世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●「平成」 “クズ”が反省もせず、グズグズと生きた時代

2019年03月31日 | 日記
街場の平成論 (犀の教室)
内田樹
晶文社

 

平成経済 衰退の本質 (岩波新書 新赤版)
金子 勝
岩波書店

 

平成の通信簿 106のデータでみる30年 (文春新書)
吉野 太喜
文藝春秋



●「平成」 “クズ”が反省もせず、グズグズと生きた時代

日刊ゲンダイは「平成」と云う時代を“転落の時代”と捉え、次の時代を“奈落の時代”と予測しているが、あながち間違いと笑い飛ばせないのが、現実なのが怖ろしい。

まぁ、以下の記事は、共同通信の世論調査の結果を受けての評論記事なのだが、他社や他者の言葉を通して悲観論を記事にしている点が悲しいが、総じて、悲観論的立ち位置のメディアとしては、上手くまとまった記事になっている。先ずは、読んでいただこう。


≪「平成よかった」が7割超 安倍偽装政治に騙される人々

 平成も残り1カ月余り。共同通信が平成の時代に関する郵送世論調査(3000人対象)を実施した結果、「どちらかといえば」を含め、73%が「良い時代」と評価したという。つくづくオメデタイ国民性だ。
 NHKインタビューで経済評論家の森永卓郎氏が語った通り、平成は「転落と格差」の時代だ。日本の世界に対するGDPシェアは、1995年に18%を占めたが、直近では6%まで減り、20年余りで3分の1に転落。バブル崩壊後は不良債権処理を口実に潰す必要のない企業をバンバン潰し、片っ端から二束三文で外資に売り飛ばした。
 日本企業が日本人のモノでなくなったせいで、企業が稼ぎを人件費に回す割合を示す労働分配率はつるべ落とし。平成以前は世界最高水準を誇ったが、直近の2017年度は66.2%と石油ショックに苦しんだ74年以来、43年ぶりの低さ。今や世界最低水準に陥っている。
 小泉構造改革以降は労働規制緩和の猛烈な嵐が吹き荒れ、今では労働者人口の38%が非正規雇用だ。実質賃金もダダ下がりの中、追い打ちをかけたのが99年に始まったゼロ金利政策だ。預金にほぼ利子がつかない異常事態が20年も続き、今ではメガバンクの普通預金の年利は0.001%。100万円を預けても、利子はたったの10円だ。
 当然、庶民は増えない貯蓄を削る生活を強いられる。「1億総中流」と呼ばれた72年には金融資産がある世帯の比率は96.8%に達したが、17年には金融資産なしと答えた世帯が31.2%に上昇。本来得られた利子を奪われ、貯蓄ゼロの貧しい世帯が急増したのが、平成という時代なのだ。

■政治が人を大切にしなくなった時代
 さらに黒田日銀がマイナス金利政策に踏み込んだため、メガバンクすら利ざやを稼げず、計3.2万人分の業務を削る大規模リストラを断行。店舗も次々と廃止し、三菱UFJは21年度までに国内516支店の1~2割を統廃合。みずほも24年度までに2割減らす。
 国内銀行の本支店数は17年3月末で約1万2000店と、ただでさえ、メガバンク誕生前の01年3月末から13%も減っている。世界各国の人口10万人当たりの銀行支店数はフランス57、イタリア48、ドイツ44、アメリカ26、カナダ24、イギリス17に対し、日本は16とG7諸国で最も少なくなったのに、さらに減らそうとしているのだ。
 元銀行員で経済評論家の斎藤満氏はこう言った。
「銀行業の根本は支店を通じた利用者サービス。それを守るのは銀行の責務なのに、維持できなくなったのも平成以降の歴代政権の責任です。『貯蓄から投資』と音頭を取り続け、株価維持のため、銀行に投資信託の販売増を押しつけた。かつての護送船団方式を崩壊させ、小泉・竹中コンビによる銀行イジメ以降は当局と銀行の信頼関係もガタガタ。20年ものゼロ金利政策で体力を奪われた上、トドメを刺したのが、アベクロコンビのマイナス金利です。
 経営が追い込まれても、もはや政府には頼れず、メガバンクでさえ自衛のために大リストラに走らざるを得ません。支店閉鎖で不便を被るのは利用者で、特にお年寄りは周りに支店がなくて途方に暮れています。それでも安倍政権はキャッシュレス化推進で、ますます銀行離れを加速させ、ついていけない人々を置き去りにする。残酷です」
 政治が人を大切にしなくなったのも、平成時代に特記すべきことだ。

■日本人の美徳を破壊した弱肉強食の格差社会
 平成の会社員が失ったのが終身雇用と年功序列だ。会社が社員を守らなくなり、賃金も低下。非正規労働者は単なる使い捨てのコマだ。会社に忠誠を誓った企業戦士は今や昔。日本を代表する大企業でもモラルが低下し、信じ難い不正が相次いだのも平成の時代だ。
「93年開始の年次改革要望書を通じた米国の外圧により、自民党政権は新自由主義へとカジを切り、そのアクセルを吹かせたのが小泉政権です。1%に富を集中させる新自由主義の徹底は弱肉強食の格差社会を生み、教育格差に発展し、今では塾に通わせられない貧困層の子は進学すらままならず、格差固定化の『階級社会』に陥っています。新自由主義を推進した結果、日本の富は米国に収奪され、中間層は完全に潰れ、社会は分断。アンダークラスの不満のはけ口は日本の戦争責任を問う中韓両国叩きとなり、排外主義もはびこるようになった。平成の時代には、日本人の美徳とされた寛容と助け合いの精神が徹底的に破壊されてしまったのです」(経済アナリスト・菊池英博氏)
 日本社会をぶっ壊した新自由主義をさらに加速させたのが、この6年のアベ政治だ。アベノミクスで株価が上がって利益を得たのは外資と海外の富裕層、そして一握りの日本人のみ。働き方改革と称した労働規制の破壊で、働く人々に長時間労働を強制し、水道法改正と種子法廃止で、命の源である水と食まで外資に売り渡す。
 こうした都合の悪いことを国会で追及されても、安倍首相は攻撃的な物言いで逆に相手を非難するか、ゴマカし、はぐらかすだけ。不誠実な体質は霞が関にも伝染し、国会に呼ばれた役人までゴマカし、はぐらかし、攻撃的発言を野党議員に浴びせかける。
 いや、企業や大学、スポーツ界で増え続ける不祥事でも、責任者は都合の悪いことを隠し、ゴマカし、はぐらかしに終始。政権のイカれた体質が日本社会全体に蔓延しつつある。
 後世に「平成最後の6年間が日本を変えてしまった」と疎まれるほど、今の日本は忌まわしい歴史の渦中にあるのだ。

■メディアの良識が消え不正もなかったことに
 安倍政権の悪事もメディアが伝えなければ、なかったことになる。おかげで、「GDP600兆円」という政治目標に端を発する統計不正の追及も今や沙汰やみ。“ダマシノミクス”のペテン政治もまんまと成功だ。
 安倍政権はNHKの経営委員に“お友だち”を送り込んだのを皮切りに、放送局の許認可権をチラつかせ、民放テレビを完全に黙らせた。テレビが政治の腐敗に沈黙すれば国民に腐敗の実態は伝わらず、政治を話題にしなくなる。
 政治を避ける視聴者に応え、テレビから政治の話題がさらに消える悪循環だ。
 選挙の投票率も下がり、政権与党の組織力が上回る。安倍政権の国政選挙5連勝には、「この国はおかしくなっている」と気付いている人ほど無力さを痛感し、政治を諦めてしまう。この政権の唯一、卓越したところはメディアをコントロールし、国民を騙し、一部の気付いた国民を諦めさせたことだ。
 政治評論家の森田実氏が言う。
「盗聴法や特定秘密保護法、共謀罪などで監視社会を強化し、モノ言う国民にプレッシャーをかける仕組みを仕上げ、さらに安倍政権が官邸に権力を集中させ、小選挙区制の導入も相まって役人も与党も政権の言いなり。ネットの発達が歪んだ共感社会への強要と、ヘイトの氾濫を生み落とし、その中で安倍政権は戦後最悪の対中・対韓関係の悪化を招いた。日米安保も強化し、ついには集団的自衛権の容認で憲法9条を死文化させたのです。
 いずれも平成の出来事で、平成には権力支配が強まった暗黒時代の側面もある。それでも7割超の国民が『良かった』と答えるのは、メディアが平成の明るい部分だけを誇張している影響でしょう。多くの国民が大本営発表を信じ、時代が誤った方向に進んでいるのに気付かなかった戦前・戦中の光景を彷彿させます。この国に全体主義の足音が近づいているような懸念を禁じ得ません」
 平成を良かったという7割超の庶民は次の時代も安倍と同じような政治家を選ぶのだろう。希代の詐欺首相による恐ろしい国民総洗脳は、いつになったら覚めるのか。
 ≫(日刊ゲンダイ)


平成と云う時代解釈は色々で良いのだろうが、平凡な時代だっと言えるのではないのだろうか。

昭和という時代が、あまりにもアップダウンの激しい時代だっただけに、どこか刺激に欠けていた時代なのだと思う。

平成は、構造的にズルズルと右肩下がりな経済につられるように、世の中全体に活力がなくなり、男子の草食化やコスパ男が大量に増産される時代になった。

このような社会現象は、権力者や既得権益層にとって、目先は非常に都合のいい時代なのだ。

しかし、被支配者の牙を抜くことで、一時支配層は絶対的な勝者になるのだが、この勝利には継続性と云うDNAが欠けているので、結果的には、敗者だらけになるか、外国に勝者の地位を譲ることになる。

つまり、日本と云う国を、市場原理主義の坩堝に投げ入れてしまった結果、最終的には、独立性に欠けた属国度が鮮明な日本と云う国が出来上がる。

米軍や、グローバル金融や企業群の配下となり、その下に、日本人がぶら下がる社会と云う構造が、目に見えて判るような時代が来るのだろう。 :仮に、米国や、グローバル資本が健全なまま推移するのであれば、好き嫌いは別にして、それでもいいのだろう。

しかし、米国やグローバル経済の限界は、その兆候を既に表しているわけで、その健全性は保証されていない。 :いやむしろ、中国やインドが覇権を握る可能性の方が、高いと考える方が妥当性があるような時代の流れなのだろう。

いま未だ、米国の方が有利だから、これからもと云う図式を信じるのは既得権益層か愚か者であって、ニュートラルに考えれば、益々、米国の覇権は怪しくなると見るのが妥当だ。

ただ、日本人の多くは、平成と云う時代を通じて、本来から持っていた、利己主義をより鮮明にし、エゴセントリックな国民性が定着している。

平成を、良い時代だったと云う人々の多くは、昭和の高度経済成長期の遺産を食いつぶして息をしていた「平成」と云う時代感覚にまで、考えが至らない知的水準だからだろう。

まぁ、エゴセントリックに考えれば、まだ食いつぶす遺産が残っている間は、良い時代だと感じるのは当然かもしれない。

正直、論理的に、自国に経済や社会が、雪隠詰めになると判っていても、エゴセントリックで、見えるものだけで、ものごとを理解や判断する以上、近い将来であっても、リスク管理を叫ぶことの虚しさを知っているので、語る者は少ない。

“やばい”と云う危機意識はあっても、彼らは、それを口にはしない。

行くところまで、行くしかない。

まるで、太平洋戦争に突入した時と同じ構図なのだ。

おそらく、超貧乏を強いられることになりそうだが、4,50代を含め、なんとか逃げ切れるのではと、それこそエゴセントリックな考えに意識下にある。

最近では筆者も、こりゃ、行くところまで行くしかないな、と思うようになった。その行きつくところが、戦争でないことを祈る気分だ。以下のように、キナ臭さは増すばかりだが。


≪ 安保法3年 自衛変容 新任務次々に
 集団的自衛権の行使を可能にし、自衛隊の役割を拡大した安全保障関連法は29日、施行から3年を迎えた。自衛隊はこの間、安保関連法に基づく「米艦防護」などの新任務を次々と実施してきた。4月には安保関連法の「国際連携平和安全活動」を初めて適用し、イスラエル、エジプト両軍を停戦監視する多国籍軍・監視団(MFO)の司令部に自衛官2人を派遣する方針だ。ただ、役割の拡大は、専守防衛を逸脱する恐れもはらんでいる。【木下訓明】
■「専守」逸脱の恐れも
 「3年間で日米同盟はより強固になり、抑止力は向上した。日本の役割拡大は、米側もしっかりと評価している」。岩屋毅防衛相は29日の記者会見で、安保関連法の意義を強調した。
 政府は、同法に基づく「実績」を積み上げてきた。日本防衛のために監視活動を行う米軍艦艇や航空機を自衛隊が防護する「武器等防護」は、2018年に16件実施。16年のゼロ、17年の2件から急増した。日本に重要な影響を与える事態の際に、地理的制約なく、自衛隊が米軍を後方支援することも可能になり、そのための共同訓練も重ねている。
 自衛隊と米軍の「一体化」は、日本の役割拡大でもある。米国を狙った中距離弾道ミサイルの迎撃もその一つ。ミサイルが発射されれば、同法に基づいて集団的自衛権を行使し、日本政府が秋田市と山口県に配備を目指している陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」と日米共同開発の迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」で迎撃することができる。
 有事の際、同法に基づき米軍の後方支援を迫られる可能性もある。ただ、米国の他国に対する武力行使への支援を強めることは、「武力行使の一体化」とみなされかねない。さらに、前線に物資を送る「兵站(へいたん)機能」は、国際的には戦闘行為と一体と見なされており、自衛隊が攻撃対象となる危険性もはらむ。
 一方、政府は昨年12月に閣議決定した中期防衛力整備計画(中期防)で、海自護衛艦「いずも」型の「空母化」改修を盛り込んだ。短距離離陸と垂直着陸が可能な最新鋭戦闘機F35Bの搭載が念頭にある。政府は常時搭載しないとし、政府見解で保有できないとしてきた「攻撃型空母」ではないと説明する。しかし、F35Bを艦上で運用すれば行動範囲は広がる。敵基地攻撃に転用する余地が残り、「専守防衛」の枠をはみ出す恐れがある。また、米軍機を搭載しての「後方支援」を迫られる可能性もある。
 岩屋氏は会見で「新たな任務で(自衛隊に)リスクが増える可能性はある。それを限りなくゼロにするため訓練をしっかりと行う」と強調した。だが、野党は「『いずも空母化』など日本の安全保障の根幹的な原則から逸脱しているような状況が見受けられる。安保関連法制を廃止する準備をしなければならない」(立憲民主党の福山哲郎幹事長)などと反発を強めている。
 ≫(毎日新聞)
 

 

平成はなぜ失敗したのか (「失われた30年」の分析)
野口 悠紀雄
幻冬舎


生活者の平成30年史 データでよむ価値観の変化
博報堂生活総合研究所
日本経済新聞出版社


オールカラー保存版 週刊現代別冊 週刊現代が見た「平成」 (講談社 MOOK)
週刊現代
講談社
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●NHKをBBC並みの国営放送に 理不尽な公共放送と受信料

2019年03月29日 | 日記

 

NHKと政治権力――番組改変事件当事者の証言 (岩波現代文庫)
永田 浩三
岩波書店

 

歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う
安田浩一,倉橋耕平
論創社

 

「通貨」の正体 (集英社新書)
浜 矩子
集英社

 

今起きていることの本当の意味がわかる 戦後日本史 (講談社+α文庫)
福井 紳一
講談社


●NHKをBBC並みの国営放送に 理不尽な公共放送と受信料


久しぶりに、個別的な話題について、考えてみた。

特にNHKで問題になるのは、政治関連のニュースやドキュメント番組、討論番組における、政権との距離感の問題だ。

安倍政権になってからというもの、日ごとに、政権との距離感は無きに等しいところまで接近している。

NHKのアナウンサーの背中に、官邸からの使いが,刃を突きつけているようだ。

NHK内部においては、幹部連中の忖度競争があられもないかたちで、繰り広げられている。

もう、NHK内においては、不偏不党など「死語」である。

このNHKの運営は、ほとんどが、国民の支払う受信料で賄われているわけで、特別、国家予算がなくても充分運営できるのだから、貧乏国の予算など貰うべきではないのだ。

無論、放送法があるから、そういう訳にも行かないだろうが、であれば、NHKには、放送法を遵守する義務があるわけで、義務の履行を要求しなければならない。

正論を言えば、放送法の改正だが、 現況では、悪く変えられる恐れがあるので、口にするのは危険だ。

“公共放送”NHKと云う立ち位置ほど曖昧なものはない。

結論を先に言えば、受信料など貰わずに、BBC同様に、完全国営化すべき存在だ。国営放送でも、案外と不偏不党は維持出来るものある。まぁ、英国のエリートとジャパンのエリートに、格の違いはあるようだが……。

【 放送法 第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。 】

放送法第一条二項≪放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。≫とあるわけだが、不偏不党どころか、一個人政治家にかしずく放送局になってしまったのだから、当然、受信料など支払う義務はない。

2017年12月、受信料の徴収を合憲と判断した最高裁判決は、無条件に、NHKの受信料徴収は合憲だと言っている判決ではないので、状況が変われば、NHKの思い通りにはならない。

まず、放送法に支払いの履行義務が書いていない。また、無条件に支払わないわけではなく、NHKの報道姿勢に疑問があり、国民の知る権利が充足するに足る報道内容になるまで、支払うことは出来ない、と慇懃に伝えるのが一番ベストだ。

このNHKの公共放送と云う呼び名の曖昧さが、国民の側にとって、最も不利益を蒙りやすい体質を内包している。

放送法の法理念にそぐわない状況で、NHKが公共放送を楯に、受信料の合法性や合理性を訴えても、聞く耳を持つ必要はない。


最近のNHKは、極端に娯楽バラエティー番組とスポーツ中継、4K放送向きな映像番組に偏りだした。

おそらく、政治関連報道をすると、安倍官邸筋からも、視聴者からも、“やいのやいの”とクレームがつき、面倒で堪らない。それなら、笑え騒げ、キレイ、スポーツと云うファクトの世界に浸って、年収1000万以上の生活が保障されている。

少し古い記事になるが、受信料への疑問を投げかける記事があったので、参考掲載する。


≪今のNHKに「受信料制度」は本当に必要なのか 放送法の理念とは大きくかい離している
 伊藤 歩 : 金融ジャーナリスト
 受信料の徴収を合憲と判断した12月6日の最高裁判決に対し、違和感を持つ声がネット上に溢れている
。 なぜ見もしないNHKに受信料を払わなければならないのか。災害報道や教育関連の放送に公共放送としての役割があるのだ、と言われてもなお、違和感をぬぐえないのは、民放の災害報道がNHKに比べて決定的に劣るという実感がないだけでなく、この説明だけでは「なぜ国営放送ではないのか」という素朴な疑問を解決できないからではないだろうか。
その疑問を解く鍵は、放送法1条2項にある。

■戦争の教訓から認められた「独立性」
NHKの根拠法である放送法が誕生したのは終戦から5年後の1950年5月。この前年には、弁護士に自治を認めた弁護士法が誕生している。
戦前の弁護士は旧司法省に懲戒権を握られていたため、国家から弾圧を受け、国民の人権を守るという職務を全うできなかった。その教訓から、弁護士には国家権力から完全に独立した自治権が与えられたのだが、同じく戦時中国家権力の宣伝部隊となったNHKにも、国家権力からの独立性を認めた。それが放送法1条2項だ。
放送法は1条で、「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」とし、そのための原則として、同2項で、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」を謳っている。
国家権力のみならず、資本家の権力からも独立した放送局であるためには、国家にも資本家にも頼らない収入源を確保しなければならない。だから国民が負担する受信料なのである。
だがしかし、NHKの最高意思決定機関である経営委員会を構成する委員は、衆参両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する。経営委員会はNHKの会長、副会長、理事といった執行幹部の決定権を握っている。したがって結局のところ、NHKのトップ人事を、条件さえ揃えば内閣総理大臣がコントロールしうる設計になっているのだ。

■官邸の「忖度」が働く
官邸の意向を汲む経営委員を送り込んでも、経営委員自身は番組制作に干渉することはできない規定になってはいる。しかし、官邸の意向を汲む経営委員が、自らの意向を汲む人物を会長や副会長、理事に据え、「忖度」が働けば、官邸は間接的にNHKをコントロールできる。
実際、2013年秋に就任した委員4人はいずれも安倍晋三首相に近いとされ、その経営委員の選んだ会長が、籾井勝人氏である。 その籾井氏が、就任早々問題発言を繰り返したことは周知のとおり。とりわけ、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」は、放送法1条2項の精神を根底から否定しかねない発言だった。
それではなぜ、放送法はそのような権限を内閣総理大臣に与えたのかというと、国民の代表機関である国会がにらみをきかすという前提があったからだろう。
国会は経営委員の選任についての同意権だけでなく、予算や受信料の承認権も握っているのだが、そうなったのは、国民は国会審議を通じて視聴者の代表たる経営委員の選任に影響を及ぼし、NHKの経営をチェックできるというロジックだったからだ。
しかし、さまざまな思想の傑物が互いに牽制し合うことで、幅広い支持者を得、時の首相といえども独走が許されなかったかつての自民党と、今の自民党は違う。
だからこそ、実際に国家権力が番組制作に干渉するかどうかの問題ではなく、それが可能な制度になっているということが問題なのだ。国家権力からの独立性が確保できないのであれば、受信料制度を維持する大義名分は失われる。

■職員の平均給与は1100万円
NHKは民放では考えられないほど贅沢に番組制作にお金を投入する。職員の給与水準も高い。2016年度のNHKの経常事業支出は6910億円。このうち給与(退職金、厚生手当含まず)は1110億円。2017年3月末時点の職員数は1万0105人で、平均年齢は41.1歳。1人当たりの給与は1098万円という計算になる。
税金で運営する国営放送になれば、お金の使い方も現在とは大きく変わるだろう。『クローズアップ現代』の国谷裕子キャスターの降板騒動、高市早苗総務相(当時)の電波停止発言など、国家権力からの独立性を疑われてもおかしくない事態が次から次へと発生している状況からすれば、今のNHKならいっそ国営放送になったほうがわかりやすい。
だがしかし、果たしてそれで良いのか。NHKが国家権力からの独立性を確保できている報道機関であると、国民が心から信じることができれば、受信料に対する理解は格段に高まるはずだ。
経営委員の任命権を国家権力が及ばないところへ移す法改正は、官僚主導の立法では無理だ。議員立法でも党議拘束でがんじがらめの自民党議員には期待できない。このところ不甲斐なさばかりが目立つ野党議員の奮起を望む。
≫(東洋経済ONLINE)

フェイクと憎悪 : 歪むメディアと民主主義
永田 浩三
大月書店

 

NHK 新版-危機に立つ公共放送 (岩波新書)
松田 浩
岩波書店

 

ドキュメント「みなさまのNHK」: 公共放送の原点から
津田 正夫
現代書館

 

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●日本政治に求められる “量から質への論争とビジョン”

2019年03月27日 | 日記

 

舵を切れ―質実国家への展望
田中 秀征
朝日新聞社



●日本政治に求められる “量から質への論争とビジョン”


最近、“お墓のお墓”と云う社会現象が話題になっている。

我が国は、根本的人口減少社会なのだが、それに輪をかけるかたちで、都市への人口集中と地方の過疎化と云う格差社会の局面が際立って見えている。

このように“お墓のお墓”が生まれたのが、先祖を蔑ろにする罰当たりな現代人と云う評価はあたらない。

ひとつは、戦後の高度経済成長期の集団就職による、地方から都会への、人の移動が、農村部と都市部と云う生活圏の違いを鮮明にしていった。

異なる言い方をすれば、都会や工業地帯と云う仕事のある国が、仕事のない田舎という国から、移民政策をしたようなものだと言える。

このような移民政策が、同一国内で起こせるのは、日本が中央集権国家だったお蔭だろう。

高度経済成長期に、都会や工業地帯が多くの労働力を必要としたのは当然だが、その頃、農村部は労働力を必要としなかったと云うファクトがないと、辻褄が合わないのだが、その辺はどうなのだろう。

これはあくまでも、筆者の想像なのだが、先ずは、農村部の「人手あまり(労働力過剰)」現象が先行したに相違ない。

この現象の多くは、農業の機械化が大きな影響を及ぼしたのは、想像に難くない。 戦前戦中の“産めよ増やせよ”の富国強兵政策のツケが農村部で明確になると同時に、農業の機械化が、過剰労働力状態を生みだした。

