮に行ってみると、親の代から聖母宮を管理しているという40代ぐらいの人がいたが、クメール語しか話せないようだ。少しすると、華語を話すおじいさんがやって来た。
:72歳のこのおじいさんは、父方・母方の祖父が100年前に海南島・海口の文昌県からカンボジアにわたり、胡椒を栽培していたという。
:フランス料理店のコックをしていたが、10年前に退職し、子どもたちは皆成長し、孫はアメリカや上海で働いている。
:おじいさんは端華学校で9年間教育を受けているため、華語を流暢に話せる。奥さんは潮州出身で、家で話す言葉は95%が潮州語とクメール語だという。
:おじいさんは、父が亡くなった「1978年12月26日」を明確に覚えていると何度も話した。
「ポル・ポトの時代、自分は30代初めだったが、父は葉っぱしか食べ物がなくなって、栄養失調でお腹が膨れて、餓死したんだ」
「自分は若い頃からコックをしていたが、財産を没収されて、1975年4月には農村に強制移住させられたよ」
「クメール・ルージュの後方部隊にも参加した。あの頃は、本当に食べるものがなかったんだ」
■仕事があれば国は乱れない
:友人の運転する車に乗り、プノンペンの雑踏と渋滞から抜け、田園風景を見ながら2時間ほど走った。
:道路沿いに建てられている政党の看板は、ほとんどがフン・セン率いる与党・人民党のものだ。
:「野党の看板を入口に立てているような村は、冷や飯を食べさせられているみたいだよ。道を舗装してもらえないとかね」と友人が解説してくれた。
:人民党の強硬な態度は、日々エスカレートしている。
:昨年9月、最大野党のカンボジア救国党のケム・ソカ党首が「国家反逆罪」の容疑で捕まり、11月には、最高裁判所が同党の解散を命じる判決を言い渡した。
:2018年に総選挙を控え、危機感を強める人民党は、昨年2月、「党の代表が有罪となった場合、その党は解党しなければならない」という条項を政党法に追加していた。
:コンポントラジュ市に到着し、覚群学校を訪問した。幼稚園から中学まである生徒数1624人、教師数41人というマンモス校だ。
:私は、地方にもこれほど規模の大きな華語学校があるのかと、正直驚いた。
:中国語、クメール語、英語で教育が行われている。浙江省温州出身の厳興龍校長は、1995年にカンボジアに移住して以来、20年以上華語教育に携わってきた。
:厳校長はカンボジアに来る前、温州でライターの工場を経営していたのだが、アジア通貨危機の前触れだったのか、温州の景気は急激に後退し、厳校長は工場を維持できなくなった。
:祖先は潮州出身という、カンボジアで生まれ育った奥さんと出会って結婚した。夫婦共にこの学校で働いている。
:覚群学校は100年以上の歴史がある。1970年代半ばにカンボジア政府に一度閉鎖させられたが、1993年に再開した。
:近年の華語学習ブームの到来で、生徒数は増加を続けており、本来1クラスに40人が定員であるところ、60〜70人も詰め込まなければならない状態だ。そのため、新しく3階建ての校舎を建設している。
:この辺りも、海南島から多くの人が移住しており、海南帮のネットワークがカンボジア華人理事総会の活動を支えている。
:カンボジア華人理事総会のメンバーは、最近では、150人の貧困学生の学費を免除するための資金集めに奔走した。
:毎学期の学費は中学部が80ドル、小学部は40〜60ドルだという(学年によって異なる)。教師の月給は450ドル程度。カンボジア華人理事総会から50ドルの補助が出る。
「中国大陸の大都市の給料の基準で考えれば、皿洗いよりも少ないんだよ。カンボジアは社会保障制度が整備されていないから、退職金も年金もない。 カンボジア華人理事総会で公的なシステムをつくる話もあるけれど、実現にはまだ遠いね。公的な制度ができれば、教師をローテーションさせられる。教師が不足しているところを補うことができるのだがね」
:最後に厳校長はこのように言った。
「子どもが成長して、仕事が持てるようになれば、国は乱れない。盗みとか、ひったくりとか、悪いことをしなくなる。金持ちの子どもも同じだけどね。遊ばせていたらダメだ」
:同じようなことを、集成学校の王校長と聖母宮で会ったおじいさんも言っていた。
「私の感覚だと、カンボジアの生徒は6割が明確な目標も持たずに遊んでいる。ギャンブルにはまる中学生もいる。農村から都市に出てきて、苦学を厭わない子もいるのだが。 “一帯一路”で、華語ができる人のチャンスは確実に増えている。華人だけでなく、クメール人も、農村の人たちも、中国語を熱心に勉強している。 ちょっとした通訳ができれば、月に200ドル、300ドル稼げる。プノンペンならこれでは生活できないが、農村だったら、これで家族を養えるんだ」
「昔は海南島の親戚へ送金したり、服を送ったりしていたよ。中国は貧しかった。今はどうだ。中国の改革開放政策はいい。今、カンボジアは人民党と野党がもめているけどね。やはり、自由と民主が一番だ。国が強くなれば、人々は豊かになる」
■アメリカへの強い嫌悪感
:カンボジアの華人は激動の歴史を生き抜くため、華人のルーツを隠してクメール語の名前をつけ、現地に溶け込んできた。
:フランス統治下で、華人は決められた集団の中でしか活動できなかったし、クメール・ルージュの時代には、家族や親戚を殺された人や餓死した人も少なくない。
:中国が直接介入してカンボジアを統治したことがないにしても、国外追放されたシアヌークは中国政府の協力を得て亡命政権を結成し、中国の要人たちとポル・ポト派の橋渡しをした。 
:そのような過去を振り返れば、中国との関係にも慎重になる人が多いのだろうと思っていたが、私が今回会った人たちのほとんどが、中国との関係を前向きに捉えていた。
:また、対照的だったのが、アメリカについて悪く言う人が多かったことだ。
:知人の紹介で会った弁護士は、長年、アメリカの団体が支援する司法改革のプロジェクトにも関わってきたが、アメリカを痛烈に批判した。  
「カンボジアは小国で、大国の影響を受けやすいんだ。農業が中心の国で、貿易赤字も大きい。 アメリカは日本と同様、カンボジアに多額の援助をしてきたが、“人権”“民主”“法の支配”と条件を押しつけ、プロジェクトの資金はアメリカに戻っていくようなやり方だ(筆者注:プロジェクトを担当する米国人専門家に多額のお金が支払われているということだろうか)。 あなたたち日本は、援助でビルや道路を残してくれたが、アメリカは何を残したというのか。自分は十年以上、アメリカの組織で働き、歴代の米国大使にも会ってきたが、東側のやり方と西側のやり方は大きく異なると感じている」
「カンボジアは共産主義にも、西洋社会にも偏らず、中道を歩んできた。アメリカ主導でできたSEATO(東南アジア条約機構)1も全く機能しなかったし、今は野党や外国勢力にカンボジア政府を否定させている。最近の在米カンボジア人の強制送還2も非人道的だし、カンボジアの状況を理解していない」
「カンボジアはクメール・ルージュの時でさえ、中国からアドバイスこそ受けたが、独立の立場は保った。この20〜30年間、カンボジアは(米国の)プロパガンダに振り回された。 カンボジアは敗者だからどうしようもないが、“中国の傀儡”(puppet of China)なんかではない! 中国のやり方は、それぞれの国が自分で決めるというスタイルなんだ!」
 (つづく)≫

