Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

文学座「セールスマンの死」

2016-07-30 | 映画・テレビ・演劇・芸能

アーサー・ミラーと言えば、戯曲「セールスマンの死」とマリリン・モンローの何番目かの旦那さんと言うことくらいしか知らない。私が学生の頃、「セールスマンの死」やテネシー・ウイリアムの「ガラスの動物園」がトレンディだった(たぶん)。  

 が、実際に演劇を観たのは、ずっと後で、演劇鑑賞会(当時は労演)で、滝沢修や仲代達矢を観ているはず(あまり覚えていないのだが)。
 ↓は、今回の文学座公演でウィリー・ローマンを演ずるたかお鷹さん(「殿様と私」で芸術祭大賞を受賞)。このポスターは絶望して死を選ぶ直前のシーン。だが、彼は鍬で土を起こし野菜の種を蒔くのだ。

 《あらすじ》 舞台は、世界大恐慌後1930年代の不況のニューヨークです。かつては地方回りの有能なセールスマン(ストッキングを売っている)だったウィリーは既に63歳になり、時代の変化から取り残され、顧客をほとんど失い、稼ぎが全くない惨めな状態になっていました。が、ピカピカの車に乗っていたいい時代、長男がフットボールの選手として華々しく活躍していた時代、息子たちが父を敬い賞賛の言葉をかけてくれた過去…から抜け出せない。
 しかし現実社会は彼を使い捨てのごみのように道端に放り出してどんどん先に行ってしまい、彼の精神は冷酷な現実に打ちのめされ、さまざまな妄想の中をさまよいます。妻のリンダは献身的に夫を支えますが…。

 2幕構成で、1幕目が主人公の帰宅した月曜日の夜、2幕目が主人公が自殺した火曜日の夜と葬儀からなるが、回想シーンで家族の歴史が語られる。父と子のかみ合わない会話(お互いが相手のことを思っているのに、それとも自分のことしか考えないからか)、兄と弟の葛藤、競争社会、家庭の崩壊など、まさに現在の日本社会の問題ばかり…。いとおしいウィリー、そして一家の悲しい結末。

 そんなことを感じながら、その夜の「交流会」に参加した。ウィーリー役のたかお鷹さん、奥さん役の富沢亜古さん、長男役の鍛治直人さん、次男役の林田一高さん、制作の白田聡さんの5人が出席され、それぞれ、古城公園や大仏さんまで散歩した話や、えんじゅ通りの少女像「ひととき」(朝倉響子作)が富沢亜古さんの叔母さんの作品なので、見に行ったなどと話された (富沢さんは朝倉摂さんの娘さん)。たかお鷹さんは、あの重い役を出ずっぱりで、全身全霊で演じられたからだろう、お疲れのようだった。でも、一人一人の感想に耳を傾け、質問にも丁寧に答えてくださった。

 「このお芝居は、人によっていろいろな受け止め方があるだろうが、それでいいのですよ」と仰った。一緒に見た義妹の家族が年齢も構成もまったく同じなので、いつかゆっくり感想を聞いてみたい。↓ 演劇事務所での交流会。

  ↓ 2グループに分かれて記念撮影。

 ↓ たかお鷹さんは趣味で絵を描かれるそうで、文学座の名前入りのはがきを全員にプレゼントしてくださった。(鳥の名前は後で追加します)


そろそろ「高岡七夕」

2016-07-29 | 高岡

 夏真っ盛り。いつものように月末は忙しい。
 23、24日が、熊野神社の太鼓とクロスランドおやべのコンサート、25日は休んで、26日はお寺のお参りと演劇「セールスマンの死」、27日が「音訳ボランティアあかね」の日。が、朝、めまいがして起きられず、11時近くにようやく出かける。町中に住むYAさんが「七夕飾りがぼちぼち立ち始めたよ」と言われ、”いよいよ夏真っ盛り”を改めて実感する。これが終わるともう立秋だもんね。

 そして今日、28日(木)、2週間ぶりの平米公民館のお稽古日。前夜寝苦しくてすっきりしない頭で出かけた。太鼓は、「竹生島」(11月の芸術祭で発表)と「西王母」(中の舞の練習のため)。謡は「藤戸」(高岡薪能での素謡)の練習と、ちびっこの仕舞の地謡を吹き込んでもらう。「西王母」、「雲雀山」、「安宅」の3曲を暗記しなければならない。「雲雀山」がとても長く、思わず「無理、無理」と呟いた。

 帰り道に、公民館と坂下通りの「七夕飾り」を撮ってみた。(7/28現在)
 ↓ 平米公民館玄関の大七夕。トップ写真は、同じ公民館の入り口の七夕。  

  ↓ 坂下町通り。畑歯科医院前から大仏を望む。

  ↓ 車の中から。

 高岡七夕まつりは、8月1日(月)~7日(日)です。


つれづれな日々43~福島の桃・和紙のフランス人形・金魚ねぶた

2016-07-28 | 日記・つぶやき

 いよいよ夏休み。と言っても、私の生活は何の変りもないのだが、朝、6時半になると「カランカラン」と鐘の音が聞こえるようになった。隣の保育園の園庭で、子供たちのラジオ体操が始まったのだ。が、子供たちの姿は見えない。高い建物が建ち園庭が見えなくなったのだ。そして、相変わらず私も出て行かない。せっかく隣でやっているのに夏休み中くらい参加すればいいのだが…。
 それにしても、この建物のせいで我が家の風通しがすこぶる悪くなった。台所から寝室へ風が通るようになっていたはずなのに…。息が詰まるような思いだ。熱中症が心配なのでもう遠慮なくエアコンをかけている。