つまり、農村部の子供たちは、富国強兵においては、兵隊の供給源であったが、終戦と平和においては、過剰労働力と云う側面を強く持つことになった。

:ある国において、一定の期間だけ、都合のいい時期というものはあるわけで、それが、戦後の高度経済成長期だったと思う。

この、本来であれば、農村部の過剰労働力にすぎない労働力を、吸い上げる需要が、都市部や工業地帯に生まれた。

これが、わが国における、人口の大移動だったのだ。

そして、経済成長がとまり、経済縮小時代が到来することで、思いもよらない社会現象が表れることになったと言えるのだろう。

高度経済成長によって、ズタズタにされた農村部の共同体は、減反政策で、さらに疲弊し、格差と高齢化で限界集落が青息吐息で存在する状況になっている。

「地産地消」が絵空事に終わってしまうほど、地方は疲弊している。

「地方分権」等と云う言葉も、有名無実になって、日本は、ますます中央集権を強めている。

後半のインタビュー記事、大学の無償化問題への疑問の提言も、都市部への人口流にを促進させようとしている。

人口減少社会においては、一定のベクトルとして、都市の集中管理が必要になる。

しかし、その残された国土を、どのように有効活用するかが、集約させられた人々の満足度にも繋がるわけで、非常に需要だ。

つまり、人口減少国家の国力の減少は既定の路線であり、この流れに抵抗することは“骨折り損のくたびれ儲け”になるのだから、アベノミクスは、哲学的に間違っている。

いまや、日本が選ぶべき道は、“量より質”以外にないわけである。

:既得権益層に、その選択を任せている限り、どのような「質」が求められているか、議論のテーブルに乗ることはない。

その意味で、自公政権では、その質へのビジョンも見えてこないが、立憲民主党や共産党からも、この“量から質への論争とビジョン”は聞こえてこない。


≪拡大するお墓の墓 「先祖累代」もう引き継げない ドキュメント日本
【 故郷にある先祖累代の墓をどうするか、が都会で暮らす人の共通の悩みになって久しい。住居近くへの改葬や納骨堂の利用が一般化するのに伴い「墓石解体業」がビジネスとして広がりつつあるという。業者に引き取られ、縁もない場所に集められる墓石がどんどん増えている。「お墓の墓」が映す現代とは――。(大元裕行)】





:三重県西部に位置し、奈良と県境を接する名張市。林の中の舗装もされていない道を進むと、突然視界が開け、ぎっしりと墓石が並ぶ一画に行き当たった。墓石解体業の美匠(奈良県橿原市)が運営する「永代供養安置所」。御影石、大谷石……。種類の違う石材が色のコントラストをつくる。形も一般的な直方体から円柱状のものまで多種多様だ。

:江戸時代の元号が読み取れる墓碑や題目、称名が刻まれて宗派が分かる墓石、旧陸海軍の戦死者のために造られた墓石も。一つ一つを見れば、かつては家族の歴史を子孫に伝えるものとして大切に守られていたことが感じられる。 美匠の中西あざみ社長(41)によると、10年前、500坪の土地に設けた安置所には約5千基が集められている。「子供に引き継げないから墓じまいをしたい」「墓石の処理に悩んでいる」などの問い合わせは年間1千件に上る。間もなく、スペースは埋まり、近隣の土地で拡大する方向だ。

 :これまで21都府県の個人や石材店などから墓石解体の依頼を受けてきた。墓の一番上に置かれる竿石(さおいし)は1基1万円で受け取り、クレーンを使って安置所に運ぶ。定期的に清掃し、僧侶が供養する。中西社長は「色々な経緯がある墓石ばかりだが、誠意を持って接している」。

: 厚生労働省の「衛生行政報告例」によると、墓の移転や墓じまいの際に必要な改葬の許可件数は2017年度、全国で10万4493件。5年前と比べ約3割増えた。都市への人口集中と人口減が墓じまいを選ぶ人の増加に拍車をかける。
 ≫(日本経済新聞)



≪大学無償化に異議の教授「大卒至上主義こそ問い直しを」
 大学など高等教育の「無償化」が本格化する。家計が豊かでないために進学を断念する若者を支援するのは、誰もが賛成する「よい政策」にみえる。これに対し、大阪大学大学院の吉川徹教授は「大卒学歴至上主義を無分別に押し付けるものだ」と異議を唱える。長らく日本社会の姿を分析してきた計量社会学者に、その真意をたずねた。

きっかわ・とおる
1966年島根県生まれ。専門は計量社会学で、計量社会意識論、学歴社会論に関心がある。静岡大学助教授、大阪大学准教授などをへて現職。著書に「学歴分断社会」「日本の分断~切り離される非大卒若者たち」など。

――今国会に関連法案が提出された高等教育の無償化に異議を唱えていますね。

 「本来の無償化とは、家計の所得にかかわらず、すべての学生を対象に授業料を免除したり、給付型奨学金を支給したりすることです。一方、いま政府がやろうとしている政策の対象は、3割に満たない低所得世帯の学生だけです。それを『無償化』と呼ぶのは極めて不適切で、誤解を招きかねません」

 「人材育成のための教育支援、貧困の連鎖を断ち切る――。聞こえのよい目的を掲げているため、異議を唱える人は少ないでしょう。しかし政府が消費税率を上げるにあたり、『これだけいいことに還元しますよ』というスタンドプレーにしか見えません」

――意欲や能力があるのに、経済的な理由で進学できなかった人が、進学できるようになるのはよいことでは?

 「制度が始まる2020年の18歳人口は約117万人。うち60万人超が大学・短大に、専門学校なども含めれば計90万人が進学します。でも、そもそも進学せずに就職する30万人弱の非大卒層には、何のメリットもありません。にもかかわらず、財源は全国民から薄く広く徴収する消費税です。増税分の十数%にあたる7600億円が、ごく限られた大学生などをもつ低所得世帯への支援に投じられるのです」

――いま、低所得世帯の進学率は4割どまりです。新制度でこれが8割まで上がり、全学年あわせて最大約75万人が恩恵を受ける、と政府は試算していますが。

 「お金さえ出せば、新制度が100%利用されて進学率が上がると考えるのは早計です。以前、アンケートで子どもに大卒以上の学歴をつけさせるべきかという質問をしましたが、新制度の対象となる住民税非課税の低所得世帯で、大学に行かせたいとの回答は他の層の8割以下でした。『いくら学費負担が軽くなっても、大学や短大には行かない』という考えの人はいると思います」  

――いま日本には、親が非大卒だと、子どもも非大卒になりやすい「学歴再生産」の流れがあります。無償化でそれを断ち切れるのでは?

 「政府や有識者は、貧困の連鎖を断ち切るためには『大学に行かせるのが、唯一の方法だ』と考えがちですが、高度成長期以来、脈々と続く『大卒学歴至上主義』は問い直すべき時期に来ています。拙速な無償化には弊害もあります。例えば、いま大学は都市部に集中しているため、大学進学率が上がれば、地方の人口減少に一層拍車がかかるでしょう。若い高卒労働者層の人手不足は加速するかもしれません」  

――なぜ安倍政権は無償化を打ち出したのですか?

 「教育政策は効果を検証するのに長い時間がかかります。政府は支援の事実をもって成果が上がったとアピールしたいのでしょう。でも大学教育や労働力の質は向上したのか、不平等の連鎖は断ち切られたのかなど効果が見えてくるのは、支援を受けた人が40代になってからです」  

――AIの発達や経済のグローバル化などを踏まえると、これからの若者は進学して高度な技術や知能を身につけるべきではありませんか?

 「今回の無償化で大学に進学できるようになる学生が2万~3万人増えても、それがそのまま全て『高度人材』になるわけではありません。あくまで大学進学のハードルを下げるのが政策の意図です」  

――日本の高等教育への公的な支援は先進国中最低レベルです。無償化は、世界の水準に近づく一歩では?

 「高等教育の公的負担を増やすことは否定しません。私学助成金や国公立大学の運営費交付金を増やして大学の入学金や授業料を下げる。所得にかかわらず全員が恩恵を受けられるようにすべきです」

 「この政策の主眼は、再分配におかれています。住民税非課税世帯の高等教育の学費という支出に限り、特別に再分配をする。実態は所得格差の是正策なのに、安倍政権が『高等教育の無償化』と説明するから、『経営の苦しい大学の救済策に過ぎない』などと批判を浴びるのです」  

――確かに無償化に対する世論調査では、賛成と反対が拮抗(きっこう)しています。

 「この政策がよくないのは、結果的に、国は大学に進学しない人を支援しないというメッセージを発してしまうことになるという点です。労働力人口の過半が短大・大卒層になるのは2030年。当面は日本の労働力人口の約半分は非大卒層が占める状態が続きます。なのに、完全な『大卒社会』になるかのような幻想を生みだしてしまう」  

――もう大卒層への支援は必要ないと考えますか?

 「私が訴えたいのはバランスをとるべきだということ。大卒層と非大卒層は、社会を支える飛行機の両翼です。学歴で機会やメリットの分断が広がっているのに、非大卒層向けの政策はほとんどない。7600億円の税金を使うなら、大卒層と非大卒層への支援に同額を使うべきです」  

――ただ、高卒層は職場になじめず数年でやめるケースも多いようです。進学して職業選択の意識を高めたうえで社会に出る方がよいのでは?

 「かつては商業高校や農業高校が多く、高校生には複数の選択肢がありました。今は大半が普通高校になって進学が最優先され、就職層を育てている自覚が教育現場で希薄になっています。18歳の若者が大学に行っても、地元に残って働いても、幸せと思えるような社会にする。そのために非大卒層も大卒層と同じように、20代前半までに社会で生きていく上での基盤をつくれるようにすべきです。例えば、安定的に正規職につけるよう、若い非大卒層を雇った企業には月5万円ずつ援助するといった支援をする。彼らは色々な仕事を経験して失敗するかも知れませんが、『長期インターン』のようなものと考えてはどうでしょうか」

 「政府は外国人労働者の受け入れを拡大しようとしていますが、その前にまず自前の非大卒層を有効活用する態勢をつくるべきです」  

――平成の「失われた20年」で、非正規社員が増えました。苦しいのは何も若者だけではないのでは?

 「大卒層であっても、非正規社員になって貧困に陥る現役世代が増えました。ロストジェネレーションとも呼ばれる、先行きが不安定な彼らの賃金格差を是正する方が、無償化よりももっと大切です。消費税の財源は、彼らへの再分配にもあてるべきです。政府は、今回の無償化で次世代が大学に行けると強調しますが、現役世代の格差はむしろ助長されることになります」    

  ◇  1966年島根県生まれ。専門は計量社会学で、計量社会意識論、学歴社会論に関心がある。静岡大学助教授、大阪大学准教授などをへて現職。著書に「学歴分断社会」「日本の分断~切り離される非大卒若者たち」など。

■大学の無償化とは
 無償化の対象となる学校は、大学、短期大学、高等専門学校、専門学校。入学金や授業料の減免と生活費などをまかなう給付型奨学金の拡充が二本柱。
 授業料の減免は各学校が独自の基準を設けて実施しているが、2020年度から国の支援を拡大する。  住民税非課税世帯(年収270万円未満)は全額、270万~300万円未満はその3分の2、300万~380万円未満はその3分の1を減免する。
 ただ、学校種ごとに減免の上限額(国公立大が54万円、私大が70万円)がある。入学金も減免するが、上限額(国公立大28万円、私大26万円)がある。
 返還がいらない給付型奨学金は、18年度から住民税非課税世帯の2万人(1学年あたり)を対象に24万~48万円を支給している。20年度から、この対象を年収380万円未満の世帯まで広げる。課外活動費や通学費、食費などをまかなう想定で35万~91万円(自宅生か下宿生か、国公立か私立かなど属性によって異なる)を支給する。

■取材を終えて
 家計にのしかかる学費負担は年々重みを増している。これは大学生2人の親である私の実感でもある。それゆえ無償化は漠然とよい政策だと感じていたのだが、吉川さんの話を聴いて、少し認識を改めた。高齢化が進む地方に残り、消滅も危惧されるコミュニティーを支える非大卒層を、吉川さんは現代日本の「金の卵」と位置づける。大卒層だけでなく、非大卒層への目配りも欠かせないとの指摘は説得力を感じた。(日浦統)
 ≫(朝日新聞デジタル)

 

だれが墓を守るのか――多死・人口減少社会のなかで (岩波ブックレット)
小谷 みどり
岩波書店

 

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●豊かさの基準の変更 日本経済の右肩下がりはとまらない

2019年03月25日 | 日記


●豊かさの基準の変更 日本経済の右肩下がりはとまらない

 久々のコラム執筆だ。半月ばかり留守にしたが、遂に死ぬかと思う日々を過ごした。

5年の間に二度目の死闘だから、三度目は駄目かもしれない。


そんなこともあり、真剣に日本の将来について、考えてみた。

この考えは、表立って口にするものはいないが、霞が関官僚らや、日本のエリート層においては、なかば暗黙の了解になっているような気がしてならない。

ただ、この「真実」を口にすることは、日本人のマインドや、日本社会の「空気」において、タブーな真実と云うことになるような気がしてならない。

ここ数年、何度となく死闘を繰り返している筆者は、個人的な資産管理のパラダイムを、大きく切り替えたのは事実だ。

日本が滅びるなどと、大袈裟に表現するつもりはない。

ただ、人口減少が明確になった国家が経済成長を続けることは困難だ。

人口減少と云う、重大な負のファクターを克服する産業構造改革は一切出来ていないし、する気もない。

財政の健全化を口にはするが、財政支出を根本的に変えることは、そう簡単にできることではない。

歳入を増やすために消費増税をしたとしても、累進課税、金融課税に手をつけない限り、根本的歳入の改善は見られない。

結局は袋小路に入り込んだネズミのようなもので、逃げ場はない。事実、真剣に日本経済の突破口を探しても、ほとんど徒労なのである。 :ゆえに、日本人の上から下まで、思考を停止させている。

つまり、多かれ少なかれ、日本人は“今だけ、金だけ、自分だけ”と云う思考経路を持っている。

このような思考、「後は野となれ山となれ」と似た感覚があるわけで、潔くて、無責任なのである。 :しかし、現実問題、社会構造を力づくで変えることは、容易ではない。

変わるべくして変わる時期を待つのが、現実的選択になる :日本人は、理論で説得されたり、行動を促されても、ほとんど動かない。多くの場合、「情動」や「あきらめ」から行動する。

構造的に経済成長が望めない産業に、あいも変わらず資源を投入し続けるのだから、三者連続三振の経済政策にならざるを得ない。 :原発事故が起きた時点でさえ、東京電力解体に動けなかった国である。

旧態依然の産業を捨てることが出来ない国家なのだ。或る意味、人情味豊かな国家であるが、成長を捨てたも同然なのもたしかだ。 :それなのに、現政権は経済成長を政権維持の原動力にしてる。

存在しない経済成長を旗印にするものだから、公表する統計数値は、すべて改竄するしかなくなるわけで、構造的に欺瞞が起きるようになっている。

つまり、ないもの強請りした時点で、嘘をつくと云う選択肢しかなくなったことになる。

ゆえに、役人が忖度で八百長をしていると云うよりも、安倍政権が、霞が関に八百長を強いていると云うのが正しい理解だ。

だが、安倍政権が悪いのは事実だが、ことさらに彼の所為だと言い募るのも、実は問題から遠ざかる。

誰が政治を司ろうと、日本経済は、かなりの確率で衰退していく。移民に手を染めても大同小異。

人口減少は経済成長にとって、致命的敗北要因なので、この要因から逃げることは、不可避な問題なのである。

以下、ビデオニュースドットコムのふたつの番組が共通して、日本経済の根本的問題点を指摘している。

ふたつのコラムが指摘する問題点が克服できるとは思えない以上、日本経済が奈落の底へ落ちる確度は相当なものである。

無論、奈落の底に落ちるのは「経済大国日本」であって、「日本社会」ではない。

ただ、日本社会が経済等云う価値観に縛られている限りにおいては、不幸の連鎖は継続する。

ここは、哲学的な思考に耽るべき時だ。

経済成長神話の呪縛から解放される時、「幸福感」を得られるものは何なのか、プライドが保てる「価値観」はどういうものなのか、早々に真剣に考えるべき時期が来ている。

そうした選択を怠ると、喪失感と劣等感に包まれる日本社会が現出するのは確実だ。

経済に変わる価値観がどのようなものなのか、明確ではないが、内向きな方向性を選ばざるを得ない。

ただし、内向きと云う概念が、マイナスなものかどうか、それは構成された内向き社会の魅力次第であり、必ずしも負の社会とは言えない。


≪アベノミクスとは結局何だったのか
ゲスト:明石順平氏(弁護士)
番組名:マル激トーク・オン・ディマンド 第937回(2019年3月23日)

 アベノミクスと呼ばれる経済政策の妥当性をめぐる経済学会界隈の議論は、人口の99.99%を占める経済学の門外漢であるわれわれにとって、今一つ釈然としないところがあった。

 アベノミクスに批判的な経済学者たちは、金融政策だけで経済成長を実現することなどあり得ないと指摘し、実際に効果があがっていないことがその証左と主張してきたが、もう一方でアベノミクスを支持する経済学者やエコノミストたちは、金融緩和が不十分だから成果があがらないのであって、その理論自体は間違っていないと主張し続けてきた。

 そして、そこから先の議論は経済の専門用語が飛び交う難解なものになりがちで、門外漢にとっては空中戦を見せられているような疎外感を禁じ得ないものだったのではないだろうか。

 ところがここにきて、まさに経済学の門外漢そのものといっていい、労働法制を専門とする一人の弁護士が、アベノミクスの矛盾点や欺瞞を素人にもわかる平板な言葉で指摘した本が話題を呼んでいる。

 弁護士の名前は明石順平氏。彼が2017年に著した「アベノミクスによろしく」がその著書の名前だ。  明石氏は大学も法学部出身で、「経済の素人」を自任する。

 その明石氏がアベノミクスのカラクリを彼なりに分析してみた結果、経済学者の説明を待つまでもなく、これがまったくもって無理筋な政策であることがすぐに理解できたという。なぜ日本人の多くがこんなデタラメな政策に、いとも簡単に騙されてしまったのかと驚いたと、明石氏は語る。

 アベノミクスとは①大胆な金融緩和、②機動的な公共投資、③構造改革の3本の柱からなる安倍政権の旗印といってもいい経済政策だが、その最大の特徴は①の金融政策にある。景気が良くなると物価が上がるという理論に基づき、人為的に物価をあげれば景気がよくなるという仮説を立てた上で、大胆な金融緩和によって円安を引き起こすことで物価上昇を実現すれば、経済成長が実現できるというものだ。

 安倍政権と日銀が目指した前年比2%の物価上昇は6年経った今も終ぞ実現しなかったが、とはいえ実際には物価は確実に上昇してきた。例えば2013年から3年間だけでも物価は4.8%上昇し、そのうち2%分は消費税増税に起因するもの、2.8%は円安に起因するものだった。

 しかし、その間、景気は一向によくならなかった。GDPの6割を占める消費が、まったく上向かなかったからだ。

 その理由は簡単だと、明石氏は言う。賃金が上がらなかったからだ。

 アベノミクスのデタラメさは、名目賃金から物価上昇分を割り引いた実質賃金が、安倍政権発足後コンスタントに下がっていることにさえ気づけば、誰にもわかることだった。「なぜ誰もそれを指摘しなかったのか不思議でならない」と明石氏は言う。

 実際、実質賃金が下がり続けた結果、経済の大黒柱である民間の消費支出も下がり続けた。その間、支出に占める食費の割合を示すエンゲル係数は上昇の一途を辿った。アベノミクスによって国民生活は苦しくなる一方だったことが、難しい計算などしなくても、ネット上から入手が可能な公表データだけで簡単に明らかになっていたのだ。

 しかも、アベノミクスには、最近になって露呈した統計偽装を彷彿とさせる巧妙なカラクリが、いくつも仕込まれていたと明石氏は言う。

 例えば、政府統計では安倍政権発足後、日本のGDPは着実に上昇していることになっている。しかし、実際は2016年末に政府は、「国際基準に準拠する」という理由でGDPの算定方法を変更し、その際に過去のGDPを1994年まで遡って計算し直していた。その結果、どういうわけか安倍政権発足後のGDP値だけが大きく上方修正されるという不可解な修正が行われていたというのだ。

 もともと「2008SNA」というGDPを算出する国際的な新基準は、これまでGDPに算入されていなかった研究開発費をGDPに含めるというもので、結果的に各年度のGDP値は概ね20兆円ほど上昇する効果を持つ。しかし、2016年に安倍政権が行った再計算では、これとは別に「その他」という項目が新たに加えられており、「その他」だけで安倍政権発足後、毎年5~6兆円のGDPが「かさ上げ」されていたと明石氏は指摘する。しかも、出版社を通じて「その他」の内訳の公表を内閣府に求めたところ、「様々な項目があり、内訳はない」という回答が返ってきたというのだ。「その他」項目では、安倍政権発足前が毎年3~4兆円程度下方修正され、安倍政権発足後は毎年5~6兆円上方修正されていたことから、安倍政権発足以降のGDPのかさ上げ額は平均で10兆円にものぼると明石氏は指摘する。

 もう一つの重要なカラクリは、アベノミクスが一般国民、特に自ら事業を営んでいるわけではない給与所得者や一般の国民が景気を推し量る指標となっている株価と為替レートについて、「恐らく意図的に」(明石氏)、見栄えを良くする施策を実施してきたことだ。経済は複雑で多くの国民が日々、経済ニュースを追いかけているわけではないが、どういうわけか円・ドルの為替レートと日経平均株価だけは、NHKの5分ニュースでも毎日必ずといっていいほど、しかも一日に何度も報じられる。多くの国民がこの2つの指標を、世の中の景気を推し量る目安にしてしまうのは無理もないところだろう。

 ところが安倍政権の下では、この2つの指標が公的な強い力によって買い支えられ、つり上げられてきた。日銀はETF(指数連動型上場投資信託受益権)の買い入れ額を大幅に増やしてきたし、年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は国内株式への投資割合を安倍政権発足後、倍以上に増額している。ETFとかGPIFとか言ってもよくわからないが、要するに日銀や政府の公的機関が、数兆円単位で東京市場の株価を買い支えてきたということだ。

 先述の通り、為替については、かつてみたこともないような大規模な金融緩和による円安誘導が続いている。

 われわれは日々のニュースで、為替は1ドル110円以上の円安が、日経平均は史上最高値の更新が日々、続いていることを耳にタコができるほど聞かされているわけだ。(なぜ日本人の多くが、円安が日本経済の好ましい指標と考えるかについては謎の部分も多いが、迷信も含めてそのような先入観があることは事実だろう。)

 明石氏はそこに、一般国民にわかりやすい経済指標だけはしっかりと手当をする安倍政権の政治的意図があったのではないかと推察する。

 実際、2012年12月の選挙でアベノミクスを旗印に選挙に勝利して政権を奪還した安倍政権は、それ以来6回の国政選挙のすべてで、「アベノミクスの信を問う」ことで、ことごとく勝利を収めてきた。そしてその間、安倍政権は特定秘密保護法や安保法制、共謀罪等々、過去のどの政権もが成し遂げられなかった大きな政策をことごとく実現してきた。しかし、実際の選挙ではそうした重要な社会政策は常にアベノミクスの後ろに隠されてきた。過去6年にわたり日本の政治はアベノミクスという呪文に騙されてきた結果が、戦後の日本のあり方を根幹から変える一連の重要な政策という形でわれわれに跳ね返ってきているのだ。  また、無理筋な経済政策で幻想を振りまいてきたアベノミクスの副作用や後遺症も、次第に深刻の度合いを増している。そろそろわれわれも目を覚まさないと、未来に大きな禍根を残すことになりかねないのではないか。

 国民生活に直結する選挙の争点は難解な経済論争に惑わされず、常識で判断することの重要さを説く明石氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、アベノミクスの虚像と実像について専門用語を一切抜きで議論した。

*明石 順平(あかし じゅんぺい)弁護士 
【1984年和歌山県生まれ。2007年東京都立大法学部卒業。09年法政大学法科大学院卒業。10年弁護士登録。ブラック企業被害対策弁護団所属。著書に『アベノミクスによろしく』、『データが語る日本財政の未来』。】
≫(ビデオニュースドットコム)
 https://www.videonews.com/marugeki-talk/937/



≪日本人が知らない日本の「スゴさ」と「ダメさ」

ゲスト:デービット・アトキン氏(小西美術工藝社社長)
番組名:マル激トーク・オン・ディマンド 第934回(2019年3月2日)

 デービッド・アトキンソン氏はかつてゴールドマンサックス証券で金融調査部長を務め、90年代の日本の不良債権危機にいち早く警鐘を鳴らしたことで知られる。そのアトキンソン氏は今、小西美術工藝社という漆塗、彩色、錺金具の伝統技術を使って全国の寺社仏閣など国宝・重要文化財の補修を専門に行う会社の代表に就いている。そのかたわら裏千家に入門し茶名「宗真」を拝受するなど、日本の伝統文化への造詣はそこらあたりの日本人よりも遙かに深い。

 そのアトキンソン氏にイギリス人の目で見た日本の魅力とダメなところを聞くと、意外なことがわかる。どうもわれわれ日本人は、自分たちがすごいと思っているところが外国人から見ると弱点で、逆に必ずしも自分たちの強さとは思っていないところに、真の強さが潜んでいるようなのだ。

 例えば、日本人の多くは、日本が1964年の東京五輪や1970年代の万博を経て、経済大国への道を駆け上がることが可能だったのは、日本人の勤勉さと技術や品質への飽くなきこだわりがあったからだと信じている。

 しかし、アトキンソン氏はデータを示しながら、前後の日本の経済成長の原動力はもっぱら人口増にあり、他のどの先進国よりも日本の人口が急激に増えたために、日本は政府が余計なことさえしなければ、普通に世界第二の経済大国になれたと指摘する。

 実際、今世界で人口が1億を超える先進国は日本とアメリカだけだが、第二次大戦に突入する段階で日本のGDPは世界第6位で、既に日本には教育、工業力、技術力など先進国としてのインフラがあった。そして、第二次世界大戦の終結時から現在までの間、日本の人口は倍近くに増えたが、当時日本よりもGDPで上位にいたイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどの列強諸国は日本ほど人口が増えなかった。だから、日本はそれらの国を抜いて世界第二の経済大国になったというだけであり、あまり勤勉さだの技術へのこだわりなどを神話化することは得策ではないとアトキンソン氏は言うのだ。

