FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

『永遠と一日』

2005年05月11日 | Weblog
老詩人アレクサンドレ(ブルーノ・ガンツ)は、余命幾ばくもないことを自覚し、すべてを整理して明日入院することを決意する。娘のところへ行き、亡き妻が随分前に自分へ宛てて書いた手紙を渡す。1966年9月20日。娘はこれは「私の一日」といっていた日のことだという。

ママの死後に取り組んだ19世紀の詩人の仕事は?ときかれる。ソロモスの“包囲された自由人”未完の詩集の第3稿。さあ、言葉が見つからないとねーと答える。娘の夫に「『海辺の家』は売ってしまうことにしました。明日から解体が始まります」と告げられ、衝撃を受ける。

妻が「私の一日」といっていた海辺の家で親戚たちと楽しく過ごした白い砂浜、青い海と空があった夏の日の思い出がよみがえる。街中でストリートチルドレンの少年と出会う。警察に追いかけられていた。年かさの少年は逃げおおせたが、年少の子供たちが次々捕まっている。とっさに車の中に呼びいれた。彼はアルバニア難民のギリシャ系だった。

人身売買の現場から救い出し、国へ戻すため山を越え、国境ゲートへ向う。もやがかかった遠景で、ゲートの高い金網に引っかかって動かない人間たち。二人にだけ見える幻の国境の悲劇の象徴だった。ゲートを目の前にして少年は、家族なんていない、ほんとはおばあちゃんなんていないと。こうして二人は引き返し、少年と一日だけの二人旅をする・・・

1998年/仏=伊=ギリシャ。テオ・アンゲロプロス脚本・監督の作品。
少年と二人の今の時間。妻と過ごした海辺の家の思い出。仕事にしていた19世紀の詩人ソロモスに関すること。この三つがいったりきたりして、話が重層的に展開する。

これから死へと向う老詩人と未来そのものの少年。一つの命の終わりは新しい命へと引き継がれる。妻との思い出は甘く切ない若かりし日の出来事。何度も何度もその思い出に引き戻される。少年とは心を開き、ソロモスのことを語って聞かせる。

ギリシャ人でイタリアで育ったが長くオスマン帝国に支配されていたギリシャの蜂起を聞き、母のいる故郷に帰ることにする。詩人の義務は、革命賛歌を作り、死者を弔い、民衆に自由を教えることだ。しかし、言葉がしゃべれない。近所を回り、聞いた言葉を集め、知らない言葉にはお金を払った。言葉を買う詩人ー。

ギリシャはアルバニア、マケドニア、ブルガリアが隣国でルーマニア、ユーゴと続く。いつも紛争が絶えず、難民の問題がある。いつでも国境を越えて逃れられる代わりにいつでも軍隊が国境を越えてくる可能性がある。ヨーロッパでは戦争を繰り返してきた反省がついに欧州連合へとつながっていったのだと思う。それにくらべてー。

前編が詩のようなセリフと美しい映像で、血は一滴もながされない。これから人生のたそがれに向うとき、何回も見たい映画。詩人に聞いても答えてくれなかった明日の長さは?妻が答える。永遠と一日ー。これはきっと哲学的な意味があるのだろう。

アレクサンドレ、アレクサンドレー。ご飯ですよー。
なんというやわらかい、やさしい母の声。多分、最も幸せな時間だったのだ。

エンディングに流れる管弦楽のテーマ曲がいつまでも耳に残っている。
胸の奥深くを揺さぶられるような重たい映画。映像は目を見張るような完成された美しさ。
こんなすばらしい映画に出会うと日常がすっとんでしまう。

今、札幌で「エレニの旅」というこの監督の新しい作品が上映されている。
どうしても行って見てきたい。