 さて、日々の生活の中でのちょっと気にかかる小さな出来事。そんな記事を”つれづれな日々”としてかいていますそんな記事を”つれづれな日々”として書いています。今日は43回目です。

《福島の桃》
 7/23(土)、熊野神社の日。よっしーちゃんから「明日の予定は?」とメールが入った。翌日は、「合唱団となみ・椿」のコンサートの日だ。そう、返事をすると、その日の夕方に「福島の桃」を届けてくださった。「生ものだから…」と。毎年、ありがとう。いただく度に福島の復興と、遠い(今では遠くもないかも)福島で働いておられる彼女のご主人の健康を願っています。台所にふわ~っと芳香が漂いました。

 《和紙のフランス人形》
 7/23(土)以前も紹介した東京のSEさん(城端小の同級生)、またまた和紙のフランス人形を送ってくださった。前のを義妹にプレゼントしたと言ったら、「今、新しいのを工夫したから送るよ」と言うのである。折り紙に興味を持つ外国人が多く、折り紙教室へ習いに来る人もいるそうだ。そこで、もっと背の高い人形を作った、銀座まで和紙を買いに行くのが日課になった、とのこと。中野から銀座までのが散歩コースだそうだ。ボケ防止と言いつつ、人形作りを楽しんでおられる。

 ↓ 後ろの背の高いのが新作。

 ↓ スカートの下から覗くと…。左が以前の背の低い人形、右は背の高い人形。

     

金魚ねぶた》
 東北旅行での自分への土産である。五所川原で買った。ちょっと小さいが、なかなかインパクトがある。トップ写真の、隣りは、以前友人にもらったもの。どこだったかな~。やはり東北だったと思うが。 


合唱団となみ~サマーコンサート「郷愁・信長高富を歌う」

2016-07-25 | 合唱

 久しぶりに「カテゴリー合唱」で記事を書きます。MiTUを休部してから約2年、合唱から遠ざかっていました。練習に行かないと、不思議なものでコンサートにも興味がなくなります。その間、謡と太鼓にのめり込んでいたのでしょう。

 5月だったか6月だったか、城端の同級生のTOちゃんから旅行案内とともにコンサートのお知らせが舞い込みました。彼女は、いのくち椿館で練習している「なんと混声合唱団・椿」のメンバー。「合唱団となみ」と団長さんも指揮者も同じ人なので、ときどき合同コンサートを開かれます。
 久しぶりに合唱を楽しみたい、でも最近体調も良くないので一人で行く元気はないな~と迷っていたら、SAさんとなはさんが一緒に、と言ってくださいました。

 7/24(日)クロスランドおやべ セレナホールです。
 まず、第一ステージは、なんと合唱団椿で「群青」。
 詩は、南相馬市立小高(おだか)中学校H24年度卒業生、曲は音楽の小田美樹先生。詩を作った生徒たちは1年生のとき、東日本大震災に合い2名の同級生を失いました。また、福島第一原子力発電所から半径20km圏内に位置する福島県南相馬市小高(おだか)区は、原発事故のため全住民が避難生活を余儀なくされ、小高中学校も市内の別の学校に間借りをして授業を行っています。友達は全国各地に散り、残った同級生は6,7名だったそうです。
 「群青」は、その小高中学校の生徒たちが、離ればなれになってしまった仲間を思って、つぶやいたり、書き留めた言葉の数々を同校の小田先生が綴って曲をつけた作品で、卒業式で歌われました。信長先生の編曲は素直で歌いやすそう、合唱団の皆さんも心を込めて、中学生のように澄んだ声で歌われました。
   ♪ ああ あの街で生まれて 君と出会い たくさんの想い抱いて 一緒に時間(とき)を過ごしたね
 今 旅立つ日 見える景色は違っても 遠い場所で 君も同じ空 きっと見上げてるはず…♪

 ↓のyoutubeを開いて聴いてみてください。
  https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E5%90%88%E5%94%B1%E6%9B%B2+%E7%BE%A4%E9%9D%92

 次に、「合唱団となみ」による「初心のうた」と「夜明けから日暮れまで」。2曲とも信長高富 作曲。両合唱団とも、指揮は浅水清晃先生。

 第二ステージは、まず、「椿」が、「あの町この町」と「青い目の人形」(2曲とも野口雨情作詞)。難しい編曲に思えたが、楽しそうに歌いあげられました。楽譜はあるがほとんど暗譜。

  次に、「となみ」が宮崎駿アニメより、「いつも何度でも~千と千尋の神隠し」と「めぐる季節~魔女の宅急便」。最後に「X」? これがなんとセキスイハウスのCMソング。途中で気づいたのだが、あの ♪ あの街に あの家に こころは帰る mmm mmm セキス~イ ハウス~ ♪ と言うあれです。

 休憩の後、第3ステージは、まず、カルテット ”ヴィザヴィ”で桑田佳祐作詞作曲のサザンの3曲、「チヤコの海岸物語」、「YA YA(あの時代を忘れない)」、「TSUNAMI」。ベースは団長さんです。

  最後のステージは、「椿」の「闇夜の国から~傘がない・陽水セレクションより」、「となみ」の男声で「時代」(中島みゆき)、女声で「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ)、混声で「心もよう~傘がない・陽水セレクションより」、「川の流れのように」(美空ひばり)の4曲。
 ↓は、真紅のドレスの女声コーラス。