【1、SEATO(東南アジア条約機構):アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン、パキスタンの8カ国が、対共産圏包囲網の一環として結成した。マニラ条約への調印で1955年に正式に発足したが、ジュネーブ協定で軍事同盟への参加を禁じられた南ベトナム、カンボジア、ラオスも、一方的にマニラ条約の適用範囲に入れられた。SEATOは東南アジア地域の政治・経済・軍事統合の触媒となるはずだったが、ベトナム戦争でもその機能は果たせず、1977年に消滅した。 2、移民を制限する米国は、米国で有罪判決を受けたカンボジア人への送還協力が不十分だとして、カンボジア外務省の関係者に対してビザ発行の制限を課した。昨年12月3日には米・国務省が、米国は難民・移民の保護強化に関する国連の枠組み「ニューヨーク宣言」から離脱したと発表。これを受けて、フン・セン首相は今年初め、難民として米国に渡り、米国で国外追放処分となったカンボジア人に自国へ帰還するように呼びかけた。】

【参考文献】 上林俊介「カンボジアにおける華人と華語学校の歴史」西野節男編著『現代カンボジア教育の諸相』2009年、東洋大学アジア文化研究所 大塚豊「カンボジアにおける華人・華語学校の断絶と復興」西野節男編著、同 掲書 木村文「中国はカンボジアに買われたのか」『海外事情』2017年10月号 野澤知弘(2008)「カンボジアの華人社会-華語教育の再興と発展」『アジア研究』Vol.54, No1.
 ≫(現代ビジネス:国際・阿古智子東京大学大学院準教授)




マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉 (NHK出版新書 542)
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誰が世界を支配しているのか?
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貧者を喰らう国: 中国格差社会からの警告【増補新版】 (新潮選書)
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新潮社

●既得権をかさにきる危篤状態の、耄碌・民進党 野党結集の足手まとい 

2018年02月15日 | 日記

 

不平等との闘い ルソーからピケティまで ((文春新書))
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文藝春秋

 

国家の教育支配がすすむ──〈ミスター文部省〉に見えること
クリエーター情報なし
青灯社

 

(141)偏差値好きな教育“後進国”ニッポン (ポプラ新書)
クリエーター情報なし
ポプラ社


●既得権をかさにきる危篤状態の、耄碌・民進党 野党結集の足手まとい 

いまの民進党の状態をみていると、今にも息を引きとりそうな爺さまの姿が目に浮かぶ。その傍らには、最期の遺言を一字たりとも聞き漏らさない態勢で、なんにんかの家族が息をひそめて成り行きを見つめている。来年の参議院選挙が近づいた段階で、旗幟を鮮明にせざるを得ない参議院議員たちだ。臨終寸前と世間から見られている民進党から立候補することは、みずから崖から飛び降りるも同じで、当選の可能性は殆どない。

ただし、現時点は既得権の領域である地方組織や政党助成金があるので、分党という話でも出ない限り、みすみす臨終寸前の組織に、おのれの取り分をくれてやる気にはなれない。これが、現在の民進党参議院議員の心境だろう。衆議院議員は無所属なのだから、次の衆議院選間近になって、引退するか、個人の力量で無所属で出るか、“立憲”から出馬するかを判断するのだろう。民進党が名前を変えても、党名でのメリットを享受出来ると考えるほど馬鹿ではなかろう。

まして、崩壊寸前の希望の党からの出馬などは、これはまったく考えられない。つまり、民進党の無所属議員は個人の力量で出馬するか、引退するか、“立憲”に行くしかなくなる。財務省の支援受ける野田佳彦などは、自民党から出馬すれば結構なことである。野田は、安倍に、借りを返せと言いに行くべきである(笑)。野田が野党に居る理由は皆無だ。

つまり“立憲”の枝野は、現時点は、“待てば海路の日和あり”という心境なのだろう。ここしばらくは、政局が”凪状態”なので、枝野色を前面に打ち出して、安倍内閣を舌鋒鋭く追求する、本来の野党の矜持のようなものを、予算委員会の模範質疑を構築しようと試みているようにみえる。今国会での目玉法案「働き方改革関連法案」における安倍首相等の答弁が、ことごと虚偽のデータに基づいていたわけだから、最初からやり直すの当然だ。これが、安倍や菅がよく口にする“公正公平の原則”ではないか。

安倍首相は、文韓国大統領に鼻であしらわれた“米韓軍事演習再開”への言及で、不安になったらしく、「パパ、強硬姿勢で良かったんですよね?」とトランプに泣きついた。当然表向きは強硬姿勢堅持のワシントンは、「そうだよ、強硬姿勢堅持だよ」そう答えるのは当然だ。インテリジェンスの中で、韓・北朝鮮の融和外交に表向き水を差すのも憚られるわけだから、ワシントンの対応は、結構難しい面がある。北朝鮮は、韓国との融和政策外交を国際舞台で見せつけた状況なので、ワシントンは、この状況を無視は出来ない。

日本や韓国が相手であれば、白は黒、黒は白と言わせるだけの力があるが、北朝鮮、後ろに控えるロシア、中国。そして国際社会全体の目である。ワシントンみずから、現状の韓国・北朝鮮の雪どけムードをぶち壊す主役は控えたいものだ。となれば、この国際的に非難を受ける主役が、安倍首相に押しつけられるのは、理屈上正解だ。つまり、気がつくと、安倍晋三ひとりが、北朝鮮強硬論を唱えているのには困ったものだ風味の国際世論が生まれる国際外交の妙なところである。


