世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●中国に断トツに引き離される日本経済 どうする日本?

2019年04月09日 | 日記

 

平成はなぜ失敗したのか (「失われた30年」の分析)
野口 悠紀雄
幻冬舎

 

お金の流れで読む 日本と世界の未来 世界的投資家は予見する (PHP新書)
大野和基
PHP研究所

 

日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社


●中国に断トツに引き離される日本経済 どうする日本?


筆者は後20年生きている可能性は半々だが、このままの経済成長が続くと、2040年には、中国のGDPは米国の倍、日本の10倍になるそうである。


*参考グラフ


(科学技術白書から引用)


嫌中(対中コンプレック)な精神構造が強い、日本政府や日本人にとって、この予測は不快極まりないもだが、若干の調整はあるとしても、ほぼ実現されるのは確実だ。

長谷川幸洋氏のように、中国経済は必ずクラッシュ派の論客らは、今後も、中国クラッシュ説を唱えるだろうが、いずれ、泡沫評論家に落ちぶれることだろう。

今さら、日本が、どのような経済政策を打とうとも、或いは、徹底的な規制緩和、産業構造改革に乗り出しても、時すでに遅く、逆に慣れないことに手を出し、大火傷することになるだろう。

一定の見識ある人々は、日本の20年後の姿を、情報として理解しているが、その現実の世界に思いを馳せるのが嫌なようである。

まぁ、そんな気持ち、判らないではないが、事実は事実として受けとめた上で、自分達の立ち位置を考えておく必要がある。

無論、他の隣国と比較して、自分の立ち位置を考えるのも如何かと思うが、比較対象することで、自国の力量を知るのが一番わかりやすい。

まぁ、西暦600年における遣隋使や遣唐使の時代を思えば、それから1400年経過して、再び日中の関係が元に戻ったと考えれば、それほど驚くに値しない。

以前にもコラムに書いた記憶があるが、国家の経済を動かす原動力は、国民の勤勉・努力も不要だとは言わないが、多くは人口の増加に由来することが多い。

日本の高度経済成長の原動力も、急激な人口増であった。ただ、中国の場合は、いくぶん意味合いが違う。

中国は、政治体制として、自由主義による民主主義制度は採り入れず、中国共産党独裁制(国家主義)を敷きながら、経済だけ、自由主義な市場原理主義経済を採用し、謂わば“良いとこ取り”のルール違反な感じもするが、“勝てば官軍”なのが、世界の常識だ。

勝てば官軍の象徴的事例、長州軍も安倍自民も、わが姿を鏡に映せば、文句が言える立場ではない(笑)。


問題は、その安倍政権が“下駄を履かせて”まで、追い求める経済成長戦略は、かなり的外れな戦略と云う事が出来る。

経済規模と云う競争原理では、ウッカリすると、韓国や台湾にも抜かれる可能性があるのが、日本の経済なのだ。

いやいや、場合によると、北朝鮮と肩を並べる心配をした方が良いのかもしれない。

つまり、言いたいことは、経済規模では、世界の三流国になることが決定づけられているという事実である。 ここの部分をシッカリ自覚すべきだ。

その上、幸福度ランキングも落ちるばかりだろうし、報道の自由度ランキングも60~70位から抜け出すことは、当分なさそうだ。

まぁ、筆者の考えでは、経済大国の夢を捨てるのは、極めて合理的な答えだ。

要は、どのような価値観を目標に進むかは、今後の日本人が考えることだが、少なくとも経済成長ではないのは確実だ。

問題は、その価値観を提示するのは、哲学者でも、経済学者でもなく、わが国では、政治家なのだと思う。

単に政治家と云うより、官僚が上手に政治家をリード出来るかどうかに掛かっているかもしれない。

いやいや、民間から国家のイメージが出てくることもあるだろう。

まぁ、正直、どこから国家のイメージが生まれても構わない。

その考えの根本に、国家の価値を、規模や量で追求するのではなく、日本の国民が、到達感・満足感をおぼえる何らかの価値の創造だ。


規模や量でないとすれば、「質」になるわけだが、どのような「質」を日本と云う国の価値観にするかによって、今後の日本人の幸福度は決定すると言っても過言ではない。

 

お金の流れで読む 日本と世界の未来 世界的投資家は予見する (PHP新書)
大野和基
PHP研究所

 

データが語る日本財政の未来 (インターナショナル新書)
明石 順平
集英社インターナショナル

 

平成はなぜ失敗したのか (「失われた30年」の分析)
野口 悠紀雄
幻冬舎
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●長生きのリスク コンビニの成長と便利の限界点

2019年04月08日 | 日記

 

コンビニオーナーになってはいけない 便利さの裏側に隠された不都合な真実
コンビニ加盟店ユニオン,北 健一
旬報社

 

外国人労働者をどう受け入れるか―「安い労働力」から「戦力」へ (NHK出版新書 525)
NHK取材班
NHK出版

 

コンビニ外国人 (新潮新書)
芹澤 健介
新潮社


●長生きのリスク コンビニの成長と便利の限界点


我が国のコンビニエンスストアの機能は、単に商品販売に限定されず、銀行ATMの複数機能、ファックス複写機能、公共料金の代行収納や住民票発行などのサービスなど、日常生活において欠かせない存在になっている。

24時間365日運営を大手のセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートなどは、サービスにしのぎを削っている。

東京の23区においては、自転車で30分も走れば、5~6軒のコンビニを見つけることが可能なくらい飽和状態だ。

それでも、全国的に見れば、出店の余地があるらしく、コンビニ業界の鼻息は荒い。

最近のコンビニの人手不足は、ピークに達しており、その結果、業界とパイプの強い政治案件として、入管法改正が行われたと訝る意見も多々聞こえる。

しかし、24時間開店し続ける営業体制は、ここまで人手不足が過熱化すると、ブラック店や、コンビニオーナーの人権問題にまで波及する可能性を秘めるに至っている。

24時間365日戦略に固執する経営陣と、“見直しやむなし派”の人事抗争にまで発展しているようだが、24時間営業による防犯上の効力や、物流を機動的に運営する肝でもある24時間営業を見直す動きが、本格化するか、いまのところ未定だ。


≪ 5万5979店 コンビニ店舗数 人手不足、「24時間」岐路
 大手コンビニエンスストア7社の2月末時点の国内店舗数は前年同月比1・1%増の5万5979店。3月末時点の店舗数は1988年から昨年(5万7956店)まで30年連続で増えた。「飽和状態」と言われながらも拡大路線を続けるコンビニだが、人口減少に伴う人手不足から、看板の「24時間営業」は岐路に立っている。


 


 日本のコンビニ1号店は、大手スーパーのイトーヨーカ堂が1974年5月、東京都江東区に開業したセブン-イレブン。翌年にローソンが発足、81年に西友ストアー(現西友)からファミリーマートが独立した。この3社で全国の店舗数の9割を占める。
 3社とも70年代後半に24時間営業を始めてから消費者の支持が高まり、出店スピードも上がった。工場で作った弁当を深夜にトラックで運んで店に並べ、朝のピーク時に売るなど、工場や物流、店舗まで「24時間を基本にしたビジネスモデル」(ローソンの竹増貞信社長)を確立。最近は外食産業などで時短営業の動きがあるが、コンビニは原則、24時間営業を貫いている。
 コンビニは食品や日用品の販売だけでなく、公共料金の代行収納や住民票発行などのサービスも提供。深夜の防犯や災害時の物資供給拠点といった社会インフラとしてのニーズもある。不動産関係者は「常時明かりがついて人がいるコンビニには安心・安全のイメージが定着し、街づくりで出店を要請されることが多い」という。

■FC店の負担、重くなる一方
 店舗増がコンビニ本部の収入増に直結するため、本部が積極的に出店を推進してきた構図もある。9割がフランチャイズチェーン(FC)店で、本部から販売ノウハウなどを提供してもらう代わりに加盟店料を支払っている。
 加盟店料は店舗売上高から商品原価を差し引いた粗利益を基に算出する。FC店のもうけは、粗利益から加盟店料を支払った後、さらに人件費や光熱費を引いた額だ。人手不足による人件費高騰でFC店の負担は重くなる一方だが、本部の収入には影響しない。実際、大型投資などをした年を除き、大手3社の業績は店舗数の増加に比例しておおむね右肩上がりだ。

■省力化が課題、無人営業実験
 本部は認知度や配送効率を上げるため、一定地域へ集中出店する戦略を展開している。人手不足が深刻化する中、「客だけでなく店員も奪い合っている」(コンビニオーナーらで作るコンビニ加盟店ユニオン)のが現状で、FC店の苦境に追い打ちをかけている。
 2月には、東大阪市のセブンFC店が深夜のアルバイト不足を理由に24時間営業をやめ、本部と対立。オーナーの過重労働が社会問題化し、セブン-イレブン・ジャパンの社長交代に発展した。次期社長に就く永松文彦副社長は4日の記者会見で、営業時間について「個店に合わせて柔軟に判断したい」と述べ、火消しに躍起だ。
 店員やオーナーの負担軽減は急務で、各社は店舗の省力化に力を入れる。セブンは昨年、顔認証技術を使った無人レジ実験を始め、作業がしやすい設備も導入した。ファミマも顔認証決済や電子値札などを導入した実験店舗を2日に開設、無人経営の実現性を探る。既に約40店で時短営業を認めるローソンは、7月に深夜帯の無人営業実験に踏み切り、10月までに客が会計するセルフレジを全店に導入する。
 今後も大量出店は続くのか。大手3社は「まだ飽和状態ではない」(セブン&アイ・ホールディングスの井阪隆一社長)との立場で、引き続き新規出店の余地を探る。しかし、駅前など好立地の空きは少なく、24時間営業も転換を迫られている。店舗を増やすことで業績を拡大してきたビジネスモデルが変わるのか注目される。【藤渕志保】
 ≫(毎日新聞)


この毎日のコンビニ24時間営業問題の記事は、人手不足さえ解消するなら、24時間営業する店舗を今まで同様に出店させていこうするコンビニ業界の飽くなき戦場は続くようだ。

しかし、筆者などは、午前1時半くらいから午前4時くらいに、コンビニを利用するのだが、多くの場合レジに人影がない場合が多い。

従業員や経営者が、搬送業務や、パントリーの整理業務に従事しているらしく、「スミマセ~ン!」と声をかければ、奥の方から「は~い!」と声が返ってくる。

まぁ、ここで商品を電子レジに通すとか、顔認証で購入するのも悪くはないだろうが、なにか後ろ髪引かれて店を後にする自分の姿は、どこか侘しい。

しかし、これからの時代は、この程度の人の温かみ、そのようなサービスは贅沢品に分類されるのだろう。

AIと無人操作されたロボットの力を借りないと成り立たない世界が、もう目の前に迫っているようだ。

無人のタクシーを呼んで、ウーバーみたいなロボット白タクが目の前に停まり、“アナタはどこまで行きたいですか?”等と聞かれ、明確な発音に気をつけて、“歌舞伎町まで”などと言うのかと思うと、気が萎える。

そんなことなら、いっそ、山奥に引き籠ろうか。しかし、色々あちこちの持病持ち、病院が遠いのは、それはそれで困る。

結局、そこそこの現代社会、そこそこの技術革新、そこそこの人間関係。そんな時代に戻った方が、人間は幸せかもしれない。

ips細胞で、多くの病が治癒する時代が来ると言われても、その治癒で生き残る世界が、ロボット白タクみたいな時代で生き残るのなら、そこそこで、あの世に行く方が幸福度は高のではないだろうか。

セブン‐イレブンの正体
古川 琢也,金曜日取材班
金曜日

 

コンビニ店長の残酷日記 (小学館新書)
三宮 貞雄
小学館

 

コンビニ人間 (文春文庫)
村田 沙耶香
文藝春秋
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●新聞と新聞紙がなくなる日 どこか寂しいのだが

2019年04月07日 | 日記

 

ジャーナリズムは歴史の第一稿である。 (「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」記念講座2018)
瀬川 至朗
成文堂

 

言論の自由―拡大するメディアと縮むジャーナリズム (叢書・現代社会のフロンティア 20)
山田 健太
ミネルヴァ書房

 

権力と新聞の大問題 (集英社新書)
望月 衣塑子,マーティン・ファクラー
集英社


●新聞と新聞紙がなくなる日 どこか寂しいのだが


以下のコラムは、磯山友幸氏の新聞が滅びる日を案じるコラムだ。

筆者も新聞購読は、だいぶ昔にやめている。

たしかに、紙の新聞社が現実に存在するから、当該新聞社の電子版でニュース情報を入手しているのは事実だ。

ただ、同氏が心配するところの、ジャーナリズムが消えてしまうと云う心配は、おおむね杞憂なのではないかと考えている。

一定の“メディアリテラシー”があれば、ニュースの事実関係を確認するだけの情報があれば、そこから先は不要である。

仮に、耳慣れない言葉などが含まれている場合には、ググることで、おおむね情報は入手できる。

そのような日常を考えると、紙の新聞が必要かどうか聞かれたら、不要と答える。まぁ「共同通信」の配信だけは必要だと答える。

日本から“ジャーナリズム”がなくなると言われても、そもそも、現在の新聞からジャーナリズム精神を感じることは稀であり、左右或いは中道のネット媒体の情報を吟味すれば済む話で、特に痛痒はない。

この点は、テレビにおけるニュース報道にしても、どの局のニュースを見ても、どこかで誰かが編集したものを順番を変えて報道している?と疑いたくなるほど似ているわけで、大きな違いを見ることは稀である。

無論、本コラムの新聞記事も9割方は同じで、残り1割において、その新聞社の立ち位置、政権寄りか、政権批判新聞かを競っている。

競っていると言っても、多くは ”解説” 部分で違っているわけで、記者クラブと云う ”村社会” のルール内での違いを出している程度である。

将来的に、紙の新聞は、現在の発行部数の半分くらいまで落ち込むのではないかと想像することが出来る。

到底、これからの若い世代が新聞を積極的に定期購読するインセンティブは見当たらない。

無論、情報を入手しようと云う意欲までがなくなることもないので、ネットから各新聞社等にアクセスする選択になるものと思われる。

ただ、経営上、マイナス要素の多い“紙の新聞”も、読売、朝日、日経などは発行し続ける可能性が高い。

おそらく、現在の発行部数の半分程度が、この世の紙新聞の“閾値”なのではないだろうか。

場合によると、定期購読と云う宅配システムがなくなる可能性もあるだろう。販売店の経営維持費と購読料が同レベルであるなら、新聞販売が、コンビニとキオスク等での販売ルートのみになる可能性はある。

筆者などは、節目のニュースがあった時は、読売、朝日、東京の3紙をコンビニで購入する。

限りなく怪しい「改元」“令和”の時には、夕刊朝刊を6紙も買ったので、かなり財布が軽くなった。

新聞社は生き残るが、その社会との接点が、限りなく通信社と同種のものとなり、生き残りや独自性を出すための“調査報道”に特色を出していければ、それなりに固定の読者を囲い込むことは可能かもしれない。

最近では、新聞紙を濡らして丸め、掃き掃除に使う家庭もないだろうし、引越しも、業者が色々便利なものを持ってくるので、新聞紙の用途も減ってきた。

ガンバレ新聞と言いたいところだが、あまり勝ち目を見つけることは出来ない。


≪ 新聞部数が一年で222万部減…ついに「本当の危機」がやってきた
新聞は不要、でいいんですか?

■ピークの4分の3
ネット上には新聞やテレビなど「マスコミ」をあげつらって「マスゴミ」呼ばわりする人がいる。論調が自分の主張と違うとか、趣味に合わないとか、理由はいろいろあるのだろうが、「ゴミ」と言うのはいかがなものか。ゴミ=いらないもの、である。新聞は無くてもよいと言い切れるのか。

新聞を作っている新聞記者は、全員が全員とは言わないが、言論の自由や報道の自由が民主主義社会を支えているという自負をもっている。権力の暴走をチェックしたり、不正を暴くことは、ジャーナリズムの重要な仕事だ。日本では歴史的に、新聞がジャーナリズムを支えてきた。

だが今、その「新聞」が消滅の危機に直面している。毎年1月に日本新聞協会が発表している日本の新聞発行部数によると、2018年(10月時点、以下同じ)は3990万1576部と、2017年に比べて222万6613部も減少した。14年連続の減少で、遂に4000万部の大台を割り込んだ。


 
(他サイトのグラフ)

新聞発行部数のピークは1997年の5376万5000部だったから、21年で1386万部減ったことになる。率にして25.8%減、4分の3になったわけだ。

深刻なのは減少にまったく歯止めがかかる様子が見えないこと。222万部減という部数にしても、5.3%減という率にしても、過去20年で最大なのだ。

新聞社が販売店に実際の販売部数より多くを押し込み、見かけ上の部数を水増ししてきた「押し紙」を止めたり、減らしたりする新聞社が増えたなど、様々な要因があると見られるが、実際、紙の新聞を読む人がめっきり減っている。

このままでいくと、本当に紙の新聞が消滅することになりかねない状況なのだ。

若い人たちはほとんど新聞を読まない。新聞社に企業の広報ネタを売り込むPR会社の女性社員でも、新聞を1紙もとっていない人がほとんどだ、という笑い話があるほどだ。

学校が教材として古新聞を持ってくるように言うと、わざわざコンビニで買って来るという笑えない話もある。一家に必ず一紙は購読紙があるというのが当たり前だった時代は、もうとっくに過去のものだ。

「いやいや、電子版を読んでいます」という声もある。あるいはスマホに新聞社のニュースメールが送られてきます、という人もいるだろう。新聞をとらなくても、ニュースや情報を得るのにはまったく困らない、というのが率直なところに違いない。

■このままいくと…
紙の発行部数の激減は、新聞社の経営を足下からゆすぶっている。減少した1386万部に月額朝刊のみとして3000円をかけると415億円、年間にすればざっと5000億円である。新聞の市場規模が20年で5000億円縮んだことになる。

新聞社の収益構造を大まかに言うと、購読料収入と広告収入がほぼ半々。購読料収入は販売店網の維持で消えてしまうので、広告が屋台骨を支えてきたと言える。

発行部数の激減は、広告単価の下落に結びつく。全国紙朝刊の全面広告は定価では軽く1000万円を超す。その広告単価を維持するためにも部数を確保しなければならないから、「押し紙」のような慣行が生まれてきたのだ。

「新聞広告は効かない」という声を聞くようになって久しい。

ターゲットを絞り込みやすく、広告効果が計測可能なネットを使った広告やマーケティングが花盛りになり、大海に投網を打つような新聞広告を志向する会社が減っているのだ。

新聞社も企画広告など様々な工夫を凝らすが、広告を取るのに四苦八苦している新聞社も少なくない。

筆者が新聞記者になった1980年代後半は、増ページの連続だった。ページを増やすのは情報を伝えたいからではなく、広告スペースを確保するため。

第三種郵便の規定で広告は記事のページ数を超えることができなかったので、広告を増やすために記事ページを増やすという逆転現象が起きていた。増ページのために膨大な設備投資をして新鋭輪転機を導入した工場などをどんどん建てた。

確かに、今はデジタルの時代である。電子版が伸びている新聞社も存在する。だが、残念ながら、電子新聞は紙ほどもうからない。広告単価がまったく違うのだ。

海外の新聞社は2000年頃からネットに力を入れ、スクープ記事を紙の新聞よりネットに先に載せる「ネット・ファースト」なども15年以上前に踏み切っている。日本の新聞社でも「ネット・ファースト」を始めたところがあるが、ネットで先に見ることができるのなら、わざわざ紙を取らなくてよい、という話になってしまう。

紙の読者がネットだけに移れば、仮に購読料金は変らなくても、広告収入が減ってしまうことになるわけだ。

欧米では新聞社の経営は早々に行き詰まり、大手メディア企業の傘下に入ったり、海外の新聞社に売り飛ばされたところもある。このままでいくと、日本の新聞社も経営的に成り立たなくなるのは火をみるより明らかだ。

■「紙」の死はジャーナリズムの死
当然、コスト削減に努めるという話になるわけだが、新聞社のコストの大半は人件費だ。記者の給料も筆者が新聞社にいた頃に比べるとだいぶ安くなったようだが、ネットメディアになれば、まだまだ賃金は下がっていくだろう。

フリーのジャーナリストに払われる月刊誌など伝統的な紙メディアの原稿料と比べると、電子メディアの原稿料は良くて半分。三分の一あるいは四分の一というのが相場だろうか。新聞記者の給与も往時の半分以下になるということが想像できるわけだ。

問題は、それで優秀なジャーナリストが育つかどうか。骨のあるジャーナリストは新聞社で育つか、出版社系の週刊誌や月刊誌で育った人がほとんどだ。

逆に言えば、ジャーナリズムの実践教育は新聞と週刊誌が担っていたのだが、新聞同様、週刊誌も凋落が著しい中で、ジャーナリスト志望の若手は生活に困窮し始めている。

そう、新聞が滅びると、真っ当なジャーナリズムも日本から姿を消してしまうかもしれないのだ。紙の新聞を読みましょう、と言うつもりはない。

だが、タダで情報を得るということは、事実上、タダ働きしている人がいるということだ。そんなビジネスモデルではジャーナリズムは維持できない。

誰が、どうやって日本のジャーナリズムを守るのか。そろそろ国民が真剣に考えるタイミングではないだろうか。

*磯山友幸 硬派経済ジャーナリスト。
1962年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務め2011年3月末で退社・独立。著書に『国際会計基準戦争・完結編』『ブランド王国スイスの秘密』など。早稲田大学政治経済学術院非常勤講師、上智大学非常勤講師、静岡県“ふじのくに”づくりリーディングアドバイザーなども務める。  
≫(現代ビジネス:社会:ジャーナリズム)

新聞社崩壊 (新潮新書)
畑尾一知
新潮社

 

新聞の運命 ―事実と実情の記事
山本 七平
さくら舎

 

変容するNHK――「忖度」とモラル崩壊の現場
川本 裕司
花伝社
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●竹中教授の陰謀 社会保障の足切り、ベーシックインカムへ

2019年04月06日 | 日記

 

悪のAI論 あなたはここまで支配されている (朝日新書)
平 和博
朝日新聞出版

 

日本をどのような国にするか: 地球と世界の大問題 (岩波新書)
丹羽 宇一郎
岩波書店

 

ストライキしたら逮捕されまくったけどそれってどうなの?(労働組合なのに…)
連帯ユニオン,小谷野 毅,葛西 映子,安田 浩一,里見 和夫,永嶋 靖久
旬報社


●竹中教授の陰謀 社会保障の足切り、ベーシックインカムへ


新自由主義、市場原理主義の行きつくところは、≪ 究極的には、政府が最低限の所得を支給するベーシックインカムを導入するしかないと考えている。これにより年金も生活保護も必要なくなる ≫と日本の経済政策に強くコミットしている竹中平蔵が人ごとのように語っている。

この時点で、竹中は、“年金や生活保護”だけを事例的に語っているが、方向性としては、健康保険制度や介護制度についても、同様の考えで、ベーシックインカム制度で括ってしまう意図が明確だ。

ここで重要なことは、このまま、新自由主義、市場原理主義経済の継続は、昨日言及した2割のアンダークラス出現である。と同時に、日本社会が回らなくなると云うことであり、現在の日本の社会福祉制度の維持が、根本的に不可能になることを意味している。

つまり、竹中や既得権益で生きている勢力は、“今だけ、金だけ、自分だけ”の惰性の延長線で生きようと考えているから、最後に、社会保障関連の維持が困難になり、社会保障関連の歳出を、最低限のベーシックインカムに置きかえようと考えていると云うことだ。

実際問題、新自由主義、市場原理主義経済の継続で国家を回していけば、格差が是正することはないわけで、貧富の差が階層化するのは確実なのだ。

ゆえに、新自由主義、市場原理主義経済に対し、世界的にはアンチテーゼが出ているわけで、そのことに気づいていないのは、日本と韓国くらいのものである。

そもそも、元祖アメリカが、ご都合主義な保護貿易などを持ちだしていることから判るように、自由主義、市場原理主義を基礎とする、グローバル経済の弊害の方が多くなりつつあるわけで、いまだに、方向転換せずに、グローバル経済に突き進む態度を改める時期がきている。

しかし、未だに日本経済のかじ取りの教祖として、この竹中平蔵のような男を重用している安倍政権乃至は自民党政治が続く限り、この男が描いている最低限度のベーシックインカムと云う涙金を支給され、あとは“自己責任”という、名ばかりに“福祉国”が誕生することは確実だろう。

少なくとも、自民党政治において、ここ30年、この男が語った経済政策は、ほとんど実行されて、いまのような日本と云う国が存在しているのは事実なので、充分に注意すべきコラムである。

この男の既得権益叩きには注意が必要だ。既得権益を叩いて零れ落ちるゲインを受けとめる事業に参画する利益相反な人間であることだ。

この男は、新興宗教の教祖代理のような地位にあり、ご利益が少ないのは、信心が足りないか、お布施が足りないとしたり顔で語るのだ。


≪まだら模様の平成時代、ベーシックインカム必要に
竹中平蔵 東洋大学教授/慶応義塾大学名誉教授
[東京 8日] - 昭和が「激動の時代」だったとすれば、平成は「激変の時代」だった──。失われた30年などでは決してなく、日本社会は浮き沈みを繰り返しながら、プラスとマイナス両面で変化があった「まだらな30年間」だったと、竹中平蔵・東洋大学教授は指摘する。

世界的に格差を始めとした社会の分断が深まる中、これから新たな時代を迎える日本は社会保障制度改革を避けて通れず、政府がすべての国民に最低限の所得を支給するベーシックインカムの導入が必要になると、竹中氏は主張する。 :同氏の見解は以下の通り。

この30年間は総じて5つの期間に分けられる。まずはバブル崩壊とそのインパクトを明確に見通せなかった1990年代前半。株価も不動産価格も下がり始めたが、多くの人々が「もうひと山来れば大丈夫」と考え、十分な改革ができなかった。

第2期は1990年代終盤。日本はここで金融危機を迎える。そして2000年代初めに小泉純一郎政権が誕生し、第3期の改革の時代に入る。この5年半で不良債権を処理し、株価上昇率も実質成長率も一時米国を上回った。

そこから民主党政権が終わる2012年までの第4期は、最も失われた時代となった。リーマン危機が発生しただけでなく、日本では製造業の空洞化が一気に進んだ。それを受ける形で第2次安倍晋三政権が誕生し、再チャレンジの第5期に入った。

<人材獲得競争に背>
特筆すべきは、「長時間働き、貯蓄する」という日本の国民性がこの間に変化したことだ。平均労働時間はこの30年で15%減少した。ブラック企業が今も社会問題になるが、全体として労働時間は着実に減っている。

一方、平成の初めに15%前後と先進工業国でトップクラスだった貯蓄率は、年によって変動があるものの、一ケタ台前半にまで低下している。今ではスペインと並んで最も低い。これは高齢化が背景にある。

日本の人口は平成の初めと終わりでほぼ変わっていない。途中まで少しずつ増え、その後減少に転じた。移民を受け入れている米国の人口は同期間に30%、英国は15%増加している。つまり世界で長年繰り広げられていた人材獲得競争に、日本は背を向けていた。退職後は収入より支出のほうが多くなるため、人口に占める高齢者の割合が高まれば、全体の貯蓄率は下がる。経済にとって重要な貯蓄投資バランスの構造が大きく変わった。

プラス面の変化も起きた。1つはデジタル社会の基盤が整備されたこと。1995年にマイクロソフトの基本ソフト(OS)「ウインドウズ95」が登場して以降、一般家庭にパソコンが広まり、今では携帯電話も含めたインターネットの普及率は97%前後まで高まった。全国の市町村で高速ブロードバンドが使えるようになり、世界で初めてテレビ放送の完全デジタル化を果たした。