 ↓ 最後に混声で。ほとんどが知っている曲でとても楽しかった。歌っている人も楽しそう。ホールの入り口で友人に挨拶をして別れました。感想はまた電話でね、と。

  帰りは戸出の「一休HITOYASUMI」で一休み。2ピースのフルーツワッフルをプラス300円で4ピースにしてもらい、3人で食べました。なかなか豪華版でした。 


熊野神社奉納謡曲大会と落語寄席

2016-07-24 | 映画・テレビ・演劇・芸能

  北陸も梅雨明けし、これから暑い日々が続きますね。
 7/23(土)、朝から暑い日、熊野神社奉納謡曲大会(ゆかた会)が行われた。以前、蒼山会では関野神社(高ノ宮)の奉納謡曲大会に出ていたがお世話する方の都合で今は行っていない。我が家の近所の大木白山社でも、お盆に行われていた奉納謡曲大会が昨年はなかった。お世話していた方がご病気だそうだ。

 私たち平米公民館の太鼓組は、今年初めて熊野神社へ呼ばれ連調練管の「中の舞」を奉納することになった。初めての神社であり、ゆかた会と言うのも初めて。男性のみなさんは、本当にゆかたに袴を着けておられた。会のゆかたがあるようで、同じ模様の方が何人かおられる。女性は絽の着物だ。
 ↓ 結婚式の披露宴の大広間だろう。シャンデリアに金屏風の豪華な部屋で謡が謡われた。 

 ↓ 境内から見た本殿と奉納された馬。暑い日で境内にはみんみん蝉の声がひびいていた。 

        

  連調連管だけだったので私たちはとても気楽。お笛のみなさんともよく合い伸び伸びと調子よく打てた。一方、先生は太鼓5個の調べ緒を締められるので、暑い日で汗だくになっておられた(ありがとうございます)。直会は失礼していったん帰宅。NOちゃんに迎えに来てもらい、地場産業センターホールへ。「読売落語寄席」の券がもらえたので夕涼みがてらお笑いを聞きに。

 ↓ 富山市出身の落語家、柳家さん生師匠。福顔の気さくなイメージ。古典落語だろうか、熊さんが夢を見ていないのに、「どんな夢?」とかみさんに問い詰められ喧嘩になる、仲裁に入ったトラさんにも問い詰められ、大家さんにも、最後は天狗にまで問い詰められる、という「天狗裁き」。落ちはそれが夢だった…。 
 ↓ 高岡市出身の漫談家、だら~ず山下さん。高岡ケーブルテレビによく出ている漫談家。我が家の近所のガソリンスタンドでアルバイトをしている人じゃないかなぁ。以前我が車のバッテリーが上がり急きょ駆け付けた時に来てもらった…。日常よくある、人の心理をついた話を次々と披露、大いに笑わせてもらった。


下北・津軽 みちのくさいはて秘境周遊の旅⑥ 十二湖(白神山地)

2016-07-22 | 旅行

 7/6(水)~9(土)の3泊4日の「下北・津軽半島」の旅、いよいよ4日目最終日である。朝、鯵が沢温泉を出発、津軽・西海岸を南下する。青森県五所川原市と秋田県能代市を結ぶ鉄道「五能線」に沿って、バスは海岸沿いを走ります。車窓より、千畳敷海岸や日本キャニオンの景色を楽しみながら…。が、この日は曇り空で視界が悪く、写真は失敗作ばかり。目に焼き付けておきましょう。

 途中、十二湖を散策した。実際には30個以上の湖沼があるそうだ。そして、日本最初の世界遺産の一つ、「白神山地」の入り口にもなる。世界最大級のぶなの原生林が有名。ずっと訪ねたいと思っていたところ。このツアーで行けるとは思っておらず、ラッキーだった。図らずもその入り口まで入れ、いつかまた訪ねてみたいもの。
 「青池」までの散策路を歩きながら、ガイドさんが草や花、木々の説明をしてくださった。メモらなかったので写真だけ。しかも、小雨とガスでボーっとした写真ばかりだが、雰囲気だけでも味わってください。

  ↓ コレも何の葉だったか?

 

  晴れた日に歩くとさぞ気持ちがいいだろうな~。木々の合間から池が見えるのだが曇っていてハッキリしない。

  ↓ 青池。本物はもっと神秘的。

  秋田駅で、「秋北バス」のガイドさん、運転手さんとお別れする。長い間ありがとうございました。↓は竿灯まつりを間近にした秋田駅。

  ↓ 「こまち24号」で大宮駅に向かいます。

  ↓ 車内のドアと床に描かれた「あきたこまち」のデザイン。

 大宮駅で「はくたか」に乗り換えて帰りました。4日間一緒に過ごした旅仲間、黒部宇奈月温泉駅に始り、各駅に止まる毎に一人、二人と減り、新高岡駅では個人参加の男性2名と我々2名が下車。義弟の車で帰宅しました。
  長い間、読んでくださりありがとうございました。


下北・津軽 みちのくさいはて秘境周遊の旅⑤ 竜飛崎&五所川原

2016-07-18 | 旅行

 7/6(水)~9(土)の3泊4日の「下北・津軽半島」の旅、いよいよ津軽半島へ渡ったのが3日目である。脇野沢港からむつ湾フェリーに乗り蟹田港へ。
 ↓は、「鯛島」。坂上田村麻呂(昔、歴史で習った名前…)と島の娘の悲恋物語が語られている。見る角度により、左の岩が’尾’になって見える。