≪ 立憲・枝野氏突出 連携に消極的、他の野党不満
 立憲民主党の枝野幸男代表が国会論戦で政府追及の急先鋒(せんぽう)として存在感を増している。だが、他の野党からは、野党連携への踏み込み不足に不満の声が出ており、政府を追及し切れない遠因になっているとの指摘もある。
 「間違った根拠に基づく議論がされた。時間を浪費させた責任を取るべきだ」。枝野氏は14日の衆院予算委員会の集中審議で、裁量労働制で働く人の労働時間の長さに関し、誤ったデータをもとに答弁を続けてきた政府の責任を追及。計算の根拠になったデータをすべて示すよう求め、加藤勝信厚生労働相から「どういう形で出せるかを含め対応したい」との答弁を引き出した。
 学校法人「森友学園」への国有地売却で財務省理財局長(当時)として、文書は「廃棄した」と答弁した佐川宣寿国税庁長官を巡る問題では、「国民の納税意識に深刻な禍根を残す」と厳しく批判した。待機児童問題では当事者の母親たちに行ったヒアリング調査をもとに、2020年度までに32万人の保育の受け皿を整備するとした政府に算定根拠をただした。
 枝野氏は14日の予算委で党に与えられた質問時間(107分)を全て1人で質問。憲法改正などでも理詰めで安倍晋三首相らに迫った。野党の質問時間の比率が減らされたことや野党分裂による「多弱」化が進んでいることを背景に、1人の質問者が長時間の質問でしつこく政府側を追及し、問題点を浮き彫りにするというのが枝野氏の狙いだ。
 だが、こうした枝野氏の姿勢に対し、他の野党からは「十分な野党の連携が取れていない」(民進幹部)と不満が漏れる。質問項目などに関し事前に野党間で調整し協力すれば、効率的に政府を追及できる。本来は野党第1党の党首として、こうした連携を主導すべき立場にいるが、その役割を果たすことに熱心ではないという不満だ。
 一方、立憲は地方組織の確立に力を入れているが、16都道府県連を設立し、地方議員100人が入党するにとどまっている。民進党が地方組織の存続を決めたことが影響しているとみられている。地方組織拡充のためにも党の「一枚看板」である枝野氏に期待せざるを得ないという事情もある。 
 ≫【毎日新聞:影山哲也、真野敏幸】