東京の都市開発も良い方向に進んだ。バブル期に臨海部へ広がっていた東京の開発は、1995年に当時の青島幸男知事が都市博(世界都市博覧会)を中止すると都心に回帰した。興味深いのは、日本橋と銀座は三井不動産が、大手町と丸の内は三菱地所が、赤坂と虎ノ門は森ビルが、エリアごとに競うように開発を進めたことだ。東京はコンパクトな街が連なる面白い都市に変貌し、急増する外国人観光客にとっての魅力を増した。

<ライドシェアを生み出せなかった日本>
小泉政権で閣僚を務めた5年半、やり遂げたこともあればやり残したこともある。経済財政諮問会議を機能させ、財政政策とマクロ経済政策を統合させたこと、不良債権処理、郵政事業と道路公団の民営化を進めたことは成果と言えるだろう。銀行の不良債権を処理し、企業のバランスシート調整(負債の圧縮)を進めた結果、リーマン危機で日本は欧米ほど大きな打撃を受けずに済んだ。

社会保障制度改革や労働市場改革は積み残された。日本を含め、世界では格差を超えて絶望的な社会の分断が進んでいる。しかし、どの国も有効な政策を打ち出せていない。究極的には、政府が最低限の所得を支給するベーシックインカムを導入するしかないと考えている。これにより年金も生活保護も必要なくなる。

安倍内閣は明治維新以降で最長の政権になる可能性が高い。長期政権のレガシーとして、ぜひ社会保障制度改革にチャレンジしてもらいたい。 :規制改革もさらに進める必要がある。ここ8年ほどを振り返ると、世界で最も成長した産業はライドシェア(相乗り)だ。米ウーバーの企業価値は8兆円、中国の滴滴出行(デイディチューシン)は6兆円程度と見積もられている。

日本にはライドシェアがなく、価値はゼロだ。デジタル社会の基盤が整っている日本もできたはずなのに、既得権益を持つ業界が反対した。目の前の小さな利益に固執することで、大きな時代の流れのなかで大きな利益を見過ごしてきたのではないか。

*本稿は、ロイター特集「平成を振り返る」に掲載されたものです。竹中平蔵氏へのインタビューをもとに、同氏の個人的見解に基づいて書かれています。

*竹中平蔵氏は、東洋大学国際学部教授/慶應義塾大学名誉教授。1951年和歌山県和歌山市生まれ。一橋大学経済学部卒。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)、ハーバード大学客員准教授などを経て慶大教授に就任。2001年小泉内閣で経済財政政策担当大臣。02年経済財政政策担当大臣に留任し、金融担当大臣も兼務。04年参議院議員当選。05年総務大臣・郵政民営化担当大臣。現在、国家戦略特別区域諮問会議の有識者議員、未来投資会議の民間議員などを務めている。 (聞き手:久保信博)
 ≫(ロイター:コラム)

平成の教訓 改革と愚策の30年 (PHP新書)
竹中平蔵
PHP研究所

 

AI時代の新・ベーシックインカム論 (光文社新書)
井上智洋
光文社

 

1980年代から見た日本の未来 (イースト新書)
三浦 展
イースト・プレス
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●迫っている 国民の2割がアンダークラスになる危機

2019年04月05日 | 日記

 

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)
橋本 健二
講談社

 

格差と階級の未来 超富裕層と新下流層しかいなくなる世界の生き抜き方 (講談社+α新書)
鈴木 貴博
講談社

 

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)
橋本健二
講談社


●迫っている 国民の2割がアンダークラスになる危機


橋本健二早大教授の警告によると、“日本には928万人のアンダークラスが存在し、就業者の14・9%を占めた。平均個人年収は186万円”なのだそうだ。

この928万人も衝撃的な数字だが、就業者の15%近くが、年収186万円での生活を余儀なくされているのが、今日の我が国の現状と云うことだ。

いや、2018年出版のこの本のデータは、「2016年首都圏調査データ」等なのだから、2019年現在は2年間経過しているわけだが、これ以上に悪化しているのは確実だ。

しかも、ここ2年は、黒田日銀が望むインタゲ2%と関わりなく、市中物価は相当の勢いで上がっている。

つまり、わが国の社会階層における、下層階級の比率は調査時の15%から20%方向に限りなく近づいていることを予感させる事実なのだ。

また、この方向性は、2019年4月からの入管法改正により、移民の一部解放が実行され、下層階級の増加に拍車がかかるのは確実な情勢になっている。

さらに、この秋から消費増税が実施された場合の、下層階級の人々の生活に与える打撃が、どのレベルで、生活苦に影響を与えるか、想像すること自体が怖ろしい。

国民の10%程度が生活保護や貧困に苦しんでいる場合、国家の全体像として、「自己責任論」のような言説もありうるだろうが、その比率が15~20%となると、個別的な個人の事情だと、責任論で片づけるのには無理がある。

安倍晋三が、言葉遊びのように“再チャレンジ”を口にしたが、その再挑戦可能なインフラを整備する気は、さらさらないのだから罪な男だ。

最近のマスメディアは、安倍様が口にした言葉は、半年後には実現しているように印象報道しているが、悪しき影響のある法律などは、確実に、半年、一年後に影響が出ているが、国民生活にプラスとなるシステムや法律が、実現したためしはない。

このアンダークラスの国民階層が定着した社会が10年以上続いた場合、その階層が固定化される。

こうなると、この固定化された最下層な人々の存在は、単に個別的問題としてではなく、大きな社会問題として表面化するだろう。


問題は、社会の多方面で社会問題化されてからでは、もう、この問題を解決する時期を失する可能性が多いのだろうと推量する。

しかし、今の安倍政権にも、自民党にも、この国民のアンダークラス問題に、「自己責任論」を持ちだすネトウヨ並みの議員が多いのだから、近い将来、日本の大問題になるのだろう。


≪「アンダークラス」928万人、人ごとではない! 
放置すれば社会崩壊 橋本健二・早大教授が警告
 貧困に陥り、抜け出すことができない「アンダークラス」の人たちは、明日の私たち--。社会学者の橋本健二・早稲田大教授(59)は、近著「アンダークラス--新たな下層階級の出現」(ちくま新書)で「現状を放置すれば日本社会は危機的状況を迎える」と警告する。【鈴木美穂】
 日本社会は、もはや「格差社会」などという生ぬるい言葉で形容すべきものではない。それは明らかに「階級社会」--。
2018年1月に出版された前著「新・日本の階級社会」(講談社現代新書)で橋本さんはこう指摘した。「労働者階級」が正規と非正規労働者に分裂して出現した下層階級の存在を可視化し、大きな反響を呼んだ。

 アンダークラスとは、パート主婦らを除いた非正規労働者を指す。近著は、この下層階級を詳細に描く。  「バブル崩壊後、非正規労働者が増加しましたが、余剰時間を活用し、家計を助けるために働くパート主婦らもその数に含まれ、実態が覆い隠されていました。貧困から抜け出せないアンダークラスに焦点をあてる必要があると考えました」

 橋本さんが、階級・階層研究を専門とする社会学者の研究グループによる15年の「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」や、自身を中心とした研究グループが実施した「2016年首都圏調査データ」など複数の調査データや官庁統計を分析したところ、日本には928万人のアンダークラスが存在し、就業者の14・9%を占めた。平均個人年収は186万円だ。

 この階級を、性別(男と女)と年齢(59歳以下と60歳以上)で四つに分類すると、「とりわけ59歳以下の男性と単身女性の貧困率が深刻でした」。

 非正規労働者の貧困層はバブル崩壊後に生み出されたと指摘されることがあるが、橋本さんはバブルが始まった1980年代に起源があると分析する。バブルに沸く中、企業は拡大した労働需要を非正規労働者で満たした。経済の先行きを楽観してこれに応じた若者たちもおり、フリーターと呼ばれるようになった。しかし、バブルが崩壊すると、企業はフリーターを「使い捨て」に。以後、就職氷河期が続き、一度も正社員になったことがなく、昇進や昇給も経験したことのないアンダークラスが増え続えた。

 アンダークラスの人たちの未婚率は34・1%と高い。59歳以下の男性に限れば66・4%に達する。橋本さんは日本の階級を▽資本家階級(従業員5人以上の経営者ら)▽新中間階級(企業の管理職)▽労働者階級(正規社員)▽旧中間階級(農家など)▽アンダークラス--の「5層構造」で説明するが、アンダークラス以外の4階級の未婚率(17・3%)との差は歴然としている。「安心して家庭を持つことが難しい。他の階級の人たちとはライフコースが違います」

 取材を通じて知り合った知人男性(46)=埼玉県在住=は「私自身、アンダークラスから抜け出せていません」と語る。非正規に転落して約20年。月収15万~18万円で家賃(5万7000円)や光熱費などを納めれば残りはわずかといい、帰途、スーパーで値引きの弁当を買うのが日課だ。

 「結婚? 一度も考えたことない。できるわけないでしょ。1人で暮らすのがやっと。そんな家に嫁いでくれる女性なんていると思います? お金があれば誰だって、人とつながりを求める。ところが、外出すれば外食費がいるし、映画を見れば、そのお金も。今の生活では、とても無理ですよ」

 福岡県で公務員の両親のもとに生まれた。地元の専門学校を卒業し、5年間は正社員として勤めたが、腹部に激痛が走る病に見舞われ、断続的に入院。自己退職を余儀なくされた。

 自宅で療養しながら細々とアルバイトを続け、30代になって再就職を考えたが、正社員に応募しても、履歴書が戻ってくるばかり。東日本大震災後、仕事で東北に赴いた後、「流れつくように東京にやってきました」。家族とは不仲で、音信不通だ。「とにかく、ありつける仕事には何でもつこうと思うようになった。『再チャレンジ』社会にはまだ遠いのが現実。結局は、何でも自己責任になってしまいます」

 離婚と再婚を繰り返し、アンダークラスと、他の階級を行き来する30代の女性も取材した。東京で生まれ育ち、高校を出たが新卒では就職できず、2年ほど梱包(こんぽう)のアルバイトなどで食いつないだ。両親は離死別し、親戚宅に身を寄せていたため「肩身が狭かった」。20歳ごろ、住み込みできる飲食店で働き始めると常連客と恋仲に。すぐに子供が生まれ、専業主婦に収まったが、同居のしゅうとめと折り合いが悪く、夫と不仲になった。「子供を置いてお前だけ出ていけ」と言われ、離婚届にハンを押した。

 離婚後、別の飲食店で働き始めてほどなく、会社員の男性にプロポーズされて結婚。しばらくは幸せな日々が続いた。だが、家計のやりくりをめぐり、夫とケンカが絶えなくなった。「母親や義理の娘としてどう振る舞えばいいかが分からない。また離婚になってしまったら、この先どうしたらよいのか。人生をやり直せる気がしない」

■共感を持って孤立防げ  
「再チャレンジ」は、06年に発足した第1次安倍晋三政権が掲げていたが、いまだに実現していない。橋本さんは、現代社会に三つの「処方箋」を提示する。

 「アンダークラスは、一人一人が『個』として切り離されており、社会と連帯できていません。個人加盟できるユニオンに入るなど、連帯の方法があることをまずは知ることが大切です」

 次に、アンダークラスを「自分の問題」として考えることが重要だ、と話す。「普通のサラリーマンが病気やケガなどでアンダークラスに転落することは珍しくありません。あなた自身や、あなたの子供がそうなったら、どうしますか? 突き放すのではなく、共感の視点で解決の道筋を考えることが重要だと思います」

 最後に、最低賃金を1500円にするよう求める。「そうすれば年収が大卒初任給並みになります」  生活保護世帯へのバッシングに象徴されるように、アンダークラスに対しても「自己責任論」は根強い。しかし、橋本さんは「就職先がブラック企業だったり、労働基準法を無視するような職場環境で体を壊したりすると、働き続けられない。それでも、あなたは『自己責任』と切り捨てられますか」。

 病気、配偶者との離死別、リストラ……。「落とし穴」はすべての人の人生に開いている。橋本さんは改めてこう強調する。「決して人ごとではないのです」  

■人物略歴 はしもと・けんじ  
1959年、石川県生まれ。東京大大学院博士課程修了。武蔵大教授などを経て2013年から早稲田大人間科学学術院教授。著書に「階級都市」「『格差』の戦後史」など。
≫(毎日新聞)


≪「経済の格差」は人を分断し社会の健康を損なう
近藤克則 / 千葉大学予防医学センター教授
 老後の生活資金に3000万円は要るという。月10万円として年に120万円。60歳からの25年分で3000万円になる。近づいている人生100年時代になれば40年分だから約5000万円である。これに医療や介護の費用も加わるから、これでも最低必要額である。この額を貯金だけで賄える世帯は少ない。それでも健康で文化的な最低限度の生活を保障しようと作られた仕組みが、年金制度に代表される社会保障だ。

 その財源は、お金持ちほど多く負担している。一方、多額の貯金があるお金持ちは社会保障制度がなくても困らない。なるほど、お金持ちから見ると費用だけを負担させられる理不尽な制度かもしれない。それでも社会保障が必要とされてきたのには理由がある。

 第一に、かつて「格差こそ経済成長の源泉だから必要悪だ」という声が大きかった。しかし、所得格差が大きくなりすぎると経済成長すら損なうことがわかってきた。経済協力開発機構(OECD)は2014年、日本のようにこの20年間に格差が拡大した国ほど経済成長率が低かったと報告した。社会保障は格差を縮小するよう、うまく設計し見直しをすれば成長戦略にもなるのだ。

 第二に、経済格差は拡大する性質がある。経済学者ピケティが「21世紀の資本」で示したように、過去200年以上、資本を持つ者は持たざる者より多くの富を手に入れ格差は拡大してきた。

 格差が大きくなると何が起きるか。社会は分断され、治安の悪化、テロの多発などで社会が不安定になる。そうなれば失うものが大きい富裕層ほど多額の警備費を自己負担して守ることになる。それよりは社会保障による所得再分配の方がマシではないか。

■人は公正さを求める社会的な存在
 第三に、格差社会が不安定になるのには理由がある。人は利益だけでなく公正さも求めるからだ。

 「最終提案ゲーム」という実験がある。1000円を渡され見知らぬ誰かと分けるように言われる。あなたが示した額に相手が同意すれば分け合うが、拒否されたら両者とももらえない。合理的に利益だけを考えると、相手は少額であっても同意しそうだ。実際にやってみると、300円以下だと半数は拒否し、平均提示額は450円だという。人は何かを犠牲にしてでも不公正を罰したいという感情を持つ社会的動物なのだ。
 なるほど社会保障は、直感的な損得勘定から見ればお金持ちにとっては損な制度である。しかし正しいことが常にわかりやすいわけではない。いろいろな面から見てみると、お金持ちにも社会保障は合理的な制度である。その証拠に、数十年単位で見れば社会保障は拡充を続けてきた。目先の損得勘定などで論議せず、社会保障を守り拡充していく社会であってほしい。

<千葉大予防医学センター教授の近藤克則さんが執筆する毎日新聞専門家コラム「くらしの明日 私の社会保障論」を医療プレミアでも紹介します。健康、不健康の背後にある社会的要因についてみなさんと一緒に考えます> 近藤克則・千葉大学予防医学センター教授 1983年千葉大学医学部卒業。東大医学部付属病院リハビリテーション部医員、船橋二和(ふたわ)病院リハビリテーション科科長などを経て日本福祉大学教授を務め、2014年4月から千葉大学予防医学センター教授。2016年4月から国立長寿医療研究センター老年学評価研究部長。「健康格差社会ー何が心と健康を蝕むのか」(医学書院2005)で社会政策学会賞(奨励賞)を受賞。健康格差研究の国内第一人者。
 ≫(毎日新聞:医療プレミア)

世界から格差がなくならない本当の理由 (SB新書)
池上彰+「池上彰緊急スペシャル! 」制作チーム
SBクリエイティブ

 

東京格差 (ちくま新書)
中川 寛子
筑摩書房

 

健康格差社会への処方箋
近藤 克則
医学書院
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●改元に期待 「平成」が悪い時代だったと吐露する日経

2019年04月03日 | 日記

 

データが語る日本財政の未来 (インターナショナル新書)
明石 順平
集英社インターナショナル

 

官僚たちのアベノミクス――異形の経済政策はいかに作られたか (岩波新書)
軽部 謙介
岩波書店

 

アベノミクスによろしく (インターナショナル新書)
明石 順平
集英社インターナショナル


●改元に期待 「平成」が悪い時代だったと吐露する日経


筆者から言わせてもらえば、平成は“クズ”が寄ってたかって、昭和の遺産をグズグズと時間をかけて食いつぶした時代と受けとめている。

つまり、昭和の遺産を食い潰した時代なわけで、ほぼ“蓄えゼロ国家”になった印象がある。

国家の財政赤字と国民の資産が均衡値を迎えたのではないかと考えている。統計上の数値においては、国民資産が勝るが、現実的なバランスシートにおいては、フラットになっているものと認識する。

日経新聞は今まで、如何にもアベノミクスで、日本経済は劇的に好くなっている印象を与える記事を垂れ流していた割には、「改元」が、政治・経済・外交の転機になるのではと期待している、本音を露呈した記事を書いている。

*以下参照。


≪ 政治・経済・外交…、転機の予感 新元号4月1日公表
政府は4月1日に平成に代わる新しい元号を決める。憲政史上初めての天皇退位に伴う皇位継承の行事が本格的に動き出し、新たな時代の区切りを迎える。国際情勢は流動化しており、年内は内政と外交で大きな日程が相次ぐ。バブル経済の崩壊や政治の混乱を経験した平成が終わり、新しい元号は時代をリセットさせる。ここで政治や経済の歯車をいかに前に回していけるか、転機を迎える。

■大型行事相次ぐ

 


安倍晋三首相は年初に秘書官らを前に呼びかけた。「今年は歴史に残る1年になる。大仕事を楽しもう」。今年は春以降、皇位継承を巡る一連の行事に加え、例年にない大型の政治や外交日程が目白押しだ。「楽しもう」という言葉に緊張感が漂う。

5月1日、皇太子さまが新天皇に即位され改元すると間もなく、トランプ米大統領が来日する。4月には首相がワシントンを訪問し、6月には再びトランプ氏が大阪で開く20カ国・地域(G20)首脳会議に出席するため来日する。異例の短期間で2度も来日する決め手となったのは新天皇が即位して最初の「国賓として迎える」ことだった。

進行中の米中協議の行方次第では、トランプ氏の貿易赤字削減の矛先が日本に向かいかねないタイミングだ。在日米軍の駐留経費負担の上積みを求めてくる可能性を指摘する声もある。

首相が議長を務めるG20首脳会議には中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席も出席する予定だ。米中貿易対立のさなかで世界的な保護主義の流れを食い止める役割を日本が果たせるか、各国は注目する。

首脳会議にあわせて首相はロシアのプーチン大統領とも26回目の会談に臨む。平和条約交渉を加速させることで合意した両首脳が、北方領土の主権問題で足踏みしている現状を打開できるか、勝負どころとなる。

内政ではすでに改元をにらんだ変化が表れている。過去最大の101兆円を超す2019年度予算が27日に大きな混乱もなく成立したのは、代替わりを控えて対決ムードを抑えた方がよい、という暗黙の空気が与野党にあったからだ。

10月には消費税率10%への引き上げが待ち受ける。首相は14年に5%から8%に引き上げた後、2度増税を延期した。「今回も上げることができなければ消費税は二度と上げられない」と語る政府関係者は多い。社会保障費が膨張し続ける日本の将来の財政をみすえ、失敗のできない課題だ。

偶然の巡り合わせで時代の転換を背負うことになった首相にとって、重要な政治日程が重なる改元の最初の年の乗り切り方は次の時代の内政や外交の針路にも影響を及ぼす。

平成元年(1989年)も転機だった。改元のときに首相を務めた竹下登氏はそれから半年足らずでリクルート事件の責任を問われて退陣。続く宇野宗佑氏も平成最初の参院選で敗北し、海部俊樹氏が就いた。

バブル景気のピークを迎えた89年12月末、日経平均株価は過去最高の3万8915円を付けた。しかし、その後の経済の停滞と金融システムの危機を経て「失われた20年」が続く。合計特殊出生率が丙午(ひのえうま)の1966年を下回る1.57まで下がり、日本が抱える最大の問題である人口減少の予兆が出たのも平成元年だった。

安倍首相は今回、前例踏襲を決めていた新元号公表の手続きに少し手を加えた。菅義偉官房長官が記者会見で墨書した新元号を掲げて説明した後、自身も正午ごろから会見を開き談話を読み上げることにした。元号に込めた意味や国民へのメッセージを自ら語るのは、首相として転機を背負う覚悟の表れともとれる。

■国民心理に根ざす
元号は時代を区切り、その時代を生きる日本人の心理に深く根を下ろす。天災や不吉な出来事が起こると、人びとの心持ちが変わるのを期待して天皇が自ら改元した例も多い。

天皇陛下は4月30日に退位され、平成は31年目で幕を下ろす。5月1日に新天皇が即位して新しい元号になると、政治や経済を取り巻く空気も大きく変わるかもしれない。 (大場俊介)
 ≫(日本経済新聞)


要するに、第二次安倍政権は、上手に政権を維持する方法論は上手になり、民主主義政治を凌駕するファシズム的な政治手法を確立し、政権維持に成功している。

所謂、為にする政治であり、政治権力遊びに耽っているに過ぎない政権だと言える。

結果的に、安倍首相は、これだけの強権を手に入れておき乍ら、実行したことは、米国に忠実であろうとする政治の実行だった。

第一が「安保法制」の成立で、集団的自衛権行使を容認することで、米軍と自衛隊の一体化を名実ともに強固なものとした。

第二に、日銀が、FRBに代わって世界マネーの供給源(異次元金融緩和)となり、FRB(米国)の金融正常化をアシストした。

FRBの金融政策をアシストした結果、日銀のバランスシートは破壊的打撃を受けているが、安倍首相はその問題を黒田の責任として押しつけたままであり、この是正に、我が国は、数十年苦しむことになる。将来へのつけ回しである。

また、安倍首相らが画策した、名目的な経済成長のバロメーターと位置づけた東証株価を、日銀ETFや年金基金などの資金を動員する官製相場をでっち上げることで、情弱国民の目を騙し続けてたままである。

この取得している株式の売却行動は、数十年単位でも、売却出来ない可能性を抱えてしまった。

おそらく、これだけ多くの統計データの改竄を見る限り、すべての統計数値が改竄捏造されている可能性があるわけで、どの辺が真実なのか、見当もつかなくなっている。

事実、GDPも実質賃金も貿易収支も経常収支も公表された数値より、下振れしていることは事実として証明されている。

もしかすると、10年後、20年後、野党が政権を握った頃には、修復が不能となるほど、真っ当なデータが残っていないリスクまでありそうだ。

誰がつけた評判かは知らないが“外交の安倍”なる言葉ほど、的外れな評価はないだろう。

最も重要と思われる対中外交から逃げまくり、トランプ詣で外交、プーチン詣で外交で、外交の興味だけを引っ張り、米国トランプの押し売りに遭い、不要な武器装備品を大量に買わされ続けている。

無論、ロシアとの北方領土交渉など、二島返還さえ危うい状況になったおり、振り出し以下のレガシーを残す危機を迎えている。

自分でなければ解決できないとまで豪語した、北朝鮮拉致問題など、北朝鮮政府とまともに交渉することも出来ず、トランプ大統領に、ひと言語って貰ったと嬉々として、拉致被害者家族に報告する有様である。

対韓外交は戦後最悪な次元になるまで火をつけて愉しんでいるのだが、ネトウヨを歓ばせるのも、大概にすべきだ。

結局、経済も外交も失敗続きなのだが、マスメディアを恐喝的にコントロールすることで、事実の隠ぺいに、“情弱有権者”に対しては、現時点で成功している。

政治的には、小選挙区制による党独裁体制となる権限をフルに活用して、超官邸主導体制を確立したように見られる。つまり、一種変形だが、ファシズム体制が出来上がったとみることも出来る。

しかし、今だ軟弱地盤なファシズム体制なので、現状レベルであれば、国政選挙で破壊することは可能だが、この状況が、今後10年近く続くと、固定化されるリスクはかなりある。

今夏の選挙で、野党の躍進は期待できないだろうが、改憲勢力、衆参2/3議席確保を阻止するくらいの健闘は期待したい。

どうも、枝野の野党政権運営の道筋が未だに見えてこない点、かなりの不安材料だ。小沢氏が音頭取りするには、あまりにも自由党の力が弱すぎる。

立憲が駄目となると、現時点で見えてくるのは、日本共産党になってしまうのだが、これはこれで、国民的広がりに党名が邪魔をする。さてさて、「令和」な時代の幕開けはどのようになるのだろうか。

まぁ、現状の国民レベルを考慮すると、カリカリしても骨折り損な面がある。当面は、多くの国民が痛みを感じ始めるのを待つと云う按配だろう。

 

安保法制の何が問題か
長谷部 恭男,杉田 敦
岩波書店

 

プーチン幻想 「ロシアの正体」と日本の危機 (PHP新書)
グレンコ・アンドリー
PHP研究所

 

辺野古に基地はつくれない (岩波ブックレット)
山城 博治,北上田 毅
岩波書店
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●「平成」 “クズ”が反省もせず、グズグズと生きた時代

2019年03月31日 | 日記
街場の平成論 (犀の教室)
内田樹
晶文社

 

平成経済 衰退の本質 (岩波新書 新赤版)
金子 勝
岩波書店

 

平成の通信簿 106のデータでみる30年 (文春新書)
吉野 太喜
文藝春秋



●「平成」 “クズ”が反省もせず、グズグズと生きた時代

日刊ゲンダイは「平成」と云う時代を“転落の時代”と捉え、次の時代を“奈落の時代”と予測しているが、あながち間違いと笑い飛ばせないのが、現実なのが怖ろしい。

まぁ、以下の記事は、共同通信の世論調査の結果を受けての評論記事なのだが、他社や他者の言葉を通して悲観論を記事にしている点が悲しいが、総じて、悲観論的立ち位置のメディアとしては、上手くまとまった記事になっている。先ずは、読んでいただこう。


≪「平成よかった」が7割超 安倍偽装政治に騙される人々

 平成も残り1カ月余り。共同通信が平成の時代に関する郵送世論調査(3000人対象)を実施した結果、「どちらかといえば」を含め、73%が「良い時代」と評価したという。つくづくオメデタイ国民性だ。
 NHKインタビューで経済評論家の森永卓郎氏が語った通り、平成は「転落と格差」の時代だ。日本の世界に対するGDPシェアは、1995年に18%を占めたが、直近では6%まで減り、20年余りで3分の1に転落。バブル崩壊後は不良債権処理を口実に潰す必要のない企業をバンバン潰し、片っ端から二束三文で外資に売り飛ばした。
 日本企業が日本人のモノでなくなったせいで、企業が稼ぎを人件費に回す割合を示す労働分配率はつるべ落とし。平成以前は世界最高水準を誇ったが、直近の2017年度は66.2%と石油ショックに苦しんだ74年以来、43年ぶりの低さ。今や世界最低水準に陥っている。
 小泉構造改革以降は労働規制緩和の猛烈な嵐が吹き荒れ、今では労働者人口の38%が非正規雇用だ。実質賃金もダダ下がりの中、追い打ちをかけたのが99年に始まったゼロ金利政策だ。預金にほぼ利子がつかない異常事態が20年も続き、今ではメガバンクの普通預金の年利は0.001%。100万円を預けても、利子はたったの10円だ。
 当然、庶民は増えない貯蓄を削る生活を強いられる。「1億総中流」と呼ばれた72年には金融資産がある世帯の比率は96.8%に達したが、17年には金融資産なしと答えた世帯が31.2%に上昇。本来得られた利子を奪われ、貯蓄ゼロの貧しい世帯が急増したのが、平成という時代なのだ。