 ↓ これも見る角度により…? が、どちらかが岩木山か、それとも両方違うかわからない。

  蟹田港からバスで竜飛崎へ。
 ↓は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌碑。2題目の歌詞が中央に大きく書いてある。波の形の石の上の赤いボタンを押すと、いきなり2題目の歌が聞こえ、皆さん声を合わせて歌っていた。

 ♪ ごらんあれが 竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす 息でくもる窓のガラス ふいてみたけど はるかにかすみ 見えるだけ さよならあなた 私は帰ります 風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに ああ 津軽海峡冬景色 ♪ 三木たかし 作詞、  阿久悠 作曲 

  灯台とは、どこでも高い丘の上にある。ここも、かなり急坂で息が切れた。ガイドさんは途中の花々も説明される。フム、フム、と聞きながら忘れてしまった。シモツケソウ、タニウツギ、菖蒲…。

     

   

  ↓ 竜飛崎灯台で~す。シンプルで堂々としている。 

 ↓ 灯台の下の海には、竜飛漁港が…

 ↓ 漁港に向かい、国道339号線。しかも階段が…。称して「階段国道」、中央分離帯まであるが、もちろん車は通らない。だが、れっきとした国道である。元々は狭い坂道で、今でも民家の間を通る道だそうだ。なぜここが国道に指定されたのか諸説あるらしい。地元の人が階段を作り、今は観光地になっている。全長388.m、標高差約70m、階段は362段あるそうだ。降りれば昇らねばならないので、私は行かなかったが義妹が降りて行きスタンプを押して来てくれた。

 さて、これから五所川原へ向かう。五所川原市の「武多の館(たちねぶたのやかた)」を訪ねた。市の中心部に高さ38m、地上6階の建物が建っている。立武多は、青森のねぶたを縦に高くした大きな行灯。8/4日から5日間の立佞武多祭のとき、この館のガラス面から高さ22mのねぶたが出陣する様は圧巻だそうだ。これは、18年前に90年ぶりに復活したもの、明治以降は背の低いねぶたを曳いていた。この館で、制作、展示、保管のすべてを行っている。

 ↓は、過去3年間の下絵と、右端は今年の「出雲阿国」。   

 ↓ 展示スペースのねぶた。上の階から撮っている。

      

 ↓ 「国性爺合戦」の和藤内。

 ↓ 地上階から撮ったもの。下の部分だ。枠組みは針金だと聞く。           

 ↓ 今年の「出雲の阿国」を制作中。今年の祭で街中を練り歩くさまを想像する。

 ホテルに向かう道路の両側、片側に↓のような物が目立ち始め、誰かが質問された。「防雪柵」と言うそうだ。東北地方のあちこちにいろいろな形の物がある。冬の吹雪対策だそうだ。冬になると高く伸ばして柵にする。人工作業と聞き、皆驚いた。風が強く、車が雪に埋まることもあるとか。  

  ↓ 風力発電所もけっこう多いようだ。       

 さて、3日目のホテルは、鯵ヶ沢温泉「ロックウッド・ホテル&スパ」。元プリンスホテル系だったかな?今は他県の会社が経営とか。ロックウッド=岩木、岩木山の中腹にあるとか。

 ↓ 途中の岩木山。てっぺんが雲の上から見えた。

  ↓ ホテルから見えた岩木山。フロントに男性がわざわざ見える場所に案内してくださったが…。
  え~ッ?これがァ? 


久しぶりのお茶教室

2016-07-17 | 茶道

 「津軽・下北半島の旅」をちょっと中断して、16日(土)のお茶教室の一コマを…。旅行から帰った週明け、トイレのウオッシュレットを取り替えに来られ、ちょっとバタバタした。その後、旅の疲れで毎日ぶらぶら。
 14日(木)、久しぶりに平米公民館のお稽古に行ったら、「中の舞」を間違えてばかり…。手が勝手に変な動きをする…? これはなんで?

 16日(土)、最近家を新築した友人から、「引っ越しも済みようやく片付いたから一度見に来ませんか」とお誘いがあった。じゃ、午後はお茶なので2時半までと決め、午前中から3人で出かける。一緒にお寿司をいただき、お喋り。午後は久しぶりのお茶教室の日で、私だけ先にお暇した。お茶教室も2週間抜けているので休むわけに行かない。が、一日に2つも用事を入れると慌ただしく、どっちつかずで落ち着かないものですね。

 この日のお茶は茶箱で「卯の花」のお点前。案山子さんとよっしーちゃんがもう来ておられ、そこへ姫さんとあっ君。
 「卯の花」のお点前は、あっ君には少し難しいかな~と茶々姫先生。でも、彼は挑戦しました。↓は、悪戦苦闘しながら、お茶を点てるところまでこぎ着けました。

          

 ↓は、この日の主菓子。茶々姫先生、「ウ~ン、何と言う名前だったかな~」 「じゃ’清流’にしようか。」
たしかに、この青は水の流れ。さっそく、そこにあったカリントウと葛餅をあいらい、青もみじと岩。こんな涼しげになりました。         

 しばらくして、茶々姫先生、「ああ、思い出した。’清流’だったわァ」。ピッタリでした。


下北・津軽 みちのくさいはて秘境周遊の旅④ 恐山

2016-07-16 | 旅行

 7/7(木)、2日目。仏ヶ浦の後は、4時20分に薬研温泉のホテルに着くはずだったが、お天気はよく日は高い、と言うことで明日の予定の「恐山」に行くことになった。明朝の出発が遅くなると言うので全員賛成。でも、夕方の恐山は怖いのでは?

