世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●甘利は嵌ったに過ぎない STAPの小保方晴子は嵌められた

2016年01月31日 | 日記
日本の神々 (講談社学術文庫)
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●甘利は嵌ったに過ぎない STAPの小保方晴子は嵌められた

世間では、“SMAP騒動”も一時の踊り場に到達、次のステップを踏むことになるのだろうが、筆者は小保方晴子嬢の“STAP騒動”の方が断然興味深いし、闇は深いと感じている。今夜は時間がないので、多くは触れないが、当初から、あまりにもバレバレな所業に出てしまった小保方嬢への社会的制裁に違和感を憶えた。以下は、リテラが、小保方嬢の最近の著書『あの日』(講談社)を引用しながら、STAP細胞事件について、一定の推理を試みている。

甘利大臣の汚職の臭いのする事件も、大臣辞任で幕引きのようだが、根は、企業献金が許される土壌に、なんら違和感も覚えない、政治家であり、メディアと云うことだ。日本は政治に金がかかるからと云う理由で、政党助成金制度を導入したはずだが、いつの間にか、政治資金報告書に記載されていれば、企業献金もOKになっている。政治家個人にではないが、小選挙区では、その選挙区の政党事務所は、議員個人の事務所も同じ実態。ただの抜け穴にすぎない。

イギリス型とアメリカ型の、議員に都合の良いところを掻き集めたような制度で、理念そのものがない。企業献金、個人献金自由自在であるなら、政党助成金を廃止するのが筋だ。アメリカように、スーパーPACまで勝手にすればいいのである。少なくとも、安倍官邸が自民党議員を召使のように駆使して、政権の権力維持に使われるだけで、政党助成金の概ね欠点だけが露わになっている。検察人事にも睨みを利かせているだろうから、最高検も特捜を動かそうとは思っていないだろう。

小保方嬢のSTAP細胞事件では、ノーベル賞級だと褒めそやし、次に嘘つき女だと寄って集って辱めたメディア。そして、聖女が、実は魔女だったと云うストーリーに世間は、姦しくメディアに同調した。どちらかと云うと、女性陣の方が、激しく小保方嬢を罵った向きもある。割烹着を着ていた点で、女性の武器を駆使したのではと?訝ってのことかもしれない。たしかに、小保方嬢の研究人生の中には、そのようなニオイがしないでもない。しかし、だからと言って、望んで、あのような証明不能な科学的検証結果を公表したと云うイコールは成り立たない。

少なくとも、彼女がSTAP細胞事件の主犯と云うのは、違和感たっぷりだ。科学にはあまりにも門外漢なので、筆者には、検証不可能なのだが、彼女を取り巻いていた男の研究者グループに、疑惑の目を向けるのは、本当は捜査のイロハだったのだと思う。理化学研究所の調査委員会の調査が、そのような心理的状況を踏まえて捜査検証した痕跡はない。情動とか、総云う類の諸条件を加味しない無機質な検証に終始したはずだ。

しかし、そのような人間関係を加味して検証されていれば、必ずしも小保方嬢犯人説に一方的に走ることはなかったと推理出来る。研究に介在した多くの男性研究者の取り巻き、特に直属上司連中は、疑惑の人達に加えられるべきだった。しかし、彼らに疑惑を向けることは、理化学研究所の本質部分を抉ることになるので、理化学研究所の調査委員会は、立場主義として、他に類が及ばない道を選び、疑惑の人を多数とする立場を忌避したに違いない。まあ、上昇志向が強かった小保方嬢の墓穴でもあるのだろうが、世間は魔女説で溜飲を下げているように思える。こういうところにも、感情の劣化が垣間見える。


 ≪ 小保方晴子氏が手記出版で反撃!
STAP細胞は若山教授が黒幕、私は捏造犯に仕立てられた、と…
 ちょうど2年前のきょう、1月28日は、あのSTAP細胞が大々的に発表された記者会見の日だが、そんな日を選んで、小保方晴子氏 が反撃に出た。昨日からメディアで大きく報道されているように、手記『あの日』(講談社)を発売したのだ。本サイトはいち早く手記を入手したが、本のなか で小保方氏は、〈STAP細胞に関する論文発表後、世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます〉と謝罪しつつも、一連の「捏造」疑惑に真っ向から反論していた。

 といっても、小保方氏が今もまだ「STAP細胞はあります!」と言い続けているということではない。
周知のように、STAP細胞は、論文の捏造、データ改ざんに端を発して、小保方氏のでっちあげではないかという疑念が向けられるようになった。さ らには、STAP幹細胞への変化やキメラマウスの作製の過程で、小保方氏がES細胞を混入させたという可能性が取り沙汰され、理化学研究所の調査委員会の 調査でも、小保方氏の実験室に残されていたSTAP幹細胞やキメラマウスがすべてES細胞由来であることが判明。「STAP細胞はなかった」と結論付けられた。

 しかし、小保方氏は、STAP幹細胞の培養やキメラマウス作製はすべて論文の共著者である若山照彦・山梨大学教授が主導していたと断言。にもかかわらず、途中でその若山氏に手のひらを返され、捏造の犯人に仕立てられてしまったと主張しているのだ。

 同書によれば、そもそも、小保方氏は「スフェア」と呼ばれる球状の細胞塊がストレスによってOct4陽性細胞に変化する過程に着目していただけで、万能細胞の作製に積極的だったわけではなかったという。ところが、当時、理研CDB(理 化学研究所発生・再生科学総合研究センター=当時)にいた若山氏に相談したところ、「Oct4陽性細胞という多能性を示す細胞が採取できるならば、キメラ マウス作製こそが最重要なデータであり、iPS細胞のような(無限増殖できる)幹細胞ができるかもしれない」と勧められた。
 だが、若山氏が実験を何度も試みてもキメラマウスはできてこなかった。この時点で小保方氏は「ES細胞から作製されるようなキメラマウスはできないというのも重要な結果の一つ」と考え、論文のテーマは細胞変化過程にしようと思っていたという。

 しかし、若山氏は諦めようとしなかった。そして、ある日、若山氏から小保方氏に驚きの知らせがもたらされる。
〈ある日いつも通りスフェアを(若山氏に)渡すと、「これまではスフェアをバラバラの細胞にしてから初期胚に注入していたが、今日からはマイクロナイフで切って小さくした細胞塊を初期胚に注入してキメラマウスを作ることにした」とおっしゃった。それから10日後、若山先生からキメラができたと連絡を 受けた。その上、残りの細胞をES細胞樹立用の培養液で培養したらES細胞の様に増えだしたと報告された。毎日、スフェア細胞を培養し観察していた私は、 細胞が増える気配すら感じたことがなかったので大変驚いた。「特殊な手技を使って作製しているから、僕がいなければなかなか再現がとれないよ。世界はなか なか追いついてこられないはず」と若山先生は笑顔で話していた〉

 だが、結果は知らされても、自分の眼で確かめたわけではない。自分で確認がしたいと思った小保方氏は「培養を見せてください、手伝わせてくださ い」と申し出たというが、若山氏には「楽しいから(一人でやる)」「ES細胞の樹立も研究者の腕が重要だから、自分で行いたい」と拒否された。
 また、キメラマウスやクローンマウス作製の技術を「教えてほしい」と申し出ると、若山氏はこんな返事を返してきたという。

 「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」
 小保方氏はこうした経緯から見ても、自分が“ES細胞を混入させた”というのはありえないと主張するのだ。

  〈STAP細胞からのキメラ実験は、若山先生が作製方法をSTAP細胞塊をバラバラに注入する方法から、マイクロナイフで切って入れる方法に切り替 えた時に初めて成功している。もし私がES細胞を渡していたのなら、細胞塊をバラバラにしてキメラマウスを作製していた当初からキメラマウスの作製に成功 していたはずである。そうではなく、実験方法を切り替えた時にES細胞を渡していたとするなら、連日行われていたキメラマウス作製実験において、若山先生 が実験方法を変えるタイミングを予期し、そのタイミングに合わせてES細胞を若山研の誰にも知られずに準備し、ES細胞研究の第一人者である若山先生にば れずに渡すことが、果たして可能であっただろうか〉

 そのうえで、小保方氏はこう書く。
〈後にSTAP細胞と名付けられる細胞の存在の証明が、キメラマウス作製の成功、もしくは増殖する細胞であるSTAP幹細胞への変化であるなら、「STAP細胞の作製の成功・存在の証明」は常に若山先生がいなければなしえないものになっていった〉

 明言はしていないが、もしSTAP細胞が捏造とするならば、それは若山氏がやったとしか考えられないと言っているのだ。

 小保方氏はそれを裏付けるような若山氏の乱暴なやり口も次々と暴露している。まだ未申請のヒト細胞を使った実験に関して、「行ったのはその承認後 だったということにすればいいのです」とメールで指示してきたことや、若山研究室ではデータの扱いが非常に恣意的だったと指摘する。

〈若山研では、胚操作によって作製されたマウスを使った重要なデータを補佐するためのデータは「飾りのデータ」と呼ばれ、まず結論へのストーリーに 合う仮のデータを「仮置き」の形で図表として用いて論文執筆を行う方法がとられていた。(中略)ストーリーに合わない、つじつまの合わない実験結果は、 「このままでは使えないのでやり直すか、データとして使用しないように」と指導を受けた〉

 また、スフェア細胞からのキメラが胎児だけではなく胎盤も形成していることが発見された時についても、疑惑の目を向けている。胎盤の形成はES細 胞などでは起こりえない現象で、事実なら大発見だが、若山氏は小保方氏に〈スフェアからのキメラマウスの胎盤だというもの〉を渡し、「組織学的に解析して ほしい」と依頼をしてきたという。ところが、若山氏はその解析結果を待たず、2012年4月頃にはTS細胞と呼ばれる、胎盤を形成する能力のある幹細胞株 を樹立する培地でスフェアを培養する実験を開始。後に「FI幹細胞」と名付けられる幹細胞株を樹立した。

 この間、小保方氏は〈若山先生が作製したキメラマウスなど論文の主題となる実験結果の補佐となる細胞の遺伝子解析などを任されていたが、解析に用 いる幹細胞は培養を担当していた若山先生から受け取り実験を行うようになっていった〉〈実験に使用するマウスは若山先生から渡され、私が作製したスフェア は、若山先生が計画した他の研究員が進める実験にほぼすべて使用され、自身で解析などを進めることができない時期が続いた〉と、ほとんど蚊帳の外だったと いう。

 ところが、論文にデータの改ざんなどが発覚し、疑問が向けられ始めると、あんなに積極的だった若山氏の姿勢は一変する。若山氏はNHKの取材に「論文を撤回したほうがいい」と回答。さらに、キメラマウスづくりに使ったSTAP細胞が、自分が小保方氏に渡したマウスと同一のものであるか、に疑念があると考え、自分の手元に残っていたSTAP幹細胞を第三者機関に解析に出したのである。

 若山氏がそのような態度をとったことに対して、同じ論文の著者の丹羽仁史氏は小保方氏に「ハシゴを外されたんや」と述べたという。
 そして、14年3月25日、小保方氏に渡したマウスと若山氏が解析したSTAP幹細胞のマウスの系統が違うとの報道が出た。解析結果が出た6月に は、若山氏が会見を開き、正式に「STAP幹細胞を第三者機関によって解析した結果、若山研にはけっして存在しなかったマウスの細胞からできていた」と発 表。小保方氏がES 細胞を混入させたという見方が広がっていく。

 〈私は混入犯に仕立て上げられ、社会の大逆風の渦に巻き込まれていった。私は「若山研以外からのサンプルの入手経路はない」と事実を述べ、「実験してはっきりさせる」とコメントを出すしかなかった〉
 しかし、その後、理研の調査によって、若山氏の会見内容は間違いであることが発覚。STAP幹細胞と若山研のマウスは別物でなく、〈若山研で飼育されていたマウスに由来している〉ことがわかっている。   つまり、小保方バッシングの材料とされた、若山氏が発信源の情報は事実ではなかったということらしい。

 他にも、小保方氏は同書の中で、若山氏の不可解な動きをいくつも指摘している。著者間で合意していた「ネイチャー」論文の撤回理由書を若山氏が勝 手に書き換えてしまったこと、さらには、若山研にいた頃に作製され、大切に箱に保存していたサンプルのいくつかが、箱の中から消えていたこと……。たとえ ば、サンプルの消失については、こう書いている。

〈これが解析されていれば、STAP細胞としてキメラ実験に用いられていた細胞の由来が明確にわかったはずだった。(中略)STAP細胞からのテラトーマの実験も複数回行われていたが、それらのサンプルもなくなっていた〉

 もちろん、こうした主張を全部鵜呑みにするわけにはいかないだろう。実際、TCR再構成の証明がきちんとなされていないことや、テラトーマの画像取り違えなど、十分な説明をできていないことも多い。

 しかし、一方では、このSTAP細胞問題では、理研や若山氏、亡くなった笹井芳樹氏の言動にも不審な点は多く、小保方氏が不可解に感じるのももっともな部分もある。

 あのSTAP問題をから騒ぎで終わらせないためにも、若山氏にはぜひ、反論をしてもらいたいものだ。  ≫(リテラ:伊勢崎馨)

現代語訳・徒然草 (河出文庫)
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●混乱の極地・黒田総裁 何がしたいのか判らず“メ●ラ滅法”

2016年01月30日 | 日記
財務省と政治 - 「最強官庁」の虚像と実像 (中公新書 2338)
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●混乱の極地・黒田総裁 何がしたいのか判らず“メ●ラ滅法” 

29日の東京株式市場は、黒田日銀総裁の「禅問答」で大混乱を引き起こした。売買のプロたちも、この黒田の世迷言が、日本経済に何をもたらすのか、測りかねて、右往左往したと云う一日だった。真正面から解釈すれば、市場が要求していた「金融政策第三段」の積りなのだろうが、ジャブジャブのマネーの行き所がないので、日銀の対銀行預かり金に対して、一定以上預けたら、ペナルティーのようなマイナス利息、つまり、逆に利息を取るよと言ったわけだ。

このような手段に黒田日銀が出なければならなかった原因は、二回の異次元金融緩和策が、景気の好循環をひき起せなかった証左だと言える。異次元金融緩和で、円安と株高は演出出来た。つまり、景気の気の字は達成した。しかし、竹中平蔵が言うように、「気」だけが動き、実体経済は、上向きになることはなかった。今回の、日銀初のマイナス金利政策も、何かを政策上行っているような振りをするための、政策になるのは必定だ。逆に、国際金融世界では、円安を誘導するがための為替ファイナンス政策と映る可能性が高い。事実、円は対ドル121円台にまで売られた。

金曜日はたまたま、市場参加者が、日銀のマイナス金利政策の影響を測りかねて、迷える子羊状態のところに、過度の円安が見えてきたので、狼狽的買いに走ったとみるべきだ。本質的に、資本主義の原点に立つのであれば、成長の確実な証拠は、利息の高まりからしか生まれないので、この弥縫策は、時間とともに、現実の不況を、日銀が認知した証左だと言える。黒田総裁の言い訳に耳を傾けてはいけない。金融マンの詐術言論に騙されるだけである。幾ら金融的テクニックに長けていても、実際の景気を左右する能力など、実は金融政策などに存在しないのは明らかだ。安富氏ではないが、黒田日銀総裁の「東大話法」に過ぎない。景気の事実は、事実以外が牽引することは不可能だということを証明した。

来期、円安政策で幻の好況感を醸していた輸出製造業も、減収減益予想になろうとしていただけに、それは現時点では、安倍政権にも、経団連にとって不都合な真実だ。嘘をつきだしたのだから、死ぬまで嘘をつき通すのが、安倍政権のアベノミクスと日銀の異次元金融緩和の運命だ。つまり、死ぬまでやめられない、チンパンジーの自慰行為なのである。そういえば、黒田総裁は猿顔、丁度お似合いだろう。まあ、前日銀総裁の白川方明のことを、筆者も何もしないで無能日銀総裁のように、足ざまに貶していたのだが、筆者の無知によるジャッジだった。深く反省している。

同志社大浜教授の言を借りるまでもなく、世界経済は縮小期に入り、典型的少子高齢化が進む我が国経済が成熟期である事実から目を背けた。つまり、定常経済国家のパイオニアが日本なのだ。何も、嘆く必要はない。先進諸国が、我々の後から金魚の糞のごとく繋がって来るのは、常識的見解だ。よわい七十の爛熟国家だと思えばいいだけで、嘆き悲しむ必要など皆無だ。淡々と余生を愉しめばいい。まだまだ、100年は充分食べていける。二十代も嘆かずとも良い。爺婆が幾ばくかの遺産を残してくれる。そして、君達は、二十世紀のエコノミック・アニマルと異なる、欧米価値観とも異なる、日本の価値観を、見いだすチャンスに恵まれた、そう云うことだ。

朝日新聞の記事では、黒田総裁の公表内容をレクチャー通り伝聞的に伝えたに過ぎない記事を載せている。

≪ 日銀、マイナス金利を導入 日本の金融政策で初
 日本銀行は29日の金融政策決定会合で、金融機関が日銀に任意で預けるお金に付ける利子をマイナスにする「マイナス金利政策」の導入を決めた。2月16日から実施する。金融緩和で金融機関にたまったお金が貸し出しに回るよう促す。日本の金融政策でマイナス金利政策の導入は初めて。日銀は、「異次元」として始めた金融緩和手法の大きな転換を迫られた。 政策委員9人(総裁、副総裁2人、審議委員6人)のうち、賛成5人、反対4人で決めた。日銀の決定を受け、東京株式市場では日経平均株価が一時、前日終値より600円近く上昇。為替相場は一時、前日午後5時時点より2円70銭以上円安ドル高の1ドル=121円50銭近辺まで円安が進み、約1カ月ぶりの円安水準となった。その後、急速に値を戻し、日経平均は一時、前日終値を270円超下回った。
 金融機関は、融資量に応じて日銀にある当座預金口座にお金を預ける義務がある。日銀は、決められた額を超えた預金に対して年0・1%の利子を付けていたが、預金残高の一部の金利をマイナス0・1%に下げることにした。
 マイナス金利の下で金融機関は、預金量に応じて日銀に利子を払わなければならず、損失を被る。このため、金融機関が損を減らそうと預金を引き出し、貸し出しなどに回すように促す狙いがあるとみられる。マイナス金利政策は、欧州中央銀行(ECB)などですでに導入されている。
 日銀は2013年4月以降、金融機関から大量の国債などを買い上げ、資金を供給する大規模な金融緩和を続けてきた。この結果、国債などの代金が金融機関が日銀に持つ当座預金口座にたまり、直近の残高は253兆円と、同年3月末の4・4倍に膨張した。
 しかし、銀行等の貸出金の残高は、大規模緩和を始めた時点から直近で8・3%しか増えておらず、「緩和マネー」が日銀の口座に滞留していた。緩和から3年近く経っても消費者物価指数の前年比が0%近くの横ばいが続いており、今までの手法では、前年比2%上昇の物価目標を達成できないと判断したとみられる。
 日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁の「異次元」緩和は、金融市場に流し込むお金の量を増やし続けることで物価上昇を狙った。「量」を積み上げる政策は維持したまま、「金利」を上げ下げする政策も同時に導入することで緩和効果を高める狙いだ。
 また、日銀はこの日の会合で、先々の経済成長率や物価の見通しを示す「経済・物価情勢の展望(展望リポート)」をまとめた。今回の政策変更の効果を加味したうえで、16年度の生鮮食品を除く消費者物価の上昇率を、昨年10月の前回リポートでの1・4%から0・8%に引き下げ、17年度(消費増税の影響を除く)は1・8%で据え置いた。物価目標の達成時期はこれまでの「16年度後半ごろ」から「17年度前半ごろ」に先送りした。  会合終了後の29日午後、黒田総裁が記者会見で決定内容を説明する。(福田直之)   
   ◇
 〈マイナス金利〉
 金融機関が日本銀行に持つ当座預金のうち、任意で預けている額について、マイナスの金利をつける政策。手数料を取られる形になる金融機関は、日銀に預けていたお金を企業や個人への貸し出しに回すことが期待され、結果として経済の活性化につながる可能性がある。日銀は今回、この当座預金口座の金利全体をマイナスにするのではなく、0・1%、0%、マイナス0・1%と3段階に分け、金融機関の収益が大きく悪化しないよう配慮した。 ≫(朝日新聞デジタル)


今回の日銀、マイナス金利政策を掻い摘んで上手に解説していたのはブルームバーグだった。以下は、その解説である。

≪(ブルームバーグ):日本銀行は29日の金融政策決定会合で、0.1%のマイナス金利による追加緩和に初めて踏み切ることを5対4の賛成多数で決め た。原油価格の下落に加え、年初からの国際金融市場の混乱や盛り上がりに欠ける春闘の賃金交渉により、物価目標の2%達成時期が遅れるリスクが高まったことから、さらなる後押しが必要だと判断した。
・金融機関が保有する日銀の当座預金に0.1%のマイナス金利を適用する。
・「今後、必要な場合、さらに金利を引き下げる」としている。具体的には当座預金を 3段階の階層構造に分割し、それぞれの階層に応じてプラス金利、ゼロ金利、マイナス金利を適用する。2月16日からの準備預金積み期間から始める。貸出支 援基金はゼロ金利で実施する。
・この決定に対し、木内登英審議委員、佐藤健裕審議委員、石田浩二審議委員、白井さゆり審議委員の4人が反対票を投じた。ブルームバーグが22日-27日にエコノミスト42人を対象に行った調査では、追加緩和予想は6人(14%)にとどまっていた。
・日銀はマネタリーベースが年約80兆円に相当するペースで増えるよう金融市場調節を行う方針を据え置いた。長期国債、指数連動型上場投資信託(ETF)、 不動産投資信託(J-REIT)の買い入れ方針も維持した。これまで「16年度後半ごろ」としていた2%物価目標の達成時期は「17年度前半ごろ」に後ずれさせた。達成時期の先送りはこの1年に限っても3回目。
・黒田東彦総裁は21日の参院決算委員会で、マイナス金利について聞かれ、現時点でマイナス金利を具体的に考えていることない、と述べていた。

■「恐ろしく劇的」
・第一生命経済研究所の熊野英生首席エコノミストは、日銀はマイナス金利について、副作用が多いとして否定的な見方をしていたので「前言を撤回した」と指摘、「欧州中央銀行(ECB)に追随したのだと思う」と述べた。まだ影響は整理できていないとしながらも、10年債金利がマイナスなる懸念に言及し、「恐ろしく劇的な動きだと思う」と語った。「景気が良くなればなるほど、金利のマイナス幅が拡大ということになるかもしれない」とも述べた。
・黒田東彦総裁は午後3時半に定例記者会見を行う。決定会合の「主な意見」は2月8日、「議事要旨」は3月18日に公表される。決定会合や金融経済月報などの予定は日銀がウェブサイトで公表している。
・SMBC日興証券の牧野潤一チーフエコノミストは「マイナス金利の主な狙いは円高阻止だろう。金利は為替取引の利潤に直接影響を与えるため、為替市場に対して量的緩和よりも直接的な効果が大きい。マイナス金利であれば、円を買っても金利を払わなければならないため、円買いのインセンティブを低下させる」と指摘。マイナス金利には「通常の金利差による円安効果がある」としている。

■Q&A
・日銀は決定発表と同時に、「本日の決定のポイント」とQ&Aを公表した。それによると、マイナス金利の導入に当たり、 金融機関収益への過度の圧迫により金融仲介機能が低下するようなことがないよう、3段階の「階層構造」を採用し、ある残高まではプラス金利ないしゼロ金利とする。
・金融機関がマイナス金利の日銀当座預金の代わりに金利ゼロの現金で保有すると、マイナス金利の効果が減殺されるため、金融機関の現金保有額が大きく増加した場合、その増加額を当座預金でゼロ金利が適用される部分から控除し、マイナス金利がかかるようにする。同様に階層構造方式を採用しているスイスはマイナス0.75%、スウェーデンはマイナス1.1%、デンマークはマイナス0.65%など、大きめのマイナス金利が適用されているという。
・マネタリーベースの拡大(現在の方針は年間約80兆円の増加)に伴い、 日銀当座預金残高は増加していくことになるが、マイナス金利が適用される部分が適切な規模となるように、適宜のタイミングでゼロ金利が適用される部分を増加させるとしている。

■反対意見
・伊藤忠経済研究所の武田淳主任研究員はマイナス金利の導入について「国内限定で外的要因に対しての効果は期待できない」としながらも、「2%の物価目標の達成に対する日銀の真摯(しんし)な姿勢を示したことで投資家には安心材料になる」と指摘。マイナス金利を導入し、さらに金利を引き下げる可能性を示したことで、日銀は「追加緩和をする余地を作った」と評価している。
・マイナス金利の導入に反対した白井委員は理由として「量的・質的金融緩和の補完措置導入直後のマイナス金利の導入は資産買い入れの限界と誤解される恐れがあるほか、複雑な仕組みが混乱を招く恐れがある」と述べた。
・石田委員は「これ以上の国債のイールドカーブの低下が実体経済に大きな効果をもたらすとは判断されない」と指摘。佐藤委員は「マイナス金利の導入はマネタリーベースの増加ペースの縮小とあわせて実施すべきである」と述べた。また、木内委員は「マイナス金利の導入は長期国債買い入れの安定性を低下させることから危機時の対応策としてのみ妥当」として反対した。