 むしろ90年代以降の日本は、過去の輝かしい成功体験と、その成功の原因に対する誤った認識に基づいた誤った自信によって、身動きが取れなくなっていたとアトキンソン氏は見る。

 逆に、日本は人口増のおかげで経済規模を大きくする一方で、一人ひとりの生産性や競争力を高めるために必要となる施策をとってこなかった。そのため、規模では世界有数の地位にいながら、「国民一人当たり生産性」は先進国の中では常に下位に甘んじている。

 その原因についてアトキンソン氏は、日本は長時間労働や完璧主義、無駄な事務処理といった高度成長期の悪癖を、経済的成功の要因だったと勘違いし、その行動原理をなかなか変えられないからだと指摘する。

 また、その成功体験に対する凝り固まった既成概念故に、日本人、とりわけ日本の経営者は一様に頭が固く、リスクを取りたがらない。人口増加局面では、無理にリスクなど取らず、増える人口を上手く管理していけば自然に経済は成長できたたが、人口増が止まり、むしろ人口の減少局面に直面した今、効率を無視した日本流のやり方は自らの首を絞めることになる。

 しかし、その一方でアトキンソン氏は、日本人の清潔なところや治安の良さ、住みやすさ、細やかな気配りや器用さ、真面目さといった素養は、日本人の潜在的な能力の高さを示していると言う。日本人は潜在能力は非常に高いが、過去の成功体験に対する間違った認識から、その潜在力を発揮できず、逆に改めるべき点がなかなか改められないというのがアトキンソン氏の見立てだ。

 特に日本人、とりわけ日本人経営者のリスクを取ろうとしない姿勢や、極度に面倒なことを嫌う性格が、日本人の潜在力の発揮を妨げているとアトキンソン氏は言う。そして、それこそが、実は日本の経済的成功の残滓だった可能性が高い。つまり、元々先進工業国としてのインフラが整っている日本で人口が急激に増えれば、黙っていても経済規模は大きくなる。その間、経営者がリスクテークをしたり面倒なことをすれば、それはかえって経済成長を邪魔する可能性すらある。こうして、リスクテークをせず、面倒なことも避けようとする経営体質が日本に根付いたとすれば、人口の減少局面に瀕した今、まさにそこから手を付けなければならないのではないかとアトキンソン氏は主張するのだ。

 日本の潜在力を引き出すためのウルトラCとして、アトキンソン氏は政府が最低賃金を全国一律で毎年5%引き上げることを提唱する。そうなれば「頭の固い」「リスクテークをいやがる」日本の経営者でも、厭が応にも毎年5%以上の生産性を上げる必要性に駆られることになり、過去の過った成功体験にすがっている場合ではなくなるからだ。  外国人だからこそ見える日本の長所、短所を厳しく指摘するアトキンソン氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。  

*デービッド・アトキンソン(David Atkinson)小西美術工藝社社長
【1965年イギリス生まれ。87年オックスフォード大学卒業(日本学専攻)。アンダーセンコンサルティング、ソロモンブラザーズを経て、92年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長、マネージングディレクター(取締役)、パートナー(共同経営者)を経て2007年退社。09年小西美術工藝社入社、取締役に就任。10年代表取締役会長、11年より同会長兼社長。著書に『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』、『デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論』など。】
≫(ビデオニュースドットコム)
https://www.videonews.com/marugeki-talk/934/


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●考える前に知るべきこと 「反中・親中」双方に伝えたい中国

2019年03月07日 | 日記

「フェイク・ニュース愛好家」の場合は、そのフェイク情報の真偽は別にして、その情報が、自分の気持ちに、心地よく聞こえるから、素直にその「情感」を受け入れ、その経験を積むことで、「情動」に変わっていく。

そういう意味では、そのような大切な「情感」や激する「情動」高揚感を乱したくはないので、このコラムは、読まない方が賢明である。

まぁ、中には、不愉快な内容が書かれているゆえに、反論や炎上させる行動の為に嫌だが読む、という律儀な中国嫌いもいるだろうから、読むなとは言えない。

筆者は、中国関連の人たちがいる状況で、中国が好きかと聞かれれば、「素晴らしい知識人、勇猛果敢にビジネス界に船出、「孫正義」のように闘うビジネスマンがいる。ただ、中国は広すぎるから、底上げは、大変な事業になりそうですね」

「いや、そうではなく、中国人を、好きか嫌いか、と尋ねたのだけど」このように、意地悪くツッコミを入れてくる人もいる。

その時は「それは、困った。逆に貴方に質問だけど「貴方は、日本人が好きですか嫌いですか?」

 「うーん、参ったね。質問を間違えた。その好き嫌いの、割合はどのくらいですか?」

それなら、ある程度、イジッテいない統計データがあるので、後日、彼に幾つかのデータを基に、筆者は持論を展開した。

 *申し訳ないが、急用が入った。今夜か明日、続きを書くことにする。

 以下4本のコラムは参掲載として、掲載しておくので、読んでおいていただきたい。個人的には、随分と目からウロコな事実を知ることも出来た。


 ≪時代の風 “日本人の変わらぬ中国観 自国の立ち位置、直視を”=城戸久枝・ノンフィクションライター
 
上海で10年働く友人が、春節休みで帰国した。久しぶりに会って、最近の中国事情について聞いてみる。中国のキャッシュレス化がどれほど浸透しているのか、くわしくレクチャーしてもらった。レンタサイクルでも、屋台でも、現金で支払うことはほとんどなくなったそうで、最近は割り勘するときも、アプリのやり取りで決済できるのだという。日系企業で働いている彼女は言う。いまの日本は、中国の変化についていけてないように感じると……。日本と中国の関係の変化を感じさせられるような言葉だった。

 私は1997年から2年間、中国東北地方にある長春市の吉林大学に留学していた。留学生活のなかで、さまざまなカルチャーショックを受けた。特に驚いたのは、中国の人が想像以上に日本のことを知らないということだった。そして、日本人もまた、中国のことを知らないとわかった。当時はすでに、中国の経済発展はめざましかったが、日本人の意識としては、自分たちはまだまだ、中国よりも立場は上にいるような意識は少なからずあったように思う。日本の電化製品が人気であり、日本に留学を望む人が多かった。日本に憧れている人も多かった。そんな時代だった。

 あれから、20年が過ぎた。日本の国内総生産(GDP)は早々と中国に抜かれて、世界第3位になった。日本の経済は停滞し続けている。しかし、日本人はいまだに、自分たちがアジアのトップにいるという意識から抜けきれてはいないように思う。

 たまに中国に関するニュースが取り上げられていると思えば、中国のどこそこで、日本をまねたキャラクターを使った遊園地がある(最近では、汚職追放キャンペーンにスーパーマリオとそっくりなキャラクターが使われていたという話もあった)とか、壁にはさまれた子供の話、マナーが悪い旅行者の姿、爆買いなど、20年、30年前と何ら変わりがない内容ばかり。そんなニュースを見るたびに、少しうんざりする。もっとほかに、取り上げるべき中国の話題はないのかと。

 今月9日、3月に退職される徳島大学総合科学部の葭森(よしもり)健介教授の最後の講義と謝恩会に参加するため、徳島を訪れた。徳島大学は私の母校であり、葭森教授は、私が中国政府奨学金留学生として中国に留学したときの大きなきっかけを作ってくださった大切な恩師だ。卒業してからも常に私のことを気にかけてくださっている。魏晋南北朝史を中心とする中国史を研究されていて、これまでにも、私を含め、多くの学生を中国留学に送ってこられた。中国の大学との交流も深く、徳島県日中友好協会会長もつとめられる葭森教授が、いまの日本と中国の関係をどう思われているのか知りたいと思った。

 「日本人は、中国に対して、今もまだ、助けてあげないといけないという意識を持っている。それではだめなんです。もう助ける必要なんてない。今は時代が変わってきている。中国が変わっているということに気づかないといけないんです。日本人が変わらなければならないんですよ」

 葭森先生はそうおっしゃった。では、どうしたら日本人は変われるのか?  「もっと外に出ていかなければ。今、日本国内にいると、とても居心地がいいのですよ。だから出て行こうとしない。自分たちがマジョリティーの立場にいてはいけないんです。自らマイノリティーの世界に足を踏み入れて、マイノリティーの立場から物事を考えるんですよ。そうすることで、日本人は、殻をやぶることができると思うんです」

 教授の言葉を聞きながら、私は自分の留学生活を思い出していた。中国留学の一番大きな収穫は、自分たちとは違う環境で育ち、異なった考え方を持つ友人たちと出会ったことだった。そのときに、私は自分が母国である日本のことを知らないということを知った。そして、初めて世界が広がったように思う。

 日本は、どうしたら変われるのだろうか。それには、まず、世界の中で、日本がどのような立ち位置にいるのかを客観的にとらえることが必要だと思う。過去のいい思い出にとらわれ過ぎないで、足元をしっかりと見極める。そうすれば、これからの日本の進むべき道が見えてくるのではないかと思うのだ。
 ≫(毎日新聞;時代の風:“日本人の変わらぬ中国観 自国の立ち位置、直視を”=城戸久枝・ノンフィクションライター)


≪ 日中の意識変化 「近代化」超えた関係を =小倉和夫・青山学院大学特別招聘教授 小倉和夫・青山学院大学特別招聘(しょうへい)教授

 10月の安倍晋三首相の中国訪問は、日中関係好転の兆しでもあり、それを促進する触媒でもあり、首脳会談の意義は小さくない。

 けれども、現在の日中関係をやや長期的視点から、それも国民の目線や感情の視点から観察すると、日中関係の好転という側面とは違った深刻な問題の存在に気がつく。それは日本国民の対中感情の問題である。

 いかに首脳会談が成功しようと、中国に対する国民レベルの感情が盛り上がらなければ、中長期的に安定した日中関係にはなりにくい。ところが、世論調査(言論NPOの調査)によれば、日本国民の9割前後は中国に対して悪感情(あるいはどちらかといえば悪感情)を持っているという。しかも、こうした状況はこの5年ほど変わっていない。なぜであろうか。

 表面的には、東シナ海への進出にみられるような中国の軍事大国化、領土問題をめぐるあつれき、過去の歴史問題などを理由として挙げる人が多いだろう。

 しかし、実はもっと深いところに真の原因が潜んでいるのではないか。

 その一つの証拠は、日中関係の各側面についての日本国民の一見奇妙な反応に見いだされる。先ほどの世論調査によると、中国の改革開放政策が日中間の交流促進に役立ってきたかという設問に対して、4割を超える回答者が「わからない」と答えている。また、日中両国経済の共存・共栄が可能と思うかという問いにも、3割を超える人々がやはり「わからない」と回答しているのである。

 こうした傾向の背後には、中国の将来への不安、あるいは不可測性(予測できないこと)も影響していよう。そうだとすれば、さらにその背後には中国という国について、あるいは日中関係の歴史について深い理解がない、という事情が潜んでいるように思う。

 例えば、「歴史を見れば、日中間には2000年近い友好の歴史があり、不幸な出来事があった時代は過去100年の間に過ぎない」と述べる人が多い。しかし、南宋を除けば、中国の歴代王朝あるいは政権と日本はいつも戦ってきた。  唐とは、百済復興を意図して、いわゆる「白村江の戦い」(663年)があった。元は再度にわたって日本に侵攻した。明朝とは、豊臣秀吉軍が朝鮮で戦った。そして日清戦争、日中戦争がある。

 他方、現代の日中交流についても問題がある。「両国の若者同士は共通の意識で結ばれている」として、漫画やアニメの世界、ポップス、村上春樹の小説、高倉健の映画などを例示する人も少なくない。確かに、そういう側面はある。

 しかし、日本人がかつて論語、漢詩、三国志、紅楼夢などの古典を通じて理解していた中国文化や中国人気質を現代の若い日本人はどこまで理解しているであろうか。日中間で長らく「共通の文化遺産」であったものは、日中双方の社会の変化に伴って急速に共通のものではなくなっている。

 そして、時代の波は、今や日中の間の「近代化」をめぐる共通項にも微妙に変化をもたらしている。明治から大正にかけて日本へ留学した中国人の意気込み、また、第二次世界大戦後も、日本の経済発展から学ぼうとした中国人の意欲は、中国自身の経済発展と大国化によって、急速に方向転換しつつある。

 ここには実は、中国と国際社会との関係についての大きな歴史的問題が秘められている。中国が自らの政治的統一と経済発展の道に苦しんでいた時代においては、中国社会の「近代化」は西洋化でもあり、中国は日本も含めた先進国から学び、吸収することに専念していた。その過程は、日本の近代化、西洋化と類似の要素を多分に含んでいた。

 しかし、今や中国は大国化し、中国の政治、経済、文化的影響力は世界に伸びようとしている。「中国社会の西洋化」が「西洋の中国化」に取って代わられようとしているのだ。

 「一帯一路」の経済圏構想やアジアのインフラ開発のための銀行設立などは、まさに中国主導の国際秩序構築の一環とみなさねばならない。そもそも、中国的発想からすれば「中国の西洋化」は「西洋の中国化」という過程の一部なのだ。

 今や、中国の文化と伝統を理解し、歴史を再吟味して、「近代化」という共通項を超えた日中関係の構築を目指さねばなるまい。
 ≫(毎日新聞:時代の風・日中の意識変化 「近代化」超えた関係を:小倉和夫・青山学院大学特別招聘教授)

 

≪ “訪日外国人3000万人突破 増えた来客、閉じる視野=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員”  

日本政府観光局(JNTO)が、2018年の訪日外国人数の速報値を発表した。この数字には、観光客に限らずビジネス客その他も含まれるし、同じ人物が1年間に複数回訪日すれば複数人と数える。

 さて18年の訪日外国人の総数は、天災の多さに負けず17年よりも9%増加。3119万人となり、民主党政権下で当時の前原誠司国土交通相が掲げた3000万人という目標を、本当に達成してしまった。ちなみに彼が当時、蛮勇を振るって実現した羽田空港国際化が大きく貢献したことを、政治的意図を抜きに事実として指摘しておきたい。

 ところで、同じ統計の国別の数字をみると、もっといろいろなことが読み取れる。18年の1年間に日本に入国した米国人は153万人で、17年よりも11%増えた。カナダ人は33万人で8%増だった。それでは米国人とカナダ人のどちらが、より頻繁に訪日していることになるだろうか。

 国連人口部作成の17年推計・予測に基づいて、18年現在の各国の人口を、各国からの18年の訪日人数で割ってみる。そうするとわかるが、米国人は年間に214人に1人が訪日したのに対し、カナダは112人に1人と、米国人の2倍も頻度高く訪日している。オーストラリアになると45人に1人と、米国人の5倍近くの頻度で訪日した計算だ。英国の199人、フランスの214人に比べても、いかにオーストラリア人やカナダ人が日本をよく訪れているかわかる。そしてありがたいことに、両国以外の欧米各国からの訪日人数も、年々増加する傾向にある。

 とはいえ日本各地で圧倒的に多く目にするのは、やはりアジアからの観光客である。それでは中国人(香港、マカオ、台湾の住民はパスポートが違うので含めない)と、米国人、どちらが訪日頻度は高いだろうか。中国からの訪日人数は昨年は14%増えて838万人となり、計算すると169人に1人と、米国を大きく抜き去る水準となった。今後、中国人客はまだ増えるのか、それともさすがにそろそろ頭打ちになっていくのだろうか。

 ヒントになるのが、台湾や香港からの訪日頻度だ。これまでの数字とは桁が違っていて、昨年1年間だけで台湾からは5人に1人、香港からはなんと3人に1人が訪日した計算になる。住人の3分の2が中国系のシンガポールからも、13人に1人が訪れた。ビザ要件が緩和されたタイやマレーシアからもそれぞれ、61人に1人、68人に1人が訪日している。これら数字を虚心坦懐(たんかい)に眺めれば、169人に1人が来日したという中国の昨年の水準が、今の程度でとどまるとは到底考えられない。日本に来たい人(繰り返し来たい人含む)はまだまだ無尽蔵に存在するだろう。その流入は、何か政治的な障害が起きない限りは止まらない。

 ところで韓国はどうだろうか。昨年夏からいわゆる徴用工問題が顕在化し、暮れにはレーダー照射問題が加わった。そんな昨年に訪日した韓国人は300人に1人? 100人に1人? いやいや10人に1人? 正解は7人弱に1人、韓国国民の15%だ。ちなみに昨年、海外(もちろん韓国に限らない)に出国した日本人は、全部で1895万人で、同じく日本国民7人弱に1人だった。いかに韓国人がよく日本を旅行しているか、両者を比較すれば一目瞭然(りょうぜん)だ。それに対し、韓国と国交断絶などと騒ぐ一部日本人は、韓国の今を自分の目で見ているのか。これら日本好きの一部韓国人に、日本好きを深めてもらうことがどれだけ重要か。このことを、政治的意図を抜きにして事実として指摘しておきたい。

 オリンピックももう翌年だというのに、精神的に鎖国した日本人が増えていないか。外国の実情を肌で知ろうともせず、空想の世界観の中で「日本は」「日本人は」と言い募る。他者に匿名で罵詈(ばり)雑言を浴びせることは、相手が誰であるかを問わず大人として恥ずかしい行為だ、という認識がない。目先のもうけや人気取りのために、他者への恐怖や敵がい心をあおる輩(やから)もいるようだ。対抗するには、感情抜きに事実を事実として確認し、その上で冷静に考える習慣を持つ人間を増やすしかない。感情が事実を踏みにじって絶対王者のように振るまう世界に向かわないよう、心ある人は事実に学んでほしい。
≫(毎日新聞:時代の風・“訪日外国人3000万人突破 増えた来客、閉じる視野=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員” )



 
≪コラム:日本の「鎖国マインド」解くための処方箋 [東京 11日 ロイター BREAKINGVIEWS]
- 日本の相撲界は、この国の行く末を暗示しているようだ。日本出身力士として約20年ぶりに横綱に上り詰めた稀勢の里は数週間前、涙ながらに引退を表明した。この間、彼以外の横綱は、大半がモンゴル出身者だった。

:角界の多様化は、歴史的に移民に対して懐疑的な社会における、海外からの「流入」現象のほんの一端にすぎない。2019年の現在でも、一部の飲食店やホテルは「日本人専用」と掲げてはばからない。とはいえ、コンビニエンスストアから企業の役員室まで、外国人は日本の人材不足を埋めており、彼らの存在は確かに感じることができるものだ。

 :しかし低迷する経済成長を活性化しようとする日本政府にとって重要なのは、移民を増やすことよりも、彼らと共に働けるよう日本人を「教育」することだろう。

 :日本の人口における外国人の比率は現在わずか2%程度にすぎないが、今後上昇することは確実だ。高齢化する日本の人口は2010年以降、100万人超減少しており、移民労働者はその経済的影響を和らげる不可欠な要素となっている。

:賃金が上昇し人手が不足する中、日本の市民ではない人たちは日本経済を走らせる上で必要不可欠である。労働参加率が劇的に上昇しない限り、日本の労働力は2015─30年に12%減少すると、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のアナリストは試算する。

:安倍晋三首相は、自身の政策が「移民」受け入れを促進しているというイメージを避けたいようだ。新たな移民はいずれオートメーション化される単純作業を埋める一時しのぎの労働力にすぎないと考える人もいる。

:それが何を意味するかはさておき、日本は労働力を輸入しており、それは単純作業でも短期間でもない。昨年末に可決された改正出入国管理法(入管法)により、向こう5年で約34万人の移民受け入れが見込まれている。

:西洋のような多文化主義に懐疑的ではあるものの、日本経済は海外投資に深く依存している。国内成長は長年伸び悩み、日本企業は相次いで海外企業を買収するようになった。国内総生産(GDP)に占める割合から見た日本のM&A投資額は、中国の2倍だとコンサルタント会社ベイン・アンド・カンパニーは指摘している。

 :また、TOPIX(東証株価指数)構成銘柄による売上高全体の3分の2近くは海外から来ていると、ウィズダムツリー・ジャパン株式会社のイェスパー・コール最高経営責任者(CEO)は推定する。モルガン・スタンレーによると、中国上場企業の場合はわずか12%にすぎない。

その結果、日本の大企業の多くは海外から幹部を起用するようになった。中でも有名なのは日産自動車(7201.T)のカルロス・ゴーン前会長と武田薬品工業(4502.T)のクリストフ・ウェバー社長だろう。 武田薬は約6.2兆円でアイルランド製薬大手シャイアーを買収してから、日本の企業らしさが薄れつつある。また報道によると、ジャパンディスプレイ(6740.T)が、中国の国有ファンドらと資本提携交渉に入っている。シャープ(6753.T)は台湾フォックスコン・テクノロジー・グループ(鴻海=ホンハイ=集団)による経営支援を受け入れた。 海外の資本家も日本企業の行動を変えようとしている。

米投資会社バリューアクト・キャピタル・マネジメントはオリンパス(7733.T)に取締役を送り込んだ。米プライベートエクイティ(PE)大手KKRと米投資会社ブラックストーンは日本の複合企業の不採算部門を買収して分離独立させ、立て直して収益を上げたい考えだ。また、年功序列よりも業績ベースの報酬制度を導入することを検討している。日出づる国にとっては大きな文化的変革である。

:海外からの圧力は、不快な改革を行う好都合な口実を提供してくれる。「ガイアツ(外圧)」は痛みを伴う。ゴーン前日産会長は、外資のような高額な報酬パッケージを受けていたが、現在はそれが問題視されて逮捕され、東京拘置所にいる。

:外国人とその資金が日本に流入するにつれ、文化の衝突も激しさを増す。

:他のアジアから地理的に離れている島国であることも一因として挙げられる日本の隔離性は、コミュニケーション問題をもたらしている。東京以外では、一般的に外国語を話す日本人を見つけるのに苦労する。これは中国との大きな違いだ。中国では、中間層は英語を学習したがり、英語名をつけることに熱心だ。

:ほかにも見えない文化のバリアがある。日本にいる「外人」の多くは民族的には日本人だが、海外で生まれたことを理由に外国人でいることを余儀なくされている。

:そのような曖昧さは悪しき政策に支えられている。日本は2重国籍を許していない。その結果、日本人とハイチ人の両親をもち、米国籍も保持するテニスの全米オープン女子覇者の大坂なおみ選手は日本国籍を失う可能性がある。

:こうした政策は、海外に居住する日本人130万人が帰国して働くことを阻んでいる。さらに悪いことには、海外に順応した彼らの子どもたちの帰国する意思をそぐことにもなりかねない。海外に暮らすこれらの日本人は、流入し続ける「アウトサイダー」を日本が受け入れる上で、重要な役割を担うだろう。

:より優れた移民政策のモデルは数多くある。2重国籍を法律で禁じている中国でさえ、優秀な人材を海外から呼び戻すプログラムに取り組んでいる。日本が倣うことができる政策だ。 「ガイアツ」も結構だが、真の変革は自発的であるべきだ。
*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。  
≫(ロイター・コラムーライター・Pete Sweeney)

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●ジャパニーズ・中世司法制度 国際世論を意識か?

2019年03月06日 | 日記

●ジャパニーズ・中世司法制度 国際世論を意識か?