 ↓は、「総門」前。時間が遅いので人影はまばら。恐山は、比叡山、高野山とともに日本三大霊場に数えられる。862年に慈覚大師により開山され、天台宗の修験道場として栄えた。一度廃寺となったが14世紀に曹洞宗円通寺により再興された。岩場の間から硫黄の臭いが立ち込めるさまは地獄に、湖を取り巻く白砂の浜は極楽に見立てられるそうだ。  

 ↓ 総門前にある「六大地蔵」。

 ↓ 宿坊。1泊2食で12000円だそうだ。

 ↓ 「山門」。

 ↓ 7/20~24日の恐山大祭の時、この参道の横にイタコ(生霊や死霊の意中を語る巫女)が何人も出るのだそうだ。いつもではないそうだ。

 ↓ 「地蔵堂」。後は地蔵山、お寺は標高200mの位置。

 ↓ 「大平和観音」、他に震災慰霊塔や水子供養塔などがある。

 ↓ 「宇曽利湖(うそりこ)」、雲のかかった山が宇曽利山(標高879m)。

 ↓ 砂浜が極楽浜。日暮れ前なので小凄いイメージ。

  ↓ ケルンのようにたくさんの積み石が点々と…。広いのでどこが賽の河原か地獄谷かわからなかった…。

 ゆっくりと回っていたら、他のグループの中に混じっていた。ちょっと慌て集合時間に間に合うかと焦ったので少し息切れがした。が、この日も温泉で疲れを癒し、美味しい夕食。明朝もゆっくりで無事に3日目を迎えられそうだ。
 ↓は、薬研温泉、「ホテルニュー薬研」。ガイドさんに言わせると'昔懐かしい一軒宿’。高原のホテルと言う感じだが、湯船はヒバの木造りで田舎風。

 ↓ マグロ、ホタテ、甘エビのお造り、イカソーメン、海の幸マリネ、イカスミ沢庵、レタスの茎などなど。もちろん、この日も生ビール。

 ↓ 壁に貼ってある「まさかり凧」。神楽の凧だそうだ。

 翌日は、↓のフェリーでむつ湾を航海し、津軽半島へ。


下北・津軽 みちのくさいはて秘境周遊の旅③ 大間・仏ヶ浦

2016-07-14 | 旅行

 ↑の地図にマーカーで印をつけられるといいのだけど…。「まかど観光ホテル」(馬門温泉・野辺地町)は、’まさかり’の形の下北半島とむつ湾の中央あたりに小さく突き出た夏泊半島の付け根、小さな逆三角形の頂点に位置している。朝、ホテルの前でたくさんのお見送り隊に手を振られてバスは出発した。ガイドさんいわく、「まかどさ まだ来てくれじゃ、と言っておられますよ。」

 7/7(木)、2日目。 バスは、ひたすら下北半島の最北端、大間崎を目指して北上する。途中、太平洋側に細長く位置するのが六ヶ所村。ここには、ウラン濃縮工場や低レベル廃棄物埋設センター、高レベル廃棄物貯蔵管理センター、再処理工場などがあり、核燃料サイクル基地になっている。青森県内には、東通原発があり目下大間原発が建設中だとか。ガイドさんは淡々とではあるが怒りを込めた様子で話された。バスの中からは写真がうまく撮れず、↓はネットからだが、右の林の奥に基地がある。折しも参院選の真っただ中。道路沿いには岡田氏の看板しか見当たらなかった。

  ↓ むつ市にある「下北名産センター」。昨夜の夕食で食べたホタテの干物を買う。

      

  ↓ 本州最北端大間崎。マグロの一本釣りと漁師の力こぶのモニュメント前で義妹と。以前より身長差が開き、親子みたい。

 ↓ 大間崎灯台。

 ↓ マグロ一本釣りの漁師の店、「さつ丸」。

 ↓ 鶴瓶の番組に出たと言う「かっちゃ」。

 大間で、マグロ丼の昼食。暖かいご飯(晴天の霹靂か?)にマグロが載った丼。意外とあっさりして美味しい。
 佐井港から遊覧船に乗り、仏ヶ浦へ。義妹に酔い止めをもらい、初めて飲んだ。↓ 3枚は船中から。海の色が青い。文人で、登山家・紀行家としても日本各地に足跡を残した大町桂月が、下北半島を訪れ仏ヶ浦を見て、「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」の和歌をを詠んだそうだ。

 ↓ 上陸した。左に見えるのは遊覧船。思った以上に広い。水上勉の「飢餓海峡」(本はもちろん、映画でも演劇でも観たのだが)、主人公の尤飼多吉が層雲丸(実際には洞爺丸)から小舟で脱出し、上陸したのが仏ヶ浦。たしか、この浜辺で衣服を乾かし、船を燃やした…だったはず。もっと狭い岩に張り付くようなスペースかと勝手に思っていた。 

 ↓ 人影の大きさから、岩の大きさを想像してください。

 お天気がよく、空も海も蒼く、岩肌の白色が際立つ。足場もよくて波打ち際まで歩けた。2日目の日程はここまでで、ホテルには4時半過ぎに入る予定だったが、お天気の良いうちに「恐山」まで行きましょう、と言うことになった。


下北・津軽 みちのくさいはて秘境周遊の旅② 八戸

2016-07-12 | 旅行

 7/6(水)、読売旅行の「下北・津軽の旅」に義妹と参加した。大宮駅で、北陸新幹線から東北新幹線に乗り換え、八戸駅で下車。ここから「秋北(しゅうほく)バス」で青森県を回る。