色んな東大話法が繰り出されているが、それほど難しい話はしていない。日銀の金融政策が功を奏していない。だから、こうなったら破れかぶれだから、思いつく手を何でも打ってやる。金融政策の失敗は、-100点も、-5点も、失敗という市場評価は同じだ。だったら、自分の腹が痛むわけじゃないから、日本初、世界初の墓標を日銀黒田は望んでいるとしか思えない。高橋是清を目指して、澄田智総裁になるムードが鮮明になってきた。しかし、澄田は、超バブル経済を演出するべく機能した金融緩和だったが、黒田の場合、バブル経済を忌避する大多数の国民を踊らせることも出来ず、傷心のまま退任する運命なのだろう。

まあ、澄田の時代には、日本経済に成長の糊代が残っていたから、三重野のオッサンが異様なバブル潰しで多くの日本人を路頭に迷わしても、最終的に立ち直ったが、今度、三重野のような人が総裁になり、異次元金融緩和を引き締めた時は、狂気的貸しはがしの世界が日本国中を席巻し、阿鼻叫喚と云う修羅場を見るのかもしれない。弱り目に祟り目だが、安倍自民党を選択し、経済優先に執着した結果だから、有権者が天に唾したと云うことになる。3月、4月は、相当な荒れ相場がやっくる感じがして仕方ない。ブルーチップな高配当株も一旦は金現物にでも替えた方が良いのかもしれない。しかし、甘利大臣の辞任劇ショックを、こんな目●ら滅法な金融政策で糊塗しようと云う情けなさは、官房長官の陰謀だろうな(笑)。

三酔人経綸問答 (岩波文庫)
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●怖いもの見たさで突き進む国民 立場主義と云う行動反美学

2016年01月29日 | 日記
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もう「東大話法」にはだまされない 「立場主義」エリートの欺瞞を見抜く (講談社+α新書)
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●怖いもの見たさで突き進む国民 立場主義と云う行動反美学


著書、『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語』で、日本の権威に一石を投じた東大教授・安富歩氏と小野美由紀氏のインタビュー記事が現代ビジネスに掲載されていた。明治維新以降の強固な中央集権統治システムの弱点や、江戸時代まで営々と築いてきた「家制度」の崩壊が意味するもの。そして、国家が「個人」を「徴兵」を通じて管理し統治する強固なシステムの延長線上に、現在の日本はある。明治維新以降の日本人は個々の「立場主義」の精神に貫かれている。このようなシステムの欠陥は、二重人格的国民を醸成する。FacebooksとTwitterの関係性に似ている。俗にいう、“本音と建て前”にも同じことが言える。

安富氏らしい、“らしさ”への抵抗姿勢なのだが、筆者が氏を初めて知ったのは、ビデオニュースドットコムの出演がキッカケだ。当時は、濃い髭を生やし、サングラス姿で出演していたが、後々、公開授業などの映像を見ると、坊ちゃんポイ顔立ちの壮年だった。そして、今回のインタビュー時には女性装という出で立ちである。人生を愉しんでいるなとニヤリとしたが、赤裸々な告白を読むと、決して、愉しんでいるわけではなさそうだ。ただ、面白い現象は、現代ビジネスサイトの読まれているランキング1位になっていることだ。まさに、「立場主義」を離れたところで、良い意味でTwitterな日本人の顔が覘いているのだろう。このままじゃ駄目だまでは気づいているが、それをブレイクスルー民力がない。

もっと正直に、自分の疑問を社会に訴えかける日本人が多くなればいいと思うのだが、Facebooks的には、言えないのだろう。しかし、選挙と云うシステムは、本来、Twitter的であるべきものだが、なぜか、Facebooks的な投票行動に終始しているのが、日本人だ。無論、自民党を支持することにおいて、本音も建前も自民党と云う人がいるとしても、09年には民主党が勝ったのだから、日本人全体が、本音も建前も同じ、裏も表もございませんと云う話に説得力はない。しかし、甘利大臣が辞意を表明しても、野党が、議員辞職まで追求したとしても、山が動くと云う気配は感じない。国民から、現状はファイティング・スピリットが消えている。再生もあり得るだろうが、いつのことやら。

どこか、怖いもの見たさで、日本人は突き進んでいる。集団自殺に突進するネズミの群れのように。個体が増えすぎて集団自殺はあるだろうが、減りすぎて困っているのに、集団自殺と云うのも納得できない。筆者は常々、行き着くところまで行った方が、方向転換に舵を切るのも、選択肢の一つだと書いているが、日本人には、こういう集団的行動原理のDNAでもあるのかと、疑いたくなることが多い。所謂、大きな意味で集団で切れてしまうのだ。簡単に言うと「ヤケクソ」の精神、毒を食らわば皿まで食べてみないと納得できない情動が働くのかもしれない。

武士道などに見られる行動美学にも、そういう類はあるし、三島由紀夫率いる楯の会においても、似たような心理が働いていたように思える。ゆえに、予防原則などの概念を語っても意味がないのかな、と思えてくる。あまり書くことはないが、原発を止めさせるには、もう一発過酷事故が起きれば、流石にやめるだろうと云うのに近い。そういうことなら、安倍さんに対中戦争まで頑張って貰い、ゼロからやり直しも是とするか。その時の見ものは「第二次東京裁判」だが、A戦犯として裁かれるのは習近平か安倍晋三か。そんな妄想に耽れば、次期参議院選とかW選とか、どっちでも良くなる。今夜は、デカダンスでbニヒルに(笑)。


≪ なぜ日本の男は苦しいのか?
  女性装の東大教授が明かす、この国の「病理の正体」
安冨歩【第1回】
 「東大教授なんて、高い高い断崖絶壁の上を走るレールを、ひたすら一人で登り続けているようなもの。レールを太くて頑丈にすればするほど、どんどん そこから外れることができなくなる。“レール”って、何のことか分かる? それは、『男らしくあれ』っていう強迫観念。東大教授の大半は男だからね」 そう語るのは、東京大学東洋文化研究所の教授・安冨歩(52)だ。
 身体的には男性だが、普段からスカートやワンピースなどの女性の装いをし、テレビ番組や講演会にもその姿で出演する。2014年10月、マツコデラックスの番組「アウト×デラックス」(フジテレビ系)にて「女性装の東大教授」として取り上げられ大きな話題を呼んだ。
 装いのみから注目を集めているのではない。気鋭の経済学者としても注目を浴びている。特に3.11の原発事故後に出版された『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語』 (2012年1月出版)では、原発事故を取り巻くマスコミや政治家の言論が、第二次世界大戦前の戦争に関する言論とよく似ており、社会の暴走が加速する時 には、きまって知的特権階級の人々の間でよく使用される「欺瞞的で、相手を言いくるめ、服従させるための」話法がメディアや政治の場で頻発すると指摘し た。
 自分自身が「エリート」であるにもかかわらず展開する痛烈なエリート批判と、その装いによって視線をあびる安冨だが、彼は最初から現在のような自由な人生を歩んで来たわけではない。彼の人生には長い間、家族から植え付けられたと脅迫観念がつきまとっていた。

 ■親の価値観―”靖国精神”で満たされた家庭
 安冨の両親は昭和9年、10年生まれ。生まれた時には満洲事変は終わっており、物心ついた時には日中戦争が起こり、太平洋戦争を経験した。父は学校の校長、母は元教師という家庭の長男として安冨は育った。
 「男の子は大きくなったら戦争に行って、天皇陛下のために死ぬ。女の子は銃後を守り、息子を兵士として育て、立派に戦死したら靖国の神になったと随喜の涙を流す。私の両親はこの“靖国精神”を植え付けられたど真ん中の世代。私の教育にも当然それは影響した」
 終戦後、世は戦後民主主義に急転換。しかし国民の腹の中はまだ靖国精神で満たされている。この世代の多くの人は、この二重構造を背負っていたはずだ、と安冨は指摘する。自らは、そのような両親からのただならぬプレッシャーを全身に受けながら育ったと言う。
 「口では『お前の好きにすればいい』と言いつつ、内面では『良い学校に行って、出世しろ!』という無言の強烈なアピール。家族はお父さんの役、お母さんの役、子供の役、とそれぞれが立場を演じているだけ。心の交流は無かった」
 中学生のころ、本心では指揮者や作曲家になりたかったが、親には鼻で笑われた。ゴッホ展を見て画家になりたいと思った時には、もう口にすらしなかった。エリートになる道以外に選択肢はありえない。そんな無言の空気が安冨を苦しめた。
 「あのね、『勉強しろ』って言葉で命令するのはまだ二流だよ。本当に支配的な親って言うのは、勉強しなさいって言わなくても子供が気配を察して自分 で勉強しはじめるような無言のプレッシャーを与えてるの。最初から、親の価値観の枠組みから外れないようにガチガチに仕込んで、そこから外れることすら想像させないんだよ」
 父は職場では子供や同僚のことを第一に考え、教育に粉骨砕身する人物ではあったが、家では母親の言いなりであり、安冨の味方ではなかった。
 親の期待通りに登りつめたエリートの階段 ・安冨は親の期待を一身に受けて京都大学経済学部に進学。卒業後は住友銀行に就職し、バブルを発生させる業務に従事したが、優秀なはずの人々が命まで削って異常な活動に没頭する姿に耐えきれず、2年半で辞職した。
 京都大学の修士課程に進み、人文科学研究所にて助手を務め、その後、名古屋大学を経て、東京大学の東洋文化研究所にいたるまで、順調に研究者として のキャリアを築いてきた。そのころは、特に自身の性認識に疑問を持った事はなく、「男の大学教授」としての立場を全うすることに全力をかけていた。
 一見、華々しいエリートコースだ。しかし、心の重圧は取れず、たびたびわき起こる自殺衝動や、持病の頭痛に悩み続けたという。
 東大教授という、研究の世界では日本最高峰の立場を手に入れたにも関わらず、なぜ安冨の心は晴れず、自責の念に苦しみ続けたのだろう? ・「エリートにありがちだけど、高い目標を掲げて全力で取り組み、それが達成できたら“やれやれ失敗せずに済んだ”とホッとすることの繰り返し。達成の瞬間にホッとしても、喜びは感じられない。かといって、挑戦することをやめると気が狂いそうになるので、やめられない」
 耐えられないほどの焦燥感。それは、子供のころから両親の教育によって植え付けられたものだった。
 どんなに登り続けてもゴールの見えない断崖絶壁を、一人、延々と登り続ける孤独と不安。そこから飛び降りるきっかけを探しながらも、安冨はずっと苦しんでいた。

■”靖国の母”から植え付けられた呪縛
 最初の“飛び降り”は、妻との離婚だった。 ・その頃の安冨は、前妻からの度重なる暴言に疲れ果てていたが、「モラル・ハラスメント」という言葉も無かった時代、黙ってそれに耐え続けていた。結婚生活がうまくいっていないこと自体に、自責の念を感じていたからだ。
 堪え兼ねてついに離婚を考えたとき、立ちはだかったのは両親の猛烈な反対だった。苦しんでいる安冨を擁護するどころか、あちら側について、「良くても悪くても、とりあえず結婚生活は続けろ」の一点張り。
 安冨は激しい自殺衝動に襲われた。その衝動の根源を考えたとき、ようやく気づいた。それは母親から無言のうちに送られてくる「離婚して私のメンツをまるつぶれにするくらいなら、自殺しろ」というメッセージだったのだ。
 「今思えば、完璧な息子を産み育てたはずの“良妻賢母の鑑"としての立場が、息子の離婚によって失われる。そういう恐怖心からの反対だったのだろう」
 自分の結婚が家族全員を苦しめている――安冨はがむしゃらに離婚した。そうしなければ、本当に自殺してしまうと思ったからだ。両親へは、弟を通じて絶縁を伝えた。すると自殺衝動も消え、持病も急に軽くなったという。
 安冨を長い事苦しめていた、母から植え付けられた呪縛。それは立派な兵士を育てようとする精神の現れであった。
 教師の資格を持つ安冨の母は、賢くよく働き、子供家族に献身する“良妻賢母”を体現するような女だった。しかし、母から自分に向けられる期待と強制は、彼にとっては呪縛でしかなかった。
 「日本の”正しい母親像”は、戦中に作られたもの。『子どもを立派な兵士として育て、戦死したらニッコリする』って言うね。戦後はその精神が、経済活動に向けられて、”産業戦士”に変化したに過ぎない。
 70年経ってもずっとその呪縛が日本人を縛っている。今でも大半の母親は、知らないうちに”靖国の母”を目指している。外側は民主主義だけど、内面はいまだに“靖国精神”。その二重構造が子供を苦しめる」
 ”靖国の母”に植え付けられた、男は苦しんで戦死してこそ一人前という、無意識のメッセージ。それが安冨を大人になっても苦しめていたのだ。

■日本の男を苦しめる「ホモマゾ社会」と「立場主義」
 「母親だけじゃないよ。日本は戦時中の軍国主義のマインドのままで、表面だけ民主主義に変わっちゃったからね、精神は復員できていない。女は銃後、男は戦場。その証拠に、日本の社会って、基本的にホモマゾ(ホモソーシャルでマゾヒスティック)じゃない。
 たとえば会社組織って、おっさんが集まっていちゃいちゃしてるでしょ、昼も夜も休日も。ずっと一緒にいて、それでいて集団マゾなの。一緒に我慢しようね、みたいな。
 つまりは『貴様と俺とは同期の桜』っていう日本軍のモードのままなのよ。表面上は自由で豊かでも、腹の中は、いまだに戦時中なわけ。酒飲んで、一瞬だけプレッシャーを忘れて、また元のホモマゾの中に戻って、の繰り返し。だから日本人の男はこんなに生きづらい」
 軍国主義によって構築された「ホモマゾ社会」。それは、第二次世界大戦以降、日本が温存し続けている「立場主義」システムの一部だ、と安冨は続ける。
 「立場っていう単語は、他の言語に翻訳できません。日本独特のもの。それが日本人をがちがちに縛り付けて”自分でないもの”にしている」
 立場を失くす、立場を守る、立場上できない……何の疑問も持たずに、私たちが普段使っている言い回しだ。しかし、「立場」とは何か、いざ考えてみると、上手く説明できないことに気づく。立場にいる“私”は“私”ではないのか?立場って、一体、なんだろう?
 「『立場主義』システムは明治維新後に『家制度』に変わるシステムとして形成されたと私は考えている。それ以前は家単位で動員されたものが、徴兵制で個人単位になった。
 そうすると『お家のために命を捨てる』というイデオロギーが失われるから、代わりに靖国神社が作られた。それを変だと思わせないために、学校教育が全国民に施されて、各人は『家のかわりに、自分の立場を守るために、命を捨てる』ようになった」
 無理やり徴兵して、“兵士”と言う立場、“国民”という立場に依拠する形で人を行動させる。実に曖昧な概念なのに、いや、それゆえにこそ、“立場”は日本の社会で物凄いパワーを持ち、人を抑圧している。
 立場主義の例として、安冨はSNSでの振る舞いを挙げる。日本人は実名でFacebooksをやって、立場上、当たり障りの無い事を書いて、食べ物の 写真ばっかりアップする。一方で、匿名でやっているTwitterでは、人をさげずんだり罵ってみせる。他の諸外国ではこういった極端な二面性は見られな い。
 「立場を守るために、溜まったストレスをどこかで発散しないと気が済まないんだよ。それが自分に向いたら自傷や病気になるし、外に向いたら、他人や家族への攻撃になる。ネトウヨとか、ネトサヨなんてのがあるのも日本だけ」

■強固すぎるシステムは人を殺す
 第二次世界大戦中に軍隊から生まれた「男らしくあれ」というホモマゾ的な強迫観念と「立場を守れ」という立場主義。この2つのシステムが戦後に著しく成長してしまったからこそ、現在の日本の社会は息苦しいのだ。
 「でも日本はそのおかげでありえないくらい戦後の経済復興に成功しちゃったから、ずっと続けてれば良いって、いまだに思ってるわけ。立場を守るため に、男は命を投げ出す。それが正しい、それが正義って。おかしいよね。女はある程度やって、くだらなさに気づいたらやーめたって抜けられるけど、男は一 生、ホモマゾと立場主義から抜け出せない」
・では、日本以外の国々はどうだろうか。安冨はどの先進国にも、人を抑圧する強固すぎるシステムは存在すると語る。
 「中国はメンツ主義。メンツがすべて。メンツを守るためには死すらも厭わない。アメリカは多分『幸福で前向きなフリ』を続ける社会。そのフリを続け るために薬物に依存して、それでも続けられなくなると銃器が出てくる。英国やフランスもまた、それぞれに形態は違うけれど、同じような抑圧のシステムを抱えている。一見、民主主義のふりして、内部はガチガチのエリート主義で非民主的。システムがものすごく上手くできているから文句のつけようがないけど、エリートは精神的に追い詰められていて、階級差別が人々の魂を殺している。だから、男たちはそのストレスをスポーツ観戦で発散して、フーリガンになる」
 「女性が活躍する社会」についても、安冨は異議を唱える。
 「女性が活躍する社会っていうのは、男のホモマゾ社会の中に、女も一緒に入れって言ってるようなものだからね。ますますおかしくなるよ。総活躍社会って、女性は二級国民として活躍しなさいってことだからね」
 強固すぎるシステムは人を果てしなく抑圧し、そこから生じるストレスは、やがて暴力となり、犯罪・差別・戦争・環境破壊といった害悪を引き起こす。では私たちは日本に暮らすかぎり、立場主義とホモマゾ社会から抜け出し、自由に生きる事はできないのだろうか……? 第2回につづく。

* 安冨歩 京都大学経済学部卒業後、株式会社住友銀行に勤務し、バブルを発生させる仕事に従事。二年半で退社し、京都大学大学院経済学研究科修士課程に進学。修士号 取得後に京都大学人文科学研究所助手。日本が戦争に突入する過程を解明すべく満洲国の経済史を研究し、同時に、そのような社会的ダイナミクスを解明するために非線形数理科学を研究した。ロンドン大学の森嶋通夫教授の招きで、同大学の政治経済学校(LSE)のサントリー=トヨタ経済学・関係分野研究所 (STICARD)の滞在研究員となる。1997年に博士号を取得し、学位論文『「満洲国」の金融』(創文社)で第四十回日本経済新聞経済図書文化賞を受 賞。名古屋大学情報文化学部助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授、情報学環/学際情報学府助教授を経て、東洋文化研究所准教授。2009年より同 研究所教授。

 ≫(現代ビジネス:小野美由紀・愛の履歴書)

満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦 (角川新書)
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ジャパン・イズ・バック――安倍政権にみる近代日本「立場主義」の矛盾
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●天皇が抵抗勢力 安倍首相、日本をどうするつもり?

2016年01月28日 | 日記
いまここに在ることの恥 (角川文庫)
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角川書店(角川グループパブリッシング)



流砂のなかで
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河出書房新社


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●天皇が抵抗勢力 安倍首相、日本をどうするつもり?

どうにも良く判らない男が政権の座にいる。以下の朝日のインタビューで、辺見庸氏が、天皇制ファシズムと軍国主義と云う言葉で表現している忌み嫌う戦前とも、どこか、安倍晋三と云う人が目指している着地点は、もっと違うところにあるのではないかと、筆者は疑っている。過去の中に未来が見えると云う言葉は事実だが、あの人の目的は、もう少し陰湿なのではないかと疑っている。或る意味で、評価し過ぎている傾向さえある。想像もしていない隠れた目的を胸の内に持つ怖さだ。

あまり書くと、只では済まなくなりそうなので止めておくが、只の国家主義でもないし、軍国主義と云う戦争小僧とも違う。根っからの親米主義者でもない。嫌韓のような振舞いを敢えてしているが、根っからの嫌韓とは意を異にしている。岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎、安倍晋三と云う系譜の中に、何かが隠れている。佐藤栄作の項をウィキペディアで読んでいたところ、右傾な政治姿勢は岸信介譲りだが、国会運営やメディア対策では、大叔父にあたる佐藤栄作を真似ている事に気づいた。そして、信長、秀吉に滅ぼされた毛利藩に属した下級長州藩士で吉田松陰にも学んだようである。

筆者が一番気にしている部分は、上述の部分ではなく、占領軍GHQがなぜ、A級戦犯であった岸信介を解放したのか、その辺に謎があるように思われて仕方がない。岸は「支那が中共の天下となれば朝鮮は素より東亜全体の赤化である。米国の極東政策は完全にソ連に屈服することになる」と米ソ対立が深まるのを見極めつつ、反共のためならアメリカとも協力するようになっていったといわれ、大アジア主義者である他方現実主義者でもあった。ゆえに、東西冷戦の始まりにより、巣鴨プリズンから釈放されたことになっているが、果たして、理由はそれだけだったのか、その程度の理由で、東条らが処刑された翌日にA級戦犯の疑いが解け、釈放と云うのも理由づけとしては納得いかない。当然、筆者の疑いは、拭われるものではない。

表向き通り、安倍晋三が大アジア主義者で、現実主義者(隷米の振りをする)であった点は、厭に共通項が多いのだが、何も腑に落ちに部分がある。この辺で、父である安倍晋太郎の系譜も引っかかる。筋金入りであることは、筆者も認めるとして、どんな筋金が、安倍晋三の体内に埋め込まれているか、通り一遍では説明がつかない複雑さがあるような気がしている。天皇主義者だとしても、都合の良い天皇を望んでいる面が強く、今上天皇を忌み嫌っている面も多々見える。現皇太子がすんなり皇位継承できるかどうかも、黄色信号が点滅しているような感さえある。

 今回の、天皇皇后のフィリピン訪問報道を産経新聞がベタ記事扱いしているのは、一つのヒントだろう。岸信介や佐藤栄作の名前に惑わされて、安倍晋三の評価を見誤ってはいけない。反共と云う明確な意志も見えないし、嫌韓が本物かどうかさえも納得できない。憲法改正の意志も、自民党が考えている「自主憲法」と云う目的と同質にも思えない部分がある。なんだか、日本売りと云う行為が、まさに、国ごと国民付きで、どこかに売り込んでいるようにも思えてくる。売り込むと云うよりも、正しくは壊しにかかっている、とも言える。まあ、このような疑問は、到底解等明白にはならないだろうから、考えるだけ時間の無駄だが、気に障るのは事実だ。


≪(インタビュー)時流に抗う 作家・辺見庸さん
彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。一方で、国会前を埋めたあの夏の熱気はいまも残っているのだろうか。岐路となりそうな2016年を私たち一人ひとりは、どう生きるべきか。権力と個人の関係を問い続ける作家、辺見庸さんに聞いた。

 ――夏には参院選ですね。改憲が争点になりそうです。

 「まったく関心がないといったらうそになるけど、どちらかというと悲観的ですね」

 ――と、言いますと?  

 「仮に安倍政権に退陣してもらったとしても、そのあとに何かが良くなるというのが見えません。安保法制で次のレールは敷かれてしまった。描いているのは、憲法をもっと融通無碍(ゆうずうむげ)なものにする緊急事態条項ですよね」

 ――大規模災害などに備えるための条項だとしても要らないものでしょうか。

 「ひょっとしたら、いまは安倍政権の退陣を求めているような勢力さえも、そういうレトリックに乗ってしまうんじゃないでしょうか。例えば尖閣諸島、あるいは北朝鮮をめぐる動きしだいでね。全体として翼賛化していくかもしれないと見ています」

 「ぼくは、未来を考えるときは過去に事例を探すんです。むしろ過去のほうに未来があって、未来に過去がある。そういうひっくり返った発想をしてしまう。いまの局面をなぞらえるとしたら、すべてが翼賛化していった1930年代じゃないですか? 南京大虐殺が起きた37年前後のことを調べて、つくづく思いました。人はこうもいとも簡単に考えを変えるのか、こうもいとも簡単に動員されるのか、こうもいとも簡単に戦争は起こるのか――と。現時点で、もう37年と同じような状況に入っているのかもしれません」

 「戦争法(安保法)なんて、突然降ってわいたみたいに思われるけど、長い時間をかけて熟成されたものですよね。A級戦犯容疑の岸信介を祖父に持つ安倍(首相)は、昭和史をいわば身体に刻み込んだ右派政治家として育ってきたわけでしょ。良かれあしかれ、真剣さが違いますよ。死に物狂いでやってきたと言っていい。何というのか、気合の入り方が尋常じゃない。それに対して、野党には『死ぬ覚悟』なんかないですよ。これからもそうでしょう。だから、やすやすとすべてが通っていくに違いない。むっとされるかもしれないけれども、国会前のデモにしても『冗談じゃない、あんなもんかよ』という気がし ますね」   
   ■     ■

 ――とはいえ、国民の声の大きさは、あなどれないのでは?