ゴーン容疑者保釈のニュースは、敢えてブルームバーグの記事を引用しておこう。

≪ 日産元会長ゴーン被告の保釈認める、保釈金10億円
私は無実だ、裁判で徹底的に潔白主張へ-ゴーン被告が声明 「厳しい保釈条件だがよかった」とゴーン被告担当の弘中弁護士 :東京地裁は5日、会社法違反(特別背任)や金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の罪で起訴され、東京拘置所に勾留されていた日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告の保釈を認める決定をしたと発表した。同日夜には検察による準抗告も棄却したと発表したことで、ゴーン被告は早ければ6日にも保釈される可能性が出てきた。

 
カルロス・ゴーン被告Photographer: Junko Kimura-Matsumoto/Bloomberg  

 保釈保証金は10億円。勾留期間は昨年11月の最初の逮捕から100日以上に及んでいる。  

 ゴーン被告は家族を通じて声明を発表。「厳しい試練の間ずっと私を支えてくれた家族や友人に、心から感謝している。そして推定無罪の原則と公正な裁判のために闘ってくれた日本や世界の非政府組織や人権活動家にも感謝する。私は無実であり、こうした事実無根で根も葉もない告発に対し、公正な裁判で徹底的に潔白を主張することを固く決意している」と表明した。  

 2月にゴーン被告の新たな弁護人となった弘中惇一郎弁護士らが同月28日に保釈請求を出していた。前の弁護士による過去2回の保釈請求は却下されていたが、弘中氏は保釈後の証拠隠滅などが疑われないよう、今回は監視カメラを設置するなど外部との接触を断つ仕組みを提案。「説得力のある保釈申請」を心がけたとし、「そう遠くない時期に保釈となる可能性はある」と話していた。  

 保釈決定を受けて弘中弁護士は電話取材で「保釈を無事にできてよかった。厳しい保釈条件だが、これからきちんと遵守していきたい」と述べた。地裁によると、保釈条件については、国内の住居制限や海外渡航禁止のほか、証拠隠滅や逃亡を防ぐための条件が付けられた。  

 一方、東京地検の久木元伸次席検事は広報を通じて「特段のコメントはない」とだけ述べた。日産の広報担当者は保釈が認められたことについて、裁判所や検察が決定したことについてコメントする立場にないと述べた。  

 昨年11月19日に東京地検に逮捕されたゴーン被告は3つの事件で起訴され、東京拘置所での勾留生活が100日以上に及んでいた。海外から長期勾留に対する批判が出ていたほか、ゴーン被告の家族は国連の恣意的拘禁作業部会に対し、同被告の長期勾留は基本的人権を侵害するものだとして保釈への支援を求める方針を示していた。 

 検察が手掛ける特別背任事件において、被告が全面否認しているにもかかわらず保釈が認められるのは珍しいケース。弁護士でコーポレートガバナンスなどに詳しい上智大学のスティーブン・ギブンズ教授は、弘中弁護士ら新たな弁護団が就任したことや、国際社会の厳しい監視などが今回の決定につながったとの見方を示した。  

 ゴーン被告は1999年に経営危機に陥っていた日産に出資したルノーから送り込まれ、国内工場の閉鎖を含む大規模リストラを実施するなどで業績のV字回復を達成した。一昨年4月に西川広人社長に日産CEOの座を譲り、逮捕直前は日産とルノー、三菱自動車とアライアンスの会長を兼務するなど新車販売台数で世界首位クラスに成長した自動車グループの経営にあたっていた。
 ≫(ブルームバーグ)


カルロス・ゴーン容疑者が、ようやく保釈された。保釈金10億円と云うのも目が丸くなるが、それはさておき、筆者は、かなり前になるが、日本の大使が「シャラップ!」と、日本の司法制度は「中世の司法だ」と揶揄されたことに激怒して、シャラップ!を連呼した事件を思い出した。

この件で、日記をブログで公表している、布川事件の再審で強盗殺人容疑の無罪が確定した桜井昌司氏が、「公式会場で、こともあろうに大使たる者が、感情を露にしてシャラップと叫ぶとは、中世的なのは司法だけではなくて国家そのものだと、上田大使は暴露してしまったねぇ」と書いていた。

現在の安倍政権の政権運営や、改竄、隠蔽、すり替え、メディアへの圧力、官僚への圧力、自民党議員への圧力を、何の衒いもなく行えるのだから、「司法だけじゃなく、中世的な国家そのものだ」が、あまりにも当たっているので、もしかすると、日本の本質なのかもしれない。


 ≪ 上田秀明大使、国連で「シャラップ!」
日本政府を代表して出席した外務省の上田秀明・人権人道大使が国連の会議で「シャラップ!」と怒鳴りつける動画が拡散し、ネット上で話題になっている。

「シャラップ!」とは、英語で「黙れ!」という意味。子どもを叱りつけるときには使うが、公的な会議の場で、ましてや世界各地の代表が集まる席で使うのは異例だ。

この動画以外にも上田大使の発言を証言する人が続々と出ており、日本外交の品位が問われる事態にもなりそうだ。

一体、なぜ上田大使は、ぶち切れているのだろうか。この発言が飛び出したのは、スイス・ジュネーブで5月22日に開かれた、国連の拷問禁止委員会の審査会の席上だった。

拷問禁止委員会は残酷で非人道的な刑罰を禁じる「拷問等禁止条約」が、きちんと守られているか調べる国際人権機関。日本は1999年に加入し、6年ぶりに2回目の審査を受けることになっていた。

審査最終日のこの日、アフリカのモーリシャスのドマー委員が、「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と日本の刑事司法制度を批判する場面があった。これに対して、過敏な反応をしたのが、最後に日本政府を代表して挨拶した上田大使だったという。

会議に出席した小池振一郎弁護士は次のようにブログで記している。

 「中世」発言について、大使が、「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」と開き直ったのにはびっくりした。当初、同時通訳が「日本は最も先進的な国だ」と訳し、あわてて、「最も先進的な国の一つだ」と言い直した。

会場の、声を押し殺して苦笑する雰囲気を見て感じたのか、なんと、大使は、「笑うな。なぜ笑っているんだ。シャラップ!シャラップ!」と叫んだ。 会場全体がびっくりして、シーンとなった。大使は、さらに、「この分野では、最も先進的な国の一つだ」と挑戦的に繰り返し、「それは、もちろん、我々の誇りだ」とまで言い切った。

(小池振一郎の弁護士日誌 「日本の刑事司法は『中世』か」2013/5/29) この流出動画だが、もともとはNGO団体が主催するHP「UN Treaty Body Webcast」が公開したものだった。

これを見ると、上田大使が「日本は中世ではない。私たちは、この分野で世界でも最も進んだ国の一つだ」と言ったところで、会場から失笑が漏れた。それに激怒した上田大使は、「Don't Laugh!」(笑うな)と言ったあとに、「Why you are laughing?  Shut up! Shut up!」(なぜ笑うんだ、黙れ!黙れ!)と強く口調で怒鳴りつけていることが分かる。

この会議では、布川事件の再審で強盗殺人容疑の無罪が確定した桜井昌司氏も傍聴席にいた。彼はブログで次のように振り返っている。

拷問禁止条約委員会の委員が、日本の回答に対して再質問し、「日本の取り調べの在り方は中世的だ」と、かなり鋭く指摘した。我々は、よし!と喜んだが、上田大使は面白くなかったらしい。最後の発言で、「日本は世界の先進的な近代国家だ!」と、大声で反論した。

もちろん、我々は大使の激怒と反論の馬鹿馬鹿しさに笑ったところ、「シャラップ!」と2度も叫んだのだ。公式会場で、こともあろうに大使たる者が、感情を露にしてシャラップと叫ぶとは、中世的なのは司法だけではなくて国家そのものだと、上田大使は暴露してしまったねぇ。 (獄外記「日本審査」2013/5/23)
≫(ハフポスト日本版・オールラウンドエディター安藤健二)


:ゴーン容疑者は、一貫して無罪を主張していた。日本の刑事司法では、無罪を主張する容疑者に対しては、徹底的に「人質司法」に頼っている。

:所謂、合理的な物証に基づき犯罪を照明するというよりは、状況証拠と容疑者の自白を持って、容疑者の犯行を証明する。

:容疑者の勾留期限は、無罪を主張して場合、証拠隠滅の恐れがあると云う理由で、長期に容疑者を勾留することが通例となっている。

:容疑者が証拠隠滅を図る可能性があると検察側の主張を、裁判所が流れ作業のように、保釈請求を退ける傾向が強い。

:たまたま今回は、弘中弁護士らが、ゴーン容疑者が、証拠隠滅を図ることが不可能な状況を提案することで、みごと保釈を手に入れた。

:裁判所が、弁護団の提案を無碍に無視するわけにはいかなかったのだろう。

:しかし、このようなケースは非常にまれで、弁護団の知恵と、国際的監視の目が、裁判所の腰を引かせたに過ぎないのだと思われる。

:最近の長期勾留の記憶に新しいのが、籠池夫妻の約1年に近い「人質司法」だ。

:彼らの容疑は、大きな森友学園問題の、僅かな瑕疵に目をつけ、犯罪者(まだ容疑者だが)にすることで、おおもとの学園問題に関与していた安倍首相夫人の姿を抹消させる、いわゆる、印象操作と云う見方が有力だ。

:今回のゴーン容疑者の事件に関しては、日産の日本人経営者との「司法取引制度」を利用した、新たな刑事司法の始まりのような事件だけに、人ごとではなく、日本人が考えるべき事件なのである。

:以前起きた、岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長が受託収賄などの罪に問われていた事件で、最高裁が市長側の上告を棄却した。

:この事件においても、非常に不透明な「司法取引」紛いの検察の捜査方法で、藤井市長の刑が決定した印象が強い。

:中世の司法と揶揄され続ける、日本の刑事司法において、どこからかの借り物じみた「裁判員裁判」や「司法取引」などは、瑕疵だらけの日本の司法の問題点を、ことさらに複雑怪奇なものにしているようだ。

 :最後になったが、フランス・LEMONDO紙も一面で、ゴーン保釈を報じた。

 ≪Carlos Ghosn autorisé à sortir de prison contre une caution de 7,9 millions d’euros Après 107 jours de détention au Japon, le désormais ex-PDG de Renault, qui continue de se dire innocent, obtient une première victoire juridique. ・……………≫(LE MONDO)

 :筆者の怪しい意訳だと、「ゴーン氏保釈、10億円。日本での拘禁は107日に及んだ。現在も、同氏は無罪を主張しているが、まずは、保釈と云う法的ハードルを克服した。」と云う感じになる

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●震災復興・原発廃炉・辺野古 住民に寄り添う口先三寸

2019年03月05日 | 日記
日本再生最終勧告 ‐原発即時ゼロで未来を拓く
クリエーター情報なし
ビジネス社

 

地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体 (ちくま新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房


予想はついていた。フクイチ原発被災者への賠償問題も、宮城・岩手の災害復興も、どこかで住民(人間)が置き去られて、復興が進んでいるように印象づける、コンクリート復興作業が目立つ。


辺野古新基地建設の沖縄県に対する政府の対応も、口では「寄り添う」と言いながら、舌の根も乾かぬうちに、ビンタを浴びせて「問題ない」と菅官房長官が嘯く。

東電は、大爆発事故を起こした当時は、「(1)最後の一人まで賠償貫徹(2)迅速かつきめ細やかな賠償の徹底(3)和解仲介案の尊重――を宣言している」のだ。

しかし、時間経過とともに、経営幹部の刑事責任回避の目処が立った辺りから、不遜な態度に切り替わった。

こうしてみると、やはり当時声高に叫ばれた「東電解体」と云う主張は正しかったと、思わざるを得ない。

政府や官僚の考えからすると、現地の住民や被災地の住民の、多種多様な意見や要望に応えていたら日が暮れる。あきらかに、その精神で、すべてが実行されている。

しかし、一定の公共的一律性は必要だろうが、個別の問題や要望にも、一定の範囲で、受け入れられる限り、応じてやろうと云う精神が、根本的に書けている。

東日本大震災において、津波で被害を受けた地域のコンクリート堤防など、土建屋とゼネコンが潤う復興政策は、産業の復興が極端に前面に出て、住民の生活レベルへの配慮は置き去りにされているように思える。

つまり、復旧復興と口にしながら、土木工事に精を出しているのが、現在の東日本大震災の復興の姿だ。

過去に、そこに住んでいた人々は、どこへ行ったのか。巨大堤防や橋や道路は、着々と出来つつあるが、そこに住む人々の姿が見えていない。

フクイチ原発事故、安倍が世界に宣言した、いや、野田が「収束宣言」を出した時点から、住民は一気に見捨てられ、現在に至っている。

政府は福島の暮らしの安全性のプロパガンダに精を出すのも、2020年のオリンピック開催が終着点にあるのだろう。

福島の生産物の安全をことさらに強調して、風評被害は撲滅運動にマスメディアを動員している。

しかし、市場の原理だろうか、スーパーの売り場で、福島産の野菜果物、鮮魚の類は、ことごとく安いのだ。それでも、スーパーが閉った後も、それらが売り切れにはなっていない。

正直、国民は、薄々政府の欺瞞に気づいていて、殊更に政府が叫ぶ、安全宣言を一層怪しいと訝っているようだ。

嫌がる住民への帰還政策も、かくたる科学的エビデンスに基づかず強行されている。

しかし、社会共同体を現実可能にする、住民の帰還はかなわず、かなりの、小中学校が廃校になる始末だ。

結局、復興だ復興だと言いながら、大規模な土木工事が行われているだけで、GDPを押し上げただけに過ぎないのだ。

国民から馬鹿にされている民主党の菅政権は、それでも、津波被災地からの復興には、減災を中心とし、自然と調和し、民間の力を尊重した復興すると宣言した唯一の政権だったのだ。

これが覆ったのは、同じ民主党だが、野田佳彦政権になった、ガラリと方針が変えられたことを思い出す。

野田は、財務大臣だった時、事務次官だった勝栄二郎の薫陶を受け洗脳され、方針転換をした流れだが、この中には経済合理性に準拠した復興計画に、大転換したと考えられる。

そして、今の安倍政権において、その大転換は、一層拍車がかかり、住民を放射能に中に住まわせ人体実験でもするかのような政策に舵を切っている。

このような現実を見ると、日本政府も、霞が関も、それを喰わせている国民も、沖縄辺野古に、冷たい目を向けているのと同じ構図なのである。


≪(社説)原発事故賠償 東電は「誓い」の実践を
 福島第一原発の事故からまもなく8年。いまだに損害賠償の話し合いが決着する見通しが立たず、不安を抱える多くの被災者がいる。ゆゆしい事態だ。
 原発周辺の住民が集団で申し立てた和解仲介手続き(ADR)で、国の原子力損害賠償紛争解決センターが示した和解案の受け入れを東京電力が拒み、手続きが打ち切られるケースが昨年から相次いでいる。
 約20件、関係する住民は約1万7千人にのぼる。個別に仲介を再申請したり、正式に裁判を起こしたりする道はあるが、時間も費用もかかる。速やかな賠償をめざして設立されたセンターは、これまでに1万8千件を超す和解を成立させたが、大きな壁に直面している。
 和解案には、文部科学省に置かれた原子力損害賠償紛争審査会が定めた指針を上回る内容が含まれる。これに対し東電は、「一律の増額は困難」「事故との因果関係を認め難いものがある」と反論。賠償額がさらに膨れ上がるのを避けたい思惑が働いているのは明らかだ。
 だが、この姿勢は厳しく批判されなければならない。
 東電は「3つの誓い」として、(1)最後の一人まで賠償貫徹(2)迅速かつきめ細やかな賠償の徹底(3)和解仲介案の尊重――を宣言している。ところが実際の行動との間に隔たりがあり、センターや文科省は繰り返し、順守を求めてきた。
 原賠審の指針は賠償の目安として重要だが、全ての事象や時の経過による被害状況の変化までカバーするものではない。
 裁判でも事実の認定やルールの解釈には一定の幅がある。まして簡易な手続きで救済を図るのがADRだ。よほど不合理な点がなければ受諾する。それが「誓い」の精神であり、深刻な事故を引き起こした企業の当然の務めではないのか。
 国、とりわけ経済産業省の責任も大きい。国策で原発を推進し、いまは東電の実質的な大株主でもある。危機感をもって監督・指導してもらいたい。
 解決が難航する原因の一つに指針自体の問題もある。事故の直後に定められ、その後何度か修正されたものの、被害の収束が一向に見えないなか、複雑・多様化する実態に対応し切れていない面がある。
 原賠審は、現状を精査し、指針の見直しにむけて検討を始めるべきだ。別途裁判で争っている被災者もいるため、司法判断の行方を見極めたい意向のようだが、それを待っていては救済は遠のくばかりだ。原賠審の存在意義もまた、問われている。
 ≫(朝日新聞デジタル)



≪ 誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗
「やることはやった」で終わっていいのか

■この復興は失敗である
:7月10日投開票の参議院議員選挙に向けて、安倍政権の政策検証が各メディアで行われている。とくに「アベノミクス」と「安全保障問題」に多くの人の関心はあるようだ。
:その中で丸5年を超えた東日本大震災・福島第一原発事故の復興政策については、世間の反応は実に穏やかに見える。すでに政府も集中復興期間を終え、やることはやったかのようであり、被災地もまた何かをあきらめてしまったかのようだ。
:だが、本当はこう言わねばならない。 「この災害復興は失敗である」
:それも単なる失敗ではない。
:私たちが何年もかけて反省をし、もうこれ以上の失敗を重ねないよう議論をしつづけ、制度にまでのせようと努力していながら、その反省を吹き飛ばすかのように最悪の結果を導いた、そのような失敗である。
:この失敗の原因はどこにあるのか。何をどう問題視する必要があるのか。そのなかで震災時から災害の処理を担当してきた各政権をどのように見たらよいのか。9ヵ月後にはついに丸6年を迎えるこの微妙な時点で、あらためてこの震災復興の問題を考えてみたい。
:津波被災地では、長大な沿岸に巨大防潮堤が延々と築かれている。だがこのまま建設をつづけても、その背後に住む人はほとんどいない、そういう事態を招きつつある。
:奇跡の一本松で有名な陸前高田でも、いったいこの盛り土の上に誰が住むのかという奇態な高台造成が進んでいる。漁業や観光で生業を営んでいた人々にとって、復興事業が――正確には復興の前提となる防災事業が――復興の大きな障害になってしまった。被災地・被災者を応援するはずの復興事業が地域を死の町へと誘っていく。
:福島第一原発事故の被災地では、帰還政策が盛んに進められている。除染とインフラ整備が復興の基本であり、この地への早期帰還が目論まれているが、廃炉にまだ何十年もかかる被災地に、おいそれと人が戻れるわけがない。
:ましてそこで子育てなどできるわけはなく、帰還政策は早期決着による賠償切りと政府や東電の責任回避のためとみてほぼ間違いがない。
:こんな政策で被害者の生活再建につながるわけはない。巨額な資金を投じながら、それらのほとんどが被災者たちのための復興ではないものに使われている。
:一体何が起きているのか?

■復興にかける時間を考える
:現状批判をさらに続けよう。
:本来、仮設住宅は3年が限界と言われてきた。これは、建物の限界ではもちろんない。むしろそこに暮らす人の限界、もっといえば社会の限界である。
:「仮の暮らし」を続けるのにはやはり3年が限界、そして地域の復興も3年を超えれば難しくなり、3年までにもとの地域を立て直し、なりわいを取り戻さなければならない。その限界が3年なのである。
:にもかかわらず、なにか当たり前のように、5年経ってもまだ復興の目処はつかず、多くの人が仮の暮らしのままにある。私はここで「復興を急げ」と言いたいのではない。こんな復興政策では、いくら急いだって復興はできない。もっと原点から考え直さなければならない。政策そのものを立て直さなければならないはずだ。
:今述べたのは津波被災地の実情である。原発事故災害の状況は、時間に関しては大きく違う。が、事態の根幹は同じようだ。
:原発事故についても政府はその復興をやたらと急いでいる。単純にいえば、5年(ただし始まったのが津波被災地よりも遅いのでプラス1年で、事故発生から6年)で避難元へと避難者を帰すという帰還政策が復興政策の柱だ。
:だが事態の大きさや、原発事故という災害の質から考えてそのような政策は無理である。帰還は簡単ではなく、すでに避難指示が解除された地域でも、まだほとんどの人が戻れていない。それは当然であり、ここでは帰還までに用意されている時間が短すぎるのである。
:そもそも廃炉に30年はかかり、40年でも実現可能かどうかというのが公式見解である。撒き散らされた放射性物質も、半減期の長いものでやはり30年。さらに人々が気にするのは子どもたちへの影響であり、世代が一サイクルするのにやはり30年かかる。
:しかもここでは自治体丸ごとの長期広域避難を余儀なくされ、地域社会はまるっきり壊れてしまった。いったん崩壊した社会の再生にもやはり、30年程度の時間がかかる。原発事故災害の復興にかかる時間は、つまりは最低限でも30年はかかるというべきだ。
:事故から丸5年が過ぎた。少なくともあと25年はその事後処理をつづけなければならない。その覚悟が必要なのに、なぜか6年を目処に復興を終了させようとしている。そして帰還しようとしない被害者に対し、「なぜ帰らないんだ」とのイライラさえ政府の間で募りはじめてきた。
:例えば、朝日新聞2016年2月1日付では、自民党東日本大震災復興加速化本部の幹部の話として、「住宅提供があるから戻らない住民もいる。いつかはやめなければいけない」という声が拾われている。
:だがその前に正すべきは、この政策の失敗である。はじめからうまくいかない復興政策だから、誰も戻ろうとしないのである。政策の失敗を被災地/被災者に責任転嫁するのはやめるべきだ。
:間違いのもとを正し、進むべき道筋をあらため、人々の声をよく聞き、着実な形で生活再建・地域の復興がなされるよう、慎重になすべきことを見極めなければならない。

■大規模公共事業の否定と住民参加
:今回の震災復興の失敗は、しばしば震災初期に掛け違えたボタンにたとえられる。
:震災発生から1年ほどの早い時期に、ボタンが間違えて掛けられてしまった。そして掛け違えたまま、間違った復興が急がされ、今日までつづいている。そのボタンを元に戻さないと、本当の復興には行き着かない。
:むしろ進めれば進めるほど、復興政策が、被災地の/被災者の復興を阻害する。間違った復興政策が復興を長期化し、長引く復興を急がせようとして、さらに事態をこじらせ、復興はもはや不可能な状態にまで陥ってしまった。
:だがこの失敗がどうにも良く分からないのは、私たちがこの事態を予想できないものであったのなら、これもまた「想定外」の一つとして片付けることもやむなしというべきだが、どうもそうではないということだ。
:ここで起きていることは、今回震災が生じてはじめて気付いたというよりは、すでに90年代後半に気づいていたはずだ。分かっているのにそうなってしまう――この構造が不気味なのだ。
:私たちはすでに90年代にはこう議論してきた。私たちが直面している問題は、もはやこれまでのように巨大な土木事業では解決できない。むしろ大規模な土木事業が環境を破壊し、私たちの暮らしを壊している。
:お金が使えるからといって、予算が付くからといって、無闇に土木事業を興すのはやめよう――。この反省がバブル崩壊後には、実際の政策にも移され、土木事業にはその必要性の説明が強く求められ、アセスメントが義務づけられ、巨大な事業は基本的には認められなくなっていた。
:2000年代初頭の構造改革も、こうした思考を前提に進められたものであったはずだ。
:加えて90年代以降は、こうしたことも常識になっていった。 :今後はどんなことでも住民の参加が必要である。上意下達で決めて、下々の者は上の者に従えば良いと考える時代はもう終わった。民間の力を組み込み、官民共同で進めるべきである。
:その民間の力をより多く引き出すために、98年のNPO法(特定非営利活動促進法)もつくられた。いまとなっては、そのきっかけが同じく時代を画した大震災(1995年阪神・淡路大震災)であったのも皮肉な話といえるかもしれない。
:大規模土木事業による問題解決法の否定。そして上意下達の政策形成から、官民共同、住民参加を基本にした政策形成への転換。
:90年代のこの転換は、例えば平成9年(1997年)の河川法の改正などに現れている。それまでの治水と利水という、人間のための改変のみで自然に向き合うあり方を反省し、環境への配慮が河川法のもう一つの大きな柱として加えられた。
:そして人が暮らす環境を守ることで、人間自身にも優しい暮らしのあり方を取り戻そうとした。これが河川法改正の目的であり、事実ここから「脱ダム」のようなことも政策として浮かび上がってきたのである。
:そして同じく河川法改正のもう一つの柱が住民参加であった。それまでは政府と省庁(とくに当時の建設省)で事業の内容を決め、実施されてきたものが、住民参加や協同を組み込むことの必要性が謳われた。
:それはまた、住民参加抜きで本当に住民のための政策はできないことを意味していた。そこに暮らす住民自身が参加し、汗をかき、協働することではじめて、より良い環境を手に入れることができるのである。
:この河川法の考え方が、数年後の海岸法改正にも生かされていったのだから、今回の津波災害からの復興が、大規模な土木事業を主体とし、住民参加を否定して、次々と巨大な構造物を作り続けるプロセスとして姿を現したことは、全く持って理解に苦しむ。
:要するに、私たちは90年代までに反省し、2000年代にはその制度で運営を進めていたにもかかわらず、どこかでこうした動きへの反動・反発が起き、この震災では完全に古い体制を呼び戻して、誰にも止めれれない事態を作り出してしまったことになる。

