世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

●ガブリエル×國分 哲学者が語る民主主義の「限界」後編

2018年06月21日 | 日記
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●ガブリエル×國分 哲学者が語る民主主義の「限界」後編

■民主主義の理念と実行の緊張関係  
ガブリエル氏:
まさにおっしゃるとおりです。ここには再び、ここまで話してきた緊張関係が存在しています。つまり、民主主義の理念と、実際にそれをどう実行・実現していくかという問題の間にある緊張です。これは行政の問題になってくるわけですが、行政というのは「中間の媒介的な層」であって、経済、警察の問題、あるいは、火事が起きた時に消防士を派遣するといった問題に対応するわけですが、情報は複雑なわけですから、行政の役割とは、情報を、フィルターを通じて濾過(ろか)して複雑さを減らして処理することなわけです。

ここでの問題は、そうしたフィルタリングを通じて行政がだんだんと権力を増していくことです。つまり、情報処理すること自体が行政に権力を与えてしまう。この問題に対抗するには、倫理的なものが必要になります。民主主義をいざ実行しようとすると、そうした問題が出てきます。ルソーはかつて「市民宗教が必要だ」と言ったわけですが、これがまさに今で言う倫理が必要という話です。人々が責任感をもって行政を扱う必要があります。行政を行う人もまた市民なのです。

例えばメルケルであっても、法の前では私と同じ市民であって、その意味では「平等」なのです。メルケルはもし気にくわなければ権力を使って私を抑圧することができるかもしれません。でも倫理的にみたらそれは謝りを侵していることになります。とはいえ、抑圧することは非常に簡単なわけです。

そういう意味では、哲学が出来るだけ速い段階で人々に教育されること、つまり倫理的判断が出来るためのトレーニングを初期教育として行っていく必要があると思います。中学や高校で、数学と同じように教えるべきなのです。数学もトレーニングなしにはできないように、倫理的判断もトレーニングなしにはできません。倫理的教育は簡単なものであれば5~6歳でもできるので、出来るだけ速く学校で、哲学を他の学問と同じように教えるべきだと考えています。

國分氏:
同感です。実はいま日本では役人が書類を勝手に書き換えたことが問題になっています。この事件は役人が悪いというより、政治家がプレッシャーをかけているから起こったものなのですが、実のところ、僕はあの事件で一番問題だと思うのは、あまり大衆が強く怒っていないことです。とんでもないことが起こっているのに全然怒っていない。それどころか「もう分かったから報道はやめろ」という声すらある。

僕はここでアレントが「全体主義の起源」で示した、大衆社会における大衆を姿を思い出します。アレントは「大衆は何も信じていないから、何でも信じる」と言っています。何か「これだけは動かせない」という価値を信じていないから、何が起きても「ああそうなんだ」とすぐに信じる。

もう一つ大事な要素は、そうした「軽信」(何でも信じる)と合わさった「シニシズム」です。どういうことかというと、騙されたことが分かっても、その次の日には「ああ、まあそうだろうと思っていたよ。分かっていたよ」とシニカルにそれを受け入れてしまうのです。騙されていることに驚かない。僕は、これは完全に今の日本だなと感じます。首相が「福島の原発はアンダーコントロール」と言っても、怒らない。そういうことが常態化している。そして、そうした事態を招いている原因の一つは、アレントの分析に従うならば、人びとが何か価値を信じていないということにある。

例えば今日、ガブリエルさんは「民主主義において平等が大切だ。価値を共有することで権利が生まれる」とおっしゃった。僕もその通りだと思いますが、日本の問題は「平等」とか「権利」といった価値が信じられていないということなのです。ここからルソーの言う「市民宗教」について考えることもできるでしょう。「市民宗教」もまた、ある種の価値の共有のために必要とされるのです。僕は最近「信じる」ということが大切だと思っているんです。ではどうすれば、みんなが価値を信じることが出来るのだろうか。これはガブリエルさんに伺うようなことではないかもしれませんが、もしご意見があれば伺いたいです。

ガブリエル氏:
大衆心理に対する診断について、完全に同意します。これは解決策ではなくある種の提案ですが、教育において読み書きを教えるわけですが、読み書きについてはみんな「それは必要だ」というわけです。読み書きなんて教えなくていいという人がいたら「狂っている」と思うでしょう。それに対して、倫理的なことについて無知な状態は一般に受け入れられてしまっています。この状況は本当に大きな過ちです。私たちが民主主義的な社会システムのもとで生きている状況で、本来は「自由に考える」ということが重要ですが、幼稚園や学校では決して教えられない。むしろ「自由に考えない」ように教えられているわけです。

本来、「自由に考える」というのが最も重要な教育における原理であって、最初に挙げられた大衆の問題も「自由に考える」ということを徹底すれば解決できる問題なのではないでしょうか。いま日本でもドイツでも直面している問題は同じもので、「自由に考える」ということで一つの解決策が見えてくるのではないか。

もし、「自由に考えること」ということに同意しない人がいたら会ってみたいですね。トランプ(米大統領)は同意しないかもしれないが、彼は民主主義者じゃないので放っておきましょう。

■立憲主義と民主主義  
國分氏:
次に立憲主義と民主主義の関係について話し合っていきたいと思います。まず、簡単な質問なんですが、ドイツでは「立憲主義」って言いますか?  

ガブリエル氏:
言いますよ、もちろん。
 
國分氏:
実はこの言葉、日本では少し前まであまり使われなかった言葉なんです。法律の専門家は使っていたけれども、一般的にはほとんど耳にすることはありませんでした。どうしてこんな専門的な言葉が注目を集めるようになったのかというと、この原則が危うくなってきたからです。

立憲主義の考え方というのはある意味では簡単で、どんな権力も制約を受けるということです。民主主義というのは民衆が権力をつくる政治体制のことであり、これと立憲主義を組み合わせたのが近代国家の基本的な枠組みであるわけですが、だとすると、立憲的民主主義の政治体制においては、「民衆が権力を作るけれども、その権力でさえも憲法によって制約を受ける」ということになるわけです。つまり、「民主主義だからといって民主的に決めれば何でもやってよいわけではない」というのがその基本的な考え方になります。

すごく分かりやすい例を挙げると、人種差別を合法化するような法案を国会で通すことは民主主義においてあり得ます。しかし、そういう法はあらかじめ憲法によって禁止されているので、最終的にはボツになる。そうやって、あらかじめ民主主義がやっていい範囲を決めておくのが立憲主義の考え方です。ただ、立憲主義と民主主義の関係は、国とか、地域、歴史によって色々変わってくるものだと思います。ドイツでは、民衆の力としての民主主義と、それに対する憲法の制約について、どういうふうに受け止められているでしょうか? ドイツは立憲主義的な発想が非常に強いと聞いていますが、どうでしょうか?

ガブリエル氏:
まさにこの問題はドイツにとっても中心的な問題で、立憲主義も様々な論者が強調する問題です。立憲主義とは、どのような権力も制限されなければならないということです。ドイツの憲法でも立憲主義が言われており、第1条は、人間の尊厳は不可侵である、としています。これが第一命題となっていて、そのうえで2条、3条以降も書かれている。

私の今日の話は、このドイツ憲法第1条の私なりの解釈だったわけです。戦後ドイツは人々が権力をどのように制約するかという観点から憲法をつくったわけですが、重視されたのは、倫理的な土台がなければならないということです。政治的なシステム、つまり国家は単なる形式的なシステムではなく、倫理的な基礎をもったシステムになっていなければなりません。倫理的な基礎がなければ、すぐに無制約的なシステムや権力に取って代わられてしまうと考えました。  

國分氏:
いまのお話に同意です。ただ、いまおっしゃった「倫理的な基礎」についてはもう少し考えるべきことがあると思うんです。現在の首相である安倍氏は、「憲法解釈に責任をもつのは内閣法制局長官ではなく、選挙で国民の審判を受けるこの私だ」という発言をして物議を醸したことがあります。こう発言する彼が、法とは何か、憲法とは何か、立憲主義とは何かについて、何も知らないし、何も分かっていない、無知な人間であることは明らかです。しかし、そこには、それでもなお論ずべき論点があると思います。それは何かというと「民主的な権力はいったいどこまで及ぶのか? どこまで及ぶべきなのか?」という問いです。
 
もちろん、ドイツの憲法第1条の理念を否定する人はいないと思います。でも、「憲法に書かれているからもう絶対に誰も手出しできない」ということは、民主主義の理念とどう折り合いをつけることができるのか。この問いは抽象的には考えられないものかもしれず、論点ごとに考えなければならないことかもしれません。ただ理論的問題としてそういう問題があることは指摘しておきたいのです。

こう述べながら僕が思い出しているのは、アントニオ・ネグリという哲学者です。ネグリ氏はイタリアの左派の哲学者として世界的に有名な人ですが、このネグリ氏は明確に立憲主義に反対しています。彼に言わせれば、民主主義は、民衆が自分たちで自分たちのことを決める政治体制なのだから、どうして他の原理が必要なのかということになるわけです。僕はネグリ氏に同意しませんが、しかし気持ちは分かる感じもするわけです。

立憲主義というのはある意味、エリート主義的な原理だと思います。民主主義が下からつくっていくものだとしたら、立憲主義は上から「はいダメ」と言ってくる。だから立憲主義に反対する人がいることは分からないではないのです。日本の首相だけではなく、哲学者にもそういう人がいる。「なぜ自分たちが決めちゃいけないのか」という民衆の反発をどう考えたらよいでしょうか。  

ガブリエル氏:
幸運なことに、人間の尊厳についてドイツでは「それが必要ない」というふうに誰も否定しないわけです。それは極右であっても、どんな人であっても人間の尊厳の重要性については否定しない。このことからも分かるように、民主主義は制限されています。民主主義が決定できることは「全部」についてではないわけです。例えば我々は「誰かを拷問するかどうか」について、投票を行うべきではありません。この部屋で誰かを拷問するかどうかを投票して決めてはいけないわけです。そういう意味で、民主主義が投票で決められる内容は制限されています。それに対して、極左の人たちは何でも決定できるという発想になってしまいますが、それが実現すると、スターリニズム、毛沢東主義になってしまう。だから私はネグリ氏の考えには明確に反対しています。民主主義にはとにかく制限が必要で、この制限はどういったものかというと、ふつうの正しい考え(ライト・マインド)を持っている人なら決して疑問視しない。

例えば、人間の尊厳についての問題がそうでしょう。人間の尊厳を傷つける拷問は、民主主義が絶対に決めてはならない。つまり民主主義は自分自身に、つまりは民主主義自体に反対することができません。これが、私が主張するラディカル・デモクラシーという理念になります。「民主主義は民主主義についてのものである」というのがラディカル・デモクラシーの基本的な発想です。

ヘーゲルは「法哲学」で「法は自由意志を欲する自由意志である」と言っています。つまり自由意志を実現するものに反対するようなことを望むことはできません。民主主義には決して疑問視されてはならない内容、事項が存在していて、もしそれを望んでしまうなら、2+2=7と言ってしまうような非常に大きな誤りを犯すことになる。2+2=7なら単に数学の計算間違いですが、民主主義の場合は、非常に深刻な倫理的な誤りを犯すことになるわけです。  

國分氏:
日本では数年前、「いつまでたっても憲法を変えられないから憲法の変え方を変えてしまおう」と構想した首相がいて、それが今の首相です。今のルールの下で、ゲームのルールを変えることができるのかというすごく形而上学(けいしじょうがく)的な問題なんですが、総スカンを食らったので彼はこれを引っ込めました。ところが、そういう光景を目にしても日本人はあまり驚かなかった。あれにもっと驚くべきだったということだと思います。立憲主義的な価値の共有がいかに尊重されているか、それがドイツの話からよく分かったように思います。これを日本でどう実現できるか。そうしたことを思って話を伺っていました。

 ■倫理は教育できるのか
 ――会場からの質問を受ける前に一つ質問させてください。民主主義には倫理が欠かせないということでしたが、それはどう教育できるのでしょうか。相次ぐテロなどをみていると、民主主義を含む欧米型の政治体制に反発を抱く人は少なくありません。  

ガブリエル氏:
あらゆる子どもたちは生まれたときに、倫理的な問題に対するある種の感性を持って生まれてきます。子どもたちはすぐに規範というものを求めるようになります。人間というのは、規範性に対する感性を持って生まれてくる。つまり、大多数の人間は、生活において規範的な構造というものを探しながら生活するわけです。

その時に選択肢が限定されたものにならないといけないわけです。もし私たちが子どもたちに倫理を早い段階で教育したとしたら、彼らがのちに権力や社会的地位を得た時に、何でも選択するわけではなくて、例えばいまおっしゃったような、民主主義の価値をまったく信じていないような人々が行ってしまうような論理づけ、理由づけにおける誤謬(ごびゅう)、誤りというものがだいたいなくなるわけです。

民主主義を信じないで排外運動に傾くような人たちは、欠陥を含んだ理由付けをしてしまっています。例えば「ユダヤ人は悪いやつだ」と信じている人たちに「なぜそう考えるのか」と聞くと、そのときにかえってくる理由づけは、まさに欠陥を含んでいる薄弱な推論です。

もちろん、倫理的な教育をしたとしても、そのうえで人々の意見が異なって合意しない、意見の食い違いは存在します。ただその時の意見の食い違いは合理的な形をとるようになるわけです。つまり、ちゃんとした理由づけをできる人たち同士の意見の違い、互いに違うようになるという状態は、それ自体が倫理的な状況と呼ぶことができます。なぜかというと、同意していない物事についての「幅」がすでに限定されていて、そこでの意見の不一致はめちゃくちゃなものではなくて、合理的なものになっている。そういうものが実現された状態こそが、私が民主主義の「倫理的な土台」と呼ぶようなものです。  
    ◇  
Markus Gabriel 1980年生まれ。独ボン大教授。専門はドイツ観念論など。著書に「なぜ世界は存在しないのか」、スラヴォイ・ジジェクとの共著「神話・狂気・哄笑」など。ポストモダン思想への批判で知られ、新しい実在論という立場から議論を展開している。   
     ◇  
こくぶん・こういちろう 1974年生まれ。東京工業大学教授。専門はフランス現代思想。2013年に都道建設計画をめぐる住民運動に関わり、行政と民主主義の関係に光を当てる議論を展開した。著書に「中動態の世界 意志と責任の考古学」「来るべき民主主義」など  注:一部かつあい
 ≫(朝日新聞デジタル:一部割愛


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●ガブリエル×國分 哲学者が語る民主主義の「限界」前編

2018年06月20日 | 日記


●ガブリエル×國分 哲学者が語る民主主義の「限界」前編

*本日は引用長いので、解説は省略です。

 ≪哲学者が語る民主主義の「限界」 ガブリエル×國分対談
日々のニュースで当たり前のように政治や経済の危機が語られる今、民主主義は「危機」の解決に役に立つのか。もはや民主主義こそ問題なのではないか――。著書「なぜ世界は存在しないのか」(講談社選書メチエ)がベストセラーになっているドイツの哲学者マルクス・ガブリエルさんが来日し、東京・築地の朝日新聞東京本社読者ホールで6月12日、哲学者の國分功一郎さんと対談した。「危機」の時代に、改めて歴史をさかのぼり、民主主義の原理を見直した議論では、「民主主義と国民国家は両立しない」「主権という考え方は怪しい」など、ラディカルな発言が飛び出した。

対談は、住民運動への参加経験などから議会中心の既存の民主主義観を批判してきた國分さんが事前に送った「手紙」による問題提起を受け、ガブリエル氏が講演する形でスタートした。

通訳は斎藤幸平・大阪市立大学准教授、聞き手・司会は朝日新聞文化くらし報道部の高久潤記者が務めた。対談は、本の著者を招いて講演などをしてもらう「作家LIVE」(朝日新聞社主催)の一環で、会場には定員を大きく上回る約900人から応募があり、抽選で当選した約200人が来場。2時間半に及んだ当日の議論の全容を、2万5千字超で詳報する。

■國分さんからの手紙  
対談に先立ち、國分さんは事前にガブリエルさんに問題提起のため、民主主義をめぐる四つの質問を手紙で送っていた。ガブリエル氏の講演はこの質問を踏まえて行われた。   
   ◇
①実際には行政権力が強大な力を持っている現代の政治体制で、どのように民主主義を構想すればよいでしょうか
②立憲主義と民主主義の関係をどう考えればよいでしょうか
③主権に統治は可能でしょうか。主権によって政治コミュニティーを統治することはできるでしょうか
④現代政治が主権の限界に直面する一方で、主権を求める動きが日増しに高まっているこの状況をどう考えればよいでしょうか    
   ◇  
手紙の中で國分さんは、2013年に都の道路建設計画の見直しを求める住民運動に参加した自身の経験に触れ、「道路を建設するにあたって、建設現場に住む人びとからいかなる許可も取る必要がない」とし、「日本の行政には万能とも言うべき権力」がある、と指摘。近代の民主主義において、主権は「伝統的に立法権として定義されてきた」が、主権者である民衆が行政の決定に直接関わることができない中、それは民主的と言い得るか、と問題提起した。
 
公文書改ざん問題でも改めて注目を集める行政権力の強大化は、国レベルでも当てはまる。國分さんは安倍政権が2015年、閣議決定で日本国憲法第9条の解釈を変更したことに言及。その反対運動の中で注目されたのが立憲主義を、「いかなる政治権力も制約を受けるという原則」と説明し、制約を受ける側である安倍政権が「そのルールの解釈を変更」したことを批判した。だが考えるべき問題はその先にある。では「憲法は民主主義的な権力をどこまで制約できるのか」と問いかけた。
 
また英国の欧州連合(EU)離脱を決めた国民投票など世界政治の潮流にも触れ、「主権を求める動きが高まっている」と診断した上で、「主権(民主的な議会)による統治は可能か」「主権を求める動きが高まる状況をどう捉えればよいか」との質問も投げかけた。

 ■マルクス・ガブリエル氏の基調講演「危機に瀕する民主主義」  
日本の哲学者と交流を持てるのを楽しみにしていました。きょうこれから國分さんからの手紙との関連で民主主義の危機について論じますが、二つのパートにわけて話を進めようと思います。最初に論じたいのは、民主主義の本質に関する問題、つまり民主主義とは何かという問いです。それを踏まえて後半では、民主主義は今、社会システムの中で実際にどのような形で実施されているのかについて話します。
 
そのうえで最後に、民主主義の危機とは、前半で論じるその「本質」と、現在実施されている制度の間にある距離、隔たりから生まれているのだ、ということを指摘したいと思います。
 
民主主義が誕生した時期として、一般的に二つの時期が語られます。古代ギリシャとフランス革命です。では、なぜこの時期に民主主義が生まれたかを考えてみると、民主主義がある種の「価値」に対応する形で生まれてきたことがわかります。ここでいう「価値」とは「事実」に関するものです。例えば子どもを虐待してはいけないという価値(判断)は、子どもを虐待してはならないという事実に対応しています。同様に民主主義について考えるならば、民主主義の価値は、人間は人間として存在することができるためには、けっして誰にも譲渡できないような諸権利を必ずや必要とする、という事実に対応しているのです。ではどういう権利が必要かというと、人間として充実した意味のある人生を送るための条件、幸せな生活を送る条件を人間は必要としており、こうしたものが権利の内容になります。
 
これが人権と呼ばれるものですが、人権とは言い換えるならば、人間が人間としての人生、生活を送るために必要な条件です。民主主義とは、こうした人間が人間として存在するための権利を実現することを目指す政治システムということになります。

まずこの単純な話を基礎として、理想的な民主主義の定義について話すことができます。つまり、どのような社会的、経済的、政治的条件のもとでなら人々は充実した生活を送ることができるか、という問いに答えていくことで、理想的な民主主義を定義することができるでしょう。
 
では実際にはどう定義していくのか。社会学、経済学など様々な学問がその条件を明らかにする役割を果たします。その意味で、民主主義とは、知に――それを知の体系と呼んでもいいでしょう――基づいたシステムということになります。ですから、まず私たちは、自分たちが生きていくために、どういった条件が必要なのかを事実として知る必要がある。民主主義とは知に基づいた統治形式と定義することができます。
 
古代ギリシャの民主主義がなぜ失敗したのかについて話しましょう。簡単に言えば、その民主主義が「みんなのための」民主主義ではなかったからです。当時は奴隷がいました。奴隷は、民主主義の基本的な理念と矛盾しています。奴隷は奴隷所有者のために働くことを義務付けられており、自分のしたいことを行うことができません。こうしたエリート主義的なシステムでは民主主義は実現しませんでした。

また、フランス革命の後の民主主義の試みも失敗しています。このときは、ナポレオンが目指した民主主義の拡大という試みが帝国主義的な性格を内包していたからです。帝国主義な性格による失敗については、まさに今日の米国の民主主義が失敗していることにも同じようにあてはまるように思います。