 「安保法制なんて、周辺事態法を成立させてしまった1999年から決まりきったことじゃないですか。日本が攻撃を直接受けていなくても、『有事』には米軍に物資輸送などの支援を可能にする法律です。あのときはいまの何倍も『これはやばいな』と焦りました。ぼくらが常識として持っていた戦後の民主主義、あるいは平和的な時間の連続といったものに、はっきりと割れ目が入った。この割れ目は広がるに違いないと直感しました。その後は、もう既定の事実です」

 ――SEALDs(シールズ)のような若者の行動は新鮮に映りましたが。

 「若い人たちが危機感を持つのは理解できます。ただ、あれは『現象』だとは思うけど、ムーブメント(運動)とは考えてません。まだスローガンみた いな言葉しか言えてないじゃないですか。ぼくはそこに何も新しいものを感じない。もっと迂遠(うえん)で深い思想というか、内面の深いところをえぐるような言葉が必要だと思います」

 「例えば米国や欧州でのサミット(主要国首脳会議)に反対するデモは、資本主義のあり方そのものに反対している。あまりにもむき出しで、びっくりしちゃうんですけどね。日本とは『怒りの強度』が全然違う。なぜ、国会前デモのあとに行儀良く道路の掃除なんかできるんでしょうかね」

 「安倍政権が 現状をこれ以上悪くすることへの反発というのはあるでしょう。しかしどこか日本的で、むしろ現状維持を願っているような感じがしますね。例えば、日々食うにも困るような最底辺層の怒りや悲しみを担ってるわけじゃない。なかにはそういう人もいるでしょうけど、全体としては『何としても社会そのものを深いところから変革したい』という強いパッションが見えないんです」

 ――極端に言えば、いまの自分の暮らしが保たれることだけを願っているように見えると?

 「そういうことです。『怒りの芯』がない。それは言葉の芯とともにどこかに消失してしまったんでしょう。この傾向は70年代から幾何級数的に進んできたと思います。市場経済の全面的な爛熟(らんじゅく)って言うんでしょうか、それとともに言葉が収縮し、躍動しなくなったことと関係あるかもしれません」   

   ■     ■

 ――市場経済と言葉が、どう関係するのですか。

 「この社会システムが必要なのは購買者・消費者としての人間であって、怒る人間とか変革する人間ではないということだと思うんです。『人間』を締 め出していると言うんですかね。疎外ということです。ぼくらは歴史をつくる主体だと教え込まれて生きてきたけど、果たしてそうであったのか。歴史の主体ではなくて、歴史の対象なんじゃないでしょうか」

 「60年代には、抵抗とか反逆は美的にいいことだという価値観がありました。いまの若い人たちは全然違うようですね。表現の仕方は、我々の世代が 目を白黒させるようなとっぴなものであっても全然構わない。ただ、それが時代のダイナミズムになっていくとは予感しえないんです。むしろ、悪い方に予感してしまう。何か他国による武力攻撃のようなことがあった場合、新しい国家主義的なものを簡単に受け入れてしまう可能性はありませんか? それに抗するバネがないでしょう。危ういものを感じますね」

     ■     ■  

 ――ご自身はファシズムに抗(あらが)えますか。

 「ぼくの父親は1943年から中国に出征しています。法的プロセスによらない中国人の処刑などに、おそらく父親も直接、間接に関係したはずです。 それを我々の先祖の時代の愚挙として片づけることはできないんですよ。記憶に新しい父親があそこにいた。そこに仮説として自分を立たせてみて、『じゃあ、自分だったら避けられたか』と問うてみるんです。あれだけ組織的な、誰もが疑わずにいた天皇制ファシズムと軍国主義のなかで、ぼく一人だけが『やめろ!』と言うことができたか。それは一日考えても二日考えても、到底無理だと言わざるを得ません。そういう局面に自分を追い詰めていく苦痛から再出発する以外にないと思うんです」

 「メディアに携わる人間もまた、よるべなき流砂のなかで手探りするしかありません。個のまなざしを持ちえるかどうか。そこだと思うんですよ。従来型の予定調和の記事を壊していくことじゃないかな」

 ――それは私たちも日々、努めているつもりです。

 「では、これはどうでしょう。昭和天皇が75年10月31日、国内外の記者50人を前に会見をしました。そこで戦争責任について尋ねたのは英紙タイムズの記者です。天皇は『そういう言葉のアヤについては(中略)よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます』と答えた。広島の原爆については地元民放の中国放送の 記者の質問に『気の毒であるが、やむを得ないこと』と答えている。朝日や毎日、読売はそんな質問をしていません。むしろ意識的に避けてあげたのでしょう か。しかも天皇の言葉に激しく反応してやしない。別に強制されたのではなく、ぼくたちはそういうことをやってしまうわけです」

 「01年のアフガン空爆のとき、朝日は社説で『限定ならやむを得ない』と書いた。それに抗議の声を上げた記者がいたことを、ぼくは知っています。 あれは別に全社挙げての民主的な討論を経て書かれるわけじゃないですよね。しかし、それは違うんじゃないかって執拗(しつよう)に言い張ると『困ったちゃん』みたいに扱われる。場違いなわけです。ただ、場違いなことが、どれだけ大事なことかという気がします。ささやかな抵抗のほうが、国会前での鳴り物入りのデモよりも頭が下がります」

 「そうしたことを冷笑し、馬鹿扱いすることが、時とともに組織や社会をどれだけ悪くしていくことでしょうか。コンフォーミズム(大勢順応主義)の 傾向はますます、きつくなっている。だから場違いなことを試みるってことこそ大事なんじゃないかな。衆議に従って、ではなく緊急動議的に発言していく勇気って言うんでしょうか。勇気なんて、あんまり好きな言葉じゃないけどね。おずおずとした発言でいい。かっこ悪く、ぶつぶつでいい。自分がそういうことに直面したときに、果たしてどれだけ誠実でいられるかという問題だと思うんです」  (聞き手・磯村健太郎、高重治香)     

 *  へんみよう 44年生まれ。元共同通信記者。「自動起床装置」で芥川賞受賞。近く、日中戦争から今に至る日本の闇をつく「増補版1★9★3★7」刊行。  ≫(朝日新聞デジタル)


 ≪ 天皇、皇后両陛下 晩さん会で「忘れてはならないこと…」
【マニラ高島博之】フィリピンを訪問している天皇、皇后両陛下は27日夜、首都マニラのマラカニアン宮殿でフィリピンのアキノ大統領主催の晩さん会に出席された。天皇陛下はあいさつで、太平洋戦争でのフィリピンの甚大な被害に触れ、「私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます」と述べた。
 陛下は1962年11月の皇太子時代にフィリピンを訪問したことを振り返り「多くの貴国民から温かく迎えられたことは、私どもの心に今も深く残っております」と語った。今回、54年ぶりの訪問を果たしたことについて「大統領閣下のご招待によりフィリピンの地を再び踏みますことは、皇后と私にとり、深い喜びと感慨を覚えるものであります」と感謝の気持ちを表した。
 「私ども日本人が決して忘れてはならないこと」として太平洋戦争で100万人以上が犠牲になったといわれるフィリピンの被害に言及し、「貴国の国内において日米両国間の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、貴国の多くの人が命を失い、傷つきました」と述べた。
 今回の訪問が「両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資すること」を深く願うと述べ、アキノ大統領と乾杯した。
 陛下に先立ちあいさつしたアキノ大統領は「両陛下がこのたび我が国にお越しくださったという事実そのものが、両国間の友好関係の深さを明確に物語っております」と歓迎の言葉を述べた。また、両陛下と会うのは「4度目となります」としたうえで「お目にかかるたびに感銘を受けるのは、両陛下が示される飾り気のなさ、ご誠実さ、そして優美さです」と語った。
 天皇、皇后両陛下は晩さん会前の同日午後、フィリピン独立運動の英雄ホセ・リサール(1861〜96年)の記念碑に供花した。あいさつで天皇陛下はリサールが日本に約1カ月半滞在したことに触れ、「フィリピンの国民的英雄であるとともに、日比(にっぴ)両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました」と話した。
 両陛下は太平洋戦争でのフィリピン人犠牲者などが眠る「無名戦士の墓」も訪れた。ひつぎをかたどった碑に供花した後、約2分間にわたって拝礼し、追悼の思いを示された。
 28日は、日本への留学経験があるフィリピン人と面会するほか、在留邦人や日系人との懇談などが予定されている。フィリピンでの日本人戦没者を追悼する「比島戦没者の碑」への供花は29日に行われる。  ≫(毎日新聞)

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1★9★3★7(イクミナ)
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●経済専門家の胡散臭さ 素人に見え、玄人に見えない不思議

2016年01月27日 | 日記
新・100年予測――ヨーロッパ炎上
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●経済専門家の胡散臭さ 素人に見え、玄人に見えない不思議

以下は精神科医・和田秀樹氏の日本経済に対する感想コラムなのだが、不思議と正鵠を射ぬいている。そう経済なんて、人の営みの結果ついてくる現象であって、人が介在している事実を無視するのが、経済専門家の重大な欠点なのだと思う。彼らは、日本の官僚同様に、過去の経験やデータを根拠に、何らかの処方箋を編み出そうとするわけだ。おそらく、そう云う人々が烏合の衆であるにも関わらず、有識者会議とか、諮問会議とか責任の曖昧さだけが目的の合議制紛いの中で、頓珍漢な解を導き出していると云うのが現状なのだろう。

大雑把な括りだが、人間には、己を知り身の丈で生きると云う考えと、己の能力はさて置いて兎に角、上を目指し成長すると云う考えがある。前者の場合、成功もないが失敗もない。極めて、消極的な生き方だ。経済成長を標榜する人々から言わせれば、敗者の卑屈な負け惜しみ論になる。後者の場合は、後先構わず、前か上を目指す。成功する人もいるが、その殆どの人は、消極的生き方をした人々以上に悲惨な末路がある。どちらが正しい生き方か、それは解釈のしようである。ただ、価値観的に言えば、前者は東洋的だし、後者は欧米的だ。仏教の思想などを読む限り、その多くは前者だ。ゆえに、悟りと云うものがある。

キリスト教の文化では、伸びるものを抑える力を「悪」と言い、それを伸ばす力らを「善」とする。そういう観点から行くと、前者と後者が同一条件で競い合えば、後者が勝利することが多い。何しろ、我さきにと獲物に襲いかかるのだから、早い者勝ちの世界、所謂、弱肉強食な世界と云うことになる。しかし、この世には、草もあれば木の実もあるし、海には海藻も魚もいるわけだ。面白いことに、植物系や海鮮類は、根絶やしにしない限り、多くは死滅することが少ない。しかし、動物となると、話が違う。最低限の個体が存在しないと根絶やしになる。このメカニズムまで理解はしていないが、そのようだ。

世界の経済(金融資本主義)が完全に行き詰っていることは、多くの人間は、実は何となく肌で感じている。ただ、それを認めることに忸怩たる感情を持っている。おそらく、そのような情緒的感覚も、キリスト教的発想だ。仏教的に考えれば、無理して日米欧が、或いは中国が異次元緩和などと言う金融世策を取らなければならないか、そこを考えれば、そもそも論から行けば、現在の経済自体が異次元と云うことで、実体経済を表す指数として、嵩上げされていると云うことだ。おそらく、倍近く水増しされているのが、今の世界経済だ。

物事は、最終的には元に戻る法則があるから、いつの日か判らないが、元に戻る。つまり、嵩上げ分が消えると云うことになる。日本の株価で言えば、1万6千円台が8千円台になる。NYダウで言えば、1万6千ドル台が8千ドル台になる。何も、陰謀論的な数値ではなく、サブプライムローン以来の異次元な金融緩和のお陰で生まれた指数なのだから、本当は、と云う理屈からして、そう云うことになる。円安で儲かるは、一部の企業に過ぎない。それも、空蝉のような儲けに過ぎない。実際問題、数量が増えていないのだから空蝉だ。

所謂、世界中に危篤患者がいて、あっちでもこっちでも、カンフル注射と強心剤を打ち続けていることになる。場合によると、モルヒネまで注入しているのかもしれない。こういう風に考えると、まるで世界経済はホスピスに入院している感じに思えてくる。これを打破するためには、何が必要なのだろう。経験則的には「戦時経済」だと云う事は、直ぐに頭に浮かぶ。現実、米中の冷戦状況は、裏でニギリがあるとも思えるが、反面、本気でいがみ合っている可能性も捨てきれない。中国は、かなり大量に米国債を手放しているようだし、挑戦しようとしているのかもしれない。

まあ、此処まで経済が世界的に回らなくなったのは、成長が飽和状態になった所為なのだが、人間の欲と云うものは、古代ローマの貴族やルイ13世などの飽食は、美味しいものを永遠に食べていたいが為に、吐いてでも、さらに食べたらしいが、健康にはまさに悪食だったに過ぎない。そうなると、文明の飽和を打破する手立てとして、スクラップアンドビルド欲求が高まる。筆者は、米中代理戦争紛いの出来事が、中東で起きるのじゃないかと危惧している。安倍首相は、国会で「ISの戦いには、後方支援であっても参加しない」と答弁していたようだが、そんなレベルではない出来事が起きる寸前に来ているのだろう。

このような状況の世界において、我々の国は、これ以上の豊かさは求めません。腹七分目まで戻ることにします。まだまだ、お食べになりたい方々は、どうぞ勝手に、我々抜きで貪りあってくださいね。こう云う心境にはならないものだろうか?筆者の場合なら、20年前に、そう思ったのだけれど、今の日本の指導者と自画自賛する人々は、類3世並みの貪欲さなのか、そんなことすら考えず、一年先の栄華を求めて汲々とするのだろうか。筆者には、到底理解しがたい上昇志向だ。豊かさや幸福を、何匁と測るような生き方はしたくないものだ。


 ≪ 通貨安に頼らない国づくりとは何か
 ■ 政策的な株高の持続は難しい
 原稿を書いている時点での話だが、世界同時株安で、世界経済が揺れている。
 一説によると年金の運用を一部株式にしたのはいいが、3兆円くらい損をしているのではないかという話もある。それ以上に、あまりに資金が大量なので、これを売りに出すと暴落が起こるので引くに引けない状況という話も出ている。
 99年の話になるが、富裕層にお金を持たせたほうが、投資も進むし、景気がよくなるという発想で富裕層の最高税率を、地方税も合わせて、65%から 50%に下げたことがある。確かにその年は、1万3000円台だった日経平均が、その年の終値が1万9000円近くまであがり、この政策は成功に見えた。 ところが、その税率のままの2003年の4月には7608円まで下がっている。
 これらの事象について、経済の素人の私はあえて解釈はしないが、政策的な株高は一時的には作ることはできても何年も持続させることがいかに難しいかはこの出来事が物語っているような気がする。
 今年は、選挙の年でもあり、アベノミクスが成功だったのか、失敗だったのかの論戦は盛んになるだろう。

■ 外国人客の「爆買い」は手放しで喜べない
 そんな中で、アベノミクスの成功を示す一つの例として挙げられるのが、外国人観光客の急増だ。
 1月19日の政府観光局の発表によると、2015年1年間の外国人観光客は過去最高の1973万人を記録したとのことだ。アベノミクスの前の年間835万人と比べるといかに増えているかがわかる。 ついでに言うと、15年の訪日外国人による消費額も発表され、前年比71%増の3兆4771億円で過去最高を記録したとのことで、かなりの経済効果と言える。中国人観光客の「爆買い」も貢献したようだ。
 ただ、この数字を私は手放しに喜べない。
 確かに政府の規制緩和も有効だったという説があるが、アベノミクスの有効だった点は、多くの人が円安のおかげだろうと見ていることだ。
 アベノミクスが始まったころから、余計に強くなった言説だが、通貨を安くすれば景気がよくなる、産業が立ち直るという発想について、私は間違いとは言わないが、違和感を覚えるのは確かだ。

 ■ 観光資源がなかれば単なるブームに終わる
 実際、本当の観光立国というのは、通貨が多少高くても、観光客がごまんと来る。
 ユーロが170円くらいのときに、パリの五ツ星ホテルのオテル・リッツに泊まったことがあるが、一泊13、4万円取られて、アメリカサイズのホテルに慣れた私にはびっくりするくらい狭いし、半地下の屋根裏部屋のような部屋だった。
 ただ、ホテルスタッフのサービスは最高と言っていいものだったし、アーリーチェックインも、レイトチェックアウトも(いくらか追加を払った可能性はあるが)、相当すんなりといった。バーも客がいなくても、遅くまでやっていて、ショットでも本当に高級なお酒が飲めた。
 それはパリに限らない。昔と比べると食べ物がおいしくなったと言われるロンドンだが、その代りおいしい店は高い。しかし、そういう店のほうが予約が取れない。モナコにしても、なんでこんなものにこんな値段を払わないといけないのという物価水準だが、観光客は途切れない。
 円が安いから観光客というのであれば、安定収入にはならないし、国が豊かになることにはつながらない。円が高くなってもリピーターになってもらえるような、それこそ「おもてなし」なり、また見たくなるような観光資源がなければ、せいぜいオリンピックまでのブームで終わってしまうだろう。

 ■ 日本の観光資源は「美食」かもしれない
  私は美食が意外な鍵だと思っている。イギリスやフランスで、三ツ星クラスのレストランでディナーを食べると平気で一人6万円くらい(ワイン別で だ!)取られるが、日本でなら、そのくらい出す価値のあるうまい店はいくらでもある。温泉宿にしても、今の高級旅館で、円高になっても耐えられるところはかなりある。
 実際、これだけ観光客が増え、観光客の落とす金が増えても、GDPの1%にも満たない(観光立国と言われる国々のスタンダードは5~7%らしい)。とても、人々が食べれるようなレベルではない。その上、かなりの部分が買い物であって、純粋な買い物の真水とはいえない。
 数をこなすというより、富裕層に魅力的な観光を考えるほうが急務に思えるのだ。  観光に限らず、製造業だってそうだ。
 円安になっても、高くてもいい輸入品、たとえば、ダイソンやアップル製品は売れ続ける。高くてもいい家電品という日本のお家芸がすっかり奪われた感じだ(私もPCに関しては常に煮え湯を飲まされている。高いものを買ったほうがトラブルも多いのだ)。

 ■ 高くても売れるものを作れるかどうか
 私が子供のころには、日本が加工貿易国から脱却しないといけないなどという話を聞かされたものだ。  ただ、材料を加工して工業製品にするだけの国なら、より賃金の安い国に勝てない。それではいつまでも人々は豊かになれないし、通貨も安くしておかないといけないから舶来品はいつまでも憧れの製品のままだというような論調だったと思う。
 そして、70年代くらいから日本は加工貿易国を脱却した。通貨が変動相場になり、いくら円高が進んでも、日本製品は高くても売れた。というか、故障も少ないし、モデルチェンジのたびに使い勝手はよくなるし、排ガス規制をいち早くクリアするように環境にも優しく、技術水準が高い製品だった。だから円が高くなっても、海外の人が欲しがった。
 高くても売れるものを作るから、国民も豊かで、まず国内で売れてから、少し安くして輸出することも可能だった。実際、GDPにおける輸出の比率は1割を切るようになっていった。内需だけで国が賄えたのだ。  現実に加工貿易国でない先進国は、それほど通貨の高い安いが経済に響かない。
 メルセデスにしてもエルメスにしても、ユーロ高になれば、どんどん値上げをしていく。ところがユーロが安くなっても、ちっとも値下げせず、もっと高く売るくらいだ。
 そして、作り手のマインドにしても通貨高でも売れるものということになる。ダイソンなどがいい例だろう。

■ ジョブズの功績は消費者心理の改革
 アメリカも、世界一の超大国と言われながら、加工貿易国であり、農業国であった。だから、必死になって通貨安政策を取り続けた。
 クリントンのころから、その発想を転換した。通貨をむしろ高くして、金融業で世界から金を集めた。将来、その通貨が高くなるなら、ドルで運用しようというのは当たり前の発想なのだろう。
 IT産業に関しては、いくら通貨が高くなっても、たとえば一度ウィンドウズを使い始めたら、ずっとそれを使い続けないといけない(そういうわけではないのだろうが、多くの人がそうする)。通貨が高いほうが、海外企業のM&Aもうまくいくだろうから、その国の経済全体は強くなる。
 私がみるところ、スティーブ・ジョブズのアメリカ経済に対する最大の貢献は、消費者心理を大きく変えていったことだ。安くないと買わない(少なくとも私の留学中のアメリカ人はそうだった)アメリカ人を、高くても、欲しいもの、いいものなら、買うように変えた。自動車など、乗り潰すまで買い換えない人が当たり前の国民を、モデルチェンジのたびに買い換えさせるという風に変えたのだ。。
 ようく考えると、バブルまでの日本人の消費者のパターンそのものである。  加工貿易国から先進国に変わっていくということはそういうことなのだろう。
 一見、最高の先進国に見えたアメリカは、実は先進国の仲間入りをしたのは、クリントン時代と言えるかもしれない。

 ■ このままでは人々のマインドまで加工貿易国に
 通常は、いったん先進国になった国(中国や韓国はその途上ということなのだろうが)が加工貿易国に戻ることはないのだろうが、バブル後、また加工貿易国に逆戻りした気がしてならない。だから、円安が手放しで喜ばれる。
 日本の場合は、アメリカ型の資本主義が導入され、株のもちあいの廃止やメーンバンクより株主を重視するようになってから、経営者のサイドで勘違いがあるようだ。
 単年度利益を出すことに躍起になるから、開発に金をかけないし、高くても売れるものを作るより、とにかく今の利益を求める。もちろん、粉飾決算は問題外としても、そういう経営者は、通貨安政策を手放しで喜ぶだけで、利益を従業員に還元したりしないし(人々の給与が上がれば、再び、高くてもいいものを求めるマインドが芽生えるかもしれないのに)、ジョブズのような画期的な新製品つくりへの投資に向かったりせず、内部留保を膨らませ続けるだけだ。
 アベノミクス全体の成否を論じる気はないが、通貨安政策は、日本を世界的にみて、貧乏くさい国にし(実際、円安で、一人あたりのGDP順位は落ち続けている)、本来なら生き残れないような、安くしないとものが売れないような会社にまで巨額の利益をもたらした。逆に、貧乏くさい国では、観光客が高い金を落とさないようになるし、円高のころのように高くても売れる製品を開発しようというマインドも弱まる。
 要するに、円安で経済構造だけでなく、人々のマインドまで加工貿易国に戻ってしまったのだ。
 それが、今後の日本にとっても最大の悪影響なのではと考えるのは、私の妄想だろうか?