■相互無責任体制がもたらした失敗
:しかしそれも、5年もやってもはや復興政策として破綻しているのだから、もうこの道はあきらめ、別の方向へと転換すべきなのである。
:だがこの国は、何かが動き出すと、これではダメだと分かっていても止められない。どうもそういう体質を持っているようだ。それどころか、それぞれの事態の起動には必ず誰かが関わっているはずなのに、その責任の追及ができない。
:いやそもそも誰がはじめたのか分からない構造にさえなっていて、事態の悪化が予測されても、その軌道修正を行うことを難しくしている。相互に無責任なまま事態が進み、気がつけば取り返しのつかない場所へとはまり込んでいく。
:しかもそこに、色々な体面や面子さえ働いている。とくに原発事故についてはその傾向が強いようだ。東京オリンピックの誘致にあたって、安倍首相が福島第一原発についてとくに触れたことはまだ多くの人の記憶に残っているはずだ。
:「原発事故の日本」というイメージを早く払拭したいという海外に向けた体面が、帰還政策の根源にはありそうである。そこには、原発事故をいつまでも抱えていてはこの国の経済に悪影響が及びかねないという経済界の懸念もあるようだ。
:また、海外に向けた体面とともに、国内における被災自治体の立場にも触れておくべきかもしれない。事故から5年が経ち、被災地ではこの復興を失敗だということは、面子としても難しい。
:とくに福島県が「福島の安全」をことさら強調し、例えば風評被害の阻止に専心するのも、どこかで「安全だ」と言わねばならない難しい立場があるからだ。そこに現に暮らしがある以上、「今は心配ない」「不安に考える必要はない」と強調するのはおかしなことではない。
:だがこの被害は実害であり、そのこともまた認識しているから、「イチエフは止まってはいない」「フクシマは終わっていない」「福島の現実を知ってくれ」という主張も同時に行われている。
:しかしこれに対して暮らしの安全性を強調し、福島の生産物への風評被害撲滅をことさら運動することは、結果として被災地の安全性までも肯定することにつながり、政府の帰還政策を正当化して、帰還しない人々はその安全宣言に逆らっているのだという論理にまで行き着きいてしまう。福島県や県民自身が、政府や東京電力の責任逃れを助長している面が否めない。
:結局、復興と称して多額の金をつぎ込みながら、現地復興には何ら寄与せず、被害者を守ることにさえ失敗し、大規模な土木事業を再開して、公共事業国家に先祖返りしてしまった。
:さらには、まさに原発事故が起きたことによって長らくの懸案であった放射性廃棄物の収容地が登場し、原発政策を整合的に動かしていく道筋がついに見えてきた――。原発事故が原発政策を肯定し、完結させる。そういう形にまで事態は展開しそうである。
:被災地・被災者のために始まったはずの復興政策が、全く別の人々に恩恵を与える形で、当初の向きとはまったく違う方向へと早い時期に舵を切ってしまっている。
:こうした展開はしかし、だれかが描いたシナリオというよりはむしろ、この国の無責任体制、それも相互無責任体制がなし崩しに引き寄せたもののようである。
:この国には、自らが行っていることに対する自己検証と、そこで起きていることへの責任追及が欠落するという恐るべき体質がある。
:私たちがいま解き明かさねばならないのは、この体質だ。もちろんそれは文化に基づいてもいるので、容易に修正できないだけでなく、別の面では、この国の「くらしやすさ」、活力、統率力にもつながってきた可能性があるので、簡単に全てを否定はできない。
:とはいえ、この復興に決着をつけるにあたっては、まずはこの体質を反省するところから論をはじめねばならないようだ。そのためにはやはり目の前起きていることをしっかりと総括していく必要がある。
:この復興政策の失敗を認めよう。失敗している政策をこれ以上進めるのはやめよう。失敗の責任を認めよう。その責任の所在は、この国にある。しかし、この国の責任とは、政府や省庁もさることながら、当然、国民自身にもその一端がある。相互無責任社会の責任は全体でとるしかない。

■この国の「本当の課題」
*一部省略
■本当の意味での復興はできない
:この国はどうも、政治も国民も、そして行政も含め、本当のことを言い、本当の気持ちを伝え、本当に必要なことを一緒になってしっかりとやっていく能力に、大いに欠けているようだ。
:みなどこかで遠慮して、本音を言わずにすましている。しかし裏ではぐずぐずと文句を言い、政府は国民を、国民は政府を馬鹿にもしているのである。
:そして結局、声の大きい人に引っ張られて、やるべきでないことを容認し、そしてやったことが失敗すると、誰かに――それもたいていはもっとも声の出せない弱者に――その責任を押しつけようとする。それもこれもすべて結局は、他人任せの国民性に由来する。 
:この論の冒頭で「復興政策が失敗だ」というのはそういう意味である。まずは、おかしいものはおかしいと言えなければ、私たちはこの国を守ることはできない。この国の平和は維持できないし、自然との共生もできない。持続可能な国家はありえない。
:もっと落ち着いて事態を見据え、誤った政策を改め、本当に必要なことができるように、この国の政策形成過程をこの際しっかりと立て直すべきだ。
:東日本大震災は、こうした日本という国がもつ、もっとも異様な姿が表に現れた災害だったというべきかもしれない。津波そのものは自然のことであり、これはただ受け入れるしかない。
:それに対し、本来避けられたはずの原発事故が起きたのは、この国の歪みを具現化した象徴的な出来事であった。だが本当に異様なのは、その後の過程である。この復興の失敗は避けられたはずだ。作動を誤って、私たちはこの震災を受けた衝撃以上のものにしてしまった。
:この震災・原発事故は、近く復興を終了するどころか、これからさらに大きな展開を見せることになるだろう。今はまだ小康状態にすぎない。この震災も原発事故もまだ終わっていない。むしろ問題はこの5年で大きく拡がり、今後事態はますます複雑化していくはずだ。
:東日本大震災からの復興過程には、この国の危うさが現れている。しかも、その危うさに多くの人が気づかないでいたり、あるいは気づいていたりしてもあえて問わずにいることに本当の問題がある。このままでは本当にまずい、と心から憂える。
:2011年3月11日から6年目に入った。この復興政策で本当に現地の再建はなしうるのかと、メディアは問題にする。だがもうすでに5年が経過しているのだ。もはや本当の意味での復興はできないというべきだ。 :この復興政策は失敗だ。
:そこからスタートすべきである。その認識の上で、根本から政策のあり方を見直して、今からでもよい、可能な復興のあり方を再構築し直し、また今後こうした失敗が二度と起きないよう、何がこうした事態を引き起こしたのか、十分な検証が行われることを望む。
:そしてそれはやはり選挙がどういう形で行われるか、その結果、政治の布陣がどうかわるかに大きくかかっている。私たちはなかなか変わられない。
:しかし選挙はそれを変える重要な機会なのである。どんな立場の人であれ、この国の政策形成過程に問題を感じ、それを正すような抜本的な改革に取り組む人にこの国の主権を委ねるようでありたい。それは国民にも相応の負担をもとめるものであるはずだ。
:優しいことを言い、依存を助長する人こそ疑うべきだ。むしろ私たちの政治に向き合う姿勢の危うさに厳しく釘をさす人こそが、実は国民の本当の声に応える人なのである。

*山下祐介(やました・ゆうすけ) 首都大学東京准教授。1969年生まれ。九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程中退。弘前大学准教授などを経て、現職。専攻は都市社会学、地域社会学、環境社会学。

[参考文献] 小熊英二・赤坂憲雄編2015『ゴーストタウンから死者は出ない 東北復興の経路依存』人文書院 山下祐介2013『東北発の震災論 周辺から広域システムを考える』ちくま新書 山下祐介2015「東日本大震災・東京電力福島第一原発事故 隘路に入った復興からの第三の道」『世界』2015年4月号、岩波書店、84-93頁 山下祐介・市村高志・佐藤彰彦2014『人間なき復興 原発避難とこの国の「不理解」をめぐって』明石書店 山下祐介・金井利之2015『地方創生の正体 なぜ地域政策は失敗するのか』ちくま新書
≫(現代ビジネス:社会:首都大学東京准教授・山下祐介)



≪東日本大震災8年、復興なお途上
 空から見た被災地 ゴルフ場に敷き詰められた太陽光パネル、海岸線に壁のように立つ防潮堤――。1、2の両日、東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故の発生から間もなく8年を迎える福島、宮城、岩手の3県を上空から取材した。大きく変貌した被災地の眺めは、震災と原発事故が地域に与えた影響の大きさと、復興が今なお途上にあることを物語っていた。

■太陽光パネルで埋まるゴルフコース
*一部省略

 
福島第1原発事故の影響で廃業したゴルフコース上に設置された太陽光発電パネル(1日、福島県富岡町)

町内には17年完成の大規模太陽光発電所「富岡復興メガソーラー・SAKURA」もあり、原発事故の影響で増えた遊休農地の利用が進む。

■広がる汚染土仮置き場 黒色の土のう袋が並ぶ汚染土の仮置き場はさらに広がり、雑草が茂る周辺の荒れ地とともに重苦しい雰囲気を漂わせる。


 
仮置き場に山のように積まれた除染廃棄物(1日、福島県富岡町)

■埋立処分場に搬入次々と 国の事業で汚染された廃棄物の埋立処分場として17年から稼働する同町の旧フクシマエコテッククリーンセンター。トラックが次々と廃棄物を搬入し、緑色のシートで覆われた袋が段状に積み重なっていた。

■立ち並ぶタンク群 
*一部省略
 
廃炉作業が続く福島第1原発の(左奥から)1号機、2号機、3号機、4号機。手前は汚染処理水などが入ったタンク群(1日、福島県大熊町

■東日本随一
 気仙沼大島のアーチ橋 気仙沼市では復興道路として国が整備を進める三陸沿岸道路が延伸工事の真っ最中だ。橋脚を増やしたり、橋桁をかけたりする工事が行われている。同市の離島である大島と本土を結ぶ「気仙沼大島大橋」は4月に開通予定。橋脚間は297メートルで、東日本随一の大きさだ。橋の上に架かる真っ白なアーチが印象的で、島民の利便性向上や島内観光の活性化が期待されている。


 
4月7日に開通予定の気仙沼大島大橋(2日、宮城県気仙沼市)


■幅約90メートルの巨大防潮堤 同市の小泉海岸では巨大防潮堤の建設が進む。高さは14.7メートル、幅は約90メートルの威容だ。


 
宮城県気仙沼市の小泉海岸で建設が進む巨大防潮堤。高さ14.7メートル、幅は約90メートルに及ぶ(2日)


■閖上地区に新生活圏
*一部省略

 災害公営住宅が立ち並ぶ宮城県名取市の閖上地区。手前は仙台市若林区の海岸公園(写真上、2日)。写真下は津波被害から間もない様子(2011年3月18日)

■壁のような防潮堤
 岩手県陸前高田市 陸前高田市の上空に入ると、そびえ立つ壁のような建設中の防潮堤が目に入った。土地のかさ上げ工事に伴いクレーン車やトラックが激しく行き交い、土ぼこりが舞う。

 海岸沿いで進む防潮堤の建設工事(2日、岩手県陸前高田市)

かさ上げした土地に約2年前にオープンした商業施設「アバッセたかた」の駐車場には多くの車があり、にぎわいを感じさせた。

■新設のラグビーW杯会場
 岩手県釜石市 今年9月開幕のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の試合会場で、唯一新設された岩手県釜石市の「釜石鵜住居復興スタジアム」では、手入れの行き届いた黄緑色の芝生が鮮やかに見えた。スタジアム周辺には多くのクレーン車が配置され、周辺の道路整備などを急いでいるようだった。


 ラグビーW杯の会場となる釜石鵜住居復興スタジアム(2日、岩手県釜石市)

■写真で見る8年目の被災地

廃炉作業が続く福島第1原発の(右から)1号機、2号機、3号機、4号機。奥には汚染処理水などが入ったタンクが並ぶ(1日、福島県大熊町)


 
工事が進む三陸沿岸道路(2日、宮城県気仙沼市)

 


23日に運行を開始する三陸鉄道リアス線。訓練運転の車両が走行していた(2日、岩手県山田町) 



2011年3月14日撮影の岩手県大船渡市内(写真上)と現在の様子(同下、2日)

≫(日経新聞)

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●D・アトキンスが語る 日本の「スゴさ」と「ダメさ」 加減

2019年03月04日 | 日記

●D・アトキンスが語る 日本の「スゴさ」と「ダメさ」 加減

日本人は日本に住んで、海外(他国)に住まずに、井の中の蛙の状態で、日本を知ったつもりになる。

 “灯台もと暗し”と云うけれど、同じ国というか、同じ町、同じ村に住んだまま、自分の姿を理解しようとしている。

日本人は、その多くは、永田町や、霞が関や、大手町や、会社や、商店街や、学校や、PTAや、町内会などに属し、そこの属性に馴染んで生きている。

つまり、属性の合理性や善悪について、多くは考えずに生きて死ぬ。

時には、外国人の視線に敬意を払って、聞く耳を持つのも悪くない。

特に、日本人に悪意もないし、操る気もなく、経産省の息がかかっていない人物の考えは聞くべきだ。

無論、賛同するかどうかは別だが、他者から見た、外国との比較論的な、日本を解釈する意見は傾聴に値する。

このデービット・アトキンスと云う人の思考経路には、ある程度、哲学があるので、かなり面白い。

好きか嫌いは、人それぞれだが……。

とりあえず、彼のコラムが東洋経済のサイトにあったので、2本、参考掲載しておくので、真偽や好き嫌いを確かめてみるのも面白い。


≪日本人が知らない日本の「スゴさ」と「ダメさ」
デービッド・アトキンソン氏はかつてゴールドマンサックス証券で金融調査部長を務め、90年代の日本の不良債権危機にいち早く警鐘を鳴らしたことで知られる。

そのアトキンソン氏は今、小西美術工藝社という漆塗、彩色、錺金具の伝統技術を使って全国の寺社仏閣など国宝・重要文化財の補修を専門に行う会社の代表に就いている。そのかたわら裏千家に入門し茶名「宗真」を拝受するなど、日本の伝統文化への造詣はそこらあたりの日本人よりも遙かに深い。  

そのアトキンソン氏にイギリス人の目で見た日本の魅力とダメなところを聞くと、意外なことがわかる。どうもわれわれ日本人は、自分たちがすごいと思っているところが外国人から見ると弱点で、逆に必ずしも自分たちの強さとは思っていないところに、真の強さが潜んでいるようなのだ。  

例えば、日本人の多くは、日本が1964年の東京五輪や1970年代の万博を経て、経済大国への道を駆け上がることが可能だったのは、日本人の勤勉さと技術や品質への飽くなきこだわりがあったからだと信じている。  

しかし、アトキンソン氏はデータを示しながら、前後の日本の経済成長の原動力はもっぱら人口増にあり、他のどの先進国よりも日本の人口が急激に増えたために、日本は政府が余計なことさえしなければ、普通に世界第二の経済大国になれたと指摘する。  

実際、今世界で人口が1億を超える先進国は日本とアメリカだけだが、第二次大戦に突入する段階で日本のGDPは世界第6位で、既に日本には教育、工業力、技術力など先進国としてのインフラがあった。そして、第二次世界大戦の終結時から現在までの間、日本の人口は倍近くに増えたが、当時日本よりもGDPで上位にいたイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどの列強諸国は日本ほど人口が増えなかった。だから、日本はそれらの国を抜いて世界第二の経済大国になったというだけであり、あまり勤勉さだの技術へのこだわりなどを神話化することは得策ではないとアトキンソン氏は言うのだ。  

むしろ90年代以降の日本は、過去の輝かしい成功体験と、その成功の原因に対する誤った認識に基づいた誤った自信によって、身動きが取れなくなっていたとアトキンソン氏は見る。

逆に、日本は人口増のおかげで経済規模を大きくする一方で、一人ひとりの生産性や競争力を高めるために必要となる施策をとってこなかった。そのため、規模では世界有数の地位にいながら、「国民一人当たり生産性」は先進国の中では常に下位に甘んじている。  

その原因についてアトキンソン氏は、日本は長時間労働や完璧主義、無駄な事務処理といった高度成長期の悪癖を、経済的成功の要因だったと勘違いし、その行動原理をなかなか変えられないからだと指摘する。  

また、その成功体験に対する凝り固まった既成概念故に、日本人、とりわけ日本の経営者は一様に頭が固く、リスクを取りたがらない。人口増加局面では、無理にリスクなど取らず、増える人口を上手く管理していけば自然に経済は成長できたたが、人口増が止まり、むしろ人口の減少局面に直面した今、効率を無視した日本流のやり方は自らの首を絞めることになる。

しかし、その一方でアトキンソン氏は、日本人の清潔なところや治安の良さ、住みやすさ、細やかな気配りや器用さ、真面目さといった素養は、日本人の潜在的な能力の高さを示していると言う。日本人は潜在能力は非常に高いが、過去の成功体験に対する間違った認識から、その潜在力を発揮できず、逆に改めるべき点がなかなか改められないというのがアトキンソン氏の見立てだ。

特に日本人、とりわけ日本人経営者のリスクを取ろうとしない姿勢や、極度に面倒なことを嫌う性格が、日本人の潜在力の発揮を妨げているとアトキンソン氏は言う。そして、それこそが、実は日本の経済的成功の残滓だった可能性が高い。つまり、元々先進工業国としてのインフラが整っている日本で人口が急激に増えれば、黙っていても経済規模は大きくなる。その間、経営者がリスクテークをしたり面倒なことをすれば、それはかえって経済成長を邪魔する可能性すらある。こうして、リスクテークをせず、面倒なことも避けようとする経営体質が日本に根付いたとすれば、人口の減少局面に瀕した今、まさにそこから手を付けなければならないのではないかとアトキンソン氏は主張するのだ。

日本の潜在力を引き出すためのウルトラCとして、アトキンソン氏は政府が最低賃金を全国一律で毎年5%引き上げることを提唱する。そうなれば「頭の固い」「リスクテークをいやがる」日本の経営者でも、厭が応にも毎年5%以上の生産性を上げる必要性に駆られることになり、過去の過った成功体験にすがっている場合ではなくなるからだ。

外国人だからこそ見える日本の長所、短所を厳しく指摘するアトキンソン氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。  

*デービッド・アトキンソン(David Atkinson) 小西美術工藝社社長 1965年イギリス生まれ。87年オックスフォード大学卒業(日本学専攻)。アンダーセンコンサルティング、ソロモンブラザーズを経て、92年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長、マネージングディレクター(取締役)、パートナー(共同経営者)を経て2007年退社。09年小西美術工藝社入社、取締役に就任。10年代表取締役会長、11年より同会長兼社長。著書に『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』、『デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論』など。  
≫(ビデオニュースドットコム:神保哲夫・宮台真司・アトキンス)



≪「社員を解雇する権利」求める人が知らない真実 データが実証「解雇規制緩和」にメリットなし

 “オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。退職後も日本経済の研究を続け、『新・観光立国論』『新・生産性立国論』など、日本を救う数々の提言を行ってきた彼が、ついにたどり着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行された。

人口減少と高齢化という未曾有の危機を前に、日本人はどう戦えばいいのか。本連載では、アトキンソン氏の分析を紹介していく。“

■物価が先か、最低賃金が先か

先週の記事(日本人が大好きな「安すぎる外食」が国を滅ぼす)には、予想外の大きな反響がありました。コメントを見ていくと、一部誤解があったようですので、最初に少し補足します。

まず、物価が低いから最低賃金が安いのか、最低賃金が安いから物価が低いのかという問題です。私は、最低賃金が安いから物価が低くなるのだと分析しています。私が社長に就任する前の小西美術工藝社の歴史を見ればわかります。

もともと、文化財を修理する会社は、決して多くはありませんでした。しかし、漆塗りの椀を買う人が減っていることを受けて、漆職人を抱える業者が次第に文化財修理の世界に集まるようになりました。

供給は増えているのに、神社仏閣の「補修」の需要は一定です。企業は生き残りをかけて過当競争となり、価格を下げるようになりました。全社が最後まで生き残りたいので、どこかが価格を下げたら、皆が下げます。

しかし、需要は増えませんので、小西美術工藝社を含めた各社が、生き残るために職人を非正規雇用にしたり、全体の給料を下げたりしました。当然、品質も犠牲になります。では、どこまで価格を下げることができるかというと、それは労働市場の規制、とりわけ働く人の賃金を最低賃金にする水準までしか下げられません。

顧客がこのような値下げを求めていたかというと、それは違います。顧客が求めていない、顧客がまったく喜ばない、職人の給料を犠牲にする企業生き残り戦略です。

これと同じことが、日本全国で起きています。

過当競争の下、需要の減少に抵抗するために、最低賃金で働いている人、低所得の日本人労働者が激増してきました。これは、企業が悪いわけではありません。企業は許されている制度を使っているだけですので、悪いのは最低賃金制度のありかたなのです。

■雇用規制を緩和すると生産性が上がるのか
さて、今回は生産性と雇用規制について、解説していきます。

World Economic Forum(以下WEF)の「The Global Competitiveness Report, 2017-2018」という国際競争力評価の報告書の中で、「ビジネスに悪影響を及ぼしている要因は何か」を経営者に問うアンケートの結果が掲載されています。日本人経営者の回答では、「雇用規制」が第一に挙げられています。

投稿者が経営者かどうかは定かではありませんが、この連載のコメント欄でも、「日本は終身雇用だから、生産性が低い」「雇用規制を緩和しないと生産性は上がらない」「従業員のクビが切れないからダメだ」といった類の意見が寄せられることが少なくありません。マスコミ報道でも同様の趣旨の発言を耳にすることがよくあります。

日本の雇用規制に問題があると考え、先ほどのような趣旨の発言をする人の考えには、「論点1:生産性を上げるには労働市場の流動性を高めなくてはいけない」「論点2:生産性向上についてこられない人材の入れ替えを進めなくてはいけない」「論点3:生産性は経営の問題ではなく、労働者の問題だから、規制緩和や働き方改革を進めるべき」という、3つの論点が含まれているように推測します。

しかし、雇用規制を緩和すれば、日本の経済や企業の経営者にとって、本当にバラ色の将来が開けるのでしょうか。慎重な検証が必要です。 :日本では、特に冷静かつ客観的な検証を行う必要があると思います。なぜなら、日本ではキチンとした検証をすることもなく、物事を感覚的に捉え、決めつけてしまう傾向が強いからです。例を挙げればいくらでも出せますが、スペースの関係もあるので1つだけ紹介しておきます。

私は、30年以上前から日本経済を分析してきました。昔は「日本は正規雇用ばかりだからダメだ」と言われ、非正規を増やし、終身雇用もなくすべきで、そうすればアメリカのように生産性が上がると言われたことも多々ありました。

そういう意見を言っていた人たちの主張通り、過去十数年、たしかに非正規雇用は非常に大きく増加しました。しかし、非正規がこんなにも増えたにもかかわらず、生産性は一向に向上していません。逆に非正規雇用者の増加が、生産性向上の妨げになるという悪影響を及ぼしているのが実態です。

■日本の雇用規制は、本当に厳しいのか
ということで、まず、言われるほど日本の雇用規制は厳しいのか、生産性向上に悪影響をおよぼしているかを検証しましょう。

先のWEFのデータによると、労働市場の効率性と生産性との間に、かなり強い0.73という相関係数が認められます。日本人経営者が挙げた雇用規制がビジネスに大きな影響を及ぼしているというのは、理屈上は正しく、労働市場の効率性が非常に大切なことがわかります。

しかし、雇用規制が生産性に対して「悪影響」を及ぼしていると言うためには、日本の雇用規制が諸外国に比べて厳しいことが証明されないと、理屈が通らなくなります。

では、日本の労働市場の効率性はどうなのでしょうか。WEFの評価では、日本の労働市場の効率性は世界第22位で、決して低い評価ではありません。ということは、日本の労働市場の効率性は、日本の生産性向上を阻害しているどころか、実は貢献していることになります。

日本では、日本の雇用規制は厳しいというのが常識のように捉えられていますが、実はそれは事実とは異なります。実際、日本の労働市場の効率性を構成するいくつかの項目では、高い評価がされています。たとえば、「労使間協力が強い」は第7位、「解雇手当が少ない」は第9位、「給与設定の柔軟性が高い」は第15位と高評価になっています。

にもかかわらず、なぜ日本の労働市場の雇用規制が厳しいと感じる経営者が多いのでしょうか。

理由はおそらく、アメリカとの比較にあると思います。アメリカの労働市場の効率性は世界第3位と極めて高い評価を受けています。おそらく日本の経営者や学者は、日本の生産性がアメリカより低いのは、日本の雇用規制がアメリカより厳しいことに原因があるという単純な比較をしているのではないかと思います。

「『ものづくり大国』日本の輸出が少なすぎる理由」では、日本はもっと輸出を増やすべきだと書きました。その際に「日本では現状、GDPに占める輸出比率が低い。その分、伸びしろが大きいので輸出を増やすべきだ」という提案をしました。

同じように、ある時、私が日本の輸出比率の低さを指摘すると、ある有名エコノミストから「経済大国は輸出比率が低いものだ」と反論されたことがありました。しかし、その方が証拠として出されたのは、アメリカのデータだけでした。たしかにアメリカの輸出比率が低いのは事実ですが、アメリカとの比較だけを根拠に物事を決めてしまっては、判断を誤りかねません。

当たり前のことですが、アメリカは世界百何十カ国の1つに過ぎません。しかし、日本では世界の状況を語る際に、アメリカのことだけを念頭におくエコノミストが非常に多く、辟易させられます。

雇用規制と生産性との間の相関は強いですが、雇用規制が厳しくなければ、その国の生産性は必ず高いのかを検証すると、そうではないことが容易に確認できます。

イギリスは雇用規制の評価は世界第6位ですが、生産性は第26位です。カナダは雇用規制が第7位ですが、生産性は第22位です。アングロサクソン系はやはりアメリカに影響を受けて雇用規制を緩和してきましたが、単純にアメリカと同じことを部分的にやっても、同じ結果は出ないことを示す、最高のデータだと思います。

一方、フランスは労働市場の効率性はイギリスと比べてずっと低い第56位ですが、生産性はイギリス第26位に対してフランス第27位と、大差ありません。

この事実からは、2つのことがわかります。1つ目は、労働市場の効率性と生産性との間に相関関係はありますが、決定的ではないこと。もう1つは、日本はそもそも労働市場の効率性に関しての評価は低くないので、仮に規制緩和をしても、それほど生産性の向上は期待できないということです。

■「解雇規制」緩和は生産性を高めない
日本の労働市場の効率性が厳しく評価されている項目が一つだけあります。それが「解雇規制」で、第113位です。おそらく日本人の経営者が経営の足枷だと感じ、緩和を希望している雇用規制とは、この解雇規制のことではないかと思います。つまり、「従業員のクビを切りやすくしてほしい」というのが彼らの本音のように感じます。

しかし、解雇規制を緩和すると、本当に生産性が向上するのかどうかは、別途検証する必要があります。仮に解雇規制を緩和して従業員をクビにしやすくしても、生産性の向上につながらなければ、意味がありません。