ナポレオンのプロジェクトの失敗は、後世同じように繰り返します。そうした試みが失敗したのは、帝国主義的な方法で民主主義を普及させようとすると「みんなのため」という民主主義の基本理念を実現できないからです。要するに他者を十分に理解してこなかったことに由来する問題です。米国は「他者」を理解することを非常に苦手としています。この問題はこの後にも話になると思うので示唆にとどめますが、(ギリシャとフランスの)二つの失敗は、それぞれ(の民主主義)が十分に普遍的なものではなかったということで説明されるでしょう。

さて2番目の問題について話しましょう。現代の民主主義についてです。今の民主主義の危機を考えると、二つの大きな問題があると言えます。
 
一つ目は、真理と知についての危機です。そして、二つ目が不平等という問題です。二つ目のほうが簡単なので二つ目(の不平等)から話を始めたいと思います。

世界規模でみると、少数の人のみが先ほど言った人権の理念に合致した生活を送ることができています。なぜ少数の人たちがそのような生活を享受できているかというと、残りのものすごく大勢の人たちが、人権の理念に合致しない生活を送っているからです。
 
これは古代ギリシャとまったく同じような状況で、つまりある種の奴隷制が世界規模でみると生じているのです。ただし、今回の場合は、古代ギリシャのように、国内に大勢の奴隷と一部のエリートがいるというわけではなく、先進国のために途上国の人がTシャツを作っているという状況です。そのため、自分たちのために途上国の大勢の人々が仕事をしているという状況が(利益を享受している少数の人間側に)見えない、言ってみればアウトソーシングをしているような状態になっているのが特徴です。
 
そうした状態下での民主主義は普遍的ではありません。この状況は帝国主義的な方法でも解決できません。無理やり解決しようとして(民主主義の理念を帝国主義的に)拡張してしまったら、今度はTシャツをつくる人がいなくなってしまうでしょう。つまり現代の民主主義は、世界的な規模での不平等を必要としているのであって、それがすでに大きなものになっており、非常に深刻な問題になっています。

もう一つの問題、つまり真理と知の問題に戻りましょう。私が言おうとしているのは、ポストトゥルースと呼ばれる事態のことです。民主主義のリーダーたちが、科学的な事実について無知な状態にあります。これは大統領のようなトップにいる人たちだけではなく、議会に選ばれている政治家たちも含めて、科学的な事実について完全に無知な状態に陥っています。例えばドイツではいま大麻を合法化するかどうかの議論がなされていますが、議論は事実をしっかり調べないままに、国会でただぺちゃくちゃしゃべっているだけの状態になってしまっている。これは事実に基づいて検討するという態度からかけ離れています。
 
だからこそ必要なのは科学者たちであり、さらに言えば哲学者たちです。重要な問題については科学者や哲学者に意見を聞く公聴会が必要なのです。もしこうした公聴会なしに様々な決定がなされていくと、無知で自己中心的な政治家が私たちの生活にかかわる重要な決定を勝手にしてしまうことになります。こうした試みが私たちの民主主義を最終的に破壊することになります。

ここにポピュリズムの矛盾が表れていることに注意が必要です。このポピュリズムの状況を変えるには、きちんとした情報が人々に行き届く公共圏を作り出すことが必要です。だからこそ科学と哲学が必要なのです。公共圏を作り出すことができなければ、私たちにはある種の独裁が待ち受けているでしょう。

■ マルクス・ガブリエル×國分功一郎(対談)  
國分功一郎氏:
たくさんの方に来ていただいてうれしく思います。ガブリエルさんにもわざわざ日本に来ていただいた。とてもうれしく思っています。少しだけ全般的な話をしてから、応答に入っていきたいと思います。先ほどこの対談を前に、高久記者から「いま哲学はブームになっていると思いますか」という質問を受けました。確かにガブリエルさんの本がよく売れていて、僕の本もまあまあ売れているのですが(笑)、ちょっとそういうブームがあるのかもしれない。哲学の本が売れる。さらには新聞社主催のイベントでこうして哲学を研究している僕らが話をするとなると、たくさんのお客さんが来て下さる。

 ガブリエルさんは今日、民主主義の危機をテーマに話しましたが、なぜ哲学がブームなのか、仮にブームがあるとすると、やはり危機と対応しているからだと思います。はっきり言って人が幸せに暮らしているときは、哲学はいらないんです。古代ギリシャでもやはり危機が起きたときに哲学が起こりました。プラトンがいたアテナイは、腐りきったアテナイだった。ですからいま哲学が求められているのだとしたら、それはやはり何らかの危機があるのだろうと思います。そして、恐らく今日ここに来ている方は、政治に関しての危機に非常に自覚的な方が多いと思います。きょうは、ガブリエルさんはドイツのボン大学の先生なので、ドイツの話も少しうかがいながらそれについて考えていきましょう。というよりも日本と同じ敗戦国としてスタートしたドイツを日本はしばしば比較対象としてきました。その比較は今でも有効だと思います。日本とドイツはどこが似ていてどこが違うのか。ドイツでは民主主義がどう考えられているのか。そうした点についてもおうかがいしたいと思っています。
 
ではガブリエルさんの講演に応答していきましょう。デモクラシーの本質(ネイチャー)と、デモクラシーがいまいったいどう実行されているかという話を皮切りに、古代ギリシャとフランス革命という例が出されました。強調されていたのはまず「価値」、僕らがどういう価値を民主主義的な価値と思っているのかということです。更に、それはどういう事実に基づいているのかというふうに話が展開され、そこからどういう権利が導き出されるのかというところまで話は及びました。つまり、バリュー(価値)、ファクト(事実)、ライト(権利)がいわば等号で結ばれるような形でガブリエルさんは語られた。哲学はしばしば「自然の発見」によって始まったと言われますが、哲学の役割の一つは、ファクトを発見していくことなのかもしれないと考えました。

さて、ガブリエルさんが依拠された民主主義の価値の中心にあったのは、「平等」だと思います。平等という価値を一番大事なものとして民主主義をとらえているからこそ、古代ギリシャは奴隷がいたからダメだということになる。この平等を考える時、一つ厄介な問題があると思います。先ほどは経済的な平等の話が出ましたが、民主主義における平等という場合には、もう一つ大事な平等があると思います。それは「決定への平等な参加」、つまり「メンバーシップ」の問題です。
 
言い換えれば、「僕は日本国民だから日本国の政治決定に、他の人と同じように平等に関われるはずだ」という権利の問題でもあります。しかし、いまグローバリゼーション下で問題になっているのは、いったいそのメンバーシップをどう確定できるのかということです。「日本国民に平等に決定権があるべきだ」という主張はとてもいい主張に聞こえる。でもそれは他方では、「外国人は入るべきではない」という主張にもなります。

例えば昨年、フランス大統領選の際、マリーヌ・ルペン(フランスの極右政党の候補)が最後まで残って世界を大変驚かせました。彼女は「フランスのことはフランス人が決めよう」と言っていました。よく事情を知らないでルペンの話を聞いているとけっこういい話に聞こえてしまう。僕はどういう人か知っているから「何を言っているんだ」となるけれど、実のところ、上ずみだけ聞いているととてもいいことを言っているように聞こえるのです。決定権における平等の問題が排除と結びつく場合があるという問題がここにはあります。
 
僕らは国民国家をもはやこのまま維持できないということは分かっている。でも他方で、誰にでも決定権を与えてよいという考え方にみんなが賛成するかというと、ちょっと疑わしい。ではどうやって政治的決定権を考えるか、平等なメンバーシップの問題をどうガブリエルさんは考えているのでしょうか。

■「価値と知」「メンバーシップ」について  
ガブリエル氏:
二つのパートに分けて、國分さんのコメントに答えます。まずは、「価値と知」という問題。もう一つは「メンバーシップ」の問題になります。一つ目に関していえば、哲学だけがそうした「知」を明らかにする役割を担っているわけではなく、科学全体、社会学とか政治学とか、物理学とか数学とか、こうしたさまざまな学問がすべていっしょになって「知」を生み出しているわけです。(民主主義のための)「知」は、個々の学問分野がばらばらに生み出すことはできません。物理なら物理、政治なら政治、哲学なら哲学、科学はさまざまな法則を発見し、知を生み出しますが、そうしたものが集まることによって我々が必要とする知を獲得することが出来るのであって、こうした共同的な営みを実現していく必要があります。ただ、こうした共同的な営みはいまのところは起きていません。起きるべきだと私は言っています。それによって哲学は民主主義の実現に貢献することができるでしょう。
 
國分さんは、非常に重要な問題、メンバーシップの問題を提起してくれましたね。この点について完全に同意します。つまり、民主主義の本質というのは、国民国家というものと相いれないということです。国民国家を超えて民主主義が拡張されなくてはならないという発想は、カントが言ったのが有名です。要するに、国民国家というものと民主主義は相いれないものなのです。これはまさに哲学的な洞察で、普遍性という原理からこうした洞察が導かれるわけです。この普遍性原理に基づかない民主主義を実現しようとすると、まさに帝国主義的なやり方になってしまう。まさに(今日の)グローバルなコミュニティーでは、民主主義を実現するためにまったく新しい構造が求められているわけです。

もし国民国家をひたすら維持しようとするならば、多くの国に独裁的なものがうまれるでしょう。他にいくつかの小さな「希望の島」とでも言えるようなものはできるかもしれませんが。なぜかというと私たちが直面している問題を解決することが国民国家ではできないからです。私たちが直面している気候変動であったり、経済的な格差といったりした問題はグローバルな性格を持つものであって、そうしたものに対して、国境を線引きして、ここからこちらは関係ないと線を引いてしまうことはできません。
 
難民や移民は、民主主義という名の下で自分たちの人権を求める権利を持っているわけです。しかし、そうした問題に対して、現在は彼らの人権を否定してしまうような状態になっています。この問題は非常にグローバルな現象ですが、彼らが求めているのはまさに人権を自分たちのものにするということです。彼らはまさに民主主義者と言えるでしょう。
 
ただ現在は移民、難民の問題は、ポピュリストたちに利用されていて、ナショナリストのプロパガンダのために利用されてしまっています。私たちがこの状況において選べる道は二つあります。一つは、こうした状況を鑑みて、国民国家を超えた「グローバルなシチズンシップ」を与える民主主義の形式に転換していくこと。二つ目の選択は、まさに人類を破壊してしまうことです。私たちは今(国民国家に基づいた)民主主義の限界に直面しているといえるでしょう。

■国民国家と民主主義  
國分氏:
いまガブリエルさんは非常に強い主張をされたと思います。「国民国家は民主主義と相いれない」というものです。非常に強い主張で、これを僕はどういう風に扱ったらいいかなと聞きながら考えていました。一方でもちろん賛成です。カントの「永遠平和のために」という本がすごいのは、何か世界的なルールを作りましょうと言っているわけじゃないところです。カントは、「ホスピタリティー(歓待)」のルールさえあればいいと言っている。市民が互いに世界を行き交っていれば、自然と世界がよくなる、それ以上のルールを作ってはいけないという。これがカントの面白いところで、これが本当に実現されれば、確かに国民国家は薄まっていって、もしかしたらグローバルなシチズンシップにも近づいていくのかもしれません。「移民、難民は民主主義者なのだ」という主張も非常によく分かります。ある意味で、だからドイツは難民を受け入れる決断をして、まさしくカントが言っていたような「歓待」のルールを実践してきたわけです。

 ただ他方で、一足飛びにグローバルなシチズンシップに僕らは行けるのか、とも思います。そこで一つ問題になってくるのは、手紙の中で出した「主権」ということばです。主権というものは非常に扱いが難しい。一方で民主主義は「民衆が主権を行使する」ということを意味します。でも「主権」という概念はやはりどこか怪しくて、本当に自分たちで自分たちのことを統治できるのだろうかという疑いもあるわけです。国民国家という枠を取り払ってしまったときに、いったい主権はどういう形で担われることになるのか。つまり、グローバルなシチズンシップを目指していく中で、主権をどう考えたらいいのだろうか。

というのも、ぼくは「主権」という考え方に懐疑的ですが、今のところ、主権がない政治を思い描けないのです。もしかしたらガブリエルさんは「主権のない政治」みたいなことを考えていますか? 主権についてどういうことを考えているかお聞きしたい。
 
ガブリエル氏:
私も、(その後に)デリダが議論した「歓待」という発想を支持しています。とはいえ、以下では「主権」というテーマの歴史にさかのぼって考えたいと思います。一番有名なのはトマス・ホッブズですが、ホッブズ自身は主権や民主主義というテーマで論じられることが多いものの、彼自身は民主主義者ではなく、むしろ奴隷を所有しました。彼の哲学、政治理論というのは矛盾を含んでいます。

ですから、私たちは政治と主権というものの関係について考え直す、再考する必要があると思います。私たちが民主主義について考えるとき、しばしば「人民の主権」、自分たちで統治する、人々により多くの権力を与える、というかたちで考えがちですが、民主主義というものは、先ほど説明したように普遍的な価値システムなわけですから、主権という概念とは相いれないものです。

なので、主権という概念はいりません。主権なしに新しく民主主義について考える必要があります。ホッブズの場合は、政治的な共同体を内戦の結果として生まれたものとして理解しています。自然状態では人々は闘争をしてしまうので、それを調停するために社会が生まれたと考えるわけですが、こういう考え方をやめる必要があります。実際、主権が存在しなければ人々は自然状態における内戦状態になってしまう、という実証的な裏付けは、ホッブズの主張にもかかわらず、ないわけです。

むしろ、ホッブズの主権理論は、アメリカの先住民族に対するジェノサイドを正当化する目的で、自然状態を早く乗り越えないと内戦が深刻化してしまう、そのため強い主権が必要だ、という奴隷所有者としてのホッブズの主張と結びつけているわけで、そうしたものを受け入れる必要はないのです。

 ■民主主義と主権  
國分氏:
もう一つ、非常に強い主張が出されたと思います。先ほどの「国民国家と民主主義は相いれない」というテーゼに加えて、「民主主義と主権の考え方は相いれない」というテーゼですね。これは僕は今の政治理論の最先端の問題だと思います。先日、僕は憲法学者の石川健治先生と憲法について話しましたが、石川先生も主権概念について非常に強い疑問を呈されていました。やはり正面から理論的に考えると、主権という概念には大いに問題があるのです。まやかしがあると言ってもいい。例えばハンナ・アレントは主権の概念をまったく認めない立場でした。僕の専門分野だと、デリダもずっと主権について批判的な考察をしてきました。だから、すごくよく分かる。

ただ主権を要求しなければいけない場面も間違いなくあるということも一応付け加えておきたいと思います。3年前、僕はフランス留学時代の恩師であるエティエンヌ・バリバール先生がいるロンドンの大学に客員研究員として滞在していたんですが、その時、先生の講演会に行って、同じようなことを質問したことがありました。主権概念に問題があるのはよく分かる。しかし主権を要求しなければならない場合もあるのではないか、と。バリバール先生は、「それは『WHEN(いつ)』と『WHERE(どこで)』の問題だ」とおっしゃいました。やはり場合によっては主権を要求しなければならない。
 
例えば、いま沖縄県で、外国の軍隊の基地が、ものすごくきれいな海を埋め立てて造られています。地元の人の反対の意思があるけれども、本土は基本的に無関心です。僕はしばしば「この国は本当に主権国家なのだろうか」と思います。「基地を造ろうとしている国の『属国』なんじゃないか」と感じるときがある。こういうとき、主権を要求する必要が出てきます。

話を少し展開しましょう。ガブリエルさんの今日の話で印象的なのは、「平等」を非常に大切にされているとともに、「ナレッジ(知)」の重要性を強調されているところだと思います。僕はガブリエルさんに宛てた手紙を、自分が体験した、地元の道路建設をめぐる住民運動から書き起こしました。様々な知識や情報がきちんと共有されない。これは情報公開の問題でもありますが、行政と住民は知識と情報に非対称性があり、住民側からこういう事実があると持っていっても、一方的に「道路をつくる必要がある」と言われてしまう。民主的社会が実現するためには、知識と情報を行政と市民が平等に共有することが非常に重要だと思います。

ただ、ここにパラドックスがあります。ガブリエルさんも政治家の無知について言及されていましたが、そうすると、たとえば専門知識がある人が大臣になるのがよいのだろうかと考えてしまいます。例えばイタリアでは先日、法学者が首相になりました。一見すると、経済学者が財務大臣になるといい気がします。けれどもそれには民主主義的には問題があります。専門知識を根拠として政治家や大臣が選ばれるとなると、それは民主主義的に見て正統なのかということです。もし専門知識を持った人が大臣をやるのがいいならば、選挙をやる意味がなくなってしまう。ここには、専門知識と民主主義的手続きの問題がなかなか一致しないという重大な問題があります。

危機のときには専門知識を持った大臣の方がいい気もします。けれども、これを常態化、恒久化していいのか。もしこれを認めるなら僕らはある意味で民主主義を捨てることになります。けれども他方で、今の世の中でみんなが専門知識を持つことも不可能です。例えば僕は、年金の仕組みなど全然分からないわけです。厚生年金とかもよく分かっていない。自分に関係あるのに(笑)。これはある意味では20世紀頭ぐらい、あるいは19世紀からかもしれませんが、ずっとある「行政国家」がもつ問題です。専門知識が必要だけれども、それがなかなか民主主義の中では共有できない。この問題についてはどうですか。

 ■専門家の意義  
ガブリエル氏:
私が言っていたモデルというのは、別に科学者や専門家がそのまま政治家になって統治をすべきというものではありません。政治家自身も当然、私が言ったような政治家としての地位があるので、それは尊重されなくてはなりません。実際、専門家という点においては、今のシステムでは官僚がいるわけです。官僚が年金などの問題についての専門家として既に存在しており、彼らは終身雇用の立場で、政治家たちよりも長い期間はたらく専門家として機能しています。たまたまドイツでは博士号を持った物理学者のメルケルが首相で、彼女は物理学の専門家でもあるわけですが、それはたまたまであって、そういう人が首相になることを、私が薦めているわけではありません。いずれにせよ、官僚のような専門家は必要なのです。
 
私が言ったのは、公聴会がもっと必要で、重要な問題について公聴会を必ず開かなければならないということです。実際、法律の教授なら法律の技術的で複雑な問題について相談を受けて、公聴会がしばしば開かれているし、経済学の教授なら同じような形で(経済に関する)公聴会に呼ばれています。ところが、哲学の公聴会はどのくらいの頻度で開かれているしょうか。化学だったら、薬学だったらどうでしょうか。こうした問題についても、もっともっと公聴会を開いていく必要がある、というのが私の考えです。

その上で付け加えますが、いままさに話しているこの場も公共の場、「公共圏」ということです。そういう意味ではジャーナリズムも非常に重要です。ここではある種の「分業」があるわけですが、まさに「公聴会」はこうしたかたちでも開かれているといえます。この場で私たちの話を聞いて、みなさんは(市民として)自分なりの意見を形成することが出来るのであって、こうした場をもっともっとつくっていく必要があるでしょう。ですからジャーナリズムは民主主義のために非常に重要なものです。

もう一点あるとすれば、インターネットの問題です。インターネットをどう規制するかが非常に重要になってくるでしょう。なぜかというと間違った情報ばかりでは、しっかりとした公共圏が形成されないので、インターネットを「野性」の「なんでもあり」の状態で放置しておくわけにはいきません。その意味で規制を考えていく必要があります。その上で、主権を含めて民主主義をどうやって実現していくかという問題を考えていかなければなりません。
 
國分氏:
「知識」を通じて考えた問題にもう少し、こだわりたいのですが、公聴会をめぐるガブリエルさんの提案に僕は賛成です。「来るべき民主主義」(幻冬舎新書)という著作で僕が民主主義について提案したことも、とても穏やかなことです。議会は万能でも何でもない。ところが民主主義の話をすると、みんなすぐに議会の話になる。「議会をよくしよう」という。でもそうではなくて、民主主義にはもっと別の、民衆の意思の実現ルートがあっていいはずです。例えば僕が関わった住民投票もその一つだし、公聴会もそう。そうしたいろんなパーツを民主主義に足していって、民主主義的な意思の実現のルートを増やすという提案を僕はしてきました。ですから、今のガブリエルさんの話にすごく共感するところがありました。
 
さきほど行政権力の問題に触れましたが、この点について別の観点から考えてみましょう。行政権力が専門化しているがゆえに極めて強い力を持つというのは、20世紀にずっと指摘されていたことです。「行政国家」という専門用語でこれはずっと論じられてきました。ただ、行政の方が民主的な手続きに先立って動いてしまうことには理由があるというか、必然性もあるんですね。それは何かというと「スピード」の問題です。グローバリゼーション下では信じられないスピードで、災難が国に降りかかってくるわけです。それに対していちいち選挙して代議士を出して、議会で話し合って……ということは正直できない。いまのグローバリゼーション下では、猛スピードで事態が進行するため、どうしても行政権力は強くなります。
 