 まず訪ねたのが「八戸博物館」と「史跡根城(ねじょう)」。パンフには、日本100名城の一つ中世城郭とある。 

 ↓は、博物館前の騎馬像。南部師行(なんぶもろゆき)とあった。誰だろう?1334年(建武元年)、甲斐の国(山梨県南部町・身延町)の武士南部師行が国代としてこの地に赴き、北奥羽の支配拠点として根城を築いた。その後遠野へ領地替えになるまで300年間、ただの1度も落城することのなかった名城だそうだ。

 市内には多くの遺跡があるそうで、縄文時代の生活道具なども展示されていた。↓は、「おしらさま」。この地方の家の神さま。

  ↓は、菱形刺し子。津軽地方の刺し子は「こぎん」と呼ばれ刺し方が違うそうだ。

 博物館の横に、「史跡根城の広場」があり、昭和53年から発掘調査が始り、数少ない中世の平城として復元された。↓は、根城跡の説明図。小雨の降る広い敷地をボランティアガイドさんが丁寧に説明しながら案内してくださった。ガイドさんが苦笑いして曰く、「秘境の旅で来られたのですね」と。ここで初めて、このツアーの正式名が「下北・津軽 みちのくさいはて秘境周遊の旅」と知った次第。八戸は人口23万、青森県2番目の都市である。

  ↓は、本丸跡に復元された「主殿(しゅでん)」。当主が来客を迎えたり、儀式を行った場所。

  ↓ 下馬屋。馬(模型)もいました。南部馬は、体が大きく強健とのこと。

  八戸近辺には、一戸、二戸…と戸(へ)の付く町が多く、不思議に思い博物館の人に尋ねた。馬の牧場のことと言う。一から九まであり、四戸はない。
 バスの中で、ガイドさんが詳しく説明してくださった。
  「この地方の特産品は馬で,貢馬(くめ)といって年貢として納められていたそうです。「戸」は,この馬の管理,貢馬のための行政組織だったようです。広大な地域を官営牧場とし,九つの区画して運営していました。」

 このガイドさん(佐々木ゆかりさん)が素晴らしいガイドさんで、説明の細かい数字もすべて暗記しておられ、驚くばかり。南北朝時代、南部氏が治めていた八戸の様子が、少しわかった気がしてきた。
 さて、泊りは野辺地町馬門観光ホテル。生ビールとホタテ料理を楽しんだ。

 ↓は、ホテルロビーの「野辺地祇園祭」の山車。

  ↓は、ロビーでのピアノコンサート。リクエストもあり、私は「星めぐりの歌」を弾いてもらった。


下北・津軽 みちのくさいはて秘境周遊 4日間の旅 ①

2016-07-11 | 旅行

 ↓は、昨年のブログ。同級会から、北海道へ旅行した時のもの。今年は、ちょうど同じ頃に、義妹と青森県を旅した。NHKBSテレビの「こころ旅」で、火野正平さんの青森県の旅が放映されたのと同じ週だった。

 
喜寿の旅~北海道 ①
 最終日に飲んだニッカウィスキーの試飲のせいかな~。翌日は朝から頭が重く一日中ボ~ッとしていた。 7/5(日)~7(火)まで北海道を旅した。「城端卯辰会」の喜寿の旅である。地元の幹......
 

 今年2月、フィリピンの戦跡巡りで体をこわし、回復にほぼ一カ月かかったので義妹と行く予定だったミステリーツアーを断念した。ほどなく義妹から「おねえさん、下北半島へ行ったことがある?」と電話があり、「ないけど…」と言っているうちに行くことに決まった。彼女は決断も行動も早い。

 気づけば、3泊4日、しかも下北半島と津軽半島の最北端を極めるツアーだった。ワァ~、行けるかしら?また旅の途中でダウンしたら?と心配しながら出かけたのが、7/6(水)である。

 日程  
 1日目:(JR)
福井~小松~金沢~新高岡~富山~黒部宇奈月温泉~大宮(乗り換え)~八戸
      (バス)根城~馬門(まかど)温泉泊
 2日目:(バス)大間崎~大間~佐井港~仏が浦~佐井港~恐山~薬研温泉泊
 3日目:(バス)脇野沢港~(むつ湾フェリー)~蟹田港~竜飛崎~五所川原~鯵ケ沢温泉泊
 4日目:(バス)十二湖(青池)~(JR)秋田~大宮~黒部宇奈月~富山~新高岡・・・~福井

 読売旅行で北陸3県から14名の参加。ご夫婦が2組、私たち二人連れ、あとの8名は男女4名ずつの一人参加の方たち。聞けば、「男女別相部屋可能日」の指定日だそうだ。一人参加でも費用は変わらないと言うわけだ。私も若い頃は1人旅は平気だったものだ。

  北陸新幹線、東北新幹線を乗り継いで八戸まで。八戸では、まず「根城」を見学。
 ↓ 大宮駅ホームで。東北新幹線「はやぶさ」。          

 ↓ 連結する「スーパーこまち」。             

 ↓ 駅弁 「深川めし」。あさり、はまぐり、アオヤギなどと青ネギ。魚は何かわからなかった。

          


素謡「実盛」

2016-07-10 | 能楽

 7/3(日)、親しい方の通夜に参列した。故人は、私の元の職場の大先輩であり、いろいろお世話になった方。また、奥さまとも何度か一緒に勤務したので、多くのことを教えていただいた。子どもの年齢が近かったせいもあり、何度か一緒にスキーに行ったこともあった。