≪ずさん答弁撤回、首相異例のおわび 与野党対立へ火に油
 安倍政権が今国会の最重要法案と位置づける「働き方改革関連法案」をめぐり、安倍晋三首相が14日の衆院予算委員会で、先月の答弁を撤回し、おわびした。首相が国会で答弁を撤回し、謝罪するのは異例だ。長時間労働を助長するとの指摘が根強い裁量労働制をめぐるやりとりが、なぜこのような経緯をたどったのか。
 首相が撤回したのは、裁量労働制で働く人の労働時間についての答弁。1月29日の衆院予算委で「平均的な方で比べれば、一般労働者よりも短いというデータもある」と語った。野党や専門家から、「一方的なデータだけを言っている」などの批判が出ていた。
 「不適切なデータだったのは間違いない。これ以上国会であの数字を言い張るのは難しい」。撤回劇について、厚生労働省幹部はこう解説する。
 首相が答弁の根拠とした「労働時間等総合実態調査結果」は、厚労省が2013年10月にまとめたもの。当時検討されていた裁量労働制の対象拡大などについて議論の参考にするための資料だ。それによると、裁量労働制で働く「平均的な人」の労働時間は、一般労働者より1日20分前後短かった。
 だが、双方の算出方法は異なり、「そもそも比較できる性質ではなかった」(厚労省幹部)。裁量労働制では1日の労働時間を調査したのに対し、一般労働者については1日の残業時間のみを調査。この平均値に法定労働時間(8時間)を足す形で1日の労働時間を算出していた。8時間未満しか働いていない人を含み、過大なデータとなっていた可能性がある。
 厚労省は今国会の首相答弁のため、問題のデータを含む資料を首相官邸に提供したという。ある厚労省幹部は「何であんなデータを官邸に出したのか不思議だ」といぶかるが、別の幹部は「あえて言及する必要はなかったが、首相は野党に反論したかったのでは」とみる。
 裁量労働制は実際の労働時間にかかわらず、一定時間働いたとみなして残業代込みの賃金を払う制度。野党側は「長時間労働を助長する」などと対象業務の拡大への批判を強めている。
 批判をかわそうと、政府は過去の国会でもこの調査データを持ち出していた。15年7月の衆院厚労委で塩崎恭久厚労相(当時)が同じデータに言及し、「むしろ一般労働者の方が平均でいくと長い」と答弁。17年2月にも同様の答弁をしていた。
 裁量労働制を巡る国会審議で首相が再び取り上げたことで今まで以上に注目され、データへの疑義が露呈。「ずさんな答弁」が浮き立った。(米谷陽一、贄川俊) 予算審議優先「撤回するならスパッと」  首相がデータを「精査する」と答弁したのは13日の衆院予算委。翌14日午前、自民党議員の質問に答える形で撤回に踏み込んだ。
 突然の方針転換は、自民党の国会運営の司令塔である森山裕国会対策委員長にも「寝耳に水」だった。公明党幹部との会合直後の14日朝、西村康稔官房副長官から知らされた。すでに衆院予算委が始まっていた。
 自民党国対幹部は、政府が自民、公明両党に十分な説明をしないまま一方的に撤回を決めたことに「緊張感がない」と不満を口にした。ただ、「法案はまだ国会に提出されていない。むしろいいところで気づいた」とも漏らした。
 実際、裁量労働制の対象拡大を盛り込んだ「働き方改革関連法案」は国会に提出されているわけではない。「撤回するならスパッとしてしまおうということだ」。厚労省幹部はこう語った。
 背景には、新年度予算案の審議があった。1月29日の首相答弁が引き金になり、国会日程に影響が出始めていた。政府・与党は今月中の採決を目指しているが、その前提となる中央公聴会の開催について、野党は態度を硬化。首相答弁が撤回されない限り、中央公聴会の日程協議に応じない姿勢を示した。開催がずれ込めば、衆院通過も遅れかねない。
 結果的に首相答弁を撤回し、予算審議を優先させた形になった。ただ、首相答弁が迷走した影響は読み切れない。自民の閣僚経験者は「首相答弁を撤回するのはひどいな。まずい」と漏らし、予算案の衆院通過後に待つ働き方改革法案の審議への影響を懸念した。
 政府は法案を27日にも閣議決定し、国会に提出する方針。法案は、長時間労働の是正を図る法案と、裁量労働制の対象拡大の法案が「一本化」されているが、本格審議が始まれば裁量労働制をめぐる論戦が大きな焦点になる。
 自民党の岸田文雄政調会長は14日の記者会見で「データはしっかりとしたものを用意しないといけないが、(法案の)趣旨は変わることはない」と強調。自民党幹部の一人も「首相が撤回した答弁は、法案自体に影響するデータだとは思っていない」と語る。
 そんな中、安倍政権が今国会で最重要テーマと位置づける「働き方改革」が、法案の国会提出前につまずいた。これまで一本化した法案の「分離」を求めてきた野党は攻勢を強める。立憲民主党の枝野幸男代表は14日、記者団にこう語った。「一度、法案を撤回してもう一度考え直す(べきだ)」(笹川翔平、別宮潤一)  
 ≫(朝日新聞デジタル)


≪ 日米首脳電話協議:対北朝鮮、最大限まで圧力方針確認か
 安倍晋三首相は14日夜、トランプ米大統領と電話で協議した。核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対し、圧力を最大限に高める政策を維持することを確認した模様だ。北朝鮮が、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に訪朝を要請するなど南北の融和ムードが高まる中、「対話のための対話」には応じないとの認識もすり合わせ、北朝鮮に核放棄を迫る姿勢を改めて強調するものとみられる。
 首相とトランプ氏との電話協議は今月2日以来、19回目。
 また、首相は14日の衆院予算委員会で、「日米間にはお互いにサプライズはないと確認している」と述べ、北朝鮮対応で日米両政府が緊密に連携していることを強調した。
 平昌冬季五輪開会式出席のため、韓国を訪れていた際、レセプション前にペンス米副大統領が急きょ、首相の部屋を訪れ、意見交換した後、一緒の車でレセプション会場まで向かったことも明らかにした。
 また、首相は、日本の大半を射程に収める北朝鮮の中距離弾道ミサイル「ノドン」について「既に数百発配備されている」と述べた。ノドンに核搭載が可能かについては「搭載できるほど核兵器を小型化し、起爆できるかについてはさまざまな情報に接しているが、確たることは答えられない」と説明した。【竹内望、田中裕之】
 ≫(毎日新聞)


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●一国の総理としてあるまじき品性下劣 朝日を口汚く罵る

2018年02月14日 | 日記

 