ドイツというのはある意味で、これを20世紀頭に悲劇的な形で体験した国だと思います。というのも大恐慌が起きて、ワイマール期の民主的な議会は何も決められなくなっていき、どんどん立法権を行政の方に手渡していくということが起こる。そうした結果としてナチズムが出てくるわけです。ナチスによる独裁というのは要するに行政が立法権を持つ、ということです。

行政は法律によって常に規制されているし、規制されなければならないわけですが、自分たちで自分たちのルールを作ってしまうというのは自分たちで好きに出来るということですから、これは行政の「夢」なんですね。ナチズムとは、絶対に実現してはならない行政の「夢」を実現してしまったものとしてみることができます。  民主的な手続きにはスピードの点で劣るという構造的な弱点がある。特に現代では民主主義とスピードの問題を無視できないと思う。これはポール・ヴィリリオ的な問題ですがどう考えますか。(朝日新聞デジタルから引用、後編に続く)
 
つづく

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●拉致問題の安倍晋三を演出 内閣支持率うなぎ上りの怪

2018年06月19日 | 日記
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重大な岐路に立つ日本―今、私たちは何をしたらいいのか!
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作家的覚書 (岩波新書)
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●拉致問題の安倍晋三を演出 内閣支持率うなぎ上りの怪

不思議なことだが、ここに来て安倍内閣の支持率が不支持率を上回る世論調査が数社から出ている。支持不支持が、逆転までいかないが支持率が下げ止まっている。安倍内閣の支持率と云うもの、安倍晋三が5年半も政権の座にいると、内閣支持率ではなく、安倍晋三個人への評価のバロメータ化しているのが実情のようだ。つまり、最近の内閣支持率調査は、安倍晋三に対する、その時々の時系列な、世間の寸評的要素が強くなったと言えるのだろう。

最近の世論調査の結果を分析する場合、その世論調査の、調査時期と安倍晋三が活動しているように見える“為政活動”がどれだけの時間量、テレビ画面に映っているかが重要なファクターとなり、調査結果に反映するのではないかと考えるようになってきた。そもそも論で言えば、各メディアのお手盛りデータに過ぎないと云う疑念もつきまとうが、それを言ってしまうと、話が続かないので、それはさておこう。

無論日本が、“安倍晋三の主権国家”であることが、自己利益に繋がるコアな支持層と云うものが5~10%あると仮定すると、自国の首相が犯罪者であっても、そのコアな支持率は盤石だ。イタリアのベルルスコーニさんなどは、その典型だったろう。このように考えれば、我が国の神社本庁(日本会議含む)に連なる支持層、警察検察裁判所、右翼新聞・雑誌、ゼネコンなど財政出動で潤う業界、原発関連事業者、軍産複合性の強い企業などからは、安倍主権は絶対的支持が得られていると考えるべきだろう。

おそらく、上述強固な支持層が安倍晋三と云う男が首相でいることが好ましいと、自己利益と合致する点で、確信的に支持に傾き、10%前後の岩盤支持を固定化していると考えられる。しかし、最近の安倍内閣の支持率の平均値を40%前後と仮定すると、残り30%が流動性のある支持率となる。また、この流動性ある支持率の中には、取りあえず「自民党」という支持率10%近く含まれるので、差し引き、流動性のある支持率は20%前後と見ていいだろう。

では、この20%の流動性のある支持率を決定するものは何なのか、と云う問題になる。この政治的無関心層や政治リテラシーの貧弱層においては、メディアからの影響を強く受ける人々と分類することが出来る。これらの人々の多くは、呆然と見ている各局のニュース番組から、安倍晋三を評価しているのが現実だ。夜7時のNHKニュースなどが代表的だ。この番組で、安倍晋三が政治外交を熱心にやっているような印象操作された映像が流れれば、安倍晋三も頑張っているようだと、当面支持する傾向がある。

彼らの多くは、流されたニュースの内容を吟味するだけの、政治リテラシーは乏しいので、安倍晋三が堂々としてさえいれば、その発言内容がデタラメでも、虚言であっても、矛盾だらけでも、その瞬間堂々としているように見える限り、支持と答える。安倍晋三は、実は、これこれ然々の疑惑があり、奥さんも相当のものらしい。安倍さんの外交なんてものは、朝令暮改も甚だしく、自分の考えなどなく、その時の風向きで南でも北でも、東でも西でも見てしまう。そんな話をすれば、半数は、じゃあ不支持だ、と言いそうな人々である。

つまり、風見鶏支持層と云うことだ。ただ、この風見鶏支持層は、米国に飛んで行って、トランプ大統領と会談して、北朝鮮・金委員長に日本人の拉致問題を提起して貰えるよう直談判にした風にニュースが伝えれば、“頑張っているじゃないか”と支持を表明する支持層である。ほんの一カ月前には「北朝鮮に対しては、国際社会は一致して最大限の圧力を加えなければならない。非核化については、全ての計画を検証可能かつ不可逆的な方法で放棄させなければならない」と最後まで強調していたのが安倍晋三だった。拉致被害者の家族たちはヒヤヒヤした気持で聞いていたに違いない。

しかし、南北会談、米朝会談が行われたことで、“蚊帳の外”になることを怖れた安倍晋三は、「日朝会談」というイベントを思いついた。そして、NHKニュースや民放テレビを通じて、八面六臂の働きをしている印象を植えつけた。おそらく、この時期と前述の支持率アップは重なっていると思われるので、それほど不思議な結果ではない。今の一般的日本人は、“拉致被害と北朝鮮”が、日本の外交上、最も重要な懸案事項のように、長期にわたる刷り込みが行われていたので、その解決に、安倍が主動したと錯覚しての支持になっている。

実際問題、安倍晋三が金正恩と会える道筋は見えていない。未確認の情報だが、安倍晋三は、日朝交渉の担当窓口に、なんと北村滋内閣情報官を充てるつもりらしい。元公安で、朝鮮総連などから目の敵にされている、“官邸のアイヒマン北村”を窓口にすると云うのだから吃驚だ。おそらく、北朝鮮との窓口に元CIA長官ポンぺオ氏だったことにヒントを得たようだが、CIAの能力と日本の公安では格が違い過ぎて、話は一歩も進まなくなるだろう。まぁ、はじめから会談がセットされることを望んでいない可能性すらある。

小泉純一郎でさえ、北朝鮮まで行って日朝会談をしたわけだから、“拉致の安倍”である以上、会談がセットされたら訪朝の勇気が必要になる。そして、肝心の拉致問題は、あまり喜ばしい結果を得ることはなく、戦後賠償問題だけが際立つリスクが高いことくらいは、安倍官邸自体は知っているだろうが、安倍晋三は、やる気満々の演技に勤しんでいるのが現実だろう。ただ、トランプ大統領が、日本に早目に北朝鮮復興の資金提供を画策して、金正恩ロケットマンを嗾ける可能性は大いにある。以下は、気になった記事を二つ掲載しておく。


≪ 安倍内閣の退陣求める声明 高村薫さんら「七人委員会」
 作家の高村薫さんや写真家の大石芳野さんら文化人や科学者ら7人でつくる「世界平和アピール七人委員会」は6日、「安倍内閣の退陣を求める」と題する声明を発表した。「国民・国会をあざむいて国政を私物化し、外交においては世界とアジアの緊張緩和に背を向ける安倍政権を許容できない」として、安倍内閣の即時退陣を求めている。
 委員会は1955年、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士らが結成。現在は国際政治学者の武者小路公秀さんや宇宙物理学者の池内了さんらが委員を務める。内閣の即時退陣を求める声明は発足以来初めてという。
 世界平和アピール七人委員会が6日に「安倍内閣の退陣を求める」の題で発表した声明全文は以下のとおり。委員は武者小路公秀、大石芳野、小沼通二、池内了、池辺晋一郎、高村薫、島薗進の各氏。
 5年半にわたる安倍政権下で、日本人の道義は地に堕(お)ちた。
 私たちは、国内においては国民・国会をあざむいて国政を私物化し、外交においては世界とアジアの緊張緩和になおも背を向けている安倍政権を、これ以上許容できない。
 私たちは、この危機的な政治・社会状況を許してきたことへの反省を込めて、安倍内閣の即時退陣を求める。
 ≫(朝新聞デジタル)



 ≪ 作家・中村文則氏が警鐘 「全体主義に入ったら戻れない」
 ウソとデタラメにまみれた安倍政権のもと、この国はどんどん右傾化し、全体主義へ向かおうとしている――。そんな危機感を抱く芥川賞作家、中村文則氏の発言は正鵠を射るものばかりだ。「国家というものが私物化されていく、めったに見られない歴史的現象を目の当たりにしている」「今の日本の状況は、首相主権の国と思えてならない」。批判勢力への圧力をいとわない政権に対し、声を上げ続ける原動力は何なのか、どこから湧き上がるのか。

 ――国会ではモリカケ問題の追及が1年以上も続いています。

 このところの僕の一日は、目を覚ましてから新聞などで内閣が総辞職したかを見るところから始まるんですよね。安倍首相は昨年7月、加計学園の獣医学部新設計画について「今年1月20日に初めて知った」と国会答弁した。国家戦略特区諮問会議で加計学園が事業者に選ばれた時に知ったと。これはもう、首相を辞めるんだと思いました。知らなかったはずがない。誰がどう考えてもおかしい。ついにこの政権が終わるんだと思ったんですけど、そこから長いですね。

 ――「現憲法の国民主権を、脳内で首相主権に改ざんすれば全て説明がつく」とも指摘されました。

 首相が言うことが絶対で、首相が何かを言えばそれに合わせる。首相答弁や政権の都合に沿って周りが答弁するだけでなく、公文書も改ざんされ、法案の根拠とする立法事実のデータまで捏造してしまうことが分かりました。この国では何かを調べようとすると、公文書や調査データが廃棄されたり、捏造されている可能性がある。何も信用できないですよね。信用できるのはもう、天気予報だけですよ。後から答え合わせができますから。安倍首相の言動とあれば、何でもかんでも肯定する“有識者”といわれる人たちも、いい大人なのにみっともないと思う。

 ――熱烈な支持者ほど、その傾向が強い。

 普通に考えれば、明らかにおかしいことまで擁護する。しかもメチャクチャな論理で。この状況はかなり特殊ですよ。この年まで生きてきて、経験がありません。

■安倍政権が知的エリート集団だったらとっくに全体主義

 ――第2次安倍政権の発足以降、「この数年で日本の未来が決まる」と警鐘を鳴らされていましたね。

 これほどの不条理がまかり通るのであれば、何でも許されてしまう。「ポイント・オブ・ノーリターン」という言葉がありますが、歴史には後戻りができない段階がある。そこを過ぎてしまったら、何が起きても戻れないですよ。今ですら、いろいろ恐れて怖くて政権批判はできないという人がたくさんいるくらいですから、全体主義に入ってしまったら、もう無理です。誰も声を上げられなくなる。だから、始まる手前、予兆の時が大事なんです。

 ――そう考える人は少なくありません。総辞職の山がいくつもあったのに、政権は延命しています。

 安倍政権が知的なエリート集団だったら、とっくに全体主義っぽくなっていたと思うんです。反知性主義だから、ここまで来たともいえますが、さすがにこれ以上の政権継続は無理がある。森友問題にしろ、加計問題にしろ、正直言って、やり方がヘタすぎる。絵を描いた人がヘタクソすぎる。こんなデタラメが通ると思っていたことが稚拙すぎる。根底にはメディアを黙らせればいける、という発想もあったのでしょう。

 ――メディアへの圧力は政権の常套手段です。

 実際、森友問題は木村真豊中市議が問題視しなかったら誰も知らなかったかもしれないし、昨年6月に(社民党の)福島瑞穂参院議員が安倍首相から「構造改革特区で申請されたことについては承知していた」という答弁を引き出さず、朝日新聞が腹をくくって公文書改ざんなどを報じて局面を突き破らなかったら、ここまで大事になっていなかった。一連の疑惑はきっと、メディアを黙らせればいい、という発想とセットの企画のように思う。本当に頭の良い、悪いヤツだったら、もっとうまくやりますよ。頭脳集団だったら、もっと景色が違ったと思う。
 だいたい、メディアに対する圧力は、権力が一番やってはいけないこと。でも、圧力に日和るメディアって何なんですかね。プライドとかないのでしょうか。政治的公平性を理由にした電波停止が議論になっていますが、止められるものなら、止めてみればいいじゃないですか。国際社会からどう見られるか。先進国としてどうなのか。できるわけがない。

■モリカケ問題は犯人が自白しない二流ミステリー
 ――安倍首相は9月の自民党総裁選で3選を狙っています。

 これで3選なんてことになれば、モリカケ問題は永遠に続くでしょうね。安倍首相がウソをつき続けているのだとしたら、国民は犯人が自白しない二流ミステリーを延々と見せられるようなものですね。  

 ――北朝鮮問題で“蚊帳の外”と揶揄される安倍首相は外遊を詰め込み、外交で政権浮揚を狙っているといいます。

 “外交の安倍”って一体なんですか? 誰かが意図的につくった言葉でしょうが、現実と乖離している。安倍首相が生出演したテレビ番組を見てビックリしました。南北首脳会談で日本人拉致問題について北朝鮮の金正恩(朝鮮労働党)委員長が「なぜ日本は直接言ってこないのか」と発言した件をふられると口ごもって、「われわれは北京ルートなどを通じてあらゆる努力をしています」とシドロモドロだった。あれを聞いた時、度肝を抜かれました。この政権には水面下の直接ルートもないのか。国防意識ゼロなんだ、って。

 ――中国と韓国が北朝鮮とトップ会談し、米朝首脳会談が調整される中、日本は在北京の大使館を通じてアプローチしているだけだった。

 ミサイルを向ける隣国に圧力一辺倒で、あれだけ挑発的に非難していたのに、ちゃんとしたルートもなかったことは恐ろしいですよ。それでミサイル避難訓練をあちこちでやって、国民に頭を抱えてうずくまれって指示していたんですから。安倍首相は北朝鮮の軟化をどうも喜んでいない気がする。拉致問題にしても、アピールだけで、本当に解決したいとは思っていないのではないか、と見えてしまう。拉致問題で何か隠していることがあり、そのフタが開くのが怖いのか。北朝鮮情勢が安定してしまうと、憲法改正が遠のくからか。

 ■萎縮して口をつぐむ作家ほどみっともないものはない
 ――内閣支持率はいまだに3割を維持しています。

 要因のひとつは、安倍首相が長く政権の座にいるからだと思います。あまり変えたくない、変えると怖いなという心理が働いたりして、消極的支持が増えてくる。政権に批判めいた話題をするときに、喫茶店とかで声を小さくする人がいるんですよね。森友学園の籠池(泰典)前理事長の置かれた状況なんかを見て、政権に盾突くと悪いことが起こりそうだ、なんだか怖い……という人もいるのではないでしょうか。マスコミの世論調査のやり方もありますよね。電話での聞き取りが主体でしょう。電話番号を知られているから、何となくイヤな感じがして、ハッキリ答えない、あるいは支持すると言ってしまう。ようやく、不支持率が支持率を上回るようになってきましたが、正味の支持率は今はもう、3~5%ぐらいではないでしょうか。

 ――政権批判に躊躇はありませんか。

 政権批判をして得はありません。ハッキリ言って、ロクなことがない。でも社会に対して、これはおかしいと思うことってありますよね。僕の場合、今の状況で言えば、そのひとつが政権なんです。この国はこのままだとかなりマズイことになると思っている。それなのに、萎縮して口をつぐむのは読者への裏切りだし、萎縮した作家ほどみっともないものはない。
 歴史を振り返れば、満足に表現できない時代もあった。今ですら萎縮が蔓延している状況ですが、後の世代には自分の文学を好きなように書いてもらいたい。それには今、全体主義の手前にいる段階で僕らが声を上げる必要がある。これは作家としての責任であって、おかしいことにおかしいと声を上げるのは、人間としてのプライドでしょう? それに、今の情勢に絶望している人たちが「この人も同じように考えているんだ」と思うだけでも、救いになるかなと思うんです。いろんな立場があるでしょうが、僕は「普通のこと」をしているだけです。 (聞き手=本紙・坂本千晶)

▽なかむら・ふみのり 1977年、愛知県東海市生まれ。福島大行政社会学部卒業後、フリーターを経て02年、「銃」でデビュー。05年、「土の中の子供」で芥川賞、10年、「掏摸〈スリ〉」で大江健三郎賞。14年、ノワール小説に貢献したとして米国デイビッド・グーディス賞を日本人で初めて受賞。16年、「私の消滅」でドゥマゴ文学賞。近未来の全体主義国家を生々しく描いた近著「R帝国」が「キノベス!2018」で首位。
 ≫(日刊ゲンダイ:注目の人・直撃インタビュー)


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掏摸(スリ) (河出文庫)
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●「戦後の国体と安倍長期政権」 昭恵夫人は皇后の倒錯

2018年06月18日 | 日記
国体論 菊と星条旗 (集英社新書)
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集英社

 

石橋湛山:思想は人間活動の根本・動力なり (ミネルヴァ日本評伝選)
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石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)
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●「戦後の国体と安倍長期政権」 昭恵夫人は皇后?の倒錯

今上天皇と安倍天皇、今上皇后と昭恵皇后。天皇制とホワイトハウス、安倍官邸とホワイトハウス。今の日本は“倒錯の時代”に突入しているのかもしれない。政治学者・白井聡が的確に、その実像に迫っている。今夜は時間がないので、AERAの参考記事を掲載しておく。

白井氏は、的確に、戦後の国体のメカニズムを短い言葉でまとめている。戦後の精神的敗北感と戦後復興、朝鮮特需、高度経済成長、その中で、日本の社会の支配層が構成され、その支配層は、すべからく、米国を天皇と見立てて生き、現在の地位を確立している。つまり、現在の日本の支配階級は、この米国天皇説の上に成り立っている現実だ。

つまり、このまま日本の支配層に任せて国を運営していれば、永久属国と云うことなのだろう。ただ、この永久属国論は、天皇が米国から中国に変ることをも暗示していることは、白井氏は語っていない。インタビュー記事を読んで興味を持たれた方は、白井氏の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)の購読をお薦めする。


≪政治学者・白井聡が語る〈安倍政権の支持率が下がらない理由とその背景〉

【白井聡(しらい・さとし) 1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。博士(社会学)。専門は社会思想、政治学。京都精華大学人文学部専任講師。おもな著作に『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版・石橋湛山賞、角川財団学芸賞受賞)など】

 森友・加計問題で次々と新事実が明らかになり、安倍晋三首相をはじめ、担当大臣や官僚が野党やメディアから徹底的に追及を受けている。だが、メディア各社の世論調査では、安倍内閣の支持率は38.9%(共同通信、5月14、15日調べ)で、倒閣運動が始まる「危険水域」の前で安定している。
 文書改ざんや国会での「記憶がない」「メモがない」発言など、国民への説明をかたくなに拒否する安倍政権が、なぜ支持を集めているのか。
 そういった問いに、正面から切り込んだ著書が話題を集めている。政治学者・白井聡氏の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)だ。発売から約1カ月で、政治の本としては異例の5万部を突破するベストセラーになっている。
 白井氏によると、今の日本人は「戦後の国体」に支配されているという。それは一体、どういう意味なのか。インタビュー前編。

* * *

──安倍政権とは、戦後日本の歴史でどのような存在なのでしょうか。

(白井聡氏、以下回答部分は同じ)
 これだけの腐敗と無能をさらけ出しているにもかかわらず、安倍政権が長期本格政権になってしまった。日本はすでに破局を迎えているのではないでしょうか。
 政権の常軌を逸したひどさが日々刻々と証明されてきたにもかかわらず、支持率の動きは底堅い。これが示しているのは、自分たちの社会が破綻しているということからも、劣悪な支配が進んでいるということからも目を背けている人々が数多くいる、ということです。
 新著『国体論 菊と星条旗』で論じたことですが、現代は戦前のレジームの崩壊期を反復している時代です。あの時代を今から振り返ると、「この時期の日本人て、何やってんだ? バカじゃないのか?」と私たちは感じるわけですが、崩壊期というのはそういうものなのでしょう。安倍政権もそれを支持してきた日本社会も、こうした時代にふさわしい状態にある。

──そのことと、「国体」とはどう関係するのでしょうか。

 端的に言うと、「国体」のなかで育てられた人間は、自由を知らず、民主制における政治的主体になり得ないのです。
 一般に国体と言えば、「万世一系」の天皇を家長とし、その子である臣民で構成された共同体という物語です。こうした家族国家観は、家族の間に支配はない、と「支配の否認」という心の構造を日本人に埋め込んでしまった。
 もちろん、戦前の国体は、敗戦を契機に粉砕されたことになっていますが、実際にはそれは戦後も途切れていないと私は考えています。
 では、「戦後の国体」とは何か。それは、敗戦後に米国が天皇に変わって頂点を占めるようになった支配構造です。よく知られているように、GHQは日本を円滑に統治し、親米国へと作り変えるためには天皇制を残すべきと決めました。それは、熱心な研究の末に彼らが得た結論でした。その結果、「米国に支配されている」という事実が曖昧なものになっていきました。
 やがてそれは、長い時間を経て「自発的に米国に従属し、かつ、そうしていることを否認する」という日本人を生み出しました。日本が世界に類をみない対米従属の国であるのは、被支配の事実を今の日本人がちゃんと認識していないことです。
 支配されていること、つまり不自由を自覚するところから自由への希求と知性の発展が始まりますが、そもそも支配されているとの自覚がなければ、何も始まらず、奴隷根性だけがはびこります。「支配の否認」を続けている限りは、日本はこの閉塞感から抜け出すことも、さらなる破局を逃れることもできないでしょう。