解雇規制の強さと生産性の相関係数を実際に調べてみると、わずか0.32でした。

たしかに解雇規制を緩和すれば、多少プラスになることもあるかもしれませんが、経営者の多くが期待するほど劇的な生産性の向上にはつながりません。

解雇規制が緩和されたからといって、相当割合の社員を解雇する会社はあるでしょうか。おそらく、クビを切られる人は社員のごく一部でしょう。ごく一部の従業員のクビを切ったからといって、生産性がいきなり向上したりするものではありません。

たしかに、一部の社員を切ることはできるようになるので、コストの削減にはなりますし、その分利益は増えます。しかし、切られる人が付加価値の創出の邪魔をしていないのであれば、その人をクビにするだけでは、その企業が作り出している付加価値総額は増えません。これでは付加価値の項目の入れ替えになるだけで、生産性の向上にはならないのです。

その増加した利益を再投資するなどして付加価値を向上することができて初めて生産性がプラスになりますが、人手不足でどこまでできるかは疑問に思います。

この点も日本ではキチンと理解されていません。日本企業は社会貢献の一環として、必要以上の余剰人員を雇用していると言われてきました。いわゆる「窓際族」の存在です。この「窓際族」が、生産性が低い理由の1つともされています。

しかし、この認識は正しくありません。国の生産性は付加価値総額を人口で割ったものなので、余分とされている人が付加価値の創出に貢献していなければ、会社で働いていようが、失業者になろうが、国全体の生産性は変わりません。

国にとっては、その余分な従業員が無駄に使われている場合にのみ問題になります。なぜならば、その人の潜在能力が発揮されていない分、国全体にとってのマイナスになるからです。つまり、これらの人たちが解雇され、別の生産性のある仕事に就くことができて初めてプラスになるのです。それまで無駄にされていた資源が活用されるようになるからです。

■人手不足なのに「解雇規制」緩和を求める異常
昔と違い、日本は今、深刻な人手不足に陥っていますので、企業の経営陣が解雇規制の緩和を求めていることには違和感を禁じえません。なぜ、十分に実力を発揮できていない従業員の潜在能力を引き出せていないのか、そもそも自分の経営手腕に問題があるのではないかと、経営陣は考え直すべきではないかと思います。

とはいうものの、今いる会社では実力の発揮できていない人が、人手不足に苦しんでいる企業に移動し、そこで自分の実力を発揮し始めることができるのなら、多少、生産性があがることが期待できます。

しかし、先ほども述べた通り、解雇規制と生産性との相関係数はたったの0.32です。生産性ランキング世界第28位の日本の生産性の低さを考えると、解雇規制が緩和されても、解雇の対象となる従業員が相当の規模にならないかぎり、大きな効果が出るとは思えません。

要するに、他の先進国と比べて、日本の生産性が潜在能力に対して異様に低い最大の原因が解雇規制だということは考えづらいので、解雇規制を緩和するだけで生産性が劇的に改善することはないのです。 :私の認識では、日本の生産性が低い原因は、①従業員20人未満の小規模企業で働く労働人口の割合が高い、②女性活用ができていない、③最低賃金が低い、④最先端技術の普及率が低い、⑤輸出ができていない、⑥ルーチンワークが多い、などです。

それらに比べて解雇規制の影響は小さく、ある種の「ごまかし」としか思えません。経営者は「生産性が低いのは自分たちのせいではなく、労働者が悪い」と、責任を押し付けている感が強いのです。

解雇規制の緩和も、まったく無意味だという気はありません。生産性向上に徹底的にコミットし、グランドデザインを描くのであれば、その一部として、解雇規制の緩和も考える価値はあるかと思います。

しかし、企業規模の拡大、輸出戦略の推進、最低賃金の継続的な引き上げなどの政策もないまま、解雇規制を緩和すれば、経営者の立場がさらに強くなり、またしても経営者が制度を悪用して、生産性をさらに引き下げる結果を引き起こすことも十分に考えられるのです。

ですので、経営者に従業員をクビにする権利を与えるのは、慎重の上にも慎重を期するべきなのです。  ≫(東洋経済新報社:デービット・アトキンス)


≪日本人が大好きな「安すぎる外食」が国を滅ぼす 「ビッグマック指数」に見る経営者の歪み
■「日本の常識」か「人口増加の常識」か
地価が上がるのは人口が増加しているから。インフレも人口増加がもたらしている。GDP(国内総生産)が成長する主因もまた人口増加。1990年代初頭まで神社の初詣のお賽銭も増加傾向だったそうですが、これもまた人口増加によるところが大でした。

戦後日本が経済的に他の国をしのぐ勢いで急激に成長したのも、その主たる要因は人口動態で説明ができます。日本ではアメリカを除く他の先進国を大きく上回る勢いで人口が激増しました。これが日本の急成長の主要因です。

もっと大きく言えば、そもそも資本主義は、人口が増加した時代にできた制度です。

実は社会の常識の多くが、人口動態で説明可能なことに気がついたのは、ごく最近です。海外でもごく最近になって、人口増加と経済成長の関係を研究する学者が増えていますが、論文はまだ非常に少なく、たいへん注目されている分野です。

では、人口が減少するとどうなるでしょう。推して知るべしです。
 
日本はすでに人口減少の時代に突入しています。パラダイムがすでに変わってしまっているので、対処を急がなくてはいけないのです。

変えなくてはいけないものの1つが、企業経営者のマインドと戦略です。
 
松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助氏は、日本では今でも経営の神様として崇め奉られています。

松下氏の経営哲学の根幹にあるのは、「水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することにより、物価を低廉にし、広く消費者の手に容易に行き渡るようにしよう」という、「水道哲学」として知られる思想です。要は「いいものを、安く、たくさん」です。

この考え方は松下幸之助氏がご存命の時期、つまり毎年子供がたくさん生まれて、人口そして消費者も増えていた時代では、最高の戦略でした。
利益率が短期的に若干低くなったとしても、価格を安くすることによって需要が大きく喚起され、規模の経済がどんどん広がり、結果として人口の増加以上のスピードで、商品を広く普及させることができます。その結果、パイが大きくなって、長期的により大きな利益につながるという、ものすごく賢い戦略だったと思います。

松下幸之助氏が一代で立ち上げた松下電器が世界に冠たる電機メーカーになったのは、この素晴らしい戦略の成果だったことには異論を挟む余地はありません。
 
しかし、この松下幸之助氏の素晴らしい経営哲学も、どの時代でも通用する普遍的なものではないことを、今の時代を生きている人は理解しておくべきです。

■人口減少時代には「松下流」は通用しない
まったく状況が変わってしまった今の時代に、人口が激増する時代にこそふさわしい哲学に基づいた戦略を取り続ければどうなるでしょうか。

消費者が減っているので、パイが縮小しています。いいものをたくさん作って、安く提供しても、市場は飽和状態なので売れません。当然、規模の経済も実現できません。売り上げは価格を下げた分だけ減ります。競合が同じ戦略で戦いを挑んでくれば、共倒れになってしまいます。各社が、「『ものづくり大国』日本の輸出が少なすぎる理由」でご説明した「last man standing利益」を目指して競争し、結果としてデフレスパイラルを起こします。

少し前までの日本では、小さな企業がたくさんあっても、主要銀行だけで21行もあっても、自動車メーカーが何社あっても、半導体メーカーが海外より圧倒的に多く規模の経済が利きづらくても、なんとか成立しているように見えていました。それもこれも、もともと人口が多く、さらにその数が増えていたおかげだったのです。

しかし、このことに気がついていた人はほとんどいませんでした。それどころか、他の先進国ではありえない状況が日本だけで成り立っていたため、日本経済は「西洋資本主義」ではなく、より先進的であるという錯覚までもが生まれてしまいました。

バブル景気の終わりごろになると、「日経平均は無限に上がる、上がったものは下がらない」と信じられるようにまでなりました。日本型資本主義、日本的経営などと言って、計算の世界は日本経済には関係ない、日本経済を語るうえで普通の経済学は通用しないといまだに信じている人が、特に私より上の世代には少なからず存在するように感じます。

その証拠に、いまだに「数字ではない、お金ではない」とばかりに、「いいものを、安く、たくさん」という旧態依然たる経営戦略を強行している経営者が少なくありません。

■日本のビッグマックは、なぜ途上国より安いのか
典型的な例は、外食産業です。国際比較が容易なマクドナルドを見ていきましょう。

イギリスの著名な政治経済紙「The Economist」が計算している「ビッグマック指数」は、以前、東洋経済オンラインの記事(なぜ日本のビッグマックはタイより安いのか)でも紹介されたことがあります。これは各国のマクドナルドのビッグマックの価格を比較することによって、適正な為替レートを算出しようとしている指数です。

ビッグマックは大きさ、材料、調理法などが、原則世界中で統一されています。一方、価格は国によってまちまちです。つまり同一品質・同一規格のものが、国によって異なる価格で売られていることになるので、このビッグマックの価格を比較することで、適正な為替レートを算出できるのです(ビッグマック指数は購買力調整されていますので、物価の違いなどはすでに調整されています)。

先ほど言及した記事でも紹介されていたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、日本のビッグマックの価格はタイやギリシャよりも安く、スイスの半分ぐらいで、どの大手先進国よりも極端に安いのです。

香港と台湾も安いことが気になりますが、生産性とビッグマック指数の間には、0.638とかなり強い相関係数が確認できます。労働者の1時間当たりの生産性では、相関係数はさらに高くなります。これは大変興味深い事実です。
 
では、なぜ日本のビッグマックの価格はタイやギリシャなどよりも安いのでしょうか。

ご存じの通り、日本の不動産価格は決して安くありません。材料も決して安くはありません。電気代やガス代も高いです。

利益は全体の付加価値のごく一部にしかならないので、利益水準の違いでは、日本のビッグマックの価格が安い理由の説明はできません。

残るのは、付加価値の最大の構成要素である「人件費」です。

実際、購買力を調整したビッグマックの価格と最も相関関係が強い要素が何かを分析すると、最低賃金だという答えが導き出されます。結局、日本では最低賃金が極めて安く、安い賃金で人が雇えるので、ビッグマックを安い価格でも提供できているのです。

より正確に言うと、購買力調整後の最低賃金の水準が、1人当たりGDPという国全体の生産性に対して低ければ低いほど、かつ、最低賃金、もしくはそれに近い水準で働いている労働者の割合が高くなればなるほど、ビッグマックの価格が下がる傾向が確認できます。日本は1人当たりGDPに対する最低賃金の割合がヨーロッパに比べて異常に低く、アメリカに近いですが、アメリカでは最低賃金で働いている人の割合は日本に比べて非常に少ないのです。

■「安売り」のメリットとデメリット
ここで考えなくてはいけないのは、ビッグマックを途上国並みに安い価格で売るために、労働者は非常に重い負担を背負わされているわけですが、何かそれを上回るメリットはあるのかという点です。
 
日本ではこれから何十年にわたって、高齢化がどんどん進み、人口は減少する一方です。このような状況下で、ビッグマックの価格が安いからといって、需要が喚起されることは考えづらいです。「安く買えるのなら所得の少ない人にとって、メリットは大きい」と主張する人もいるかもしれませんが、ビッグマックの客層が低所得者に限定されているという事実はまったくありません。

「給料を上げても物価も上がるから、結局何の意味もないじゃないか」という、経済学リテラシーのない反論もよくいわれます。しかし、マックを食べる層とマックで働く層は完全に同じではありませんし、その割合が高いとはいえ、付加価値の構成要素には給料以外のものも含まれますので、給料を上げてビッグマックの単価を上げても、同じだけ物価が上がるわけではありません。ゼロサムではないのです。アメリカの分析によると、最低賃金を10%上げると、食料品の価格が約4%上昇するものの、全体の物価水準に対する影響は0.4%にとどまるとしています。
 
ですから、日本ほどではないにしても日本と同じような人口減少問題を抱えるヨーロッパの先進国では、どこもビッグマックの価格が高く、最低賃金も高いことの背景と理由を真剣に考えるべきです。最低賃金はイギリスは1999年、ドイツは2015年から導入し、徐々に引き上げています。政府が労働市場に介入している動きに、特に注目しています。

人口減少の中、過当競争に対応するため、会社は商品価格を下げてなんとか生き残ったかもしれませんが、それ以外のメリットはよくわかりません。労働者へのデメリットは非常に大きいです。しかも、デメリットはそれだけではありません。

日本人の生産性はイギリス人とほぼ同じですが、最低賃金はイギリスの7割しかもらえていません。最低賃金を低く設定して、それをベースに商品の価格を下げているのです。その結果、本来もらうべき給料がもらえなくなっているので、払えたはずの税金も払えなくなってしまっています。所得が低く抑えられているので、消費に回らず、間接的に消費税へも悪影響を及ぼしています。ワーキングプアも増えます。

人口減少の下、このように、ビッグマックの価格が安いことによって生じるメリットに比べて、ビッグマックを安く提供することを可能にしている、極めて低い最低賃金のデメリットのほうが何倍も大きいのです。

借金と社会保障の負担に苦しんでいる日本は、実はビッグマックの価格が安いことで、世界中でいちばん悪影響を被っている国なのかもしれません。

■「いいものを安く」という無責任をやめさせるべき
人口がコンスタントに増えていた時代と違い、人口減少・高齢化が進む時代に、最低賃金が安いことをベースにして、「いいものを、安く、たくさん」という経営戦略をとることは無責任極まりない行為です。

最低賃金の引き上げに反対する人は、「最低賃金を上げると、中小企業は潰れる」と言います。しかし、どんなに無能な経営者でも可能な「いいものを安く」という経営戦略を可能にしている「最低賃金の安さ」によるメリットは、いったいどこにあるのでしょうか。

最低賃金を引き上げたら、あたかもすべての中小企業が倒産するというような極論を言われても、愚言としか思えません。最低賃金を毎年5%程度ずつ引き上げていけば、大きな影響を受ける企業は数パーセントという試算になりますし、生産性向上を実行すれば、その影響も軽減されます。
 
マスコミでは人材の質の高さを自慢しながらも、経営者はその人材に払うべき給料を払わないというのは、矛盾以外の何物でもありません。自慢する労働者の能力に見合った賃金を払う気がないのなら、人材の自慢もすぐにやめるべきです。

要するに、今の最低賃金のレベルでは、世界第4位と極めて高い評価を受けている日本の貴重な人的資源を無駄にするだけなのです。

最近、店舗のバックヤードで信じられない行動をし、それをわざわざ動画に撮って、SNSに投稿して喜ぶという愚行が頻発し、問題になっています。私が注目したいのは、問題の動画はほぼすべて、低賃金で労働条件が過酷な業態ばかりが現場になっているように見受けられることです。過当競争の下、価格を1円でも下げるために、労働条件は厳しく、その行動を止める責任者がいないのだと思います。

もちろん、あんな犯罪行為を肯定するつもりも、擁護する気もいっさいありませんが、こういう人たちの愚かな行動は、安い賃金、過酷な労働条件に対する一種の「無意識の抗議」という意味合いがあるのかもしれないと感じることも、ないわけではありません。

日本経済の将来は、恐ろしく安い賃金の問題を解決しない限り、明るいものにはなりません。技術革新うんぬんを言う前に、さっさとこの問題を解決するしかないのです。そうして初めて、ようやく日本にも明るい未来が開かれるのです。
 ≫(東洋経済新報社:デービット・アトキンス)

 

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●フクイチ、原発再稼働 喉もと過ぎればで良いのか?

2019年03月03日 | 日記

●フクイチ、原発再稼働 喉もと過ぎればで良いのか?

今夜は引用が長すぎ、且つ、久々に、原発の現在の問題点に関する記事やレポートを読んだので、疲れ果てた。

:いずれにせよ、安倍政権は、原発再稼働は当然だし、帰還の許された地域には、速やかに、旧住民は帰還するのが当然といわんばかりだ。


子供たちが、帰還しないのは、いわば放射能に関する無知に過ぎない。

今後は、フクイチ周辺は、廃炉等々の事業の拡大により、以前にもまして、当該地域は、前途洋々とでも言いたげだ。

原発のことは、半分お忘れでしょうから、もう一度、チョッとだけ、真面目に、原発情報をググってください。

後日、筆者も、更なる情報に触れながら、自分なりの考えをまとめてみようと思う。


無論、筆者は反原発派なのだが、何故、反対に至ったか、書いてみようと思う。

そして、イギたなくしがみつく原発村の面々を、久しぶりに切り刻んでやろう。


≪なぜ人々は原発再稼働に「無関心」なのか
のど元過ぎれば、ということ…?
いつの間にか、「脱原発」のムードに倦んでしまった世間を尻目に、原子力ムラは次々と原発再稼働を推進している。だが、ムラのやりたい放題にカネを出させられるのは、われわれ国民なのだ。

■廃炉費用で原発建設
:経産省の最高幹部のひとりは、冷徹な表情で記者にこう語った。

「仮に原発が事故を起こしたとしても、規制委が過剰すぎるほどの安全基準で検査して合格させたわけですから、それは技術の限界ですよ。隕石が原発に落ちる可能性だってあるんですから、想定外を考えて物事を進めるなんて成り立たない」

:11月24日、日本原子力発電(原電)は東海第二原発の運転延長を原子力規制委に申請した。東海第二原発は、40年間の運転期限が迫っている。その期限ぎりぎりの「20年延長」申請で、再稼働を目指す。だがこれは、原子力ムラの「カネ」の都合に過ぎないようだ。

「原電は、稼働している発電所が現在ひとつもなく、東電など電力大手9社とJパワーからの基本収入と債務保証で、かろうじて存続を維持しています。 しかし、東海第二を動かさないと宣言した瞬間に、基本料収入も債務保証もなくなるでしょう。つまり、再稼働しないかぎり、会社が破綻してしまう状況にあるのです」(ジャーナリスト・町田徹氏)

:原電が保有する原発は4基あるが、東海と敦賀1号機は廃炉作業中だ。敦賀2号機は、建屋直下に活断層が走っている可能性が指摘されているため、実は頼みの綱はこの東海第二だけなのだ。

:だが、原電が今回の延長申請を行う1週間前、驚くべき事実が明るみになった。原発廃炉のための「解体引当金」(原電の場合、4基で合計1800億円)を流用し、なんと敦賀3・4号機の原発建設費用に充てていたというのだ。その結果、緊急時に使える手元の現預金は3月末で187億円しか残っていなかった。

:東海第二の廃炉のための引当金は530億円だった。はなから廃炉するつもりなどないということだ。さらには、新規建設のカネに使っていた! 

さすがに言語道断だというのは、原子力資料情報室共同代表の伴英幸氏だ。

「外部機関で廃炉資金を積み立てるシステムがないから起こる事態です。原電は、福島事故の前に、将来の廃炉を想定せず、敦賀原発の増設にどんどん解体引当金を使っていった。このままでは、増設も廃炉もできないから再稼働をさせたいという論理につながります」

:だが、原電の目論み通りに、規制委が東海第2の再稼働を認めたところで、原電は1700億円を超える安全対策費を調達せねばならない。そのツケを払うのは国民だ。

「原電は電気卸売業ですから、電力会社への卸価格に廃炉費用や安全対策費が含まれます。おカネが足りなければ卸価格に上積みされ、結果的には国民が電気料金の値上げによって負担することになります」(前出・伴氏)

:ボロボロの実家の解体費用を貯金していた男が、奥さんに黙ってそのカネをギャンブルに使ってスッてしまった。もはや解体できないので、すみません、リフォームするので国民の皆さんに払ってもらいます――こう言っているのに等しい。

■人の道に外れてないか
:福島第一原発の事故の後、すでに東電は賠償資金として7兆7105億円を政府から受け取っている。

:このカネは、原賠機構を通じて支払われるため、一時的に政府が立て替え、最終的には東電や電力会社が負担することになる。つまりは電力料金の値上げによってなされるのだ。

:賠償資金だけではない。廃炉・汚染水への処理費用8兆円、除染費用4兆円、中間貯蔵施設の整備費用1.6兆円という巨額のカネは、すべて電力会社と国が負担する。

:合計21.5兆円と試算される事故関連費用は、血税と電気料金で、我々が支払うのである。ここに、再稼働の安全対策費が、さらに上乗せされていく。

:再稼働に向けたカネの使い放題、ちょっと人の道に外れているのではないか。だが5年前の民主党政権時代を思い起こそう。

:野田佳彦首相(当時)は「2030年代に原発ゼロを可能とする」目標を政府方針に初めて盛り込んだことがある。福島第一事故の後、原発の危険性を学んだ人たちの多くは、これに賛同した。

:だが、原発再稼働推進の安倍政権の気焔のもと、気がつけば「脱原発」ムードは風化した。現行のエネルギー基本計画では、「'30年代にゼロ」どころか「'30年に原発比率を20~22%」に代わったのだ。

:「東海第二の20年延長は、3.11後に再構築された原子力規制のあり方を問う重要な論点を含んでいるのに、大きなニュースになっていません。表面的な議論しか展開してこなかったメディアの問題と国民の圧倒的な無関心がそこにある」

:こう語るのは、立命館大学准教授の開沼博氏だ。

「国民としては、問題は何も解決していないのに、『まだその話か』『またか』となってしまい、カタルシスも得られない以上、関心を持たなくなってしまったのです」

:喉元過ぎれば再稼働。知らぬ間に、事態は進行している。3年前には福井地裁が運転差し止め判決を下したはずの大飯原発3・4号機に関して、11月27日、福井県の西川一誠知事が再稼働に同意した。

:その翌28日に経産省で開かれた有識者会議では、原発新増設を踏まえた議論さえなされた。東海第二のような20年延長を重ねたところで、'50年までには廃炉が相次ぎ、原発比率を維持することができない、というのだ。

:大飯再稼働には、世耕弘成経産相からの強い働きかけがあったとされるが、冒頭の経産省の最高幹部はどこ吹く風だ。

 「大飯の再稼働容認は、あくまで福井県知事の判断ですよ。あちらは地元経済活性化のため、原発立地交付金を満額もらいたいだろうし、そのために早く動かしてほしい。経産省は、あくまで再稼働しなければ電気料金は高いままになりますよ、というスタンスでした」

:現場はどうなっているのか。11月末、東海第二原発を訪れた。国道245号線を日立方面に向かい、原子力機構前の交差点を通過すると、この国道が拡幅工事中だと気づく。

:しばらく進み右手の進入路に入ると、東海第二原発が姿を見せる。その先には、建屋を足場で覆われた東海原発が、紅白の煙突をのぞかせる。

:原電が第二原発内で運営する博物館「東海テラパーク」。女性スタッフに話を聞いた。

:――20年の延長で、丁寧に検査しても、本当に安全なのかという声もある。

「飛行機に乗っても車に乗っても、事故を起こすことがあります。でも乗るまでわかりません。100%安全だとは言うことができないんですよ」

:――延長は必要ですか?