■政治が人を大切にしなくなった時代
 さらに黒田日銀がマイナス金利政策に踏み込んだため、メガバンクすら利ざやを稼げず、計3.2万人分の業務を削る大規模リストラを断行。店舗も次々と廃止し、三菱UFJは21年度までに国内516支店の1~2割を統廃合。みずほも24年度までに2割減らす。
 国内銀行の本支店数は17年3月末で約1万2000店と、ただでさえ、メガバンク誕生前の01年3月末から13%も減っている。世界各国の人口10万人当たりの銀行支店数はフランス57、イタリア48、ドイツ44、アメリカ26、カナダ24、イギリス17に対し、日本は16とG7諸国で最も少なくなったのに、さらに減らそうとしているのだ。
 元銀行員で経済評論家の斎藤満氏はこう言った。
「銀行業の根本は支店を通じた利用者サービス。それを守るのは銀行の責務なのに、維持できなくなったのも平成以降の歴代政権の責任です。『貯蓄から投資』と音頭を取り続け、株価維持のため、銀行に投資信託の販売増を押しつけた。かつての護送船団方式を崩壊させ、小泉・竹中コンビによる銀行イジメ以降は当局と銀行の信頼関係もガタガタ。20年ものゼロ金利政策で体力を奪われた上、トドメを刺したのが、アベクロコンビのマイナス金利です。
 経営が追い込まれても、もはや政府には頼れず、メガバンクでさえ自衛のために大リストラに走らざるを得ません。支店閉鎖で不便を被るのは利用者で、特にお年寄りは周りに支店がなくて途方に暮れています。それでも安倍政権はキャッシュレス化推進で、ますます銀行離れを加速させ、ついていけない人々を置き去りにする。残酷です」
 政治が人を大切にしなくなったのも、平成時代に特記すべきことだ。

■日本人の美徳を破壊した弱肉強食の格差社会
 平成の会社員が失ったのが終身雇用と年功序列だ。会社が社員を守らなくなり、賃金も低下。非正規労働者は単なる使い捨てのコマだ。会社に忠誠を誓った企業戦士は今や昔。日本を代表する大企業でもモラルが低下し、信じ難い不正が相次いだのも平成の時代だ。
「93年開始の年次改革要望書を通じた米国の外圧により、自民党政権は新自由主義へとカジを切り、そのアクセルを吹かせたのが小泉政権です。1%に富を集中させる新自由主義の徹底は弱肉強食の格差社会を生み、教育格差に発展し、今では塾に通わせられない貧困層の子は進学すらままならず、格差固定化の『階級社会』に陥っています。新自由主義を推進した結果、日本の富は米国に収奪され、中間層は完全に潰れ、社会は分断。アンダークラスの不満のはけ口は日本の戦争責任を問う中韓両国叩きとなり、排外主義もはびこるようになった。平成の時代には、日本人の美徳とされた寛容と助け合いの精神が徹底的に破壊されてしまったのです」(経済アナリスト・菊池英博氏)
 日本社会をぶっ壊した新自由主義をさらに加速させたのが、この6年のアベ政治だ。アベノミクスで株価が上がって利益を得たのは外資と海外の富裕層、そして一握りの日本人のみ。働き方改革と称した労働規制の破壊で、働く人々に長時間労働を強制し、水道法改正と種子法廃止で、命の源である水と食まで外資に売り渡す。
 こうした都合の悪いことを国会で追及されても、安倍首相は攻撃的な物言いで逆に相手を非難するか、ゴマカし、はぐらかすだけ。不誠実な体質は霞が関にも伝染し、国会に呼ばれた役人までゴマカし、はぐらかし、攻撃的発言を野党議員に浴びせかける。
 いや、企業や大学、スポーツ界で増え続ける不祥事でも、責任者は都合の悪いことを隠し、ゴマカし、はぐらかしに終始。政権のイカれた体質が日本社会全体に蔓延しつつある。
 後世に「平成最後の6年間が日本を変えてしまった」と疎まれるほど、今の日本は忌まわしい歴史の渦中にあるのだ。

■メディアの良識が消え不正もなかったことに
 安倍政権の悪事もメディアが伝えなければ、なかったことになる。おかげで、「GDP600兆円」という政治目標に端を発する統計不正の追及も今や沙汰やみ。“ダマシノミクス”のペテン政治もまんまと成功だ。
 安倍政権はNHKの経営委員に“お友だち”を送り込んだのを皮切りに、放送局の許認可権をチラつかせ、民放テレビを完全に黙らせた。テレビが政治の腐敗に沈黙すれば国民に腐敗の実態は伝わらず、政治を話題にしなくなる。
 政治を避ける視聴者に応え、テレビから政治の話題がさらに消える悪循環だ。
 選挙の投票率も下がり、政権与党の組織力が上回る。安倍政権の国政選挙5連勝には、「この国はおかしくなっている」と気付いている人ほど無力さを痛感し、政治を諦めてしまう。この政権の唯一、卓越したところはメディアをコントロールし、国民を騙し、一部の気付いた国民を諦めさせたことだ。
 政治評論家の森田実氏が言う。
「盗聴法や特定秘密保護法、共謀罪などで監視社会を強化し、モノ言う国民にプレッシャーをかける仕組みを仕上げ、さらに安倍政権が官邸に権力を集中させ、小選挙区制の導入も相まって役人も与党も政権の言いなり。ネットの発達が歪んだ共感社会への強要と、ヘイトの氾濫を生み落とし、その中で安倍政権は戦後最悪の対中・対韓関係の悪化を招いた。日米安保も強化し、ついには集団的自衛権の容認で憲法9条を死文化させたのです。
 いずれも平成の出来事で、平成には権力支配が強まった暗黒時代の側面もある。それでも7割超の国民が『良かった』と答えるのは、メディアが平成の明るい部分だけを誇張している影響でしょう。多くの国民が大本営発表を信じ、時代が誤った方向に進んでいるのに気付かなかった戦前・戦中の光景を彷彿させます。この国に全体主義の足音が近づいているような懸念を禁じ得ません」
 平成を良かったという7割超の庶民は次の時代も安倍と同じような政治家を選ぶのだろう。希代の詐欺首相による恐ろしい国民総洗脳は、いつになったら覚めるのか。
 ≫(日刊ゲンダイ)


平成と云う時代解釈は色々で良いのだろうが、平凡な時代だっと言えるのではないのだろうか。

昭和という時代が、あまりにもアップダウンの激しい時代だっただけに、どこか刺激に欠けていた時代なのだと思う。

平成は、構造的にズルズルと右肩下がりな経済につられるように、世の中全体に活力がなくなり、男子の草食化やコスパ男が大量に増産される時代になった。

このような社会現象は、権力者や既得権益層にとって、目先は非常に都合のいい時代なのだ。

しかし、被支配者の牙を抜くことで、一時支配層は絶対的な勝者になるのだが、この勝利には継続性と云うDNAが欠けているので、結果的には、敗者だらけになるか、外国に勝者の地位を譲ることになる。

つまり、日本と云う国を、市場原理主義の坩堝に投げ入れてしまった結果、最終的には、独立性に欠けた属国度が鮮明な日本と云う国が出来上がる。

米軍や、グローバル金融や企業群の配下となり、その下に、日本人がぶら下がる社会と云う構造が、目に見えて判るような時代が来るのだろう。 :仮に、米国や、グローバル資本が健全なまま推移するのであれば、好き嫌いは別にして、それでもいいのだろう。

しかし、米国やグローバル経済の限界は、その兆候を既に表しているわけで、その健全性は保証されていない。 :いやむしろ、中国やインドが覇権を握る可能性の方が、高いと考える方が妥当性があるような時代の流れなのだろう。

いま未だ、米国の方が有利だから、これからもと云う図式を信じるのは既得権益層か愚か者であって、ニュートラルに考えれば、益々、米国の覇権は怪しくなると見るのが妥当だ。

ただ、日本人の多くは、平成と云う時代を通じて、本来から持っていた、利己主義をより鮮明にし、エゴセントリックな国民性が定着している。

平成を、良い時代だったと云う人々の多くは、昭和の高度経済成長期の遺産を食いつぶして息をしていた「平成」と云う時代感覚にまで、考えが至らない知的水準だからだろう。

まぁ、エゴセントリックに考えれば、まだ食いつぶす遺産が残っている間は、良い時代だと感じるのは当然かもしれない。

正直、論理的に、自国に経済や社会が、雪隠詰めになると判っていても、エゴセントリックで、見えるものだけで、ものごとを理解や判断する以上、近い将来であっても、リスク管理を叫ぶことの虚しさを知っているので、語る者は少ない。

“やばい”と云う危機意識はあっても、彼らは、それを口にはしない。

行くところまで、行くしかない。

まるで、太平洋戦争に突入した時と同じ構図なのだ。

おそらく、超貧乏を強いられることになりそうだが、4,50代を含め、なんとか逃げ切れるのではと、それこそエゴセントリックな考えに意識下にある。

最近では筆者も、こりゃ、行くところまで行くしかないな、と思うようになった。その行きつくところが、戦争でないことを祈る気分だ。以下のように、キナ臭さは増すばかりだが。


≪ 安保法3年 自衛変容 新任務次々に
 集団的自衛権の行使を可能にし、自衛隊の役割を拡大した安全保障関連法は29日、施行から3年を迎えた。自衛隊はこの間、安保関連法に基づく「米艦防護」などの新任務を次々と実施してきた。4月には安保関連法の「国際連携平和安全活動」を初めて適用し、イスラエル、エジプト両軍を停戦監視する多国籍軍・監視団(MFO)の司令部に自衛官2人を派遣する方針だ。ただ、役割の拡大は、専守防衛を逸脱する恐れもはらんでいる。【木下訓明】
■「専守」逸脱の恐れも
 「3年間で日米同盟はより強固になり、抑止力は向上した。日本の役割拡大は、米側もしっかりと評価している」。岩屋毅防衛相は29日の記者会見で、安保関連法の意義を強調した。
 政府は、同法に基づく「実績」を積み上げてきた。日本防衛のために監視活動を行う米軍艦艇や航空機を自衛隊が防護する「武器等防護」は、2018年に16件実施。16年のゼロ、17年の2件から急増した。日本に重要な影響を与える事態の際に、地理的制約なく、自衛隊が米軍を後方支援することも可能になり、そのための共同訓練も重ねている。
 自衛隊と米軍の「一体化」は、日本の役割拡大でもある。米国を狙った中距離弾道ミサイルの迎撃もその一つ。ミサイルが発射されれば、同法に基づいて集団的自衛権を行使し、日本政府が秋田市と山口県に配備を目指している陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」と日米共同開発の迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」で迎撃することができる。
 有事の際、同法に基づき米軍の後方支援を迫られる可能性もある。ただ、米国の他国に対する武力行使への支援を強めることは、「武力行使の一体化」とみなされかねない。さらに、前線に物資を送る「兵站(へいたん)機能」は、国際的には戦闘行為と一体と見なされており、自衛隊が攻撃対象となる危険性もはらむ。
 一方、政府は昨年12月に閣議決定した中期防衛力整備計画(中期防)で、海自護衛艦「いずも」型の「空母化」改修を盛り込んだ。短距離離陸と垂直着陸が可能な最新鋭戦闘機F35Bの搭載が念頭にある。政府は常時搭載しないとし、政府見解で保有できないとしてきた「攻撃型空母」ではないと説明する。しかし、F35Bを艦上で運用すれば行動範囲は広がる。敵基地攻撃に転用する余地が残り、「専守防衛」の枠をはみ出す恐れがある。また、米軍機を搭載しての「後方支援」を迫られる可能性もある。
 岩屋氏は会見で「新たな任務で(自衛隊に)リスクが増える可能性はある。それを限りなくゼロにするため訓練をしっかりと行う」と強調した。だが、野党は「『いずも空母化』など日本の安全保障の根幹的な原則から逸脱しているような状況が見受けられる。安保関連法制を廃止する準備をしなければならない」(立憲民主党の福山哲郎幹事長)などと反発を強めている。
 ≫(毎日新聞)
 

 

平成はなぜ失敗したのか (「失われた30年」の分析)
野口 悠紀雄
幻冬舎


生活者の平成30年史 データでよむ価値観の変化
博報堂生活総合研究所
日本経済新聞出版社


オールカラー保存版 週刊現代別冊 週刊現代が見た「平成」 (講談社 MOOK)
週刊現代
講談社
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●NHKをBBC並みの国営放送に 理不尽な公共放送と受信料

2019年03月29日 | 日記

 

NHKと政治権力――番組改変事件当事者の証言 (岩波現代文庫)
永田 浩三
岩波書店

 

歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う
安田浩一,倉橋耕平
論創社

 

「通貨」の正体 (集英社新書)
浜 矩子
集英社

 

今起きていることの本当の意味がわかる 戦後日本史 (講談社+α文庫)
福井 紳一
講談社


●NHKをBBC並みの国営放送に 理不尽な公共放送と受信料


久しぶりに、個別的な話題について、考えてみた。

特にNHKで問題になるのは、政治関連のニュースやドキュメント番組、討論番組における、政権との距離感の問題だ。

安倍政権になってからというもの、日ごとに、政権との距離感は無きに等しいところまで接近している。

NHKのアナウンサーの背中に、官邸からの使いが,刃を突きつけているようだ。

NHK内部においては、幹部連中の忖度競争があられもないかたちで、繰り広げられている。

もう、NHK内においては、不偏不党など「死語」である。

このNHKの運営は、ほとんどが、国民の支払う受信料で賄われているわけで、特別、国家予算がなくても充分運営できるのだから、貧乏国の予算など貰うべきではないのだ。

無論、放送法があるから、そういう訳にも行かないだろうが、であれば、NHKには、放送法を遵守する義務があるわけで、義務の履行を要求しなければならない。

正論を言えば、放送法の改正だが、 現況では、悪く変えられる恐れがあるので、口にするのは危険だ。

“公共放送”NHKと云う立ち位置ほど曖昧なものはない。

結論を先に言えば、受信料など貰わずに、BBC同様に、完全国営化すべき存在だ。国営放送でも、案外と不偏不党は維持出来るものある。まぁ、英国のエリートとジャパンのエリートに、格の違いはあるようだが……。

【 放送法 第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。 】

放送法第一条二項≪放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。≫とあるわけだが、不偏不党どころか、一個人政治家にかしずく放送局になってしまったのだから、当然、受信料など支払う義務はない。

2017年12月、受信料の徴収を合憲と判断した最高裁判決は、無条件に、NHKの受信料徴収は合憲だと言っている判決ではないので、状況が変われば、NHKの思い通りにはならない。

まず、放送法に支払いの履行義務が書いていない。また、無条件に支払わないわけではなく、NHKの報道姿勢に疑問があり、国民の知る権利が充足するに足る報道内容になるまで、支払うことは出来ない、と慇懃に伝えるのが一番ベストだ。

このNHKの公共放送と云う呼び名の曖昧さが、国民の側にとって、最も不利益を蒙りやすい体質を内包している。

放送法の法理念にそぐわない状況で、NHKが公共放送を楯に、受信料の合法性や合理性を訴えても、聞く耳を持つ必要はない。


最近のNHKは、極端に娯楽バラエティー番組とスポーツ中継、4K放送向きな映像番組に偏りだした。

おそらく、政治関連報道をすると、安倍官邸筋からも、視聴者からも、“やいのやいの”とクレームがつき、面倒で堪らない。それなら、笑え騒げ、キレイ、スポーツと云うファクトの世界に浸って、年収1000万以上の生活が保障されている。

少し古い記事になるが、受信料への疑問を投げかける記事があったので、参考掲載する。


≪今のNHKに「受信料制度」は本当に必要なのか 放送法の理念とは大きくかい離している
 伊藤 歩 : 金融ジャーナリスト
 受信料の徴収を合憲と判断した12月6日の最高裁判決に対し、違和感を持つ声がネット上に溢れている
。 なぜ見もしないNHKに受信料を払わなければならないのか。災害報道や教育関連の放送に公共放送としての役割があるのだ、と言われてもなお、違和感をぬぐえないのは、民放の災害報道がNHKに比べて決定的に劣るという実感がないだけでなく、この説明だけでは「なぜ国営放送ではないのか」という素朴な疑問を解決できないからではないだろうか。
その疑問を解く鍵は、放送法1条2項にある。

■戦争の教訓から認められた「独立性」
NHKの根拠法である放送法が誕生したのは終戦から5年後の1950年5月。この前年には、弁護士に自治を認めた弁護士法が誕生している。
戦前の弁護士は旧司法省に懲戒権を握られていたため、国家から弾圧を受け、国民の人権を守るという職務を全うできなかった。その教訓から、弁護士には国家権力から完全に独立した自治権が与えられたのだが、同じく戦時中国家権力の宣伝部隊となったNHKにも、国家権力からの独立性を認めた。それが放送法1条2項だ。
放送法は1条で、「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」とし、そのための原則として、同2項で、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」を謳っている。
国家権力のみならず、資本家の権力からも独立した放送局であるためには、国家にも資本家にも頼らない収入源を確保しなければならない。だから国民が負担する受信料なのである。
だがしかし、NHKの最高意思決定機関である経営委員会を構成する委員は、衆参両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する。経営委員会はNHKの会長、副会長、理事といった執行幹部の決定権を握っている。したがって結局のところ、NHKのトップ人事を、条件さえ揃えば内閣総理大臣がコントロールしうる設計になっているのだ。

■官邸の「忖度」が働く
官邸の意向を汲む経営委員を送り込んでも、経営委員自身は番組制作に干渉することはできない規定になってはいる。しかし、官邸の意向を汲む経営委員が、自らの意向を汲む人物を会長や副会長、理事に据え、「忖度」が働けば、官邸は間接的にNHKをコントロールできる。
実際、2013年秋に就任した委員4人はいずれも安倍晋三首相に近いとされ、その経営委員の選んだ会長が、籾井勝人氏である。 その籾井氏が、就任早々問題発言を繰り返したことは周知のとおり。とりわけ、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」は、放送法1条2項の精神を根底から否定しかねない発言だった。
それではなぜ、放送法はそのような権限を内閣総理大臣に与えたのかというと、国民の代表機関である国会がにらみをきかすという前提があったからだろう。
国会は経営委員の選任についての同意権だけでなく、予算や受信料の承認権も握っているのだが、そうなったのは、国民は国会審議を通じて視聴者の代表たる経営委員の選任に影響を及ぼし、NHKの経営をチェックできるというロジックだったからだ。
しかし、さまざまな思想の傑物が互いに牽制し合うことで、幅広い支持者を得、時の首相といえども独走が許されなかったかつての自民党と、今の自民党は違う。
だからこそ、実際に国家権力が番組制作に干渉するかどうかの問題ではなく、それが可能な制度になっているということが問題なのだ。国家権力からの独立性が確保できないのであれば、受信料制度を維持する大義名分は失われる。

■職員の平均給与は1100万円
NHKは民放では考えられないほど贅沢に番組制作にお金を投入する。職員の給与水準も高い。2016年度のNHKの経常事業支出は6910億円。このうち給与(退職金、厚生手当含まず)は1110億円。2017年3月末時点の職員数は1万0105人で、平均年齢は41.1歳。1人当たりの給与は1098万円という計算になる。
税金で運営する国営放送になれば、お金の使い方も現在とは大きく変わるだろう。『クローズアップ現代』の国谷裕子キャスターの降板騒動、高市早苗総務相(当時)の電波停止発言など、国家権力からの独立性を疑われてもおかしくない事態が次から次へと発生している状況からすれば、今のNHKならいっそ国営放送になったほうがわかりやすい。
だがしかし、果たしてそれで良いのか。NHKが国家権力からの独立性を確保できている報道機関であると、国民が心から信じることができれば、受信料に対する理解は格段に高まるはずだ。
経営委員の任命権を国家権力が及ばないところへ移す法改正は、官僚主導の立法では無理だ。議員立法でも党議拘束でがんじがらめの自民党議員には期待できない。このところ不甲斐なさばかりが目立つ野党議員の奮起を望む。
≫(東洋経済ONLINE)

フェイクと憎悪 : 歪むメディアと民主主義
永田 浩三
大月書店

 

NHK 新版-危機に立つ公共放送 (岩波新書)
松田 浩
岩波書店

 

ドキュメント「みなさまのNHK」: 公共放送の原点から
津田 正夫
現代書館

 

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●日本政治に求められる “量から質への論争とビジョン”

2019年03月27日 | 日記

 

舵を切れ―質実国家への展望
田中 秀征
朝日新聞社



●日本政治に求められる “量から質への論争とビジョン”


最近、“お墓のお墓”と云う社会現象が話題になっている。

我が国は、根本的人口減少社会なのだが、それに輪をかけるかたちで、都市への人口集中と地方の過疎化と云う格差社会の局面が際立って見えている。

このように“お墓のお墓”が生まれたのが、先祖を蔑ろにする罰当たりな現代人と云う評価はあたらない。

ひとつは、戦後の高度経済成長期の集団就職による、地方から都会への、人の移動が、農村部と都市部と云う生活圏の違いを鮮明にしていった。

異なる言い方をすれば、都会や工業地帯と云う仕事のある国が、仕事のない田舎という国から、移民政策をしたようなものだと言える。

このような移民政策が、同一国内で起こせるのは、日本が中央集権国家だったお蔭だろう。

高度経済成長期に、都会や工業地帯が多くの労働力を必要としたのは当然だが、その頃、農村部は労働力を必要としなかったと云うファクトがないと、辻褄が合わないのだが、その辺はどうなのだろう。

これはあくまでも、筆者の想像なのだが、先ずは、農村部の「人手あまり(労働力過剰)」現象が先行したに相違ない。

この現象の多くは、農業の機械化が大きな影響を及ぼしたのは、想像に難くない。 戦前戦中の“産めよ増やせよ”の富国強兵政策のツケが農村部で明確になると同時に、農業の機械化が、過剰労働力状態を生みだした。

つまり、農村部の子供たちは、富国強兵においては、兵隊の供給源であったが、終戦と平和においては、過剰労働力と云う側面を強く持つことになった。

:ある国において、一定の期間だけ、都合のいい時期というものはあるわけで、それが、戦後の高度経済成長期だったと思う。

この、本来であれば、農村部の過剰労働力にすぎない労働力を、吸い上げる需要が、都市部や工業地帯に生まれた。

これが、わが国における、人口の大移動だったのだ。

そして、経済成長がとまり、経済縮小時代が到来することで、思いもよらない社会現象が表れることになったと言えるのだろう。

高度経済成長によって、ズタズタにされた農村部の共同体は、減反政策で、さらに疲弊し、格差と高齢化で限界集落が青息吐息で存在する状況になっている。

「地産地消」が絵空事に終わってしまうほど、地方は疲弊している。

「地方分権」等と云う言葉も、有名無実になって、日本は、ますます中央集権を強めている。

後半のインタビュー記事、大学の無償化問題への疑問の提言も、都市部への人口流にを促進させようとしている。

人口減少社会においては、一定のベクトルとして、都市の集中管理が必要になる。

しかし、その残された国土を、どのように有効活用するかが、集約させられた人々の満足度にも繋がるわけで、非常に需要だ。

つまり、人口減少国家の国力の減少は既定の路線であり、この流れに抵抗することは“骨折り損のくたびれ儲け”になるのだから、アベノミクスは、哲学的に間違っている。

いまや、日本が選ぶべき道は、“量より質”以外にないわけである。

:既得権益層に、その選択を任せている限り、どのような「質」が求められているか、議論のテーブルに乗ることはない。

その意味で、自公政権では、その質へのビジョンも見えてこないが、立憲民主党や共産党からも、この“量から質への論争とビジョン”は聞こえてこない。


≪拡大するお墓の墓 「先祖累代」もう引き継げない ドキュメント日本
【 故郷にある先祖累代の墓をどうするか、が都会で暮らす人の共通の悩みになって久しい。住居近くへの改葬や納骨堂の利用が一般化するのに伴い「墓石解体業」がビジネスとして広がりつつあるという。業者に引き取られ、縁もない場所に集められる墓石がどんどん増えている。「お墓の墓」が映す現代とは――。(大元裕行)】





:三重県西部に位置し、奈良と県境を接する名張市。林の中の舗装もされていない道を進むと、突然視界が開け、ぎっしりと墓石が並ぶ一画に行き当たった。墓石解体業の美匠(奈良県橿原市)が運営する「永代供養安置所」。御影石、大谷石……。種類の違う石材が色のコントラストをつくる。形も一般的な直方体から円柱状のものまで多種多様だ。

:江戸時代の元号が読み取れる墓碑や題目、称名が刻まれて宗派が分かる墓石、旧陸海軍の戦死者のために造られた墓石も。一つ一つを見れば、かつては家族の歴史を子孫に伝えるものとして大切に守られていたことが感じられる。 美匠の中西あざみ社長(41)によると、10年前、500坪の土地に設けた安置所には約5千基が集められている。「子供に引き継げないから墓じまいをしたい」「墓石の処理に悩んでいる」などの問い合わせは年間1千件に上る。間もなく、スペースは埋まり、近隣の土地で拡大する方向だ。

 :これまで21都府県の個人や石材店などから墓石解体の依頼を受けてきた。墓の一番上に置かれる竿石(さおいし)は1基1万円で受け取り、クレーンを使って安置所に運ぶ。定期的に清掃し、僧侶が供養する。中西社長は「色々な経緯がある墓石ばかりだが、誠意を持って接している」。

: 厚生労働省の「衛生行政報告例」によると、墓の移転や墓じまいの際に必要な改葬の許可件数は2017年度、全国で10万4493件。5年前と比べ約3割増えた。都市への人口集中と人口減が墓じまいを選ぶ人の増加に拍車をかける。
 ≫(日本経済新聞)



≪大学無償化に異議の教授「大卒至上主義こそ問い直しを」
 大学など高等教育の「無償化」が本格化する。家計が豊かでないために進学を断念する若者を支援するのは、誰もが賛成する「よい政策」にみえる。これに対し、大阪大学大学院の吉川徹教授は「大卒学歴至上主義を無分別に押し付けるものだ」と異議を唱える。長らく日本社会の姿を分析してきた計量社会学者に、その真意をたずねた。

きっかわ・とおる
1966年島根県生まれ。専門は計量社会学で、計量社会意識論、学歴社会論に関心がある。静岡大学助教授、大阪大学准教授などをへて現職。著書に「学歴分断社会」「日本の分断~切り離される非大卒若者たち」など。

――今国会に関連法案が提出された高等教育の無償化に異議を唱えていますね。

 「本来の無償化とは、家計の所得にかかわらず、すべての学生を対象に授業料を免除したり、給付型奨学金を支給したりすることです。一方、いま政府がやろうとしている政策の対象は、3割に満たない低所得世帯の学生だけです。それを『無償化』と呼ぶのは極めて不適切で、誤解を招きかねません」

 「人材育成のための教育支援、貧困の連鎖を断ち切る――。聞こえのよい目的を掲げているため、異議を唱える人は少ないでしょう。しかし政府が消費税率を上げるにあたり、『これだけいいことに還元しますよ』というスタンドプレーにしか見えません」

――意欲や能力があるのに、経済的な理由で進学できなかった人が、進学できるようになるのはよいことでは?

 「制度が始まる2020年の18歳人口は約117万人。うち60万人超が大学・短大に、専門学校なども含めれば計90万人が進学します。でも、そもそも進学せずに就職する30万人弱の非大卒層には、何のメリットもありません。にもかかわらず、財源は全国民から薄く広く徴収する消費税です。増税分の十数%にあたる7600億円が、ごく限られた大学生などをもつ低所得世帯への支援に投じられるのです」

――いま、低所得世帯の進学率は4割どまりです。新制度でこれが8割まで上がり、全学年あわせて最大約75万人が恩恵を受ける、と政府は試算していますが。

 「お金さえ出せば、新制度が100%利用されて進学率が上がると考えるのは早計です。以前、アンケートで子どもに大卒以上の学歴をつけさせるべきかという質問をしましたが、新制度の対象となる住民税非課税の低所得世帯で、大学に行かせたいとの回答は他の層の8割以下でした。『いくら学費負担が軽くなっても、大学や短大には行かない』という考えの人はいると思います」  

――いま日本には、親が非大卒だと、子どもも非大卒になりやすい「学歴再生産」の流れがあります。無償化でそれを断ち切れるのでは?