──安倍政権は米国との協調姿勢をアピールしています。

 安倍首相は、皇居にいる今上天皇よりも、米大統領を天皇のように扱っています。ゴルフ場で安倍氏がバンカーに転げ落ちた後、必死にトランプ氏に追いすがる姿は象徴的でしたね。こんな国辱的外交を「外交の安倍」などとメディアは評している。
 こういう具合に、対米従属レジームの親分である安倍首相が米大統領を権威として崇めることが当然視されている一方で、同じその親分は今上天皇の譲位の意思表明に対してどういう態度をとったか。
 退位をめぐる有識者会議では、日本会議系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」との発言があり、天皇が「批判をされたことがショックだった」と話していたことが、毎日新聞の記事で明らかになりました(宮内庁は発言を否定)。宮内庁筋からは「陛下の生き方を全否定するものだ」という最高度の非難の言葉も出てきた。
 さきほど言ったように、戦後国体はGHQが天皇制を利用することで形作られた、つまりは天皇と米国が一体化したような国体が生まれたわけですが、ついに日本の保守派にとって、天皇制の頂点を占めるものは明白に米国になったということです。
 だとすると、東京に居る天皇は何なのだということになる。存在意義がなくなってしまう。そうした文脈から昭恵夫人の言動を見ると、興味深いですよ。
 昭恵さんの「私は天皇陛下からホームレスまで誰とでも話しができる」という発言を知って、私は驚愕したわけです。これって、「私は日本国民の一番上から一番下までつながれる、上から下までみんな私を通してつながる」という話で、それはつまり「私は国民の統合をつくり出せる」と言っているわけです。首相が天皇(米国)の代官をやっているうちに、首相夫人は自分が皇后陛下だ、みたいな気分になってきたようですね。  
 こういう具合に、末期的症状はここかしこに見えてきています。しかし、だからといって、国体が自然消滅したりはしないでしょう。「戦前の国体」の最期がどういうものだったか、想い起すべきです。
 1945年の敗戦の時、国家指導層は「国体護持」のみをひたすら目指したために、犠牲を増やし続けました。明治維新から1945年の敗戦までが77年。そして、2022年には、戦後も同じ77年目を数えることになります。いよいよこれから「戦後の国体」の断末魔の時期に差し掛かって来るのではないでしょうか。
 続く


≪政治学者・白井聡が語る〈日本を再び破滅に導く「戦後国体」の正体〉
 北朝鮮が韓国、米国、中国など各国の首脳と次々に直接交渉を開始しているなか、日本の安倍晋三首相は「蚊帳の外」に置かれている。「外交の安倍」を自認していたにもかかわらず、激動するアジア情勢で主導権をまったく発揮できていない。なぜこんな状態になっているのか。
 政治学者・白井聡氏によると、そこにも「戦後の国体」に支配された日本人の呪縛があるという。そのことについて白井氏が分析した『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)は、発売から約1カ月で政治本としては異例の5万部を突破するベストセラーになっている。
 なぜ、日本人は「戦後の国体」に支配されているのか。また、その呪縛から解放される日は来るのか。インタビューの後編をお届けする。

* * *

──しかし、戦争に負けた日本は米国との同盟関係によって再出発し、復興を成し遂げました。

 その通りです。戦後の日本の再出発には、東西対立の状況下で論理的には3つの道がありました。一つはソ連の子分になる道で、これは最もとってはいけなかったし現実的でもなかった選択。二つ目が米国の子分になることです。現実に選択された道です。そして、三つ目の道が、どちらの子分にもならずに、独立自尊の新しい日本国家を作るという道です。
 三つ目の道を目指した政治家に、石橋湛山がいます。石橋は、戦後の保守政治家でありながら、戦前・戦中の言動以外の理由で唯一公職追放になった存在です。石橋は独立の精神が強く、GHQと進駐軍経費問題などで激しく対立したためにらまれたのです。米国からすれば、石橋が1956年に自民党総裁に選ばれ首相になったことは、悪夢だったはずです。しかし、石橋は病気のために約2カ月で退陣して、元A級戦犯の岸信介が登板。彼が60年安保という危機を乗り切って、対米従属路線を確定させました。「戦後の国体」の基礎が確立され、高度成長の軌道に乗ることができたわけです。

──「戦後国体の安定期」には、何が起きたのでしょうか。

 あるべき国家像が消えたということです。独立不羈の国を目指しても、現実には米ソ冷戦のまっただ中で日本中に米軍が駐留している。そんな現実に対する拒絶の反応は、70年代前半まではありました。それが、日米同盟の恩恵として高度経済成長を成し遂げたことで、同盟関係を傷つけてまで独立不羈(どくりつふき)の国になる道にリアリティーがなくなってしまった。対米従属を通して経済大国にまでなったわけですから。同時に、米国による支配の構造が不可視化されるに至りました。こうして戦後の国体は盤石の安定を得たということです。

──すでに冷戦は終わりました。今なら新しい形での「日本の独立」ができるのではないでしょうか。

 論理的にはその通りですが、それは簡単なことではありません。なぜなら「国体」は、人間の思考を停止させるからです。本来であれば、冷戦が終わった時期に独立についての議論が再び起きて当然でした。しかし、そうはならなかった。なにせ、被支配の現実が見えなくなったのですから、支配から脱しようという発想も出て来ようがない。こうして、もともと対米従属は敗戦の結果余儀なくされたものであり、復興のための手段であったはずが、自己目的化するに至ります。そうなると、自分の頭で考える能力も意欲も失われてきます。
 例を挙げると、日本人は北朝鮮に対して拉致問題の解決を強く求めています。もちろんそれは当然のことですが、あのひどい事件が起こされた背景としての朝鮮戦争がまだ終結していないという事実は、どういうわけか意識にのぼってこない。
 北朝鮮にとって直接の敵国が韓国と米国なら、米国と協力している日本は準敵国です。だから、拉致問題を解決する根本的方法は、戦争状態の終結です。ところが、小泉元首相の訪朝以来、どの政治家も米国や北朝鮮に戦争終結を働きかける努力をしてこなかった。
 いまも政府は、「核・ミサイル・拉致の包括的解決」を訴えていますが、朝鮮戦争を平和的に終わらせようとは政府の誰も言わない。つまり、「戦後の国体」の支配者層は、朝鮮戦争が終わることを望んでいないのです。終わってしまうと米軍駐留の理由のひとつが消滅してしまうからです。ことほど左様に、何が何でも自発的従属を続けたいということなのです。

──私たちが知らない間に刷り込まれている「戦後国体」から脱却するためには、どうすればいいのでしょうか。

 これは難しい問題です。一つ言えることは、「結局は個人の質にかかっている」ということです。森友・加計問題では、特定のメディアが追及を続けています。これは、組織で動いているというよりも、一人一人の記者が頑張っている。官僚からのリークもあると推察しますが、そうした行動は、「これではダメだ」という個人の信念に基づくものでしょう。伊藤詩織さんのように、レイプ事件を安倍政権によってもみ消されたという疑惑を、あらゆる嫌がらせに遭いながら訴え続けている人もいる。  魔法の薬はないのです。今日の社会の歪みを修正できるかどうかは、こうした筋を通すことのできる個人がどれくらいいるかにかかっているでしょう。

──二度目の敗戦を避けることはできないのでしょうか。

 3.11の原発事故からも明らかですが、私たちはもうすでに破産しています。しかし、先ほども述べたように、「戦後の国体」の受益者たちは、自らの権益を維持するために、国体を守り抜こうとするはずです。そのために社会や人々がどれほど不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。社会の側が止めない限り、彼らはそうするでしょう。
 天皇制に話を戻せば、天皇は退位に関する会見のお言葉には「私は象徴天皇とはかくあるべきものと考え、実践してきました。皆さんにもよく考えて欲しいと思います」との呼び掛けが含まれていました。穏やかな姿の中に、とても激しいメッセージが込められていたと私は理解しています。『国体論 菊と星条旗』は、この呼び掛けに対する私なりの応答でもあります。 「戦後の国体」から自由になって物事を考えるには、歴史を理解する必要があります。本を読んでくれた方が「考えるヒント」を得てくれたら、とてもうれしいです。(終)
 ≫(構成/AERA dot.編集部・西岡千史)

戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ (NHK出版新書)
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NHK出版

 

永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)
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講談社

 

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)
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●“虎の威を借る狐” その狐が世をたばかり狸に化ける

2018年06月17日 | 日記
熱狂なきファシズム: ニッポンの無関心を観察する
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河出書房新社

 

日本会議 戦前回帰への情念 (集英社新書)
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集英社

 

隷従への道―全体主義と自由
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東京創元社


●“虎の威を借る狐” その狐が世をたばかり狸に化ける

本日の見出しに書ききれなかったが、その狐と狸の化けの皮を剥ぎ取れば、当然のように安倍晋三の正体が現れる。安倍晋三という内閣総理大臣が、いま現在起きている「虚構の日本政府」のシナリオを書いているとは思わないが、シナリオに沿って忠実に演じているのは事実だろう。自分のしていることが、国家にどれだけの損害を与え、将来に禍根を残しているか、気にとめる風もない。おそらく、現実に起きている問題の本質など気にも留めず、ひたすら演じ続けているのだろうが、誰が、誰の為に、何が目的で政治が行われているのか、つくづく判らなくなっている今日この頃だ。

NHKニュースが大々的に安倍政権の“ことしの「骨太方針」”を閣議決定したと、長々と解説付きで報じている。先ずは読んでみよう。

 ≪「骨太の方針」閣議決定 財政健全化先送り 新たな在留資格創設
 政府は15日の臨時閣議で、ことしの「骨太の方針」を決定し、基礎的財政収支を黒字化するとした、財政健全化目標の達成時期を2025年度に先送りする一方、来年10月に消費税率を引き上げる方針を明記しました。また、深刻化する人手不足の克服に向け、外国人材の受け入れ拡大を図るため新たな在留資格の創設を盛り込みました。
15日に閣議決定された、ことしの経済財政運営と改革の基本方針、いわゆる「骨太の方針」によりますと、財政健全化に向け2020年度までに基礎的財政収支を黒字化するとした、いまの目標の達成時期をこれまでより5年先送りし、2025年度としています。
 一方で、来年10月の消費税率10%への引き上げを「実現する必要がある」として、引き上げ方針を明記し、これに伴う消費の落ち込みを抑えるため、来年度と再来年度の当初予算で、歳出削減の取り組みとは切り離して、財政出動を伴う経済対策を念頭に「臨時・特別の措置を講ずる」などとしています。
また、深刻化する人手不足の克服に向け、外国人材の受け入れ拡大を図るため、日本で働きながら学ぶ「技能実習制度」を修了した人など、一定の技能を持った人を対象に、業種を限定したうえで、最長で5年の在留を可能とする新たな在留資格の創設も盛り込みました。
 一方、安倍政権の重要課題である「人づくり革命」では、幼児教育・保育の無償化について、消費税率の引き上げに合わせた、来年10月からの実施を目指すなどとしています。
政府は、この「骨太の方針」に基づいて、来年度予算案の編成にあたることにしています。
*財政健全化
財政健全化に向けては、基礎的財政収支を黒字化する目標の達成時期を、これまでより5年先送りし、「団塊の世代」が75歳以上になる2025年度としました。
同時に、債務残高対GDP比の安定的な引き下げを目指すという方針は維持し、目標達成に向け、来年度からの3年間を医療や介護など社会保障制度の改革を進める「基盤強化期間」と位置づけています。
ただ財政健全化の鍵となる「社会保障費」の伸びを抑える目安については、引き続き「実質的な増加を高齢化による増加分に相当する伸びにおさめる」としながら、これまでのような具体的な金額を盛り込みませんでした。 ≫(NHK)


安倍政権の「骨太の方針」は、借金つけ回しであり、社会保障の充実とは縁遠いもので、保障を削る一方で、消費増税の税収が、他部門に流用されている疑惑が濃厚になっている。年々、意味不明な項目で税は上がっており、年金生活者の税負担は増加して手取りは減少している。つまり、総体的に税収は増加していなければならない筈だが、社会保障に回る税収は、鼻くそ程度に抑えられ、他に流用されている。人口減少社会で、高度経済成長を前提にしている、税の一体改革は絶望的であり、高額所得者や法人税の税負担にメスを入れ、高度経済成長支援目的の法人税や軍事費増強に当てられる税などのに切りこまない限り、日本の税の問題は解消しない。


 ≪内閣支持35%、4カ月連続減=「麻生氏辞任すべき」5割超-時事世論調査
 時事通信が8~11日に実施した6月の世論調査で、安倍内閣の支持率は前月比2.6ポイント減の35.5%で、4カ月連続の減少となった。不支持率は同0.4ポイント増の43.4%だった。一方、続投を表明した麻生太郎副総理兼財務相について辞任すべきかどうかを聞いたところ、「すべきだ」56.9%、「必要ない」29.1%だった。  支持率35.5%は2012年の第2次安倍政権発足以降、昨年7月の29.9%に次ぐ低水準。不支持率が上回ったのも4カ月連続だった。
 政府・与党内には、先の日米首脳会談など外交展開による支持率反転に期待もあったが、森友・加計学園問題に対する国民の不信感がなお根強いことが浮き彫りになった形で、安倍晋三首相は厳しい政権運営を強いられそうだ。≫

≪次期総裁、小泉氏トップ=自民支持層では安倍首相優位-時事世論調査
 時事通信の6月の世論調査で、秋の自民党総裁選に関し、次期総裁に誰がふさわしいかを尋ねたところ、トップは小泉進次郎筆頭副幹事長で25.1%、現職の安倍晋三首相は22.1%で3位だった。石破茂元幹事長は23.2%で2位となった。自民党支持層に限れば、首相が45.0%と他を引き離した。
 今年1月の「次期首相にふさわしい人」の調査では、安倍首相24.1%、小泉氏20.2%、石破氏15.6%の順で、内閣支持率下落と連動して首相が後退する一方、小泉、石破両氏が支持を広げた形。ただ、自民党支持層では、依然として首相が優位を保っていることが浮き彫りとなった。
 その他の候補は、総裁選への態度を明言していない岸田文雄政調会長が5.0%(4位)、出馬に意欲を示す野田聖子総務相が4.2%(5位)、河野太郎外相が2.1%(6位)と続いた。
 ≫(以上2記事:時事通信)


そもそも、高めの支持率が出る時事の世論調査だが、内閣支持率は4カ月連続で低下している。今後、朝日や毎日の世論調査の結果いかんでは、30%を切る支持率が噴出しそうだ。ありもしない、日朝会談に活路を見出そうとしているようだが、モンゴルで接触したなどと云うのは、半ばウソ情報で、歯牙にもかけられていない。ただ、国民の感情論に訴える戦術のようだが、早晩化けの皮が剥がれるか、北朝鮮ロケットマン金正恩に体よく利用されるだけだろう。

拉致被害者家族を出汁にして、日朝会談幻想を振りまくことで秋の総裁選まで生き延びようとしている安倍内閣だが、次々と噴出する、森友加計疑惑を乗り切ることが可能なのだろうか。筆者が懐疑的と云うよりも、このまま安倍晋三に三選を許すことは、わが国に甚大な損害を与えるものと考えるべきだ。イデオロギー的にも問題だが、外交安保、経済財政政策が共に、時代の大きな流れが目に入らない旧守政治であり、アメリカの孤立という時代感覚とグローバル経済の終焉を理解した方向感覚のない政治では、あらためて、我が国は時代の波に乗り遅れることになるのだろう。


国体論 菊と星条旗 (集英社新書)
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集英社

 

国体論はなぜ生まれたか―明治国家の知の地形図 (MINERVA 歴史・文化ライブラリー)
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ミネルヴァ書房

 

悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える (NHK出版新書 549)
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NHK出版
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●安倍官邸では、日本の外交安保・経済財政問題は乗り切れない

2018年06月14日 | 日記
ドキュメント 日本会議 (ちくま新書1253)
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筑摩書房

 

徹底解剖 安倍友学園のアッキード事件
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七つ森書館

 

日本会議とは何か: 「憲法改正」に突き進むカルト集団 (合同ブックレット)
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合同出版


●安倍官邸では、日本の外交安保・経済財政問題は乗り切れない

新潟知事選で首の皮一枚残った安倍首相だが、森友学園疑惑、加計学園疑惑に、次々と確信的新証拠が見つかっており、簡単に、森友加計問題にピリオドを打とうとする自民二階幹事長の思惑は外れたようである。大阪地検特捜部を抑え込んだ、森友学園公文書改ざん事件だったが、あらたに、贈収賄に繋がる惧れのある材料が浮上している。安倍首相が、政権の座にいる限り、エンドレスで、森友加計問題は追求され続けるのは確実なようだ。

誰がどのような角度から見ても、この二つの問題に、安倍晋三、安倍昭恵が深く関与していることは否定できず、どこかで、何らかの方法を駆使して、自分や自分の仲間たちの為に、国家権力を利用して、美味しい思いをしたに違いない。そう国民の多くが思ってしまった事実は、拭いようがない。なかば、日本の常識になりかけているわけで、強権一強安倍政権であっても、世間の風聞を消し去ることは不可能だろう。

アベノミクス経済政策も、日銀黒田との八百長紛いの株式、為替相場で、東証株価の上昇と輸出製造業の益出しに寄与したが、膨大な企業内の内部留保を積み上げさせただけで、GDPや本来の経済成長に寄与することはないのが現状である。つまり、アベノミクスで、国民の経済は、一分の成長を見せなかったのである。逆に、財務、厚労省の社会保障の負担増と福祉の切り下げで、家計にはマイナスを産んだだけなのが、アベノミクスなのだ。

このアベノミクスも終盤を迎えている。日銀の異次元金融緩和の出口戦略は、まったく見通しも立たず、お先真っ暗だ。また、トランプ大統領の保護貿易シフトにより、一方的な貿易黒字を出す自由貿易体制の先行きには暗雲が立ち込めている。世界の流れは、保護貿易的色彩を強くしていく傾向は強まる可能性が高く、経産省主導の自由貿易基盤のアベノミクスは終焉を迎えているということだ。無論、日銀の異次元金融緩和の課題を残したままなのだが。

外交安保は、上述の課題以上に厄介だ。今回の米朝首脳会談ひとつとっても、安倍(谷内・外務省)の外交安保思考では、絶対に泳ぎ切れないダイナミックでドラスティックな激しい動きになっており、過去問を解くような偏差値オタクには御しがたい時代がやってきたと認識すべきだ。思いもよらない、米朝首脳会談が実行され、形式的ではあるが、双方の、それぞれの課題を確認し合った会談は、やはり、歴史的会談である。クリントン、ブッシュ、オバマには出来なかったことを、トランプ大統領と習近平が成し遂げたのは、まぎれもない事実である。

実際に、北朝鮮が非核化をどれだけ進めて行くかは未知数だが、体制保障のお墨付きをもらった以上、相当の非核化に向けて行動を起こすだろう。風変わりなトランプ大統領だから出来た芸当だと、北朝鮮は充分に理解しているだろうから、トランプ大統領の確実な任期2年半の間に、目に見えた成果をみせて、多くの経済制裁の緩和を勝ち得ようとするだろう。北朝鮮が、多少の誤魔化しをしながらも、非核化へのプロセスを踏めば、世界もこぞって、北朝鮮開発をグローバル経済のフロンティア地域と位置づけ、怒濤の攻勢に出てくるのは確実だ。

この“北朝鮮開発をグローバル経済のフロンティア地域と位置づけ”は、グローバル経済最後のフロンティア地域になる可能性があるが、グローバル経済最後のあだ花を咲かせるかもしれない。筆者はグローバル経済の終焉論者だから、特段の興味はないが、経産省と経団連は興味があるだろう。しかし、この北朝鮮と云うフロンティア地域の開発に関与できるのは、韓国、米国、中国、ロシア、EUであり、日本の入る余地は殆どない。気がつけば、世界で一番遠い国になっている。

無論、トランプが言うように、北朝鮮のインフラ整備などの費用は、日本と韓国の金で実行すると言っているので、その範囲での仕事は増えるだろう。しかし、継続性のある事業への参入は、最後の最後になるのは確実だ。このような状況なのに、安倍は拉致問題を大上段に構えてきたわけだから、北朝鮮にしてみれば、交渉の席には就くが、結論は一番後回しにしてしまいたい相手国と云うことになる。金正恩委員長が安倍晋三を相手に交渉の席につくかどうかは、疑わしい部分だ。