「お気持ちはわかります。福島事故後に、太陽光発電がグッと伸びてきましたが、価格の問題などあるようですし、これからのエネルギーを考えますとやはり必要なのではないかと……ごめんなさい。ちょっと失礼します」

■経済より命が大事でしょ
:一方、原発3キロ圏内の住民たちは、総じて複雑な心境をのぞかせた。

「もともと畑もロクにできず、何もなかった土地なんですよ。発電所が来たおかげで、大きな道路が通り、人がたくさん来てくれた。私たちが受け取ったものを、反対派の人は忘れてしまったのですか?」(80代・女性)

「福島の事故が起きてからは、やっぱり怖い。でも、ここから離れるわけにはいかないから、原発は安全な形で動かしてほしいです」(70代・男性)

:不安なままこの地で生活を続けていかねばならない葛藤のなかで、苦衷の表情を浮かべていた。福島第一原発の事故前、双葉町や大熊町で見られた反応と同じである。

:電源3法に基づく自治体への交付金のうち、大半を占める「電源立地地域対策交付金」は、いまだ年間約824億円。これが地方自治体への「原子力ムラ」のアメの一つとして使われている。

:だが、何度同じことを繰り返すのか。なぜ人々は原発再稼働に無関心なのか。宗教学者の山折哲雄氏は言う。

「人間の欲望というのは、抑えることができない。なぜ地震大国でこんなにたくさん原発があるのか――西洋の知のエゴイズムにかぶれた知識人が、大衆を理解しないまま勝手に物事を進めている。
:福島の事故があっても、それは変わらないどころか、ますますはっきりしてしまった。原発政策はおかしいと思いながらも、政治には無関心を決め込んでいる層の『内なるもの』が表に出るような事件が起こらないと、もうこの国は変わらない」

:実質的に東電を「国営化」した経産省からすれば、無関心こそ、再稼働政策を推進する格好の鍵になる。「原発再稼働なくして経済成長なし」と、刷り込みを続けていきさえすればいいのだから。しかし、同志社大学教授の浜矩子氏はこう言う。

:「再稼働を牽引する人たちは『経済合理性』を主張しますが、経済合理性には『人々の人権、生存権を脅かさない限りにおいて』という前提があることを忘れてはなりません。 事故が起これば、人権も生存権も侵害することを日本人は目の当たりにしたはず。なんのため、誰のための経済活動なのか、という地点から考え直さねばなりません」

:「原発」問題に飽きていた諸氏も、一歩立ち止まる時期かもしれない。
≫(現代ビジネス:「週刊現代」2017年12月16日号より)


≪福島原発事故から7年、復興政策に「異様な変化」が起きている
政府文書を読み解く
山下祐介(首都大学東京教授・社会学者)

■復興政策の異様な変化 :平成30年3月11日で、東日本大震災から丸7年となる。

:この復興からの道のりについての私の評価はすでに本誌(誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49113)や拙著『復興が奪う地域の未来』(岩波書店)で述べてきた。いまもその見解は変わらないので多くはふれない。

:ここではこの節目にあたって今一度、現在進行中の復興施策――ここでは原発事故災害についてのみ取り扱うこととする――の中身を点検したい。

:とくに6年目からの「復興・創生期間」に入って生じてきた変化を、復興庁のホームページにあがっている文書を検討することから明らかにしてみたい。

:おそらくここで示すことは、今現実に動いていること――森友問題における財務省の動き――をはじめ、この2年ほどの間にこの国の中枢で次々と起きてきたおかしな現象を解読するための糸口を提供するように思われる。

:というのも、東日本大震災からの復興をめぐる政策文書をあらためてみてみると、平成28年に「復興・創生期間」へと入る前あたりから――第3次安倍内閣(平成26年12月24日)がスタートする前後から――その内容に大きな変化が起きていることがわかるからだ。

:読者に理解しやすいようあえて強い言葉で表現すればこういうことだ。

:その前まではまともだった。むろん私の立場からすれば批判せざるをえない内容のものもあったが、それでもいまから見ればそんなにおかしなものではなかった。

:そこにはある種の政府としての首尾一貫性があったし、なぜそうなるのかも、それなりに理解できるものが多かったのである。

:しかし「復興・創生期間」以降は、何か悪意があるのではないかと感じざるをえないものが多くなっている。

:それはとくに、昨年末に出された「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」(平成29年12月12日)に象徴的だということができる。

:この戦略については後ほど取り上げることとして、ここではその前提となっている平成28年末の閣議決定「原子力災害からの福島復興の加速化の基本指針」(平成28年12月20日)の内容あたりから紹介していきたい。

■帰還にともなう被ばくは自己責任?
:「原子力災害からの福島復興の加速化の基本方針」は、震災から6年目の「復興・創生期間」にはいっていくなかで、進行する原発事故被害地域の復興についての国の取り組むべき方向性を示したものである。 :その1年半前に原子力災害対策本部が示した平成27年「原子力災害からの福島復興の加速に向けて(改訂)」(平成27年6月12日)に変えたものだ。

:この平成27年6月から平成28年12月への変化については、例えば平成27年にはあった文章――「帰還に向けて、住民の方々の間では、福島第一原発の状況に対する関心が大きいことを踏まえ、廃炉・汚染水対策の進捗状況や放射線データ等について、迅速かつ分かりやすい情報公開を図る」――が、平成28年には削られているなど注目すべき点が多いが、ここでは次の点のみ分析しておきたい。

:それは、これからの「帰還に向けた安全・安心対策」についてという箇所である。

:ここはまた、原子力規制委員会が以前示した「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方」(平成25年11月20日)をふまえて国が責任を持ってきめ細かく進めていくといっている。

:まずは原子力規制委員会が、この平成25年の「考え方」の中で原発被害地域への帰還についてどのような考えを示していたかをおさえておきたい。

:この「考え方」の前に提示されている「東京電力第一発電所の事故に関連する健康管理のあり方について(提言)」(平成25年3月6日)とあわせてみれば、原子力規制委員会が示した考え方とはこういうものである。

:原子力防災の目的は、公衆の過剰な放射線被曝を防止することである。避難から帰還の選択をする住民の意思は尊重しなければならないが、帰還は一定の放射線被曝を前提とする。

:それゆえ帰還者は、今回の事故直後にどんな被ばくを受けたのか行動調査等による推定を行うとともに、今後の被ばくについても継続的に実測し記録を残さなくてはいけない。

:でなければ健康被害を防止できないし、被害が生じた場合にもその原因を特定できない。帰還者を守れない。

:そうした被ばくの管理をおこなうこと、継続的な健康調査の実施、そして疫学研究を進めてどのような影響が起きたのか(起こらなかったのか)を検証して、住民たちの健康管理体制を維持していくことが国の責務になる――。

:要するに、一定の被ばくを覚悟しなければならない場所に帰還させるのであれば、その被ばくの管理を行うのは国の責務になるからその体制をしっかりつくれ、ということである。

:ここで問うているのは国の責任である。

:ところがこれを受けて作成したという、現在の政府の指針はどうなっているか。ここにはこう書いてある。

:「具体的には、女性や子どもを含む住民の方々の放射線不安に対するきめ細かな対応については、御要望等に応じた生活圏の線量モニタリング、個人線量の把握・管理体制の整備や放射線相談員による相談体制の整備を引き続き進める。放射線相談の活動については、それぞれの市町村の状況に応じた多様なニーズに対応できるよう、「放射線リスクコミュニケーション相談員支援センター」等により、自治体による相談体制の改善を支援していく。加えて、放射線相談員のみならず、生活支援相談員や学校教員などの住民の方々との接点が多い方々に対しても、放射線知識の研修や専門家によるバックアップ体制の構築などのサポートを強化し、様々な場面で住民の方々から寄せられる放射線不安に対して、適切な現場対応が行える体制を整える」(下線は筆者)

:私にはこの文章は、原子力規制委員会がいうような、"被ばく管理をし、国の責任で健康被害が出ないようつとめる"という意味には読めない。

:むしろ逆にこう解釈できると思う。

:「被災者からの要望があれば被ばく線量を個人で測る体制はつくる。だから自分で管理するように。基本的には放射線の知識をきちんとつければ不安に思うことはないのだから、その知識が得られるようサポート体制を整える。それでも不安があるなら、その相談には乗れるようにしましょう。それは自治体の仕事だから支援してあげます」

:政府は早期帰還を推進しているのに、これでは帰還して受ける被ばくは自己責任であり、政府の責任ではありませんよといっているようなものだ。これでは人々は帰るに帰れまい。

:だが筆者がここで問いたいのは次の点だ。

:原子力規制委員会が示した大事な提言や指針にたいして、今、政府はまともに向き合わなくなってしまっているのではないか。

:「指針をふまえて」といいながら、全く違う内容を都合良く平気でつないでいくという姿勢。こうしたことは平成27年までの文書には見られなかった。そこまではまだきちんと原子力規制委員会の考え方が反映されていた。

:一体この変化は何を意味するのだろうか。

■国民をリスクコミュニケーションで洗脳?
:しかも、昨年末に発表された「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」(平成29年12月12日、原子力災害に対する風評被害を含む影響への対策タスクフォース)では、政府の言い方はもっと踏み込んだものになっていくのだ。

:冒頭にふれたこの戦略の最初の部分を紹介してみたい。

:ここにはこんな文章が登場する。

 :「学校における避難児童生徒へのいじめなど、原子力災害に起因するいわれのない偏見や差別が発生している」(1頁)

:これはちょっと政府が出す文書としてはあってはいけないものだと私は思う。

:まず日本語として間違っている。「いわれ」は、例えば『広辞苑』ではこう示されている。

:「いわれ【謂れ】(由来として)言われていること。来歴。理由。」

:原子力災害が理由で偏見や差別が発生していると言っておきながら、その偏見や差別には「いわれ(理由)」がないと、そういう変な文章になっている。

:だが、重要なのはこの文章が導こうとする結論だ。つづく文章はこうなっているのである。

 :「このような科学的根拠に基づかない風評や偏見・差別は、福島県の現状についての認識が不足してきていることに加え、放射線に関する正しい知識や福島県における食品中の放射性物質に関する検査結果等が十分に周知されていないことに主たる原因があると考えられる。このことを国は真摯に反省し、関係府省庁が連携して統一的に周知する必要がある」

 :要するに偏見や差別、そしていじめの原因は、原発事故ではなく、国民の無知なのだ。国民を無知のままにしてきた国はそれを反省し、国民を無知から解放しなければならない。

 :それがおそらく来年度から実施されていく「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」による、「知ってもらう」「食べてもらう」「来てもらう」のキャンペーンなのである(ちなみに福島県の食品検査の取り組み――とくに米の全袋検査など――については私は高く評価している。この点は『聞く力、つなぐ力』(農文協)を参照していただきたい)。

■国が示す文書がおかしくなっている
:だが――ここは冷静に考えていきたい。

:霞が関で働くこの国の行政官僚たちは、本来こういう文章を書く人たちではない。

:だいたい、いじめの原因を"放射線に関する正しい知識が欠けているからだ"というあたりからして変だ。被ばくが人にうつらないことくらい誰でも知っている。

:いじめの原因はむしろ社会的な無知だ。「賠償もらってるんだろう」「原子力の恩恵を受けてきたくせに」――とくに後者が問題なのだが、これがどんな偏見と差別をはらんだ認識なのかは紙幅の関係上ここでは説明できないので、拙著『人間なき復興』(ちくま学芸文庫)を参照してもらうしかない(そしてこれは、正確には無知というよりも国民の多くがとらわれてしまっているある種の認識の罠である)。

 :ともかくこの無知の原因は、起こしてしまった原発事故に対して、国がその責任を(実質上)認めていないことにどうもありそうだ。人々が不安に思い、偏見や差別がはびこるのは、すべてはあってはいけない原発事故を起こしたからである。

:国はその責任をつねに自覚していなければならない。以前はたしかにその(社会的)責任のなかで施策は進められてきた。いまや開き直って、まるで「被災者にこそ責任がある」という感じになっている。

:だが、「被災者」というが「被害者」なのだ。加害者が被害者に対して、「何でいつまでも自立できないんだ。だから差別されるんだよ」と言い始めている。そして国民についても、馬鹿だから差別するのだという認識になるのだろう。

:すべては国が起こした原発事故が原因なのに。この責任転嫁をこそ「国は真摯に反省」しなければならない。

:こうした論理で構築されている「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」だから、その内容はきわめて傲慢なものだ。

 :風評対策についても、この戦略の前身になる「風評対策強化指針」(平成26年6月23日、平成29年7月追補改訂)と比較しておこう。

:平成26年の段階では、三つある強化指針の第1は「風評の源を取り除く」だった。「風評」という語は使っているが、この風評には原因がある。それは原発事故だ。それを認めるところから進められていた対策だったのである。

:だが、昨年末にそのタガが外され、「風評払拭」と堂々と言い始めた。

:「源を取り除く」努力を最大限にしているからこそ「風評だ」といえたのに、政府はもはや「原因はないのだから不安に思う方がおかしい」と、そういう方針に転換しようとしている。

 :政府はこの風評払拭を世界に向けて発信し、そして全国民に向けても不安解消のリスコミを強化していくという。

 :だが、政府は被ばくした人々の線量推定さえまともにやっていないのだ。私たちはその声をどこまで信じることができるだろうか。

:いったいなにが起因となってこんなことになっているのだろうか。

 :こうした原発避難者の早期帰還政策の、過剰なまでのゴリ押しが、民主党政権から自民党政権にかわったところで起きていると分析できるなら、ある意味でわかりやすい。反自民勢力のシンパからすれば、そう考えたいところかもしれない。

:だが現実には、原発避難者早期帰還のスキームは、平成23年9月に菅政権にかわってスタートした野田政権からはじまっている。その大きな転換点となったのがいわゆる「事故収束」宣言(平成23年12月16日)だった。

 :だがそこが全てかといえば、当時の状況と現在はずいぶん違う。

:これまで私は避難者たちの立場から政府の復興政策を強く批判してきたが、現在の政府文書の内容は、当時とは比べものにならないほど劣化していると感じる。

:またとはいえ、安倍政権がその劣化のスタートかといえばそんなことでもなさそうなのだ。

 :最初に述べたとおり、復興庁の文書を見ていても、第2次安倍政権まではそれほど大きな変化を感じない。変化が現れるのはやはり平成26年12月の第3次政権発足の前あたりからだ。

:そしてその変化は平成28年3月からの「復興・創生」で明確に現れてくることになる。

:次に、この変化の兆しと思われる「復興・創生」前の2つの事象を取り上げて、それが政府のいう「復興・創生期間」とどうつながっていったのか、迫っていこう。

 ■子どもたちへの興味を失った?
:まず第一に取り上げたいのは、平成26年4月18日に提出された復興推進委員会の「「新しい東北」の創造に向けて(提言)」である。これをその後に続く奇態な変化の直前状態を示す資料として見ていきたい。

:復興推進委員会は復興庁におかれた関係自治体の長及び有識者等による審議機関で、民主党政権下、復興庁設置の際に、復興推進会議とともにおかれた。

 :その復興推進委員会のメンバーを、安倍政権への移行を機に平成25年3月に入れ替え、会議を重ねて作り上げたのがこの提言である。

:民主党の時に策定された復興構想会議による提言「「復興への提言~悲惨の中の希望」」(平成23年6月25日)の自民党政権バージョンと思えばよいだろうか。 :内容について私には批判的に思う部分もあるが、基本的には目配りよく、復興を真摯に考えて取り組もうという意欲が伝わる文書である。

:「「新しい東北」の創造」にむけて、提言がとくに掲げるのは次の5つである。

 1. 元気で健やかな子どもの成長を見守る安心な社会
2. 「高齢者標準」による活力ある超高齢社会
3. 持続可能なエネルギー社会(自律・分散型エネルギー社会)
4. 頑健で高い回復力を持った社会基盤(システム)の導入で先進する社会
5. 高い発信力を持った地域資源を活用する社会

:会議録を眺めて非常に印象的なのが、「1. 元気で健やかな子どもの成長を見守る安心な社会」である。 :「子ども」を上記5つの項目の中で一番はじめにおいたところに、この提言の特色・意気込みが現れていると言ってもよいだろう。

:とくにこの項目に関しては、本提言を仕上げるために重ねた委員たちの苦労がよくわかる資料も会議録の中には収録されている。

:ところがその内容が、2年後の平成28年にはどこかにいってしまうのである。

:きっかけは「復興・創生期間」への移行だった。

:震災6年目以降の「復興・創生期間」をどのようなものにしていくのかを書き込む、「『復興・創生期間』における東日本大震災からの復興の基本方針」の内容について、当然ながら復興推進委員会は諮問をうけることになるが、基本方針の原案を見てある委員が次のように発言しているのに注目したい。

:「骨子案を見ますと、子供という言葉が1か所しか出てこないということで、だんだんこ の会議の中でも子供というキーワードが減ってきている印象を感じております。これは仕 方ない部分なのかなということも感じるのですけれども、今回の福島県を初めとした地域 では、子供たちに健康被害が起きるかもしれない、または起きたという思いが、子育てを している方々にとっての大きな不安であり、また風評被害を呼んでいる部分だと思います。 子供たちの心と体の健康に重要点を置くということをぜひ入れていただきたいと思います」(復興推進委員会(第20回)平成28年1月19日、議事録より)

:2ヵ月後の3月11日に発表された「基本方針」は、この発言を受けてであろう、多少の文言は追加された。が、「子ども」にとくに深く言及しないままの内容で閣議決定されている。

:私にはどうも「子ども」では票にならないというかたちで、政権が興味を失ったのではないかとそんな気がしてならない。

:教育再生実行会議まで組織し、子どもに熱心な安倍政権がなぜこんなふうになっていくのか。

 :ともかくここからは、中心に位置づけられていた政策でさえ、何かのきっかけがあれば平気で切り捨てられる、そんな政治・行政の極端な力学が生じていることが読み取れよう。

■被災者のためではないイノベーション・コースト?
:さらに別の角度からも分析を続けよう。

:こうして、せっかく作成した「『新しい東北』の創造に向けて(提言)」への関心が薄れていくのに対し、それに入れ替わるようにして福島復興の中心の座についたのが、「福島イノベーション・コースト構想」である。

:福島イノベーション・コースト構想は、第3次安倍内閣に移る前から動きがはじまり、第3次政権で一気に加速した。

:イノベーション・コースト構想とは、要するに今後廃炉を進めていくにあたって、廃炉産業の集積とともに、そこで進めなければならない新技術の確立(とくにロボット技術やエネルギー関連産業)をもって、福島県浜通りの新たな産業の基軸とし、そこで生まれた雇用によって帰還する人々が働ける場を作ろうというものである。

:私はこうした夢のような巨大事業には慎重であるべきと考えるが、ともかく事故プラントの管理や廃炉は進めなければならないのだから、最高の技術で絶対に放射能漏れのおきない安全な廃炉技術の確立をここで進めることに異論はない。

:そしてそれがこの事故で悲惨な目にあった被災者たちの暮らしの再建に資するのならば。

 :しかし、そのもととなっている「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想研究会 報告書」(平成26年6月23日、経済産業省)には、次のような気になる文章が織り込まれているのである。 :報告書は冒頭でこういう。

 :「一番ご苦労された地域が、一番幸せになる権利がある」(1頁)

 :私もそう思う。だが、その次の頁では、いとも簡単にその文言を覆すのである。

 :「住民の意向調査の結果によれば、震災から3年以上が経過する中で、戻らないとの意向を示している方も多い」

:「他方、国際研究産業都市の形成過程では、多くの研究者や関連産業従事者がこの地域において生活することとなる。今後は、新たに移り住んでくる住民を積極的に受け入れ、帰還する住民と一体で、地域の活性化を図っていくことが必要」(2頁) 帰ってこない人(被災者)はもうよい。復興は、帰ってくる人(被災者の一部)と、新しくこの町にやってくる人(被災者ではない人)で、やればよい。ここで言っているのはそういうことだ。

:だが復興事業の受益者が、この地域に戻ってくる人・新たに入ってくる人でよいというのなら、それは「一番ご苦労された地域が、一番幸せになる権利がある」とは全く違う話ではないか。

 :しかも驚いたのは、この構想から約1年後に出された、「福島12市町村の将来像に関する有識者検討会提言」(平成27年7月30日)で、こうした事業の結果として「震災前の人口見通しを上回る回復の可能性」があると言い始めていることである(提言のポイント)。

 :廃炉・除染作業員による人口増とともに、「夢の持てる地域づくり」によってそれを実現するというのだが、私にはそんなことが起きるとは夢にも思えない。

:そして文書を丹念に読めば、震災時の人口よりは減少はするのだが、今後の事業によって流入人口が増えるので、震災前になされていた人口予測よりも減り幅は小さいだろうと、そういう話なのである(「参考資料6 福島12市町村の将来像の検討に資する将来人口見通し(参考試算)」の42頁)。

:むろんそれとても私には信じられないのだが、本提言のこの文言は政府にとって大変ありがたいものであったらしく、後の「『復興・創生期間』における東日本大震災からの復興の基本方針」にもしっかりと引用されることになる。

:だがイノベーション・コースト構想はまだこれからのものであって、多くの課題をはらみ、決して成功を約束されているものではない。

:ここには当然失敗のリスクもあるわけで、人口増どころか、こうした事業が結局は収益をあげられず地域のお荷物になる可能性の方が高いのではなかろうか。

 :政府もそうした危険性をわかっているはずなのに、なぜそれをこうも無視した文章が書けるのか。
 ≫(現代ビジネス:社会:原発・山下祐介)

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●つきあいにくい隣国を理解する処方箋はあるのか?

2019年03月02日 | 日記


朝鮮戦争(上) 血流の山河 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社

 

戦後日韓関係史 (有斐閣アルマ)
クリエーター情報なし
有斐閣

 

池上彰の世界の見方 朝鮮半島: 日本はどう付き合うべきか
クリエーター情報なし
小学館

つきあいにくい隣国を理解する処方箋はあるのか?

安倍首相にしてみれば、米朝首脳会談が不調に終わり、北朝鮮の核・ミサイルの脅威を、国民へのアジテート材料に出来ることで、幾分、胸をなでおろしているかもしれない。

しかし、金正恩は馬鹿ではないので、トランプ大統領の米国内の安定的地位の確認が出来た時点で、核問題で一段の歩み寄りカードを切って、米国との交渉に臨むことになるだろう。

少々狼狽えているのが、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領だ。

本来であれば、“韓国3・1運動100年”の記念式典で、今までのように、反日な発言で、韓国国内を盛り上げたいところだったが、米朝会談の不調で、トーンを下げざるを得なかったようだ。

昨日は、トランプは、真っ先に、文在寅(ムン・ジェイン)電話を入れたようだが、そこには南北朝鮮における微妙な匙加減について、真っ先に話す必要があったのだろう。

少なくとも当面、北朝鮮との独断専行的な外交は控えてくれと、トランプは、文に忠告(警告)した可能性がある。

今後の北朝鮮動向はリスクが伴うので、不用意な経済制裁緩和発言をしないようにくぎを刺されたに違いない。

そして、その流れから、攻めの対日外交もほどほどにして、そろそろ手じまう方向に向かって貰いたい。

そろそろ、アメリカから韓国に向けて、対日外交の冷却を注文されても不思議ではない状況になっている。

韓国経済全体は、相当に悪い状況が続いているのだから、あまりに反日感情を煽ることで、政権の人気取りも、ほどほどにと、アメリカ側が注意した可能性はあるだろう。

日経が、現在の状況を嘆いて、以下のようなコラムを書いている。


 ≪ 不愉快な韓国とどうつきあうか(大機小機)
2019/2/27 15:00
従軍慰安婦問題をめぐる日韓合意の形骸化、元徴用工への損害賠償判決、海上自衛隊機への火器管制レーダーの照射――。日韓関係は国交正常化後、最悪の状態に陥った。徴用工問題では、賠償だ差し押さえだと日本企業への不利益が現実になっている。 こちらが冷静になろうとしても、徴用工問題では、差し押さえた資産の現金化の動きがある。日本政府は対応せざるを得ない。天皇陛下の謝罪を求める韓国国会議長の発言をやり過ごすわけにもいかない。この不愉快な隣国とどうつきあえばよいのだろうか。


 
ソウルの日本大使館前で開かれた「竹島の日」抗議集会=22日(共同)

戦後の日韓関係にはおおむね3つの考え方が底流にあった。第1は「日本兄貴論」である。いち早く経済大国になった日本が、発展途上の韓国に配慮すべきだというものだ。しかし、経済発展を遂げた韓国は、今ではむしろ日本との対等意識を強めているのが現状だ。

第2は「韓国特殊論」である。植民地支配という特別な歴史を踏まえ、日本の贖罪(しょくざい)意識、韓国の被害者意識を前提におく論理だ。人道の観点からないがしろにできないが「賠償請求の問題は解決済み」とする出発点をちゃぶ台返しされると、日本の譲歩の余地は狭まる。

第3は「戦略的思考論」だ。冷戦時代は米国の主導のもと、ソ連の脅威に対抗するための日韓連携が重視されたが、この考え方も古くなった。日韓漂流は、両国を相互協力に導く基本概念の喪失が生んだともいえるのではないか。

ただ、戦略的思考論は今なお有効だ。例えば、慰安婦や徴用工の問題で日本が「逆ギレ」しても、いいことはない。個人の人権意識が高まるなか、日韓でよい前例を作っておかないと、やはり元慰安婦、元徴用工がいる中国や北朝鮮が将来、この問題を蒸し返し、日本企業が被害を受けないとも限らない。 輸出立国である韓国にとっても、保護貿易がはびこる危機を前にした日韓連携は重要だ。東アジア地域包括的経済連携(RCEP)は日韓が主導するのが望ましい。今は親中姿勢ばかりが目立つが、中国の覇権主義への警戒感は、韓国にもある。

反日が止まらない韓国も、いつかは新しい戦略的思考論の大切さに気付くだろう。その時まで、不愉快であっても両国関係を制御していくしかない。
 ≫(日本経済新聞:ペン尻)


まぁ、日本が植民地支配した歴史的事実はあるとしても、相当に粘着力のあるお国柄のようである。

呉善花は“「日本では、怨恨の『怨』も『恨』もだいたい同じ意味で使われていると思います。しかし韓国の『恨』は、韓国伝統の独特な情緒です。恨は単なるうらみの情ではなく、達成したいけれども達成できない、自分の内部に生まれるある種の『くやしさ』に発しています。それが具体的な対象をもたないときは、自分に対する『嘆き』として表われ、具体的な対象を持つとそれが『うらみ』として表われ、相手に激しき恨をぶつけることになっていきます」”と説明している。

呉氏の解説に加えるなら、この「恨」は、国内では、政府に対し。与野党では、与党に対し。

原義の「恨」は怨念を抱く状態、そして怨念を抱くようにした外部要因を憎悪し、またその怨念を抱いた自分自身のことを悲しむ、そうした属性をも含んでいる(李圭泰)なのだそうである。

このような「恨」と云うように、韓国人の思考回路を考えると、日本憎しも、いくぶん理解出来る気もする。

日韓関係が、国家レベルや国民世論レベルで、反日・嫌韓が続いても、経済的相互依存は、それなりにあるのだから、なり行きな日韓関係がベストだと、腹を括る方が気楽でいい。

特別、両国が、どうこうしようとも、自由主義貿易圏の隣国なのだから、断絶する可能性もないだろう。 以下は、韓国3・1運動100年記念式典における文在寅(ムン・ジェイン)大統領が演説の演説要旨を伝える毎日新聞の記事だ。

