FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

自作目録

2006年07月05日 | Weblog
ワールドカップの試合に追われて、「毎日モーツァルト」を書くのが遅れてしまった。毎日、番組は見ているんだけど、それを文章にするという作業まで行かなくて滞っている。このところの高温続きで庭仕事も忙しくなってきて、などといっぱい言い訳をする羽目になる。

97回、自作目録。ピアノ協奏曲第14番変ホ長調。K.449.第1楽章より。
ゲストはドイツ文学者、池内紀さん。
ピアノコンチェルト(協奏曲)っていうのは、それまでもあったんでしょうが、モーツァルトがほとんど形を決めて完成させたというか、そういう意味では一番才能が溢れて発揮された場ですね。だから終始作ってますよね。幼いまだ10代の頃からー。

その前までは、あの人は几帳面な人ではなかったんだけど、作品目録、気に入ったものをきちっと書いて行くって事を始めたんだけど、それも確か、ピアノコンチェルトからはじめたんです。絶えずモーツァルトが作曲の基本にしたところ、そんな風に考えていますね。

ピアノ協奏曲は送られてきたCDがあるので、ずっと聞いている。17番の鳥の鳴き声などというのは、実に楽しいものだ。それぞれに個性的ではあるけど、何番は出だしはこうで、というほど記憶がない。もう一回聞きなおし、あー、そーだったのかーということになる。

モーツァルトはこの年から自分の作品の記録をつけ始めた。いわゆる自作目録だ。曲ごとに冒頭の部分、楽器編成、作曲した日付がていねいに記されている。自立した音楽家を目指すモーツァルト。その並々ならぬ決意を示しているようだ。

わが全作品の記録。1784年2月より
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
冒頭を飾るのはこのピアノ協奏曲第14番。
1、ピアノ協奏曲
伴奏:ヴァイオリン2 ヴィオラとバス(オーボエ2、ホルン2は任意に)右のページには曲の冒頭部分、最初の4小節が書かれている。必要なとき、すぐに譜面を出せるように工夫された作品目録。

グラーベン。
ウィーンの中心に位置するグラーベンは町の目抜き通りのひとつ。ここはモーツァルトの時代も貴族や裕福な市民で昼夜にぎわっていた。1784年1月、モーツァルトはグラーベンに引っ越してきた。モーツァルトが住んでいたトラットナー館には演奏会を開ける大広間があり、さまざまな芸術活動の拠点だった。このピアノ協奏曲も1784年3月、トラットナー館で初演されたといわれる。演奏会の前評判は高く、モーツァルトは期待を込めて父親に伝えた。

父への手紙、1784年3月3か
”すでに100人の予約者があります。まだ軽く30人は集まるでしょう”

父への手紙、1784年3月20日
”演奏会は無事にいきました。広間は超満員でした。ぼくの弾いた新しい協奏曲は特に受けました。どこへ行ってもこの演奏会を褒め称えています”

モーツァルト28歳ー
この後、自作目録には自信と意欲に満ちた作品がつづられていく。

ピアノ協奏曲のどれも素晴らしい。歌劇の中のテーマ曲も一緒に歌いたくなる。(歌えるかどうかは別として)。今まで聴いた中でのベスト1はクラリネット協奏曲。第2楽章のえもいわれぬ静けさは、なんとも形容しがたい、魂を揺さぶられるようなとでもいうのか。胸の奥の奥に入り込んでくるようなクラリネットの調べ。死の2ヶ月前に作曲されたのだそうだ。いわれているように、死を予感していたのだろうか。そういう心境だからこその静けさにも思える。

























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