次に問題になるのが、朝鮮半島における安全保障の問題だ。トランプ大統領の言うことだから、すべてを真に受けるわけにはいかないが、米朝軍事演習の縮小、在韓米軍の撤退。そして、それに伴う、在日米軍の縮小という構図は考えられないことではなく、ありうる。安倍首相や日本会議系の人々から見れば、米軍に代わる自衛隊の強化と云う図式で、再軍備方向に舵を取りたがる危険も増すだろうし、悩ましい部分だ。

この時点において、我が国は、重大な分岐点を迎える。重装備の軍事国家になるのか、平和外交に徹して、専守防衛の最低限の軍事力にとどめるか、思案のしどころだ。筆者は、少なくとも、これだけ東アジア情勢が流動的になっている時、何がどのような形におさまるか見定めるまで、憲法改正に着手するのは愚行と考える。平和国家で行くのか、重装備の軍事国家で行くのか、それを判断するには、あまりにも我々の国を取り巻く環境は流動的だと思う。


中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌 (NHK出版新書)
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NHK出版

 

アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図 (講談社現代新書)
高橋 和夫
講談社

 

近代日本の構造 同盟と格差 (講談社現代新書)
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講談社
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●懸念の声が圧倒的な米朝首脳会談と圧倒的な米軍事力

2018年06月13日 | 日記
追跡 日米地位協定と基地公害――「太平洋のゴミ捨て場」と呼ばれて
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岩波書店

 

日本会議をめぐる四つの対話
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ケイアンドケイプレス

 

断罪~政権の強権支配と霞が関の堕落を撃つ 次世代への日本再建論~
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ビジネス社


●懸念の声が圧倒的な米朝首脳会談と圧倒的な米軍事力

「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」にまったく触れてもいないドタバタで付け焼刃のような米朝首脳会談が、あっけなく終わった。“違反者同士の会談”、“両者はUターンの達人”、“北朝鮮は対価なしに世界的な認知を得た”、“北朝鮮お得意の時間稼ぎの罠に嵌った”等々、米朝共同声明を読んだ世界の人々から懸念の声が聞かれた。

たしかに、過去の6か国協議などにおいて、北朝鮮の「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」は、裏切られてきた事実がある。過去の北朝鮮の非核化に関する6か国協議の約束への裏切りに対して、軍事オプションと云うペナルティはなかった。しかし、今度の二国間(米朝)の約束への裏切りには、暗黙の中、裏切には軍事オプションがついて回っているのは確実だ。

つまり、6か国と云う曖昧な“同床異夢”なコミットと、今回の米国、北朝鮮2ヶ国のコミットは、曖昧なようで、曖昧なままでも、怪しいと思ったら「裏切り」と決めつけて、軍事オプションに切り替えるというトランプ大統領の乱暴な意志が通底していると筆者はみる。6か国協議とは違い、米朝の取り決めだから、米国の、いや、トランプの意志ひとつで軍事オプションを選択できる状況と解釈すべきである。

トランプ大統領にしてみれば、残された任期の2年半以内に、それ相当の 「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」が“見える化”されていないことには、再任に支障をきたすわけで、非核化の進捗を速めるよう、常にメッセージを発信するだろう。そして、早ければ、年内にも、その進捗への検証を行い、軍事オプションの選択を片手に、精査するに違いない。

日本政府、つまりは安倍官邸及び外務省は、現地に、谷内国家安全保障局長や金杉アジア太洋州局長を張りつかせ、米側とのすり合わせを試みたが、ほとんど無視されたようである。そして、太平洋上を飛んでいる飛行機の中からトランプ大統領に、「拉致問題は金正恩委員長に伝えたので、あとは、日朝で直接対話してくれ(これ以上の面倒はみられない)」と言われたのは確実だ。世紀の会談のテーブルの片隅に乗せた話題が高価な請求書が送られてくるのは確実と云うことだ。

完璧に、安倍外交(谷内外交)の失敗である。ここで言う、日朝間のパイプと云うものは、現状なきに等しい状態で、中国か韓国に仲介の労を願い出るしかないのが現実だ。尖閣で角つき合わせている中国か、慰安婦問題で捻じれたままの韓国、この両国に頭下げる羽目に陥ったということだ。日本会議やネトウヨさん言質から行く限り、許し難い恥辱的外交であり、到底容認できない筈なのだが、現実は、どうなるのだろう。

日朝関係と云う以上、日本側の事情だけではなく、北朝鮮側の事情もある。 徹底的な制裁の強化と完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)を断固要求し続けていた日本の話に、たとえ中国や韓国の仲介があったからと言って、容易に関係改善を望むとは思えない面が多い。安倍が首相でいる限り、北朝鮮は日本政府の接触に簡単に応じるとは思えない。拉致被害者家族をおかずにして外交を弄んでツケである。自民党は、そう云う意味では安倍三選への障害をひとつ増やした。

新潟知事選の花角候補の勝利で1ポイントゲットしたが、米朝会談で1ポイントロスしてしまった。米朝会談で、影が薄くなったが、モリカケ疑惑では、幾つかの新事実や証拠も見つかり、野党側は、新潟の敵とばかり、かさになって安倍政権を揺さぶることになる。新潟知事選の花角候補の勝利で、自民党総裁選の三選盤石と思ったが、永田町の運命は、目まぐるしく変化しているようだ。週明けは、強行採決の嵐になるのか、或いは会期延長になるのか判明するだろう。

出来ることなら、自民党の議員らも目を醒まして欲しいものである。外交も経済政策も、安倍官邸に任せていたら、頓挫するのは確実だし、モリカケ疑惑は永遠に国民の目から逃れることは出来ない。北朝鮮問題だけの「蚊帳の外」ではなく、日本全体が、世界の経済、安保外交の領域でも、「蚊帳の外」にされかねないのが現実だろう。本当に、自民党議員から、目覚めて貰いたいものだ。当分衆議院選のない今こそ、逆らうチャンスはなのだ。


≪ 非核化、時間稼ぎの恐れ 米朝共同声明で道筋示せず  
【シンガポール=恩地洋介】トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長は12日の首脳会談で非核化への「検証」に触れず、弾道ミサイル廃棄への言及もなかった。米国が求めてきた「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」にはほど遠い。北朝鮮がもくろむ時間稼ぎの懸念が強まっている。
 共同声明は北朝鮮の核問題を巡り、南北首脳が4月の板門店宣言で目標として掲げた「朝鮮半島の完全な非核化」を再確認するにとどまった。非核化を終えるまで「対北朝鮮制裁は継続する」としたものの、国際社会の制裁網が緩むのは避けられない。
 声明からは「完全な非核化」の道筋はみえない。トランプ政権はかねてCVIDを対北朝鮮の方針に掲げていた。
 ポンペオ国務長官は11日にも「CVIDを求める方針は変わらない」と言い切っていた。米朝首脳会談の成功を印象づけるためにトランプ氏が非核化で大幅に譲歩した側面は否めない。
 日本政府は北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れに動くのを期待していた。声明に「検証」の文字すら見当たらない。
 トランプ氏と盟友の安倍晋三首相は米朝首脳会談を評価せざるを得ないが、専門家の間には「よくこんな声明の内容をトランプ氏はのんだな」という驚愕(きょうがく)の声もある。北朝鮮と交渉した経験がある日本政府の元高官は北朝鮮ペースで進む米朝交渉は国際社会にとって「惨事」になりかねないと心配する。
 「非核化の完了には10年近くかかる」というのが専門家の見方だ。トランプ氏も記者会見で「完全な非核化には時間がかかる」と認めた。いったん約束をした後、因縁をつけてほごにする――。四半世紀にわたって繰り返された北朝鮮の時間稼ぎが再現されるのでないか、との疑念は根強い。
 非核化合意が空証文に終わった代表例は2005年の6カ国協議の共同声明だ。すべての核兵器や核計画の放棄に踏み込んだ。履行期限や手順を定めなかったため、不履行を招いたとする教訓があったはずだ。
 共同声明やトランプ氏の記者会見で、米本土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)や、短中距離弾道ミサイルの廃棄も言わなかった。
 トランプ氏の任期は2021年1月まで。2年半後には新たな大統領が選ばれている可能性もある。北朝鮮がそれを見極めるまでに本気で非核化に取り組むとは考えにくい。
 11月の米中間選挙で与党、共和党が負ければ、トランプ氏の求心力は低下する。北朝鮮が核開発の動きを再開するシナリオは十分あり得る。
 トランプ氏は首脳会談後の記者会見で、金委員長の非核化への姿勢を激賞したが、周囲の評価は正反対に近い。米朝首脳会談を経て北朝鮮の核問題は進展するのか――。そんな不安な空気が漂っている。
 ≫(日本経済新聞)


 ≪ 朝鮮半島の激変に備えを
 朝鮮戦争の休戦から65年。戦火を交えた米朝のトップが12日、シンガポールで握手した。つい半年前まで、核実験や弾道ミサイルの発射で双方は緊張状態にあった。これほどの米朝接近を、誰が予想しただろうか。
 トランプ大統領と金正恩(キム・ジョンウン)委員長による首脳会談の焦点は、金委員長が体制のよりどころである核を本気で放棄する意志があるかどうか確認することだった。残念ながら、結果は安堵ではなく懸念が先に立つ内容だったと言わざるを得ない。
 「朝鮮半島の完全な非核化」こそ共同声明に盛ったが、いつまでに、どうやって放棄するかなど細部は今後開く米朝高官級協議に委ねるという。対話が続く間は、金委員長は一息つける。時間稼ぎを図り、日米韓の言動に難癖をつけ、見返りを求めてくるだろう。
 完全かつ検証可能で不可逆的な核放棄どころか、時間切れでトランプ氏が大統領を退くかもしれない。「それが金委員長の狙いだ」とみる専門家は少なくない。
 一方で、絶対権力を持つ独裁者が、世界一の軍事力を擁する国の指導者に直接、非核化を約束した事実をあまり過小評価するのも適切とはいえない。ウソをつくなら再び軍事オプションも選択肢に入れた「最大限の圧力」が待っている。トップダウンで進める非核化プロセスは、これまでと違い進展をみせるかもしれない。少なくとも、それを全否定する材料も、今はない。
 おそらく間違いないのは、好ましい方向と悪い方向のどちらにも、朝鮮半島情勢が大きく動く可能性がでてきたということだ。  仮に北朝鮮が核武装すれば、日米が防衛力を強化するのは間違いない。中国がそれを座視するとは思えない。軍拡の動きが懸念される半面、韓国の革新政権は北朝鮮にすり寄る形での緊張緩和に動きかねない。日米韓の分裂である。
 反対に、核問題が解決に向かうなら、米朝関係は国交正常化が視野に入る。拉致問題の解決にむけた日朝交渉も始まるだろう。国際社会の北朝鮮支援や開発投資も本格化する。同時に在韓米軍の縮小など、安保環境が激変する望ましくない動きも現実味を増すかもしれない。
 北朝鮮をめぐる核問題は今後、日韓両国に加え、米国を中心にした世界秩序に挑む中国、ロシアも絡むパワーゲームの様相を呈するはずだ。世界の成長センターである東アジアの平和は日本にとって死活問題。日本は局面の変化に敏感であるべきだ。
 米朝首脳会談が実現するまでの間、日本は不安な視線で成り行きを見つめざるを得なかった。当事者なのに主役になれないのは、安全保障を米国に頼る宿命である。
 しかし、トランプ氏が期待する北朝鮮への経済支援で日本は、脇役以上の存在だ。日朝交渉では主役そのものである。情勢を分析し、国内世論をまとめ、外交力を発揮して国益を守らなければならない。安倍晋三首相に備えはあるだろうか。
 ≫(日本経済新聞)

広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM (集英社新書)
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集英社

 

ジョン・ロック――神と人間との間 (岩波新書)
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岩波書店

 

となりの少年少女A
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河出書房新社
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●新潟知事選 或る意味、日本の命運を含む選挙の可能性

2018年06月10日 | 日記
北朝鮮は「悪」じゃない (幻冬舎ルネッサンス新書)
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幻冬舎

 

朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか (「戦後再発見」双書7)
五味 洋治
創元社

 

偽りの保守・安倍晋三の正体 (講談社+α新書)
岸井 成格,佐高 信
講談社


●新潟知事選 或る意味、日本の命運を含む選挙の可能性

東京地方はスッキリしない天気だが、さっき電話で確認したところ、新潟地方は“晴れ時々曇り”と云うことなので、無党派層の投票行動を促しそうである。無党派層の支持を見る限り、4割が池田候補で、2割が花角候補になっているので、金曜日までの横一線情勢に、天候が好影響を及ぼすのではと、池田陣営は期待しているようだ。

最終的には、午後8時以降の開票速報を待つことになるが、案外、早々に、当選者が決定する可能性もありそうだ。特に、終盤になって、原発再稼働の是非が焦点化してきており、池田陣営が反原発を鮮明にしたため、花角陣営の“曖昧戦術”が原発推進のように受けとめられているのが痛い。また、人手不足の影響で、景気と雇用を重視する層が減っていることも、与党陣営に影を落としているようだ。

まぁ、午後8時、嫌いなNHK選挙速報を見逃さないようするとしよう。選挙は魔物だ、何が起きるか判らない、予断を持たずに結果を待とう。ただ、この新潟知事選の影響は、秋の自民党総裁選に大きな影響を与えるのは確実と云う点では、国政選挙に近い影響力を持つ選挙になってしまった。個人的には、安倍総理の三選は、国政を歪ませ続けるわけで、内政外交両面において、国難を重症化させると認識しているので、安倍総裁を勢いづかせる結果は望ましくないと考えている。

おねだりするようにして、日米首脳会談を行い、拉致問題を米朝首脳会談に無理やり“拉致問題”組み込むことを懇願したのだろうが、日本では米朝会談で協議するとなっていたが、実は、単に提起するにとどまっているようだ。つまり、金正恩に対して、日本の安倍が拉致問題を気にしているよ、と伝える程度の話のようで、当然、朝鮮戦争の終結と、“北朝鮮の非核化”と“朝鮮半島の非核化”の鬩ぎあいが中心で、その場で、日本人の拉致問題が議論されるのは、不自然である。

どうも、日本の外務省主導の外交には、嘘が多過ぎる。多くの外交文書にしても、外務省が公表する日本語と原文の英語の間に齟齬があり、常に国内向け報道文書を、僅かに歪曲乃至は捏造している印象がある。拉致問題について、G7首脳の理解を得たと、日本政府は発表したようだが、拉致問題が重要だという言い回しに、面と向かって反対する各国首脳がいるわけはない。決まりきった答えを得ようとしただけで、意味はない。

しかし、それにしても、G7って、これからの世界にとって、どのような位置づけの会議なのだろう。英国、米国、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7カ国。先進国首脳会議と云うことのようだが、カナダを除けば、第二次世界大戦の戦勝国敗戦国が入り交じり、20世紀の列強国という按配になっている。必ずしも、経済大国が基準値でもなく、文化的先進国かどうか、相当に怪しい。ロシアを復帰させても、やはり、20世紀の遺物・列強国の印象はぬぐえない。

どこか、骨董品屋の店先に並べられている国もあるようだ。英国、フランス、日本、イタリアなどは、衰退の道に入り込んでいると言っても過言ではない。現在では、先進7か国財務大臣・中央銀行総裁会議に関してはG7の枠組みで活動していることから、通貨協議会のような印象を強めている。英国、フランス、日本、イタリアの衰退と、米国の保護貿易宣言は、自由貿易の限界点を露呈したことは確実で、今後のグローバル経済の先行きに影響を及ぼすのは確実な情勢だ。

このような現象で、一気に自由貿易体制が崩壊するわけではないだろうが、頂点は既に過ぎたことを暗示している。その意味で、米国トランプ大統領の保護貿易体制への方向転換は、多方面に影響を及ぼすだろうが、外需で国家を支えるという旧態依然のモノの考えが、正論ではなくなるという事実を提示もしている。そのような時代に入りつついま、日本の安倍政権の中枢には、旧通産省的思考、旧外務省的思考の人物たちが中心に座っていることを考えると、おぞましい気分になる。

しかし、戦後70有余年、自由貿易体制と東西冷戦構造で生きてきたエリート達にとって、この二つの柱の衰退は指標を失いことで、激しい抵抗があるし、頑強に自国だけで踏ん張ってしまう恐れも充分にある。これらの勢力には、既得権勢力がバックになって、体制の維持に努めるので、そういう国は、必ず時代に取り残され、自暴自棄になることを歴史が証明している。

安倍首相が、世界各国を物見胡散で外遊しながら、聞きかじった「普遍的価値の共有」を口走っていたが、その肝心の安倍がうろ覚えした「普遍的価値」が、軋みながら形を歪ませているのが、いま現在だ。日本の哀しい現実は、この西洋的な「普遍的価値」にコミットして、現在の地位を確立した、政界官界財界の権力者であり識者なのだから、普遍的価値が歪んで、異なる価値に変わろうとしていても、未知の価値にコミットする冒険をする者は少ない。結局は、気がつくと周回遅れになる。

おそらく、「空気」で世間も国家も動いている日本のような国は、常に世界の動きから周回遅れになる運命体なのかもしれない。10年後、20年後、保護貿易、孤立主義が主流の世界になった時、安倍政権を支持擁護するような勢力が権力を維持していた場合は、相当無謀な行動を起こす危険は増すだろう。筆者は、個人的だが、定常経済、保護貿易、孤立主義が主流の世界が来ると考えているので、この世界の流れに逆らうような勢力に、権力は持たせたくない。自国民の平和のためにも、近隣諸国に平和のためにも……。


文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)
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集英社

 

自由貿易の罠 覚醒する保護主義
中野剛志
青土社

 

「Gゼロ」後の世界―主導国なき時代の勝者はだれか
イアン・ブレマー
日本経済新聞出版社
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●トランプ・拉致は安倍の願い 田崎・総理の願いは日本の願い

2018年06月09日 | 日記
拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々
蓮池 透
講談社

 

グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命 (朝日新書)
エマニュエル・トッド
朝日新聞出版

 

朝鮮戦争(上) 血流の山河 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


●トランプ・拉致は安倍の願い 田崎・総理の願いは日本の願い 

羽鳥モーニングショーを観ていたら、安倍が、慌てふためいてトランプに会いに行って、金正恩と会って話す時、日本人拉致問題の話をして欲しい、と執拗に懇願した件に関して、トランプは、晋三が個人的に、また政治的意味合いで、(拉致が)重要な案件なのなら、取りあえず話すよ、というったことに関しての、田崎史郎の解説を聞いていたら「安倍総理の願いは、イコール日本人の願いと云う意味」という趣旨の発言をした。

冗談ではない、あの嘘つき右翼安倍の、個人的願いが、日本人の総意(願い)だと云う田崎の解説は異様だ。半ば気が狂っている。田崎の考えは、まさに国家主義全体主義の感覚なのだが、どうも、安倍勢力の人間たちの精神に通底しているようだ。安倍の考えは、日本人の考え。安倍の利益は、日本人の利益。そのうち、“安倍(朕)は国家なり”などと解説しないとも限らない羞恥心のなき御仁だ。

そもそもが、今回の米朝会談開催の主目的は、朝鮮戦争の終結が表看板だ。つまり、メインプレーヤーは南北朝鮮であり、オブザーバーが米中と云う構図だ。ついでに、金体制の安全の担保と核ミサイル問題を討議しようという場である。主目的は、朝鮮戦争の終結。そして、朝鮮半島の安全保障問題と云うことだ。これだけでも十二分に厄介な交渉である、この課題に対して、当事国以外が、足し算や引き算を要求することは、国際的には、外交音痴と蔑まれる。

しかし、安倍首相や外務省の面々は、いっぺんに解決しそうもない日本人の拉致問題を加えろと、総理大臣が、トランプ詣でをしたのだから、あきれた話である。悪名高きトランプ大統領も、“SHINZOU何を言っているんだ?”になったに違いない。どうして、今度の世紀の会談で、米国は北朝鮮と、日本人の拉致問題を話さなければならないのか、その意味がわからない“と遠回しに話したに違いない。このトランプの疑問は、国際交渉では、当然の疑問であるからだ。

そこで、国務省は、後々、北朝鮮の復興等々で、日本に金を出させる都合があるので、何とか上手いことまとめようとした苦心の答えが、トランプ大統領のツイッターに表れている「米朝首脳会談で 日本人拉致問題を協議する この問題は安倍総理にとって 個人的に需要な問題であると 認識している」としたわけだ。苦肉の策だが、朝鮮半島の終結や北朝鮮復興には、朝鮮戦争終結の戦後補償が重要になるのだから、財布は幾つもある方がベターだ。それが、アメリカの考えだ。