 「政府や有識者は、貧困の連鎖を断ち切るためには『大学に行かせるのが、唯一の方法だ』と考えがちですが、高度成長期以来、脈々と続く『大卒学歴至上主義』は問い直すべき時期に来ています。拙速な無償化には弊害もあります。例えば、いま大学は都市部に集中しているため、大学進学率が上がれば、地方の人口減少に一層拍車がかかるでしょう。若い高卒労働者層の人手不足は加速するかもしれません」  

――なぜ安倍政権は無償化を打ち出したのですか?

 「教育政策は効果を検証するのに長い時間がかかります。政府は支援の事実をもって成果が上がったとアピールしたいのでしょう。でも大学教育や労働力の質は向上したのか、不平等の連鎖は断ち切られたのかなど効果が見えてくるのは、支援を受けた人が40代になってからです」  

――AIの発達や経済のグローバル化などを踏まえると、これからの若者は進学して高度な技術や知能を身につけるべきではありませんか?

 「今回の無償化で大学に進学できるようになる学生が2万~3万人増えても、それがそのまま全て『高度人材』になるわけではありません。あくまで大学進学のハードルを下げるのが政策の意図です」  

――日本の高等教育への公的な支援は先進国中最低レベルです。無償化は、世界の水準に近づく一歩では?

 「高等教育の公的負担を増やすことは否定しません。私学助成金や国公立大学の運営費交付金を増やして大学の入学金や授業料を下げる。所得にかかわらず全員が恩恵を受けられるようにすべきです」

 「この政策の主眼は、再分配におかれています。住民税非課税世帯の高等教育の学費という支出に限り、特別に再分配をする。実態は所得格差の是正策なのに、安倍政権が『高等教育の無償化』と説明するから、『経営の苦しい大学の救済策に過ぎない』などと批判を浴びるのです」  

――確かに無償化に対する世論調査では、賛成と反対が拮抗(きっこう)しています。

 「この政策がよくないのは、結果的に、国は大学に進学しない人を支援しないというメッセージを発してしまうことになるという点です。労働力人口の過半が短大・大卒層になるのは2030年。当面は日本の労働力人口の約半分は非大卒層が占める状態が続きます。なのに、完全な『大卒社会』になるかのような幻想を生みだしてしまう」  

――もう大卒層への支援は必要ないと考えますか?

 「私が訴えたいのはバランスをとるべきだということ。大卒層と非大卒層は、社会を支える飛行機の両翼です。学歴で機会やメリットの分断が広がっているのに、非大卒層向けの政策はほとんどない。7600億円の税金を使うなら、大卒層と非大卒層への支援に同額を使うべきです」  

――ただ、高卒層は職場になじめず数年でやめるケースも多いようです。進学して職業選択の意識を高めたうえで社会に出る方がよいのでは?

 「かつては商業高校や農業高校が多く、高校生には複数の選択肢がありました。今は大半が普通高校になって進学が最優先され、就職層を育てている自覚が教育現場で希薄になっています。18歳の若者が大学に行っても、地元に残って働いても、幸せと思えるような社会にする。そのために非大卒層も大卒層と同じように、20代前半までに社会で生きていく上での基盤をつくれるようにすべきです。例えば、安定的に正規職につけるよう、若い非大卒層を雇った企業には月5万円ずつ援助するといった支援をする。彼らは色々な仕事を経験して失敗するかも知れませんが、『長期インターン』のようなものと考えてはどうでしょうか」

 「政府は外国人労働者の受け入れを拡大しようとしていますが、その前にまず自前の非大卒層を有効活用する態勢をつくるべきです」  

――平成の「失われた20年」で、非正規社員が増えました。苦しいのは何も若者だけではないのでは?

 「大卒層であっても、非正規社員になって貧困に陥る現役世代が増えました。ロストジェネレーションとも呼ばれる、先行きが不安定な彼らの賃金格差を是正する方が、無償化よりももっと大切です。消費税の財源は、彼らへの再分配にもあてるべきです。政府は、今回の無償化で次世代が大学に行けると強調しますが、現役世代の格差はむしろ助長されることになります」    

  ◇  1966年島根県生まれ。専門は計量社会学で、計量社会意識論、学歴社会論に関心がある。静岡大学助教授、大阪大学准教授などをへて現職。著書に「学歴分断社会」「日本の分断~切り離される非大卒若者たち」など。

■大学の無償化とは
 無償化の対象となる学校は、大学、短期大学、高等専門学校、専門学校。入学金や授業料の減免と生活費などをまかなう給付型奨学金の拡充が二本柱。
 授業料の減免は各学校が独自の基準を設けて実施しているが、2020年度から国の支援を拡大する。  住民税非課税世帯(年収270万円未満)は全額、270万~300万円未満はその3分の2、300万~380万円未満はその3分の1を減免する。
 ただ、学校種ごとに減免の上限額(国公立大が54万円、私大が70万円)がある。入学金も減免するが、上限額(国公立大28万円、私大26万円)がある。
 返還がいらない給付型奨学金は、18年度から住民税非課税世帯の2万人(1学年あたり)を対象に24万~48万円を支給している。20年度から、この対象を年収380万円未満の世帯まで広げる。課外活動費や通学費、食費などをまかなう想定で35万~91万円(自宅生か下宿生か、国公立か私立かなど属性によって異なる)を支給する。

■取材を終えて
 家計にのしかかる学費負担は年々重みを増している。これは大学生2人の親である私の実感でもある。それゆえ無償化は漠然とよい政策だと感じていたのだが、吉川さんの話を聴いて、少し認識を改めた。高齢化が進む地方に残り、消滅も危惧されるコミュニティーを支える非大卒層を、吉川さんは現代日本の「金の卵」と位置づける。大卒層だけでなく、非大卒層への目配りも欠かせないとの指摘は説得力を感じた。(日浦統)
 ≫(朝日新聞デジタル)

 

だれが墓を守るのか――多死・人口減少社会のなかで (岩波ブックレット)
小谷 みどり
岩波書店

 

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●豊かさの基準の変更 日本経済の右肩下がりはとまらない

2019年03月25日 | 日記


●豊かさの基準の変更 日本経済の右肩下がりはとまらない

 久々のコラム執筆だ。半月ばかり留守にしたが、遂に死ぬかと思う日々を過ごした。

5年の間に二度目の死闘だから、三度目は駄目かもしれない。


そんなこともあり、真剣に日本の将来について、考えてみた。

この考えは、表立って口にするものはいないが、霞が関官僚らや、日本のエリート層においては、なかば暗黙の了解になっているような気がしてならない。

ただ、この「真実」を口にすることは、日本人のマインドや、日本社会の「空気」において、タブーな真実と云うことになるような気がしてならない。

ここ数年、何度となく死闘を繰り返している筆者は、個人的な資産管理のパラダイムを、大きく切り替えたのは事実だ。

日本が滅びるなどと、大袈裟に表現するつもりはない。

ただ、人口減少が明確になった国家が経済成長を続けることは困難だ。

人口減少と云う、重大な負のファクターを克服する産業構造改革は一切出来ていないし、する気もない。

財政の健全化を口にはするが、財政支出を根本的に変えることは、そう簡単にできることではない。

歳入を増やすために消費増税をしたとしても、累進課税、金融課税に手をつけない限り、根本的歳入の改善は見られない。

結局は袋小路に入り込んだネズミのようなもので、逃げ場はない。事実、真剣に日本経済の突破口を探しても、ほとんど徒労なのである。 :ゆえに、日本人の上から下まで、思考を停止させている。

つまり、多かれ少なかれ、日本人は“今だけ、金だけ、自分だけ”と云う思考経路を持っている。

このような思考、「後は野となれ山となれ」と似た感覚があるわけで、潔くて、無責任なのである。 :しかし、現実問題、社会構造を力づくで変えることは、容易ではない。

変わるべくして変わる時期を待つのが、現実的選択になる :日本人は、理論で説得されたり、行動を促されても、ほとんど動かない。多くの場合、「情動」や「あきらめ」から行動する。

構造的に経済成長が望めない産業に、あいも変わらず資源を投入し続けるのだから、三者連続三振の経済政策にならざるを得ない。 :原発事故が起きた時点でさえ、東京電力解体に動けなかった国である。

旧態依然の産業を捨てることが出来ない国家なのだ。或る意味、人情味豊かな国家であるが、成長を捨てたも同然なのもたしかだ。 :それなのに、現政権は経済成長を政権維持の原動力にしてる。

存在しない経済成長を旗印にするものだから、公表する統計数値は、すべて改竄するしかなくなるわけで、構造的に欺瞞が起きるようになっている。

つまり、ないもの強請りした時点で、嘘をつくと云う選択肢しかなくなったことになる。

ゆえに、役人が忖度で八百長をしていると云うよりも、安倍政権が、霞が関に八百長を強いていると云うのが正しい理解だ。

だが、安倍政権が悪いのは事実だが、ことさらに彼の所為だと言い募るのも、実は問題から遠ざかる。

誰が政治を司ろうと、日本経済は、かなりの確率で衰退していく。移民に手を染めても大同小異。

人口減少は経済成長にとって、致命的敗北要因なので、この要因から逃げることは、不可避な問題なのである。

以下、ビデオニュースドットコムのふたつの番組が共通して、日本経済の根本的問題点を指摘している。

ふたつのコラムが指摘する問題点が克服できるとは思えない以上、日本経済が奈落の底へ落ちる確度は相当なものである。

無論、奈落の底に落ちるのは「経済大国日本」であって、「日本社会」ではない。

ただ、日本社会が経済等云う価値観に縛られている限りにおいては、不幸の連鎖は継続する。

ここは、哲学的な思考に耽るべき時だ。

経済成長神話の呪縛から解放される時、「幸福感」を得られるものは何なのか、プライドが保てる「価値観」はどういうものなのか、早々に真剣に考えるべき時期が来ている。

そうした選択を怠ると、喪失感と劣等感に包まれる日本社会が現出するのは確実だ。

経済に変わる価値観がどのようなものなのか、明確ではないが、内向きな方向性を選ばざるを得ない。

ただし、内向きと云う概念が、マイナスなものかどうか、それは構成された内向き社会の魅力次第であり、必ずしも負の社会とは言えない。


≪アベノミクスとは結局何だったのか
ゲスト:明石順平氏(弁護士)
番組名:マル激トーク・オン・ディマンド 第937回(2019年3月23日)

 アベノミクスと呼ばれる経済政策の妥当性をめぐる経済学会界隈の議論は、人口の99.99%を占める経済学の門外漢であるわれわれにとって、今一つ釈然としないところがあった。

 アベノミクスに批判的な経済学者たちは、金融政策だけで経済成長を実現することなどあり得ないと指摘し、実際に効果があがっていないことがその証左と主張してきたが、もう一方でアベノミクスを支持する経済学者やエコノミストたちは、金融緩和が不十分だから成果があがらないのであって、その理論自体は間違っていないと主張し続けてきた。

 そして、そこから先の議論は経済の専門用語が飛び交う難解なものになりがちで、門外漢にとっては空中戦を見せられているような疎外感を禁じ得ないものだったのではないだろうか。

 ところがここにきて、まさに経済学の門外漢そのものといっていい、労働法制を専門とする一人の弁護士が、アベノミクスの矛盾点や欺瞞を素人にもわかる平板な言葉で指摘した本が話題を呼んでいる。

 弁護士の名前は明石順平氏。彼が2017年に著した「アベノミクスによろしく」がその著書の名前だ。  明石氏は大学も法学部出身で、「経済の素人」を自任する。

 その明石氏がアベノミクスのカラクリを彼なりに分析してみた結果、経済学者の説明を待つまでもなく、これがまったくもって無理筋な政策であることがすぐに理解できたという。なぜ日本人の多くがこんなデタラメな政策に、いとも簡単に騙されてしまったのかと驚いたと、明石氏は語る。

 アベノミクスとは①大胆な金融緩和、②機動的な公共投資、③構造改革の3本の柱からなる安倍政権の旗印といってもいい経済政策だが、その最大の特徴は①の金融政策にある。景気が良くなると物価が上がるという理論に基づき、人為的に物価をあげれば景気がよくなるという仮説を立てた上で、大胆な金融緩和によって円安を引き起こすことで物価上昇を実現すれば、経済成長が実現できるというものだ。

 安倍政権と日銀が目指した前年比2%の物価上昇は6年経った今も終ぞ実現しなかったが、とはいえ実際には物価は確実に上昇してきた。例えば2013年から3年間だけでも物価は4.8%上昇し、そのうち2%分は消費税増税に起因するもの、2.8%は円安に起因するものだった。

 しかし、その間、景気は一向によくならなかった。GDPの6割を占める消費が、まったく上向かなかったからだ。

 その理由は簡単だと、明石氏は言う。賃金が上がらなかったからだ。

 アベノミクスのデタラメさは、名目賃金から物価上昇分を割り引いた実質賃金が、安倍政権発足後コンスタントに下がっていることにさえ気づけば、誰にもわかることだった。「なぜ誰もそれを指摘しなかったのか不思議でならない」と明石氏は言う。

 実際、実質賃金が下がり続けた結果、経済の大黒柱である民間の消費支出も下がり続けた。その間、支出に占める食費の割合を示すエンゲル係数は上昇の一途を辿った。アベノミクスによって国民生活は苦しくなる一方だったことが、難しい計算などしなくても、ネット上から入手が可能な公表データだけで簡単に明らかになっていたのだ。

 しかも、アベノミクスには、最近になって露呈した統計偽装を彷彿とさせる巧妙なカラクリが、いくつも仕込まれていたと明石氏は言う。

 例えば、政府統計では安倍政権発足後、日本のGDPは着実に上昇していることになっている。しかし、実際は2016年末に政府は、「国際基準に準拠する」という理由でGDPの算定方法を変更し、その際に過去のGDPを1994年まで遡って計算し直していた。その結果、どういうわけか安倍政権発足後のGDP値だけが大きく上方修正されるという不可解な修正が行われていたというのだ。

 もともと「2008SNA」というGDPを算出する国際的な新基準は、これまでGDPに算入されていなかった研究開発費をGDPに含めるというもので、結果的に各年度のGDP値は概ね20兆円ほど上昇する効果を持つ。しかし、2016年に安倍政権が行った再計算では、これとは別に「その他」という項目が新たに加えられており、「その他」だけで安倍政権発足後、毎年5~6兆円のGDPが「かさ上げ」されていたと明石氏は指摘する。しかも、出版社を通じて「その他」の内訳の公表を内閣府に求めたところ、「様々な項目があり、内訳はない」という回答が返ってきたというのだ。「その他」項目では、安倍政権発足前が毎年3~4兆円程度下方修正され、安倍政権発足後は毎年5~6兆円上方修正されていたことから、安倍政権発足以降のGDPのかさ上げ額は平均で10兆円にものぼると明石氏は指摘する。

 もう一つの重要なカラクリは、アベノミクスが一般国民、特に自ら事業を営んでいるわけではない給与所得者や一般の国民が景気を推し量る指標となっている株価と為替レートについて、「恐らく意図的に」(明石氏)、見栄えを良くする施策を実施してきたことだ。経済は複雑で多くの国民が日々、経済ニュースを追いかけているわけではないが、どういうわけか円・ドルの為替レートと日経平均株価だけは、NHKの5分ニュースでも毎日必ずといっていいほど、しかも一日に何度も報じられる。多くの国民がこの2つの指標を、世の中の景気を推し量る目安にしてしまうのは無理もないところだろう。

 ところが安倍政権の下では、この2つの指標が公的な強い力によって買い支えられ、つり上げられてきた。日銀はETF(指数連動型上場投資信託受益権)の買い入れ額を大幅に増やしてきたし、年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は国内株式への投資割合を安倍政権発足後、倍以上に増額している。ETFとかGPIFとか言ってもよくわからないが、要するに日銀や政府の公的機関が、数兆円単位で東京市場の株価を買い支えてきたということだ。

 先述の通り、為替については、かつてみたこともないような大規模な金融緩和による円安誘導が続いている。

 われわれは日々のニュースで、為替は1ドル110円以上の円安が、日経平均は史上最高値の更新が日々、続いていることを耳にタコができるほど聞かされているわけだ。(なぜ日本人の多くが、円安が日本経済の好ましい指標と考えるかについては謎の部分も多いが、迷信も含めてそのような先入観があることは事実だろう。)

 明石氏はそこに、一般国民にわかりやすい経済指標だけはしっかりと手当をする安倍政権の政治的意図があったのではないかと推察する。

 実際、2012年12月の選挙でアベノミクスを旗印に選挙に勝利して政権を奪還した安倍政権は、それ以来6回の国政選挙のすべてで、「アベノミクスの信を問う」ことで、ことごとく勝利を収めてきた。そしてその間、安倍政権は特定秘密保護法や安保法制、共謀罪等々、過去のどの政権もが成し遂げられなかった大きな政策をことごとく実現してきた。しかし、実際の選挙ではそうした重要な社会政策は常にアベノミクスの後ろに隠されてきた。過去6年にわたり日本の政治はアベノミクスという呪文に騙されてきた結果が、戦後の日本のあり方を根幹から変える一連の重要な政策という形でわれわれに跳ね返ってきているのだ。  また、無理筋な経済政策で幻想を振りまいてきたアベノミクスの副作用や後遺症も、次第に深刻の度合いを増している。そろそろわれわれも目を覚まさないと、未来に大きな禍根を残すことになりかねないのではないか。

 国民生活に直結する選挙の争点は難解な経済論争に惑わされず、常識で判断することの重要さを説く明石氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、アベノミクスの虚像と実像について専門用語を一切抜きで議論した。

*明石 順平(あかし じゅんぺい)弁護士 
【1984年和歌山県生まれ。2007年東京都立大法学部卒業。09年法政大学法科大学院卒業。10年弁護士登録。ブラック企業被害対策弁護団所属。著書に『アベノミクスによろしく』、『データが語る日本財政の未来』。】
≫(ビデオニュースドットコム)
 https://www.videonews.com/marugeki-talk/937/



≪日本人が知らない日本の「スゴさ」と「ダメさ」

ゲスト:デービット・アトキン氏(小西美術工藝社社長)
番組名:マル激トーク・オン・ディマンド 第934回(2019年3月2日)

 デービッド・アトキンソン氏はかつてゴールドマンサックス証券で金融調査部長を務め、90年代の日本の不良債権危機にいち早く警鐘を鳴らしたことで知られる。そのアトキンソン氏は今、小西美術工藝社という漆塗、彩色、錺金具の伝統技術を使って全国の寺社仏閣など国宝・重要文化財の補修を専門に行う会社の代表に就いている。そのかたわら裏千家に入門し茶名「宗真」を拝受するなど、日本の伝統文化への造詣はそこらあたりの日本人よりも遙かに深い。

 そのアトキンソン氏にイギリス人の目で見た日本の魅力とダメなところを聞くと、意外なことがわかる。どうもわれわれ日本人は、自分たちがすごいと思っているところが外国人から見ると弱点で、逆に必ずしも自分たちの強さとは思っていないところに、真の強さが潜んでいるようなのだ。

 例えば、日本人の多くは、日本が1964年の東京五輪や1970年代の万博を経て、経済大国への道を駆け上がることが可能だったのは、日本人の勤勉さと技術や品質への飽くなきこだわりがあったからだと信じている。

 しかし、アトキンソン氏はデータを示しながら、前後の日本の経済成長の原動力はもっぱら人口増にあり、他のどの先進国よりも日本の人口が急激に増えたために、日本は政府が余計なことさえしなければ、普通に世界第二の経済大国になれたと指摘する。

 実際、今世界で人口が1億を超える先進国は日本とアメリカだけだが、第二次大戦に突入する段階で日本のGDPは世界第6位で、既に日本には教育、工業力、技術力など先進国としてのインフラがあった。そして、第二次世界大戦の終結時から現在までの間、日本の人口は倍近くに増えたが、当時日本よりもGDPで上位にいたイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどの列強諸国は日本ほど人口が増えなかった。だから、日本はそれらの国を抜いて世界第二の経済大国になったというだけであり、あまり勤勉さだの技術へのこだわりなどを神話化することは得策ではないとアトキンソン氏は言うのだ。

 むしろ90年代以降の日本は、過去の輝かしい成功体験と、その成功の原因に対する誤った認識に基づいた誤った自信によって、身動きが取れなくなっていたとアトキンソン氏は見る。

 逆に、日本は人口増のおかげで経済規模を大きくする一方で、一人ひとりの生産性や競争力を高めるために必要となる施策をとってこなかった。そのため、規模では世界有数の地位にいながら、「国民一人当たり生産性」は先進国の中では常に下位に甘んじている。

 その原因についてアトキンソン氏は、日本は長時間労働や完璧主義、無駄な事務処理といった高度成長期の悪癖を、経済的成功の要因だったと勘違いし、その行動原理をなかなか変えられないからだと指摘する。

 また、その成功体験に対する凝り固まった既成概念故に、日本人、とりわけ日本の経営者は一様に頭が固く、リスクを取りたがらない。人口増加局面では、無理にリスクなど取らず、増える人口を上手く管理していけば自然に経済は成長できたたが、人口増が止まり、むしろ人口の減少局面に直面した今、効率を無視した日本流のやり方は自らの首を絞めることになる。

 しかし、その一方でアトキンソン氏は、日本人の清潔なところや治安の良さ、住みやすさ、細やかな気配りや器用さ、真面目さといった素養は、日本人の潜在的な能力の高さを示していると言う。日本人は潜在能力は非常に高いが、過去の成功体験に対する間違った認識から、その潜在力を発揮できず、逆に改めるべき点がなかなか改められないというのがアトキンソン氏の見立てだ。

 特に日本人、とりわけ日本人経営者のリスクを取ろうとしない姿勢や、極度に面倒なことを嫌う性格が、日本人の潜在力の発揮を妨げているとアトキンソン氏は言う。そして、それこそが、実は日本の経済的成功の残滓だった可能性が高い。つまり、元々先進工業国としてのインフラが整っている日本で人口が急激に増えれば、黙っていても経済規模は大きくなる。その間、経営者がリスクテークをしたり面倒なことをすれば、それはかえって経済成長を邪魔する可能性すらある。こうして、リスクテークをせず、面倒なことも避けようとする経営体質が日本に根付いたとすれば、人口の減少局面に瀕した今、まさにそこから手を付けなければならないのではないかとアトキンソン氏は主張するのだ。

 日本の潜在力を引き出すためのウルトラCとして、アトキンソン氏は政府が最低賃金を全国一律で毎年5%引き上げることを提唱する。そうなれば「頭の固い」「リスクテークをいやがる」日本の経営者でも、厭が応にも毎年5%以上の生産性を上げる必要性に駆られることになり、過去の過った成功体験にすがっている場合ではなくなるからだ。  外国人だからこそ見える日本の長所、短所を厳しく指摘するアトキンソン氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。  

*デービッド・アトキンソン(David Atkinson)小西美術工藝社社長
【1965年イギリス生まれ。87年オックスフォード大学卒業(日本学専攻)。アンダーセンコンサルティング、ソロモンブラザーズを経て、92年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長、マネージングディレクター(取締役)、パートナー(共同経営者)を経て2007年退社。09年小西美術工藝社入社、取締役に就任。10年代表取締役会長、11年より同会長兼社長。著書に『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』、『デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論』など。】
≫(ビデオニュースドットコム)
https://www.videonews.com/marugeki-talk/934/


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●考える前に知るべきこと 「反中・親中」双方に伝えたい中国

2019年03月07日 | 日記

「フェイク・ニュース愛好家」の場合は、そのフェイク情報の真偽は別にして、その情報が、自分の気持ちに、心地よく聞こえるから、素直にその「情感」を受け入れ、その経験を積むことで、「情動」に変わっていく。

そういう意味では、そのような大切な「情感」や激する「情動」高揚感を乱したくはないので、このコラムは、読まない方が賢明である。

まぁ、中には、不愉快な内容が書かれているゆえに、反論や炎上させる行動の為に嫌だが読む、という律儀な中国嫌いもいるだろうから、読むなとは言えない。

筆者は、中国関連の人たちがいる状況で、中国が好きかと聞かれれば、「素晴らしい知識人、勇猛果敢にビジネス界に船出、「孫正義」のように闘うビジネスマンがいる。ただ、中国は広すぎるから、底上げは、大変な事業になりそうですね」

「いや、そうではなく、中国人を、好きか嫌いか、と尋ねたのだけど」このように、意地悪くツッコミを入れてくる人もいる。

その時は「それは、困った。逆に貴方に質問だけど「貴方は、日本人が好きですか嫌いですか?」

 「うーん、参ったね。質問を間違えた。その好き嫌いの、割合はどのくらいですか?」

それなら、ある程度、イジッテいない統計データがあるので、後日、彼に幾つかのデータを基に、筆者は持論を展開した。

 *申し訳ないが、急用が入った。今夜か明日、続きを書くことにする。

 以下4本のコラムは参掲載として、掲載しておくので、読んでおいていただきたい。個人的には、随分と目からウロコな事実を知ることも出来た。


 ≪時代の風 “日本人の変わらぬ中国観 自国の立ち位置、直視を”=城戸久枝・ノンフィクションライター
 
上海で10年働く友人が、春節休みで帰国した。久しぶりに会って、最近の中国事情について聞いてみる。中国のキャッシュレス化がどれほど浸透しているのか、くわしくレクチャーしてもらった。レンタサイクルでも、屋台でも、現金で支払うことはほとんどなくなったそうで、最近は割り勘するときも、アプリのやり取りで決済できるのだという。日系企業で働いている彼女は言う。いまの日本は、中国の変化についていけてないように感じると……。日本と中国の関係の変化を感じさせられるような言葉だった。

 私は1997年から2年間、中国東北地方にある長春市の吉林大学に留学していた。留学生活のなかで、さまざまなカルチャーショックを受けた。特に驚いたのは、中国の人が想像以上に日本のことを知らないということだった。そして、日本人もまた、中国のことを知らないとわかった。当時はすでに、中国の経済発展はめざましかったが、日本人の意識としては、自分たちはまだまだ、中国よりも立場は上にいるような意識は少なからずあったように思う。日本の電化製品が人気であり、日本に留学を望む人が多かった。日本に憧れている人も多かった。そんな時代だった。

 あれから、20年が過ぎた。日本の国内総生産(GDP)は早々と中国に抜かれて、世界第3位になった。日本の経済は停滞し続けている。しかし、日本人はいまだに、自分たちがアジアのトップにいるという意識から抜けきれてはいないように思う。

 たまに中国に関するニュースが取り上げられていると思えば、中国のどこそこで、日本をまねたキャラクターを使った遊園地がある(最近では、汚職追放キャンペーンにスーパーマリオとそっくりなキャラクターが使われていたという話もあった)とか、壁にはさまれた子供の話、マナーが悪い旅行者の姿、爆買いなど、20年、30年前と何ら変わりがない内容ばかり。そんなニュースを見るたびに、少しうんざりする。もっとほかに、取り上げるべき中国の話題はないのかと。

 今月9日、3月に退職される徳島大学総合科学部の葭森(よしもり)健介教授の最後の講義と謝恩会に参加するため、徳島を訪れた。徳島大学は私の母校であり、葭森教授は、私が中国政府奨学金留学生として中国に留学したときの大きなきっかけを作ってくださった大切な恩師だ。卒業してからも常に私のことを気にかけてくださっている。魏晋南北朝史を中心とする中国史を研究されていて、これまでにも、私を含め、多くの学生を中国留学に送ってこられた。中国の大学との交流も深く、徳島県日中友好協会会長もつとめられる葭森教授が、いまの日本と中国の関係をどう思われているのか知りたいと思った。

 「日本人は、中国に対して、今もまだ、助けてあげないといけないという意識を持っている。それではだめなんです。もう助ける必要なんてない。今は時代が変わってきている。中国が変わっているということに気づかないといけないんです。日本人が変わらなければならないんですよ」

 葭森先生はそうおっしゃった。では、どうしたら日本人は変われるのか?  「もっと外に出ていかなければ。今、日本国内にいると、とても居心地がいいのですよ。だから出て行こうとしない。自分たちがマジョリティーの立場にいてはいけないんです。自らマイノリティーの世界に足を踏み入れて、マイノリティーの立場から物事を考えるんですよ。そうすることで、日本人は、殻をやぶることができると思うんです」