*和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医。1960年生まれ。東京大学医学部卒、東京大学附属病院精神神経科助手、アメリカ・カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、『和田秀樹こころと体のクリニック』院長。国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師。川崎幸病院精神科顧問。老年精神医学、精神分析学(とくに自己心理学)、集団精神療法学を専門とする。『テレビの大罪』(新潮選書)、『人は「感情」から老化する』(祥伝社新書)など著書は多数。  ≫(日経BizCOLLEGE: 和田秀樹 サバイバルのための思考法 )

誰が「橋下徹」をつくったか ―大阪都構想とメディアの迷走
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●米大統領選状況ウォッチ 覇権国も極右と極左、消える中道民主主義

2016年01月26日 | 日記
アメリカの真の支配者 コーク一族
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講談社


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●米大統領選状況ウォッチ 覇権国も極右と極左、消える中道民主主義

以下の二つのコラムは、米大統領選における、「トランプ現象」を扱ったものだが、異なる目線で語れているので、並べて読むと面白い。今回の米大統領選は、筆者にとっても、何時になく興味深い。その理由は、現在の足元に拡がってきているグローバリズムと云うイデオロギー紛いな動きが、停滞から、撤退方向に向かう潮目だと思っているからだ。今頃になって、英語教育がどうのと言い出している文部省の馬鹿どもを、せせら笑うような現象が一日でも早く起きることを期待しながら読むことにする。

日曜日の宜野湾市長選にひと言。思った以上に現職が強かった。まあ、普天間基地を抱えている宜野湾市なのだから、さっさと撤退して欲しい気持ちが底流に流れているのだから、辺野古移設に反対の意志を示すことは、自らの首を絞める面もあるので、総論賛成・各論反対の典型的選挙でもあった。また、普天間移設後の経済的誘致などの飴論を無責任に裏で流し続けていただろうから、見える利益に靡き、見えないリスクに目を閉じた結果だろう。このようなジャッジになったことを考えると、幾つか繰り出した、無理筋な訴訟等々の流れが、政府有利に展開していた事も影響したと見る。まだまだ闘いは終わっていないが、現状分析としては翁長知事の方が不利な状況にある。県民を動員するような動きをもう少し強く米国や本土に知らせる努力が望まれる。

本日引用する≪トランプ旋風が止まらない!? アメリカでいま何が起きているのか 2016大統領選「異変の構図」≫と≪「コーク一族」米大統領選の命運を握る大富豪ファミリーの正体 全米第二位の規模≫二つだが、前者は現実に則したコラムであり、後者は幾分購読を促がすコラムになっている。ただ、共通して、この二つのコラムの底流に流れている問題は、グローバリズムと云う、資本主義の限界を露呈している世界的流れに対する抵抗運動だと言える。本家本元のアメリカで、このような現象が起きているのが興味深い。有力候補であった民主党・ゴア副大統領が共和党のブッシュに負けた時以来、アメリカと云う国の事実は、僅かずつ変貌してきている。

今回の大統領選で、その立場が逆転するかどうかは微妙だが、中間層と云う、民主主義における“神の手”的な役割を担っていた中間層と云う国民層の過度な減少の後遺症が表面化してきている。この、資本主義においては禁じ手と言われる関税の撤廃、国境の無力化、世界政府樹立のような方向は是正の途に就いた兆しが明白になってきている。つまり、グローバリズムな様々な現象が、人びとから拒否されつつあると云うことだ。このような現象は、アメリカだけで起きているわけではなくEU諸国においても確実に起きている。中道路線が拒否され、極右か極左か、そう云う極論な感情が吹き上がっている。日本でも、僅かづつだが起きている。しかし、永田町から市区町村に住む日本人全体に、この世界的流れを、伝えてくれるメディアが存在しない事は、日本の歴史的な悲劇だろう。


≪トランプ旋風が止まらない!?  アメリカでいま何が起きているのか
 2016大統領選「異変の構図」

 ■予想を大きく裏切る事態
 「トランプは指名は取れない。一時のブーム。2012年のミシェル・バックマンのように消えるはず」
 2015年夏頃、筆者が面会した元オバマ陣営幹部は、こう豪語していた。また、共和党幹部も「トランプには草の根組織がない」と切り捨てていた。発 言のトーンに差はあれど、共和党、民主党問わず、アメリカの政治インサイダーに共通していたのは、トランプ人気は一過性という見解だった。
 しかし、彼ら政治インサイダーの顔つきは秋以降、またたくまに険しくなって行った。
 大統領選挙のキックオフとなるアイオワ党員集会(2月1日)を目前にした今、トランプ人気は衰えていない。アイオワ地元紙「デモインレジスター」の年明けの同州世論調査では22%と2位になったものの、テッド・クルーズ(25%)と僅差で支持率首位を争っている。
 アメリカに何が起きているのか。

* * *

 2016年大統領選の現時点での「異変」をひと言で表せば、「本来は第3党候補的な人物が、2大政党の候補として支持を集めている」という点にある。
 たしかに、イスラム教徒の入国禁止やヒスパニック系移民への厳しい措置など、ドナルド・トランプの歯に衣着せぬ放言に注目が集まっている。しかし、トランプのような型破りで過激な人物は、過去のアメリカの選挙を振り返れば、必ずしも珍しい存在ではなかった。
 アラバマ州知事だったジョージ・ウォーレスは「今も人種隔離を、あすも人種隔離を、永久に人種隔離を」と叫ぶ人種隔離主義者だった。1968年の大統領選挙では、公民権運動を支持し始めた民主党を離脱し、アメリカ独立党の第3政党候補となった。
 1992年と1996年の大統領選挙に共和党から出て、後に独立系を標榜するようになったパット・ブキャナンも爆弾発言男として知られる。反ユダヤ主義をにおわせるかのような危険な発言で批判されてきた。何度も大統領選挙に出馬したリバタリアン(自由至上主義者)のロン・ポールは、連邦準備制度の廃 止や大麻合法化まで主張している(今回は息子のランド・ポールが立候補)。
 ただ、いずれも2大政党内で大きな支持を得ることのない第3党的な候補だ。こうした人物が2大政党から出馬しても、党内で首位の座は奪えない。トランプも本来はそうした典型的な第3党的人物である。

 ■トランプの確信犯的な「前科」
 日本のメディアで脚光を浴びるのは初めてだが、トランプの大統領選挙への色気は1988年に遡る。2000年には改革党という第3政党から実際に短 期間出馬した。連日テレビに出演して、視聴率を獲得した。その度にトランプの不動産事業の宣伝にもなった。2004年、2012年にも「出馬するかも」騒 ぎがあった。
 「俺は大統領選挙に出馬を考えているんだ」という意志を見せて、メディアに露出し尽くした挙げ句、出なかったり、あるいは出ても途中で離脱することを繰り返してきた、ある種の確信犯的な「前科者」なのである。
 選挙を趣味にしている金持ちの道楽か会社の宣伝目的、というのがアメリカ政界やメディアでの過去のトランプ観で、今回の2016年の出馬でも、当初は政治の玄人筋は誰も真面目に相手にしなかった。
 しかし、トランプは今回、共和党の候補として立候補する道を選んだ。ここが「異変」なのだ。これに過剰反応したのは、共和党主流派のエスタブリッシュメントである。
 アメリカは2大政党制だ。第3候補が出ると、その候補がどちらか片方の票を奪い、もう1つのほうが漁父の利を得るパターンが定式化してきた。 ・1992年には富豪のロス・ペローが出馬。同じテキサスを地盤にする副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュの票を共和党支持者から奪い、19%近くを獲得。民主党のクリントンは過半数以下の43%の得票で勝利してしまった。
 2000年には消費者活動家のラルフ・ネーダーが緑の党から出馬。民主支持層の若年層やリベラル派の票を吸い取り、副大統領アル・ゴアが敗北。息子ブッシュ政権誕生の原因となった。

 ■共和党のトランプ取り込み作戦
 このトラウマ的な経緯は、両党と有権者のマインドに多大な影響を与えている。共和党は第3候補を保守側から出さないことを2016年のホワイトハウス奪還作戦の第1目標に据えた。
 トランプが第3候補として出れば、共和党を害する。そこでトランプが「こんな窮屈な共和党なんか」と暴れて飛び出さないように配慮した。
 トランプに激しい攻撃や苛めをせずに、優しくして取り込んでおく戦略を採用した。討論会でも平等に扱い、トランプをあえてのけ者にする行為も控えた。
 トランプは医療保険改革を支持したり、保護貿易的であったり、むしろ民主党白人ブルーカラー層に受ける素地があり、アメリカ的な意味で本当に「保守」なのかは疑問符が付くのだが、その点をほじくることも当初は控えられた。
 共和党主流派には、さらにあるトラウマがあったからだ。
 初期のティーパーティ運動を主導したロン・ポールが、2008年大統領選でイラク戦争に反対を掲げ、ネオコンとブッシュ大統領批判を強めたため、同年の共和党大会からは閉め出された。すると立ち入り禁止にされたことで、余計にポール支持運動が激化し、共和党改革運動に転化した。
 ポール支持者は別の「もう1つの」党大会を正式な共和党大会と同じ都市で開催。息子ブッシュ路線を受け継ぐマケインの落選運動に火がついた。漁父の利を得たのはオバマだった。
 2012年にも共和党大会本番で、代議員の一部がミット・ロムニーではなくポールに投票する「反乱」があった。共和党エスタブリッシュメントは、こうした内乱が起こるたびに、党内がまとまっていることをメディア向けに演出するのに躍起だった。
 「共和党を内部から崩壊させる危険人物を封じ込めるべし。トランプのロス・ペロー化、ロン・ポール化を阻止する」
 これが共和党の第1の狙いだった。しかし、封じ込めようとして党内に抱え込んでいるうちに、トランプはランド・ポール支持層のリバタリアンなども味方につけ、党内の世論調査で首位に躍り出てしまった。大きな誤算だったと共和党関係者はうなだれている。

■民主党も同じジレンマに
 民主党側も事情は同じだ。社会民主主義者を自称するバーニー・サンダースがヒラリー・クリントンに肉薄している。
 サンダースは自らを「民主党員」とは明確に名乗ったことがない。連邦議会上院での区分も民主党寄りながら「インデペンデント」という独立会派だ。本来ならばネーダーと同じように第3候補として出るような「一匹狼」の男である。
 その思想はアメリカの平均的な民主党リベラル派と比べてもかなり極端な左寄りであり、ある意味ではアナキズムに近い色彩も皆無ではない。そのため、民主党リベラル派であれば概ね賛成している銃規制にも反対している。
 民主党から出馬することすら許されない存在だが、2000年のネーダー現象で落選したゴアの亡霊が漂う民主党では、リベラル側から第3候補を出さないことが至上命題となり、サンダースを受け入れた。だからこそヒラリーはサンダースと距離をとり、誰が正統派の「民主党」なのかを強調して牽制してきた。
 しかし、若い有権者がサンダース運動に飛びついた。彼らは古い意味での「民主党」ではないものを試したがっている。しかも、オバマよりもっとリベラルな存在を。

 ■合い言葉は「革命」
 2015年夏にサンダース陣営に密着した筆者は、多い日で1日に3回も同じサンダースの演説を聞かされたが、サンダースのほとばしるエネルギーには驚かされた。大きな手で力強い握手をする。いつ寝ているのかという元気ぶりで、演説中も水も飲まずに怒鳴り続ける。
 支持者の熱狂ぶりはロックコンサートのようで、あるサンダース集会ではお揃いの「革命」Tシャツを来た夫婦が、演説中に抱きしめ合ったまま感極まって泣き出した。
 筆者には既視感があった。2008年のオバマ選挙とも少し違う。むしろ、2012年に密着したロン・ポール陣営の支持者とそっくりの空気なのだ。「革命 Revolution」をスローガンにしたキャンペーンにしても、若者が高齢候補者を支持している構図もそっくりだ。
 サンダースの事務所はヒッピーの集会場のような空気に包まれている。Tシャツ姿の中年男性がハーモニカとギターを演奏する横で、星条旗のバンダナをした女性が太鼓を叩く。
 事務所の壁には「革命に参加せよ(Join The Revolution)」と掲げられ、インフラ再建、気候変動、労働者共同体設立、貿易組合運動育成、最低賃金引き上げ、男女平等賃金、アメリカ人労働者 のための通商政策(TPP反対)、公立大無料化、反ウォール街、医療保険、税制改革などを主要政策と謳う。
 一にも二にも、反エスタブリッシュメント、反格差で、筋は通っている。そのためには、中国もスケープゴートになる。「アメリカ企業は国内に投資すべきで、中国に投資すべきではない」「中国の受刑者数より、今やアメリカの受刑者数が上回った」など、適宜中国批判を滲ませる。
 ちなみに日本の左派とアメリカのリベラルは似て非なるものだが、大きな違いの1つに中国への姿勢がある。アメリカの筋金入りの対中強硬派は、親自由 貿易で現実的な共和党ではなく、実は民主党リベラル派に多い。人権派、環境派、保護貿易派による対中強硬路線はなかなか根深い。

 ■党内「内戦」のゆくえ
 筆者は2015年8月の現地調査中にアイオワ州のカーニバル「ステート・フェア」で、遊説中のトランプにも出くわしたが、ゴルフカートで移動しながら人々に愛想を振りまいていた。苦手の握手にも慣れてきたようだった。トランプは数々の奇癖で有名だが、潔癖性で知られる。
 ある共和党幹部は「トランプは外に長くいない。いったんすぐ最寄りのトランプタワーに帰る」と言う。自社のヘリコプターで移動するのもそのためだ。 諸説あるのだが、トランプタワー以外、あるいはトランプが許容するホテルなどの一部の施設以外で、化粧室に行くのを拒んでいるのではないかとの説がある。セキュリティ目的ではなく、潔癖なので自分以外の人間が使用するトレイを共有したくないのではないかと。
 悪い冗談のような噂だが、それが真実味を帯びてしまうのがトランプらしい。これではトランプタワーがない国には大統領として外遊にも行けないことになるが、いっそ訪問先にトランプタワーを作ってしまえばいいとトランプなら言うのだろう。
 既存のワシントンの利権にまみれた政治家、あるいは職業政治家に飽き飽きしているものの、第3党候補は結局は勝てないし、へたをすれば自分の支持政党を傷つける……。
 そんな積み重なるフラストレーションを感じていた有権者にとって、第3党的候補があえて民主党、共和党内で立候補するという展開は、適度な現実感(2大政党内で出馬)とアウトサイダー感(実は第3軸候補)の絶妙のマッチングを満たしたのである。
 票の流出抑止とトレードオフに、党内「内戦」を抱え込んだ2016年選挙の2大政党。エスタブリッシュメント系候補はどう巻き返すのか。次回以降検討する。

*渡辺将人(わたなべ まさひと) 1975年東京生まれ。北海道大学大学院准教授。シカゴ大学大学院国際関係論修士課程修了。早稲田大学大学院政治学研究科にて博士(政治学)取得。ジャニ ス・シャコウスキー米下院議員事務所、ヒラリー・クリントン上院選本部を経て、テレビ東京入社。「ワールドビジネスサテライト」、政治部記者として総理官 邸・外務省担当、野党キャップ。コロンビア大学、ジョージワシントン大学客員研究員を経て現職。『見えないアメリカ』(講談社現代新書)、『現代アメリカ選挙の変貌』(名古屋大学出版会)、『アメリカ西漸史』(東洋書林)など著書訳書多数。
 ≫(現代ビジネス:賢者の知恵―渡辺将人)


 ≪「コーク一族」米大統領選の命運を握る大富豪ファミリーの正体
全米第二位の規模
 コーク一族。いま、アメリカでもっとも注目を集めている大富豪ファミリーだ。積極的に政治に関与していく姿勢を見せる彼らの動きひとつで、大統領選の結果も変わると言われるほどだ。全米でベストセラーとなった『コーク一族 アメリカの真の支配者』。日本版の訳者である古村治彦氏が、その歴史と政治力について解説する。
 政治にカネは付きもの。政治活動にはカネがかかる。政治家たちは常にカネを欲し、彼らを意のままに動かそうとする個人や団体は金を提供する。これは、世界中どこでも同じだ。だが、世界覇権国アメリカともなると、そのスケールははかりしれないものがある。
 アメリカ大統領選挙は選挙区が全米となり、民主、共和両党の予備選挙から本選挙にかけて、およそ2年の長丁場を戦うことになる。その地理的広大さと 時間の長さのため、11月に行なわれる本選挙までに、総額で10億ドル(1200億円)超とも言われる巨額の選挙資金が必要で、各候補者たちは資金集めに 躍起となる。
 インターネットなどを通じた小口の寄付から金持ち層からの高額の献金まで、ありとあらゆる方法で金をかき集めようとする。政治資金の集まり具合で、候補者たちの勢いを測定することもできるし、献金が集まらず、泣く泣く撤退する候補者たちも多く出る。
 さて、アメリカ大統領選挙がいよいよ本格化するが、政治資金に関して、アメリカで注目を集めているのが大富豪・コーク一族の次男チャールズと三男デイヴィッドだ。彼らは「コーク兄弟」と呼ばれ、マスコミを賑わせている。
 彼らが経営しているのは、非上場の大企業「コーク・インダストリーズ」。1940年創業で、石油、化学、日用品の総合企業だ。日本ではあまりなじみはないかもしれないが、その規模は、非上場企業では全米第2位の規模を誇る。
・2013年の売り上げがグループ全体で1150億ドル(約13兆8000億円)もあり、従業員数は約10万人。コーク兄弟の資産は、それぞれ約220億ドル(約2兆6000億円)と言われている。彼らの資産の過半はコーク・インダストリーズの株式だ。

■ティーパーティーの立役者
 チャールズとデイヴィッドのコーク兄弟は自分たちの豊富な資金に加え、考えを同じくする保守的な大口献金者たちを集め、政治献金ネットワークを作り上げている。そして、その資金力を背景にして、現実政治に深く関与しようとしている。
 チャールズ・コークは、2015年4月にマスコミのインタヴューに対して、2016年のアメリカ大統領選挙では「8億8900万ドル(約1000億円)を選挙資金として投入する用意がある」と答えている。
 では、彼らは今回の大統領選で誰を支持するのか。それは、選挙の行方を左右することになるかもしれない。
 コーク兄弟は、個人の自由と自由市場を尊重するリバータリアニズムを信奉するシンクタンクである「ケイトー研究所」を創設し、資金を投入してきた。その他にも保守系のシンクタンクや大学のプログラムに多額の資金を投入し続けている。
 さらには、それらの研究機関で生み出されたアイディアを現実政治に反映させるべく、「アメリカンズ・フォー・プロスペリティ(AFP)」をはじめと する数々の保守系市民団体にも資金を投入してきた。こうしてコーク兄弟は政治思想から現実政治までを一つにつなげるネットワーク(「コーク帝国」と呼ばれている)を構築した。
 背後には彼ら自身を含む大口献金ネットワークがあり、コーク兄弟は、この2つのネットワークを使って、アメリカをより保守的な国へと変えてしまおう としているのだ。具体的には、政府の役割を縮小し、ほとんどの分野を自由市場に任せることを目標とし、この考えに近い政治家たちを応援するということになる。そうなると必然的に共和党を支持し、民主党に敵対することになるだろう。
 コーク兄弟がアメリカ政治の表舞台に姿を現してからはそんなに日は経っていない。彼らの存在に注目が集まったのは、2009年から始まったティーパーティー運動と2010年のアメリカの中間選挙であった。

■トランプとの浅からぬ関係
 2008年の米大統領選挙を勝ち抜いたバラク・オバマ大統領を標的にした、「大きな政府」への反対を標榜するティーパーティー運動は全米で大きな盛り上がりを見せた。
 その勢いに乗って、2010年の中間選挙(連邦上院の一部と連邦下院が対象)では、共和党が勝利を収め、特に連邦下院では、共和党が過半数の議席を取り返すことに成功した。この時、共和党にはティーパーティー運動からの支援を受けた新人議員たちが多数誕生した。
 このティーパーティー運動は、アメリカ国民の中から自然発生的に誕生したものだと思われていたが、資金提供者としてコーク兄弟の存在が浮上し、全米メディアが彼らに注目した。
 コーク兄弟はティーパーティー運動との関係を否定したが、新人議員たちの当選後の宣誓式に三男デイヴィッド・コークが満面の笑みを浮かべて出席した こと、ティーパーティー運動に前述のAFPが資金提供をしていたことなど、状況証拠はすっかり揃うことになった。彼らコーク兄弟は、リベラルなマスコミからは「悪役」認定されることになったのだ。
 コーク兄弟は今の時点(2015年12月)ではどの候補者を支援するのか、はっきりと表明していない。現在、共和党内で大統領選挙候補者として最も人気の高いドナルド・トランプは自分の資産を使って選挙戦を展開しているので、コーク兄弟から資金提供を受けてはいない。
 それどころか、他の候補者たちに対して、「コーク兄弟からカネを貰いにカリフォルニアに行かれるとのこと、うまくいくことを祈ります。でも、皆さん方は操り人形なのか?」とツイッターを通じて強烈な皮肉を言い放った。
 しかし、コーク兄弟が深く関与し、支援しているAFPに勤務していたコーリー・ルワンドスキーという人物がトランプ陣営の選挙対策責任者を務めている。
 コーク家は、世界でも屈指の大富豪で、アメリカ政治に深くかかわろうとしている一族だが、極端な秘密主義のために、コーク家、コーク兄弟については、これまでアメリカ国内でさえもあまり知られてこなかった。
 その秘密のヴェールに包まれた大富豪コーク家の歴史を丹念に取材し、全貌を描き出したのが、アメリカのジャーナリストであるダニエル・シュルマン。その成果が『アメリカの真の支配者 コーク一族』となって結実した。
 この本の中で、コーク家の公私にわたる歴史が完全に網羅されている。コーク家の四兄弟の泥沼の法廷闘争や華やかな私生活まで描き出されている。
 アメリカの大富豪たちの生活の一端を覗くこともできる一冊。アメリカ大統領選挙の年である2016年、アメリカ政治を理解する上でも必読の書であると、訳者である私は断言したい。
 ≫(現代ビジネス:賢者の知恵―吉村治彦)

現代アメリカ選挙の変貌―アウトリーチ・政党・デモクラシー―
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名古屋大学出版会

 

見えないアメリカ (講談社現代新書)
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講談社


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●言語の罠に嵌る 英語と云う言語でグローバリズムを囲い込む

2016年01月25日 | 日記
日本語と外国語 (岩波新書)
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岩波書店

 

英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー
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明石書店


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●言語の罠に嵌る 英語と云う言語でグローバリズムを囲い込む

フランス人もドイツ人もロシア人も、否、多くの国々の要人や経営者も、自国の言語以外に英語程度は知っている。しかし、それは、敢えて使わないようにしている傾向がある。その意味を、ひと言でいうなら、英語圏の連中の「土俵に乗る」と云う行為に他ならないからだ。“ザンギリ頭を叩けば、文明開化の音がする”以来、日本でも、口々に、これからは英語だ!が合言葉で、欧米文化に同化しようとした。筆者は、あの情緒を排除した、機能本位の米語なんて下品な言語は、世界最低の言語だと思っている。ブリティッシュ・イングリッシュは認めるけれど。そんな筆者にとって、以下の記事は低能児なご意見だと言わざるを得ない。

そもそもが、筆者が日本語が大好きだと云うことだ。大好きの理由なんて簡単だ。自分の国の言語だからである。それに、世界一厄介で、表現する言語自体が3体ある。漢字、平仮名、カタカナだ。なぜこんなにも複雑な言語が必要になったのか、歴史的に様々な経緯があるが、そのことを論じる場ではない。問題は、グローバル化が何時までも続く保証もないのに、国家がだよ、グローバル人材を育成するために英語だと言い出す。教育とは、一にしてならずで、100年のスパンが必要だ。100年待つのなら、中国語とヒンズー語でも強化するのが筋だろう。

今さら、米語などペラペラ、バイリンガルお兄さんお姉さんを排出してどうなると云うのだ。だいたいが、あんなにニアンスと云うものがない米語などに憧れを感じるなど狂気の沙汰だ。どうも、文部省と云うのか、守銭奴と云うものは、目先の儲けで教育まで変節させようとしている。筆者は、特にレイシスト的感覚で不平を言っているわけではない。英語より、米語より、日本語の方が優れているからだ。複雑で難解な科学において、基礎的な理論をひっくり返すような研究成果は、日本人の方が多く世界に貢献している。

それは、複雑怪奇な日本語と云う厄介なものを学び育つことで会得した、日本人独特の儲け分だ。仮にだ、英語の土俵で、日本人が思考経路をヤンキー並みに発揮するには、社会全体が英語になっていないと意味がない。社会が、そのようになるには、三代の時間が必要だ。つまり、100年以上の歳月があってはじめて、ネィティブな言語になる。100年後、英語圏が覇権国であるとは思っていないし、グローバル経済どころか、閉鎖国家観取引が常態化しているかもしれない。現在の政府や文部省が、そのレベルまで、考えを昇華させて、今回の暴挙に出ているとは到底思えない。ゆえに、端から反対であり、ネィティブもヘッタくれもない。アルファベット言語の世界や未開の単純言語圏の国々と比較対象など出来るわけがないだろう。今回の、ドクターZは無知すぎる。


≪ 本当に大丈夫?英語力が世界最低レベルのニッポン人
外務省が内定者に「TOEFL100点」を課すワケ
  外務省が2016年度の内定者に課す「目標」が、話題を呼んでいる。 英語力テスト「TOEFL」で、100点以上を獲得しろ、というのだ。今春入省予定の内定者のうち、100点以上は3割しかいないとされているが、外務省が目標を設定した背景には、どんな事情があるのか。
 TOEFLというのは、アメリカのNPO法人が実施している非英語圏出身者に対する英語力判定テストである。満点は120点。リーディング、リスニング、スピーキング、ライティングの4つの項目によって、英語力が測られる。
 100点というのは、日本でしか英語を学んでこなかった学生にとっては、なかなか高いハードルだ。だが、アメリカの一流どころの大学では、100点は足切りラインである。大学院なら110点以上を要求されることもある。
 日本人の英語下手はよく知られているが、TOEFLの平均スコアも、先進各国に比べ著しく低い。
 '14年のデータによると、日本人の平均スコアは70。G7国を見ると、アメリカ87、カナダ95、イギリス91、フランス87、ドイツ96、イタリア90と、日本だけ蚊帳の外だ。ヨーロッパ諸国でも90以上がほとんどで、80以下はまずない。最低でもトルコの75だ。アジアに限っても、韓国84、中国77、香港83、北朝鮮82、台湾80と、日本より高い。低いのは、カンボジア69、ラオス64だけ。日本は、アジアでも最低ランクなのだ。
 もちろん、この傾向は最近の話ではなく、以前からである。外務省入省者の英語力も、先進国の外交官からみればはるかに劣っていた。だがそれでも、以前は入省者を海外留学させることで、なんとか体裁を取り繕うことができていた。
 ではなぜ、このタイミングで「100点以上」という目標を課すようになったか。日本人外交官の英語レベルが、さらに下がったわけではない。最近は留学さえできなくなってきたのだ。