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●一国の総理としてあるまじき品性下劣 朝日を口汚く罵る

朝日新聞でも誤報はあるだろう。そのような間違いは、他の新聞社でも似たり寄ったりだ。おそらく、朝日は、安倍の右翼思想に真っ向対立するイデオロギーを持つメディアだと云う認識が、右翼思想に染まった、日本会議の連中や安倍晋三にとって、目の上のタンコブなのだろう。以下、産経新聞が嬉しそうに記事にしているところを見ると、産経も安倍に極めて親和的な報道をしていることが判る。

我が国の右翼思想の大いなる誤りは、明治回帰という、歴史に対するご認識が根っこにある。現在の日本の右翼の歴史観は、古事記、万葉集の奈良時代から、一足飛びに明治へと突入する。彼らの多くが、鎌倉、室町、江戸時代などを亡きものにしているところが笑わせる。特に、江戸時代に対して強い憎しみがあるようだ。この辺は、なぜなのか、まだ解明はしていない。やはり、八百万の神や神仏合体などは許せぬ感覚なのだろう。国家神道なんだからね(笑)。

朝日を非難すると元気の出る安倍晋三だが、批難する言葉の中には、執拗に、過去の過ちをあげつらうわけだが、その執拗さは、韓国が慰安婦問題で執拗に日本を攻撃している姿にダブって見える。その韓国を見下して、米韓軍事演習を延期や中止してはいかんよ等々、見下した態度に終始したのだが、韓国・文大統領に「内政干渉だ!アンタに言われる筋合いはない」そんな感じの反ばくに遭い、目を白黒させたあとなので、イライラのはけ口を探していたのだろう。

安倍にしてみれば、日米韓の関係において、蚊帳の外的立ち位置になってしまったことに苛立ちと不安をつのらせているということだろう。韓国と北朝鮮の間に融和ムードが出てきた現状は、安倍の思惑を大きく揺さぶる事件に違いない。北朝鮮の脅威を旗印に、軍事大国化を目指しているわけだから、その北朝鮮が、アメリカとも対話するような事態になれば、妄執中の「憲法改正」の勢いは、一気にしぼむ。大袈裟に北朝鮮を悪魔化し、Jアラートなどで、国民に恐怖感を与え、軍拡の姿勢を支持して貰う戦術に穴が開くわけで、精神的不安定が如実に現れた姿なのだろう。

北朝鮮の非核化は絶対にあり得ないが、ミサイル開発の凍結レベルであれば、ジョンウンにも妥協の余地があるかもしれない。トランプにしてみれば、韓国や日本を攻撃する軍事力を持つ程度は、妥協してもいいだろう。アメリカ本土に届くミサイル開発を凍結するのであれば、経済制裁の一部解除くらいの話なら応じる用意はあるだろう。アメリカにとって、重要なのは、本土防衛なのだから、そういう政治決着はありだ。もうそうなると、安倍が自民党総裁である必要などなくなる。多くの自民党国会議員も胸をなでおろすに違いない。


≪安倍晋三首相、朝日新聞の“誤報”列挙し批判
 13日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相が朝日新聞の過去の“誤報”を列挙し、誤りをなかなか認めない同紙を批判する場面があった。
 首相は、学校法人「森友学園」をめぐり学園側が「安倍晋三記念小学校」との校名を記した設立趣意書を提出したと報道した朝日新聞を「全く違ったが、訂正していない。(趣意書の)原本にあたり、裏付けを取るという最低限のことをしなかった」と批判した。
 朝日新聞は6日付朝刊で、記事掲載に至った経緯を検証した。首相は、この記事を取り上げた自民党議員のフェイスブックに「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」とコメント。予算委で、希望の党の今井雅人氏に首相自身が書き込んだのか問われて「私が書いた」と認めた。
 その上で、検証記事について「裏付けを取らなかったことへの言及がなく、あきれた」「今まで(の朝日新聞の姿勢)をずっと見てきて、予想通りだったということを述べている」と語った。
 首相は、自民党幹事長代理だった平成17年、NHK番組の放送前に政治介入したと報じた朝日新聞の記事にも言及。「かつてNHKへ圧力をかけたという捏造(ねつぞう)報道をされたことがある」「彼ら(朝日)が間違っていたと一度も書かない。私に一度も謝らない」と語気を強めた。
 元年に朝日新聞カメラマンが沖縄県のサンゴに自ら落書きして報じた件や、東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」をめぐる誤報も取り上げ、「なかなか謝らなかった」などと述べた。朝鮮半島で女性を強制連行したとする故吉田清治氏の偽証の報道については「日本の誇りを傷つけた」と批判した。
  ≫(産経新聞)


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