あしざまに、日本攻撃を期待した聴衆は、拍子抜けだったろうし、待ち構えた日本にとっても拍子抜けだったと言えるだろう。

 
≪ 文大統領「協力の未来」強調、対日批判避ける 韓国3・1運動100年  
【ソウル堀山明子】日本の植民地支配に抵抗する3・1独立運動から100年を迎えた1日、ソウル市中心部の光化門(クァンファムン)広場で記念式典が開かれ、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が演説した。元徴用工訴訟など歴史問題で日韓関係が悪化する中、直接の対日批判を控え、「朝鮮半島の平和のため、日本との協力も強化する」と日韓協調を呼びかける内容になった。
 歴史問題とその他の対日政策を分離して対応する「2トラック外交」を前面に出した形で、これ以上の日韓関係の悪化は食い止めたい文政権の意向が反映されたといえる。また、北朝鮮の非核化や南北協力などが思惑通りには進んでいないこともあり、北朝鮮を巡る国際環境を文氏が目指す方向へと進めるには、日本との連携が必要だと判断した可能性もある。
 日韓関係について文氏は演説で「歴史をかがみとしながら韓国と日本がしっかりと手を握る時、平和な時代が大きく私たちに近づいてくる」と語った。また、日本の植民地支配に協力した人を指す「親日」との言葉を使い、韓国内の保革対立を念頭に「親日派の残滓(ざんし)を清算する」とも述べたが、「これは隣国と外交で対立する要因を作ろうということではない」とも強調した。
 一方、歴史問題に関連しては「被害者たちの苦痛を実質的に癒やすとき、韓国と日本は心が通じる真の友人になる」と呼びかけ、日本企業に元徴用工らへの賠償を命じた最高裁判決後の対応などを念頭に、日本に努力を促した。
 歴史問題はまだ解決していないとの現状認識の下、「被害者中心主義」で対応するという文政権の従来の立場に沿った発言だが、1月の新年記者会見で、日本は徴用工問題を「政治問題化して、拡散している」と非難したことと比較すると表現を大幅にトーンダウンさせた。
 文政権は徴用工判決後、日韓条約と司法判断の矛盾を解消する是正策を3カ月以上も検討を重ねたが手詰まりで、「双方の国民感情を刺激せずに実務的に管理するローキー(抑制的な)外交しかない」(韓国政府外交ブレーン)状況だ。対日政策で無理をしない態勢に入っているとみられる。
 また、米朝首脳会談前、韓国政府関係者は「新朝鮮半島体制」という新たな構想を打ち出すことを示唆していたが、文氏が演説で明らかにした構想の内容は「イデオロギーと陣営の時代を終わらせた新しい経済協力共同体」といった抽象的なものにとどまった。米朝が非核化や経済制裁緩和で合意できなかったため、南北協調のための経済協力事業の展開にもブレーキがかかった形になっている。
 ≫(毎日新聞)

 
*日韓比較、参考データ(2017or2018年度)
・名目GDP

日本 4,873(10億ドル)  
韓国 1,540(10億ドル)

・一人当りGDP  
日本 38,448(ドル)  
韓国 29,938(ドル)

・経常収支  
日本 196.13(10億ドル)  
韓国  78.46(10億ドル)

・貿易収支  
日本 26.21(10億ドル)  
韓国 95.22(10億ドル)

・外貨準備高  
日本 1,264.14(10億ドル)
韓国  388.80(10億ドル)

・失業率  
日本 2.88
韓国 3.68

・幸福度ランキング(2018年度)  
日本 54位  
韓国 57位

・報道の自由度ランキング(2018年度)  
日本 72位  
韓国 63位

以上。


慰安婦問題の決算
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「産業戦士」の時代:戦時期日本の労働力動員と支配秩序
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大月書店

 

文庫 「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945 (草思社文庫)
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草思社

 

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●米朝会談合意至らず 歓喜する安倍とマスメディア

2019年03月01日 | 日記

 

偽装の被爆国――核を捨てられない日本
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岩波書店

 

米朝首脳会談後の世界
柳澤 協二,太田 昌克,富澤 暉,今村 弘子
かもがわ出版

 

核時代の神話と虚像――原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史
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明石書店


●米朝会談合意至らず 歓喜する安倍とマスメディア


以下は、米朝会議合意ならずに関して、4人の識者の感想が述べられている。

朝日新聞が大好きな、日米の識者どもが、したり顔で解説をこころみている。

しかし、賛否派の配分は間違っていないようだ。

ヘリテージ財団(米国の伝統的権益集団)の人間の言葉など、21世紀において、何の価値もない。

元韓国国連大使などは、ムン・ジェインに首を切られた国連大使なので、現韓国政府の有利になる、米朝会談の結果を望むはずがない。

金塾元韓国国連大使の発言などは、まさに安倍晋三ソックリで驚愕したくらいだ。

その点で言うならば、日本と中国の学者の考えが穏当なのだろう。

金正恩(キムジョンウン)は命を賭けて、この米朝会談に望んでいる。おそらく、北朝鮮の高官らも同じだろう。

しかし、アメリカ側のトランプ、ポンぺオ国務長官、マルバニー首席補佐官代行、ボルトンらは全員自由主義国の人間であり、何時でも辞任して、自由の身になり、異なる人生を送れる身の上だ。

それに引きかえ、北朝鮮側の連中は、全員命がけである。おそらく、農村部などの窮乏は相当のレベルになっていると推測する。

知的で温厚な日本人であれば、現在の両国の力関係から鑑み、“窮鼠猫を噛む”、“敵に塩を送る”、“さかろの道”、“負けるが勝ち”等々の言葉が浮かぶに違いない。

そもそも、北朝鮮が製造済みの核を捨てるわけはないので、そのことを踏まえると、大陸間弾道弾を中心に、米国政府の対応が見ものだったが、米外交筋に足を引っ張られた模様で、ボルトンや韓国野党の思い通りになったようだ。

このことから、一定の推理が成り立つが、トランプ大統領の権力が、ホワイトハウス内で、削がれ始めたと云う可能性だ。

トランプ大統領がすでに気弱になる事情が存在していたんかもしれない。流石に、ここで大きな失点を決定づけるのはまずい。もう少し、国際世論を引き延ばしておきたい、思惑もあったように思われる。

北朝鮮が深夜におこなった記者会見からも、アメリカ側の強硬姿勢は「何故なんだ?」と云う訝ったニアンスが伝わる。

推測だが、今回の米朝首脳会談は、反トランプのホワイトハウス官僚らによって、羽交い絞めにあったことを意味するのだろう。

軽々に口には出来ないが、トランプ氏の命運が尽きる芽が見えてきたような按配だ。ここを乗り切れるようなら、トランプの再選も見えるのだが?


 ≪「内容の乏しい合意を避けたトランプ氏」 識者4人の目

・ブルース・クリングナー・米ヘリテージ財団上級研究員
 トランプ米大統領は、派手だが内容の乏しい合意を避けた。その点は称賛されるべきだ。朝鮮半島危機が再燃するとの観測もあるが、それはないだろう。昨年のシンガポール会談後、トランプ政権は成功したと主張したが時期尚早だった。今回の会談前も政権幹部は、北朝鮮の非核化に対してハードルを下げるようなシグナルを出していた。しかし、明らかに両国は非核化の定義にすら隔たりがあった。
 北朝鮮が提案した寧辺(ヨンビョン)の核施設廃棄は確かに良い一歩だが、過去の合意で何度も約束したものだ。核生産能力が最大だとしても全てではない。求められるのは国連決議に沿った非核化をすることだ。核ミサイルの段階的放棄と、全ての核ミサイル生産活動と核兵器の申告、そして旧ソ連との間で行われた核軍備管理のような国際基準に沿った検証だ。
 見返りに検討された平和宣言は、北朝鮮への制裁を弱めるリスクがある上、平和ならなぜ朝鮮半島に米軍が駐留するのか、韓国や日本を守るのはどうしてか、という議論を招きかねなかった。北朝鮮が非核化に向けて何の具体策も成し遂げないままでは失敗だ。
 トランプ政権は、かつての米朝の合意は失敗した、だから何か違うことをするべきだと、伝統的な(外交官が協議を積み上げる)ボトムアップから、首脳同士の交渉に切り替えた。北朝鮮もトランプ氏と直接交渉したがっている。ポンペオ国務長官やビーガン北朝鮮政策特別代表よりも譲歩を引き出しやすく、非核化をそれほど迫ってこないと思っているからだ。
 必要なのは北朝鮮が国連決議で求められる非核化に合意し、外交官同士が詳細を詰める作業だ。指導者がひざ詰めで何ページもある文書を作ることはない。(聞き手・香取啓介)

・慶応大学准教授(北朝鮮政治)・礒崎敦仁氏
 金正恩(キムジョンウン)氏は今回の首脳会談に体制の命運をかけていた節がある。昨年秋から米国に会談を求め続け、経済関連施設などへの視察は少なかった。トップダウンの交渉は薄氷を踏むような過程ではあったが、正恩氏は自ら「完全な非核化」の意向を国内外に表明した。その実現に時間がかかるのは間違いないが、対米関係改善への強い意志も見せていた。
 米国も北朝鮮が異質の体制であることを認めて交渉を重ねていただけに、協議が不調に終わり、合意できなかったのは信じられない思いだ。米朝首脳にとっても想定外だったろう。
 そもそも米朝がトップダウンで交渉を進めてきたのは、これまでの閣僚や官僚による交渉から積み上げていく手法では、双方とも後戻りすることが多かったからだ。トップダウンには危うさもあるが、予想以上の結果をもたらす可能性も秘めていた。
 シンガポールの会談から8カ月もの間、協議が停滞した背景には、前回の合意が総論的な合意文書だったことがある。今回は親書や演説を通じて信頼関係の構築に努め、具体的な合意を目指していた。
 今後も長く政権を担う正恩氏にとって、今回の会談で具体的な合意ができなかったことは大きな痛手だ。従来の米政権と異なり、人権などの国内問題に干渉しない姿勢を見せるトランプ政権のうちに関係改善を進めたいはずだ。
 北朝鮮を取り巻く状況は、核・ミサイル実験が継続されていた2年前よりも格段にマシになっていた。今後の展開次第で進展する可能性もあるが、北朝鮮との交渉の難しさを痛感させる出来事として記憶に残る。米国の反トランプ層だけでなく、日本を含めた周辺諸国に失望が広がり、影響が尾を引くことになる。(聞き手・中川仁樹)

・金塾・元韓国国連大使
 北朝鮮の非核化への具体的な措置や約束がなく失望したが、非核化の原則と北朝鮮に対する経済制裁を維持した点で安心できる結果でもあった。悪い合意のために原則を損なうことがなくて幸いだった。トランプ米大統領の説明によれば、合意できなかった原因は、制裁解除を要求した金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長にある。制裁が北朝鮮に効果があることも改めて浮き彫りになった。
 北朝鮮は昨年6月のシンガポールでの首脳会談で、非核化しなくても制裁を解除できると錯覚した。金英哲(キムヨンチョル)党副委員長とポンペオ米国務長官との協議は難航したが、その考えを捨てなかった。今回の会談で「既に生産した核兵器は放棄しない」という北朝鮮の立場を確認することになった。核は体制維持に不可欠ということだ。
 逆にトランプ氏はシンガポール会談の誤った判断を修正できた。シンガポール会談への批判が多かったことも、合意なしへの負担感を減らしたのではないか。
 トランプ氏によれば、正恩氏は核実験や弾道ミサイル実験を行わないと約束した。北朝鮮は会談が決裂したからといって、自殺行為につながる極端な行動には出ないだろう。ただ、正恩氏は成果のないまま平壌に戻る。米国指導者と直接会っても進展がなかったわけで、今後の対応に苦悩するのではないか。
 3回目の米朝首脳会談は当面はないだろう。北朝鮮は打開のため中韓に接近するかもしれないが、米国が制裁緩和を拒否したことで、韓国の文在寅(ムンジェイン)政権が推進する南北経済協力にブレーキがかかることは間違いない。
 日米韓は対北朝鮮政策の原則を確認し、国際社会による経済制裁を強化して、北朝鮮の完全非核化を目指して協力すべきだ。(聞き手・牧野愛博)

・賈慶国・北京大学国際関係学院教授  
事前協議がうまくいっていないように見えたので大きな成果は難しいと思っていたが、予想よりさらに悪い結果だった。北朝鮮にとって核兵器は政権の存続と国家の安全に直結する。米国との軍事衝突が起きそうになるほどのリスクを冒して開発したのに、簡単に放棄するはずがない。
 非核化が実現するとすれば、平和条約などで北朝鮮の体制と安全が保証され、経済発展が約束されたときだ。それは米国だけが約束しても北朝鮮が信用するとは限らない。大統領は代わるし、議会が認めるか分からない。中日韓を含めた多国間の協議が必要だろう。
 トランプ米大統領は北朝鮮が完全な制裁解除を求めたと言う。そこは政治的なかけひきもあるだろう。北朝鮮が核実験を停止したり、一部の核施設を破壊したりしたことを評価し、米国も制裁の一部解除を検討すべきではないか。リスクが全くないとは言わないが、北朝鮮の行動を評価し、さらなる行動を促す意味がある。何も激励を与えなければ、北朝鮮は今までの行動が無駄だと考え、非核化に向けた努力に消極的になりかねない。
 中国はすぐに非核化が実現するとは思っていないが、朝鮮半島の非核化と安定を望むことに変わりはないので、両国間の対話を今後も支援するだろう。首脳会談のため、金正恩(キムジョンウン)氏を乗せた列車に中国を縦断させて大きな犠牲を払ったのもその表れだ。
 ただ、米中の対立が中国側の協力への意欲をそいでいる面はある。「核問題は米朝間の問題なのに、なぜ友好国の北朝鮮に嫌われるようなことを中国がしなければならないのか」という声が大きくなる。貿易摩擦が収まれば、核問題の米中協力にも有利に働くだろう。(聞き手・延与光貞)
 ≫(朝日新聞デジタル)


 ≪米朝首脳会談、合意見送り 準備不足の稚拙なトップ外交
 ベトナムの首都ハノイで28日に行われた米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の首脳会談は、北朝鮮の非核化をめぐって溝が埋まらず、合意文書の署名を見送った。トランプ氏は会談後の記者会見で、正恩氏が核爆弾の原料をつくれる寧辺(ヨンビョン)核施設の廃棄の見返りに、経済制裁の全面解除を求めたことは受け入れられないとし、「(交渉の)席を立たざるを得なかった」と語った。
 トランプ、正恩両氏は前日に引き続き、28日午前に首脳会談を再開。ところが予定していた昼食会合と両首脳による署名式が午後0時半ごろに突如中止となり、両首脳は宿泊先のホテルへそれぞれ戻った。  トランプ氏は会見で「我々はとても生産的な時間を過ごした」としつつ「(合意文書に)署名するのは良くないと思った」と語った。具体的には、正恩氏は寧辺核施設の完全な廃棄を提案し、その見返りとして全面的な制裁解除を求めてきたという。
 寧辺では、核爆弾の原料となるプルトニウムや濃縮ウランが製造できるが、米政府は、このほかにも複数の同様の施設があるとみている。トランプ氏は、こうした事実を北朝鮮側に突きつけたと明かし「(寧辺は)巨大な施設だが、(全面的な制裁解除には)十分ではない」と語った。
 また、ポンペオ米国務長官は会見で「寧辺の施設(の廃棄)は重要だが、ミサイルや(核)弾頭、兵器システムが残る。我々が手に入れられなかった要素が多くある」とし、なお未解決の問題があると指摘した。
 一方、トランプ氏は正恩氏が27日夜の首脳会談でミサイル発射や核実験を行うつもりはないと約束したことを明らかにした。「私は制裁強化については語りたくない」とも述べ、配慮を示した。正恩氏と3回目の会談は「約束していない」と答えたが、「もしかしたらそれは起きるかもしれない」とも述べ、正恩氏と対話は続ける姿勢は示した。
 トランプ氏は正恩氏との関係を「我々の関係はとても強い」とこれまでと同様に評価。ポンペオ氏は「(両国の)チームが数日後、数週間後にもとに戻って協議を続けることを期待している」と述べ、米側としては今後とも北朝鮮側と非核化交渉を継続する姿勢を強調した。しかし、両首脳は非核化交渉の停滞をトップ会談で打開するつもりだっただけに、両首脳の政治的なダメージは大きく、今後の交渉の行方も不透明だ。トランプ氏は、十分な実務協議がないままトップ会談に臨んだが、非核化を巡る両国の認識に「溝があった」と認めた。
 会談が合意なしで終わったのは、正恩氏にとっても誤算だったとみられる。
 北朝鮮の労働新聞(電子版)は28日付の1、2面で、正恩氏とトランプ氏の1日目の会談と夕食会の記事を写真17枚と共に大きく掲載。「全世界の期待に即し、今回の会談で包括的で画期的な結果を導き出すための真摯(しんし)で深みのある意見が交わされた」と宣伝していた。正恩氏は、米国を含めた活発な外交活動を権力基盤の強化に利用してきており、今回も一定の成果を収めることが前提だったとみられる。
 28日午前の首脳会談の冒頭、正恩氏は「非核化の意思がなかったら、ここに来なかった」と強調。ただ、記者に「具体的措置を取る決定をしたのか」と聞かれると「いまその話をしている」と述べるにとどめていた。
 正恩氏は新年のあいさつで、これ以上の核兵器は生産しないと表明したものの、完成済みの核兵器をどうするかには言及していない。正恩氏は、米国と対等な形での交渉を始めた「成果」を維持するためにも、トランプ氏との関係を当面悪化させたくないとみられるが、北朝鮮が望む経済制裁の解除をめぐる米国との溝が改めて鮮明になった。
 米朝首脳会談は昨年6月にシンガポールで開催されて以来2回目。前回は「朝鮮半島の完全な非核化」など4項目からなる共同声明に合意している。今回は27、28日の2日間の日程で行われ、最終日に両首脳が合意文書に署名し、発表する予定だった。(ハノイ=園田耕司、武田肇)

・正恩氏が突きつけた制裁全面解除 トランプ氏感じた「ギャップ」
 事前に準備が整っていないトップ外交は、稚拙だったというほかない。
 自身の「ロシア疑惑」などで困難に直面するトランプ米大統領は、世論の関心を国内政治から外交へと向けさせようと、実務者の協議が煮詰まらないうちに会談開催を決めた。「恋に落ちた」とまで自賛する関係の金正恩氏が相手であれば、ディール(取引)が成立すると考えたのだろう。
 複数の米政府関係者によると、米側は「見返り」として将来的な経済協力のほか、平壌への連絡事務所の設置、朝鮮戦争の終結をうたう平和宣言や経済制裁の一部緩和を検討していた。
 ところが実際に正恩氏とテーブルを挟んだトランプ氏が痛感したのは、記者会見で自身が述べた「ギャップ」だった。正恩氏が突きつけた制裁の全面解除は、とてものめない要求。制裁がなくなれば、北朝鮮の経済も息を吹き返し、非核化を実現させる最も強力なカードを失ってしまう。
 正恩氏にとっても今回の結果は誤算だっただろう。国内政治で苦しむトランプ氏の足元を見透かし、一対一形式に持ち込めば、大幅な譲歩を引き出せる――。そう計算したものの、トランプ氏が交渉の席を立つとは想定していなかったとみられる。2020年の米大統領選を見据えたとき、歴代大統領でも圧倒的な融和姿勢をとるトランプ氏から合意を引き出せなかったことは、正恩氏に大きな痛手となるかもしれない。
 今回の米朝首脳会談で露呈したのは、専門家が少なくとも10年以上はかかるとみる極めて複雑な非核化交渉を、実務者による協議を積み上げることなく、一気にトップ外交でまとめることの限界だった。。(ハノイ=園田耕司)
 ≫(朝日新聞デジタル)


 ≪北朝鮮外相が深夜に会見、トランプ氏の発言に反論
 ハノイで開かれた米朝首脳会談に臨んだ北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長に同行している李容浩外相らが1日深夜(日本時間1日未明)、韓国など一部メディアを対象に記者会見を開いた。李氏は、トランプ米大統領が28日の会談後に開いた記者会見で、米朝が合意をまとめられなかった理由に正恩氏が経済制裁の全面解除を要求したことを挙げたことをめぐり、「我々が要求したのは全面的な制裁の解除ではなく、一部の解除だった」と主張した。
 記者会見を中継した韓国YTNによると、李氏は北朝鮮側が求めた制裁解除について、「国連制裁決議の計11件のうち2016年から17年までに採択された5件で、民間経済と人民の生活に支障を与える項目」について、まず解除を求めた主張した。
 そのうえで、米国が解除に応じれば「(核施設のある)寧辺地区のプルトニウム、ウラニウムを含むすべての核物質施設を、米国の専門家たちの立ち会いのもと、両国の共同作業で永久に廃棄すること」を、首脳会談では提案していたことも明らかにした。李氏は、この提案について、「これは朝米両国間の現在の信頼水準からみて、我々が考える最も大きな幅の非核化措置」だとした。
 李氏はまた、米国は北朝鮮がとるべき非核化措置について、「寧辺の廃棄のほか一つを追加しなければならないと主張した」と指摘。「他の一つ」が何かは具体的に説明しなかったが、「これにより米国が我々の提案を受け入れる準備がなされていないことは明白になった」と述べ、北朝鮮の提案を米国が受け入れなかったことが、合意に至らなかった理由であることを示唆した。李氏は提案が「最良の方法」だとして、今後も米側に応じるように求めていくとした。(ハノイ=武田肇)
 ≫(朝日新聞デジタル)


外交の積み重ねでは解決がおぼつかないから、トランプ大統領と云う風変わりな人物との間で、ものごとを進めようと、世の中に出てきたのが、北朝鮮だ。

今回の米国側の外交関係者は、北朝鮮が、再び、殻に閉じこもるきっかけを与えた可能性もある。

僅かでもいいから、譲歩した姿を見せても、米国側にとって、痛くもかゆくもなかったはずだが、ミスをしたくない外交の積み上げに丸投げしたトランプの失敗だったとも言える。


たしかに、北朝鮮は暴力的国家ではあるが、暴力的思考に追い込んだのが、米国の民主化と云う、美名と不遜な暴力が惹き起こした面も否めないので、小国の生き残りとしての選択を全面否定するのは、公平ではない。

今回の会談の失敗が、北朝鮮国内の権力闘争に、火をつけないかどうか、米国側の事務レベルの人間たちの脳裏になかったのだろうか。

仮に、北朝鮮国内で、内乱のような問題が起きた場合、関係各国の準備は整っているのだろうか。

そのような問題が杞憂であれば、安倍晋三や、日本の与野党の政治からの言い分は正しいのだが、彼らは、口先番長にならず、最後まで、その発言に責任を持って貰いたい。

読売は、“ 拉致問題については、トランプ氏が27日に金正恩朝鮮労働党委員長と1対1で行った会談で提起し、首相の考え方を伝えた。その日の夕食会でも、米朝首脳は拉致問題をめぐって「真剣な議論」を行ったという。”

こんなヨタ話を堂々と紙面に書けるものである。


合意文書を出すことに汲々としていた米国側の状況で、日本の拉致問題を「真剣に議論した」とはなにごとだ!

米朝会談に、異物混入のような日本政府からの要望は筋違いだ。


はじめから、安倍が解決する気があるなら、北朝鮮に乗りこむか、北京で会談するとか、やろうと思えばいつでも出来た。

早い話が、口だけ番長であり、行動は、一切伴わない。

それが、安倍晋三だ。



≪米朝で拉致議論、首相「次は私が向き合う決意」
 安倍首相は28日夜、ベトナムから帰国中のトランプ米大統領と約10分間、電話で会談し、2回目の米朝首脳会談について説明を受けた。首相は会談後、首相公邸で記者団に「安易な譲歩を行わず、同時に建設的な議論を続け、北朝鮮の具体的な行動を促していくトランプ氏の決断を全面的に支持する」と語った。
 日米両首脳は今後も緊密に連携することも確認した。拉致問題については、トランプ氏が27日に金正恩朝鮮労働党委員長と1対1で行った会談で提起し、首相の考え方を伝えた。その日の夕食会でも、米朝首脳は拉致問題をめぐって「真剣な議論」を行ったという。
 首相は「次は、私自身が金委員長と向き合わなければいけないと決意している」とも語り、金委員長との直接対話で問題解決を図ることに意欲を示した。
 首相は2月20日の日米首脳電話会談で、拉致問題を米朝首脳会談で取り上げるようトランプ氏に要請していた。  ≫(読売新聞)


 ≪与野党、米の譲歩なく安堵=協議継続求める-米朝首脳会談
 2回目の米朝首脳会談について、与野党からは28日、米国が非核化で北朝鮮に譲歩しなかったことを安堵(あんど)するとともに、今後の協議継続を求める声が相次いだ。
 自民党の萩生田光一幹事長代行は記者団に「大きな進展がなかったことは残念だが、安易な妥協をするような事態が起きなくて、ちょっとほっとしている」と語った。石破茂元幹事長も「非核化も完全にできないのに制裁解除する、という最も良くない結論にならなかっただけいい」との認識を示した。
 公明党の石田祝稔政調会長は「トランプ米大統領には(核問題などに)しっかり取り組んでもらいたい」と求めた。
 立憲民主党の枝野幸男代表は記者会見で、「協議が短期間で良い方向に大きく進むことは望ましいが、簡単ではない。今後の進展に期待したい」と語った。共産党の志位和夫委員長は「米朝が今後、真剣な協議を続けることを強く期待する」とのコメントを発表した。
 一方、国民民主党の玉木雄一郎代表は「日本外交の姿が全く見えない。日本独自の拉致問題解決の努力を示していくべきだ」と記者団に述べ、安倍政権に注文を付けた。
 ≫(時事通信)

朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか (「戦後再発見」双書7)
五味 洋治
創元社

 

新版 北朝鮮入門
礒〓 敦仁,澤田 克己
東洋経済新報社
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