■ネイティブでない人が英語を教えるのは異例
 英語力が劣っているのにもかかわらず、これまで外務省官僚が留学できたのは、日本に経済力があったからだ。アメリカなどの大学は「日本人枠」を確保しており、英語が多少できなくても、留学生を受け入れてくれた。中国や韓国といった国に比べ、日本は有利だった。
 ところが、'90年代から日本の経済力に陰りが見え始め、中国や韓国が台頭。それにともない、「日本人枠」は少なくなり、中国や韓国からの留学生も急増してきた。いまや日本人留学生は、英語力の面からも、数の面からも圧倒されている。
 要するに、もはや外務省官僚だけが、低い英語力のまま留学できる状況ではなくなったというわけだ。そこで今回、外務省はTOEFL100点以上を課し、留学できるくらいの英語力を身につけて入省してくれ、と言い出したのだ。
 外務省に限った話ではなく、日本人の英語下手は、教育制度の問題だ。ネイティブでない人が英語を教えるのは、先進国では極めて異例。英語ができない 人から習うと、英語ができない人の再生産にしかならない。しっかりとした英語教育システムを導入しなければ、日本人の英語力は向上せず、世界からどんどん取り残されていくだろう。 ≫(現代ビジネス:ドクターZは知っているー『週刊現代』2016年1月30日号より)

日本語の科学が世界を変える (筑摩選書)
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日本の感性が世界を変える: 言語生態学的文明論 (新潮選書)
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●たまに日本に目を向けて 哀しいかな「卑怯」が蔓延している

2016年01月24日 | 日記
沖縄と本土――いま、立ち止まって考える 辺野古移設・日米安保・民主主義
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朝日新聞出版


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●たまに日本に目を向けて 哀しいかな「卑怯」が蔓延している

東京新聞が倉本聰氏の演劇「屋根」に関しての記事を書いている。所謂、エコノミック・アニマルと化した日本人の心の歪みに焦点を当てたメッセージ性の強い劇作について、やんわりと触れている。筆者から言わせれば、倉本氏の表現は、あくまでも優しすぎる。もっと過激にメッセージを発信して貰えると良いのになだが、この程度の表現であっても、多くの日本人には、抵抗感を持って受けとめるのだろう。いや、もしかすると、そうだそうだと納得し、他人を中傷しながら、おのれの、小さな守銭奴根性は脇に置くのだろうなと思った。

 ≪ 卑怯な日本人へ 遺作の覚悟 倉本聰さん「屋根」
 「日本人そのものが卑怯(ひきょう)になっている気がするんです。情けない日本人になってきた。その怒りをこの作品にぶつけたい」。劇作家の倉本 聰(そう)さん(81)が作・演出を手掛けた公演「屋根」が七年ぶりに再演され、二月五日から東京公演(新国立劇場中劇場)が始まる。笑いあり、涙ありの物語の中に、経済優先で突っ走った戦後社会への厳しい視点が貫かれている。 (瀬口晴義)

 東京から北海道の富良野に移り住んだ約四十年前、倉本さんは原野の中を歩き朽ち果てた廃屋を探した。腐った床板の向こうには、農業を捨てざるを得 なかった一家の残り香が色濃く漂っていた。「カレンダーの日付が大みそかだったこともありました。食事の途中、家族で夜逃げしたんだなと…」。その体験は 「北の国から」をはじめとする創作の原点になった。

 「屋根」の舞台は原生林の中に建てられた開拓小屋だ。大正末期、若い夫婦の間に次々と子どもが生まれる。雨風をしのぐ小さな屋根の下、貧しくも幸 せな暮らしを営む家族に荒波が押し寄せる。徴兵された息子の相次ぐ戦死、戦後復興、高度経済成長、バブルとその崩壊、IT革命。時代の奔流に翻弄(ほんろう)される一家の姿を上からずっと見守っていた屋根の視点で、戦後の家族の一つの形が描かれる。

 息子の一人は広告代理店の社員になる。こんなうたい文句が登場する。<もっと使わせろ!><捨てさせろ!><季節を忘れさせろ!><流行遅れにさせろ!>。節約が善で浪費が悪だった時代は遠くなった。  

「今は都会が日本全体を動かしていると思い込み、食料をつくっている生産地はないがしろにされている。コンピューターやITでは食べ物はつくれないのに…。農村はますます高齢化して疲弊してます」  二〇〇九年以来の再演となる。脚本も改稿した。この間、一一年には東日本大震災が起きた。国策の犠牲者になった福島をテーマにした「ノクターン 夜想曲」を上演した。

 「原発の核のゴミはどこも受け入れない。沖縄の基地も同じ構造です。同情はしてもそれをなんとかしようという方向には行かない。戦前生まれの僕みたいな者は、日本人がものすごく変わった、と怒りを持っています」  貧しいけれど幸せな生き方。それを倉本さんは「貧倖(ひんこう)」と表現する。貧しくて困る貧困は避けたい。でも、貧しくとも幸せな生き方はできるはずだと。本当の豊かさとは何か。倉本さんは「遺作のつもりで取り組みたい」と意気込んでいる。
 問い合わせは電0570(00)3337へ。

<くらもと・そう> 1935年東京生まれ。脚本家、劇作家、演出家。代表作は「北の国から」「前略おふくろ様」「昨日、悲別で」など。最新刊は「昭和からの遺言」(双葉社)。  ≫(東京新聞)


倉本氏が「貧幸」と云う言葉を使って、過去の日本人が持っていた共同体について、経済成長と共に、一時の繁栄と、本当はもっと大切だった共同体と云うものを、失ってゆく様を描いているわけなのだが、筆者から見ると、その原点は、戦後を起点とするものではなく、明治維新における、欧米価値観への隷属時点にまで遡るのだろうと考えている。まあ、劇中において、時空のスパンを幕末まで遡るのは、演劇のメッセージ性が間延びしてしまうので、戦後からと云う時点にならざるを得なかった、そんな風に受けとめている。

上述の劇中から、また一つ、日本は異なるフェーズに入ってきている。経済成長、コンピューターやIT、グローバル金融資本主義と市場原理主義等々の洗礼を受けながら、日本国中が目先の生活に拘泥する傾向は、国会議員から一般庶民に至るまで、欧米価値観の民主主義の囚われ人になっている。無論、此処まで、金と物質で価値を測定する社会を築いてしまった人々の意識を、簡単に変えるなどと云う事は出来そうもない。だからこそ、日々憎まれ口をきいている。ただ、今までの延長線上でしか物事を考えることが出来ない、政治家や役人たちに、按配よく政治を行えと言っても、まず、失敗の連続と云う痕跡を残すだけだろう。

どこの国の民主主義にも言えることだろうが、経済成長を経済学者の目線でいくら見ても、もうコラムひとつ書けない時代に突入していると云う事が判明しつつある。本来であれば、国の宗教観など、一定の歯止めを持つのだが、日本の場合、それがない。日本会議の奇妙な連中は「国家神道」など持ちだすだろうが、あんなものは「お祓い」レベルで、宗教でさえない。筆者の感覚で行くと、ありもしない経済成長に拘泥して、その成長を求める政策を打つことで、より悪化速度を増すと云う悪循環に陥っている。現状であれば、極論だが、政府や役人など消し去り、民間企業と国税局だけで政治をした方が、まだマシのような時間が続きそうだなと感じている。無論、企業の自由に任せ放題にする場合、政府の協力もないわけだが。

原発事故の処理がどうなっているのか、まったく判らない。判らない理由は簡単だ。事故を起こした東京電力と云う会社と政府の原発に関わる、すべての行政機関への信頼が失せたまま、行政が音頭を取って、為政を為そうとしている故に、頓珍漢な現実の姿しか見えてこなくなる。福島産の、あらゆる農作物は、たしかに放射能汚染は少なくなったのだろう。しかし、政府の連中が、福島の米や魚や果物を頬張れば頬張るほど、怪しいぞと受けとめられる社会なのだから、正当なものでも売れない。売っていても、他県産のものに比べ、酷く安価な売値がついている。それは、国民が、本質的に政府を信用していないことに元凶がある。その結果、以下の記事のような事が起きるのは当然なのだ。


≪ 児童生徒数が7割減少、福島 原発避難小中学校
東京電力福島第1原発事故で避難区域となった福島県12市町村で、移転した小中学校に通う児童・生徒数が、事故前に比べ約7割減少したことが23日、各教育委員会への取材で分かった。2010年度は1万2424人だったが、15年度は3687人となっている。
 事故から5年近くたっても避難指示解除の見通しが立っていない所があり、避難先で授業を続ける学校も多い。子どもたちは各地に散らばり、大幅減につながっている。今後も減少に歯止めがかからず、休校や統合が加速しそうだ。 ≫(東京新聞:共同)

それでなくても、少子高齢化の日本だが、福島では、「極小子高齢化」な社会(行政区)を、無理やり復興のシンボルとして、田舎芝居を、高齢者に演じさせようとしている。正直、このような為政は、棄民政策に近いだろう。全国的に過疎化と消滅行政区が話題になっている時に、辛いことを口にすることは、間違いを認めることになるので避けて通りたい一心で、こう云う、異様な消滅の危機の行政区温存に力を入れることは、善でもなんでもない。これこそが誤った「空気」だ。その誤謬だらけの空気に抗うことに抵抗のある人々を、インフラも真っ当にない行政区に囲い込み、一丁あがりは、人の道に外れている。失われた国土と表現したくないのだろうが、出来上がったイメージを変えることは、永遠に出来ない。そのことを踏まえて、妥当な解決の道を提供するのが、徳ある政治だが、そんな事は、金輪際期待できない政治が続いている。ここにも日本の卑怯が見える。

話題はコロリと変わるが、国際的な卑怯度を表す話もある。「国際社会」と云う言葉が大好きな首相のいる国とは思えない話だ。金を出すが、参加はしない。そう云う思想なら、それはそれで矜持として認めても良い。しかし、自国に投資してくれと言いながら、世界の苦しみの一端を受入れることは嫌だじゃ、真っ当な国だと思われる筈もない。何も、移民国家になるわけではない。そのくせ、東京辺りのコンビニやスーパー、飲食店のレジには、片言の日本語が飛び交っている。彼らは旅行者のなのだろうか?外国人研修制度からスケープゴートした人々なのだろうか?兎に角、人口の1%程度は外国人が働いている。法的建前と実情に、驚くべき乖離がある。卑怯と言われない国家の体裁くらい整えるのが「国際社会」を口にする人間の常識だろう。海外メディアでは、この日本の異質論は主流と言っても過言ではない。


 ≪ 日本の昨年の難民認定者27人、99%以上却下
【AFP=時事】日本で昨年、難民認定を申請した外国人は過去最多の7586人に上ったが、そのうち実際に難民として認定された人はわずか27人だった。 23日の法務省発表で明らかになった。人権団体は日本政府に対し、もっと多くの申請者を難民として認定するよう要請している。 日本政府は、均質的な日本社会に難民が流入することに神経をとがらせており、難民の受け入れ人数を厳しく制限している。
 昨年、日本で難民認定を申請した数千人のうち、シリア人は5人で、そのうち難民として認定されたのは3人にとどまった。内戦状態が続いているシリアから昨年欧州に渡った膨大な数のシリア人と比べれば、ほんの一握りだ。他に難民認定されたのは、アフガニスタン人6人、エチオピア人3人、スリランカ人3人など。
 法務省では、27人という昨年の難民認定者数は、2014年の11人、2013年の6人と比較して飛躍的に増えていると述べている。しかし、昨年の難民認定申請者数7586人のうち、99%以上が却下されたことになる。  難民支援協会(Japan Association for Refugees)は、日本政府は難民認定者数をもっと増やすべきだと述べている。 ≫(【翻訳編集】 AFPBB News)

戦う民意
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●資源安という、絶好の経済環境を掴み損ねた“安倍黒コンビ”

2016年01月23日 | 日記
石油とマネーの新・世界覇権図――アメリカの中東戦略で世界は激変する
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ダイヤモンド社


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●資源安という、絶好の経済環境を掴み損ねた“安倍黒コンビ”

22日の東京株式市場は、日経平均株価は前日比941円高と、安倍政権はじめ、日本の小株主諸君に、一息の週末を提供した。NYでは円安方向に動き、午前3現在118円台で推移しているので、円安株高の風が吹いてきたのでは?そう思う人もいるだろうが、一時の休息に過ぎないだろう。そもそも、円安が、本当に国家の為になるなら、国家の富が目減りするが、それはそれで一つの方向性だと言える。しかし、円安によるメリットは企業の内部留保に滞留し、津々浦々どころか、一握りの大企業層の労働者に僅かに配られただけで、大多数の国民生活を援ける流れは一切ない。

今後も、この日銀の異次元金融緩和で円安は定着し、実力以上の株価も演出されるかもしれない。否、安倍政権は、将来、日銀のバランスシートが大きく膨れ上がろうが、大多数の国民に関係のないところで、マネーゲームが行われるだけで、実体経済の改善は起こりえないと考えるのが論理的に妥当だ。なぜなら、現在の円安も人為的であり、株高も人為的だからである。つまり、経済政策として、それを望んだから、その通りの現象が起きているに過ぎない。しかし、この政策は、世界の地政学の流れを大きく見誤った。その為に、過激なほどのレベルに達している資源安の恩恵を内需が受けないと云う悲劇が生まれている。

つまり、見せかけの経済指標を順調に見せる効果は表れたが、国民が普通に生活し、そこから生まれるGDPにも、実体の生活にも、その効果がまったく及ばない現象を、経済を好くすると言いながら、悪化させる皮肉を生みだしている。この世界的資源安による国民生活メリットは、仮に無策な政治を行っていた方が、遥かに恩恵をもたらしたと云うことだ。安倍晋三と日銀黒田は、二人でわざわざ悲喜劇を演じてしまい、国民に、濡れ手で粟状態で入手できたメリットを津々浦々に届けるどころか、自国通貨の価値を下げて、国富を流出させ、国民にはお裾分けすら渡そうとしない、悪手な政策を選んでしまっている。

政府は、株や為替に関して、一喜一憂しないと言いながら、8000円の株価を20000円にしたと、方々で自慢してやまないのが現状だ。政府から言わせれば、現在の資源安も、投機相場であり、一喜一憂することはない、いずれ、資源安の流れも止まるだろうと嘯くだろうが、ここ当分、資源が、特に原油相場が上向きになると云う予測をする人間は、殆どいない。居るとすれば、その人達は相場だけで世界を見ているに過ぎず、地政やヘゲモニーの移行期と云う観点を見失っているだけだ。22日の東証の上げも、ロンドン株式相場の上げも、更なる金融緩和策を催促するものであり、経済活動の見通しが好くなる流れで買われたものではない。

年初以来、世界の金融資本市場を襲っている世界経済の停滞シグナルの震源が消えたわけではなく、あまりにも酷い不況状況を何とかしろと叫んでいるに過ぎない。リーマン危機後に中国は4兆元、米国は4兆ドル、という史上最大の間をバラ撒いた。そのカンフル剤を打った世界経済は、各国の負債を膨大なものにし、利潤の出ない経済構造を作ってしまった。この手仕舞に米国も中国もきりきり舞いしている時に、我が国やEUは、そのきりきり舞いと云うおバカな踊りに、遅ればせながらと言いながら参戦するのだからバカの上である。

仏のバルス首相やルクセンブルクの外相らは、統一ヨーロッパは、大量の難民とテロにより、右翼政党の抬頭を許し、崩壊の年を迎えているかもしれないと嘆くに至っている。正直、打つ手がないのだ。その上に、日米中や他の途上国の経済状態が良ければ、救いもあるだろうが、そちらも悪い儘となると、EU崩壊と云う絵図が枕元に出てきても、不思議ではない。米ネオコンシンクタンクは、民主党の愚策を突く意味合いもあるのだろうが、米国の世界戦略の立ち往生の様を嘆いているが、共和党になっても、その実態が、すぐさま変るものでもない。つまり、経済だけではなく、軍事の面でも中国のアジア地域のヘゲモニーの定着は時間の問題だと見ている。

米中の経済力は現状、6:4の関係だが、中国経済が減速傾向にあると云っても、最終的には並走、そして追い抜くことは既成の事実だ。軍事力の現状は8:2で、圧倒的に米国が有利だが、世界中の紛争に巻き込まれている米国の軍事力は分散される。それに比べて、中国の主たる紛争地域は南シナ海、及び東シナ海に焦点を当てやすい情勢にあるので、その力関係は5:5に近い。まして、中国にとって、目先の紛争地であるから、所謂、後方支援において、断然有利である。それを承知で、その紛争地域に他の紛争地の軍事力を移動させる状況にはない。その周辺国が、どの程度戦闘に参加するか、後方支援に参加するか、曖昧だ。

米国にとって、そこまでして、守るべき紛争地域であるかは、大いに議論の余地があるのが、南シナ海、東シナ海だ。米中の経済的関係は、既に日韓との関係を凌駕しているわけで、いがみ合って入るが、蜜月を演出しておかなければならない、米ソ関係に接近中だ。こう云う状況を踏まえた時、米国は、当該地域の紛争に強く関与する軍事外交姿勢が正しいかどうか、判断しなければならない時期は、すぐそばにある。地政的問題は、現状でも話し合いの余地は十分残されている。分割統治と云う落としどころは視界の中に入っている。米中の経済関係は、今後とも深まるばかりで、この地域のヘゲモニーを米国は、米中、3:7で譲ることが可能だと云う議論を進めるべきである、とネオコン・シンクタンクは冷静に主張している。

上述のようなアジアの状況を念頭に、我が国のあるべき姿は、残念ながら、中国と対峙する関係である理由は皆無に近い。嫌いだから対峙することは、明らかに国益に支障をきたす。現在の安倍政権は、地政学情も頓珍漢な方向性に拘泥し、甘い言葉も交えるロシアとの接近に活路を見出そうとしている。おそらく、中露の関係強化に楔を打たなければと云う意志が働いているようだが、その意志決定が、どのような経緯でなされたか、米国の入れ知恵がどの程度なのか。かなり不透明だ。これに、安倍晋三の個人的好みが加わって、物事が動くとなると、この先を読むのは、難解だ。

この地政学上の問題を踏まえて、現在の、円安株高経済政策が、「間違った的」に向けて矢を放っているのではないのか、真剣に議論すべき時が来ている。今後の世界経済は、資本主義の利潤追求と云う、メインな目的達成が不可能状態になっている事実を踏まえて、グローバル経済が生まれた。そして、その開拓すべき市場の限界見えた以上、何らかの異なる形態の経済システムに移行せざるを得ないのは必至だ。このような状況下において、安倍政権と日銀黒田の経済金融政策は、明らかに的外れだ。以下に、野口悠紀雄氏の主張を載せておく。筆者も概ね、彼の考えに同意する。


≪ 資源価格下落は日本への未曾有のボーナス
世界経済が大きく動揺している。この変化を利用して、日本の実体経済を成長させることができる。
 それは、資源価格が下落しているからだ。これは、日本経済に対する未曽有のボーナスである。物価の引き下げを通じて、これを実質消費の増加につなげることこそ、新しい時代の成長パターンでなければならない。

 ■資源価格下落は経済にマイナスではない
 日本は最も大きな利益を受ける
 現在、金融市場で生じている様々な動向は、経済活動にマイナスの影響を与えると考えられることが多い。
 しかし、日本の立場、とくに消費者の立場から見れば、まったく異なる評価が可能だ。
 株価の下落が、株式保有者にとって大きなマイナスであることは間違いない。しかし、実体経済の立場から見れば、さして重要なこととは思えない。
 これまで、日本の株価は、実体経済の動きとは乖離して上昇していた。だから、下落局面になっても、実体経済には大きな影響を与えない。
 原油価格をはじめとする資源価格の下落も、マイナスであるという意見も多い。しかし、資源価格下落が経済に与える影響は、国や産業によって異なる。
 産油国にとっては間違いなくマイナスであるし、新興国は資源輸出に依存している度合いが大きいから、大きなマイナスの影響を受ける。経済は減速し、これまで投資されていた資金が流出するため、株価が下落し、通貨は弱くなる。
 アメリカの場合は、やや複雑である。アメリカは産油国であり、石油の輸出国である。とりわけシェールオイルについては大変大きなマイナスの影響だ。他方で、アメリカはガソリンの大量消費国であるから、ガソリン価格の低下はアメリカの国民にとっては望ましい。
 日本は資源輸入国なので、ほとんどの企業活動や消費者の立場から見て、プラスの効果がある。
 とくに通勤を自動車に依存している日本の地方都市にとっては、大変大きな利益である。ガソリン価格が低下すれば、その分を他の商品に回すことができるだろう。
 日本は資源価格の下落によって利益を受ける典型的な国だ。

 ■消費税の税収総額に匹敵する利益
 国民生活に反映させることが重要
 資源価格の下落が産油国や新興国の経済に悪影響を及ぼし、それが日本の輸出を減らすという意味でマイナスの影響があるとの意見もある。
 中国への輸出が減少することは事実である。しかし、それによる輸出の減少よりも、資源価格の下落によって輸入が減少する効果のほうがずっと大きい。だから、日本の貿易収支についてはプラスに働く。
 具体的な数字を見れば、つぎのとおりだ(図表1、図表2参照)。

図1 


図2 


2015年11月の輸入額は、前年同月比で15.5%減少した。額では1.1兆円だ。年率に換算すれば13.2兆円になる。
 この間に、実質輸入量は減少していない(GDP統計における実質輸入の季節調整値は、14年7~9月期の79.8兆円から15年同期の81.1兆円に増加している)。したがって、上で見た輸入額の減少のほとんどは、輸入価格の低下によるものである。
 輸出も減少したために収支差の減少は輸入減より小さかったが、それでもかなりの大きさだ。貿易収支は、季節調整値で見ると14年11月には6681億円の赤字であったが、その後ほぼゼロになり、15年11月には1032億円の黒字になった。
 今後も、原油価格低下の影響で、季節調整値の貿易収支はプラスになる可能性が高い。
これは、かつてなかったほどの大きなボーナスが、日本経済に与えられたことを意味する。これまで資源国に移転されていた富が、日本に戻ってくることを意味するわけだ。
 上で見た13.2兆円という額は、消費税の税収総額にも匹敵する。3%の税率アップによる増税額よりは、ずっと大きい。
 消費税の増税や存在そのものが、日本経済にマイナスの影響を与えると言っている人々が、なぜ輸入価格下落を重視しないのか、まったく不思議である。
 これを企業の利益の段階にとどめるか、あるいは国民生活に反映させることができるかどうかが重要な問題だ。

■輸入物価下落は消費者物価に
 十分反映されていない
 図表3は、消費者物価指数(生鮮食品を除く総合、消費税の影響除く)の対前年比と、6ヵ月前の輸入物価指数(円ベース、総平均)の対前年比(%)の10分の1を示したものである(例えば、2015年7月には、15年1月の輸入物価の対前年比の10分の1が示してある)。
 12年後半以降、15年前半までの期間においては、両者の間にきわめて強い相関が見られる。
 つまり、「対前年比で見て輸入物価変動の10分の1が半年後の消費者物価変動に現われる」と考えると、消費者物価の動きをよく説明できるわけだ。

図3



ところが、この関係は、15年後半以降、成立しなくなっている。つまり、上の法則から言えば、消費者物価指数の対前年比がマイナス1%程度になるべきところ、実際には0%の近辺にとどまっている。
 これは、輸入価格下落の効果が消費者物価に十分反映されていないことと解釈できる。
なお、11年後半から12年前半にも両者の乖離が見られる。このときには、輸入物価が上昇したにもかかわらず、消費者物価はほぼ0%の伸びにとどまった。
 上の相関関係が成立すれば、16年5、6月頃の消費者物価指数の対前年比はマイナス2%程度になるはずであるが、実際にはそうならない可能性が高い。
 15年においては、すでに見たように、輸入価格の下落によるきわめて大きなボーナスを日本経済は得た。それにもかかわらず、実質成長率ははかばかしくなかった。
 年率換算の対前期比は、1~3月期には4.4%になったものの、4~6月期にはマイナス0.5%とマイナス成長に陥り、7~9月期も1.0%でしかない。これは日本の経済が資源価格下落という絶好のボーナスをうまく利用できなかったことを意味する。
 その原因は、いま見たように、原材料価格の下落が、企業利益の増大と内部留保の拡大にとどまってしまって、消費者物価を下落させていないことである。

 ■資源価格は今後も低位にとどまる
 経済成長に活用できるか
 図表3の輸入物価は、12月までのデータしか示していない。
 したがって、原油価格の1バレル30ドル台への下落と、円高を反映していない。これらが反映されれば、輸入物価は、さらに下落する。
 しかも、資源価格の下落は投機の終了によってもたらされているものであるから、簡単に反転してしまうというようなものではない。
 図表4には、アメリカエネルギー情報庁による原油価格の予測を示す。これによると、2016年中は、1バレルあたり40ドル程度の値が続くことになっている。
 なお、この予測は12月時点のものであるため、1月の状況を考えれば、さらに価格が下がる可能性がある。

図4 



円高が進行すれば、輸入物価はさらに下落する。
 つまり15年に起きたような変化は今後もさらに続くわけである。
 したがって、以上のような資源価格の下落を経済成長に活用できるかどうかが、日本経済にとって大変大きな意味がある。
 そのためには、日本銀行が掲げているインフレ目標は、撤廃する必要がある。