その上、更なる“バイ・アメリカン”を約束した報道もある。田崎は、「この間の約束を、再度言っただけ」と解説していたが、おそらく違う。安倍は、更なる購入を考えるから、私の願いも叶えてくれ、と発言したに違いない。金正恩ロケットマンの答えは、ほぼ想像がつく。「あの厚顔無恥で無礼な物言いの日本の右翼首相と話すつもりはない。正しく、国際基準の歴史認識が出来る首相が現れたら、我が国も全力で、日本人の拉致問題の解決に尽力する」と答えるのは目に見えている。

場所は変るが、G7の席上でも、トランプ米国大統領の自己主張は続く。フランス・マクロン大統領は「(米国が孤立する)6+1という(対決)構図を排除すべきでない」と米国に強く反発した状況に、トランプ大統領が腹を立てたかどうか判別できないが、“もう俺はシンガポールに行かないと”とばかり、G7を途中退席してしまった。返す刀ではないが、記者団の質問に対して、「ロシアもサミットに参加させるべきだ」と発言。

どうも世界全体の構図が変りつつあるようだ。世界で一番鈍い外交センスの、日本の外務省は、この変化を肌で感じているのだろうか?感じてはいても、手立てが判らないのかもしれない。朝鮮戦争の終結と云う歴史的事実は、その後の、連鎖的に東アジアの安全保障の枠組みも変っていかざるを得ないだろう。朝鮮国連軍という構図は、徐々に解消しなければならないだろう。米国は米韓相互防衛条約に基づき在韓米軍としては駐留を続けることは可能だが、現在の規模のままの米軍の駐留を北朝鮮が飲むとは思えない。戦争が終わったのだから、それなりの規模でと云う要求は正論だからだ。

そうなると、在韓駐留米軍を玉突きのように、日本駐留に置きかえ、駐留経費を過大に要求してくるつもりではないのか、色々と悩みは尽きない。日本は米軍と自衛隊で満員になるそうだ。筆者の個人的観測としては、金正恩ロケットマンは、“北朝鮮の非核化だけじゃフェアーじゃないよ、韓国や日本の隠れた核も非核化の中に入れて貰わないと”と一応は主張するのではないかと考える。もっと高飛車な要求であれば、駐韓米軍の撤退を要求するかもしれない。(まぁ、今さら、タカピー発言する経済情勢ではないことも考えられるが。)この時も、日本は、玉突き事故にでも遭ったような騒ぎになるのは必定だ。いずれにせよ、そのような状況において、安倍がトップでは悲惨すぎる。


 ≪G7開幕、トランプ氏は途中退席へ 各国の批判に反発か
 主要7カ国首脳会議(G7サミット)が8日、カナダのシャルルボワで開幕した。会議の前から、米国の高関税措置やイラン核合意の離脱方針など「米国第一主義」に対する批判が噴出。これに対し、トランプ米大統領は閉幕前に席を立つと発表した。会議の共同声明を出すことが難しくなるかもしれない状況だ。
 米ホワイトハウスは7日夜、トランプ氏が予定を早めて米朝首脳会談のためにシンガポールに発つ、と発表した。気候変動などの会合は大統領副補佐官らに代理出席させ、トランプ氏は欠席する。だが、本音のところでは、トランプ政権に対する各国の批判に反発した可能性もある。
 この発表の前、フランスのマクロン大統領は記者会見で「我々は自分たちの国益と主権を守る」と強調。「前言を撤回すべきは、欧州でもカナダでも日本でもない」と述べた。米国が自国以外のG7参加国に課した鉄鋼・アルミ製品への高関税措置や、イラン核合意からの離脱方針などの撤回を要求したものだ。
 「(米国が孤立する)6+1という(対決)構図を排除すべきでない」とも述べ、米国以外で結束する構えまで見せた。  カナダのトルドー首相も7日の記者会見で高関税措置について「カナダとフランスは長年、米国と最良の同盟関係にあったのに、それが安全保障の脅威になるとは滑稽だ」と批判した。
 一方のトランプ氏はツイッターで、欧州連合(EU)やカナダが巨額の関税を米国に課してきた、などと応酬。8日は「カナダは乳製品に270%の関税をかけている!」「我々の農家にとって公平ではない!」とつぶやいた。
 さらに記者団には「ロシアもサミットに参加させるべきだ」と発言。ロシアは2014年のクリミア半島併合を受けてG8から排除されている。トランプ氏は会議を始める前から欧州側との溝を鮮明にしている。(ケベックシティー〈カナダ〉=疋田多揚、杉山正)
 ≫(朝日新聞デジタル)


日本会議 戦前回帰への情念 (集英社新書)
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集英社

 

公文書問題 日本の「闇」の核心 (集英社新書)
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集英社

 

檻の中のライオン
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かもがわ出版
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●選挙を棄権すると云うことは 棄権した人々の権利が収奪される

2018年06月07日 | 日記
主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿
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集英社クリエイティブ

 

こんな日本をつくりたい
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太田出版

 

憲法が生きる市民社会へ
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日本機関紙出版センター


●選挙を棄権すると云うことは 棄権した人々の権利が収奪される

安倍政権のモラルは、権力を維持するゲームと私的な利権構造の中にある。民主党が、官僚のサボタージュにより、無惨なかたちで下野して以降の日本の政治は醜悪なものになった。そもそもは、松下政経塾の出身の野田佳彦が、死に体政権を放棄するための”かたち作り”に、“社会保障と税の一体改革”等と云うネーミングで妥協して、下野を承知の自爆解散をしたことに端を発している。

個人的な印象だが、鳩山由紀夫と云う理想主義的夢想家が、小沢一郎との連携を強化を嫌ったことによって、09年の日本の政治史にきらめく筈だった、政権交代の地図を消し去った。今さらだが、あの時、鳩山が、連合や松下政経塾勢力と手を結んでいなければ、日本の政治は大きく変わっていたものと思われる。少なくとも、日本会議と経済界の政治にはならなかった。当然、安倍晋三は腹痛で死んだままで済み、自民党は石破が総裁になっていただろう。

しかし、現実は違っていた、世にも不思議な物語だ。菅直人が、官邸の統治機能をガタガタにしてしまい、官僚機構が好き勝手に動く癖を助長した。無論、他のことに目配りの出来ない、東日本大震災が起きた事情もあるが、本質的には変らないだろう。その後、菅の後を引き継いだ野田佳彦は、財務省と組んだ。そして、“社会保障と税の一体改革”で、安倍自民党と握った形で解散総選挙に出た。その時点で、民主党の下野は、決定的だった。税の方は消費税5%から8%まで上げられ、10%も射程に入っている。一体で改革するはずだった社会保障は国民に痛みを強いるのみである。

思えば、政権交代が起きた09年の衆議院選挙という国政選挙の投票率は、69.28%だった。その後、有権者、特に無党派の政治離れは急速に進み、12年総選挙では、戦後最低の投票率59.32%に落ち込んだ。その後、安倍政権下での総選挙では最低を更新、52.66%、53.68%となっている。衆議院選挙で、投票率が50%台になってしまえば、民主主義選挙は構造的に、民主的制度ではなくなる。つまり、利益団体の政治集団が勢いを増すのは常識になる。

50%前後の投票率になると、結果的に、有権者全体の20%を切る支持でも、その政党は政権政党になれると云う、不思議なことが起きてしまうのが小選挙区制度なのである。しかし、今ここで、選挙制度を云々を議論しても意味はないわけで、投票率を70%に近づける、何かが必要になると云うのが、我が国の民主主義の課題なのだろう。

昨日のコラムで、国民投票は、さすがに70%程度になると書いたが、衆議院選も、このレベルの投票率を確保しないと、一定の政治プレッシャー勢力の互助装置として政権が動き、政治は、その方向で進まざるを得なくなる。このような欠点だらけの政権が、現在目の当たりにしている安倍政権なのである。このまま、有権者が坐して死を待つ気持ちのままでいると、金持ち優遇のまま税制は動き、社会保障費の負担は増え、現実の社会保障は減らされると云うの筋書きが実行される。

それだけなら、臥薪嘗胆、頑張る手が国民に残されるのだが、このような投票率が続くと、政権にイデオロギー的な動きが起きてしまう。有権者全体の20%を切る支持で政権の座に就ける事実は、官僚機構、日本会議的有権者、経団連、商工会、警察・検察・裁判所等々の各イデオロギーの実現国家になる危険が生じ、早い者勝ち競争のような自己矛盾した、イデオロギー(利益追求)の混在国家が誕生する。

まさに、安倍政権の姿が、それを具現化していると考えて良いだろう。これらの望むものを与え続ければ、国民そのものを、その利益追求に献上するしかなくなるわけで、随所で、棄民な政策が実行されることになるだろう。投票率の低下が引き起こす問題は、単に、固定票を持った自民党が勝つだけではなく、上述したような組織票を優遇することなので、国家財政の財布の中身が限定されている以上、政策は棄民政策にならざるを得ない。

多くの国政選挙を棄権に回る有権者は、“どうせ政治なんて変らない”という心境なのだろうが、上述のように、投票率の低い選挙が続くと、“変らない”ではなく“変るのだ”ここが一番の問題だ。無党派が投票行動を起こさないと、政治は変らないのではなく、変るのだ。その変わりようは、棄民政策の方向に変るのだ。つまり、無党派層の利益を代表する圧力がないのだから、圧力勢力に利益を分配するために、無党派層の利益を収奪する政治が行われる。

超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)
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岩波書店

 

日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
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集英社インターナショナル

 

超国家主義 (単行本)
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筑摩書房
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●森友事件はこれからだ 従犯のみ、起承転結なき財務省調査

2018年06月06日 | 日記
ニッポンの裁判 (講談社現代新書)
瀬木 比呂志
講談社

 

断罪~政権の強権支配と霞が関の堕落を撃つ 次世代への日本再建論~
村上 誠一郎,古賀 茂明
ビジネス社

 

検察の正義 (ちくま新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房


●森友事件はこれからだ 従犯のみ、起承転結なき財務省調査

日本会議やネトウヨであっても、憲法改正と云う大目標があるのであれば、嘘つきの安倍晋三を頭に据えて、ことが成就すると考えているのなら、それは大きな間違いだ。有権者の目を欺いて、憲法改正を企てるには、合理的に正論を吐いているように見えるシンボルが必要なわけである。そのシンボルにしようと企てた政治家が、みすぼらしい私利私欲に走り、“汚れたシンボル”の烙印を押されているのだから、考えた方が良いくらいだ。

まぁ日本会議や日本青年会議所、もろもろの明治回帰勢力に親和的に動く政治家など、安倍晋三以外いないだろうから、汚れて腐臭が漂っていても、もうこの“汚れたシンボル”を抱えて心中するしかないと、腹を括っているかもしれない。しかし、日本の有権者も馬鹿ではないので、一般の国政選挙と違い、「国民投票」となると、目新しさも手伝い、大いに関心を寄せるだろうから、5割を切る投票率は考えにくく、投票率70%程度を想定すべきだ。

日本会議・安倍晋三のセットの岩盤支持率なんて、10%もないわけだから、実は、かなり苦しい。ただ、明治回帰の方が、今以上に生活環境や社会的地位が上向く職業や業界もある。民主主義の三権に関わる人間、警察・検察、安保関連に携わる人間(自衛隊員含む)、神社関係者、教職者の一部、経済界等々は、明治回帰で潤う連中とも言えるので、10%上積みで、合計20%の基礎票を持つかもしれない。

70%の投票率と考えると、残りは50%だ。おそらく50%の8割は、安倍晋三が手を加える憲法と云う印象から、明治回帰などトンデモナイと考えるだろうから、40%が反対になる。残りの10%は曖昧だが、半々とみて、45:25と云う投票結果が見えてくる。自民党は広告や放送利権を有効に使って、この比率を5%変えることはあり得るが、それでも40:30が精々なので、国民投票で否決される。不正義の限りを尽くして、憲法改正の発議にまで辿りついた自民党が、第一回の憲法改正で駄目出しを喰らうことは、今後永遠に彼らが望む“明治回帰”憲法改正の夢は絶たれる。神社本庁も思案のしどころだ。

冒頭に見出しの話だが、麻生財務相は、あいかわらずふんぞり返って、謝罪会見をしたようだが、自分の責任の取り方がセコイ。170万返上などとは、笑止だ。あの男の一晩の飲み代ではないか、馬鹿々々しい。佐川が500万失うなら、麻生は5000万円の責任を取るくらいなら、まぁ多少は痛そうだと思うのだが、170万は冗談だろう。

森友事件は、大阪地検特捜部が鳴り物入りで捜査をしたみたいな動きを演出、東京地検から応援まで出して、やる気満々を演出したが、案の定、事件への捜査はお座なりなもので、到底特捜が捜査したと言えるレベルではなく、捜査自体がフェイクだったのは明らか。ただ、不起訴の判断を公表する時期にだけ、気を使ったようである。安倍官邸から、ここらで幕引きするので、明日にも不起訴の公表を、と言われたようでさえある。

多くの国民が、安倍の意を受けた官邸の誰かが、安倍昭恵夫人が関与してしまった森友学園、「安倍晋三小学校(仮称)」の開設への協力に手を貸すことを、暗に命じた人物が存在するに違いないと思っている。その人物は「I」と云う人物と仮定して、この人物の大阪出張時の面会状況などから、大阪市の「Ⅿ」にも同小学校開設協力を依頼した疑惑がある。近畿財務局が渋々動いたのも、この辺の力が加わった所為だった。

その上、今回の財務省による調査においては、公文書改ざんが、≪去年2月17日に安倍総理大臣が国会で「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と答弁したあと、政治家の問い合わせに関する記録の廃棄が進められていったことが記されています。≫(NHK)とまで言及しているのだから、多くの自民党政治家や総理夫人が関与したことは、容易に想像可能である。これは、下衆の勘繰りでは、決してない。

最近では、ネット広告に「森友加計問題はフェイク」と云うものが目立つが、どこの誰が出稿しているのだろうか?「Tクリニック?」?「Aホテル?」?「D●C?」。まぁ、森友事件に火消し広告まで出すわけだから、相当追いつめられていると云う証明でもある。流石に、麻生財務大臣の総括では、トカゲのシッポきり的調査なのは見え見えで、国民は到底納得しないわけで、森友事件は、さらに犯罪性の印象を国民に与えている。

「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」から始まったと財務省は結論づけているが、安倍昭恵夫人が、安倍晋三小学校(仮称)の名誉校長になってから始まったと、結論づけなければ、起承転結が見えてこない。安倍昭恵夫人の表見代理的な行為に言及なしに、この問題に幕を引くことは困難だ。多くの国民が、そう思っているだろう。財務省内の20人の処分にしても、本来であれば、全員クビになるのが普通だ。なにせ、1年間以上、国会を空転させたのだから、霞が関クーデタと言っても過言ではない。もっと言えば、財務省が、改ざんした20名を検察に告発する行為が当然だ。

既に、大阪地検特捜部は異例の記者会見まで行い、佐川宣寿の不起訴を決めている。今回のように、政治家や官僚が絡んだ犯罪は、民間における刑事事犯に比べ、一般社会の“正義感”に照らして、どのように受けとめられるかで判断するのが検察の務めだと、ロッキード事件の伊藤栄樹検事総長が言っていた。つまり、田中角栄は、国民の正義が有罪に違いないと思っていたからとなるわけで、今回の森友事件では、少なくとも安倍昭恵夫人までは、国民の正義感から「黒」である。

以上、森友事件は、これからが始まりであり、官僚の犯罪から、政治家の犯罪まで波及しなければ、世論の疑惑を鎮めるのは不可能だろう。こうなると、6月10日の新潟知事選は、今まで以上に需要な選挙になる。仮に自民党系が勝利してしまうと、朝日や毎日、東京新聞の舌鋒は丸くなるリスクがある。社内での波辺陣営の勢いが削がれるからだ。逆に、野党系の池田候補が勝てば、各メディア内では、反安倍陣営が勢いを増し、森友加計事件への追求報道が勢いを増し、遂には、安倍政権を倒すという可能性もあるのだ。


広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM (集英社新書)
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集英社

 

石破茂の「頭の中」
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面従腹背
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毎日新聞出版
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●日本舵取り、誰がやっても難しい が、安倍では悪化の一途

2018年06月05日 | 日記


● 日本舵取り、誰がやっても難しい が、安倍では悪化の一途

本日はタブレットのため、ツイッター風味のコラムをお送りしたい。朝日新聞等々の新着をざっと眺めながら、悪口正論を書きなぐる。仕事の合間に書くので、誤字脱字ご容赦。

まず、新潟知事選。花角候補の応援演説で、地元商工会会長「新潟に女性知事はいらない」と口を滑らした。同陣営は、会長さんの発言の火消しに奔走のようだが、出た言葉は消えない。池田候補の追い上げが急な情勢で、こういうミスは命取り。進次郎も応援演説逃げ回っているので、池田候補の追い上げは、米山候補のとき同様になるか?

安倍外交の情けなさが、トランプの猫の目戦術外交に振り回され、右往左往、敵ながら、あまりにも恥も外聞もない右顧左眄。なにが、外交の安倍だ、冗談も休み休みして欲しい。安倍の外交を、谷内のような老人に任せて、それを信じると云う新興宗教じみた外交方針、もう、完全に「蚊帳の外」。拉致問題をコミットしてくれと哀願しているようだが、国際的重要案件の鍔迫り合い外交の席に出せる話題ではないこと、常識的に判断出来る筈なのだが、国辱的なアメポチな姿だ。

小沢一郎事務所のツイッターは、“なんでもありの国へ。総理はそんな本でも出すのだろうか?不正義が横行し、隠蔽の為に嘘しかつかない政権。国有地はお友達にプレゼントされ、特区悪用で巨額の税金がお友達に流れる国。総理のためのなんでもありの国。選挙で生まれた絶望的な政権は選挙で倒す以外にない。知事選もそのきっかけになる。”とツイートしている。何とか公正な選挙で、民主主義をと云う小沢氏らしいツイートだ。無党派が少し動いてくれれば、池田候補の勝ちでしょう。

“落日の「日の丸半導体」 生き残りのカギは「早い判断」”まだ、経産相主導の輸出製造業への肩入れのために、税金を注ぎ込んでいる。日本の再生は、充分可能だが、その行くべき方向は輸出製造業ではない。内需が拡大する壮大な絵図が必要。そして、世界に類を見ない自給自足国家の誕生を見たいものだ。ナショナリズムって、そう云う意味では悪くない。大らかで豊かな天皇象徴性と民主主義。吉里吉里国のような自主独立の強い心。理想は高く設定しよう。

“新4K8K衛星放送、開始まで半年 対応機器の購入必要”地デジでも十分綺麗なわけで、これ以上の科学技術が、人間を幸福にするのか疑問が多い。なぜ、このように必要以上に科学技術を求めるのか、リニア新幹線にも言えることだが、“為にする技術向上”という感じだ。つまり、人間生活に必用なモノが充満した市場においては、不必要な似非な技術革新を喧伝して新市場を無理やり作らなければないなくなる。経済成長トラウマの自民経団連思考からの脱却を!