 教授の言葉を聞きながら、私は自分の留学生活を思い出していた。中国留学の一番大きな収穫は、自分たちとは違う環境で育ち、異なった考え方を持つ友人たちと出会ったことだった。そのときに、私は自分が母国である日本のことを知らないということを知った。そして、初めて世界が広がったように思う。

 日本は、どうしたら変われるのだろうか。それには、まず、世界の中で、日本がどのような立ち位置にいるのかを客観的にとらえることが必要だと思う。過去のいい思い出にとらわれ過ぎないで、足元をしっかりと見極める。そうすれば、これからの日本の進むべき道が見えてくるのではないかと思うのだ。
 ≫(毎日新聞;時代の風:“日本人の変わらぬ中国観 自国の立ち位置、直視を”=城戸久枝・ノンフィクションライター)


≪ 日中の意識変化 「近代化」超えた関係を =小倉和夫・青山学院大学特別招聘教授 小倉和夫・青山学院大学特別招聘(しょうへい)教授

 10月の安倍晋三首相の中国訪問は、日中関係好転の兆しでもあり、それを促進する触媒でもあり、首脳会談の意義は小さくない。

 けれども、現在の日中関係をやや長期的視点から、それも国民の目線や感情の視点から観察すると、日中関係の好転という側面とは違った深刻な問題の存在に気がつく。それは日本国民の対中感情の問題である。

 いかに首脳会談が成功しようと、中国に対する国民レベルの感情が盛り上がらなければ、中長期的に安定した日中関係にはなりにくい。ところが、世論調査(言論NPOの調査)によれば、日本国民の9割前後は中国に対して悪感情(あるいはどちらかといえば悪感情)を持っているという。しかも、こうした状況はこの5年ほど変わっていない。なぜであろうか。

 表面的には、東シナ海への進出にみられるような中国の軍事大国化、領土問題をめぐるあつれき、過去の歴史問題などを理由として挙げる人が多いだろう。

 しかし、実はもっと深いところに真の原因が潜んでいるのではないか。

 その一つの証拠は、日中関係の各側面についての日本国民の一見奇妙な反応に見いだされる。先ほどの世論調査によると、中国の改革開放政策が日中間の交流促進に役立ってきたかという設問に対して、4割を超える回答者が「わからない」と答えている。また、日中両国経済の共存・共栄が可能と思うかという問いにも、3割を超える人々がやはり「わからない」と回答しているのである。

 こうした傾向の背後には、中国の将来への不安、あるいは不可測性(予測できないこと)も影響していよう。そうだとすれば、さらにその背後には中国という国について、あるいは日中関係の歴史について深い理解がない、という事情が潜んでいるように思う。

 例えば、「歴史を見れば、日中間には2000年近い友好の歴史があり、不幸な出来事があった時代は過去100年の間に過ぎない」と述べる人が多い。しかし、南宋を除けば、中国の歴代王朝あるいは政権と日本はいつも戦ってきた。  唐とは、百済復興を意図して、いわゆる「白村江の戦い」(663年)があった。元は再度にわたって日本に侵攻した。明朝とは、豊臣秀吉軍が朝鮮で戦った。そして日清戦争、日中戦争がある。

 他方、現代の日中交流についても問題がある。「両国の若者同士は共通の意識で結ばれている」として、漫画やアニメの世界、ポップス、村上春樹の小説、高倉健の映画などを例示する人も少なくない。確かに、そういう側面はある。

 しかし、日本人がかつて論語、漢詩、三国志、紅楼夢などの古典を通じて理解していた中国文化や中国人気質を現代の若い日本人はどこまで理解しているであろうか。日中間で長らく「共通の文化遺産」であったものは、日中双方の社会の変化に伴って急速に共通のものではなくなっている。

 そして、時代の波は、今や日中の間の「近代化」をめぐる共通項にも微妙に変化をもたらしている。明治から大正にかけて日本へ留学した中国人の意気込み、また、第二次世界大戦後も、日本の経済発展から学ぼうとした中国人の意欲は、中国自身の経済発展と大国化によって、急速に方向転換しつつある。

 ここには実は、中国と国際社会との関係についての大きな歴史的問題が秘められている。中国が自らの政治的統一と経済発展の道に苦しんでいた時代においては、中国社会の「近代化」は西洋化でもあり、中国は日本も含めた先進国から学び、吸収することに専念していた。その過程は、日本の近代化、西洋化と類似の要素を多分に含んでいた。

 しかし、今や中国は大国化し、中国の政治、経済、文化的影響力は世界に伸びようとしている。「中国社会の西洋化」が「西洋の中国化」に取って代わられようとしているのだ。

 「一帯一路」の経済圏構想やアジアのインフラ開発のための銀行設立などは、まさに中国主導の国際秩序構築の一環とみなさねばならない。そもそも、中国的発想からすれば「中国の西洋化」は「西洋の中国化」という過程の一部なのだ。

 今や、中国の文化と伝統を理解し、歴史を再吟味して、「近代化」という共通項を超えた日中関係の構築を目指さねばなるまい。
 ≫(毎日新聞:時代の風・日中の意識変化 「近代化」超えた関係を:小倉和夫・青山学院大学特別招聘教授)

 

≪ “訪日外国人3000万人突破 増えた来客、閉じる視野=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員”  

日本政府観光局(JNTO)が、2018年の訪日外国人数の速報値を発表した。この数字には、観光客に限らずビジネス客その他も含まれるし、同じ人物が1年間に複数回訪日すれば複数人と数える。

 さて18年の訪日外国人の総数は、天災の多さに負けず17年よりも9%増加。3119万人となり、民主党政権下で当時の前原誠司国土交通相が掲げた3000万人という目標を、本当に達成してしまった。ちなみに彼が当時、蛮勇を振るって実現した羽田空港国際化が大きく貢献したことを、政治的意図を抜きに事実として指摘しておきたい。

 ところで、同じ統計の国別の数字をみると、もっといろいろなことが読み取れる。18年の1年間に日本に入国した米国人は153万人で、17年よりも11%増えた。カナダ人は33万人で8%増だった。それでは米国人とカナダ人のどちらが、より頻繁に訪日していることになるだろうか。

 国連人口部作成の17年推計・予測に基づいて、18年現在の各国の人口を、各国からの18年の訪日人数で割ってみる。そうするとわかるが、米国人は年間に214人に1人が訪日したのに対し、カナダは112人に1人と、米国人の2倍も頻度高く訪日している。オーストラリアになると45人に1人と、米国人の5倍近くの頻度で訪日した計算だ。英国の199人、フランスの214人に比べても、いかにオーストラリア人やカナダ人が日本をよく訪れているかわかる。そしてありがたいことに、両国以外の欧米各国からの訪日人数も、年々増加する傾向にある。

 とはいえ日本各地で圧倒的に多く目にするのは、やはりアジアからの観光客である。それでは中国人(香港、マカオ、台湾の住民はパスポートが違うので含めない)と、米国人、どちらが訪日頻度は高いだろうか。中国からの訪日人数は昨年は14%増えて838万人となり、計算すると169人に1人と、米国を大きく抜き去る水準となった。今後、中国人客はまだ増えるのか、それともさすがにそろそろ頭打ちになっていくのだろうか。

 ヒントになるのが、台湾や香港からの訪日頻度だ。これまでの数字とは桁が違っていて、昨年1年間だけで台湾からは5人に1人、香港からはなんと3人に1人が訪日した計算になる。住人の3分の2が中国系のシンガポールからも、13人に1人が訪れた。ビザ要件が緩和されたタイやマレーシアからもそれぞれ、61人に1人、68人に1人が訪日している。これら数字を虚心坦懐(たんかい)に眺めれば、169人に1人が来日したという中国の昨年の水準が、今の程度でとどまるとは到底考えられない。日本に来たい人(繰り返し来たい人含む)はまだまだ無尽蔵に存在するだろう。その流入は、何か政治的な障害が起きない限りは止まらない。

 ところで韓国はどうだろうか。昨年夏からいわゆる徴用工問題が顕在化し、暮れにはレーダー照射問題が加わった。そんな昨年に訪日した韓国人は300人に1人? 100人に1人? いやいや10人に1人? 正解は7人弱に1人、韓国国民の15%だ。ちなみに昨年、海外(もちろん韓国に限らない)に出国した日本人は、全部で1895万人で、同じく日本国民7人弱に1人だった。いかに韓国人がよく日本を旅行しているか、両者を比較すれば一目瞭然(りょうぜん)だ。それに対し、韓国と国交断絶などと騒ぐ一部日本人は、韓国の今を自分の目で見ているのか。これら日本好きの一部韓国人に、日本好きを深めてもらうことがどれだけ重要か。このことを、政治的意図を抜きにして事実として指摘しておきたい。

 オリンピックももう翌年だというのに、精神的に鎖国した日本人が増えていないか。外国の実情を肌で知ろうともせず、空想の世界観の中で「日本は」「日本人は」と言い募る。他者に匿名で罵詈(ばり)雑言を浴びせることは、相手が誰であるかを問わず大人として恥ずかしい行為だ、という認識がない。目先のもうけや人気取りのために、他者への恐怖や敵がい心をあおる輩(やから)もいるようだ。対抗するには、感情抜きに事実を事実として確認し、その上で冷静に考える習慣を持つ人間を増やすしかない。感情が事実を踏みにじって絶対王者のように振るまう世界に向かわないよう、心ある人は事実に学んでほしい。
≫(毎日新聞:時代の風・“訪日外国人3000万人突破 増えた来客、閉じる視野=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員” )



 
≪コラム:日本の「鎖国マインド」解くための処方箋 [東京 11日 ロイター BREAKINGVIEWS]
- 日本の相撲界は、この国の行く末を暗示しているようだ。日本出身力士として約20年ぶりに横綱に上り詰めた稀勢の里は数週間前、涙ながらに引退を表明した。この間、彼以外の横綱は、大半がモンゴル出身者だった。

:角界の多様化は、歴史的に移民に対して懐疑的な社会における、海外からの「流入」現象のほんの一端にすぎない。2019年の現在でも、一部の飲食店やホテルは「日本人専用」と掲げてはばからない。とはいえ、コンビニエンスストアから企業の役員室まで、外国人は日本の人材不足を埋めており、彼らの存在は確かに感じることができるものだ。

 :しかし低迷する経済成長を活性化しようとする日本政府にとって重要なのは、移民を増やすことよりも、彼らと共に働けるよう日本人を「教育」することだろう。

 :日本の人口における外国人の比率は現在わずか2%程度にすぎないが、今後上昇することは確実だ。高齢化する日本の人口は2010年以降、100万人超減少しており、移民労働者はその経済的影響を和らげる不可欠な要素となっている。

:賃金が上昇し人手が不足する中、日本の市民ではない人たちは日本経済を走らせる上で必要不可欠である。労働参加率が劇的に上昇しない限り、日本の労働力は2015─30年に12%減少すると、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のアナリストは試算する。

:安倍晋三首相は、自身の政策が「移民」受け入れを促進しているというイメージを避けたいようだ。新たな移民はいずれオートメーション化される単純作業を埋める一時しのぎの労働力にすぎないと考える人もいる。

:それが何を意味するかはさておき、日本は労働力を輸入しており、それは単純作業でも短期間でもない。昨年末に可決された改正出入国管理法(入管法)により、向こう5年で約34万人の移民受け入れが見込まれている。

:西洋のような多文化主義に懐疑的ではあるものの、日本経済は海外投資に深く依存している。国内成長は長年伸び悩み、日本企業は相次いで海外企業を買収するようになった。国内総生産(GDP)に占める割合から見た日本のM&A投資額は、中国の2倍だとコンサルタント会社ベイン・アンド・カンパニーは指摘している。

 :また、TOPIX(東証株価指数)構成銘柄による売上高全体の3分の2近くは海外から来ていると、ウィズダムツリー・ジャパン株式会社のイェスパー・コール最高経営責任者(CEO)は推定する。モルガン・スタンレーによると、中国上場企業の場合はわずか12%にすぎない。

その結果、日本の大企業の多くは海外から幹部を起用するようになった。中でも有名なのは日産自動車(7201.T)のカルロス・ゴーン前会長と武田薬品工業(4502.T)のクリストフ・ウェバー社長だろう。 武田薬は約6.2兆円でアイルランド製薬大手シャイアーを買収してから、日本の企業らしさが薄れつつある。また報道によると、ジャパンディスプレイ(6740.T)が、中国の国有ファンドらと資本提携交渉に入っている。シャープ(6753.T)は台湾フォックスコン・テクノロジー・グループ(鴻海=ホンハイ=集団)による経営支援を受け入れた。 海外の資本家も日本企業の行動を変えようとしている。

米投資会社バリューアクト・キャピタル・マネジメントはオリンパス(7733.T)に取締役を送り込んだ。米プライベートエクイティ(PE)大手KKRと米投資会社ブラックストーンは日本の複合企業の不採算部門を買収して分離独立させ、立て直して収益を上げたい考えだ。また、年功序列よりも業績ベースの報酬制度を導入することを検討している。日出づる国にとっては大きな文化的変革である。

:海外からの圧力は、不快な改革を行う好都合な口実を提供してくれる。「ガイアツ(外圧)」は痛みを伴う。ゴーン前日産会長は、外資のような高額な報酬パッケージを受けていたが、現在はそれが問題視されて逮捕され、東京拘置所にいる。

:外国人とその資金が日本に流入するにつれ、文化の衝突も激しさを増す。

:他のアジアから地理的に離れている島国であることも一因として挙げられる日本の隔離性は、コミュニケーション問題をもたらしている。東京以外では、一般的に外国語を話す日本人を見つけるのに苦労する。これは中国との大きな違いだ。中国では、中間層は英語を学習したがり、英語名をつけることに熱心だ。

:ほかにも見えない文化のバリアがある。日本にいる「外人」の多くは民族的には日本人だが、海外で生まれたことを理由に外国人でいることを余儀なくされている。

:そのような曖昧さは悪しき政策に支えられている。日本は2重国籍を許していない。その結果、日本人とハイチ人の両親をもち、米国籍も保持するテニスの全米オープン女子覇者の大坂なおみ選手は日本国籍を失う可能性がある。

:こうした政策は、海外に居住する日本人130万人が帰国して働くことを阻んでいる。さらに悪いことには、海外に順応した彼らの子どもたちの帰国する意思をそぐことにもなりかねない。海外に暮らすこれらの日本人は、流入し続ける「アウトサイダー」を日本が受け入れる上で、重要な役割を担うだろう。

:より優れた移民政策のモデルは数多くある。2重国籍を法律で禁じている中国でさえ、優秀な人材を海外から呼び戻すプログラムに取り組んでいる。日本が倣うことができる政策だ。 「ガイアツ」も結構だが、真の変革は自発的であるべきだ。
*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。  
≫(ロイター・コラムーライター・Pete Sweeney)

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●ジャパニーズ・中世司法制度 国際世論を意識か?

2019年03月06日 | 日記

●ジャパニーズ・中世司法制度 国際世論を意識か?

ゴーン容疑者保釈のニュースは、敢えてブルームバーグの記事を引用しておこう。

≪ 日産元会長ゴーン被告の保釈認める、保釈金10億円
私は無実だ、裁判で徹底的に潔白主張へ-ゴーン被告が声明 「厳しい保釈条件だがよかった」とゴーン被告担当の弘中弁護士 :東京地裁は5日、会社法違反(特別背任)や金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の罪で起訴され、東京拘置所に勾留されていた日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告の保釈を認める決定をしたと発表した。同日夜には検察による準抗告も棄却したと発表したことで、ゴーン被告は早ければ6日にも保釈される可能性が出てきた。

 
カルロス・ゴーン被告Photographer: Junko Kimura-Matsumoto/Bloomberg  

 保釈保証金は10億円。勾留期間は昨年11月の最初の逮捕から100日以上に及んでいる。  

 ゴーン被告は家族を通じて声明を発表。「厳しい試練の間ずっと私を支えてくれた家族や友人に、心から感謝している。そして推定無罪の原則と公正な裁判のために闘ってくれた日本や世界の非政府組織や人権活動家にも感謝する。私は無実であり、こうした事実無根で根も葉もない告発に対し、公正な裁判で徹底的に潔白を主張することを固く決意している」と表明した。  

 2月にゴーン被告の新たな弁護人となった弘中惇一郎弁護士らが同月28日に保釈請求を出していた。前の弁護士による過去2回の保釈請求は却下されていたが、弘中氏は保釈後の証拠隠滅などが疑われないよう、今回は監視カメラを設置するなど外部との接触を断つ仕組みを提案。「説得力のある保釈申請」を心がけたとし、「そう遠くない時期に保釈となる可能性はある」と話していた。  

 保釈決定を受けて弘中弁護士は電話取材で「保釈を無事にできてよかった。厳しい保釈条件だが、これからきちんと遵守していきたい」と述べた。地裁によると、保釈条件については、国内の住居制限や海外渡航禁止のほか、証拠隠滅や逃亡を防ぐための条件が付けられた。  

 一方、東京地検の久木元伸次席検事は広報を通じて「特段のコメントはない」とだけ述べた。日産の広報担当者は保釈が認められたことについて、裁判所や検察が決定したことについてコメントする立場にないと述べた。  

 昨年11月19日に東京地検に逮捕されたゴーン被告は3つの事件で起訴され、東京拘置所での勾留生活が100日以上に及んでいた。海外から長期勾留に対する批判が出ていたほか、ゴーン被告の家族は国連の恣意的拘禁作業部会に対し、同被告の長期勾留は基本的人権を侵害するものだとして保釈への支援を求める方針を示していた。 

 検察が手掛ける特別背任事件において、被告が全面否認しているにもかかわらず保釈が認められるのは珍しいケース。弁護士でコーポレートガバナンスなどに詳しい上智大学のスティーブン・ギブンズ教授は、弘中弁護士ら新たな弁護団が就任したことや、国際社会の厳しい監視などが今回の決定につながったとの見方を示した。  

 ゴーン被告は1999年に経営危機に陥っていた日産に出資したルノーから送り込まれ、国内工場の閉鎖を含む大規模リストラを実施するなどで業績のV字回復を達成した。一昨年4月に西川広人社長に日産CEOの座を譲り、逮捕直前は日産とルノー、三菱自動車とアライアンスの会長を兼務するなど新車販売台数で世界首位クラスに成長した自動車グループの経営にあたっていた。
 ≫(ブルームバーグ)


カルロス・ゴーン容疑者が、ようやく保釈された。保釈金10億円と云うのも目が丸くなるが、それはさておき、筆者は、かなり前になるが、日本の大使が「シャラップ!」と、日本の司法制度は「中世の司法だ」と揶揄されたことに激怒して、シャラップ!を連呼した事件を思い出した。

この件で、日記をブログで公表している、布川事件の再審で強盗殺人容疑の無罪が確定した桜井昌司氏が、「公式会場で、こともあろうに大使たる者が、感情を露にしてシャラップと叫ぶとは、中世的なのは司法だけではなくて国家そのものだと、上田大使は暴露してしまったねぇ」と書いていた。

現在の安倍政権の政権運営や、改竄、隠蔽、すり替え、メディアへの圧力、官僚への圧力、自民党議員への圧力を、何の衒いもなく行えるのだから、「司法だけじゃなく、中世的な国家そのものだ」が、あまりにも当たっているので、もしかすると、日本の本質なのかもしれない。


 ≪ 上田秀明大使、国連で「シャラップ!」
日本政府を代表して出席した外務省の上田秀明・人権人道大使が国連の会議で「シャラップ!」と怒鳴りつける動画が拡散し、ネット上で話題になっている。

「シャラップ!」とは、英語で「黙れ!」という意味。子どもを叱りつけるときには使うが、公的な会議の場で、ましてや世界各地の代表が集まる席で使うのは異例だ。

この動画以外にも上田大使の発言を証言する人が続々と出ており、日本外交の品位が問われる事態にもなりそうだ。

一体、なぜ上田大使は、ぶち切れているのだろうか。この発言が飛び出したのは、スイス・ジュネーブで5月22日に開かれた、国連の拷問禁止委員会の審査会の席上だった。

拷問禁止委員会は残酷で非人道的な刑罰を禁じる「拷問等禁止条約」が、きちんと守られているか調べる国際人権機関。日本は1999年に加入し、6年ぶりに2回目の審査を受けることになっていた。

審査最終日のこの日、アフリカのモーリシャスのドマー委員が、「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と日本の刑事司法制度を批判する場面があった。これに対して、過敏な反応をしたのが、最後に日本政府を代表して挨拶した上田大使だったという。

会議に出席した小池振一郎弁護士は次のようにブログで記している。

 「中世」発言について、大使が、「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」と開き直ったのにはびっくりした。当初、同時通訳が「日本は最も先進的な国だ」と訳し、あわてて、「最も先進的な国の一つだ」と言い直した。

会場の、声を押し殺して苦笑する雰囲気を見て感じたのか、なんと、大使は、「笑うな。なぜ笑っているんだ。シャラップ!シャラップ!」と叫んだ。 会場全体がびっくりして、シーンとなった。大使は、さらに、「この分野では、最も先進的な国の一つだ」と挑戦的に繰り返し、「それは、もちろん、我々の誇りだ」とまで言い切った。

(小池振一郎の弁護士日誌 「日本の刑事司法は『中世』か」2013/5/29) この流出動画だが、もともとはNGO団体が主催するHP「UN Treaty Body Webcast」が公開したものだった。

これを見ると、上田大使が「日本は中世ではない。私たちは、この分野で世界でも最も進んだ国の一つだ」と言ったところで、会場から失笑が漏れた。それに激怒した上田大使は、「Don't Laugh!」(笑うな)と言ったあとに、「Why you are laughing?  Shut up! Shut up!」(なぜ笑うんだ、黙れ!黙れ!)と強く口調で怒鳴りつけていることが分かる。

この会議では、布川事件の再審で強盗殺人容疑の無罪が確定した桜井昌司氏も傍聴席にいた。彼はブログで次のように振り返っている。

拷問禁止条約委員会の委員が、日本の回答に対して再質問し、「日本の取り調べの在り方は中世的だ」と、かなり鋭く指摘した。我々は、よし!と喜んだが、上田大使は面白くなかったらしい。最後の発言で、「日本は世界の先進的な近代国家だ!」と、大声で反論した。

もちろん、我々は大使の激怒と反論の馬鹿馬鹿しさに笑ったところ、「シャラップ!」と2度も叫んだのだ。公式会場で、こともあろうに大使たる者が、感情を露にしてシャラップと叫ぶとは、中世的なのは司法だけではなくて国家そのものだと、上田大使は暴露してしまったねぇ。 (獄外記「日本審査」2013/5/23)
≫(ハフポスト日本版・オールラウンドエディター安藤健二)


:ゴーン容疑者は、一貫して無罪を主張していた。日本の刑事司法では、無罪を主張する容疑者に対しては、徹底的に「人質司法」に頼っている。

:所謂、合理的な物証に基づき犯罪を照明するというよりは、状況証拠と容疑者の自白を持って、容疑者の犯行を証明する。

:容疑者の勾留期限は、無罪を主張して場合、証拠隠滅の恐れがあると云う理由で、長期に容疑者を勾留することが通例となっている。

:容疑者が証拠隠滅を図る可能性があると検察側の主張を、裁判所が流れ作業のように、保釈請求を退ける傾向が強い。

:たまたま今回は、弘中弁護士らが、ゴーン容疑者が、証拠隠滅を図ることが不可能な状況を提案することで、みごと保釈を手に入れた。

:裁判所が、弁護団の提案を無碍に無視するわけにはいかなかったのだろう。

:しかし、このようなケースは非常にまれで、弁護団の知恵と、国際的監視の目が、裁判所の腰を引かせたに過ぎないのだと思われる。

:最近の長期勾留の記憶に新しいのが、籠池夫妻の約1年に近い「人質司法」だ。

:彼らの容疑は、大きな森友学園問題の、僅かな瑕疵に目をつけ、犯罪者(まだ容疑者だが)にすることで、おおもとの学園問題に関与していた安倍首相夫人の姿を抹消させる、いわゆる、印象操作と云う見方が有力だ。

:今回のゴーン容疑者の事件に関しては、日産の日本人経営者との「司法取引制度」を利用した、新たな刑事司法の始まりのような事件だけに、人ごとではなく、日本人が考えるべき事件なのである。

:以前起きた、岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長が受託収賄などの罪に問われていた事件で、最高裁が市長側の上告を棄却した。

:この事件においても、非常に不透明な「司法取引」紛いの検察の捜査方法で、藤井市長の刑が決定した印象が強い。

:中世の司法と揶揄され続ける、日本の刑事司法において、どこからかの借り物じみた「裁判員裁判」や「司法取引」などは、瑕疵だらけの日本の司法の問題点を、ことさらに複雑怪奇なものにしているようだ。

 :最後になったが、フランス・LEMONDO紙も一面で、ゴーン保釈を報じた。

 ≪Carlos Ghosn autorisé à sortir de prison contre une caution de 7,9 millions d’euros Après 107 jours de détention au Japon, le désormais ex-PDG de Renault, qui continue de se dire innocent, obtient une première victoire juridique. ・……………≫(LE MONDO)

 :筆者の怪しい意訳だと、「ゴーン氏保釈、10億円。日本での拘禁は107日に及んだ。現在も、同氏は無罪を主張しているが、まずは、保釈と云う法的ハードルを克服した。」と云う感じになる

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●震災復興・原発廃炉・辺野古 住民に寄り添う口先三寸

2019年03月05日 | 日記
日本再生最終勧告 ‐原発即時ゼロで未来を拓く
クリエーター情報なし
ビジネス社

 

地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体 (ちくま新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房


予想はついていた。フクイチ原発被災者への賠償問題も、宮城・岩手の災害復興も、どこかで住民(人間)が置き去られて、復興が進んでいるように印象づける、コンクリート復興作業が目立つ。


辺野古新基地建設の沖縄県に対する政府の対応も、口では「寄り添う」と言いながら、舌の根も乾かぬうちに、ビンタを浴びせて「問題ない」と菅官房長官が嘯く。

東電は、大爆発事故を起こした当時は、「(1)最後の一人まで賠償貫徹(2)迅速かつきめ細やかな賠償の徹底(3)和解仲介案の尊重――を宣言している」のだ。

しかし、時間経過とともに、経営幹部の刑事責任回避の目処が立った辺りから、不遜な態度に切り替わった。

こうしてみると、やはり当時声高に叫ばれた「東電解体」と云う主張は正しかったと、思わざるを得ない。

政府や官僚の考えからすると、現地の住民や被災地の住民の、多種多様な意見や要望に応えていたら日が暮れる。あきらかに、その精神で、すべてが実行されている。

しかし、一定の公共的一律性は必要だろうが、個別の問題や要望にも、一定の範囲で、受け入れられる限り、応じてやろうと云う精神が、根本的に書けている。

東日本大震災において、津波で被害を受けた地域のコンクリート堤防など、土建屋とゼネコンが潤う復興政策は、産業の復興が極端に前面に出て、住民の生活レベルへの配慮は置き去りにされているように思える。

つまり、復旧復興と口にしながら、土木工事に精を出しているのが、現在の東日本大震災の復興の姿だ。

過去に、そこに住んでいた人々は、どこへ行ったのか。巨大堤防や橋や道路は、着々と出来つつあるが、そこに住む人々の姿が見えていない。

フクイチ原発事故、安倍が世界に宣言した、いや、野田が「収束宣言」を出した時点から、住民は一気に見捨てられ、現在に至っている。

政府は福島の暮らしの安全性のプロパガンダに精を出すのも、2020年のオリンピック開催が終着点にあるのだろう。

福島の生産物の安全をことさらに強調して、風評被害は撲滅運動にマスメディアを動員している。

しかし、市場の原理だろうか、スーパーの売り場で、福島産の野菜果物、鮮魚の類は、ことごとく安いのだ。それでも、スーパーが閉った後も、それらが売り切れにはなっていない。

