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~サッカーを中心に日々の雑感など~

胸を打つ言葉

2012年07月13日 | 雑感

 消費税増税反対を掲げ、民主党を離党した衆参議員たちが結集した小沢さんを代表とする新党の名前はやっぱり!「国民の生活が第一」。小沢さんははじめから決めてたんじゃないの?って気がするけどね。そこで新党綱領の全文。新党綱領を読み進むうち、最後の言葉には胸を打たれた。なんのために政治家は存在するのか、その志が大事。先行きがどうかだけで決断したわけではないのだ。

 【新党綱領全文】

 
わが党は2009年の政権交代に対して負託された民意を鑑(かんが)み 、改めて「国民の生活が第一」の原則を貫いて、日本の政治、行政、経済、社会の仕組みを一新する。そして国民が「自立と共生」の理念の下で安心安全かつ安定した生活を送り、自らの将来に夢や希望を取り戻し、誇り高く暮らせる日々を実現することを目標とする。

わが党は、われわれが携(たずさ)わる国政とは「国民の厳粛なる信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受(きょうじゅ)する」(憲法前文)ものであることを真摯(しんし)に受け止め確認する。

われわれは「正当に選挙された国会における代表者」として政治を主導する権限と責任があること、その政策は国民の利益を増進するものでなくてはならないこと、国民との約束は誠実に順守する必要があることは、まさしく日本国憲法が求めているものであって、われわれが「国民の生活が第一」をもって党是(とうぜ)とし、「国民の生活が第一」を党名とするゆえんである。

〈三つの前提〉

わが党は自立した個人が自由と公正を規範とするとともに、多様な価値観を持つ他者と互いに認め合う「共生の社会」を目指す。その実践原理である「国民の生活が第一」を追及するに当たっては、三つの前提が確立される必要がある。
 

 1、国民の主権

 主権者である国民に対し、情報が開かれていなくてはならない。国も官僚も企業も団体も、もはや公共の福祉の名の下に、情報を独占し、隠ぺいすることは許されない。議会制民主主義の虚構化を回避し、「国民の代表者」による真の政治主導を確立することは、国民主導の政治の実現のための必要条件である。

 2、地域主権

 日本の各地域には連綿と続く歴史があり文化があり暮らしがある。地域が地域としての自立性と公平性を維持しつつ、産業と生活の利便が享受(きょうじゅ)できる街づくり、地域づくりが確保されなくてはならない。そのために必要な国と地方の関係については統治機構の抜本改革の中で協議を先行させる。

 3、国家としての主権

 いかなる個人もどのような地域も、国家の自立なくしては成り立ち得ないのは自明である。同時に、国民の人権が侵され、国土が保全されていないとすれば、国家の威信も守れない。日本が国家としての主権を毀損(きそん)されることがないよう、安全保障のみならず、文化・教育・科学技術・経済・金融・外交などなど、広範に目配りして真の主権国家を確立する。

わが党は、諸国家、諸民族、諸文化、さらには自然とも共生する理念の下、世界の平和と持続的繁栄のための諸活動に、性別、年齢、分野を問わず、積極的に参加することを求める。平和と繁栄という、普遍的な目的への人類史的貢献の発信者としての日本を、すべての国民が名誉と思える時代を築くためである。(2012.7.11. 時事ドットコムから)

 憲法の精神を背景に格調高い改革の志が謳われていて、それだけでも感銘を受けるが、最後の一文は特に印象深い。平和と繁栄という普遍的目的への人類史的貢献の発信者としての日本を、すべての国民が名誉と思える時代を築くためである。…なんという素晴らしい言葉!!

 情報公開という点では、福島原発事故では作られた安全神話が事故対策の遅れとなり、東電と官僚によって情報が囲い込まれ、情報が住民に公開されなかったことで放射線被ばくが拡大されたことが白日の下に晒された。昨日の朝日新聞には、東京電力の福島第一原発事故をめぐる国会事故調査委員会の英語版の報告書が「根本原因は日本に染みついた習慣や文化にある」などと記したことについて、英米メディアから「事故の本質を見誤らせる」と批判が出ているという記事が載っていた。

…問題となっている表現の多くは、黒川清委員長が書いた報告書の英語版の序文に含まれているが、日本語版には入っていなかった。…驚くべきことに日本語版と英語版では違うことを言っていたのだ。こういうことを小さい記事ではなく、どうしてもっと大きく取り上げて追及しないのかなあと思うよ。つくづく権力批判が出来ないメディア。

政権交代でこうした腐敗癒着に風穴を開けようとしたはずが、3年経って自民党のいた場所へ戻ってしまった野田政権。野党も与党もおんなじになって選べない状況を打破するだけでも、小沢新党は意味がある。長年続いたいろんな仕組みを改革するには、どれだけ強い抵抗があるかということが小沢裁判でもよく分かった。かといって橋下大阪市長のような独裁的手法はとんでもない解決。改革をあきらめるのは早すぎる。