 ■インフレ目標は撤廃すべき
 すでに非現実的になっている
 2%というインフレ目標は、すでに非現実的なものとなっている。
 輸入物価がこれだけ下がって、なおかつ消費者物価が2%も上昇するなどということはありえない。為替レートが円高になれば、なおさらそうである。
 日銀は、「生鮮食品とエネルギーを除く指数(日銀版コアコアCPI)」を見れば上昇していると言う。しかし、それは、これまでは食料品価格が上昇していたからである。
 ところが輸入物価指数を見ると、食料品も下落している(2015年12月の食料品・飼料の輸入物価指数の対前年比は、マイナス7.0%)。したがって一定のタイムラグを伴って、消費者物価でも食料品が下落するはずである。
 物価引き上げを目標とする日銀の立場から見れば、確かに望ましくないことだが、国民の立場から見れば、明らかに望ましい変化が進行しているのだ。
 ≫(ダイアモンドONLINE:経済・時事―野口悠紀雄“新しい経済秩序を求めて”)

1500万人の働き手が消える2040年問題--労働力減少と財政破綻で日本は崩壊する
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●米国隷属なのか同床異夢なのか オバマとネオコンの離反外交

2016年01月22日 | 日記
転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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●米国隷属なのか同床異夢なのか オバマとネオコンの離反外交 

以下は田原総一朗氏の「第3次アーミテージ・ナイレポート」と安倍政権の政策決定の一致に関してのコラムだが、通り一遍から一歩前進で、吟味された跡が見られる。外務官僚、防衛官僚の思惑と云う範囲から、安倍国家主義政権の思惑が複雑に絡み合って、昨年の「戦争法案」は成立したのだろうと云う考えは正しいだろう。オバマ・ホワイトハウスの意向と「第3次アーミテージ・ナイレポート」の趣旨は、かなりニアンス的なズレが見られ、日本国内の既得権勢力の悪用と安倍晋三と云う人間の個人的思いが入り混じった厄介な性格を持つ法案になっているのだと思う。

政治や行政の世界では、様々な思惑が絡み合って、どちらの勢力も利用可能な道筋が担保されていることが多く、時と処によって使い分けが可能な法律になっている。権力者のフリーハンド領域の拡大がフレキシブルに組み込まれている。このような法律が成立した事情は、世界情勢がどの方向に向かって動くは判らないことから、有効な選択ではあるが、安倍政権のような権力志向の政権に、フリーハンドで、その主導権を握られている事は、相当に危険なことだと理解しておくべきだ。意思決定が、どうも数人の意見交換で簡単に決定している傾向があるので、思いもよらない方向に走り出す危険は充分にある。

特に、田原氏も指摘しているが中国包囲網と云う考え方は、アメリカの主論ではない。あきらかに、軍産複合企業とネオコンの合作であり、安倍晋三の趣味の部分であり、第二次世界大戦に根拠なく突入した嘗ての日本軍に近似している。21世紀になり、近代資本主義は成熟期から衰退期に移行し始めている。このシステムは、より遠くに市場のフロンティアを探し続けるシステムであり、アジア、アフリカをターゲットに最後の開拓が行われた。これが、グローバリズム経済の正体だ。そのフロンティアもピークアウトして来た。それが中国経済の減速として明示されているわけだ。ここ20年近くは、フロン的である中国の成長と、資源国であるロシアや中東に支えられた。

しかし、この経済的行動原理に地政学が加わることで、マネーの利潤率は低下するばかりで、EUなどではマイナス金利が当たり前に語られるようになっている。近代資本主義の原動力は利子率が命だ。この利子率の低下は世紀の終わりを暗示するのだから、米国FRBは無理にでも金利を上げたわけだ。必ずしもインフレ不安が米国内で起きる状況ではないのに利上げに踏み切った理由は、利子率が低水準に居ることに恐れをなしたと言える。しかし、世紀末な歴史的結論に抵抗する米国の舵取りは、自国民の生活を傷つける結果に終わる筈だ。こう云う時代は、互いに傷つかない外交が必須なのだが、短絡的で近視眼な利益を求める勢力は後を絶たない。

おそらく、安倍政権を支えている経産省官僚にとって、軍産複合企業群の隆盛は、国家を救うように見えるし、安倍晋三の個人的志向も満足させる。武器輸出三原則の放棄や原発輸出、鉄道輸出に血道を上げるのも、歴史的に経済を見ることがない、大局的目線を失った思考停止な官僚と、軍国大好きな男に、一時のステージを提供している。それが、今の日本だろう。米国にとって、中国は経済的には、最大の生命線なのだから、原則的に敵に回すわけがない。ロシアは敵に回しても、中国敵視は死期を早める以外のなにものでもない。そう云う意味では、「第3次アーミテージ・ナイレポート」の要望は、米国の2,3割の意志であり、7割は別の意志持っている事を忘れてはいけない。

筆者の考え方で結論を導けば、韓国との友好に使うエネルギーが1だとすると、中国との有効に使うべきエネルギーは5~10倍ではないかと理解している。ロシアでも、対韓国の2~3倍のエネルギーが費消されるべきだ。ASEANに対しても2~3倍のエネルギーが必要だろう。現在の安倍政権の最大の過ちは、最大だらけで、書き連ねるのも容易ではないが、対中政策の誤りも最大の一つだし、アベノミクスも最大の一つだ。まあ、アベノミクス、異次元金融緩和の方は、近々悲惨な答えが提示されるので、早目の是正がなされるだろう。そう云う意味で考えると、甘利の金銭疑惑は、ピッタリのトリガーになるだろう。


≪ 「アメリカの意向」の真実~安保法案、慰安婦問題、原発再稼動にどこまで関わっていたのか

【昨年9月に可決された安全保障関連法案が「第3次アーミテージ・ナイレポート」の要望通り実行されたのは本コラム「安保関連法案は『第3次アーミテージ・ナイレポート』の要望通り?」で指摘した通りだ。  実はこのリポートにはこれ以外にも、慰安婦問題、原発再稼動についてまで触れられていた。しかし、これが本当に「アメリカの意向」だったのか。】

■安保関連法案は「アーミテージ・ナイレポート」そのもの
「第3次アーミテージ・ナイレポート」とは、米国のリチャード・アーミテージ元国務副長官とジョセフ・ナイ元国務次官補(ハーバード大学特別功労教授)を中心とした超党派の外交・安全保障研究グループが2012年8月15日に公表した報告書だ。
 海上自衛隊幹部学校のウェブサイトにて、海上自衛隊幹部学校第1研究室の井上高志さんがその「概要」をまとめている。
 何が言いたいかというと、安倍内閣による安保関連法案が、見事にアーミテージ・ナイレポートに書かれていることをそのまま実行しているということだ。

■レポートが示した日本への9つの提言  
 同レポートの中に、「日本への提言」として9つの項目が挙げられていて、その中に次のような項目がある。
「(2)日本は、海賊対処、ペルシャ湾の船舶交通の保護、シーレーンの保護、さらにイランの核開発プログラムのような地域の平和への脅威に対する多国間での努力に、積極的かつ継続的に関与すべきである」
 安倍首相は、集団的自衛権の行使の例としてホルムズ海峡の機雷掃海を挙げていた。そして昨年9月、ホルムズ海峡の機雷掃海について「現実問題として発生 するとは想定していない」と述べたものの、同時に「日本の生命線である海上交通路の安全確保は日本だけでなく国際社会全体の繁栄に不可欠だ」と言った。こ の発言は、まさに(2)の項目と一致している。

「(9)国連平和維持活動(PKO)へのさらなる参加のため、日本は自国PKO要員が、文民の他、他国のPKO要員、さらに要すれば部隊を防護することができるよう、法的権限の範囲を拡大すべきである」
 これも安保関連法案に含まれている。安保関連法案は、アーミテージ・ナイレポートの内容をそのまま反映されたものと言えるのだ。

 ■レポートは慰安婦問題や原発再稼動についても言及
 実は、一致しているのは安保関連法案だけではない。同レポートに「(4)日本は、韓国との関係を複雑にしている『歴史問題』を直視すべきである」という項目がある。この歴史問題とは従軍慰安婦問題だ。
 昨年12月、日韓領国政府は従軍慰安婦問題で合意し、安倍首相は元慰安婦に対しておわびと反省を表明した。
 さらに「(8)日本は、日米2国間の、あるいは日本が保有する国家機密の保全にかかる、防衛省の法律に基づく能力の向上を図るべきである」という部分がある。まさに特定秘密保護法のことだ。
 安倍政権は原発の再稼働を進めているが、それについても一致する項目がある。
「(1)原子力発電の慎重な再開が日本にとって正しくかつ責任ある第一歩である。原発の再稼動は、温室効果ガスを2020年までに25%削減するという日 本の国際公約を実現する唯一の策であり、円高傾向の最中での燃料費高騰によって、エネルギーに依存している企業の国外流出を防ぐ懸命な方策でもある。福島 の教訓をもとに、東京は安全な原子炉の設計や健全な規制を促進する上でリーダー的役割を果たすべきである」
 つまり、アメリカは日本に原発の再稼働を要求しているということだ。 原発ゼロを閣議決定できなかった理由
 ここで思い出すのは、2012年9月14日の野田佳彦首相の発言だ。彼は「民主党としては、2030年代末までに原発ゼロにする。使用済核燃料の再処理もやめる」と表明し、9月19日に閣議決定しようとした。しかし、それはできなかった。
 僕は当時、民主党の幹部に「なぜ閣議決定できなかったのか」と聞いたら、「アメリカから反対されたからだ」と答えた。これはまさにアーミテージ・ナイレポートに沿った反応というわけだ。
 以上の点は、池上彰さんも指摘している。彼は著書『日本は本当に戦争する国になるのか?(SB新書)』では「これは愕然とした。なんだ、結局はアメリカの言いなりなんだなというのが、正直な気持ちです」と述べている。
 要するに、安保関連法案、特定秘密保護法、原発再稼働、従軍慰安婦問題は、すべてアーミテージ・ナイレポートをそのまま実現したものではないかということだ。日本は、完全にアメリカに従属しているのではないかとも読み取れる。

 ■普天間基地の辺野古移設は必ずしもアメリカの意思ではない
 ところが、国際政治学者の三浦瑠麗さんに話を聞いたところ、アーミテージ・ナイレポートは、必ずしもアメリカ政府の意向に沿ったものではないというのだ。同レポートは、アメリカの産軍複合体の意思であって、アメリカ政府はそこまで日本に要求していないという。
 例えば、沖縄の普天間基地を辺野古に移す問題も、日本ではアメリカの強い要求があるかのごとく報道されている。しかし、実はアメリカでは、海兵隊を沖縄から撤退させるという発想もあり、必ずしも基地の移設はアメリカの主張ではないという。
 今、アメリカ内部では、海兵隊の縮小を進めようとしている。海兵隊とは、他国に攻めていく時に、真っ先に上陸する第一陣の部隊だ。その後に続いて陸軍や空軍が突入していく。
 しかし今、アメリカは世界の警察をやめてしまった。世界の警察をやっている時は、どこかで民族紛争が起これば乗り込んでいく必要があるが、それをやめた今、海兵隊の役割は大幅に少なくなってしまったのだ。
 ところが、海兵隊としては既得権益を失いたくないのが本音だ。辺野古の移設に関しては、そういった海兵隊の意向もあったのではというわけだ。
 つまり、海兵隊の意向がアメリカ政府の意向とは必ずしも一致しないということが言える。日本も、アメリカ政府の意向をうまく汲み取れていないということだ。

 ■「アーミテージ・ナイレポート」はアメリカでも批判がある
 なぜこのように日本とアメリカの間でミスマッチが起こっているのか。それは、日本の情報戦略が不足しているからだ。
 かつて太平洋戦争でも、僕は同じことを感じていた。日本がアメリカのような大国と戦えば負けるに決まっている。では、なぜ、負けが決まっている戦争をしたのかというと、日本の情報戦略が不足していたからだ。
 今になって振り返ると、日本はアメリカとの交渉をもっと続けるべきだったと言われている。そういった日本の情報戦略の不足ぶりが、今も表れているのだ。
 日本は、アメリカの意向とは一体何なのかを、きちんとした情報戦略を持って基本から捉え直すべきだ。
 アーミテージ・ナイレポートは、実のところアメリカ内部でも批判がある。同レポートは共和党のブッシュ政権時代のリチャード・アーミテージ国務副長官が中心となってまとめたものだ。民主党のオバマ政権とは、明らかにギャップがある。

 ■間違った「アメリカの意向」で対中政策を読み誤る恐れも
 一番の問題は、中国に対するスタンスだと思う。日本では、特に安倍政権が考えているのは、一種の中国包囲網だ。例えば、環太平洋戦略的経済連携協定 (TPP)に関しても、日本では割に「一種の中国包囲網」だと捉えられているが、アメリカは必ずしも中国包囲網を築こうとしているわけではない。
 第一、アメリカは中国と戦争をするつもりがない。ところが、安倍政権では一触即発の中国包囲網という形をとろうとしている。ここが、アメリカの意向と相当ズレているのではないかとの指摘もある。
 また、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の問題も同様だ。当初、G7は参加しないはずだったが、イギリスが手を挙げ、それに続いてフランス、ドイツ、イタリアの4カ国が加わった。創設メンバーは計57カ国にものぼる。
 結局、G7のうちAIIBに参加していないのは日本とアメリカだけになってしまった。僕は、外務官僚や経済の専門家たちに「なぜ日本はAIIBに参加しないのか」と聞いたら、「アメリカが参加しないからだ」という答えが返ってきた。
 では、アメリカが参加しないのはなぜか。仮にオバマ大統領が参加しようとしても、議会の承認得られない。今、アメリカ議会は上院も下院も共和党が多数を占めるからだ。つまり、民主党のオバマ政権が参加しようとしてもできないというのがアメリカの状況なのだ。

■日本は情報戦略を基本から見直すべきだ
 少なくとも民主党政権下においては、アメリカは中国と対立しようという意思はない。ところが、日本はそれと異なる方向を向いている。
 もっと言えば、安倍政権は「アメリカの意向だ」と言いながらも、アーミテージ・ナイレポートをうまく利用して、やりたいことを進めているという見方もできる。
 日本は、アメリカの意向とは何なのか、もっと細かく情報を集める必要がある。例えば、先ほど触れたアーミテージ・ナイレポートもそうだが、誰の意向なのかをしっかり把握しなければならない。
 今、世界が多極化している中で、日本は情報戦略を基本の基本から捉え直していかなければならない時に来ているのだと思う。
≫(日経BIZ COLLEGE:トレンド・田原総一朗の政財界「ここだけの話」)

資本主義の終焉、その先の世界(詩想社新書)
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●最低限の文化的生活とは何ぞや! 安倍君、具体的に答えてみよ

2016年01月21日 | 日記
代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す (中公新書)
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●最低限の文化的生活とは何ぞや! 安倍君、具体的に答えてみよ

どうも、東証株価の化けの皮が完全に剥がれた模様だ。二万円の大台まで偽装株高を演出し、海外投資家及び国内の守銭奴を踊らせたわけだが、遂に、吹くべき笛も、叩く太鼓も失ったようだ。たしかに、中国経済の減速が確定的になり、サウジとイランの対立も先鋭化され、地政学上もキナ臭さを増している。ただ、世界経済の先行きが真っ黒になったのを、中国経済の所為にばかりしている西側諸国の論評には、素直に、そうだよねとは首を縦にすることは出来ない。中国が~~との論評は、逆さまから見た時、今までの世界経済が中国の成長に頼り切って回っていた事実を暴露している、そう云う現実に気づく人々の少なさには、ほとほと呆れる。

つまり、アメリカ経済は好況な指数だけが独り歩きしていると云う事実を如実に表しているだけではないかと云うことだ。今年は、米大統領選の年だが、共和党の有力候補は現時点でも“冗談工房トランプさん”なのだから凄い。何がすごいって言うと、白人貧困層から狂信的支持を得ているからだ。アメリカ社会は、経済が崩壊するかどうか別にして、中間層を破壊する国家戦略に手を染めた所為で、「徳」が失われつつある。99%と1%と云うのは大袈裟な表現だが、中間層が30%程度に縮小しているのは事実だ。そして、その殆どが貧困層の仲間入りをしている。この流れは加速するばかりで、止まる気配はない。

東証日経平均が632円下がったが、日銀の金融緩和とアベノミクスなるものが、完全に敗北した証拠立てが着々と進んでいる。植草氏などは、この安倍晋三と云う男が率いる政権が経済政策で大失敗するのは当然だが、そのお陰で、国民が塗炭の苦しみを味わうわけにはいかない、と述べている。極めて穏当な表現だが、国民たちが選挙を通じて、自民党政権を二度に亘って選択したのだから、最終的には国民の責任だ。ネット上でも、安倍政権の責任だけを咎める意見が横行しているが、国民全体の劣化が招いた貧困経済大国だし、隷米国家主義と云う歪んだ異常神経国家になったのも、筆者的には国民の総合的意志が、その自民党を選んだのだから、最終的結果責任は、引き受けざるを得ない。

安倍だけ、自民党だけが悪いと云うのは詭弁だ。NYダウも460ドルも下げている。これに円高115円ともなれば、21日東京市場は底が割れそうだ。真剣に、年金基金の運用損失21兆円への不安が的中するかもしれない。いや、この数字は政府の試算だから、真実は倍の42兆円に膨らむ可能性がある。そのつけは、自民党公明党大阪維新支持者に限らず、共産党支持者にまで及ぶのが、民主主義なんだね。年金受給額のノベタン1割カットくらい起きそうだね。やっぱり、このギリシャ所縁のデモクラシーは怪しいのかもしれない(笑)。賢人政治にしたいのだが、日本の有識者の中に1割も賢人はいないのが実情だからね。

とまぁ憎まれ口をきいていると石でも飛んできそうなので止めておくが、結果責任と云うものは、為政者だけに負わせるものではなく、選択者、或いは選択者を作り出している世の中と云う基準では、すべての国民が、それ相当の責任を甘受すべきだ。ところで、日本国憲法25条には「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれている。以下の毎日新聞の記事によると、非正規労働者の7割が年収200万円に届かないのだそうだ。月額にすると17万円を切る額だ。月17万円が健康と文化的最低限度の生活が出来るかどうかと云う問題を論じなければならない。安倍首相などは、毎晩、17万どころか100万くらいの散財をしているだろうが、それと比較するのも乱暴だろう。

一般的に、四人家族と想定して、この年収の家庭が持ち家である可能性は低いだろうから、7万円程度は家賃に消えてゆく。残り10万円で四人家族が生活できるのかと云う問題だ。食を考えてみると、徹底的に倹約したとして月に5万円は下らないだろう。つまり、何とか飢えをしのいだとして、残金は5万円である。次に水道光熱費だが、平均値の下限の方で見積もっても1万2000円はかかる。残金は3万8000円だ。ネット時代なのだから、PC,携帯やスマホにどうしても金がかかる。四人家族の世代や年齢によっても異なるが、1万円を下ることはない。残金は2万8000円だ。

生命・損害保険などにお金は割けないから、リスク覚悟で保険料はスルーするとして、最低限の医療費は掛かる。5000円と見積もろう。残金は2万3000円だ。非正規労働者でも昼飯は食う。最低でも昼飯代兼小遣いで月1万円を下ることはない。残金は1万3000円だ。これに給食費二人分、1万2000円を支払うと、残金は1000円だ!1000円で日用雑貨を賄うのは無理だ。手で尻を拭かなければならない。新聞も取れるわけがないし、NHK受信料など逃げまくるしかない。無論、衣服費と云う衣食住の重大要素の一つは到底手が出ない。

このモデルケースの家庭が、日本国中に500万世帯近くあるわけだから凄い。少々乱暴な見積もりなので、ご意見不要は当然だ。もう眠くて仕方がない(笑)。安倍君いわく、奥さんパートで25万円だどうだが、それじゃあ、年収は奥さんのパートだけで300万円になる。連合の調査だから、相当にこれでも水増ししているに違いない。赤旗さんが調査したら、きっと年収は150万以下くらいになりそうだ。500万世帯も1000万世帯くらいに膨らむのかもしれない。こんな状況にもかかわらず、安倍政権の経済政策の化けの皮が剥がれ中小零細企業の倒産連鎖が起きてしまえば、もう打つ手はなくなる。漂流老人どころか、漂流中年が街をうろつきまわる時代が接近している感がある。


≪ 非正規労働者 7割が年収200万円届かず…連合など調査
非正規労働者が2000万人を超す中、非正規の7割が年収200万円に届かないことが、連合などのアンケートで分かった。 アベノミクスの成果を強調する安倍晋三首相の国会答弁「妻が景気がよくなっていくからと働き始めたら(月に)25万円(年収300万円)」にはほど遠く、 食事の回数を減らしたり、医者にかかれなかったりという貧困の実態が浮かんだ。  調査は非正規の家計や暮らしぶりを把握する目的で行われ、首都圏や中京圏、関西圏の20〜49歳のパート、契約、派遣社員など約2000人が回答。自分の収入が世帯収入の半分以上を占める「主稼得者(しゅかとくしゃ)」(単身世帯は全員該当)と、世帯収入の半分未満の家計補助者に分けて集計した。

 それによると、全体では「年収100万円未満」が38.4%と全体の4割近くと最多で、「100万円以上200万円未満」の31.7%と合わせて7割が収入200万円に届いていない。主稼得者では男性の37.5%、女性の48.9%が「ワーキングプア(年収200万円以下の貧困層)」の範囲に入った。

 また、主稼得者の世帯では「貯蓄なし」が27.9%、「生活苦への対策で食事の回数を減らした」が20.9%に上った。「医者にかかれなかった」も 13.0%あった。また、家計補助者も合わせた全体で未婚は53.5%、男性に限ると89.6%に上る。年収が低いほど未婚率は高い。連合非正規労働センターの杉山寿英次長は「非正規雇用を起点に少子化や貧困の連鎖など社会のゆがみが生まれている。処遇改善が急務だ」と話す。  ≫【毎日新聞:東海林智】

大前研一 日本の論点2016~17
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●“嘘は大きければ大きいほど良い” 力の衰えを隠す手段

2016年01月20日 | 日記
シフト――2035年、米国最高情報機関が予測する驚愕の未来
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●“嘘は大きければ大きいほど良い” 力の衰えを隠す手段 

本日も時間がない。ただ少しだけ触れておきたいことがあるので短く述べておく。ここ数年、米国国内に限らず、世界中で、米国の衰退論が各フェーズで語られることが多くなっている。以下の二つの引用記事は、前者が日本の経済的立場から考えられており、後者がアメリカの国力と云う立場から語られている。今夜は、検索の結果、この二つの引用記事が一頁目に出てきたので引用するに過ぎないと思っておいて欲しい。つまり、引用記事で語られている事が真実だと云うわけではない。むしろ、ピントがずれているのでは?と云う疑念の方が強い記事である。ただ、この辺の問題点をテーマとした議論が、あらゆる処で喧々諤々行われている状況があることを理解してほしい。

筆者は最近、我々は壮大な嘘の世界に巻き込まれているのでは、と云う不確かな気持に襲われる。考えれば大変面白い歴史的「陰謀論」の領域まで踏み込むつもりはないが、“嘘は大きいほど、人びとは騙される”という言葉に、真実の一部が吸い込まれて、我々の目を欺いているのではないかと思うことがある。無論、その思いの殆どは」、一瞬で自分の中で全否定されるのだが、たびたび感じる霊感のようなものは気にかかる。

特に、数多く感じるのは、米国における「壮大な嘘の世界」だ。おそらく、いくら考えても、20世紀後半からの米国で起きる様々な事件は、悲惨ではあったが、そのすべてにおいて、その事故の終息過程は、米国の様々なカテゴリーにおける権力を補完する結果になっている。それらの事件に、直接的ではないが、寝耳に水で遭遇してしまった関係国は、ことごとく、その大被害を受けたままであると云う事実だ。大きいものを挙げれば、「911」と呼ばれる「アメリカ同時多発テロ事件」(2001年9月11日)と「リーマン・ショック」(2008年9月15日)だ。

当然のことだが、上述二つの大事件で、当のアメリカは瞬時に過酷な被害に晒された。事件の内容をある程度理解してゆくと、その事件そのものに多くの疑念がつきまとうのだが、世界の人々の心には、あまりの衝撃に対して、対米感情が同情的なものになったのは事実だ。ここで、二つの疑問が単純に起きる。一つは、世界の頭脳を掻き集め、世界一の安全基準を築いていたはずのアメリカで、あんな壮大なテロが起こせるものなのか。あの、誰が考えても、支払い能力が欠如した人々に金を貸し与えるなどと云う本質的馬鹿を、幾ら自由の国だからと言って、易々と行えるものなのだろうか。ノーベル経済学賞受賞者だらけのアメリカで、と云う単純な疑問が湧くわけだ。