正直、国民は、薄々政府の欺瞞に気づいていて、殊更に政府が叫ぶ、安全宣言を一層怪しいと訝っているようだ。

嫌がる住民への帰還政策も、かくたる科学的エビデンスに基づかず強行されている。

しかし、社会共同体を現実可能にする、住民の帰還はかなわず、かなりの、小中学校が廃校になる始末だ。

結局、復興だ復興だと言いながら、大規模な土木工事が行われているだけで、GDPを押し上げただけに過ぎないのだ。

国民から馬鹿にされている民主党の菅政権は、それでも、津波被災地からの復興には、減災を中心とし、自然と調和し、民間の力を尊重した復興すると宣言した唯一の政権だったのだ。

これが覆ったのは、同じ民主党だが、野田佳彦政権になった、ガラリと方針が変えられたことを思い出す。

野田は、財務大臣だった時、事務次官だった勝栄二郎の薫陶を受け洗脳され、方針転換をした流れだが、この中には経済合理性に準拠した復興計画に、大転換したと考えられる。

そして、今の安倍政権において、その大転換は、一層拍車がかかり、住民を放射能に中に住まわせ人体実験でもするかのような政策に舵を切っている。

このような現実を見ると、日本政府も、霞が関も、それを喰わせている国民も、沖縄辺野古に、冷たい目を向けているのと同じ構図なのである。


≪(社説)原発事故賠償 東電は「誓い」の実践を
 福島第一原発の事故からまもなく8年。いまだに損害賠償の話し合いが決着する見通しが立たず、不安を抱える多くの被災者がいる。ゆゆしい事態だ。
 原発周辺の住民が集団で申し立てた和解仲介手続き(ADR)で、国の原子力損害賠償紛争解決センターが示した和解案の受け入れを東京電力が拒み、手続きが打ち切られるケースが昨年から相次いでいる。
 約20件、関係する住民は約1万7千人にのぼる。個別に仲介を再申請したり、正式に裁判を起こしたりする道はあるが、時間も費用もかかる。速やかな賠償をめざして設立されたセンターは、これまでに1万8千件を超す和解を成立させたが、大きな壁に直面している。
 和解案には、文部科学省に置かれた原子力損害賠償紛争審査会が定めた指針を上回る内容が含まれる。これに対し東電は、「一律の増額は困難」「事故との因果関係を認め難いものがある」と反論。賠償額がさらに膨れ上がるのを避けたい思惑が働いているのは明らかだ。
 だが、この姿勢は厳しく批判されなければならない。
 東電は「3つの誓い」として、(1)最後の一人まで賠償貫徹(2)迅速かつきめ細やかな賠償の徹底(3)和解仲介案の尊重――を宣言している。ところが実際の行動との間に隔たりがあり、センターや文科省は繰り返し、順守を求めてきた。
 原賠審の指針は賠償の目安として重要だが、全ての事象や時の経過による被害状況の変化までカバーするものではない。
 裁判でも事実の認定やルールの解釈には一定の幅がある。まして簡易な手続きで救済を図るのがADRだ。よほど不合理な点がなければ受諾する。それが「誓い」の精神であり、深刻な事故を引き起こした企業の当然の務めではないのか。
 国、とりわけ経済産業省の責任も大きい。国策で原発を推進し、いまは東電の実質的な大株主でもある。危機感をもって監督・指導してもらいたい。
 解決が難航する原因の一つに指針自体の問題もある。事故の直後に定められ、その後何度か修正されたものの、被害の収束が一向に見えないなか、複雑・多様化する実態に対応し切れていない面がある。
 原賠審は、現状を精査し、指針の見直しにむけて検討を始めるべきだ。別途裁判で争っている被災者もいるため、司法判断の行方を見極めたい意向のようだが、それを待っていては救済は遠のくばかりだ。原賠審の存在意義もまた、問われている。
 ≫(朝日新聞デジタル)



≪ 誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗
「やることはやった」で終わっていいのか

■この復興は失敗である
:7月10日投開票の参議院議員選挙に向けて、安倍政権の政策検証が各メディアで行われている。とくに「アベノミクス」と「安全保障問題」に多くの人の関心はあるようだ。
:その中で丸5年を超えた東日本大震災・福島第一原発事故の復興政策については、世間の反応は実に穏やかに見える。すでに政府も集中復興期間を終え、やることはやったかのようであり、被災地もまた何かをあきらめてしまったかのようだ。
:だが、本当はこう言わねばならない。 「この災害復興は失敗である」
:それも単なる失敗ではない。
:私たちが何年もかけて反省をし、もうこれ以上の失敗を重ねないよう議論をしつづけ、制度にまでのせようと努力していながら、その反省を吹き飛ばすかのように最悪の結果を導いた、そのような失敗である。
:この失敗の原因はどこにあるのか。何をどう問題視する必要があるのか。そのなかで震災時から災害の処理を担当してきた各政権をどのように見たらよいのか。9ヵ月後にはついに丸6年を迎えるこの微妙な時点で、あらためてこの震災復興の問題を考えてみたい。
:津波被災地では、長大な沿岸に巨大防潮堤が延々と築かれている。だがこのまま建設をつづけても、その背後に住む人はほとんどいない、そういう事態を招きつつある。
:奇跡の一本松で有名な陸前高田でも、いったいこの盛り土の上に誰が住むのかという奇態な高台造成が進んでいる。漁業や観光で生業を営んでいた人々にとって、復興事業が――正確には復興の前提となる防災事業が――復興の大きな障害になってしまった。被災地・被災者を応援するはずの復興事業が地域を死の町へと誘っていく。
:福島第一原発事故の被災地では、帰還政策が盛んに進められている。除染とインフラ整備が復興の基本であり、この地への早期帰還が目論まれているが、廃炉にまだ何十年もかかる被災地に、おいそれと人が戻れるわけがない。
:ましてそこで子育てなどできるわけはなく、帰還政策は早期決着による賠償切りと政府や東電の責任回避のためとみてほぼ間違いがない。
:こんな政策で被害者の生活再建につながるわけはない。巨額な資金を投じながら、それらのほとんどが被災者たちのための復興ではないものに使われている。
:一体何が起きているのか?

■復興にかける時間を考える
:現状批判をさらに続けよう。
:本来、仮設住宅は3年が限界と言われてきた。これは、建物の限界ではもちろんない。むしろそこに暮らす人の限界、もっといえば社会の限界である。
:「仮の暮らし」を続けるのにはやはり3年が限界、そして地域の復興も3年を超えれば難しくなり、3年までにもとの地域を立て直し、なりわいを取り戻さなければならない。その限界が3年なのである。
:にもかかわらず、なにか当たり前のように、5年経ってもまだ復興の目処はつかず、多くの人が仮の暮らしのままにある。私はここで「復興を急げ」と言いたいのではない。こんな復興政策では、いくら急いだって復興はできない。もっと原点から考え直さなければならない。政策そのものを立て直さなければならないはずだ。
:今述べたのは津波被災地の実情である。原発事故災害の状況は、時間に関しては大きく違う。が、事態の根幹は同じようだ。
:原発事故についても政府はその復興をやたらと急いでいる。単純にいえば、5年(ただし始まったのが津波被災地よりも遅いのでプラス1年で、事故発生から6年)で避難元へと避難者を帰すという帰還政策が復興政策の柱だ。
:だが事態の大きさや、原発事故という災害の質から考えてそのような政策は無理である。帰還は簡単ではなく、すでに避難指示が解除された地域でも、まだほとんどの人が戻れていない。それは当然であり、ここでは帰還までに用意されている時間が短すぎるのである。
:そもそも廃炉に30年はかかり、40年でも実現可能かどうかというのが公式見解である。撒き散らされた放射性物質も、半減期の長いものでやはり30年。さらに人々が気にするのは子どもたちへの影響であり、世代が一サイクルするのにやはり30年かかる。
:しかもここでは自治体丸ごとの長期広域避難を余儀なくされ、地域社会はまるっきり壊れてしまった。いったん崩壊した社会の再生にもやはり、30年程度の時間がかかる。原発事故災害の復興にかかる時間は、つまりは最低限でも30年はかかるというべきだ。
:事故から丸5年が過ぎた。少なくともあと25年はその事後処理をつづけなければならない。その覚悟が必要なのに、なぜか6年を目処に復興を終了させようとしている。そして帰還しようとしない被害者に対し、「なぜ帰らないんだ」とのイライラさえ政府の間で募りはじめてきた。
:例えば、朝日新聞2016年2月1日付では、自民党東日本大震災復興加速化本部の幹部の話として、「住宅提供があるから戻らない住民もいる。いつかはやめなければいけない」という声が拾われている。
:だがその前に正すべきは、この政策の失敗である。はじめからうまくいかない復興政策だから、誰も戻ろうとしないのである。政策の失敗を被災地/被災者に責任転嫁するのはやめるべきだ。
:間違いのもとを正し、進むべき道筋をあらため、人々の声をよく聞き、着実な形で生活再建・地域の復興がなされるよう、慎重になすべきことを見極めなければならない。

■大規模公共事業の否定と住民参加
:今回の震災復興の失敗は、しばしば震災初期に掛け違えたボタンにたとえられる。
:震災発生から1年ほどの早い時期に、ボタンが間違えて掛けられてしまった。そして掛け違えたまま、間違った復興が急がされ、今日までつづいている。そのボタンを元に戻さないと、本当の復興には行き着かない。
:むしろ進めれば進めるほど、復興政策が、被災地の/被災者の復興を阻害する。間違った復興政策が復興を長期化し、長引く復興を急がせようとして、さらに事態をこじらせ、復興はもはや不可能な状態にまで陥ってしまった。
:だがこの失敗がどうにも良く分からないのは、私たちがこの事態を予想できないものであったのなら、これもまた「想定外」の一つとして片付けることもやむなしというべきだが、どうもそうではないということだ。
:ここで起きていることは、今回震災が生じてはじめて気付いたというよりは、すでに90年代後半に気づいていたはずだ。分かっているのにそうなってしまう――この構造が不気味なのだ。
:私たちはすでに90年代にはこう議論してきた。私たちが直面している問題は、もはやこれまでのように巨大な土木事業では解決できない。むしろ大規模な土木事業が環境を破壊し、私たちの暮らしを壊している。
:お金が使えるからといって、予算が付くからといって、無闇に土木事業を興すのはやめよう――。この反省がバブル崩壊後には、実際の政策にも移され、土木事業にはその必要性の説明が強く求められ、アセスメントが義務づけられ、巨大な事業は基本的には認められなくなっていた。
:2000年代初頭の構造改革も、こうした思考を前提に進められたものであったはずだ。
:加えて90年代以降は、こうしたことも常識になっていった。 :今後はどんなことでも住民の参加が必要である。上意下達で決めて、下々の者は上の者に従えば良いと考える時代はもう終わった。民間の力を組み込み、官民共同で進めるべきである。
:その民間の力をより多く引き出すために、98年のNPO法(特定非営利活動促進法)もつくられた。いまとなっては、そのきっかけが同じく時代を画した大震災(1995年阪神・淡路大震災)であったのも皮肉な話といえるかもしれない。
:大規模土木事業による問題解決法の否定。そして上意下達の政策形成から、官民共同、住民参加を基本にした政策形成への転換。
:90年代のこの転換は、例えば平成9年(1997年)の河川法の改正などに現れている。それまでの治水と利水という、人間のための改変のみで自然に向き合うあり方を反省し、環境への配慮が河川法のもう一つの大きな柱として加えられた。
:そして人が暮らす環境を守ることで、人間自身にも優しい暮らしのあり方を取り戻そうとした。これが河川法改正の目的であり、事実ここから「脱ダム」のようなことも政策として浮かび上がってきたのである。
:そして同じく河川法改正のもう一つの柱が住民参加であった。それまでは政府と省庁(とくに当時の建設省)で事業の内容を決め、実施されてきたものが、住民参加や協同を組み込むことの必要性が謳われた。
:それはまた、住民参加抜きで本当に住民のための政策はできないことを意味していた。そこに暮らす住民自身が参加し、汗をかき、協働することではじめて、より良い環境を手に入れることができるのである。
:この河川法の考え方が、数年後の海岸法改正にも生かされていったのだから、今回の津波災害からの復興が、大規模な土木事業を主体とし、住民参加を否定して、次々と巨大な構造物を作り続けるプロセスとして姿を現したことは、全く持って理解に苦しむ。
:要するに、私たちは90年代までに反省し、2000年代にはその制度で運営を進めていたにもかかわらず、どこかでこうした動きへの反動・反発が起き、この震災では完全に古い体制を呼び戻して、誰にも止めれれない事態を作り出してしまったことになる。

■相互無責任体制がもたらした失敗
:しかしそれも、5年もやってもはや復興政策として破綻しているのだから、もうこの道はあきらめ、別の方向へと転換すべきなのである。
:だがこの国は、何かが動き出すと、これではダメだと分かっていても止められない。どうもそういう体質を持っているようだ。それどころか、それぞれの事態の起動には必ず誰かが関わっているはずなのに、その責任の追及ができない。
:いやそもそも誰がはじめたのか分からない構造にさえなっていて、事態の悪化が予測されても、その軌道修正を行うことを難しくしている。相互に無責任なまま事態が進み、気がつけば取り返しのつかない場所へとはまり込んでいく。
:しかもそこに、色々な体面や面子さえ働いている。とくに原発事故についてはその傾向が強いようだ。東京オリンピックの誘致にあたって、安倍首相が福島第一原発についてとくに触れたことはまだ多くの人の記憶に残っているはずだ。
:「原発事故の日本」というイメージを早く払拭したいという海外に向けた体面が、帰還政策の根源にはありそうである。そこには、原発事故をいつまでも抱えていてはこの国の経済に悪影響が及びかねないという経済界の懸念もあるようだ。
:また、海外に向けた体面とともに、国内における被災自治体の立場にも触れておくべきかもしれない。事故から5年が経ち、被災地ではこの復興を失敗だということは、面子としても難しい。
:とくに福島県が「福島の安全」をことさら強調し、例えば風評被害の阻止に専心するのも、どこかで「安全だ」と言わねばならない難しい立場があるからだ。そこに現に暮らしがある以上、「今は心配ない」「不安に考える必要はない」と強調するのはおかしなことではない。
:だがこの被害は実害であり、そのこともまた認識しているから、「イチエフは止まってはいない」「フクシマは終わっていない」「福島の現実を知ってくれ」という主張も同時に行われている。
:しかしこれに対して暮らしの安全性を強調し、福島の生産物への風評被害撲滅をことさら運動することは、結果として被災地の安全性までも肯定することにつながり、政府の帰還政策を正当化して、帰還しない人々はその安全宣言に逆らっているのだという論理にまで行き着きいてしまう。福島県や県民自身が、政府や東京電力の責任逃れを助長している面が否めない。
:結局、復興と称して多額の金をつぎ込みながら、現地復興には何ら寄与せず、被害者を守ることにさえ失敗し、大規模な土木事業を再開して、公共事業国家に先祖返りしてしまった。
:さらには、まさに原発事故が起きたことによって長らくの懸案であった放射性廃棄物の収容地が登場し、原発政策を整合的に動かしていく道筋がついに見えてきた――。原発事故が原発政策を肯定し、完結させる。そういう形にまで事態は展開しそうである。
:被災地・被災者のために始まったはずの復興政策が、全く別の人々に恩恵を与える形で、当初の向きとはまったく違う方向へと早い時期に舵を切ってしまっている。
:こうした展開はしかし、だれかが描いたシナリオというよりはむしろ、この国の無責任体制、それも相互無責任体制がなし崩しに引き寄せたもののようである。
:この国には、自らが行っていることに対する自己検証と、そこで起きていることへの責任追及が欠落するという恐るべき体質がある。
:私たちがいま解き明かさねばならないのは、この体質だ。もちろんそれは文化に基づいてもいるので、容易に修正できないだけでなく、別の面では、この国の「くらしやすさ」、活力、統率力にもつながってきた可能性があるので、簡単に全てを否定はできない。
:とはいえ、この復興に決着をつけるにあたっては、まずはこの体質を反省するところから論をはじめねばならないようだ。そのためにはやはり目の前起きていることをしっかりと総括していく必要がある。
:この復興政策の失敗を認めよう。失敗している政策をこれ以上進めるのはやめよう。失敗の責任を認めよう。その責任の所在は、この国にある。しかし、この国の責任とは、政府や省庁もさることながら、当然、国民自身にもその一端がある。相互無責任社会の責任は全体でとるしかない。

■この国の「本当の課題」
*一部省略
■本当の意味での復興はできない
:この国はどうも、政治も国民も、そして行政も含め、本当のことを言い、本当の気持ちを伝え、本当に必要なことを一緒になってしっかりとやっていく能力に、大いに欠けているようだ。
:みなどこかで遠慮して、本音を言わずにすましている。しかし裏ではぐずぐずと文句を言い、政府は国民を、国民は政府を馬鹿にもしているのである。
:そして結局、声の大きい人に引っ張られて、やるべきでないことを容認し、そしてやったことが失敗すると、誰かに――それもたいていはもっとも声の出せない弱者に――その責任を押しつけようとする。それもこれもすべて結局は、他人任せの国民性に由来する。 
:この論の冒頭で「復興政策が失敗だ」というのはそういう意味である。まずは、おかしいものはおかしいと言えなければ、私たちはこの国を守ることはできない。この国の平和は維持できないし、自然との共生もできない。持続可能な国家はありえない。
:もっと落ち着いて事態を見据え、誤った政策を改め、本当に必要なことができるように、この国の政策形成過程をこの際しっかりと立て直すべきだ。
:東日本大震災は、こうした日本という国がもつ、もっとも異様な姿が表に現れた災害だったというべきかもしれない。津波そのものは自然のことであり、これはただ受け入れるしかない。
:それに対し、本来避けられたはずの原発事故が起きたのは、この国の歪みを具現化した象徴的な出来事であった。だが本当に異様なのは、その後の過程である。この復興の失敗は避けられたはずだ。作動を誤って、私たちはこの震災を受けた衝撃以上のものにしてしまった。
:この震災・原発事故は、近く復興を終了するどころか、これからさらに大きな展開を見せることになるだろう。今はまだ小康状態にすぎない。この震災も原発事故もまだ終わっていない。むしろ問題はこの5年で大きく拡がり、今後事態はますます複雑化していくはずだ。
:東日本大震災からの復興過程には、この国の危うさが現れている。しかも、その危うさに多くの人が気づかないでいたり、あるいは気づいていたりしてもあえて問わずにいることに本当の問題がある。このままでは本当にまずい、と心から憂える。
:2011年3月11日から6年目に入った。この復興政策で本当に現地の再建はなしうるのかと、メディアは問題にする。だがもうすでに5年が経過しているのだ。もはや本当の意味での復興はできないというべきだ。 :この復興政策は失敗だ。
:そこからスタートすべきである。その認識の上で、根本から政策のあり方を見直して、今からでもよい、可能な復興のあり方を再構築し直し、また今後こうした失敗が二度と起きないよう、何がこうした事態を引き起こしたのか、十分な検証が行われることを望む。
:そしてそれはやはり選挙がどういう形で行われるか、その結果、政治の布陣がどうかわるかに大きくかかっている。私たちはなかなか変わられない。
:しかし選挙はそれを変える重要な機会なのである。どんな立場の人であれ、この国の政策形成過程に問題を感じ、それを正すような抜本的な改革に取り組む人にこの国の主権を委ねるようでありたい。それは国民にも相応の負担をもとめるものであるはずだ。
:優しいことを言い、依存を助長する人こそ疑うべきだ。むしろ私たちの政治に向き合う姿勢の危うさに厳しく釘をさす人こそが、実は国民の本当の声に応える人なのである。

*山下祐介(やました・ゆうすけ) 首都大学東京准教授。1969年生まれ。九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程中退。弘前大学准教授などを経て、現職。専攻は都市社会学、地域社会学、環境社会学。

[参考文献] 小熊英二・赤坂憲雄編2015『ゴーストタウンから死者は出ない 東北復興の経路依存』人文書院 山下祐介2013『東北発の震災論 周辺から広域システムを考える』ちくま新書 山下祐介2015「東日本大震災・東京電力福島第一原発事故 隘路に入った復興からの第三の道」『世界』2015年4月号、岩波書店、84-93頁 山下祐介・市村高志・佐藤彰彦2014『人間なき復興 原発避難とこの国の「不理解」をめぐって』明石書店 山下祐介・金井利之2015『地方創生の正体 なぜ地域政策は失敗するのか』ちくま新書
≫(現代ビジネス:社会:首都大学東京准教授・山下祐介)



≪東日本大震災8年、復興なお途上
 空から見た被災地 ゴルフ場に敷き詰められた太陽光パネル、海岸線に壁のように立つ防潮堤――。1、2の両日、東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故の発生から間もなく8年を迎える福島、宮城、岩手の3県を上空から取材した。大きく変貌した被災地の眺めは、震災と原発事故が地域に与えた影響の大きさと、復興が今なお途上にあることを物語っていた。

■太陽光パネルで埋まるゴルフコース
*一部省略

 
福島第1原発事故の影響で廃業したゴルフコース上に設置された太陽光発電パネル(1日、福島県富岡町)

町内には17年完成の大規模太陽光発電所「富岡復興メガソーラー・SAKURA」もあり、原発事故の影響で増えた遊休農地の利用が進む。

■広がる汚染土仮置き場 黒色の土のう袋が並ぶ汚染土の仮置き場はさらに広がり、雑草が茂る周辺の荒れ地とともに重苦しい雰囲気を漂わせる。


 
仮置き場に山のように積まれた除染廃棄物(1日、福島県富岡町)

■埋立処分場に搬入次々と 国の事業で汚染された廃棄物の埋立処分場として17年から稼働する同町の旧フクシマエコテッククリーンセンター。トラックが次々と廃棄物を搬入し、緑色のシートで覆われた袋が段状に積み重なっていた。

■立ち並ぶタンク群 
*一部省略
 
廃炉作業が続く福島第1原発の(左奥から)1号機、2号機、3号機、4号機。手前は汚染処理水などが入ったタンク群(1日、福島県大熊町

■東日本随一
 気仙沼大島のアーチ橋 気仙沼市では復興道路として国が整備を進める三陸沿岸道路が延伸工事の真っ最中だ。橋脚を増やしたり、橋桁をかけたりする工事が行われている。同市の離島である大島と本土を結ぶ「気仙沼大島大橋」は4月に開通予定。橋脚間は297メートルで、東日本随一の大きさだ。橋の上に架かる真っ白なアーチが印象的で、島民の利便性向上や島内観光の活性化が期待されている。


 
4月7日に開通予定の気仙沼大島大橋(2日、宮城県気仙沼市)


■幅約90メートルの巨大防潮堤 同市の小泉海岸では巨大防潮堤の建設が進む。高さは14.7メートル、幅は約90メートルの威容だ。


 
宮城県気仙沼市の小泉海岸で建設が進む巨大防潮堤。高さ14.7メートル、幅は約90メートルに及ぶ(2日)


■閖上地区に新生活圏
*一部省略

 災害公営住宅が立ち並ぶ宮城県名取市の閖上地区。手前は仙台市若林区の海岸公園(写真上、2日)。写真下は津波被害から間もない様子(2011年3月18日)

■壁のような防潮堤
 岩手県陸前高田市 陸前高田市の上空に入ると、そびえ立つ壁のような建設中の防潮堤が目に入った。土地のかさ上げ工事に伴いクレーン車やトラックが激しく行き交い、土ぼこりが舞う。

 海岸沿いで進む防潮堤の建設工事(2日、岩手県陸前高田市)

かさ上げした土地に約2年前にオープンした商業施設「アバッセたかた」の駐車場には多くの車があり、にぎわいを感じさせた。

■新設のラグビーW杯会場
 岩手県釜石市 今年9月開幕のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の試合会場で、唯一新設された岩手県釜石市の「釜石鵜住居復興スタジアム」では、手入れの行き届いた黄緑色の芝生が鮮やかに見えた。スタジアム周辺には多くのクレーン車が配置され、周辺の道路整備などを急いでいるようだった。


 ラグビーW杯の会場となる釜石鵜住居復興スタジアム(2日、岩手県釜石市)

■写真で見る8年目の被災地

廃炉作業が続く福島第1原発の(右から)1号機、2号機、3号機、4号機。奥には汚染処理水などが入ったタンクが並ぶ(1日、福島県大熊町)


 
工事が進む三陸沿岸道路(2日、宮城県気仙沼市)

 


23日に運行を開始する三陸鉄道リアス線。訓練運転の車両が走行していた(2日、岩手県山田町) 



2011年3月14日撮影の岩手県大船渡市内(写真上)と現在の様子(同下、2日)

≫(日経新聞)

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●D・アトキンスが語る 日本の「スゴさ」と「ダメさ」 加減

2019年03月04日 | 日記

●D・アトキンスが語る 日本の「スゴさ」と「ダメさ」 加減

日本人は日本に住んで、海外(他国)に住まずに、井の中の蛙の状態で、日本を知ったつもりになる。

 “灯台もと暗し”と云うけれど、同じ国というか、同じ町、同じ村に住んだまま、自分の姿を理解しようとしている。

日本人は、その多くは、永田町や、霞が関や、大手町や、会社や、商店街や、学校や、PTAや、町内会などに属し、そこの属性に馴染んで生きている。

つまり、属性の合理性や善悪について、多くは考えずに生きて死ぬ。

時には、外国人の視線に敬意を払って、聞く耳を持つのも悪くない。

特に、日本人に悪意もないし、操る気もなく、経産省の息がかかっていない人物の考えは聞くべきだ。

無論、賛同するかどうかは別だが、他者から見た、外国との比較論的な、日本を解釈する意見は傾聴に値する。

このデービット・アトキンスと云う人の思考経路には、ある程度、哲学があるので、かなり面白い。

好きか嫌いは、人それぞれだが……。

とりあえず、彼のコラムが東洋経済のサイトにあったので、2本、参考掲載しておくので、真偽や好き嫌いを確かめてみるのも面白い。


≪日本人が知らない日本の「スゴさ」と「ダメさ」
デービッド・アトキンソン氏はかつてゴールドマンサックス証券で金融調査部長を務め、90年代の日本の不良債権危機にいち早く警鐘を鳴らしたことで知られる。

そのアトキンソン氏は今、小西美術工藝社という漆塗、彩色、錺金具の伝統技術を使って全国の寺社仏閣など国宝・重要文化財の補修を専門に行う会社の代表に就いている。そのかたわら裏千家に入門し茶名「宗真」を拝受するなど、日本の伝統文化への造詣はそこらあたりの日本人よりも遙かに深い。  

そのアトキンソン氏にイギリス人の目で見た日本の魅力とダメなところを聞くと、意外なことがわかる。どうもわれわれ日本人は、自分たちがすごいと思っているところが外国人から見ると弱点で、逆に必ずしも自分たちの強さとは思っていないところに、真の強さが潜んでいるようなのだ。  

例えば、日本人の多くは、日本が1964年の東京五輪や1970年代の万博を経て、経済大国への道を駆け上がることが可能だったのは、日本人の勤勉さと技術や品質への飽くなきこだわりがあったからだと信じている。  

しかし、アトキンソン氏はデータを示しながら、前後の日本の経済成長の原動力はもっぱら人口増にあり、他のどの先進国よりも日本の人口が急激に増えたために、日本は政府が余計なことさえしなければ、普通に世界第二の経済大国になれたと指摘する。  

実際、今世界で人口が1億を超える先進国は日本とアメリカだけだが、第二次大戦に突入する段階で日本のGDPは世界第6位で、既に日本には教育、工業力、技術力など先進国としてのインフラがあった。そして、第二次世界大戦の終結時から現在までの間、日本の人口は倍近くに増えたが、当時日本よりもGDPで上位にいたイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどの列強諸国は日本ほど人口が増えなかった。だから、日本はそれらの国を抜いて世界第二の経済大国になったというだけであり、あまり勤勉さだの技術へのこだわりなどを神話化することは得策ではないとアトキンソン氏は言うのだ。  