 入院されたと聞いてはいたが、急だったので知らせを聞いた者は皆驚いた。最近お見かけしたのに…と言う人も何人もいた。故人はクラシック音楽がとてもお好きだったので、通夜式の前には、ヴァイオリニスト巌本真理さん演奏のヴァイオリン協奏曲が流れた。
 通夜の後には、所属しておられた謡曲の会の会員さん達が謡を奉納された。姫さんと私にも声がかかり、習っていない曲ではあったが、本を持って行った。

 曲は、「実盛」の最初の部分。ワキとワキヅレ(僧と従僧)が、説法をする場面。

 「極楽浄土は遠く離れた所にあるが、念仏を唱える者は漏らさず救いとって下さるという。思えば、易い道なのだ…。」
 ♪ 独りなお佛の御名を尋ね見ん。佛の御名を尋ね見ん。おのおの帰る法(のり)の場(にわ)。知るも知らぬも心引く 誓いの綱にもるべきや 知る人も。知らぬ人をも渡さばや 彼の国へ行く法の舟 浮かむも安き道とかや 浮かむも安き道とかや。 ♪

 その説法の場へ、一人の老人(シテ)が聴聞にやってきた。「ありがたや、今日もお説法の座に紫雲がたなびいておる。鐘の音や念仏の声が聞こえてくる。老いの身ゆえ歩いてゆくのも難儀じゃが、せめてここからでも拝もうの。南無阿弥陀仏…。」 ・・・ と物語は続くのだが。

 ↑ の ♪~♪ に記したように短い部分だが、習っていない謡なので印を見ながら歌うのに精いっぱい。ただ、途中で何度か涙がこみ上げ声が途切れてしまった。故人の元気で活躍しておられた姿、退職後お能の帰りに車に乗せてもらった時のこと、お宅を訪ねた時に玄関でお話したこと…いろいろ思い出され悲しかった。

 さて、「実盛」とは、源実盛、またの名は「斎藤別当実盛」のこと(以下ネットから)。

  斎藤実盛は、寿永2年(1183)、木曾(源)義仲と平家との戦いで平家方について戦い、加賀の国篠原の地で討ち死にしました。この時代は戦いに臨んで名乗りをするのが習いでしたが、実盛は名乗りをせずに奮戦したといいます。「木曾殿は御覧じ知るべし」、首はだいじにお目にかけよと、独り武者のままで戦い、身を投げ出すように木曾方の勇士手塚太郎光盛と組み打ち、討死しました。

 義仲はその首を見て実盛の首であると直感します。しかしそれならば白髪首のはずであるのに、鬢髪は黒く、髭も黒い。首実検に呼ばれた樋口次郎兼光は首を見るなり「あなむざんやな」とうめきました。「老い故によき敵と思われないのは悔しい、最後の戦いでは鬢も髭も黒く染めて出陣したい」と実盛が言っていたことを樋口はよく覚えていたのでした。

 このように実盛が平家方でありながら、木曾義仲に心を寄せこの戦いを最後と覚悟していたのには訳がありました。ひとつには坂東武者でありながら平家に仕えなければならなかった時代のわが身の不運を嘆く気持ちです。もうひとつは平家追討の名乗りをあげた木曾義仲にならば、勝ち戦をさせてやりたいという気持ちです。
 実は、義仲の父義賢が同じ源氏の甥義平(頼朝の兄)に殺された時に、まだ2歳であった幼い義仲をかくまって、木曾の中原兼遠(義仲の養父)に送り届けたのが実盛でした。義仲は実盛の首を前にして、自分に今があるのはみな実盛のはからいによるもので、実盛は自分の「七箇日の養父」でもあったと言ってさめざめと泣き、その首を手厚く供養することを命じたといいます。

 小松市 多太神社に実盛の鎧や兜などが奉納されているそうだが、尼御前SAに芭蕉の句碑がある。
 ↓は、昨年娘夫婦と京都へドライブした時の写真。

                                むざんやな 兜の下の きりぎりす      芭蕉


恒例の誕生会 ~「草の家」で

2016-07-05 | 食物

 7/2(土)、朝、いつものように千葉のasaちゃんから「誕生日おめでとう」メッセージがケータイ電話に入った。私の誕生日とすぐ下の妹さんの誕生日が同じだそう。毎年朝一番にお祝いメールが届くのだ。(実は今年は訃報の電話もあった。昨夜9時過ぎの電話を私が受け取らなかったから…)

  この日は私の誕生日でもあり、「茶々姫さんお茶教室」全員の誕生会もある日。12時に「草の家」に集合。昨年と違い、椅子テーブルの広い部屋だった。
 まず、バースデイケーキのカット。 ♪ Happy Birthday ○○ちゃん ♪ を歌ってから、茶々姫先生にローソクの灯を消してもらう。ローソクは数字の「7」と「8」の形。7月と8月ではなく、70代と80代の印。よっしーちゃんだけ、その半分ほどだが、ゴメンね、です。

 ↓は、食事前の集合写真。白一点のたくちゃんがカメラマンです。

  ↓ 前菜。

 ↓ お刺身。

 ↓ お寿司。チラシ寿司と半々で注文。

 ↓ 小振りだが、鮎の塩焼きがうれしい。

 ↓ 茶碗蒸しは、朝顔の麩で。

 他に、天ぷら、蒸し物、汁椀、漬物…。↓は、デザート。

 予約制ですが、部屋代は要りません(3時間無料)。メニューは、他にオードブル形式、ミニ会席、法要料理などがあります。

 「草の家」: 砺波市 矢木 438-1  TEL:0763-34-8855
         年中無休  AM11:00~PM19:00


My Birthdayは誕生会

2016-07-04 | 日記・つぶやき

 

 
My Birthdayは大忙し
 My Birthday は ”ふれあい活動”  My Birthday は草取りデー 7/2(火)明け方何時頃だったか、Cメールの着信音が3回鳴った。ウム?誰かな......
 