この二つの事件が起きた原因を様々に分析した書籍や評論を目にすると、その多くは、アメリカの安全基準などは、穴だらけで、世界の覇権国に相応しいものは整備されていなかった。自由主義経済の行き過ぎと、FRBがドルをバラ撒き過ぎた金融経済と市場原理主義の行き過ぎが、奇禍を招いたと云う解釈になっている。まあ、その解釈は、このコラムにおいては、実はどうでも良いことで、問題は、その終息結果がどうなっているか、と云うことだ。結果論から導き出してみると、当事国アメリカは、いち早く、その事件の直接的被害や後遺症から抜け出している事実だ。

この二つの事件で、間接的な出来事に過ぎないと思っていた、アメリカ以外の国々が、この二つの事件による、後遺症、副作用、そう云うものの坩堝の中で、今現在、翻弄されている事実を目の当たりにすると、あの事件は、何だったのだろうと、あらためて考えさせられる。当事者には、それを修復する能力があり、周りの関係国では、その後遺症や副作用に対応する能力がないと云う単純な解釈は成り立つ。つまり、アメリカこそ、オールマイティに対応できる力があるとも言える。しかし、その対策を準備した上で起きた事件であれば、俗に言うマッチポンプなのだから、処方箋を準備していたとなる。こう云う考えを延長していくと、アメリカと云う国が発信源の事件は、最終的にアメリカを利する。最近は、筆者は、こう云う思いになることがある。常に、発想を否定はするのだが……。


 ≪ 米国経済、ついに不況期突入の兆候…日本に大打撃、非正規雇用増で株高の恩恵少
 2015年の日本経済は一進一退だった。年の前半は円安が企業業績や株高を支え、消費も緩やかに回復した。しかし、中国経済の減速が鮮明化するに伴い、経済活動が低下し夏場以降の景気は徐々に不安定になった。それは設備投資の減少にもつながった。一方、年末にかけて製造業の出荷は徐々に回復し、在庫調整は一巡しつつある。それは目先の景気にプラスだ。今年夏の参議院選を控えて、安倍政権は早期の補正予算成立を目指している。 これも当面の景気を支える。
 ただ、楽観は禁物だ。海外要因、特に中国や米国の景気動向には注意が必要だ。これまで世界の景気回復は米国に支えられてきた。その米国の生産活動にはやや陰りが見え始めている。米国の景気などが想定以上に弱含めば、金融市場で急速にリスクオフが進み、円高株安が景況感を悪化させるリスクには注意が必要だ。

 ■無視できない米国の景気リスク  
 2009年夏場以降、米国の景気は緩やかに回復してきた。すでに米国経済の回復は7年目に突入している。米国経済とて永久に上昇過程をたどることはできない。11月の米ISM(全米供給管理協会)の製造業景気指数は48.6と、景気の強弱の境目といわれる50を下回った。製造業の景況感が50を下回る環境での利上げは過去に例がない。鉱工業生産をはじめ、米国の生産活動は全般的に軟調であり、景況感の悪化には注意が必要だ。FRB(米国連邦準備制度)は景気の支援、2%の物価目標の達成を念頭に緩和的かつ慎重に金融政策を進めると表明している。
 一方、一時シェールガス革命に沸いたエネルギー業界では、原油価格の下落によって業績が悪化している。中国景気が安定しない以上、原油などの資源価格は不安定に推移することが想定される。そのため、米国の物価、企業業績の下振れリスクは無視できない。
 利上げの影響も軽視できない。住宅ローン、消費者ローンなどの金利は上昇しやすくなっている。そのコストを吸収できるだけの所得増加が期待できればよいが、米国の企業業績は頭打ちの状況にある。利上げが景気を圧迫するリスクには注意が必要だ。

 ■16年の日本経済の見通し  
 そうしたリスクに直面しつつも、在庫調整の一巡や早期の補正予算の成立などを通した財政面から景気支援を背景に、年初以降、わが国の景気は徐々に落ち着きを取り戻すだろう。当面、そうした動きが続くと見られることもあり、景況感は少しずつ上昇するだろう。
 ただ、すでに賃金労働者の4割程度は、派遣社員やパートタイマーなどの非正規雇用が占めている。そのため、企業業績が拡大しても、家計の隅々にまで株高や賃金上昇の恩恵は届きづらくなっている。
 また、これまでの円安、株高は海外の動きに支えられてきた。米国での利上げ観測がドルの先高観につながり、多くの投資家がドル買い、円売りを行った。株価も海外投資家の行動に大きく影響されている。  もし米国の景気が想定以上に落ち込めば、急速にドルが売られるかもしれない。その場合、円高が進み、株価や企業業績への下押し圧力は高まるだろう。それが景気への懸念を高め、消費が低迷するリスクがある。国内の消費基盤が不安定なだけに、景気は海外の動向に影響されやすいといえる。
 短期間でこうしたリスクへの抵抗力をつけることは容易ではない。米国の景気が想定以上に回復すれば、景気への期待も高まるだろう。しかし、15年末のデータ等を見る限り、その見方は楽観的すぎるかもしれない。それらの要因を総合的に考えると、今年の日本経済は、序盤は落ち着きを取り戻す可能性があ るものの、その後、米国を中心とした海外経済のリスクを背景に、徐々に景況感の悪化が意識されてくるだろう。
 昨年は中国経済という海外要因に足を引っ張られ、今年も米国経済の減速懸念をはじめとする海外要因に影響を受けやすい展開になると見られる。 (文=真壁昭夫/信州大学経済学部教授)
  ≫(BusinessJournal:ジャーナリズム)


≪米国経済は本当に「終わり」が近いのか
  「アメリカの世紀は終わらない」を読む
中岡 望 :東洋英和女学院大学副学長

 ■相対的、絶対的両面で米国衰退論を排す
 戦後、何度も「米国衰退論」が議論されてきた。
 1950年代にはソビエトが米国を追い抜き、世界を主導する国家となると喧伝された。1980年代には日本が米国を追い越すと主張された。だが、ソビエトは自壊し、日本は長期低迷に陥った。1990年代はソビエト崩壊と湾岸戦争の勝利、IT革命を背景に米国一極の世界が登場した。 だが、ITバブルの崩壊、貧富の格差の拡大、国内政治の混迷、リーマン・ショック、中国の台頭で再び米国衰退論が勢いを得ている。
 本書は、米国の外交政策立案に直接かかわり、「ソフト・パワー論」の展開で知られている著者が米国衰退論に挑戦したものである。
 著者は「ロシア、インド、ブラジル、中国のいずれかが米国を追い越し、米国が世界のパワー・バランスの中心にいる構図を終わらせてしまうことは不可能ではないにしても、ほとんどありえない」と主張する。
 著者は、この本で二つの観点から現在の米国衰退論を検討する。国際政治における米国の外交パワーの“相対的衰退”と、国内の情勢の悪化と堕落が進んでいるという“絶対的衰退”である。
 外交・軍事における米国衰退論の背景には、急速な中国の台頭がある。これに対して著者は「向こう数十年で中国が、大いなる野望を実現するだけの軍事 力を備えることは想像しにくい」と指摘する。中国が現在のような高い経済成長を持続するのは不可能であり、軍事のハード・パワーでも米国を上回るのは困難 であると分析する。
 さらに「中国と米国の間の競争の中心は、どちらがより多くの、質の高い友好国を持っているかになる」とし、中国は周辺国との軋轢を強めており、米国 に対抗する力は持ちえないと主張する。さらに中国が開かれた社会になり、国際的公共財を提供できるようになるのかと中国覇権論に疑問を呈す。
 国内の絶対的衰退論に関しては、「批判者たちが、ローマが国内問題から衰退していったことを引き合いに出し、この国は麻痺し、苦しんでいると表現す るほどには、米国は壊れていない」と悲観論を排している。むしろ米国の本当の危機は、テロなどに過剰反応し、「内向きになってしまい、外に開かれているゆえに得ていた強さを自ら切り捨ててしまうような未来である」と指摘する。
 内容は著者の従来の主張の繰り返しが多いが、非常にバランスの取れた本である。なお絶対的衰退に興味ある読者は保守派のパトリック・J・ブキャナン著『超大国の自殺』と読み比べてみることをお勧めする。 ≫(東洋経済オンライン:週刊東洋経済の書評から)

21世紀の歴史――未来の人類から見た世界
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●成長神話依存&異次元市場探し“取らぬ狸の皮算用”にならぬよう

2016年01月19日 | 日記

 

老いた親を愛せますか? それでも介護はやってくる
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●成長神話依存&異次元市場探し“取らぬ狸の皮算用”にならぬよう

本日は時間がないので、立場主義で、“生き恥曝しても死に恥曝すな”とでも言いたいのか、“捕らぬ狸の皮算用”を繰り出して、なにか希望のひかりを語る。虚しい光と知りながらも、それを語らなければならないのが、経営者であり、エコノミストでもある。こうやって、経済に携わる人々が、希望の光を目指すことで、その光に、多くの関係者が辿りつけるのなら、アグレッシブで、不景気な気分にもならず、結構なことだ。

筆者のように、ネガティブな考え方を中心に語る人間は、概ね嫌われる。そんなことは百も承知でコラムなど書いているのだが、実は、現実世界を否定すると云う事は、単に否定すると云うところで終わるわけではなく、だからこそ、次のフェーズがどう云うものなのかを考え、そのフェーズにスムースに至るにはどうすべきか、至る道順はどのようなものがあるのか、そう云う観点から、この世をウォッチすることは、実は、或る意味で、充分にアグレッシブなのだ。

まあ、以下のカオスの中で、希望を見出している人々の、ご意見にも耳を傾けてみよう。ざっと見渡してみたが、残念と云うか、気の毒なことだが、ピカピカ光り輝くご意見はなかった。希望的な観測はあるが、希望が絶望になるコインの裏表論なものも登場しているので、苦しい光探しになっている。穿った見方をしてしまうと、人の意見に便乗した提灯予測になっているのかもしれないが、実情を把握していないので、筆者の邪推と云うことにしておこう(笑)。


≪ 経営トップと専門家50人が明かす「2016年ニッポン経済、私はこう見ている」
(注目する会社一覧付き)
 不確実とリスクがばら撒かれた世界の様相は、今年も変わらず続いていく。ただし、この不透明な霧の世界に、段々と目は慣れてきた。先を読む者だけが勝つ。戸惑いと迷いの2015年から、確信と決断の2016年へ。 ヒト、モノ、カネが動き出す
「2015年はインバウンド(訪日観光客)需要が爆発的に増加して騒 がれました。そろそろ頭打ちではないかという声もありますが、私はそうは思いません。日本の経済力や人口を考慮してアジア各国と比較をすると、むしろ、イ ンバウンド需要はまだまだ伸びシロが大きい。欧米でテロ事件が多発していることを考えると、日本の観光地としての魅力が相対的に高まるとも見られます」 日本航空元社長の西松遙氏が言う。
「さらに言えば、'15年はインバウンドに見られるように日本と外国 の間を『ヒト』が数多く動いた年でしたが、一般的に『ヒト』が動いた後には『モノ』の移動がついてくる。しかも、TPP(環太平洋経済連携協定)の大筋合 意で、モノの動きがより活発になるのは目に見えている。2016年は『ヒト』と『モノ』の両方が大きく動き、日本経済の牽引力になることが期待できるわけです。 ・日本の観光資源のエース的存在であるディズニーランドはさらに活況を呈するでしょうから、オリエンタルランドは期待できる。モノが動けば、活躍するのは商社。中でもTPPで食糧流通が盛んになると考えると、伊藤忠商事に注目したい」

 経済を人体にたとえるならば、モノとヒトの動きは血液の流れそのもの。血液が勢いよく体内を流れ始めれば、体温が上がり、活気が生まれ、経済全体にパワーがあふれ出す。
 2016年の経済は明るいのか、暗いのか—。今回、そんな問いを経営トップらに投げかけると、思いのほかに、「明るい」という答えが多かった。
  これまでは一部の限られた企業・業種にしか好景気の恩恵は感じられなかったが、今年は違う。日本全国でモノとヒトが慌ただしく動きだし、各地に活況の声が響きわたるというのだ。

 ■モノもヒトも、すでに大きく動き出している。
「各地の物流施設や倉庫は高稼働状態が続いており、新しい物流施設用 の用地取得競争が激化しています。物流施設の管理・開発などで業界トップのシーアールイーは、施設や倉庫の高稼働で高収益を達成。物流施設に特化したJ‐ REIT(不動産投資信託)にも、続々と資金が集まっている」(スプリングキャピタル代表兼チーフ・アナリストの井上哲男氏)

「ビジネスホテル業界が空前の大活況です。都内だけではなく、福岡な ど地方でも、出張サラリーマンが予約が取れないと嘆くほどの満室続き。アパホテルは3万円台の室料を提示して、業界では『帝国ホテル並み』と話題になった ほどです。業界最大手の東横インは『おもてなし』を超えたゆっくり落ち着ける『我が家感』が大人気で、勢いが止まらない
」(ジャーナリストの塚本潔氏)

・今年は日本全土で開発ラッシュも巻き起こる。これがモノとヒトの流れをより一層加速させ、景気を力強く回していく。
「いよいよ今世紀最大の大工事と言われる、リニア中央新幹線の工事が 本格化します。日本列島の中心を貫く巨大工事。2027年の開業に向けて、新駅建設、トンネル、橋梁、電気工事などが続々と着工していくわけですから、波 及効果は莫大です。たとえば、特種東海製紙という製紙業界の中堅企業は、一見関係ないようでリニアの恩恵を受ける。同社が静岡県内に持つ社有林の下をリニ ア新幹線が通る予定なので、工事用地や土砂置き場としての賃貸収入が入ってくる」(ちばぎん証券顧問の安藤富士男氏)

「象徴的な案件になりそうなのが、平和不動産が手掛ける兜町の再開発 プロジェクト。証券街の兜町を再開発し、個人投資家や次世代を担う企業家なども集う新たな金融街化しようとする意欲的で画期的なものです。日本マーケット に外国人の目が向いているいま、この再開発案件が注目されることで、新規マネーの呼び水になるかもしれない。兜町復活が日本再生の起爆剤となる可能性もあ る」(セゾン投信社長の中野晴啓氏)

 ヒトとモノにカネが加わり、これらが一体となって動き出す。そんな好循環の兆しが、もう手の届くそこまで来ているわけだ。 冷え込みばかりが強調される消費の現場でも、期待できる新しい動きが出てきた。ジャパネットたかた前社長の田明氏が言う。
「いま、アクティブシニア消費がどんどん増えているんです。日本では65歳以上の高齢者が3300万人ほどいますが、このシニアマーケットがいよいよ活況を呈してきた」

 3人に一人が高齢者となる日本では、このマーケットこそが爆発力を秘めた巨大市場となる。これまでは預金をため込む傾向にあった高齢者だが、アクティブシニアがいよいよそのカネを使い出し、高齢者市場を牽引し出した。 田氏が続ける。
「アクティブシニア消費の特徴は、単に価格が安い物というのではな く、いい物が少し安くなってきた時に商品が動くということ。7万~8万円の高級炊飯器が5万円になると買われたり、現在では4Kテレビや50インチの大型 テレビが手頃価格になって売れてきました。長くテレビ不況と言われていましたが、2016年はテレビ復活の年になるでしょう。 高齢者の方は、これまで若者向けと思われていたタブレット端末なども購入します。今後は新しい高齢者向け商品が続々とヒットする可能性が出てくる。注目している会社は、接客サービスから価格、配達体制も充実しているヨドバシカメラさんです」

 ■新しい消費市場が誕生する
 高齢者だけではない。若者や中年層の間では、また別の消費の新潮流が起こっている。
「音楽業界ではCDの売り上げこそ減少しているものの、コンサートや イベントの需要が急増しています。ライブ・エンタメ市場は過去最高と言われるほど活況で、地方会場も満員になる。一方、都心部では大規模イベント施設が改 修などのタイミングで、会場不足が見込まれるほどです。東京ドームが需要を取り込んで、大幅に業績を伸ばす可能性が高い」 (ファイナンシャルリサーチ代表の深野康彦氏)

「外食業界は価格競争と効率化ばかりを優先した企業が消費者から三行 半を突きつけられ、独自の付加価値を提供できる店へお客が流れています。たとえば、クリエイト・レストランツHDの『磯丸水産』は、24時間営業の多用途 飲食店という新しい業態。朝食、ランチ、夜食から、朝飲みや昼飲みなど、幅広い客層に使い勝手のいい店作りに成功している。鳥貴族は280円均一ながら、 鶏肉は全品国内産というこだわりを真面目に守り、お客に信頼されている。今後はさらに、小規模型、オーナーシェフ型の店の人気が高まっていくと思います」 (すかいらーく元会長の横川竟氏)

 1万円近くするライブチケットが完売し、多少値段は張っても納得できるレストランから予約が埋まる—。日本の現場で起きているのは、デフレ社会からインフレ社会への大転換にほかならない。 格安競争で経済全体が縮小均衡するデフレスパイラルは終了。値段は高くても中身のいいモノへとヒトが流れていき、そのインフレ循環が経済のパイを膨らませていく景気拡大局面に入ろうとしているのである。 中国で本当の闘いが始まる

「2016年の日本株は、夏場あたりに調整局面はあるでしょうが、年末にかけて2万2000~2万3000円を目指すと考えています」  アサヒグループHD社長の泉谷直木氏は言う。
「円安傾向は変わらないと思うので、グローバル戦略から一連の技術革新で世界的にリードしているトヨタさんには追い風でしょう。セブン&アイHDさんは、現在の商品の流れを非常にうまくとらえられていて、次の時代 への転換もスピード感を持って進められている。伊藤忠さんは、中国を含めた一連のアジア戦略が功を奏してくる年になるのではないでしょうか」

 今回本誌は、経営トップから専門家まで経済のプロ50名に、「2016年に注目の3社」を挙げてもらった。
 共通して多く聞かれた意見は、減速しつつあるとはいえ中国経済はまだ高い成長率を維持しているので、中国を中心としたアジア需要を取り込める会社が躍進するというものである。
 カルビー元社長の中田康雄氏が言う。
「日本が人口減少していく中で、莫大な人口を抱える中国や東南アジア 各国の市場をどれだけ取れるかが勝負になる。日本企業はこれまで果敢に攻め、苦戦したところも多いが、ようやく果実を得る段階に入ってきたともいえる。ユ ニ・チャームはインドを含めたアジア市場で着々と生産体制を整えてきた。'14年9月に中国に投入した新製品『マミーポコ』がアジア市場でのさらなる普及 に一役買いそうです。栗田工業は水処理関連事業の国内最大手ですが、中国の排水規制の強化が最大のチャンスとなる。アジア各国での需要爆発も期待でき、大きな成長可能性を秘めている」

 中国は「世界の工場」から、「世界の消費地」へと転換している真っ最中。10億人以上の人口を抱える新市場が誕生するインパクトは巨大であり、そこに適応できるかどうかがチャイナビジネスの成否を決めるキーとなることは間違いない。

「2016年は、中国が消費大国として成長していく始まりの年となる でしょう。中国で歯ブラシなどの製品が販売好調なライオンなどは、さらなる上振れが期待できる。ファーストリテイリング、ユニ・チャーム、P&G など中国に強い企業と取り引きしている東レは、それらの企業の成長をそのまま享受できる」 (マネックス証券チーフ・ストラテジストの広木隆氏)

「中国を低コストの生産拠点から、高付加価値の市場としてすでに捉え 直しているのがダイキン工業。『一帯一路』によって成長が促進されている内陸部への販売網を拡大しているし、上海近くの蘇州の工場で年間150万台生産す る工場も本格始動させている。『日本を主、中国を従』から、『日本を従、中国を主』への経営大転換を実行しているように映る」 (シグマ・キャピタルのチーフ・エコノミスト田代秀敏氏)

■これは第4次産業革命だ
 中国経済と並んで、今年のポイントとなるのが製造業の大転換。日本のお家芸である製造業だが、「第4次産業革命と呼ばれるイノベーションが本格的に広がる」と、元サムスン電子常務の吉川良三氏が言う。

 「いま世界の製造業の現場では、通信(ネット)技術と製造業のテクノ ロジーを融合させた新しい『モノづくり革命』が巻き起こっている。ドイツ主導のこの流れが全世界的に広がり、モノづくりが新しい形に革新されようとしてい る。日本の大手製造業も、過去の成功体験に甘んじていれば生き残れない激変の時代に突入するわけです。 モノのインターネット化(IoT)と呼ばれる分野では、コマツが先行している。建設機械に搭載したGPSやセンサから収集したビッグデータをリアルタイムで解析し、ユーザーに最適な保守サービスなどを提供している。工場自 動化もますます進み、その自動化技術で使用されるセンサに強いのがオムロン。人間の目の代わりになるほど精密で、これから飛躍的に成長する可能性がある」

 実は、新たなモノづくり時代に開花しそうな日本企業は多い。
 「パナソニックは車載事業への事業転換に大成功しているが、これから本格化する自動運転技術への取り組みにも手を付けている。自動運転の実用化が、新たな成長ドライバーとなる」(岡山商科大学教授の長田貴仁氏)

「ビッグデータの時代に入って、システムの力が見直され始めてきた。システム開発とコンサルティングの両方を巧みに手掛ける老舗の野村総合研究所に改めて注目が集まる」 (多摩大学大学院教授の徳岡晃一郎氏)

 長い不況を耐え抜いた日本企業はいま、大きく羽ばたく絶好の好機を迎えようとしている。三越伊勢丹HD社長の大西洋氏は言う。
「今年は5月に伊勢志摩サミットが開催され、日本を世界に広く発信で きるチャンスになります。中でも、これから10年後の日本経済を支える若い世代の元気な会社が飛躍するアニバーサリー(記念年)になるでしょう。国内外の ウェディング事業から、レストラン、ホテルまで手掛けるPlan・Do・Seeは、合弁事業を一緒にやらせて頂いているが、社長のもと社員が生き生きとし ている。サイバーエージェントも社内競争が厳しいが、意思決定のスピードが速く、若い人が鍛えられているなと感心する」
 
 変化の激しい時代は、先を読み間違えれば致命傷を負う。どこが明るく照らされ、なにが暗く沈んでいくのか—。経営トップなど50人の意見をまとめた表をじっくりご覧いただければ、「この先」が見えてくる。

リスト図 




  ≫(現代ビジネス:企業・経済―経済の死角)

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●「想定外」流行り言葉蔓延国家 津波、原発、安保、円高株安

2016年01月18日 | 日記
ヘーゲルからニーチェへ――十九世紀思想における革命的断絶(上) (岩波文庫)
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●「想定外」流行り言葉蔓延国家 津波、原発、安保、円高株安

東日本大震災以降、我が国では、「想定外」という言葉が、責任ある立場の連中のエクスキューズ用語として、言い訳三昧に使われることが多くなっている。「仕方なかった」と似たニアンスがあるが、ここまで「想定外」を連発されると、「想定外」と云う言葉と「無能」、「無責任」との境界線が曖昧になるのは、好ましいことではない。地位ある立場の人間は、それ相当の待遇と、自尊心を満足させる恩恵に浴しているのだから、世間は、彼らの間違いを、日本人の“和を持って尊しとする”特性を悪用されないように注意すべきだ。

今世紀に入り、前世紀後半の国際的常識と云う基準は、ことごとく、変化の過程にある。その変化は大きさの面でも、その質においても、第二次大戦後のパックスアメリカーナ時代の物差しで、その変化量を探るのは不可能な時代に入っている。つまり、過去の経験則に沿った方策の殆どが、弥縫策と断定されるような、赤っ恥な政治行政の結果をもたらしている。このような傾向は、何が一番問題なのかと云うと、過去に照らし合わせて、物事を見極め、次善の策に打って出る、中央官庁の官僚の得意技分野の技が通じない世界がやってきたと云うことだ。

にもかかわらず、日本の政治行政金融政策などの決定は、あいも変わらず、過去の経験則に頼っている点が重大な瑕疵を招き入れている。以下の日経新聞の解説記事が指摘するように、黒田日銀のバズーカ金融緩和への疑念が垣間見えるのは、そのためである。先進諸国の経済は、成長どころか、衰退すら見えてきている筈なのに、「経済成長」という「神話」に縋りついている現状は、笑止の沙汰なのだ。その結果、インフレターゲット2%と云う幻影を国民や国際社会に提示したわけだが、根本的にないものを有ると言い出したのだから、「想定外」が恒常化するのは当たり前の結論だ。

安倍政権の経済成長神話も完璧なねつ造だし、世界の財政金融に関わる連中が唱えるGDP経済評価基準が、まったくの頓珍漢になっている可能性の方が断然高い。GDPを大きくしたいのは、簡単な話、国家財政を適正な基準にしたいが為なのだが、本質的部分で「経済成長」ありきが前提なのだから、「想定外」が恒常的について回る。おそらく、こう云う点は、経済金融関係の官僚や学者や専門家が、誤謬に陥るのは、“紺屋の白袴”だと言えるだろう。原発事故対応の稚拙さも、原子力専門家の“紺屋の白袴”による、「想定外」の連続だった。筆者から言わせれば、カオスに突入した時代は、「専門家を疑え」が合言葉になって然るべきだ。