むしろ90年代以降の日本は、過去の輝かしい成功体験と、その成功の原因に対する誤った認識に基づいた誤った自信によって、身動きが取れなくなっていたとアトキンソン氏は見る。

逆に、日本は人口増のおかげで経済規模を大きくする一方で、一人ひとりの生産性や競争力を高めるために必要となる施策をとってこなかった。そのため、規模では世界有数の地位にいながら、「国民一人当たり生産性」は先進国の中では常に下位に甘んじている。  

その原因についてアトキンソン氏は、日本は長時間労働や完璧主義、無駄な事務処理といった高度成長期の悪癖を、経済的成功の要因だったと勘違いし、その行動原理をなかなか変えられないからだと指摘する。  

また、その成功体験に対する凝り固まった既成概念故に、日本人、とりわけ日本の経営者は一様に頭が固く、リスクを取りたがらない。人口増加局面では、無理にリスクなど取らず、増える人口を上手く管理していけば自然に経済は成長できたたが、人口増が止まり、むしろ人口の減少局面に直面した今、効率を無視した日本流のやり方は自らの首を絞めることになる。

しかし、その一方でアトキンソン氏は、日本人の清潔なところや治安の良さ、住みやすさ、細やかな気配りや器用さ、真面目さといった素養は、日本人の潜在的な能力の高さを示していると言う。日本人は潜在能力は非常に高いが、過去の成功体験に対する間違った認識から、その潜在力を発揮できず、逆に改めるべき点がなかなか改められないというのがアトキンソン氏の見立てだ。

特に日本人、とりわけ日本人経営者のリスクを取ろうとしない姿勢や、極度に面倒なことを嫌う性格が、日本人の潜在力の発揮を妨げているとアトキンソン氏は言う。そして、それこそが、実は日本の経済的成功の残滓だった可能性が高い。つまり、元々先進工業国としてのインフラが整っている日本で人口が急激に増えれば、黙っていても経済規模は大きくなる。その間、経営者がリスクテークをしたり面倒なことをすれば、それはかえって経済成長を邪魔する可能性すらある。こうして、リスクテークをせず、面倒なことも避けようとする経営体質が日本に根付いたとすれば、人口の減少局面に瀕した今、まさにそこから手を付けなければならないのではないかとアトキンソン氏は主張するのだ。

日本の潜在力を引き出すためのウルトラCとして、アトキンソン氏は政府が最低賃金を全国一律で毎年5%引き上げることを提唱する。そうなれば「頭の固い」「リスクテークをいやがる」日本の経営者でも、厭が応にも毎年5%以上の生産性を上げる必要性に駆られることになり、過去の過った成功体験にすがっている場合ではなくなるからだ。

外国人だからこそ見える日本の長所、短所を厳しく指摘するアトキンソン氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。  

*デービッド・アトキンソン(David Atkinson) 小西美術工藝社社長 1965年イギリス生まれ。87年オックスフォード大学卒業(日本学専攻)。アンダーセンコンサルティング、ソロモンブラザーズを経て、92年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長、マネージングディレクター(取締役)、パートナー(共同経営者)を経て2007年退社。09年小西美術工藝社入社、取締役に就任。10年代表取締役会長、11年より同会長兼社長。著書に『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』、『デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論』など。  
≫(ビデオニュースドットコム:神保哲夫・宮台真司・アトキンス)



≪「社員を解雇する権利」求める人が知らない真実 データが実証「解雇規制緩和」にメリットなし

 “オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。退職後も日本経済の研究を続け、『新・観光立国論』『新・生産性立国論』など、日本を救う数々の提言を行ってきた彼が、ついにたどり着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行された。

人口減少と高齢化という未曾有の危機を前に、日本人はどう戦えばいいのか。本連載では、アトキンソン氏の分析を紹介していく。“

■物価が先か、最低賃金が先か

先週の記事(日本人が大好きな「安すぎる外食」が国を滅ぼす)には、予想外の大きな反響がありました。コメントを見ていくと、一部誤解があったようですので、最初に少し補足します。

まず、物価が低いから最低賃金が安いのか、最低賃金が安いから物価が低いのかという問題です。私は、最低賃金が安いから物価が低くなるのだと分析しています。私が社長に就任する前の小西美術工藝社の歴史を見ればわかります。

もともと、文化財を修理する会社は、決して多くはありませんでした。しかし、漆塗りの椀を買う人が減っていることを受けて、漆職人を抱える業者が次第に文化財修理の世界に集まるようになりました。

供給は増えているのに、神社仏閣の「補修」の需要は一定です。企業は生き残りをかけて過当競争となり、価格を下げるようになりました。全社が最後まで生き残りたいので、どこかが価格を下げたら、皆が下げます。

しかし、需要は増えませんので、小西美術工藝社を含めた各社が、生き残るために職人を非正規雇用にしたり、全体の給料を下げたりしました。当然、品質も犠牲になります。では、どこまで価格を下げることができるかというと、それは労働市場の規制、とりわけ働く人の賃金を最低賃金にする水準までしか下げられません。

顧客がこのような値下げを求めていたかというと、それは違います。顧客が求めていない、顧客がまったく喜ばない、職人の給料を犠牲にする企業生き残り戦略です。

これと同じことが、日本全国で起きています。

過当競争の下、需要の減少に抵抗するために、最低賃金で働いている人、低所得の日本人労働者が激増してきました。これは、企業が悪いわけではありません。企業は許されている制度を使っているだけですので、悪いのは最低賃金制度のありかたなのです。

■雇用規制を緩和すると生産性が上がるのか
さて、今回は生産性と雇用規制について、解説していきます。

World Economic Forum(以下WEF)の「The Global Competitiveness Report, 2017-2018」という国際競争力評価の報告書の中で、「ビジネスに悪影響を及ぼしている要因は何か」を経営者に問うアンケートの結果が掲載されています。日本人経営者の回答では、「雇用規制」が第一に挙げられています。

投稿者が経営者かどうかは定かではありませんが、この連載のコメント欄でも、「日本は終身雇用だから、生産性が低い」「雇用規制を緩和しないと生産性は上がらない」「従業員のクビが切れないからダメだ」といった類の意見が寄せられることが少なくありません。マスコミ報道でも同様の趣旨の発言を耳にすることがよくあります。

日本の雇用規制に問題があると考え、先ほどのような趣旨の発言をする人の考えには、「論点1:生産性を上げるには労働市場の流動性を高めなくてはいけない」「論点2:生産性向上についてこられない人材の入れ替えを進めなくてはいけない」「論点3:生産性は経営の問題ではなく、労働者の問題だから、規制緩和や働き方改革を進めるべき」という、3つの論点が含まれているように推測します。

しかし、雇用規制を緩和すれば、日本の経済や企業の経営者にとって、本当にバラ色の将来が開けるのでしょうか。慎重な検証が必要です。 :日本では、特に冷静かつ客観的な検証を行う必要があると思います。なぜなら、日本ではキチンとした検証をすることもなく、物事を感覚的に捉え、決めつけてしまう傾向が強いからです。例を挙げればいくらでも出せますが、スペースの関係もあるので1つだけ紹介しておきます。

私は、30年以上前から日本経済を分析してきました。昔は「日本は正規雇用ばかりだからダメだ」と言われ、非正規を増やし、終身雇用もなくすべきで、そうすればアメリカのように生産性が上がると言われたことも多々ありました。

そういう意見を言っていた人たちの主張通り、過去十数年、たしかに非正規雇用は非常に大きく増加しました。しかし、非正規がこんなにも増えたにもかかわらず、生産性は一向に向上していません。逆に非正規雇用者の増加が、生産性向上の妨げになるという悪影響を及ぼしているのが実態です。

■日本の雇用規制は、本当に厳しいのか
ということで、まず、言われるほど日本の雇用規制は厳しいのか、生産性向上に悪影響をおよぼしているかを検証しましょう。

先のWEFのデータによると、労働市場の効率性と生産性との間に、かなり強い0.73という相関係数が認められます。日本人経営者が挙げた雇用規制がビジネスに大きな影響を及ぼしているというのは、理屈上は正しく、労働市場の効率性が非常に大切なことがわかります。

しかし、雇用規制が生産性に対して「悪影響」を及ぼしていると言うためには、日本の雇用規制が諸外国に比べて厳しいことが証明されないと、理屈が通らなくなります。

では、日本の労働市場の効率性はどうなのでしょうか。WEFの評価では、日本の労働市場の効率性は世界第22位で、決して低い評価ではありません。ということは、日本の労働市場の効率性は、日本の生産性向上を阻害しているどころか、実は貢献していることになります。

日本では、日本の雇用規制は厳しいというのが常識のように捉えられていますが、実はそれは事実とは異なります。実際、日本の労働市場の効率性を構成するいくつかの項目では、高い評価がされています。たとえば、「労使間協力が強い」は第7位、「解雇手当が少ない」は第9位、「給与設定の柔軟性が高い」は第15位と高評価になっています。

にもかかわらず、なぜ日本の労働市場の雇用規制が厳しいと感じる経営者が多いのでしょうか。

理由はおそらく、アメリカとの比較にあると思います。アメリカの労働市場の効率性は世界第3位と極めて高い評価を受けています。おそらく日本の経営者や学者は、日本の生産性がアメリカより低いのは、日本の雇用規制がアメリカより厳しいことに原因があるという単純な比較をしているのではないかと思います。

「『ものづくり大国』日本の輸出が少なすぎる理由」では、日本はもっと輸出を増やすべきだと書きました。その際に「日本では現状、GDPに占める輸出比率が低い。その分、伸びしろが大きいので輸出を増やすべきだ」という提案をしました。

同じように、ある時、私が日本の輸出比率の低さを指摘すると、ある有名エコノミストから「経済大国は輸出比率が低いものだ」と反論されたことがありました。しかし、その方が証拠として出されたのは、アメリカのデータだけでした。たしかにアメリカの輸出比率が低いのは事実ですが、アメリカとの比較だけを根拠に物事を決めてしまっては、判断を誤りかねません。

当たり前のことですが、アメリカは世界百何十カ国の1つに過ぎません。しかし、日本では世界の状況を語る際に、アメリカのことだけを念頭におくエコノミストが非常に多く、辟易させられます。

雇用規制と生産性との間の相関は強いですが、雇用規制が厳しくなければ、その国の生産性は必ず高いのかを検証すると、そうではないことが容易に確認できます。

イギリスは雇用規制の評価は世界第6位ですが、生産性は第26位です。カナダは雇用規制が第7位ですが、生産性は第22位です。アングロサクソン系はやはりアメリカに影響を受けて雇用規制を緩和してきましたが、単純にアメリカと同じことを部分的にやっても、同じ結果は出ないことを示す、最高のデータだと思います。

一方、フランスは労働市場の効率性はイギリスと比べてずっと低い第56位ですが、生産性はイギリス第26位に対してフランス第27位と、大差ありません。

この事実からは、2つのことがわかります。1つ目は、労働市場の効率性と生産性との間に相関関係はありますが、決定的ではないこと。もう1つは、日本はそもそも労働市場の効率性に関しての評価は低くないので、仮に規制緩和をしても、それほど生産性の向上は期待できないということです。

■「解雇規制」緩和は生産性を高めない
日本の労働市場の効率性が厳しく評価されている項目が一つだけあります。それが「解雇規制」で、第113位です。おそらく日本人の経営者が経営の足枷だと感じ、緩和を希望している雇用規制とは、この解雇規制のことではないかと思います。つまり、「従業員のクビを切りやすくしてほしい」というのが彼らの本音のように感じます。

しかし、解雇規制を緩和すると、本当に生産性が向上するのかどうかは、別途検証する必要があります。仮に解雇規制を緩和して従業員をクビにしやすくしても、生産性の向上につながらなければ、意味がありません。

解雇規制の強さと生産性の相関係数を実際に調べてみると、わずか0.32でした。

たしかに解雇規制を緩和すれば、多少プラスになることもあるかもしれませんが、経営者の多くが期待するほど劇的な生産性の向上にはつながりません。

解雇規制が緩和されたからといって、相当割合の社員を解雇する会社はあるでしょうか。おそらく、クビを切られる人は社員のごく一部でしょう。ごく一部の従業員のクビを切ったからといって、生産性がいきなり向上したりするものではありません。

たしかに、一部の社員を切ることはできるようになるので、コストの削減にはなりますし、その分利益は増えます。しかし、切られる人が付加価値の創出の邪魔をしていないのであれば、その人をクビにするだけでは、その企業が作り出している付加価値総額は増えません。これでは付加価値の項目の入れ替えになるだけで、生産性の向上にはならないのです。

その増加した利益を再投資するなどして付加価値を向上することができて初めて生産性がプラスになりますが、人手不足でどこまでできるかは疑問に思います。

この点も日本ではキチンと理解されていません。日本企業は社会貢献の一環として、必要以上の余剰人員を雇用していると言われてきました。いわゆる「窓際族」の存在です。この「窓際族」が、生産性が低い理由の1つともされています。

しかし、この認識は正しくありません。国の生産性は付加価値総額を人口で割ったものなので、余分とされている人が付加価値の創出に貢献していなければ、会社で働いていようが、失業者になろうが、国全体の生産性は変わりません。

国にとっては、その余分な従業員が無駄に使われている場合にのみ問題になります。なぜならば、その人の潜在能力が発揮されていない分、国全体にとってのマイナスになるからです。つまり、これらの人たちが解雇され、別の生産性のある仕事に就くことができて初めてプラスになるのです。それまで無駄にされていた資源が活用されるようになるからです。

■人手不足なのに「解雇規制」緩和を求める異常
昔と違い、日本は今、深刻な人手不足に陥っていますので、企業の経営陣が解雇規制の緩和を求めていることには違和感を禁じえません。なぜ、十分に実力を発揮できていない従業員の潜在能力を引き出せていないのか、そもそも自分の経営手腕に問題があるのではないかと、経営陣は考え直すべきではないかと思います。

とはいうものの、今いる会社では実力の発揮できていない人が、人手不足に苦しんでいる企業に移動し、そこで自分の実力を発揮し始めることができるのなら、多少、生産性があがることが期待できます。

しかし、先ほども述べた通り、解雇規制と生産性との相関係数はたったの0.32です。生産性ランキング世界第28位の日本の生産性の低さを考えると、解雇規制が緩和されても、解雇の対象となる従業員が相当の規模にならないかぎり、大きな効果が出るとは思えません。

要するに、他の先進国と比べて、日本の生産性が潜在能力に対して異様に低い最大の原因が解雇規制だということは考えづらいので、解雇規制を緩和するだけで生産性が劇的に改善することはないのです。 :私の認識では、日本の生産性が低い原因は、①従業員20人未満の小規模企業で働く労働人口の割合が高い、②女性活用ができていない、③最低賃金が低い、④最先端技術の普及率が低い、⑤輸出ができていない、⑥ルーチンワークが多い、などです。

それらに比べて解雇規制の影響は小さく、ある種の「ごまかし」としか思えません。経営者は「生産性が低いのは自分たちのせいではなく、労働者が悪い」と、責任を押し付けている感が強いのです。

解雇規制の緩和も、まったく無意味だという気はありません。生産性向上に徹底的にコミットし、グランドデザインを描くのであれば、その一部として、解雇規制の緩和も考える価値はあるかと思います。

しかし、企業規模の拡大、輸出戦略の推進、最低賃金の継続的な引き上げなどの政策もないまま、解雇規制を緩和すれば、経営者の立場がさらに強くなり、またしても経営者が制度を悪用して、生産性をさらに引き下げる結果を引き起こすことも十分に考えられるのです。

ですので、経営者に従業員をクビにする権利を与えるのは、慎重の上にも慎重を期するべきなのです。  ≫(東洋経済新報社:デービット・アトキンス)


≪日本人が大好きな「安すぎる外食」が国を滅ぼす 「ビッグマック指数」に見る経営者の歪み
■「日本の常識」か「人口増加の常識」か
地価が上がるのは人口が増加しているから。インフレも人口増加がもたらしている。GDP(国内総生産)が成長する主因もまた人口増加。1990年代初頭まで神社の初詣のお賽銭も増加傾向だったそうですが、これもまた人口増加によるところが大でした。

戦後日本が経済的に他の国をしのぐ勢いで急激に成長したのも、その主たる要因は人口動態で説明ができます。日本ではアメリカを除く他の先進国を大きく上回る勢いで人口が激増しました。これが日本の急成長の主要因です。

もっと大きく言えば、そもそも資本主義は、人口が増加した時代にできた制度です。

実は社会の常識の多くが、人口動態で説明可能なことに気がついたのは、ごく最近です。海外でもごく最近になって、人口増加と経済成長の関係を研究する学者が増えていますが、論文はまだ非常に少なく、たいへん注目されている分野です。

では、人口が減少するとどうなるでしょう。推して知るべしです。
 
日本はすでに人口減少の時代に突入しています。パラダイムがすでに変わってしまっているので、対処を急がなくてはいけないのです。

変えなくてはいけないものの1つが、企業経営者のマインドと戦略です。
 
松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助氏は、日本では今でも経営の神様として崇め奉られています。

松下氏の経営哲学の根幹にあるのは、「水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することにより、物価を低廉にし、広く消費者の手に容易に行き渡るようにしよう」という、「水道哲学」として知られる思想です。要は「いいものを、安く、たくさん」です。

この考え方は松下幸之助氏がご存命の時期、つまり毎年子供がたくさん生まれて、人口そして消費者も増えていた時代では、最高の戦略でした。
利益率が短期的に若干低くなったとしても、価格を安くすることによって需要が大きく喚起され、規模の経済がどんどん広がり、結果として人口の増加以上のスピードで、商品を広く普及させることができます。その結果、パイが大きくなって、長期的により大きな利益につながるという、ものすごく賢い戦略だったと思います。

松下幸之助氏が一代で立ち上げた松下電器が世界に冠たる電機メーカーになったのは、この素晴らしい戦略の成果だったことには異論を挟む余地はありません。
 
しかし、この松下幸之助氏の素晴らしい経営哲学も、どの時代でも通用する普遍的なものではないことを、今の時代を生きている人は理解しておくべきです。

■人口減少時代には「松下流」は通用しない
まったく状況が変わってしまった今の時代に、人口が激増する時代にこそふさわしい哲学に基づいた戦略を取り続ければどうなるでしょうか。

消費者が減っているので、パイが縮小しています。いいものをたくさん作って、安く提供しても、市場は飽和状態なので売れません。当然、規模の経済も実現できません。売り上げは価格を下げた分だけ減ります。競合が同じ戦略で戦いを挑んでくれば、共倒れになってしまいます。各社が、「『ものづくり大国』日本の輸出が少なすぎる理由」でご説明した「last man standing利益」を目指して競争し、結果としてデフレスパイラルを起こします。

少し前までの日本では、小さな企業がたくさんあっても、主要銀行だけで21行もあっても、自動車メーカーが何社あっても、半導体メーカーが海外より圧倒的に多く規模の経済が利きづらくても、なんとか成立しているように見えていました。それもこれも、もともと人口が多く、さらにその数が増えていたおかげだったのです。

しかし、このことに気がついていた人はほとんどいませんでした。それどころか、他の先進国ではありえない状況が日本だけで成り立っていたため、日本経済は「西洋資本主義」ではなく、より先進的であるという錯覚までもが生まれてしまいました。

バブル景気の終わりごろになると、「日経平均は無限に上がる、上がったものは下がらない」と信じられるようにまでなりました。日本型資本主義、日本的経営などと言って、計算の世界は日本経済には関係ない、日本経済を語るうえで普通の経済学は通用しないといまだに信じている人が、特に私より上の世代には少なからず存在するように感じます。

その証拠に、いまだに「数字ではない、お金ではない」とばかりに、「いいものを、安く、たくさん」という旧態依然たる経営戦略を強行している経営者が少なくありません。

■日本のビッグマックは、なぜ途上国より安いのか
典型的な例は、外食産業です。国際比較が容易なマクドナルドを見ていきましょう。

イギリスの著名な政治経済紙「The Economist」が計算している「ビッグマック指数」は、以前、東洋経済オンラインの記事(なぜ日本のビッグマックはタイより安いのか)でも紹介されたことがあります。これは各国のマクドナルドのビッグマックの価格を比較することによって、適正な為替レートを算出しようとしている指数です。

ビッグマックは大きさ、材料、調理法などが、原則世界中で統一されています。一方、価格は国によってまちまちです。つまり同一品質・同一規格のものが、国によって異なる価格で売られていることになるので、このビッグマックの価格を比較することで、適正な為替レートを算出できるのです(ビッグマック指数は購買力調整されていますので、物価の違いなどはすでに調整されています)。

先ほど言及した記事でも紹介されていたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、日本のビッグマックの価格はタイやギリシャよりも安く、スイスの半分ぐらいで、どの大手先進国よりも極端に安いのです。

香港と台湾も安いことが気になりますが、生産性とビッグマック指数の間には、0.638とかなり強い相関係数が確認できます。労働者の1時間当たりの生産性では、相関係数はさらに高くなります。これは大変興味深い事実です。
 
では、なぜ日本のビッグマックの価格はタイやギリシャなどよりも安いのでしょうか。

ご存じの通り、日本の不動産価格は決して安くありません。材料も決して安くはありません。電気代やガス代も高いです。

利益は全体の付加価値のごく一部にしかならないので、利益水準の違いでは、日本のビッグマックの価格が安い理由の説明はできません。

残るのは、付加価値の最大の構成要素である「人件費」です。

実際、購買力を調整したビッグマックの価格と最も相関関係が強い要素が何かを分析すると、最低賃金だという答えが導き出されます。結局、日本では最低賃金が極めて安く、安い賃金で人が雇えるので、ビッグマックを安い価格でも提供できているのです。

より正確に言うと、購買力調整後の最低賃金の水準が、1人当たりGDPという国全体の生産性に対して低ければ低いほど、かつ、最低賃金、もしくはそれに近い水準で働いている労働者の割合が高くなればなるほど、ビッグマックの価格が下がる傾向が確認できます。日本は1人当たりGDPに対する最低賃金の割合がヨーロッパに比べて異常に低く、アメリカに近いですが、アメリカでは最低賃金で働いている人の割合は日本に比べて非常に少ないのです。

■「安売り」のメリットとデメリット
ここで考えなくてはいけないのは、ビッグマックを途上国並みに安い価格で売るために、労働者は非常に重い負担を背負わされているわけですが、何かそれを上回るメリットはあるのかという点です。
 
日本ではこれから何十年にわたって、高齢化がどんどん進み、人口は減少する一方です。このような状況下で、ビッグマックの価格が安いからといって、需要が喚起されることは考えづらいです。「安く買えるのなら所得の少ない人にとって、メリットは大きい」と主張する人もいるかもしれませんが、ビッグマックの客層が低所得者に限定されているという事実はまったくありません。

「給料を上げても物価も上がるから、結局何の意味もないじゃないか」という、経済学リテラシーのない反論もよくいわれます。しかし、マックを食べる層とマックで働く層は完全に同じではありませんし、その割合が高いとはいえ、付加価値の構成要素には給料以外のものも含まれますので、給料を上げてビッグマックの単価を上げても、同じだけ物価が上がるわけではありません。ゼロサムではないのです。アメリカの分析によると、最低賃金を10%上げると、食料品の価格が約4%上昇するものの、全体の物価水準に対する影響は0.4%にとどまるとしています。
 
ですから、日本ほどではないにしても日本と同じような人口減少問題を抱えるヨーロッパの先進国では、どこもビッグマックの価格が高く、最低賃金も高いことの背景と理由を真剣に考えるべきです。最低賃金はイギリスは1999年、ドイツは2015年から導入し、徐々に引き上げています。政府が労働市場に介入している動きに、特に注目しています。

人口減少の中、過当競争に対応するため、会社は商品価格を下げてなんとか生き残ったかもしれませんが、それ以外のメリットはよくわかりません。労働者へのデメリットは非常に大きいです。しかも、デメリットはそれだけではありません。

日本人の生産性はイギリス人とほぼ同じですが、最低賃金はイギリスの7割しかもらえていません。最低賃金を低く設定して、それをベースに商品の価格を下げているのです。その結果、本来もらうべき給料がもらえなくなっているので、払えたはずの税金も払えなくなってしまっています。所得が低く抑えられているので、消費に回らず、間接的に消費税へも悪影響を及ぼしています。ワーキングプアも増えます。

人口減少の下、このように、ビッグマックの価格が安いことによって生じるメリットに比べて、ビッグマックを安く提供することを可能にしている、極めて低い最低賃金のデメリットのほうが何倍も大きいのです。

借金と社会保障の負担に苦しんでいる日本は、実はビッグマックの価格が安いことで、世界中でいちばん悪影響を被っている国なのかもしれません。

■「いいものを安く」という無責任をやめさせるべき
人口がコンスタントに増えていた時代と違い、人口減少・高齢化が進む時代に、最低賃金が安いことをベースにして、「いいものを、安く、たくさん」という経営戦略をとることは無責任極まりない行為です。

最低賃金の引き上げに反対する人は、「最低賃金を上げると、中小企業は潰れる」と言います。しかし、どんなに無能な経営者でも可能な「いいものを安く」という経営戦略を可能にしている「最低賃金の安さ」によるメリットは、いったいどこにあるのでしょうか。

最低賃金を引き上げたら、あたかもすべての中小企業が倒産するというような極論を言われても、愚言としか思えません。最低賃金を毎年5%程度ずつ引き上げていけば、大きな影響を受ける企業は数パーセントという試算になりますし、生産性向上を実行すれば、その影響も軽減されます。
 
マスコミでは人材の質の高さを自慢しながらも、経営者はその人材に払うべき給料を払わないというのは、矛盾以外の何物でもありません。自慢する労働者の能力に見合った賃金を払う気がないのなら、人材の自慢もすぐにやめるべきです。

要するに、今の最低賃金のレベルでは、世界第4位と極めて高い評価を受けている日本の貴重な人的資源を無駄にするだけなのです。

最近、店舗のバックヤードで信じられない行動をし、それをわざわざ動画に撮って、SNSに投稿して喜ぶという愚行が頻発し、問題になっています。私が注目したいのは、問題の動画はほぼすべて、低賃金で労働条件が過酷な業態ばかりが現場になっているように見受けられることです。過当競争の下、価格を1円でも下げるために、労働条件は厳しく、その行動を止める責任者がいないのだと思います。

もちろん、あんな犯罪行為を肯定するつもりも、擁護する気もいっさいありませんが、こういう人たちの愚かな行動は、安い賃金、過酷な労働条件に対する一種の「無意識の抗議」という意味合いがあるのかもしれないと感じることも、ないわけではありません。

日本経済の将来は、恐ろしく安い賃金の問題を解決しない限り、明るいものにはなりません。技術革新うんぬんを言う前に、さっさとこの問題を解決するしかないのです。そうして初めて、ようやく日本にも明るい未来が開かれるのです。
 ≫(東洋経済新報社:デービット・アトキンス)

 

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●フクイチ、原発再稼働 喉もと過ぎればで良いのか?

2019年03月03日 | 日記

●フクイチ、原発再稼働 喉もと過ぎればで良いのか?