 ↑は、昨年のブログである。今年は、私の誕生日が「Rubyの会」の誕生会だった。砺波市矢木 「草の家」でである。数年前、城端の女子卯辰会で食事会をした時行ったのが最初。昨年は、お茶教室の「初釜の会」だった。その時の寸劇「平成桃太郎」が病みつきになり、今年も寸劇で楽しもう、と提案したら、なはさんが1日で「現代版・末広がり」の脚本を書いてくださった。この狂言は、中学校の国語の教科書に載っており、授業の中でグループごとに上演したそうだ。

 以前、「蒼山会」から謡蹟巡りで大江山方面を訪ねた時、素謡「大江山」に狂言を挿入したものを山崎先生が脚色され、皆で演じたことを思い出す。「~でござぁ~る」と真中を強調すると狂言っぽくなる、と読み稽古。肝心の傘は姫さんの友人、踊りの先生から借りる。扇子や袴は謡を習っている者が準備する。果報者(主人)の裃(肩衣)は姫さんが紙で手作り、冠は茶々姫さんのアレンジ。

 「草の家」に着くとすぐに、衣装合わせ。裃に紋を糊で貼り付けたり、腰紐に前に下げる布を留めたりてんやわんや。 

  ケーキにローソクを立てるセレモニーと会席料理のメニューは後日紹介します。まず、「現代版・末広がり」の始り始まり!

 果報者:「これは、高岡の奥地に住まいし、裏千家茶道を指南している者でござる。」と名乗りを上げます。「近頃パーティというものを催し、客を招待することが流行っていると聞く。私も近々、七夕の節句に弟子どもを招くことにしよう。」と、太郎冠者、次郎冠者を呼びます。

 果報者:「これ、これ。太郎冠者、次郎冠者。あるか~やい。」
 太郎冠者:「は~ッ、お前に。」    次郎冠者:「は~ッ、お前に。」

 そして、客の引き出物に「末広がり」を求めて来るように、二人に命じます。二人は、ついでに都見物をしようと大喜び。(舞台を一回りし、都見物をします) 
 都には誘惑がどっさり!美しい女が美声を誇って詩吟を聴かせました。一茶の俳句「やせガエル負けるな一茶ここにあり」等々、三句です。二人は座りこんで聴きほれます(打ち合わせ通りサッと椅子を差し出す人あり)。

 「そこな田舎人」と呼びとめて、キーボードの伴奏で”Beautiful Sunday"を歌ってくれる歌姫もいます(キーボード担当の案山子さんが見えませんが、皆で歌います。振りつきです)。

 ここで、自作の俳句を披露してくださる予定の久○子さんが体調悪く急な欠席で残念) 
 さて、太郎冠者も次郎冠者も、肝心の「末広がり」がどんな物かは知りません。が、「売る物、買う物を呼ばわって歩けば整うとみえる」と言うわけで、「末広がりを買おう」と大声で呼ばわります。そこへ現れた「すっぱ(狂言につきものの詐欺師、泥棒)」が古傘を売り付けます。

 太郎冠者:「では、尋ねる。一つ、地紙良いとはどうじゃ?」
 すっぱ:「そりゃもうこの通り。よい天気に紙を張ったによって指ではじけばきつねのようにコンコンと鳴きまする。」
 次郎冠者:「では、骨はどうじゃ?」
 すっぱ:「骨はものの上手がと草をかけて七日七夜磨いたによってスベスベいたす。」

 この辺から、すっぱの舌がよく回るようになり、どんどんアドリブが…。皆で大笑いをしました。

 すっかり騙されて、喜んで帰ろうとする二人に、
 すっぱ:「これこれ、そなた達は主(しゅう)持ちと言われたな。だいたい主人と言うものは機嫌の悪い時もあるものじゃ。そのような機嫌を直す囃子物がある。それを教えて進ぜよう。」

 ここで出ました! 伏木のけんか山のかけ声、「イヤサア~、イヤサア~」。すっぱは伏木の生まれでした。

 意気揚々と帰って来た二人でしたが、「末広がりとは扇のことじゃ」と主人にこっぴどく怒られ、「機嫌の悪い時の囃子」を思い出します。

 ♪ 傘をさすなる春日山~。 傘をさすなる春日山~。 これも神の誓いとて~。 人が傘をさすなら我も傘をさそうよ~。げにもさあり。やよげにもさうよの~ ♪ 
 主人も囃子のリズムに合わせ、一緒に歌い踊りながら、二人の健気さに免じ許してくれるところでメデタシメデタシ。すっぱも再登場し、♪ イヤサア~、イヤサア ♪ とあいの手を入れ一緒に踊ります。

 ↓は、カーテンコール。

  終わってから気づきました。肝心の裃を忘れていたことを…(床の間に飾ったまま)。集合写真でようやく日の目を見ましたが…。いつかまた使わないと。

  ↓ 改めてポーズです。

 後で聞けば、この日は高岡伏木が全国最高の気温だったとか。草の家の広間は涼しく、広く、ご馳走も美味しく、最高でした。