“規制改革推進会議が首相に答申 放送分野の新規参入促す”これも、上記同様の図式に含まれる、余計な考え休むに似たりなのだが、税の無駄遣い無しで実行出来るなら、幾らでも暇つぶしも結構だが、これもない物ねだりの新市場作り、壁が見えているのに、僅かな隙間を穿つ情けなさ。

“山崎製パン、7月値上げ 食パンや菓子パン平均3.8%”小麦粉の値上げで、生活直撃だ。経済界は、いぎたなく、更なる円安を希求しているようだが、実質賃金が下げ止まらない現在、円安による内需低下減少、日本の強い内需にまで傷がつく可能性まで出てきた。限界の見えてる外需獲得に奔走するあまり、内需を壊す。バカな政権だよ。

“森友問題、検察審査会に申し立て 佐川氏らの不起訴不服”正論な検察審査会への申し立てだが、最高裁事務総局管轄の審査会、いまの政権では、ご誘導は確実で、結果は推して知るべしだろう。個人的には、検察庁不要論まで考えてしまう。司法制度は、警察から裁判で良いのではないのか。乃至は、公選法で検察官を選び、検察制度を導入もいい。いずれにせよ、法務省・検察庁・最高裁事務総局がシンジケート群の日本の司法制度は、暗黒の中世だ。

“働き方法案、参院で審議入り 野党、高プロ削除求める”いよいよ、働かせ方改革が成立しそうだ。まぁ何もかも、経済界の要望に合わせる動きだが、内部留保を貯めこんだまま、まだまだ食欲旺盛な経済界。彼らを喰わせる為に、国民は税金を払い、労働条件を切り下げられ、踏んだり蹴ったりなのだが、どうも被害者が被害の痛みを感じない時代になってきている。気がつくと、正社員の労働条件が劇的に低下して、派遣社員並みになり、同一労働同一賃金に向かうのだろう。そして、いつの日か、日本から残業手当はなくなる。

“大量に毛髪増やす技術を開発 髪のもとを培養、実用化へ”こういう技術は、人間生活で求められている技術と言えよう。≪理化学研究所と医療ベンチャーのオーガンテクノロジーズ(本社・東京)は4日、男性の頭皮から採った髪の毛のもとになる細胞を培養し、大量に毛髪を増やす技術を開発したと発表した。髪の毛のない部分に移植すると再び毛が生えるという。来年にも男性型の脱毛症の人への臨床研究を始め、早ければ2020年に実用化を目指す。≫(朝日新聞)。オリンピックの頃には、実用の可能性もあるとか。個人的には、若干薄くなってきているので、臨床試験の治験に参加したいものだ。

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●企業内部留保の国庫返納 経済成長の限界と財政収支

2018年06月05日 | 日記
定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)
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日本の没落 (幻冬舎新書)
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2020年、経済史上初の恐怖の三重底が世界を襲う!!
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●企業内部留保の国庫返納 経済成長の限界と財政収支

最近は、自民党であれ、他の政党であれ、財政健全化計画は、永続的に先送りするのが常態化してきた。なにせ1000兆円を超えている財政赤字を抱えてている。さらに、基本的に毎年度赤字財政が続いているのだから、減ると云う方向に行く前に、増やさない工夫が必要だ。しかし、現在の日本の選挙制度においては、どの政党が政権政党になっても、社会保障費を大幅に削減することは不可能だろう。

自民党政権、安倍晋三の下で開かれる、経済財政諮問会議に、日本の財政経済のかじ取りを任せていたら、既存大企業やパソナ、オリックス、加計など、ハイエナ軍団の私利私欲の為に、利権が国民の側から、ハイエナ連中に引き渡されるのは確実なのが現実だ。輸出製造関連大企業は、経団連を先頭に、政治圧力団体になっているので、経団連を叩かない限り、国民に経済のイニシアチブは返ってこない。

アベノミクスにせよ、現在の働き方改革にせよ、経済界が活発に活動できる環境整備を、経産省(旧通産省)中心に、安倍政権を支えているのが、現況だ。ここで考えて欲しいのが、昨日のコラムで言及した、グローバル経済の限界と同時に、根本的資本主義の限界と云う問題だ。米英が、このグローバル経済から距離を置きはじめ、EUも基本的に、EU圏内の自由貿易というイデオロギーの下、国際社会に向き合おうとしている。

無論まだ、中国、インド、ロシア、インドネシア、ブラジルなど、グローバル経済のフロンティア地域としての魅力は残っているが、嘗ての勢いはない。ここ5年から10年で、静かに成長する準先進国の道を歩むことも見えている。米英EUが、グローバル経済から距離を置き始めたいま、自由貿易で潤ってきた、中国、メキシコ、カナダ、そして日本の貿易関連はかなりの打撃を受けることになるのは確実な情勢だ。

このような国際貿易環境と、我が国が突出した人口構成から生まれる、少子高齢化問題は、社会保障の問題だけではなく、経済成長にも重大な影響を及ぼす。日本のGDPに占める貿易依存度は15%~18%であり、オランダ、台湾、スイス、韓国など40%以上の貿易立国とは一線を画している。つまり、GDPの7割以上を内需に依存している、内需大国なのである。安倍政権や経産省が、輸出大国でありたい気持ちは理解するが、構造的にむろなのだ。さらに、自由貿易の宗主国の米英が保護貿易に傾き、EU地域も同調するとなると、一方的な貿易依存の方向性は成り立たないのだ。

にもかかわらず、経産省と経済財政諮問会議主導の経済金融政策の旗を下ろす気はないようだ。筆者から言わせれば、もうアベノミクスや日銀黒田のマイナス金利政策など、狂気の沙汰と言わざるを得ない。筆者の観察眼から見た場合だが、財務省は財政赤字は「国民一人当り700万円」と脅し、経産省は、日大内田前監督並みに、スポ根で、輸出だ輸出だ、老人は金を遣えとから騒ぎしている。厚労省は、経産省の笛や太鼓に水を浴びせ、その音を掻き消している。

つまり、財務省・経産省・厚労省が、政府行政全体で自己矛盾、いわば自家中毒を起こしているのがよく理解出来る。年金支給額は必ず減らすぞ!老後の入院も簡単にはさせないぞ!介護は家族が自宅で行え。社会保険料も上げるから、覚悟しておけ!その上、既に、おまえ等は1人700万円の借金を抱えているのだ!(国の借金であり、個人は一切関係ないから、念のため)これだけ、やり込められれば、鈍い人間でも腹が立つ。“つかいませんぞ、勝つまでは!”という気分に国民を追いこんでいるのだから、普通の経費さえ抑えようとするのは、ごく自然の現象だ。

「新聞購読などはやめる、旅行などは安近短、衣服費は買わない、着回しで充分、車使用をやめる、戦争世代の親の遺産は全部貯蓄、買い物は暇なので、安いものだけを買う、身体に悪いから、酒もたばこも辞める……。どうだ、経産省、おまえ等の思い通りに行くわけがない。竹中など、アメリカかイスラエルに放逐してしまえよ、馬鹿にするんじゃないよ、団塊世代をさ!」まあ概ね、こんな心境に団塊世代をしてしまった、自己矛盾を抱えた政治主導の政策は、ことごとく失敗に終わっている。

まぁ、力むことはない。極東の自然豊かな島国だ。世界のベストテンなんて競争世界から足を早めに洗うことだよ。森に囲まれ、豊かな自然、豊富な水、作り過ぎたインフラ、もう、目に見えるもの、手に触れられるものは、いらない。文化的価値や創造性の分野で、きらりと光る国であればいい。中国と張り合うなど、狂気じみた考えは捨てるべきだ。14億人のエネルギーに勝てるかね?全員を養うのも大変だがね。習近平さんの腕のみせどころくらいのの気持ちで眺めましょう。無論、安倍やネトウヨ連中のように喧嘩する意味は、一切ないよ。

日本の国民が、経済成長に拘っている限り、安倍(カルト)や竹中(ハイエナ)のような人種に、良いようにあしらわれる。自分の国の、立ち位置を、多くの国民が理解しない限り、悪政の入り込む余地はあるわけで、安倍が消えても、安倍二世か亜種が現れる。民主主義がすべてではないが、ファシズムよりはマシだ。こうなった以上、最低限、三権分立が機能する社会の構築に、国民が導くしかない。

最後になるが、現在の財政赤字1000兆円は、企業の内部留保の累計400兆円を充当し、財政赤字を600兆円とし、その後、財政赤字を出さない。また、経済成長ゼロ社会を想定した定常経済下における、国家全体のリストラクチャリングを断行すべきだ。貿易収支も、徹底的な再生可能エネルギーシフトを有能な日本人が行えば、10年単位で、貿易バランスは均衡する。このような、賢者の選択をせずに、グズグズしていると、「戦争経済」に頼ろうとする軍産複合企業勢力の跋扈を誘因するに違いない。


迫りくる大暴落と戦争〝刺激〟経済
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日本の国難 2020年からの賃金・雇用・企業 (講談社現代新書)
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遅刻してくれて、ありがとう(上) 常識が通じない時代の生き方
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●痛い目に遭うのは国民 “ないものねだりのアベノミクス”

2018年06月03日 | 日記
株式会社の終焉
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「定常経済」は可能だ! (岩波ブックレット)
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閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済 (集英社新書)
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●痛い目に遭うのは国民 “ないものねだりのアベノミクス”

21世紀は「よりゆっくり、より近く、より寛容に」は、水野和夫氏(法政大学教授)の言葉だが、おおむね間違いではないのだろう。水野氏は、100年がかりで、資本主義は徐々に衰退してゆくとしている。それに対して、 北村行伸氏(一橋大学教授)は、まだまだ数百年は資本主義経済が活発に生き延びると主張している。

今夜は時間がないので、両者のコラムを参考掲載するので、どちらの主張に軍配を上げるか、お考えいただきたい。少なくとも、日銀黒田、高橋洋一や竹中平蔵、浜田宏一氏らのマネタリストの金融経済論では、現実の日本経済を解説できない状況に陥らせているのは確実だ。個人的には、北村氏が、中国4.35%、インド6.0%、ブラジル6.75%、ロシア7.5%、インドネシア4.25%と金利の高さを示しているが、これらの地域は世界のフロンティア地域のお流れ事情で起きている金利であり、早晩、開発の勢いはなくなると考える。

個人的には、トランプ大統領の保護貿易的な考えは、偶然の産物だが、時代の大きな潮流に沿った為政なのだと思う。中国以上のフロンティア地域は、世界広しと雖も見出せないわけで、中国が20世紀最後のフロンティア地域であって、21世紀にのフロンティア地域は現れないと考えている。チマチマしたフロンティア地域はあるが、中国にはかなわない。水野氏、北村氏ともに、戦争経済による、緊急時のフロンティア事情には意図的か、触れていない。しかし、アメリカや日本の政治の中では、それを考えている勢力があるのは確実だろう。

考えてみれば、経済学者は、過去の経済活動のデータをもとに、自己の理論を証明しているわけで、予言者ではない。つまり、過去問を解いているようなものであり、明日の試験に、その問題が出る保証は一切ない。それよりも、社会学者や哲学者の領域から、100年後の世界経済などをテーマとする論が展開せれる時代を望みたいものである。筆者の考えに近い水野氏の言葉を借りれば、「よりゆっくり、より近く、より寛容に」21世紀の生き方を考えなければならない。

いま、悪名高いアベノミクスと云う経済金融政策を継続中の安倍政権は、「よりゆっくり、より近く、より寛容に」の逆さまを、ひた走っているようにみえる。「よりはやく、より遠く、より合理的に」日本と云う国の方向を選択しているようあだ。この馬鹿げた経済金融政策の仕上げが、「戦争経済」でないことを祈りたいが、どうも怪しい。手短だが、以下、参考のコラムをお愉しみください。


 ≪水野和夫氏「トランプ後の世界は中世に回帰」 アメリカは自らグローバル化に幕を引いた
【今回、ほとんどの人が予測できなかったトランプの大統領就任。これまで、多数の著書の中で成長信仰への批判と資本主義の限界を訴えてきた水野和夫氏は、この出来事が、マイナス金利の導入やイギリスのEU脱退にも見られる、現代世界に流れる新たな潮流、「中世への回帰」の1つなのではないかと指摘します。】
 現代を生きる私たちは、今日よりも明日がよりよくなることを疑わず、日々生活しています。こうした「成長への信仰」は、20世紀における人口の大量増加と、それに伴う資本主義システムの確立によって成り立っています。しかし、今後も世界は成長を続けていくと断言することはできるのでしょうか。
■現代社会は、再び「ゼロ成長」の時代へ戻っていく
 日本やドイツのマイナス金利導入、先進国における人口減少予測、そしてイギリスのEU離脱などを見るにつけ、世界がこれまでと変わらない歩みを続けていくことをにわかに信じることはできません。先進国の人口が減少に向かい、そして経済が成長を止める中、世界はいったいどこへ導かれていくのでしょうか。
 私は、現代社会と中世ヨーロッパとの間にいくつかの共通点を見出し、現代は今まさに、「中世への回帰」という流れの中にあると考えています。
 経済の観点から見ると、ヨーロッパ中世(500~1500年)はゼロ成長の時代でした。西ローマ帝国が滅んだ直後から中世が終わるまでの間(500~1500年)、世界の1人あたりの実質GDP成長率は、わずか年0.03%(500年間で1.35倍)です。
 それが近代(1500~2010年)になると、実質GDP成長率はぐんと上がり、年0.22%となります(同期間で26.9倍)。特に第2次世界大戦後の1950年から、石油危機直後の1975年までの成長率は著しく、世界の1人あたりの実質GDPは年3.4%となりました。
 ところが、日本が金融危機に直面した1997年から2015年までの1人当たり実質GDPは、年0.6%です。名目GDPで見ると、同期間で年マイナス0.6%になります。中世の成長率よりはまだましですが、名目利子率から期待インフレ率を差し引いた「自然利子率」がゼロ、ないしはマイナスであることを考えると、今後は中世のような定常経済と大きくは変わらない状況になると予想されます。
 人口減少社会が到来していることも、中世に共通しています。中世の人口は、減少してこそいないものの、その増加率は年0.08%と、ほとんどゼロ成長でした。一方、近代(1500~2015年)の人口増加率は年0.54%で、とりわけ戦後(1945~1975年)は年1.82%と、人口爆発の時代となります。そして、それは同時に資本主義の黄金時代でもありました。
 しかし、これは例外中の例外です。21世紀の前半に入ると、人口増加率はあっという間に減速し、2015~2050年には年0.80%になると予想されています。産業革命から第2次世界大戦まで(1850~1945年)の増加率、0.66%とほぼ等しくなるということです。
 21世紀の後半には、年0.28%の増加率となり、産業革命前(1500~1850年)の増加率である年0.29%とほぼ同水準です。現代でも人口が増加を続けているアフリカを除けば、さらにマイナス0.12%となり、ついに世界が人口減少の時代を迎えることになるのです。
 ■イギリスのEU離脱も「中世への回帰」の一潮流だ
 2016年6月23日、イギリス国民はEUからの離脱(Brexit)を選択しました。これも「中世への回帰」の動向から理解することができます。EUはEuropean Union(ヨーロッパ連合)の略であり、ヨーロッパは「中世の創造物」だからです。これを理解するためには、まずヨーロッパという概念がいつからでき上がってきたのかを検討していく必要があります。
 ヨーロッパは、地中海世界と北部ヨーロッパが一体化する過程で、徐々にその姿を現してきました。その原型は、およそ800年前にあり、現在のドイツ、フランス、ローマを含む北部イタリア、そしてバルセロナを含む北部スペインにあたる地域でした。そこで重要なのは、その中にイギリスが含まれていなかったことです。
 この史上初のヨーロッパ形成体は、アラブ人が地中海を閉鎖したことで崩壊しました。現在のヨーロッパの大きな課題の1つであり、イギリスのEU離脱の原因の1つともなったのが、アラブや東欧からの移民問題であることを思うと、中世と同じ問題に直面していることが分かります。
 ヨーロッパへの脅威は、いつも東から来ます。北は北極海、南はサハラ砂漠、西は大西洋といった天然の要塞で守られているのですが、東は無防備なのです。EUの中で人の移動を自由にした結果、「陸の国」である東欧や中東からの移民流入に対して、「海の国」イギリスは自国の秩序が守れなくなったので、EU離脱を選んだのです。
 一方、アメリカにおけるグローバリゼーションの幕引きは、オバマ大統領から始まったといえます。クリントン、ブッシュ大統領が続けてきたグローバリゼーションは、イスラームの反撃という形で世界の平和秩序を破壊するようになりました。
 ■アメリカ国民がトランプを支持するのは必然だった
 オバマ大統領は、このことを受けて、アメリカが「世界の警察」であることを辞めると宣言したのです。しかし、平和秩序を保たないものが、経済秩序だけを保つことはできません。あの発言から、グローバリゼーションの終わりが始まりました。
 そして2年前、ピケティ氏の「1%対99%の格差」の言説は、グローバリゼーションを通して貧困に苦しむ多くの人々に「反エスタブリッシュメント(反既存体制)」という目標を与えました。現状を維持しようとするクリントン氏と、反資本主義、孤立主義など、この反エスタブリッシュメントを支持する人々の心に響くフレーズを連呼したトランプ氏が戦った大統領選において、国民がどちらを選択するかは、明白でした。
 そして、トランプ氏が大統領として選挙公約を守るとすれば、アメリカは自らの手で推進してきたグローバリゼーションに幕を引くことになるのです。
 ドイツの法学者であり、政治学者でもあるカール・シュミットは、世界史は「陸と海との闘い」であると定義しました。市場を通じて資本を蒐集するのが「海の国」であるのに対して、「陸の国」は領土拡大を通じて富を蒐集します。どちらも蒐集の目的は、社会秩序の維持です。
 フランク王国に起源をもつヨーロッパは「陸の国」ですが、近代を作ったのはオランダ、イギリス、アメリカといずれも「海の国」です。「陸と海との闘い」において、近代とは「海の国」の勝利の時代でした。
 しかし、今はそれが揺らいでいます。「海の国」がもっとも恐れていたこと、すなわち世界最大の大陸であるユーラシアの一体化が現実味を帯びてきたのです。
 そしてまさに、米大統領選においても、トランプが大統領に就任したことによって、TPPをはじめとしたグローバリゼーションは収斂に向かい始めました。「海の国」である英米が、グローバリゼーションを推進することにより、地球が1つになったかに見えたまさにその瞬間、「陸の時代」へと逆向きの力が作動し始めたというわけです。これも中世への回帰の流れの1つと言えます。
 19世紀半ば以降、蒸気の力を得て発達していった近代社会の原理は、「より早く、より遠くに、より合理的に」でした。そしてそれは、資本経済社会を支配してきた「成長」という概念にほかなりません。 ■21世紀は「よりゆっくり、より近く、より寛容に」
 しかし、「より遠く」は、太平洋をノンストップで飛行するジャンボジェットの引退で、「より速く」は、大西洋をマッハ2で横断したコンコルドの運航停止で、そして「より合理的に」も、最も効率的エネルギー源であった原子力工学における安全神話が、2011年の東日本大震災で自然の力の前にあっけなく崩壊したことで、それぞれ限界を迎えたと言えます。
 もはや「物理的・物的空間」にはそれらの成長を実現する場所はありません。 21世紀のシステムは、20世紀の延長線上ではなく、潜在成長率がゼロであるということを前提に構築していくことが必要です。それにのっとれば「よりゆっくり、より近く、より寛容に」が、21世紀の原理であるのです。
 これを資本主義の中核を担っていた株式会社に当てはめれば、減益計画で十分だということ、現金配当をやめること、過剰な内部保留金を国庫に戻すことです。
 おそらく2020年の東京五輪くらいまでは、「成長がすべての怪我を治す」と考える近代勢力が力を増していくでしょうが、それも向こう100年という長期のタイムスパンで見れば、ほんのさざ波に過ぎません。この22世紀へ向かう大きな潮流こそが、「中世への回帰」であるといえるのではないでしょうか。
 ≫(東洋経済on-line:水野 和夫 : 法政大学教授)