今夜は引用が長すぎ、且つ、久々に、原発の現在の問題点に関する記事やレポートを読んだので、疲れ果てた。

:いずれにせよ、安倍政権は、原発再稼働は当然だし、帰還の許された地域には、速やかに、旧住民は帰還するのが当然といわんばかりだ。


子供たちが、帰還しないのは、いわば放射能に関する無知に過ぎない。

今後は、フクイチ周辺は、廃炉等々の事業の拡大により、以前にもまして、当該地域は、前途洋々とでも言いたげだ。

原発のことは、半分お忘れでしょうから、もう一度、チョッとだけ、真面目に、原発情報をググってください。

後日、筆者も、更なる情報に触れながら、自分なりの考えをまとめてみようと思う。


無論、筆者は反原発派なのだが、何故、反対に至ったか、書いてみようと思う。

そして、イギたなくしがみつく原発村の面々を、久しぶりに切り刻んでやろう。


≪なぜ人々は原発再稼働に「無関心」なのか
のど元過ぎれば、ということ…?
いつの間にか、「脱原発」のムードに倦んでしまった世間を尻目に、原子力ムラは次々と原発再稼働を推進している。だが、ムラのやりたい放題にカネを出させられるのは、われわれ国民なのだ。

■廃炉費用で原発建設
:経産省の最高幹部のひとりは、冷徹な表情で記者にこう語った。

「仮に原発が事故を起こしたとしても、規制委が過剰すぎるほどの安全基準で検査して合格させたわけですから、それは技術の限界ですよ。隕石が原発に落ちる可能性だってあるんですから、想定外を考えて物事を進めるなんて成り立たない」

:11月24日、日本原子力発電(原電)は東海第二原発の運転延長を原子力規制委に申請した。東海第二原発は、40年間の運転期限が迫っている。その期限ぎりぎりの「20年延長」申請で、再稼働を目指す。だがこれは、原子力ムラの「カネ」の都合に過ぎないようだ。

「原電は、稼働している発電所が現在ひとつもなく、東電など電力大手9社とJパワーからの基本収入と債務保証で、かろうじて存続を維持しています。 しかし、東海第二を動かさないと宣言した瞬間に、基本料収入も債務保証もなくなるでしょう。つまり、再稼働しないかぎり、会社が破綻してしまう状況にあるのです」(ジャーナリスト・町田徹氏)

:原電が保有する原発は4基あるが、東海と敦賀1号機は廃炉作業中だ。敦賀2号機は、建屋直下に活断層が走っている可能性が指摘されているため、実は頼みの綱はこの東海第二だけなのだ。

:だが、原電が今回の延長申請を行う1週間前、驚くべき事実が明るみになった。原発廃炉のための「解体引当金」(原電の場合、4基で合計1800億円)を流用し、なんと敦賀3・4号機の原発建設費用に充てていたというのだ。その結果、緊急時に使える手元の現預金は3月末で187億円しか残っていなかった。

:東海第二の廃炉のための引当金は530億円だった。はなから廃炉するつもりなどないということだ。さらには、新規建設のカネに使っていた! 

さすがに言語道断だというのは、原子力資料情報室共同代表の伴英幸氏だ。

「外部機関で廃炉資金を積み立てるシステムがないから起こる事態です。原電は、福島事故の前に、将来の廃炉を想定せず、敦賀原発の増設にどんどん解体引当金を使っていった。このままでは、増設も廃炉もできないから再稼働をさせたいという論理につながります」

:だが、原電の目論み通りに、規制委が東海第2の再稼働を認めたところで、原電は1700億円を超える安全対策費を調達せねばならない。そのツケを払うのは国民だ。

「原電は電気卸売業ですから、電力会社への卸価格に廃炉費用や安全対策費が含まれます。おカネが足りなければ卸価格に上積みされ、結果的には国民が電気料金の値上げによって負担することになります」(前出・伴氏)

:ボロボロの実家の解体費用を貯金していた男が、奥さんに黙ってそのカネをギャンブルに使ってスッてしまった。もはや解体できないので、すみません、リフォームするので国民の皆さんに払ってもらいます――こう言っているのに等しい。

■人の道に外れてないか
:福島第一原発の事故の後、すでに東電は賠償資金として7兆7105億円を政府から受け取っている。

:このカネは、原賠機構を通じて支払われるため、一時的に政府が立て替え、最終的には東電や電力会社が負担することになる。つまりは電力料金の値上げによってなされるのだ。

:賠償資金だけではない。廃炉・汚染水への処理費用8兆円、除染費用4兆円、中間貯蔵施設の整備費用1.6兆円という巨額のカネは、すべて電力会社と国が負担する。

:合計21.5兆円と試算される事故関連費用は、血税と電気料金で、我々が支払うのである。ここに、再稼働の安全対策費が、さらに上乗せされていく。

:再稼働に向けたカネの使い放題、ちょっと人の道に外れているのではないか。だが5年前の民主党政権時代を思い起こそう。

:野田佳彦首相(当時)は「2030年代に原発ゼロを可能とする」目標を政府方針に初めて盛り込んだことがある。福島第一事故の後、原発の危険性を学んだ人たちの多くは、これに賛同した。

:だが、原発再稼働推進の安倍政権の気焔のもと、気がつけば「脱原発」ムードは風化した。現行のエネルギー基本計画では、「'30年代にゼロ」どころか「'30年に原発比率を20~22%」に代わったのだ。

:「東海第二の20年延長は、3.11後に再構築された原子力規制のあり方を問う重要な論点を含んでいるのに、大きなニュースになっていません。表面的な議論しか展開してこなかったメディアの問題と国民の圧倒的な無関心がそこにある」

:こう語るのは、立命館大学准教授の開沼博氏だ。

「国民としては、問題は何も解決していないのに、『まだその話か』『またか』となってしまい、カタルシスも得られない以上、関心を持たなくなってしまったのです」

:喉元過ぎれば再稼働。知らぬ間に、事態は進行している。3年前には福井地裁が運転差し止め判決を下したはずの大飯原発3・4号機に関して、11月27日、福井県の西川一誠知事が再稼働に同意した。

:その翌28日に経産省で開かれた有識者会議では、原発新増設を踏まえた議論さえなされた。東海第二のような20年延長を重ねたところで、'50年までには廃炉が相次ぎ、原発比率を維持することができない、というのだ。

:大飯再稼働には、世耕弘成経産相からの強い働きかけがあったとされるが、冒頭の経産省の最高幹部はどこ吹く風だ。

 「大飯の再稼働容認は、あくまで福井県知事の判断ですよ。あちらは地元経済活性化のため、原発立地交付金を満額もらいたいだろうし、そのために早く動かしてほしい。経産省は、あくまで再稼働しなければ電気料金は高いままになりますよ、というスタンスでした」

:現場はどうなっているのか。11月末、東海第二原発を訪れた。国道245号線を日立方面に向かい、原子力機構前の交差点を通過すると、この国道が拡幅工事中だと気づく。

:しばらく進み右手の進入路に入ると、東海第二原発が姿を見せる。その先には、建屋を足場で覆われた東海原発が、紅白の煙突をのぞかせる。

:原電が第二原発内で運営する博物館「東海テラパーク」。女性スタッフに話を聞いた。

:――20年の延長で、丁寧に検査しても、本当に安全なのかという声もある。

「飛行機に乗っても車に乗っても、事故を起こすことがあります。でも乗るまでわかりません。100%安全だとは言うことができないんですよ」

:――延長は必要ですか?

「お気持ちはわかります。福島事故後に、太陽光発電がグッと伸びてきましたが、価格の問題などあるようですし、これからのエネルギーを考えますとやはり必要なのではないかと……ごめんなさい。ちょっと失礼します」

■経済より命が大事でしょ
:一方、原発3キロ圏内の住民たちは、総じて複雑な心境をのぞかせた。

「もともと畑もロクにできず、何もなかった土地なんですよ。発電所が来たおかげで、大きな道路が通り、人がたくさん来てくれた。私たちが受け取ったものを、反対派の人は忘れてしまったのですか?」(80代・女性)

「福島の事故が起きてからは、やっぱり怖い。でも、ここから離れるわけにはいかないから、原発は安全な形で動かしてほしいです」(70代・男性)

:不安なままこの地で生活を続けていかねばならない葛藤のなかで、苦衷の表情を浮かべていた。福島第一原発の事故前、双葉町や大熊町で見られた反応と同じである。

:電源3法に基づく自治体への交付金のうち、大半を占める「電源立地地域対策交付金」は、いまだ年間約824億円。これが地方自治体への「原子力ムラ」のアメの一つとして使われている。

:だが、何度同じことを繰り返すのか。なぜ人々は原発再稼働に無関心なのか。宗教学者の山折哲雄氏は言う。

「人間の欲望というのは、抑えることができない。なぜ地震大国でこんなにたくさん原発があるのか――西洋の知のエゴイズムにかぶれた知識人が、大衆を理解しないまま勝手に物事を進めている。
:福島の事故があっても、それは変わらないどころか、ますますはっきりしてしまった。原発政策はおかしいと思いながらも、政治には無関心を決め込んでいる層の『内なるもの』が表に出るような事件が起こらないと、もうこの国は変わらない」

:実質的に東電を「国営化」した経産省からすれば、無関心こそ、再稼働政策を推進する格好の鍵になる。「原発再稼働なくして経済成長なし」と、刷り込みを続けていきさえすればいいのだから。しかし、同志社大学教授の浜矩子氏はこう言う。

:「再稼働を牽引する人たちは『経済合理性』を主張しますが、経済合理性には『人々の人権、生存権を脅かさない限りにおいて』という前提があることを忘れてはなりません。 事故が起これば、人権も生存権も侵害することを日本人は目の当たりにしたはず。なんのため、誰のための経済活動なのか、という地点から考え直さねばなりません」

:「原発」問題に飽きていた諸氏も、一歩立ち止まる時期かもしれない。
≫(現代ビジネス:「週刊現代」2017年12月16日号より)


≪福島原発事故から7年、復興政策に「異様な変化」が起きている
政府文書を読み解く
山下祐介(首都大学東京教授・社会学者)

■復興政策の異様な変化 :平成30年3月11日で、東日本大震災から丸7年となる。

:この復興からの道のりについての私の評価はすでに本誌(誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49113)や拙著『復興が奪う地域の未来』(岩波書店)で述べてきた。いまもその見解は変わらないので多くはふれない。

:ここではこの節目にあたって今一度、現在進行中の復興施策――ここでは原発事故災害についてのみ取り扱うこととする――の中身を点検したい。

:とくに6年目からの「復興・創生期間」に入って生じてきた変化を、復興庁のホームページにあがっている文書を検討することから明らかにしてみたい。

:おそらくここで示すことは、今現実に動いていること――森友問題における財務省の動き――をはじめ、この2年ほどの間にこの国の中枢で次々と起きてきたおかしな現象を解読するための糸口を提供するように思われる。

:というのも、東日本大震災からの復興をめぐる政策文書をあらためてみてみると、平成28年に「復興・創生期間」へと入る前あたりから――第3次安倍内閣(平成26年12月24日)がスタートする前後から――その内容に大きな変化が起きていることがわかるからだ。

:読者に理解しやすいようあえて強い言葉で表現すればこういうことだ。

:その前まではまともだった。むろん私の立場からすれば批判せざるをえない内容のものもあったが、それでもいまから見ればそんなにおかしなものではなかった。

:そこにはある種の政府としての首尾一貫性があったし、なぜそうなるのかも、それなりに理解できるものが多かったのである。

:しかし「復興・創生期間」以降は、何か悪意があるのではないかと感じざるをえないものが多くなっている。

:それはとくに、昨年末に出された「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」(平成29年12月12日)に象徴的だということができる。

:この戦略については後ほど取り上げることとして、ここではその前提となっている平成28年末の閣議決定「原子力災害からの福島復興の加速化の基本指針」(平成28年12月20日)の内容あたりから紹介していきたい。

■帰還にともなう被ばくは自己責任?
:「原子力災害からの福島復興の加速化の基本方針」は、震災から6年目の「復興・創生期間」にはいっていくなかで、進行する原発事故被害地域の復興についての国の取り組むべき方向性を示したものである。 :その1年半前に原子力災害対策本部が示した平成27年「原子力災害からの福島復興の加速に向けて(改訂)」(平成27年6月12日)に変えたものだ。

:この平成27年6月から平成28年12月への変化については、例えば平成27年にはあった文章――「帰還に向けて、住民の方々の間では、福島第一原発の状況に対する関心が大きいことを踏まえ、廃炉・汚染水対策の進捗状況や放射線データ等について、迅速かつ分かりやすい情報公開を図る」――が、平成28年には削られているなど注目すべき点が多いが、ここでは次の点のみ分析しておきたい。

:それは、これからの「帰還に向けた安全・安心対策」についてという箇所である。

:ここはまた、原子力規制委員会が以前示した「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方」(平成25年11月20日)をふまえて国が責任を持ってきめ細かく進めていくといっている。

:まずは原子力規制委員会が、この平成25年の「考え方」の中で原発被害地域への帰還についてどのような考えを示していたかをおさえておきたい。

:この「考え方」の前に提示されている「東京電力第一発電所の事故に関連する健康管理のあり方について(提言)」(平成25年3月6日)とあわせてみれば、原子力規制委員会が示した考え方とはこういうものである。

:原子力防災の目的は、公衆の過剰な放射線被曝を防止することである。避難から帰還の選択をする住民の意思は尊重しなければならないが、帰還は一定の放射線被曝を前提とする。

:それゆえ帰還者は、今回の事故直後にどんな被ばくを受けたのか行動調査等による推定を行うとともに、今後の被ばくについても継続的に実測し記録を残さなくてはいけない。

:でなければ健康被害を防止できないし、被害が生じた場合にもその原因を特定できない。帰還者を守れない。

:そうした被ばくの管理をおこなうこと、継続的な健康調査の実施、そして疫学研究を進めてどのような影響が起きたのか(起こらなかったのか)を検証して、住民たちの健康管理体制を維持していくことが国の責務になる――。

:要するに、一定の被ばくを覚悟しなければならない場所に帰還させるのであれば、その被ばくの管理を行うのは国の責務になるからその体制をしっかりつくれ、ということである。

:ここで問うているのは国の責任である。

:ところがこれを受けて作成したという、現在の政府の指針はどうなっているか。ここにはこう書いてある。

:「具体的には、女性や子どもを含む住民の方々の放射線不安に対するきめ細かな対応については、御要望等に応じた生活圏の線量モニタリング、個人線量の把握・管理体制の整備や放射線相談員による相談体制の整備を引き続き進める。放射線相談の活動については、それぞれの市町村の状況に応じた多様なニーズに対応できるよう、「放射線リスクコミュニケーション相談員支援センター」等により、自治体による相談体制の改善を支援していく。加えて、放射線相談員のみならず、生活支援相談員や学校教員などの住民の方々との接点が多い方々に対しても、放射線知識の研修や専門家によるバックアップ体制の構築などのサポートを強化し、様々な場面で住民の方々から寄せられる放射線不安に対して、適切な現場対応が行える体制を整える」(下線は筆者)

:私にはこの文章は、原子力規制委員会がいうような、"被ばく管理をし、国の責任で健康被害が出ないようつとめる"という意味には読めない。

:むしろ逆にこう解釈できると思う。

:「被災者からの要望があれば被ばく線量を個人で測る体制はつくる。だから自分で管理するように。基本的には放射線の知識をきちんとつければ不安に思うことはないのだから、その知識が得られるようサポート体制を整える。それでも不安があるなら、その相談には乗れるようにしましょう。それは自治体の仕事だから支援してあげます」

:政府は早期帰還を推進しているのに、これでは帰還して受ける被ばくは自己責任であり、政府の責任ではありませんよといっているようなものだ。これでは人々は帰るに帰れまい。

:だが筆者がここで問いたいのは次の点だ。

:原子力規制委員会が示した大事な提言や指針にたいして、今、政府はまともに向き合わなくなってしまっているのではないか。

:「指針をふまえて」といいながら、全く違う内容を都合良く平気でつないでいくという姿勢。こうしたことは平成27年までの文書には見られなかった。そこまではまだきちんと原子力規制委員会の考え方が反映されていた。

:一体この変化は何を意味するのだろうか。

■国民をリスクコミュニケーションで洗脳?
:しかも、昨年末に発表された「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」(平成29年12月12日、原子力災害に対する風評被害を含む影響への対策タスクフォース)では、政府の言い方はもっと踏み込んだものになっていくのだ。

:冒頭にふれたこの戦略の最初の部分を紹介してみたい。

:ここにはこんな文章が登場する。

 :「学校における避難児童生徒へのいじめなど、原子力災害に起因するいわれのない偏見や差別が発生している」(1頁)

:これはちょっと政府が出す文書としてはあってはいけないものだと私は思う。

:まず日本語として間違っている。「いわれ」は、例えば『広辞苑』ではこう示されている。

:「いわれ【謂れ】(由来として)言われていること。来歴。理由。」

:原子力災害が理由で偏見や差別が発生していると言っておきながら、その偏見や差別には「いわれ(理由)」がないと、そういう変な文章になっている。

:だが、重要なのはこの文章が導こうとする結論だ。つづく文章はこうなっているのである。

 :「このような科学的根拠に基づかない風評や偏見・差別は、福島県の現状についての認識が不足してきていることに加え、放射線に関する正しい知識や福島県における食品中の放射性物質に関する検査結果等が十分に周知されていないことに主たる原因があると考えられる。このことを国は真摯に反省し、関係府省庁が連携して統一的に周知する必要がある」

 :要するに偏見や差別、そしていじめの原因は、原発事故ではなく、国民の無知なのだ。国民を無知のままにしてきた国はそれを反省し、国民を無知から解放しなければならない。

 :それがおそらく来年度から実施されていく「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」による、「知ってもらう」「食べてもらう」「来てもらう」のキャンペーンなのである(ちなみに福島県の食品検査の取り組み――とくに米の全袋検査など――については私は高く評価している。この点は『聞く力、つなぐ力』(農文協)を参照していただきたい)。

■国が示す文書がおかしくなっている
:だが――ここは冷静に考えていきたい。

:霞が関で働くこの国の行政官僚たちは、本来こういう文章を書く人たちではない。

:だいたい、いじめの原因を"放射線に関する正しい知識が欠けているからだ"というあたりからして変だ。被ばくが人にうつらないことくらい誰でも知っている。

:いじめの原因はむしろ社会的な無知だ。「賠償もらってるんだろう」「原子力の恩恵を受けてきたくせに」――とくに後者が問題なのだが、これがどんな偏見と差別をはらんだ認識なのかは紙幅の関係上ここでは説明できないので、拙著『人間なき復興』(ちくま学芸文庫)を参照してもらうしかない(そしてこれは、正確には無知というよりも国民の多くがとらわれてしまっているある種の認識の罠である)。

 :ともかくこの無知の原因は、起こしてしまった原発事故に対して、国がその責任を(実質上)認めていないことにどうもありそうだ。人々が不安に思い、偏見や差別がはびこるのは、すべてはあってはいけない原発事故を起こしたからである。

:国はその責任をつねに自覚していなければならない。以前はたしかにその(社会的)責任のなかで施策は進められてきた。いまや開き直って、まるで「被災者にこそ責任がある」という感じになっている。

:だが、「被災者」というが「被害者」なのだ。加害者が被害者に対して、「何でいつまでも自立できないんだ。だから差別されるんだよ」と言い始めている。そして国民についても、馬鹿だから差別するのだという認識になるのだろう。

:すべては国が起こした原発事故が原因なのに。この責任転嫁をこそ「国は真摯に反省」しなければならない。

:こうした論理で構築されている「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」だから、その内容はきわめて傲慢なものだ。

 :風評対策についても、この戦略の前身になる「風評対策強化指針」(平成26年6月23日、平成29年7月追補改訂)と比較しておこう。

:平成26年の段階では、三つある強化指針の第1は「風評の源を取り除く」だった。「風評」という語は使っているが、この風評には原因がある。それは原発事故だ。それを認めるところから進められていた対策だったのである。

:だが、昨年末にそのタガが外され、「風評払拭」と堂々と言い始めた。

:「源を取り除く」努力を最大限にしているからこそ「風評だ」といえたのに、政府はもはや「原因はないのだから不安に思う方がおかしい」と、そういう方針に転換しようとしている。

 :政府はこの風評払拭を世界に向けて発信し、そして全国民に向けても不安解消のリスコミを強化していくという。

 :だが、政府は被ばくした人々の線量推定さえまともにやっていないのだ。私たちはその声をどこまで信じることができるだろうか。

:いったいなにが起因となってこんなことになっているのだろうか。

 :こうした原発避難者の早期帰還政策の、過剰なまでのゴリ押しが、民主党政権から自民党政権にかわったところで起きていると分析できるなら、ある意味でわかりやすい。反自民勢力のシンパからすれば、そう考えたいところかもしれない。

:だが現実には、原発避難者早期帰還のスキームは、平成23年9月に菅政権にかわってスタートした野田政権からはじまっている。その大きな転換点となったのがいわゆる「事故収束」宣言(平成23年12月16日)だった。

 :だがそこが全てかといえば、当時の状況と現在はずいぶん違う。

:これまで私は避難者たちの立場から政府の復興政策を強く批判してきたが、現在の政府文書の内容は、当時とは比べものにならないほど劣化していると感じる。

:またとはいえ、安倍政権がその劣化のスタートかといえばそんなことでもなさそうなのだ。

 :最初に述べたとおり、復興庁の文書を見ていても、第2次安倍政権まではそれほど大きな変化を感じない。変化が現れるのはやはり平成26年12月の第3次政権発足の前あたりからだ。

:そしてその変化は平成28年3月からの「復興・創生」で明確に現れてくることになる。

:次に、この変化の兆しと思われる「復興・創生」前の2つの事象を取り上げて、それが政府のいう「復興・創生期間」とどうつながっていったのか、迫っていこう。

 ■子どもたちへの興味を失った?
:まず第一に取り上げたいのは、平成26年4月18日に提出された復興推進委員会の「「新しい東北」の創造に向けて(提言)」である。これをその後に続く奇態な変化の直前状態を示す資料として見ていきたい。

:復興推進委員会は復興庁におかれた関係自治体の長及び有識者等による審議機関で、民主党政権下、復興庁設置の際に、復興推進会議とともにおかれた。

 :その復興推進委員会のメンバーを、安倍政権への移行を機に平成25年3月に入れ替え、会議を重ねて作り上げたのがこの提言である。

:民主党の時に策定された復興構想会議による提言「「復興への提言~悲惨の中の希望」」(平成23年6月25日)の自民党政権バージョンと思えばよいだろうか。 :内容について私には批判的に思う部分もあるが、基本的には目配りよく、復興を真摯に考えて取り組もうという意欲が伝わる文書である。

:「「新しい東北」の創造」にむけて、提言がとくに掲げるのは次の5つである。

 1. 元気で健やかな子どもの成長を見守る安心な社会
2. 「高齢者標準」による活力ある超高齢社会
3. 持続可能なエネルギー社会(自律・分散型エネルギー社会)
4. 頑健で高い回復力を持った社会基盤(システム)の導入で先進する社会
5. 高い発信力を持った地域資源を活用する社会

:会議録を眺めて非常に印象的なのが、「1. 元気で健やかな子どもの成長を見守る安心な社会」である。 :「子ども」を上記5つの項目の中で一番はじめにおいたところに、この提言の特色・意気込みが現れていると言ってもよいだろう。

:とくにこの項目に関しては、本提言を仕上げるために重ねた委員たちの苦労がよくわかる資料も会議録の中には収録されている。

:ところがその内容が、2年後の平成28年にはどこかにいってしまうのである。

:きっかけは「復興・創生期間」への移行だった。

:震災6年目以降の「復興・創生期間」をどのようなものにしていくのかを書き込む、「『復興・創生期間』における東日本大震災からの復興の基本方針」の内容について、当然ながら復興推進委員会は諮問をうけることになるが、基本方針の原案を見てある委員が次のように発言しているのに注目したい。

:「骨子案を見ますと、子供という言葉が1か所しか出てこないということで、だんだんこ の会議の中でも子供というキーワードが減ってきている印象を感じております。これは仕 方ない部分なのかなということも感じるのですけれども、今回の福島県を初めとした地域 では、子供たちに健康被害が起きるかもしれない、または起きたという思いが、子育てを している方々にとっての大きな不安であり、また風評被害を呼んでいる部分だと思います。 子供たちの心と体の健康に重要点を置くということをぜひ入れていただきたいと思います」(復興推進委員会(第20回)平成28年1月19日、議事録より)

:2ヵ月後の3月11日に発表された「基本方針」は、この発言を受けてであろう、多少の文言は追加された。が、「子ども」にとくに深く言及しないままの内容で閣議決定されている。

:私にはどうも「子ども」では票にならないというかたちで、政権が興味を失ったのではないかとそんな気がしてならない。

:教育再生実行会議まで組織し、子どもに熱心な安倍政権がなぜこんなふうになっていくのか。

 :ともかくここからは、中心に位置づけられていた政策でさえ、何かのきっかけがあれば平気で切り捨てられる、そんな政治・行政の極端な力学が生じていることが読み取れよう。

■被災者のためではないイノベーション・コースト?
:さらに別の角度からも分析を続けよう。

:こうして、せっかく作成した「『新しい東北』の創造に向けて(提言)」への関心が薄れていくのに対し、それに入れ替わるようにして福島復興の中心の座についたのが、「福島イノベーション・コースト構想」である。

:福島イノベーション・コースト構想は、第3次安倍内閣に移る前から動きがはじまり、第3次政権で一気に加速した。

:イノベーション・コースト構想とは、要するに今後廃炉を進めていくにあたって、廃炉産業の集積とともに、そこで進めなければならない新技術の確立(とくにロボット技術やエネルギー関連産業)をもって、福島県浜通りの新たな産業の基軸とし、そこで生まれた雇用によって帰還する人々が働ける場を作ろうというものである。

:私はこうした夢のような巨大事業には慎重であるべきと考えるが、ともかく事故プラントの管理や廃炉は進めなければならないのだから、最高の技術で絶対に放射能漏れのおきない安全な廃炉技術の確立をここで進めることに異論はない。

:そしてそれがこの事故で悲惨な目にあった被災者たちの暮らしの再建に資するのならば。

 :しかし、そのもととなっている「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想研究会 報告書」(平成26年6月23日、経済産業省)には、次のような気になる文章が織り込まれているのである。 :報告書は冒頭でこういう。

 :「一番ご苦労された地域が、一番幸せになる権利がある」(1頁)

 :私もそう思う。だが、その次の頁では、いとも簡単にその文言を覆すのである。

 :「住民の意向調査の結果によれば、震災から3年以上が経過する中で、戻らないとの意向を示している方も多い」

:「他方、国際研究産業都市の形成過程では、多くの研究者や関連産業従事者がこの地域において生活することとなる。今後は、新たに移り住んでくる住民を積極的に受け入れ、帰還する住民と一体で、地域の活性化を図っていくことが必要」(2頁) 帰ってこない人(被災者)はもうよい。復興は、帰ってくる人(被災者の一部)と、新しくこの町にやってくる人(被災者ではない人)で、やればよい。ここで言っているのはそういうことだ。

:だが復興事業の受益者が、この地域に戻ってくる人・新たに入ってくる人でよいというのなら、それは「一番ご苦労された地域が、一番幸せになる権利がある」とは全く違う話ではないか。

 :しかも驚いたのは、この構想から約1年後に出された、「福島12市町村の将来像に関する有識者検討会提言」(平成27年7月30日)で、こうした事業の結果として「震災前の人口見通しを上回る回復の可能性」があると言い始めていることである(提言のポイント)。

 :廃炉・除染作業員による人口増とともに、「夢の持てる地域づくり」によってそれを実現するというのだが、私にはそんなことが起きるとは夢にも思えない。

:そして文書を丹念に読めば、震災時の人口よりは減少はするのだが、今後の事業によって流入人口が増えるので、震災前になされていた人口予測よりも減り幅は小さいだろうと、そういう話なのである(「参考資料6 福島12市町村の将来像の検討に資する将来人口見通し(参考試算)」の42頁)。

:むろんそれとても私には信じられないのだが、本提言のこの文言は政府にとって大変ありがたいものであったらしく、後の「『復興・創生期間』における東日本大震災からの復興の基本方針」にもしっかりと引用されることになる。

:だがイノベーション・コースト構想はまだこれからのものであって、多くの課題をはらみ、決して成功を約束されているものではない。

:ここには当然失敗のリスクもあるわけで、人口増どころか、こうした事業が結局は収益をあげられず地域のお荷物になる可能性の方が高いのではなかろうか。

 :政府もそうした危険性をわかっているはずなのに、なぜそれをこうも無視した文章が書けるのか。
 ≫(現代ビジネス:社会:原発・山下祐介)

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