当該日経の記事は、数日前に安倍政権が瓦解してゆくターニングポイント“円高115円、株安16000”とまったく同じだった点は評価してやってもいいが、このターニングポイントを過ぎると、底割れと云う問題が生じるので、狼狽売りを誘発する危機も見えてくる。日経の解説記事は長いのだが、一番言いたい部分は、日銀黒田総裁の接続可能な経済成長には、インフレ2%が整合性があると云う、逆算から導き出した「根拠なき目標」だった点がポイントだ。つまり、政府が経済成長を目標にするのだから、日銀は整合性を担保する意味で2%を掲げ、異次元の金融緩和を実施したとなる。一番、ポイントの部分だけを以下に抜き出しておく。

 安倍政権の発足からまもない2013年1月。2%の物価目標を決めた日銀はこう説明した。家計や企業が物価変動を気にせず消費や投資をできる持続可能な物価の安定が必要だ。成長力が強化されてくれば、物価は高まる。それには「2%」が「整合的」とした。だが2%なのは各国の経験則から導き出された面が強く、明確な根拠はない。
 元日銀理事の早川英男氏は「異次元緩和は株高や円安に高い効果を挙げたが、物価上昇の成果は△、経済成長は ×だ」と喝破する。たしかに物価上昇率は0%近辺のままだ。最近日銀が重視している「生鮮食品とエネルギーを除く」ベースでも1.2%にとどまる。政策委 員のなかでも17年度までに2%に届かないとの意見が複数ある。
■決意の象徴、旗降ろせず
 物価以上に日銀が読み誤ったのは経済の成長力だ。個人消費はもたつき、設備投資も2000年代半ばの水準を回復できていない。目標の導入から3年たっても、日本経済の成長率が強化されてきたとは言いがたい。
 実際に日銀はほぼ毎四半期、経済見通しを引き下げてきた。日銀が推計する潜在成長率も0%台前半での低空飛行が続く。成長力強化との兼ね合いからも持続可能な物価が本当に2%なのか判然としない。
 黒田総裁はかつて、海外の中央銀行の大半が2%の目標を採用していると述べ、正当性を訴えていた。仮に日銀だけ目標値を低くすれば円高圧力がかかるリスクも意識していたようだ。だが、いまやディスインフレーション(物価上昇の鈍化)は世界的に広がる。東京大学の渡辺努教授は「金融緩和だけで2%を達成するのは世界的にもかなり厳しくなっている」と指摘する。2%達成にこだわるなら中銀だけでなく政府の取り組みも欠かせない。
 黒田日銀にとって「2%」は物価上昇の決意への象徴でもあり、簡単には旗を降ろせない。人々の物価上昇への期待が剥がれ落ち、デフレに戻るリスクもあるからだ。だが「2%」が度重なる緩和でも達成できず、かえって金融政策や日本経済のひずみを広げているとすればどうか。金科玉条のようにしがみつくのではなく「目標の柔軟化を検討する必要がある」(渡辺教授)という議論には耳を傾ける価値がある。 (日経抜粋)


経済には門外漢の、社会学的目線から見る筆者の主張は、一段のデフレ状況と、安定的定常経済の担保の方が、転ばぬ先の杖だと云うことだ。イケイケドンドンの安倍政権の掛け声に乗った連中は、最近、煮え湯を飲まされているが、当然の結果だ。自分の頭で、世界情勢、パックスアメリカーナの凋落、中東イスラム問題、EUの理念と難民‥等総合的に勘案してくと以外に見えてくる達観の境地だ。こう云う達観の境地で、泰然自若な態度が取れるのは旧い国だけだ。新大陸には不可能なのだ。マネーが接着剤の国と一緒に動くこと自体、実は無理の中に飛び込む自殺行為である。以下に当該記事全体を参考引用しておく。


 ≪ 黒田バズーカ3 発動の条件 「株安1万6000円・円高115円」なら緩和不可避か
 株安と円高を背景に、日銀の追加金融緩和が現実味を帯びてきた。「株1万6000円、為替115円」を超えれば発動が視野に入るとの見方が多い。今月末の実施を予測する声も再浮上した。「3度目のバズーカ」はあるのか。
 「現時点で追加緩和をする必要はない」。15日の衆院予算委員会で、参考人として出席した日本銀行の黒田東彦総裁がこう言い切ると、直後に円相場は1ドル=118円台から117台に上昇し、失望感をあらわにした。市場は急速な株安と円高で日銀に追加緩和「バズーカ3」を迫る。この日も涼しい表情で「黒田節」を展開した総裁だが、胸中はどうだったのか。
 1ドル=115円、日経平均1万6000円──。円高と株安がこの水準を超えて定着するようなら、追加緩和の導入は避けられない。こんな見方が市場関係者の間で広がりつつある。根拠は2014年10月に導入した追加緩和「バズーカ2」前の水準だ。
 その時、株価は1万5658円だった。円高は1ドル=110円まで進んでいたが、対主要通貨での円の実効レートは現在でも、グラフにあるようにすでに追加緩和前を上回る。円相場が115円を上回れば、前回の追加緩和の効果が完全に消えてしまう。円安・株高の「貯金」は急速に減っている。
  2%の物価上昇こそが黒田総裁の日銀が「異次元緩和」に踏み切るに当たって掲げた目標であり、円安や株高の効果はあまり声高に説明してこなかった。だが、資産価格の押し上げは異次元緩和の経路の1つだ。異次元緩和後の急速な円安が物価上昇をもたらしていたのはまぎれもない事実で、日銀内からも円相場の前年比が円高に傾いた現状について「14年の追加緩和前の水準に迫れば見過ごせなくなる」との声が聞こえる。
 異次元緩和は期待に働きかける政策のはずだ。だが、米国の利上げは世界の市場環境を一変させてしまった。日本の企業業績や雇用情勢は好調を保つものの、物価上昇が大きく遅れるなかでの急速な円高・株安は経営者や家計の心理を冷やしかねない。

 ■物価、想定外の原油安響く
 その物価目標の達成も原油価格が「危険水域」に入り、ますます遠のく。
 「半値になった原油がまさかさらに半値になるとは……」(日銀幹部)。ドバイ原油は先週、一時1バレル25ドル台まで下がった。日銀が10月に想定した水準は50ドル。14年秋の100ドル台からの急落も「誰も予想していなかった」(黒田総裁)事態だったが、わずか2カ月で“想定外”に再び襲われた。







 25ドルの前提だと物価見通しはがらりと変わる。みずほ証券の末広徹氏によると、油価が50ドルから35ドルに下がると、16年度の消費者物価指数(CPI、生鮮食品除く)の上昇率を0.39%押し下げる。30ドルなら0.53%、25ドルで0.66%になるという。日銀は10月時点で16年度の物価を1.4%とみていたので、この試算を当てはめると0%台に落ち込む。
 16年は年央にかけてマイナスへと突入するリスクすら出ている。金融市場や各種のアンケート調査の予想インフレ率は下がり、労働組合の賃上げの機運も昨年より鈍い。日銀は「インフレ予想に悪影響が出れば、政策対応せざるをえない」としてきただけに、最近の原油安は「1月28~29日の金融政策決定会合の極めて重要な論点になる」(幹部)。
 くしくも黒田総裁は年明けから「必要と判断すれば、さらに思い切った対応をする用意がある」などとやや前のめりな発言を繰り返している。原油安の影響を除いた物価の基調は強いとの判断は崩さないものの、29日に公表する経済・物価情勢の展望(展望リポート)では16年度の物価見通しを下方修正する方向だ。物価2%目標の達成時期も現在の「16年度後半ごろ」から先送りする可能性が高い。
 追いつめられた日銀。月末までに金融市場の動揺が収まらなければ、1年3カ月ぶりの追加緩和へ「ちゅうちょなく」(黒田総裁)動いてもおかしくない。

 ■緩和「年100兆円増」最低ライン  
  日銀は2013年4月から2度にわたり量的・質的緩和(QQE)を実施したが、年2%という物価上昇の目標達成は遠い。過去2回の緩和がもたらした円安や資産増大の効果は、急激な相場変動の前に消えつつある。市場が日銀に発動を迫る「黒田バズーカ3」は今度こそ、的の中心を撃ち抜かなければならない。その効力を発揮するにはどれだけの緩和策が必要なのか。







 「年100兆円増」の大台がバズーカ3の1つの目安だ。バズーカ1のようにマネタリーベースを 「2倍」にするといった強烈な増額は難しい。一方で、年90兆円程度の増額では「小出し」と受け取られかねない。100兆円増は最低ラインになる。しかも 「最良のタイミングを見極めないといけない」(日銀幹部)。市場環境が悪ければ、効果はたちまち吸収されてしまう。「無駄弾は撃てない」(同)
 日銀は昨年12月に決めた金融緩和の補完措置で、円滑に資産を買い入れるため、購入対象を広げたり、銀行が国債を売りやすいよう担保要件を緩めたりした。市場に広がる緩和限界説を払拭し「バズーカをいつでも撃てるようにした」(幹部)。一方、市場には国債の代わりに地方債などの新たな資産を購入する案も浮上している。
 上場投資信託(ETF)の買い入れも年3兆円から年5兆円程度に増額する必要があるとの見方が多い。ETFは国債に比べ増額余地が大きい。日本株の時価総額は500兆円を超え、購入の限界はまだ先にある。金融不均衡を招いたり自己資本を毀損したりするリスクも、日銀は低いとみる。緩和効果を確かなものにするには、買い入れ額の「倍増」も視野に入りそうだ。
 日銀ウオッチャーの間では、日銀当座預金の超過準備にかかる金利(付利金利)を年0.1%から年0.05%程度に引き下げる案や、マイナス金利の導入を予想する声も出ている。ただ、マイナス金利は黒田総裁が再三否定してきた。日銀の説明が急変すれば市場との対話が機能しづらくなる。2%の物価目標の旗を降ろせないように、実現の可能性は低そうだ。

 ■狭まる手段、積もる副作用
 だが、大規模なバズーカ3を放ったとしても本当に効果を上げられるのか、疑問視する声も少なくない。


 


 
 2%上昇という物価目標を達成するうえで、日銀はこれまでQQEの波及経路について、名目金利の低下とインフレ予想の上昇が設備投資や個人消費を増やし、物価上昇につながるとしてきた。だが、長期金利は14日に0.19%と史上最低を更新し、これ以上国債を買っても低下余地は限られる。インフレ予想をどの程度引き上げられるのかも確たる証拠はない。
 国債の買い入れでは、日銀はすでに国債発行量の3割を占め、売り手が減っている。過去に買った国債の償還分を再投資する必要もあるため、年間で買う量は120兆円と短期国債を除いた年間発行量にほぼ匹敵する。日銀内でも「すぐに限界が来るとは思わないが時間とともに難しくなることは事実」との声が上がる。
 「国債を永遠には買えない」。日銀の木内登英審議委員は、市場で買い入れの限界が意識されれば金利が急上昇しかねないと警鐘を鳴らす。日銀の総資産残高は名目国内総生産(GDP)比で7割に膨らんだ。米連邦準備理事会(FRB)の約2割を大きく上回る。政府の赤字を中央銀行が穴埋めする財政ファイナンスの懸念も高まり、財政や通貨の信認が傷つく恐れがある。その先にあるのは国債暴落のリスクだ。
 薄まる効果と狭まる手段、積もる副作用を前に、「最後の一手」ともいわれるバズーカ3を繰り出すのはますます難しくなっている。14年の追加緩和の時よりも、引き金を引く日銀の手はすくんでいる。

■「2%」のジレンマ  
 「2%の物価上昇は必ず実現します」──。日銀の黒田東彦総裁は5日、連合の新年交歓会であいさつし、2%の目標達成へ決意を新たにした。物価目標の導入からはや3年、「2%でなくてもいいのではないか」との指摘が増えていることへの焦りが見えた。 安倍政権の発足からまもない2013年1月。2%の物価目標を決めた日銀はこう説明した。家計や企業が物価変動を気にせず消費や投資をできる持続可能な物価の安定が必要だ。成長力が強化されてくれば、物価は高まる。それには「2%」が「整合的」とした。だが2%なのは各国の経験則から導き出された面が強く、明確な根拠はない。
 元日銀理事の早川英男氏は「異次元緩和は株高や円安に高い効果を挙げたが、物価上昇の成果は△、経済成長は ×だ」と喝破する。たしかに物価上昇率は0%近辺のままだ。最近日銀が重視している「生鮮食品とエネルギーを除く」ベースでも1.2%にとどまる。政策委 員のなかでも17年度までに2%に届かないとの意見が複数ある。

 ■決意の象徴、旗降ろせず
 物価以上に日銀が読み誤ったのは経済の成長力だ。個人消費はもたつき、設備投資も2000年代半ばの水準を回復できていない。目標の導入から3年たっても、日本経済の成長率が強化されてきたとは言いがたい。
 実際に日銀はほぼ毎四半期、経済見通しを引き下げてきた。日銀が推計する潜在成長率も0%台前半での低空飛行が続く。成長力強化との兼ね合いからも持続可能な物価が本当に2%なのか判然としない。
 黒田総裁はかつて、海外の中央銀行の大半が2%の目標を採用していると述べ、正当性を訴えていた。仮に日銀だけ目標値を低くすれば円高圧力がかかるリスクも意識していたようだ。だが、いまやディスインフレーション(物価上昇の鈍化)は世界的に広がる。東京大学の渡辺努教授は「金融緩和だけで2%を達成するのは世界的にもかなり厳しくなっている」と指摘する。2%達成にこだわるなら中銀だけでなく政府の取り組みも欠かせない。
 黒田日銀にとって「2%」は物価上昇の決意への象徴でもあり、簡単には旗を降ろせない。人々の物価上昇への期待が剥がれ落ち、デフレに戻るリスクもあるからだ。だが「2%」が度重なる緩和でも達成できず、かえって金融政策や日本経済のひずみを広げているとすればどうか。金科玉条のようにしがみつくのではなく「目標の柔軟化を検討する必要がある」(渡辺教授)という議論には耳を傾ける価値がある。 (後藤達也、浜美佐) ≫(日経電子版:日経ヴェリタス2016年1月17日付)

「意地悪」化する日本
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●日本、嗚呼無常! 円高と株暴落と云う奇禍が救いの神

2016年01月17日 | 日記
安倍政権・言論弾圧の犯罪
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●日本、嗚呼無常! 円高と株暴落と云う奇禍が救いの神

古賀茂明氏が、2016年以降の日本の状況を占っている。立場上、明るい展望を描く人ではないので、以下のようなコラムになるのは当然だ。筆者も、仮に、夏の参議院選突入まで、国内外で、重大な何事も起きなければ、筆者も、古賀氏の予想と似たような流れを予想する。これからの半年間がキリギリスの生活であり、選挙以降に蟻の生活を強いられると読むのは、常識的な判断だ。ただ、それを座して見守ると云うのも芸がない。何らかの僥倖が起きないものか、筆者なりに考えてみた。j

蟻さん程度の生活で済むのなら、それは考え方として、一つの選択肢ではある。緊縮財政国家経済と云う為政の根本理念は変っていないのだから、どこかで浪費を先行させれば、締めつけが、後々にやってくる事は当然だ。“前楽後憂”等と云う状況が間違いだと判っていても、予算を決定する権利を有するのが政権である以上、ここでジタバタしても始まらない。残念だが、民主主義においては、それがルールなので、どんな悪政がなされても、その悪政を受入れざるを得ない。低所得年金生活者と認定されれば、自分の信条に関わりなく、年金口座に3万円は降り込まれてしまう。

このような合法的な選挙目当てのバラマキ政治が行われるのも、民主主義の大きな欠点なのだろう。しかし、この欠点だらけの民主主義に変わる制度が見つからない限り、ベターな選択として、現状の欠点だらけの民主主義を認めざるを得ないのが現実だ。これを覆すには革命と云う手段はあるのだが、革命に多くの国民が賛同し、政府転覆までのパワーを日本人が有しているとも思えないし、自衛隊が蜂起してクーデターを起こす可能性もない。革命やクーデターもないとなると、選挙目当てで予算をバラ撒かれても、咎める手立ては皆無に近い。

 しかし、一つだけ期待できる要素は残されている。それは、世の中がひっくり返るような奇禍が起きることである。その奇禍には、自然災害、事故、経済的アクシデントが想定される。縁起の悪い例えで申し訳ないが、東海沖地震で太平洋岸が壊滅的損害を受けるとか、川内原発でシビアアクシデントが起きるとか、東証株価が大暴落するとか、そういう事象が起きることで、選挙目当てなどと云う小手先のテクニックが凌駕されると云う事はあり得る。自然災害や事故は想定例として穏当でないと言えるが、株価の大暴落であれば、想定しても不穏当とは言われないだろう(笑)。小さな株主小金持ちが多い世の中だから、不快に思う人もいるだろうが、奇禍としては、この株価暴落が一番穏当だ。

筆者が、こんな不吉な想定を書く羽目に陥っているのも、現在の民主主義からも資本主義からも、「神の手」が不存在だからに他ならない。本来であれば、不文律という“それをやっちゃあ、オシマイよ”と云う矜持が、国民の側にも、政治の側にもあった。「神の手」がなくなった理由は様々だろうが、一番はマネーや物質と云うものが、国民生活の価値尺度に完全になったことによって起きたと言える。元凶が判っているのなら、それを変えれば良いとなるが、人為的に、その仕組みを変えると云う事は、理屈上は可能でも、総論賛成各論反対というジレンマにおいて、事実上不可能なのだ。この「神の手」の不存在に目をつけて、暴政を振るっているのが、安倍政権だと言える。

安倍政権は、世間(空気)から不文律な様々が失われている間隙を突いた権力構造だと言えるだろう。ということは、安倍政権の暴政に歯止めをかける為には、価値観の変更が必要になる。ただ、この変更は、自然に発生すると云う事はない。どうしても、国民の価値尺度を変るような出来事が必要で、それが未来永劫続きそうだと得心した時だけ、価値尺度を変えることは可能なのだ。個人的には、貧乏国家になってしまえば、今まで目にすることが出来なかった、人と人の繋がりとか、緩やかな共同体に包摂されている安堵感などの価値が得心できるのかな、と思うことが増えてきた。或る意味で、国家ぐるみでリセットする必要が生まれた時、自然発生的起きる場合もあるし、一定の人為性で起こす選択もあるのだろう。前者に場合、100年、300年の単位が必要かもしれないし、後者でも30年、50年は必要な感じだ。

まあ、こんな風に考えだすと切がなくなるし、50年後じゃ、目撃すら出来ない。ここまで書いて気づいた事だが、人間ってヤツは、どこまで先のことを考えられるのだろうか、という疑問に出あった。考える当事者の年齢によって、そこに差が生じるわけだが、一つの基準としては、自分が死ぬまでと云う期間限定の考え方があるのだと思う。子供がいる場合には、その子供の生きているあいだ分が加算される。孫がいれば、その分も加算される。しかし、現在のこの世の仕組みは、立場主義が徹底しているので、一代限りと云う考えが主流にある。政治家も官僚も大企業の経営陣も、自分の代だけ大過なく過せばオッケーと云う考えが主体にある。

こういう仕組みにおいて、これを穏当に打破する手段は、現状の安倍政権であれば、経済的失速が、万人の認めるものになる必要がある。言い訳無用なほどに、経済が下降してしまう必要がある。安倍政権が評価されている経済環境は、カネ余り状況下における、円安・為替差益と株価の上昇だ。この二つの表面だった数値に大きな異変が起きれば、この世の流れは変わる可能性がある。つまり、安倍離れが起きるための条件は、円高と株式の下落だ。ただ、この経済的数値の異変は、国民の側から自発的起こせるものではないので、一種、奇禍が必要だ。

この他力本願な奇禍は、個人差は出てくるが、概ね国民の側に味方する。現代民主主義は、実利主義な票田を抱えている既得権陣営を厚遇する強い圧力があるわけで、安倍政治は、その圧力に沿った為政を行っているわけだから、望むか望まないかに関わらず、その既得権陣営に痛手を与える経済状態が生まれれば、掌返しで風向きが一気に変わる可能性を秘めている。円高と株価の大暴落が起きれば、安倍政権の経済政策全体を、万人が失敗だったと認定する状況が生まれる。つまり、そのような状況が明確に現れれば、野党議員諸君の能力が低くても、安倍政権は、自ら瓦解してゆく。

ここ最近の流れを見ていると、このような現象が、単なる初夢ではなく、正夢になる徴候を見せはじめている。円が対ドルで115円を切り上げるようなら、多くの企業利益水準は大混乱、減益企業が続出する。東証株価で言えば、16,000円割れした時点で、底割れするだろう。6月までに、何度か、こう云うチャンスは訪れるだろうが、来週(18日の週)が第一波と読んでいる。日銀のバランスシートの不健全さや、年金積立金の損害問題などが発端となり、世論は、猿でも不況だと認識するようになる。

こういう状況が生まれた時のみ、安倍自民の参議院惨敗が見えてくる。他力である奇禍に国の運命を委ねるのは情けない話だが、これが現実と云う事を受入れるのも、一つの達観だ。おそらく、野党や市民連合の力だけでは、この世の仕組みには抗いきれない。とても残念なのだが……。個人的には、上述のようなことが起きないと、強権的権力を倒すのは、非常に難しいと考えている。安倍政権と既得権陣営の間に不協和音が起きる状況が生まれるのが、現実的で、具体的な安倍政権瓦解のプロセスだ。官邸潰すには刃物はいらない、円高と株価暴落だけで良い。


 ≪ 安倍政権のシャレにならない「アメとムチ」
  7月の選挙後には悪夢のような「現実」が待っている!
謹賀新年。今年はどんな年になるだろうか。
考えをめぐらすうちに、思いついたのが「先憂後楽」という言葉だ。元々は、民が憂える前にまず為政者が心配し、民が幸せになって楽しんでいるのを見て初めて為政者が喜ぶという政治のあり方を示すことわざだった。今は「苦あれば楽あり」に近い意味で使われることも多い。

この1年はこのことわざとは全く逆になる可能性が高い。 昨秋から年末にかけて続いた、怒濤のような「バラマキ」政策の決定。'15年度補正予算、'16年度本予算と税制改正などにちりばめられた「アメ」 の数々。低所得の年金受給者へは1人3万円の現金給付。財源無視で軽減税率を加工食品まで広げて1兆円。企業には法人税実効税率を30%を切る水準に下げ る。農家には、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)対策で補助金を大盤振る舞いだ。 官僚の給料もボーナスも上がる。補正と本予算合わせて100兆円という気の遠くなるような金額である。

補正予算が実際に使われるのは春頃から。本予算は6月頃から本格的に執行される。全ては、7月の参議院選挙、そして、同日または秋にも行われるという衆議院選挙のため。絶妙のタイミングだ。直前には、日銀の想定外の大規模緩和、あるいはその他の政策も含め株価対策が実施されるのも確実だろう。

一方、あれだけ急いで無理やり通した安保法関連の動きは、南スーダンのPKO部隊への駆けつけ警護などの新たな任務追加、南シナ海の米軍による警戒監視活動への協力などを含め封印される。 「野党は、すぐにも戦争が始まると言っていましたが、あれは嘘。心配は無用です」と政府に言われ、国民は、「大騒ぎしすぎたな。これで安心した」と 胸を撫でおろす。また、憲法改正の話も抑制される。ヘルメットをかぶって戦車に乗った安倍晋三総理が、今は猫の着ぐるみをかぶって、「猫かぶり」という図だ。

しかし、参議院と衆議院の選挙が終われば、怒濤のような「ムチの政策」が始まるはずだ。軽減税率の財源のために年末の予算・税制で、70歳以上の高齢者の医療費負担引き上げ、配偶者控除廃止などが決まり、年金の支給開始年齢引き上げ、さらには、消費税15%への引き上げの議論も始まるだろう。株価対策も打ち止め。市場に失望感が出れば、株が下がる可能性は高い。

一方、安保関連では、選挙後に南スーダン、南シナ海での活動が一気に実施される。中東の対IS戦争にも有志国連合の一員として、何らかの自衛隊関与の道を開き、日本中、いつどこでテロが起きてもおかしくない状況が生まれる。街中には警察官が溢れる光景を目にするかもしれない。衆・参両院で3分の2を確保すれば、憲法改正の議論も一気に本格化する。

そこまで行けば、国民は夢から覚めるが、時すでに遅し。3年後まで選挙はなく、安倍総理のやりたい放題。将来のことを考えると夜も眠れない。声を上げても民意は無視される。まさに憂いの日々である。 この一年を一言で表せば、「先楽後憂」。正月早々縁起でもないが、悲しいかな、それが現実だ。この予想がはずれることを心から祈りたい。  ≫(現代ビジネス:古賀茂明・日本再生に挑む―『週刊現代』より)

追及! 民主主義の蹂躙者たち [戦争法廃止と立憲主義復活のために]
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