 ≪ゼロ金利は中国・インド中心の経済へ「大回帰」の反映だ
 金利は資本主義経済全体の価格情報であり、資本取引の基準となる指標である。日本では、日本銀行が設定する短期金利がかれこれ20年間もゼロ近傍に張り付いてきた。他の先進国でも、2007年のリーマン危機以後、日本の後を追いように超金融緩和政策がとられ、デンマークや欧州(ECB)、スイス、日本では「マイナス金利」が導入された。
 金融史上、かくも多くの国がマイナス金利、あるいはゼロ金利状態を、これだけ長く経験したことはない。 「資本主義の終焉」だとか、「成長の限界」といった声も聞かれるが、世界全体を見渡せば、社会のダイナミズムが衰えた一部の地域のみの話である。
 ■金利の理論で考えると リフレ派の主張では解決しない
 2013年4月から始まった黒田日銀の超金融緩和策では、従来から行われてきたゼロ金利政策に加えて、異次元の量的質的緩和が行われてきた。
 その際、政策目標として掲げられたのが2%のインフレ率の達成による「デフレからの脱却」だった。  この政策を実行するために安倍政権が日銀の政策執行部に送り込んできたメンバーは、いわゆるリフレ派と呼ばれる人たちだ。
 彼らは、1931年犬養毅首相の下で4度目の蔵相についた高橋是清の一連のリフレ政策、すなわち、金輸出再禁止、日銀の国債引き受けによる政府支出(時局匡救事業や軍事予算)の増額などによって、世界恐慌によって混乱していた日本経済を立て直した実績を高く評価し、その政策を模範としていた。
 経済理論としては、ミルトン・フリードマンのマネタリズム(貨幣数量説)の考え方に近い立場をとり、インフレ目標達成のための処方箋としては、日本銀行が従来の常識を超えた範囲(年間80兆円規模)で資産を購入し、市中に貨幣(ベースマネー)を供給することを行ってきた。
 また、リフレ派が金利に関して言及する場合は、アーヴィング・フィッシャーが展開した議論、貨幣利子率は実質利子率と期待インフレ率に換算(分解)できるとする議論を用いることが多い。
 その理論に依拠して、貨幣利子率が「ゼロ」になっても、日銀がインフレ目標実現までは徹底した資金供給をコミットメントすれば、期待インフレ率を上昇させ、実質利子率をマイナスにすることができるという議論もされてきた。
 しかしフィッシャーの関係式は恒等式ではないので、一つの変数を操作することで他の変数が自動的に調整される訳ではない。
 リフレ派による量的質的緩和のもう一つの理論的根拠は、同じフィッシャーによる交換方程式だ。
 経済取引は基本的に物々交換であり、貨幣は実体経済に対して中立的であるという貨幣中立説(貨幣数量説)の考え方に立つもので、交換方程式(MV=PQ;Mは流通貨幣、Vは貨幣の流通速度、Pは物価水準、Qは取引量)として表される。
 このフィッシャーの交換方程式では、短期的には貨幣の流通速度や取引量が安定しているとすれば、物価水準を上昇させるためには、流通貨幣を増加させればいいということになる。
 この理論に依拠して「インフレやデフレは貨幣的な現象だから、金融政策で解決すべき」というのが、黒田日銀の超金融緩和策導入時のリフレ派の議論だった。
 だが現実は、5年以上も日銀が金融緩和を続けても、2%のインフレ率を達成できないでいる。
 ■実体経済と貨幣経済は 相互に関連している
 なぜなのか。
 そのヒントは、利子と物価の関係を真剣に考えたもう一人の経済学者、クヌート・ヴィクセルの理論にある。  ヴィクセルは貨幣数量説を否定し、インフレやデフレは実体経済と貨幣経済の相対的なポジションによって決まってくるものだと論じた。
 主著『利子と物価』(1898年)では、貨幣の需給によって金融・資本市場で決まってくる利子率を「貨幣利子率」と定義し、一方で、実体経済の需給によって決まる利子率を「自然利子率を」定義した。
 自然利子率が貨幣利子率より高ければ、投資収益が高いので資本家は資金運用をより増やし、企業に対しては金融機関からの資金供給が増え、その結果、投資が活発になり実体経済が拡大し、物価は上昇するだろう。そして逆に低ければ、実体経済は収縮し、物価は下落するという議論を展開した。
 また自然利子率は、実体経済や資本の収益率を反映しているとすれば、それは時間とともに変動するので、必ずしも物価中立的ではない。
 そこで物価中立的な自然利子率は、特別に正常利子率と名付けられている。
 ヴィクセルの議論は、フィッシャーの議論と比べると、実体経済と貨幣経済の双方を見ながら、物価の変動を考えるというかなり複雑な構造になっている。容易には理解し難いが、説得力を持つものだ。
 ヴィクセルが『利子と物価』を書くにあたって、観察の対象としたのは1873年から1896年まで続くイギリスの大不況だった。
 当時は第二次産業革命が進行し、ドイツやアメリカなどの新興国がイギリスの工業生産にとって代わり始めた。また、金本位制が各国で採用されていった時期である。
 物価は技術革新や生産力の向上による供給拡大によってデフレ状態が続いていたと解釈されていた。  ヴィクセルの理論によれば、政府の介入なしに自然利子率が貨幣利子率より長期にわたって低かったことが、デフレに結び付いたということになる。
 ヴィクセルは当時の物価の動きを見て、次のように観察し、結論付けている。 「ある者は低い利子の水準の中に、生産と投機とを刺激する手段を認め、それだから低い利子率こそ物価騰貴の原因であると説明した。けれども事実は決して理論とは一致せず、むしろ大体、割引率の低い水準は高い物価とともに現れずに、低い物価とともに現れるということ、また割引率の異常に高い水準はほとんどただ高い物価のもとでのみ現れるということが明らかになった」と。
 ヴィクセルの理論を現代にあてはめれば、黒田日銀での超金融緩和策がインフレに結び付かないのは、自然利子率が、人為的に低く抑えられた貨幣利子率よりさらに低いからだということになる。鍵はこの自然利子率をどうやって上昇させるか、にある。
 つまり、貨幣利子率を人為的に低くしても、自然利子率が上がらないと、経済は縮小し物価は上がらないのだ。  利子率について、フィッシャーとヴィクセルの議論を受ける形で、新たな考え方を提示したのがケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936年)だ。
 ケインズは彼らの利子理論を十分に咀嚼(そしゃく)した上で、「利子率は貯蓄に対する報酬ではない。そうではなく、利子率は流動性をある一定期間手放すことに対する報酬である」と定義した。  つまり、利子を通貨需要関数の中の「流動性選好」によって決まってくる貨幣的現象として捉えている。
 しかしその一方で、ケインズはヴィクセルと同様に、あるいはそれ以上に、利子を経済体系全体の中で評価することを主張している。
 すなわち、「例えば貨幣量の増加は、他の条件が同じであれば、利子率を低下させると期待してよいが、大衆の流動性選好が貨幣量の増加以上に増大しているならば、そのようなことは起こらないだろう」と。
 また、「あるいは利子率の低下は、他の条件が同じであれば、投資額を増加させると期待してよいが、もしも資本の収益率が利子率よりも速やかに低下しているならば、そのようなことは起こりはしないだろう」と注意深く述べている。
 実体経済と貨幣経済の微妙な関係の中で利子率を位置付けて、経済を物価中立的あるいは若干のインフレに誘導することが、金融政策としても物価政策としても望ましいはずである。
 ヴイクセルとケインズの理論はその処方箋を教えてくれている。
 ■「ゼロ金利」が長期化すれば 資本主義のダイナミズムを抑圧する
 ところで、数年前ベストセラーになった『21世紀の資本』(2014年)の著者トマ・ピケティの議論もヴィクセルと重なるものがあることを指摘しておきたい。
 ピケティによれば、資本主義経済で最も重要な指標は、資本収益率rと経済成長率gの関係にある。
 歴史的に見ると、r>gの期間が長く、その結果、資本家への所得配分が、労働者への所得配分よりも高くなり、所得や資産分配の不平等が拡大する時期が多かったとしている。
 例外は第二次世界大戦後の1945年から1970年代までの高度経済成長期だ。
 先進国、とりわけ戦争で大きな被害を受け、資本ストックの大半を失ったヨーロッパ大陸諸国や日本では、労働者の所得が急増し、所得・資産の不平等が急激に低下していった。
 だが1980年代以後、アメリカを中心に不平等が急速に拡大する局面に接している。
 ピケティの資本収益率rは広い意味での資本へのリターンを総称しており、一般には、利潤、賃料、配当、利子、ロイヤルティ、キャピタルゲイン等を含んでいる 。
 簡略化のために、ピケティの資本収益率rを金融市場の貨幣(実質)利子率とし、経済成長率gを自然利子率と考えれば、rとgの関係は、ヴィクセルの均衡関係、自然利子率と貨幣(実質)利子率の関係と、きわめて近い議論をしていることになる。
 ヴィクセルの累積過程論では、自然利子率が貨幣(実質)利子率より高ければ、景気は過熱して、インフレ状態になる。逆に自然利子率が貨幣利子率より低ければ、景気は収縮して、デフレ状態になる景気循環のメカニズムが説明されていた。
 一方でヴィクセルはr>gが常に成立すると想定するのではなく、rとgの関係が不均衡であることで、資本主義のダイナミズム、すなわち景気循環が発生することを説明している。
 つまり利子率の変動が資産分配や所得分配などの趨勢に影響していることにも注意を払う必要がある。  金融政策は分配問題とは無関係であると、中央銀行関係者は考えているかもしれないが、貨幣利子率を自然利子率よりも人為的に抑える政策がもたらす分配効果は、ピケティの関係式ではr<gとなる。
 ポピュリズムの支持を集める不平等を抑える方向に働き、企業家精神にあふれた資本主義のダイナミズムを抑圧してきたと言える。
■先進国の低金利は 成長のエンジンが移動したから
 金利の変化が実体経済に波及するダイナミズムを認識するとともに、現在の金利を考える上で、もう一つの重要な論点は、世界的に見て、マイナス金利やゼロ金利が普遍的に広がっている訳ではないということだ。
 我々はともすれば、先進国経済の問題が世界経済の問題であり、他の移行経済国や新興国、発展途上国地域で起こっていることにはほとんど関心を払わない。
 しかし、人口規模から見ても、世界のGDP規模から見ても、すでにG8以外の国の経済シェアがG8経済シェアを凌駕しているし、今後もその傾向は続くだろう。
 より具体的に言えば、資本主義経済の「重心」が、欧米からアジアへ移ったということである。  そもそも資本主義とは、基本的に資本を投資して収益を上げていくシステムを意味している。
 資本主義経済の金利とは、資本の収益率を反映したものとなるはずである。だとすれば、金利の低い資本主義経済とは、ヴィクセルの主張するように資本収益率の低い経済を意味することになる。
 日米欧の主要国の金利が軒並みゼロ近傍にあることから、資本主義の終焉(しゅうえん)を論ずる向きもあるが、2018年3月時点で、中国4.35%、インド6.0%、ブラジル6.75%、ロシア7.5%、インドネシア4.25%と新興経済国はそれなりの金利水準で経済を回している。
 このことは、明らかに資本主義経済のエンジンがアジア及びその周辺新興国へ移っていることを意味しており、それが一時的なものではなく、資本主義の中心地が移動している可能性を示唆しているのだ。
 欧米先進国の中には、アジアの成長を認めつつも、国際資本主義の制度設計は、ブレトンウッズ体制とそれを支えるIMF・世界銀行・WTOといった「ワシントン・ジュネーブ・コネクション」が主導権を持ち続けると考える人が多い  また、世界の金融市場もニューヨークとロンドンがその中心的役割を果たしていくだろうという見通しを多くの人が持つ。
 特に、英米中心の金融界に近い人たちは、なかなかそれ以外の選択肢を想像はできないだろうし、既得権益を守るためにあらゆる努力(それには他の金融市場勃興への妨害も含まれる)をするだろう。
 だが、資本主義経済勃興以来の長い歴史で位置付ければ、ポメランツが主張するように、18世紀以後、産業革命が起こった西欧諸国とアジア諸国の間に「大分岐」が起こったが、それ以前の16-17世紀にはむしろアジアの経済活動の方が活発だった。
 現在は、西欧経済から中国とインドを中心とするアジア経済への「大回帰」が起こっていると考えられる。  歴史の流れの中で考えれば、欧米先進国の「ゼロ金利」は、この資本主義の重心移動を反映したものだと考えられる。
 ■「世界の中心でゼロ金利を叫ぶ」 ことにはならない
 日本は明治時代から「脱亜入欧」を目標に近代化を進め、西欧の制度を積極的に導入することで、アジアの中で先陣を切って先進国の仲間入りを果たしてきたことを誇りにしてきた。
 いつの間にか西欧先進国の一員として自らを位置づけ、欧米寄りの考え方を是としてきた。
 これは政府もそうだし、政治家も、企業も国民もそうだった。その半面、アジアの中でどのように役割を果たしていけばいいかという視点は、著しく欠けている。
 それは戦時中の行いに対する後ろめたさもあるだろうし、そのことを外交カードに使ってくる隣国の存在もある。
 だがここらあたりで、「ゼロ金利」の意味するところを深く考え、日本は資本主義の新たな「重心」を見定め、地理的な立ち位置を十分に考慮して、どのように生き延びていくか、東アジアの中でどのような役割を果たしていくかを真剣に考えるべき時に来ている。 「ゼロ金利の経済」というと、定常状態に達して、経済的なダイナミズムが停止した中世的な世界を思い描く人もいるかもしれないが、世界全体を見渡せば、社会のダイナミズムの衰えた一部の地域のみの話である。
 先進国でも、まだまだ変革のエネルギーに満ちたアメリカのような国では、ゼロ金利からの離脱が始まっている。
 ゼロ金利の世界にとどまっている限り、借金をしている政府や家計にとっての負担は軽いだろうし、とりあえず、傷ついた財務状況を立て直すのに時間を稼ぎたければゼロ金利が続いてほしいだろう。
 しかし、経済が動き出すためには、金利がその将来の生産性を反映させるようなレベルに復帰し、経済活動と金融の歯車が回転し始める必要がある。
 資本主義をグローバルでダイナミックな経済活動として捉えるとすれば、資本主義は機能しているし、少なくとも今後、数百年は、資本主義経済は活発に生き延びると、私は判断している。
 まだまだ、そのための知恵は出てくると信じている。
 ゼロ金利の世界は、「この世界の片隅に」起こっていることであって、グローバルに起こっていることではない。 「この世界の片隅に」起こっていることは、重要ではあるが、それが「世界の中心で、ゼロ金利を叫ぶ」ことにはならないのだ。
 ≫(ダイアモンドONLINE:一橋大学経済研究所教授 北村行伸)

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●新潟知事選 花角リード、池田”反原発”鮮明で逆転可

2018年06月02日 | 日記
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●新潟知事選 花角リード、池田”反原発”鮮明で逆転可

投票日まで、まだ1週間以上あるので気が早いのだが、自民党が支援する前海上保安庁次長の花角英世候補と、野党6党・会派が統一候補として擁立した女性候補・池田千賀子候補という、実質保革一騎打ちの様相になってきた新潟知事選の話をしてみよう。新潟県は、全体的に見れば、保守の強い農業県だが、田中角栄の出現以降、必ずしも保守勢力が優勢な選挙区ではなくなっている。どちらかと言えば、“県民党”的な候補者が勝つ傾向のある選挙区になっている。

特に、前々任者の泉田知事、前任の米山知事は反原発サイドに立って、勝利をものにしてきた。今回は、自民党としては、3連敗はどうしても避けたい選挙戦になっている。女性の政治参加も積極的県でもあり、政治への関心の高い県である。田中真紀子を先頭に、森ゆうこ、菊田真紀子、西村智奈美など。

今回、どうして、1週間以上早く、県知事選を取り上げたかと云うと、安倍晋三の三選の雌雄を決する注目選挙と見られる為である。花角候補が勝てば、新潟知事選でも自公が勝てるのだから、来年の統一地方選、参議院選も安倍総理で十二分に戦えると、自民公明の地方組織も勢いづく結果となり、自民党内で燻っている“安倍下ろし”は姿を消すものと思われるからだ。

つまり、花角候補の勝利は、自公政権が当分続くと云う確度の高い予測となるわけで、安倍自民の固定票群が勢いづく結果になると云うことだ。逆に、反安倍勢力は意気消沈する可能性も含むだけに、国政政治と直結した、重大な選挙となるのは必至だ。現時点では、花角候補が一歩リードしている模様であるが、池田候補が逆転できないと云う差ではなく、伸びしろも多いと目されている。

花角候補は二階自民党幹事長の秘蔵っ子と言われる人物で海上保安庁長官確実と言われていた人物だ。経歴から言っても、コテコテ霞が関官僚で、原発再稼働賛成の勢力に属しているわけだ。しかし選挙戦では、その本質を消し去る選挙戦術に出ており、池田候補と同様、不用意な再稼働には慎重な立場を訴えている。そのため、一般の有権者にとっては、両候補の差別化が難しく、中央に直結する政治と云う魅力分、花角候補が一歩リードという情勢に繋がっているようだ。

本来であれば、池田候補が、腰の引けた原発再稼働慎重の立ち位置から、一歩進んで、明確な“反原発”に舵を切れば、逆転の可能性の方が高いのだが、同候補は、柏崎刈羽原子力発電所7棟を抱えている柏崎市出身であり、思いは複雑なようである。その池田候補の都合を有権者は理解しているため、必ずしも“反原発候補ではない”という印象があり、選挙戦を有利な展開に持って行けないようである。

池田候補を担ぎだしたのは、誰あろう、自身が知事選出馬を促された、元民進党で現在無所属の菊田真紀子衆院議員(新潟4区)だ。17年衆議院選挙で、自民党の金子恵美前議員を完膚なき敗北を味合わせた“女勝負師”なのである。その点で、池田候補の人がらに問題はないのだが、柏崎市出身のため、今ひとつ、東京電力柏崎原発再稼働に関して、花角候補との差別化に苦慮している面が見られる。池田候補は、小泉純一郎の応援も得たのだから、もう一歩、反原発色を出せれば、当選は近づくものと思われる。

かたや、花角候補は当初“県民党”と称して、二階自民党色を消す戦術に出たが、菊田真紀子議員推薦の池田候補の立候補で、 “エセ県民党候補”であり“自民党候補”がバレバレになっただけに、市民派の票は期待できず、保守票の票田固めに熱を入れている。表立って動けばマイナスに響くと考えている安倍官邸は、官房機密費経由で現ナマ作戦を展開しているものと思われるが、小泉進次郎が親父の向こうを張って、花角候補応援に入るかどうかもポイントになる。

自民党系の花角候補は、池田候補の、「今後最低3年」に延ばす知事選公約を発表。検証終了後に「県民投票など」で再稼働の是非を問う方針も明らかにしたのにたいして、検証後、再度知事選を行う方向を表明している。結果的に、原発を争点から隠そうとした二階氏の戦術はうまく機能せず、否が応にも「原発問題」が選挙終盤にかけて、争点化されてきている。

池田候補は、腹を決めて、ここ一週間で、反原発色を出せるか。花角候補の方は、小泉進次郎集票マシンの応援演説をさせられるか、奇妙な要因になるが、選挙と云うもの、そんなものである。池田候補のウルトラCとしては、文春砲で痛い目に遭ったが、潔く辞任したことで、好感を持たれ、同情住民も多いだけに、米山前知事の応援演説と云う手もある。ただ、この勝負手が、吉と出るか凶と出るか、微妙な面もあるだろう。花角候補の方は小泉進次郎応援演説くらいが上積みなので、最後の一週間は、池田候補の追い上げの糊代の方が優勢だ。


≪新潟県知事選 「原発」再び争点 自民、あいまいに 野党、検証「延長を」
 新潟県の米山隆一前知事の辞任に伴う知事選が24日告示される。自民党が支援する前海上保安庁次長と野党6党・会派が統一候補として擁立した女性県議との事実上の一騎打ちとなる見通し。注目される原発政策では、野党が再稼働の判断を仰ぐ県民投票をちらつかせ脱原発色を強めているのに対し、自民党は原発を争点にしないよう腐心している。【竹内望、堀祐馬、南茂芽育】
 知事選には前海保次長で元副知事の花角英世氏(60)、社民党系県議の池田千賀子氏(57)が立候補を表明している。花角氏は自民党が全面支援し、池田氏は、立憲民主、国民民主、共産、自由、社民の5党と衆院会派「無所属の会」が推薦し、与野党対決の構図となっている。6月10日に投開票される。
 「政府の原子力政策に流されるのではなく、県民の意に沿う検証を行う候補が必要だ」。今月8日に出馬表明した池田氏は、原発の安全性に関する県独自の検証作業が終わるまで東京電力柏崎刈羽原発の再稼働論議に応じない意向を示し、米山前知事の路線を継承する姿勢を強調した。
 2016年前回知事選で米山氏は、早期再稼働に反対する方針を掲げて立候補。共産、社民、生活の各党や民進党(当時)有志の支援を受け、自公系候補に競り勝った経緯がある。
 自民党は選挙戦で原発の再稼働に前向きな姿勢を示すのは得策ではないと判断。泉田裕彦元知事時代に副知事を務めた花角氏を擁立した。海保の元幹部である花角氏は「防犯防災の強化」を掲げ、起業を支援するなど経済再生に取り組む姿勢を強調。原発では、米山氏の路線を否定しないことで、池田氏との違いをあいまいにし原発問題の「争点外し」を狙う。花角氏は15日の出馬記者会見で「将来的には原発のない社会を目指す」と言及。県の原発検証結果が出るまで、再稼働を認めない考えも示した。
 花角氏のこうした姿勢を警戒した池田氏は米山氏が「2~3年」としてきた県独自の検証期間を「今後最低3年」に延ばす知事選公約を発表。検証終了後に「県民投票など」で再稼働の是非を問う方針も明らかにした。
 与野党幹部もこうした両陣営の方針を反映。池田氏を支援する立憲の枝野幸男代表は20日の新潟市内での街頭演説で「原発がいや応なく争点になる知事選だ」と強調したのに対し、自民党の二階俊博幹事長は21日の記者会見で「原発は選挙の争点には必ずしもならない」と述べた。 自公にすれ違い  新潟県知事選で、公明党は花角氏の「支援」を検討したが、「自主投票」とした。選挙協力を巡る地元での自公両党のすれ違いが原因だが、接戦が予想されており、自民党は「勝敗を左右しかねない」と気をもむ。
 公明党関係者によると、自民党県連と公明党の支持母体・創価学会の幹部が今月、県内で会談した。その際、自民党側が近年の国政選挙で創価学会側から十分な支援を得られなかったと不満を漏らし、両者の関係がこじれたという。
 花角氏陣営も党派色を薄めた「県民党」を掲げる考えで、自公両党とは一定の距離を置く方向だ。公明党関係者は「自主投票は仕方がないが、政党色を消しても、裏で組織をフル回転させなくて、どうやって勝つのだろうか」と自民側の対応に疑問を呈した。
 花角氏は自民党の二階俊博幹事長の運輸相時代の秘書官で、自民党は推薦を出さない場合でも全面支援する意向だ。二階氏は21日、首相官邸であった政府・与党連絡会議で「今後の重要な選挙としては新潟県知事選がある。必勝を期して全力で頑張りたい」と強調した。
 ≫【毎日新聞】


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崩れた原発「経済神話」――柏崎刈羽原発から再稼働を問う
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